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「たばこの話」その4―ニコチン惨歌― [2012年03月26日(Mon)]

「たばこの話」その4
―ニコチン惨歌―


たばこの話三話を掲載したところ、知人の渡辺文学氏より「ニコチン惨歌」なる下記の作詞が届いた。

広く読者にも知ってもらいたいので、彼の労作を掲載します。

****************


ヘロイン コカイン マリファナと  麻薬もいろいろあるけれど
ニコチンついに 仲間入り
海の向こうの アメリカで  大統領が 指示を出し
タバコを徹底 規制する
FDAの長官や 各州司法局長も  タバコ会社と 対決し
連邦地裁に 訴える

ところで日本の宰相は でっぷり太ったメタボです
一日二箱吸っていて タバコ値上げは オヤジ狩り
言いつつ JT擁護する
それを聞いたか 財務相  タバコ増税 反対と  小宮山大臣 批判する
自民・公明 手を組んで  結局見送り 増税は

野田さん以外の閣僚も  かなり多くの大臣が  毎日プカプカ吸っている
自民に代わって期待をしたが  タバコ行政変わらない
オリンピックの担当は  文部科学が担当するが  平野大臣喫煙者
国会審議の答弁で  実家はタバコ屋告白し
浜本議員の追及を  ようやくかわしてみたものの
余りやる気はみせません

首都東京の知事さんも  タバコ対策 無関心
おまけに 副知事猪瀬さん  名だたるヘビースモーカー
臭い息して 記者会見  五輪招致が 遠くなる
世界の首都の 煙害は  条例作って 防止する
早く見倣え 東京も  オリンピックの開催地
どこの都市でも禁煙だ  しっかり守ってやってます

最近多いよ タバコ病  肺ガン 肺気腫 心臓病
有名俳優亡くなって  遺影に目立つは タバコです
長年禁煙していたと  メディアが報道してたのに
棺になんと タバコです  
夫人と娘の 行動を  美談仕立てで 報じます

落語家 立川談志さん 作家の井上ひさしさん 
つかこうへいさんも 亡くなった  
皆さんヘビースモーカー
ところがメディアの 報道は  タバコのタの字も ありません
死者にムチ打つ わけではないが  死亡の原因 タバコです

渋谷のJT博物館  昔の文士の写真展
タバコくゆらす映像は  有害性の追求や 社会の規制のない時代  
それをJT悪乗りし タバコが名作生んだなど  
小中学生にも 見せつける  犯罪的な 展示会

サンデ―毎日コラムでは  名物記者の岩見さん
毎号政治家取り上げて  ユニーク解説読ませます
ところが一変タバコでは  小宮山大臣批判する
返す刀で禁煙に  罵詈雑言の雨あられ
厚労省の方針に  真っ向反対唱えます
バランス感覚まるでなく  ニコチン依存の中毒者
やがてあの世のお迎えが  来るまで吼えているらしい

タクシー禁煙 進んだが  名ばかり禁煙 増えている
客が喫煙 強要し  断ることがむづかしい
狭い車内の 煙害は  かなりの時間 残ります
法的規制が 必要と  市民団体 立ち上がり
国交省に 申し入れ
ところが国の お役人 タバコ規制は 弱腰だ  
何と言っても JTの 株は半分 政府です

都内の銭湯 ほとんどが  値上げと同時に 禁煙に
なったはずだと 思ったが  まだまだロビーは煙ってる
妊婦や幼児も顔しかめ  タバコの煙避けてます
これ問題と保健所に  何度も苦情を言ったけど
受動喫煙軽視して  厳しい姿勢を見せません
煙害なくなる日は遠い

高級ホテルのロビーでも  まだまだ煙害なくならぬ
吸ってる人は少ないが  たちまち悪臭漂って
顔をしかめて睨んでも  全く気にせずプカプカと
大きな顔して吸ってます  
海外ホテルの状況は  どんどん規制が進んでて  
全館禁煙当たり前  日本のホテルは遅れてる

隣のマンション 住人は  定年退職 ひまらしく
朝から晩まで プカプカと  タバコの煙を まき散らす
ベランダ越えて その煙  毎日毎日 やってくる
一言注意を したけれど  煙害悪臭 逆に増え
管理組合 知らんぷり  
警察・自治体 無関心  解決策は ありません  
隣人関係 最悪に

