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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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11月16日(月) [2015年11月17日(Tue)]
11月16日(月)

7:30 財団着

8:30 「修繕」事業打合せ

9:00 天城 一 社会貢献支援財団専務理事

9:30 英国 貴族院コリン・マッケンジー・ロー法官議員との面会打合せ

10:00 冨永重厚 日仏財団理事長

11:10 塩崎恭久 厚生労働大臣

13:15 関山 健 笹川日中友好基金室室長

14:30 「政治山」ネットニュース

16:00 岩城光英 法務大臣

17:00 玄 秀盛 日本駆け込み寺代表
国際開発ジャーナル「ミャンマーの現況と日本」 [2015年11月16日(Mon)]
「ミャンマーの現況と日本」


国際開発ジャーナルは主に日本のODAや、海外で活躍するNGOや企業の情況を掲載する専門月刊誌です。

70年近い少数民族武装勢力とミャンマー政府との紛争解決に向けた経緯が記されており、読者のご批判も参考にしたいと思い、掲載しました。

**************


国際開発ジャーナル
2015年10月号


Special Interview
〜日本財団会長 笹川陽平氏に聞く

積極的平和外交のモデルとなるか

大詰め迎えるミャンマー少数民族問題
70年以上にわたり政府と少数民族との間で武力紛争が続いてきたミャンマーで、10月15日、停戦協定が締結された。一部勢力は不参加ながら、和平の実現に向け一定の成果が上がったと言える。その立役者が、軍政時代から同国に入り、辺境地への支援を積極的に行ってきた日本財団の笹川陽平会長だ。2013年2月からは「ミャンマー国民和解担当日本政府代表」として奔走してきた同氏に、和解交渉の経緯と今後の展望を聞いた。
(聞き手: 本誌主幹・荒木光弥/本誌編集長・玉懸光枝)


政府と武装勢力の仲介に奔走
―少数民族武装勢力との和平交渉が大詰めを迎えていますね。

笹川 ここまで詰めに詰めてきた。この国には、7割のビルマ族に加え、100を超える少数民族が暮らしている。中でも大きく17グループの少数民族武装勢力が、今日まで政府側と闘い続けてきた。70年超の紛争の歴史は、そう簡単に解決される問題ではない。
 私は、彼らを理屈で説得するのではなく、「この人なら信頼できる」と思ってもらうため、1度より2度、2度より3度と回を重ね彼らを訪ねた。ゼロ泊3日の出張もあった。22時に自宅を出て羽田空港から夜半過ぎの飛行機に乗り、バンコク経由でタイの地方都市に移動して少数民族のリーダーと面会し、夕刻に現地を出てバンコクに戻り、深夜便で翌朝帰国しそのままオフィスに出勤することを3週間続けたこともある。また、信頼を醸成するために武装勢力リーダーの墓参りに渡航したこともあり、この3年間の訪問は50回に上る。
 協議がたびたび中断し、あわや決裂かという場面にも何度も直面したが、そのたびに私は政府と少数民族側の双方から仲介を頼まれた。45年以上祖国を離れ、パスポートもない少数民族武装勢力のリーダーの身の安全を保証した上で政府側との交渉の席に連れて行ったり、政府側から要望されて、中断した和平交渉の再開に向け、再交渉の場を設けたこともある。
 少数民族武装勢力が節目の場面でわれわれを活用してくれたのは、彼らと信頼関係が構築できたからだと思う。9月上旬の和平交渉では、「大統領と国軍司令官との会談に同席してほしい」との正式な依頼文書を17の少数民族武装勢力側から書面でいただいた。

──今のミャンマー政府側にまとめ役がいないということですか?

