「ちょっといい話」その62
−中国の素敵な女性−
5年振りに一泊で中国を訪問した。
張海迪(ちょうかいてき)女史との面談のためである。
張海迪女史
張女史は現在『中国身体障がい者連合会』の会長である。1955年山東省生まれで、幼少時に血管腫を患い車イス生活となった。
女史は独学で針灸士の資格を取り、さらに独学で英語、日本語、ドイツ語をマスター。1983年から文学活動を始め、数々の文学作品の翻訳をしながら2002年には長編小説『絶頂』がベストセラーになった。現在は中国人民政治協商会議の常務委員でもあり、中国を代表する女性の一人である。
女史は、私の来訪にエレベーターホールまで車イスで出迎えてくれた。苦労した人生の片鱗すら感じさせないおだやかな姿からは、上流階級の貴婦人の雰囲気すら感じられた。『リハビリテーション・インターナショナル』という世界団体の会長への就任も確定しており、国連での障がい者の地位向上のための活動で、お互いに協力することを約束した。
かつて、日本政府提案としてハンセン病の偏見による差別の撤廃決議案を国連人権委員会に上程するにあたり、賛同を得るためにジュネーブの各国代表部へ陳情に訪れたことがある。日・中間は政治レベルでは冷ややかな関係が続いていたが、私の説得に、中国は日本政府提案に賛成どころか共同提案国になってくれた。この経験があるので、障がい者問題でも日・中両国が国連の場で共同歩調をとることが可能ではと思い、今回の訪問となった。
中国身体障がい者連合会は、文化大革命で骨髄を損傷して車イス生活になったケ小平氏の長男・ケ撲方氏が創立した団体である。1984年に彼を日本に招待し、国立リハビリセンター病院を津田医院長の案内で視察していただいた。
筆者(左端)と車椅子のケ撲方氏
左側の男性は誰でしょう?
若き日の長島茂雄氏です
帰国後、彼は直ぐに中国身体障がい者連合会を設立した。当時の名称は『中国残疾者協会』であった。北京の彼の事務所を初めて訪ねたときは古い家屋の狭い部屋で、中国初代国連大使・黄華氏の夫人の何利良(かりりょう)女史が唯一のスタッフであった。その後、彼の努力は勿論のこと、父・ケ小平氏の力添えもあり組織は急速に強化・拡大され、現在では国際的にも評価される立派な団体となった。
創設者で名誉会長のケ撲方氏は、避寒のため海南島に滞在中で、久し振りの面会は実現しなかった。
今昔の感なきにしもあらずである。