歩行禁煙 条例できて  多くの自治体 PR
特に東京 千代田区は  過料が効果を 発揮して
メインの道路の 吸い殻は  ほとんどゼロに なってきた
ところが多くの 自治体は  せっせと広報 するけれど
マナーに頼る ばかりです  
これではポイ捨て 無くならず  街は汚れた ままになる  
それが証拠に 最近の  新聞投書を 見てみると  
ゴミの投げ捨て 目立つのは  タバコの吸い殻 ナンバー1

タバコの火災も減りません  
最近特に目立つのは  子供がライター使用して  命をなくす惨事です
ところがメディアの報道は  これまたタバコを無視してる
親が喫煙しなければ  そもそもライターいりません
国会議員の追及も  全くおざなり情けない
親のタバコが原因で  子供が犠牲になることを
知ってて甘い追及が  なかなか犠牲者減りません

タバコ裁判数々あるが  いつも原告負けいくさ
たった一つの勝訴では  わずか五万の賠償金
そもそも日本の裁判官  タバコ問題知りません
法科大学 出ていても  司法試験に受かっても
タバコについて教わらず  そのまま弁護士 裁判官 
それが証拠に東京地裁  浅香紀久雄という裁判長は
タバコの害はお酒より  格段低いと言いました
その訳いろいろ探ってみたら  ニコチン中毒裁判長だ
胸なで下ろすJTは  判決読んで一安心
流石日本の裁判官は  タバコ会社の手先だと
世界の学者の物笑い

FCTC 6年目  世界の多くの 国々は
タバコ規制に 本腰を  入れて対策 練ってます
タバコの箱の イラストも  肺ガン肺気腫 喉頭がん
患者の姿を はっきりと  タバコの怖さを 教えます
ところが日本の 警告は  小さな文字で ごちゃごちゃと
言い訳がましく 書いてある  これではなかなか やめません

喫煙率が 減ってきて  成人ようやく二割切る
危機感持ったJTは  盛んに呼びかけ 分煙を テレビCM 流してる  
吸ってる人と 吸わない人の  共存呼びかけ 悪あがき  
世界の多くの 国々で  全ての広告 禁止です  
電波はもとより 週刊誌  新聞・雑誌も 法律で  
禁止が常識 当たり前
それを無視する JTを  国会喚問 したいけど
何しろ政府は 株主で  残念ながら できません
  
タバコ会社の 親玉は  大蔵時代に 不祥事で
首を切られた 涌井さん  
巡り巡ってJTの 今は会長 高給食んで  
左うちわで 暮らしてる
ニコチン惨歌の 物語

「ハンセン病国立療養所多磨全生園」  インドでのハンセン病制圧活動 [2012年03月25日(Sun)]

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多磨全生園の桜


「ハンセン病国立療養所多磨全生園」


原稿は多磨全生園機関誌「多摩」に3月に掲載されたものです。

多磨全生園は西武池袋線秋津駅から徒歩20分。ハンセン病の歴史資料館もあり、広大な敷地に咲き誇る桜が名物です。天気の良い日のお出かけをお勧めします。


インドでのハンセン病制圧活動

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


昨秋、インドの東部チャティスガール州と南部アンドラ・プラデシュ州を訪問しました。両州で、ハンセン病の回復者やその家族が集まって生活するコロニーを訪問すると同時に、彼らの実情や状況の改善を州の要人らに訴えることが主な目的です。

インドは、WHOが定めるハンセン病制圧基準(人口1万人あたりの有病率が1人未満)を2005年末に達成しており、2011年3月現在の有病率は0.69となっています。とはいえ、人口約12億人のインドでは、毎年約12万6千人もの人々が新たにハンセン病と診断されており、全国には回復者やその家族が居住するコロニーが850ヵ所もあります。ハンセン病に対する偏見は非常に根深く、患者や回復者及びその家族は今も日常的に厳しい差別に苦しめられ続けています。インドにはこれまで40回以上訪問していますが、状況を少しでも改善するために何度でもインドの関係者の戸をたたき続ける必要があるのです。