笹川 政府側の担当責任者は、アウン ミン大統領府付大臣だ。2012年には大統領府の管轄の下でミャンマー平和センターを立ち上げるなど、少数民族問題の解決に積極的に取り組んでいる。
 私自身の関与は、対話の場のセッティングや費用の支援、あるいは世界におけるミャンマーの客観的な状況に関する情報提供にとどめ、指図は一切しない。これはあくまでミャンマーの国内問題で、外国から干渉が入ると複雑化するからだ。外部者が上からの目線で「民主主義」や「人権問題」をかざして介入しても、うまくいかない。
 これまで日本が音頭を取って紛争問題を解決した事例はないだけに、ミャンマー和平が実現すれば、そのプロセスは日本にとっても積極的平和外交のモデルとなる。これまでの努力が実を結ぶかどうか、もう少し時間が必要だ。

平和の果実をすべての人々に
──日本政府はミャンマーの少数民族対策として5年間で100億円を計上しています。

笹川 予算規模は十分だ。ミャンマーは今後、産業が発展し、雇用が生まれ、都市部の多くのビルマ族は民主化の恩恵を実感するだろう。しかし、少数民族武装勢力も含めて皆に平和の果実を分かち与え、少数民族の中にも平和を希求する気持ちを醸成しなければ、この問題の解決はあり得ない。こうした支援を継続しているのは日本だけであり、われわれはその先遣隊だ。
 今後、本格的な停戦が実現したら、日本財団は日本の国際NPOやNGOと共に、それぞれの得意分野を生かした積極的な人道支援活動を実施したい。その後、国際協力機構(JICA)がインフラ整備を開始する―。この国の開発には、そうしたステップが必要だ。ミャンマーを舞台に、アジア的な紛争解決のモデルを作りたい。

──大いに賛成だ。少数民族武装勢力側が武器を手放せないのは、政府に不信感があるためです。和平の実現には、生活を豊かにし、政府への信頼を醸成するしかないという意味で、少数民族問題の支援には非政府組織が一番適しています。

笹川 常に中立の立ち位置でいるためには、非常に気も使う。例えば、私はこれまでどの国でもその国の民族衣装を着ることにしてきた。それにより、親近感がより醸成されるからだ。ミャンマーでもテイン セイン大統領との会談ではビルマ族の民族衣装を着ていたが、最近は少数民族側の立場も考慮し、洋服を着るようにしている。
 その一方で、ミャンマーには民主主義の受け皿としての市民社会ができ上がってきているのも事実だ。1988年に民主化運動に立ち上がった「88世代」がその代表格だ。今日のアジアでメディアが完全に自由化されているのは、日本とミャンマーぐらいだ。来たる11月8日の総選挙には日本からも選挙監視団を派遣し、私がその団長を務める。この国の少数民族問題は非常に複雑な連立方程式だったが、政府側も少数民族側もよくここまでがんばったと思う。
 日本の政府開発援助(ODA)も、要請主義を金科玉条にする時代は終わったのではないか。特に、国際機関を通じた援助は日本の顔を見えにくくしている。外国への人道支援にはもっと日本のNGOを活用し、日本の援助だと知らせる必要がある。そのためにも、ミャンマーの少数民族対策として計上された100億円は、すべての人々に「和平の果実」を実感してもらえるよう活用したい。
11月13日(金) [2015年11月13日(Fri)]
11月13日(金)

7:20 財団着

9:00 「児童福祉法」改正に関する打合せ

10:00 河井克行 内閣総理大臣補佐官

10:30 紀伊国献三 笹川記念保健協力財団会長

11:00 スピーチ打合せ

12:00 鳥井啓一 日本財団参与

13:30 風岡典之 宮内庁長官

15:00 「就労支援フォーラム」事業打合せ

16:00 菅原悟志 B&G財団専務理事
「ミャンマー総選挙について」 [2015年11月13日(Fri)]
「ミャンマー総選挙について」


11月10日、ミャンマー選挙監視団長としての任務を終え、帰国しました。
既に9日に外務報道官談話が発表されていますので、下記、転載しました。

ミャンマーにおける総選挙の実施


1 11月9日(現地時間同日),ミャンマーに派遣されている日本政府からの選挙監視団より,ミャンマーで8日に行われた2011年の民政移管後初めての総選挙の投票は,国内外の多数の選挙監視団による活動の下,概ね平穏裡に行われたとの報告を受けました。選挙結果に関しての正式な結果発表はまだ行われていませんが,民主化進展に向けた重要な一歩として総選挙の実施を歓迎するとともに,ミャンマー政府による選挙監視団の受入れを評価します。

