「ハンセン病制圧活動記」その9
―国際ハンセン病サミット―
大島青松園機関誌『青松』
2014年1・2号
WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平
2013年7月24日、日本財団と世界保健機関(WHO)の共催で開催した「国際ハンセン病サミット」に出席するため、バンコクを訪れた。
1991年のWHO総会で、「ハンセン病の有病率が人口1万人に1人未満になった時点で公衆衛生上の問題としてハンセン病を制圧したと見なす」という数値てきな目標を設けたことが、各国政府の動機付けにつながり、当時88ヵ国あったいわゆる未制圧国は、現在1ヵ国を残すまで減少した。しかし、私は今の状況を決して楽観視しておらず、むしろ、危機感を持っていた。なぜなら、私自身が世界各地を回る中で、保健省や関係者のハンセン病に対する関心が明らかに低下していることを実感していたからである。事実、それは数字にも表れており、ここ数年の新規患者数は世界的に横ばい傾向、国によっては増加しているところもある。また、都市スラムや少数民族居住地、アクセスの悪い山奥や離島など、特定の地域に患者数が集中しているのも看過できない。私と同じ問題意識を抱いていた、長くWHOに務めたハンセン病対策の権威、ノーディーン博士の助言と、世界ハンセン病プログラムの本部があるWHO東南アジア事務局長、サムリー・ピランバンチャン博士と協力して、今回の会議を開催することとなった。プラディット保健大臣を始めタイ保健省が開催地としての協力を名乗り出て下さり、毎年の新規患者が1,000人を超える17カ国(インド、インドネシア、ミャンマー、ネパール、スリランカ、中国、フィリピン、バングラデシュ、アンゴラ、コンゴ民主共和国、マダガスカル、モザンビーク、ナイジェリア、タンザニア共和国、ブラジル、南スーダン、スーダン)の保健省から、大臣/副大臣が7カ国、その他の国からは専門家が一同に集結、ハンセン病対策のこれからについて闊達な議論が交わされた。
会議では、保健大臣ら出席者が、2020 年までに全新規患者における可視障害(第2 級障害)の割合を、人口100 万人あたり1 人未満までにする、高蔓延地域での患者の早期発見を進めることが焦眉の急である、そしてハンセン病対策活動に患者・回復者が積極的に参画すべきであるなどの事項をまとめた「バンコク宣言」を採択した。会議開催までにWHOと各国保健省の事務局レベルで草案を練り続けてきたが、いざ当日机上に乗ると、もっとこうしたら良いのではないか、これでは弱いのではないか、といった意見が出され、ディスカッションの時間は予定を大幅に超えた。しかし徹底的な議論の甲斐あって、全員が納得いく宣言文を作り上げることができたのは、会議の大きな成果であった。
このバンコク宣言の実現には、早急な計画づくりが必要である。私は、生涯をかけてハンセン病対策に尽力する決意を示し、日本財団が今後の5年間、総額2000万ドル(約20億円)の資金をハンセン病との闘いのために供与する意思があることを表明した。このサミットは、参加した各国保健省、WHO、回復者組織などすべての関係者が、それぞれの持つ資源、知識、ノウハウを出し合いながら、ハンセン病のない世界の実現に向けて更に前進するための第一歩となった。
WHO南東アジア
サムリー事務局長(筆者の右)らと
以下は私の演説文です。なお、この会議で採択された「バンコク宣言」は少し専門的なので割愛しましたが、ご興味ある方は
日本財団ホームページをご覧ください。
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笹川陽平スピーチ全文
2013年7月24 日
於:タイ・バンコク
ソラウォン・ティアントンタイ保健副大臣、各国大臣の皆さま、ご来場の皆様、おはようございます。本日は世界各国から共通の目的のために、皆さんがこの場にお集りくださったことを心より嬉しく思います。
はじめに、国際ハンセン病サミットを開催するにあたり、多大なるご尽力をくださったソラウォン・ティアントン保健副大臣、タイ保健省の皆さまに深く感謝申し上げます。また、サムリ・プリアンバンチャンWHO東南アジア地域事務局長の長年にわたる揺るぎないコミットメントにより、本サミットを共に開催をできたことに心より御礼申し上げます。
私たちのハンセン病との闘いは決して容易なものではありませんでした。