首都デリーに到着した翌朝、チャティスガール州ライプールに飛行機で移動し、空港からそのまま車で約4時間かけてビラスプールを訪ねました。チャティスガール州はインドの中でも比較的発展が遅れている地域です。道は舗装されていないデコボコ道が多く、道路の真ん中に大量の牛が歩いていたり、寝そべっていたりします。車が側を通っても牛は気にもとめず、ゆったりとしています。4時間揺れ続ける全身マッサージの車中から泰然とした牛の姿を見ていると、まさに「インドに来た」という想いが深まります。

ブランバ•ヴィハール•コロニーは少し前に大雨が降ったようで、周囲が水浸しになっていました。衛生状況も良くないようです。このコロニーは1979年に設立され、現在は23世帯45人が住んでいます。この州で110年以上活動を行っているザ・レプロシー・ミッション(TLM、英国救らい協会)の支援で四つの自助グループが形成され、共同で銀行口座を開設して貯蓄する習慣をつけています。生活状況は決して良くありませんが、リーダーのチトラ・シンさんを中心にコロニーの皆さんがよくまとまっている様子が伺えました。私からは州の回復者リーダーであるガシュラム・ボイさんを紹介し、「州のリーダーであるボイさんとコロニーのリーダーであるシンさんとが協力し合い、皆が団結すれば、大きな力となり、状況は必ず改善するのでがんばってほしい。私も皆さんの生活向上のため最大限努力する」と励ましました。シンさんによれば、コロニーが冠水しないようインフラの整備を政府に訴えているが聞いてもらえないとのことですが、州に点在するコロニーが団結して活動すれば、そういった訴えも届くようになると説得しました。

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ブランバ・ヴィハール・コロニーで回復者たちと


この後、ビラスプールの市街地に移動し、チャティスガール州のハンセン病担当官であるバット・パーレ博士が私の訪問に合わせて開催してくれた各県のハンセン病担当官が30人ほど集まる会議に出席しました。パーレ博士から、2001年に1万人あたりの登録患者数が11.0人だったのが、2006年までに1.46人まで激減したこと、その後は2.0前後で推移している状況の説明がありました。インド国内で有病率が1.0を超えている州はチャティスガールとビハールの2州のみで、チャティスガールは有病率が最も高く、18ある県のうち10県が10万人あたりの年間新規患者数が10人以上という蔓延県です。遠隔地域へのアプローチやハンセン病対策の公衆衛生政策上の優先度の低下、人材不足などの課題が残されていますが、パーレ博士からは対策強化への強い意思表明があり、回復者の障害に対する再生手術も力点をおき、回復者の社会復帰に尽力すると強調されました。私もパーレ博士の案内で、手の再生手術を受け、今は壷作りの仕事をしている回復者のクマールさんの家を訪ねました。たくさんの壷がところ狭しと並べられているなか、奥さんとかわいらしい子供3人とで仲良く暮らしている姿がとても印象的でした。会議の場でも「彼が自信をもって生きている姿を見て、一人でも多く彼らの人生を手助けすることが私たちの崇高な責任である」と参加者に訴えました。

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クマールさんの家族と


会議のあと、その日が誕生日というアグラワル州保健大臣に回復者のボイ代表と面会しました。インドでは州といっても、人口からすれば一国に値するほどの規模です。インドは連邦国家であり州ごとに大臣がおり、大きな権限をもっています。医者である娘と共に、「チャティスガール州をハンセン病対策のモデルケースとしたい」と決意を語り、ボイさんとの協力も約束してくれました。