2 我が国は,笹川陽平ミャンマー国民和解担当日本政府代表を団長とする選挙監視団の派遣等を通じて選挙の自由かつ公正な実施を支援してきました。我が国は,今次選挙の結果が公平かつ適切な手続に従い確定され,今後,ミャンマーの民主化と諸改革が更に進展することを期待します。

3 我が国は,ミャンマーにおけるこうした改革に向けた取組を引き続き支援し,伝統的友好・協力関係を更に発展させていく考えです。

(参考1)我が国によるミャンマー総選挙支援
(1)笹川陽平ミャンマー国民和解担当日本政府代表を団長とする選挙監視団を派遣したほか,現地大使館も選挙監視に当たり,自由・公正な選挙実施を支援。

(2)非電化地域の投票所にて行われる夜間の開票活動に必要な太陽光ランプ及び二重投票防止のための特殊インクの供与をUNDPと連携して実施。供与額1億1,100万円。

(参考2)笹川陽平政府代表のミャンマーにおける活動
(1)笹川陽平氏は,日本財団会長として,ミャンマー少数民族居住地域における学校の整備,薬の支援,農業支援等に20年以上にわたり尽力。

(2)日本政府も,ミャンマーの改革進展には国民和解が不可欠との観点から,地域開発と平和の定着を促進し,ミャンマーの安定と持続的発展に貢献するため,少数民族地域に対する支援を積極的に実施。

(3)2013年2月,長年にわたりミャンマーの少数民族支援に取り組んできた笹川陽平日本財団会長をミャンマー国民和解担当日本政府代表に任命し,国際協調主義に基づく積極的平和主義の下,同政府代表とともに国内和平に向けたプロセスを当事者間の対話を促す等様々な形で支援。

*****************


又、若干手前味噌(自慢すること)で恥ずかしいのですが、遅まきながら10月30日、日刊ゲンダイの記事を併載します。

―ミャンマーを救え! 日本財団の支援プロジェクト―


日本財団は、ライフワークともいえるハンセン病制活動を40年以上展開してきた。122カ国あった未制圧国は、現在は残すところ1カ国まで制圧することに成功している。

日本財団は1974年から、笹川記念保健協力財団とともにミャンマーに対するハンセン病対策活動を開始。現地保健省を通じ、薬品・器材の供与を始め、医療面での支援を中心に行った。その活動は軍事政権時代も人道支援として続けられ、60年には人口1万人あたり250人とされた患者が、2003年には1人未満となりハンセン病の制圧を成し遂げた。

ミャンマーといえば、軍事政権の下、絶えず少数民族武装勢力と紛争が続き、西側諸国からの経済制裁を受けるなど、国内情勢が不安定な時代が長く続いた。日本にもアウン・サン・スー・チー女史の自宅軟禁など、その悲劇的な状態が伝えられたいた。そうした中でも、日本財団は民間外交として、人道支援の見地からミャンマー政府、武装勢力との対話を持ち、支援を続けた。

近年ミャンマーの民主化の動きが本格化し、10月15日にはミャンマー政府と武装勢力8グループが停戦合意し、60年以上続いた紛争解決に向けた大きな一歩を踏み出した。日本が和平プロセスにおいて証人国になったことは外交史上、意義深い出来事となった。

単なる金銭支援にとどまらず、そこに暮らす人々が自主性を持って暮らせるために、考え抜かれた方法を模索しながら、日本財団のミャンマ−支援は、暗黒の時代から今日まで多岐にわたり行われている。