しかし、ここ30年の間、医療面においては劇的な進歩を遂げてきました。1980年代にMDTという効果的な治療方法が開発されてからハンセン病は治る病気となりました。そして、WHOが1991年に「患者登録数が人口1万人当たり1人未満となること」という明確な目標を掲げて以来、各国は、目標達成のため、政府やNGOを含む世界中の様々なステークホルダーと力を合わせ、病気の制圧に向けて尽力されました。その結果、ここ20年間で約1600万人の患者が病気を治癒するという驚異的な成果をもたらしました。また、ハンセン病が一般の医療サービスに組み入れられたことにより、ハンセン病治療のサービスそのものも拡大されました。
WHOが掲げた制圧目標に向かって、各国は多大な努力を重ね、制圧目標を達成してきたことは明らかです。そのため、一国一国が目標を達成する度に、私も含めて、多くのステークホルダーが達成感や満足感を味わってきました。
しかし、そのことで、私たちは安心感をおぼえ、本来の目標である“Leprosy Free World” 、つまりハンセン病とそれに纏わるスティグマや差別に苦しむ人がいない世界をつくる、というゴールを見失いかけてしまったのかもしれません。WHOが掲げた制圧目標の達成は、私たちにとって、ゴールではなく、あくまでもひとつのマイルストーンに過ぎないのです。
今、私たちは、制圧達成前よりもさらに困難な状況に直面しています。ハンセン病患者の蔓延地域は、大都市スラム街や少数民族地域、国境付近などリーチしにくい場所にあることが多く、また広域にわたって患者が散逸しています。それに制圧目標を掲げていた頃と比べると、各国政府におけるリソースは確実に減ってきているのが現状です。
去る5月にジュネーブで開催された世界保健会議で私がお会いした各国の保健大臣の中には、制圧目標を達成したことで関係者の気が緩みがちになり、これまで以上に厳しい条件の中で成果を出すことの難しさをお話しされている方もいました。
それを象徴するように、ここ数年、ハンセン病患者の減少は横ばい傾向にあり、国によっては新規患者が増えているところもあります。
私は、世界各国を訪れていますが、確かに、蔓延地域や大都市スラム、国境付近など今までの方法ではカバーしにくい難しい地域があると感じました。そして、できるだけ早くこうした地域での活動をはじめる必要があると思いました。なぜなら、対応が遅れることにより、早期発見・早期治療も遅れ、身体に障害を生じる患者が増えてしまうからです。そして、その障害はスティグマや差別を生み出す大きな要因の一つとなるのです。
こうした現状の深刻さについて各国保健大臣やプリアンバンチャン氏と意見交換をしたところ、まずは関係者が問題をしっかりと認識すること、そして、具体的な対応策について議論し、行動につなげていく必要性があるとのことから本サミットを開催するに至りました。
本サミットは、各国政府が本気で“Leprosy Free World”を目指すという強い意志を確認し、それに対するポリティカル・コミットメントをバンコク・デクラレーションの採択を通して表明する大変重要な機会になるでしょう。
そして、各国のポリティカル・コミットメントを推し進めるためにも、私たち日本財団はもちろん、全てのステークホルダーが決意を新たにし、それぞれの役割をしっかりと果たしていかなくてはなりません。そして、知識、経験、専門的技術、ネットワーク、資金など、自分たちが持つリソースを持ち寄って、できる限りの協力を互いにしていこうではありませんか。
私たち日本財団は、今後、5年間で計2000万ドルの支援を実施することを決めました。
この日本財団のコミットメントは、これまでプリアンバンチャン氏が中心となって進めてこられたWHOでのグローバル・レプロシー・プログラムを継続し、一層強化すること、高い志を持って取り組むステークホルダーの活動を充実させること、さらには、本サミットで出てくるであろう重要な課題に迅速に対応することを目指すものです。
ハンセン病との闘いはまだ終わっていません。
私は“Leprosy Free World”の実現を目指し、生涯を捧げる覚悟です。
各国政府、そしてそれを支えるすべてのステークホルダーが“Leprosy Free World”という共通の目的に向かって想いを一つにし、邁進していくことを期待します。共に手を携え、行動を起こしましょう。
ご清聴ありがとうございました。