翌23日は、まず車で1時間ほどかけドゥルグ県のアシャディープ•コロニーを訪問しました。このコロニーは笹川インド・ハンセン病財団(SILF)が小規模融資を行っているところです。私が訪問した際にも、融資によって購入した機織り機を使って、女性たちが上手に敷物を織っていました。5枚のサリー(インドの伝統的な女性服)をリサイクルし、1枚の敷物をつくるそうで、政府から学校用に注文を受けることもあります。これにより月4500ルピー(約9000円)ほどの収入を得ることができ、「お金も少しずつ貯めている」と嬉しそうに笑顔で答えてくれました。ほかにも、ホウキづくりや町の清掃を行って生計を立てている方など、それぞれが手に職を持って働いています。また、学校から帰ってきた子どもたちは両親の仕事を楽しそうに手伝っていました。このコロニーからは医者やエンジニアになった子どももおり、コロニー外の女性から尊敬され結婚した男性もいます。コロニーの皆さんの努力によっては一般の人からの差別が解消され、尊敬を得ることができるという一つの事例です。これまで40回以上インドを訪問し、100カ所以上のコロニーをみてきましたが、ここが一番のコロニーだという印象を受けました。聞いてみれば、数十年来コロニーの住民をまとめてきたリーダーのビシュヴァナスさんはコロニーの生活改善の闘いの中で19回の投獄経験のある活動家です。私はこのコロニーを一つの成功事例とし、インド中のコロニーをこのレベルに上げるという決意を新たにしました。

その日の午後は、レプロシー・ミッションと州の回復者団体の共催によるハンセン病対策に取り組むNGOが集まりワークショップを行いました。レプロシー・ミッションは2つの病院と3つの職業訓練施設を運営しており、手の再生手術やカウンセリング、自助グループの組織化、コンピュータや織物、機械などの職業訓練を行っているという発表がありました。回復者団体代表のボイさんは「政府への働きかけを続けていくと同時に、我々自身も起業していかなければならない」と語り、私は、午前中に見学したアシャディープ•コロニーの話をし、「コロニーの人々は働く能力も意欲もあるが機会だけがない。機会さえ与えれば素晴らしい成果を発揮する。努力しだいで社会の差別の心は尊敬の念に変わりうるとこの州で証明されている。」と強調しました。

翌24日の最終日は、朝は車で1時間ほど移動し、セントヴィノヴァ・コロニーを訪問しました。このコロニーはチャティスガール州最大のマハナディ川を含む3つの川が合流する宗教的聖地に位置します。そのため、物乞いで生活している者が多く、コロニーの衛生環境もよくありませんでした。昨日訪問し、皆が仕事をしていたコロニーとは印象が正反対で、住人に元気がなく表情も暗く、まとまりも感じられませんでした。私はインド中のハンセン病コロニーから物乞いをゼロにすることが後半の人生の夢ですが、このコロニーを視察して今までの何倍もの努力の必要性を痛感させられました。

この日はほかに、小学1年生から高校3年生までハンセン病回復者児童約400名が通うジヴォダヤ寄宿舎の訪問や、今回のチャティスガールでの活動を発表する記者会見、関係者との打ち合わせ、地元紙の個別インタビューなど多忙な一日でした。チャティスガール州はインドで最も有病率の高い州ですが、今回の訪問で関係者と精力的に会談し、活動したで、今後の変化を期待して引き続き注視していきたいと思います。

25日は南部のアンドラ・プラデシュ州ハイデラバードに飛行機で移動しました。到着後、早速記者クラブで会見を行い、そのままコロニーを訪問するため車で3時間ほどかけてニザマバードに移動しました。実は、アンドラ・プラデシュ州ではテランガーナという地域が州分離運動を行っており、私の訪問時にも公共交通機関のストライキや都市部各地でのデモなどが行われていました。その状況を現地の方から聞き、安全面で不安があることからニザマバードへの訪問を断念することも日本財団の担当者は検討していました。しかし、今回の訪問を要請してくれていた地元選出のヤスキ国会議員が安全の保証をして下さり、軍の警備つきで訪問が実現したのです。

ニザマバードのデヴァナガル・コロニーでは、200名近くの住人、それに多くの報道陣や警備隊も混じり、ごった返しの歓迎を受けました。そして、ヤスキ議員と再会の握手を交わしたのち、ハンセン病患者、回復者の一人一人と握手しながら挨拶して回りました。ヤスキ議員も私に続いて一人一人と握手を交わされ、彼らへの愛情を表現されていました。このコロニーの住民は180世帯850人で、農業または自営業で生計を立てていますが、1割ほどは物乞いです。若者たちは両親のサポートを受けながら、様々な業種の小売店を経営し、笹川インド・ハンセン病財団からも美容院、写真屋、洗濯屋、小売店の運営とバッファロー畜産に対しての小規模融資を実施しています。私の挨拶の後、ヤスキ議員からは「年金の増額のための働きかけや、道路などのインフラ整備、子どもたちの雇用などに取り組んでいく。また、笹川平和財団の交流事業で過去に2回訪日し、笹川さんとお話したのを機にハンセン病への関心を深めた。ハンセン病差別撤廃のための国会議員連盟をつくる」と表明されました。