ミャンマーも遠からず、安心して暮らせる国となることだろう。
11月12日(木) [2015年11月12日(Thu)]
11月12日(木)

7:35 財団着

8:00 「鳥取プロジェクト」事業打合せ

9:10 石破茂 地方創生担当大臣

13:30 額賀福士郎 衆議院議員

16:15 飯島 勲 内閣官房参与
11月11日(水) [2015年11月11日(Wed)]
11月11日(水)

7:35 財団着
    書類整理、打合せ

10:00 羽生次郎 笹川平和財団会長

14:00 イェニー・ワヒド インドネシア・ワヒド研究所所長
     (新インドネシア民族主権党党首・元ワヒド大統領の息女)
「ちょっといい話」その57―ヒラリーとカストロ― [2015年11月11日(Wed)]
「ちょっといい話」その57
―ヒラリーとカストロ―


2015年4月11日、バチカンの影からの協力により、59年振りにオバマ大統領とラウル・カストロ大統領(フィデル・カストロの実弟)によるアメリカとキューバの首脳会談が実現し、7月20日、両国の国交は回復した。

1956年、フィデル・カストロはアルゼンチン医師チェ・ゲバラと共にヨット「グラマン号」でキューバに上陸。確か、その時のメンバーは24人ほどであったと記憶するが、マエストラ山中を拠点にゲリラ戦を展開。1959年に革命軍はハバナに入城し、キューバ革命政権が誕生した。

以後、アメリカはキューバとの外交関係を断絶。1962年、ジョン・F・ケネディー大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、経済封鎖を行った。

キューバはアメリカに対抗するためにソ連のミサイルの搬入で、いわゆるキューバ危機が発生したが、米ソの妥協で危機は回避された。

前置きが長くなったが、1998年5月、WHO創立60周年の記念式典で、フィデル・カストロ、ヒラリー・クリントンと私の3名が、WHOへの貢献で表彰されたことがある。

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WHOヘルス・フォー・オール金賞受賞
共に受賞したヒラリー夫人と握手


式場の最前列に私、カストロ、ヒラリーと各々3〜4人を間に挟んで着席。カストロは壇上に立って盛んにヒラリーを見下しながら挨拶するも、ヒラリーが壇上を見上げることはなかった。替わってヒラリーが壇上に上がり挨拶したが、目線を落としてカストロの存在を見ることもなく、無視するように挨拶。終了後、退室し、パーティーにも出席しなかった。

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カストロ首相と握手
共に受賞した3人で・・・とはいきませんでした


私は第三者として、この冷ややかな様子を興味深く観察させていただいた。カストロは同志である医師チェ・ゲバラの影響かWHOの創設に協力し、以後、発展途上国への医師派遣や医師養成に、今日まで世界レベルで多大な貢献を続けている。東チモールからも600人もの医師志望者がキューバで勉強中であると、ホルタ大統領より直接聞いたことがある。

2008年、ハンセン病の差別撤廃決議案を日本政府が国連人権理事会に提出してくれた折、キューバ代表は人権理事会の実力者であるため、多分、日本政府提案に反対するだろうと予想していたが、訪問して上記のいきさつを説明したところ、意外にも日本政府案の共同提案国になってくれた。

チェ・ゲバラの伝記映画「モーターサイクル・ダイヤリー」では、チェ・ゲバラがオートバイで南米を旅行中、河を渡ってハンセン病患者に会いに行く場面があった。このシーンから私は以後、ハンセン病をオートバイに例えて人々に説明するようになった。即ち、オートバイの前輪は病気を治すこと、後輪は偏見や差別をなくすことで、この車の両輪が等しく動かないとオートバイは走らないし、ハンセン病も真の制圧はないということである。

ヒラリーは現在、次期大統領候補として活動中である。カストロは病気がちであるとも聞いているが、ヒラリーが大統領となり、カストロとの笑顔の握手を是非、見たいものである。
11月10日(火) [2015年11月10日(Tue)]
11月10日(火)

6:45 ミャンマーより、成田着

8:30 自宅着

13:00 財団着

14:15 パラリンピック競技団体共同オフィス内覧会

14:30〜16:00 パラリンピック競技団体共同オフィスお披露目記者会見

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記者会見で挨拶

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飛躍を誓って記念撮影


17:15 安倍晋三 内閣総理大臣
11月9日(月) [2015年11月09日(Mon)]
11月9日(月)

7:00 朝食

10:00 共同通信ワールドサービス インタビュー

12:30 関係者と昼食

16:30 日本メディアによる囲み取材

日本のメディアによる囲み取材.jpg


18:00 ホテル発

18:30 アメリカ大使館レセプション

22:20 ヤンゴン発、成田空港へ
「皇室とハンセン病」―両陛下が各国のハンセン病回復者の手を取られた日― [2015年11月09日(Mon)]
「皇室とハンセン病」
―両陛下が各国のハンセン病回復者の手を取られた日―


畏れ多いことではありますが、これは季刊誌「皇室」2015年10月号に掲載された私へのインタビュー記事です。

ご一読賜れば幸甚です。

***************


皇室5.jpg


40年間以上にわたってハンセン病制圧と差別撤廃のために国内外で尽力し、この1月に各国からの回復者(元患者)たちと一緒に両陛下にお会いした日本財団会長・笹川陽平氏に話をうかがった。

ハンセン病と日本財団
 私が会長を務めている日本財団では社会福祉、教育、文化などの分野で事業を展開しています。とくにハンセン病については昭和30年代半ばより、ハンセン病支援を実施する財団法人藤楓協会を通じて国内のハンセン病療養所の図書館や集会所の建設、車両の購入資金などに協力してきました。また海外においては、私の父である笹川良一(日本財団の前身である「日本船舶振興会」会長)が私財によりインド、フィリピン、台湾、韓国などにおいてハンセン病施設の建設などの支援を実施していました。
 昭和49年には海外のハンセン病対策事業の専門機関として笹川記念保健協力財団を設立。以来、笹川記念保健協力財団と連携し、世界保健機関(WHO)を主要パートナーとすると同時にさまざまな非政府組織(NGO)とも協力し、国際会議の開催、ハンセン病対策従事者の育成、現地技術協力、ハンセン病の研究、教材の開発・供与、広報啓蒙活動、薬品・機材援助等を中心に取り組みを拡大してきました。
 平成7年から11年の5年間はハンセン病の制圧を推し進めるため、有効な治療法として認められた経口薬、MDTをWHOを通して世界中に無料で供給しました。平成12年以降は、日本財団の意志を引き継いだ製薬会社のノバルティス社が無償配布していますが、MDTの無償配布によりハンセン病患者の数は激減しました。WHOは「ハンセン病の罹患率が人口1万人あたり1人未満となれば、公衆衛生上の問題としては制圧されたと見なす」と定義していますが、現在、ハンセン病が制圧されていない国はブラジルのみとなっています。

御所でのご説明とご懇談
 毎年、日本財団では「世界ハンセン病の日」(1月の最終日曜日)に合わせ、ハンセン病と差別の問題について世界に訴える「グローバル・アピール」を発表しています。第1回は平成18年にインドのデリーで行われました。第10回となる本年は1月27日に初めて日本で行われることになったことから、同月13日、世界のハンセン病の現状とグローバル・アピールの意義について両陛下に御所でのご説明の機会に恵まれました。
 両陛下は世界のハンセン病の現状について深いご関心をお持ちで、ハンセン病の薬のことや、ブラジルが今なお制圧に成功しない理由についてなど、専門的かつ多岐にわたるご質問がありました。その結果、当初15分間のところを70分間にわたってお話しさせていただくことになりました。
 そして「グローバル・アピール」翌日の28日には日本、インド、アメリカなど各国の回復者の代表8人に御所でご引見くださいました。

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各国からのハンセン病回復者らと懇談された両陛下


 両陛下は二手に分かれて4人ずつにお会いになり、次に場所を交代されて回復者全員にお声をかけてくださいました。しかも驚いたことに、緊張した面持ちの回復者一人ひとりに対して、本当に肩を寄せ合うようにして両手で回復者の手を取って話されました。両陛下は国内の療養所でも椅子に座った回復者の傍で跪き、手を取り合ってお話しされますが、各国からの回復者にも分け隔てなく、同じように接してくださったのです。私は彼らの故国での辛い立場を思うと同時に、両陛下の尊いお姿に感動して涙を禁じ得ませんでした。というのも彼らは親や家族からも見捨てられ、手を握られたことがないのです。

皇室7.jpg
両陛下は回復者一人ひとりと手を取って親しく言葉を交わされた


 御所でのご懇談は予定の15分を大幅に超えて40分間におよび、最後に陛下から「今なお病気はもちろんのこと、差別に苦しんでおられる方々の指導者として活躍していただき、みなさんの生活がよりよくなることを願っています」とのお言葉をいただきました。
 その後の記者会見で回復者は「親や家族からも手を握ってもらったことがないのに、両陛下というやんごとなき方に手を握り締めていただいた。その瞬間に苦しみがすっと消えた」「夢を見ているようだ」「心から話を聞いてくださった」などと涙を流しながら御所での経験を振り返っていました。私はハンセン病関連の活動などでこれまでに125か国にのべ460回も行きましたが、過酷な日々を送ってきた人たちに対し、他の国で高貴な方が両陛下のように心からの愛を示されるのを見たことがありません。ところが両陛下はお住まいの御所に回復者を招いてくださったのです。親しくお話しされている両陛下からはまことの優しさが伝わってきて、常に世界の人々の安寧を祈られている無私そのもののお姿だと思いました。

皇后陛下に導かれて
 実は私とハンセン病の出会いは皇后陛下のお導きによるものです。昭和40年、当時、韓国大使を務めていた金山政英氏が父を訪ねてきて、韓国のハンセン病の病院建設に協力をお願いできないかと話されました。
 父は即座にお申し出を受け入れ、私はその病院の完成式典に父とともに出席しました。父は絶望した表情の患者の肩を抱き、膿の出ている足をさすりながら、一人ひとりを励ましておりました。そんな父の姿に感動したのが、今に至る私のハンセン病との闘いの第一歩なのですが、この金山大使との出会いをご説明時に申し上げると、皇后陛下は「それはよかったわ」とおっしゃいました。
 どういうことかと言えば、当時、皇太子妃殿下であった皇后陛下に韓国で活動するシスターから、韓国のハンセン病患者の置かれた痛ましい現状についてお手紙が届いたそうです。皇后陛下はそれを金山大使にご相談され、皇后陛下の意を汲んだ金山大使が父を訪ねてこられた、ということなのです。
 実は金山大使が父を訪ねてきた時は私も同席しており、大使が「(韓国の現状について)妃殿下も心配されておりますので」と付言されたことをはっきり記憶しておりましたが、ご説明時には皇后陛下のお名前はお伏せし、金山大使の名前を出すにとどめました。そうしたところ皇后陛下のほうから当時のいきさつをお話しくださったのです。私は皇后陛下のお話をお聞きするうち、自分の長いハンセン病との闘いが皇后陛下のお言葉に端を発していることに気づき、大変な感動を覚えました。
 日本の皇室は光明皇后の頃よりハンセン病に心を砕いてこられました。両陛下にお目にかかり、また両陛下の回復者へのお優しいまなざしを間近に拝見し、そういう皇室を戴く日本から世界に向けて差別撤廃を訴えていくことの意義を再認識しました。と同時に、かつて患者に対して過酷な差別があったという「負の歴史」を、風化させないための活動を広めていくことの重要性を改めて強く感じております。(談)