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デヴァナガル・コロニーを訪問



ヤスキ議員は、翌日の朝食にも私邸に招待して下さると同時に、午後に開催したハンセン病人権セミナーでも力強い発表をして下さいました。セミナーではハンセン病患者、回復者に対する被選挙権や結婚、公共施設の使用などに関する差別的法律を議題にしましたが、「議員連盟を超党派でつくり、国会での議論や最高裁への働きかけを行う」と述べられました。彼の「お金が重要ではない。共にいる愛がいかに重要かを感じている。彼らの笑顔を見れるように、希望をもって尊厳をもって生きられるようにしたい」という言葉がとても印象的でした。

この日は13のコロニーの代表者会議もあり、男女約50人が集まり、それぞれの困難な生活状況の報告がありました。アンドラ・プラデシュ州には全部で101のコロニーがあり、その数はインドで最大です。土地や住宅、道路や衛生環境、年金や子供の教育など様々な課題をそれぞれが抱えており、集会はやや喧々諤々の様相となりました。しかし、この州でリーダーを務めるナルサッパさんを中心に州全体がまとまっていく過程にあり、このような意見交換と情報共有の場は大変重要なことで、私からも「101のコロニーが一つに団結すれば大きな力となり、州政府に声が届く。ぜひナルサッパさんを中心に団結してほしい」と説得。ナルサッパさんはインドのハンセン病コロニーの全国組織で、私も創設に携わったナショナル・フォーラムの理事でもあります。「他の人に依存するのではなく、自分たちの足で立っていかなければならない」と、集まったコロニー住人たちに力強く訴えていました。

話は少しそれますが、この集会の後の移動の際、先ほど述べた州分離運動の交通遮断デモに遭遇し、車が動かせない状態になりました。周囲は騒然とし、軍や警察、救急車、メディアも駆けつけています。何事も現場を見ないと分からないというモットーの私は、群衆をすり分けデモの最前線に行ってみました。一緒に行った職員が気付かれないように私の背後からビデオ撮影をしていると、デモ・グループの中に、その日、ヤスキ邸で朝食を共にした国会議員が座り込んでいました。お互いに気づいた我々は握手を交わし合ったところ、自分の横に座れと合図がありました。デモ隊の座り込みの先頭に私が座ったらテレビカメラの放映の中で後日、「あの日本人は誰だ!」ということになり危険外国人として入国禁止になったことでしょう。世界中でハンセン病の現場を訪ねると、日本では経験することのない様々な場面に出会います。その出会い一つ一つが現場への理解につながり、私自身の活動の刺激にもなります。

話を本題に戻したいと思います。翌日、アンドラ・プラデシュ州最終日はラジュカール地方貧困対策局局長、サティヤナラヤナ州社会福祉大臣、レディ州人権委員会委員長らと面談。すべての面談に、ナルサッパさんをはじめとした州の回復者リーダーたちに同席してもらい、なるべく彼らから直接話をしてもらう機会をつくりました。政府に何かを要求する際には、各コロニーが個別にお願いをしていては、政府としても全てに応えることはできません。逆に、州全体のコロニーの状況を代表者が整理し、優先順位をつけて、関係部局に的確に陳情することで、政府としても対応しやすくなります。今回はそのことを意識し、回復者リーダーにも、政府要人にもその旨をお話しました。

アンドラ・プラデシュ州はインドの中でも回復者の活動が進んでいるところですが、もう一つ特筆すべきこととして若者の存在があります。この日のお昼、コロニーに住む若者が20人以上集まる集会がありましたが、それだけ多くの将来性豊かな若い人たちと一度に会えたのは初めてのことです。ハンセン病によって苦しんできた親を助けたいという願いを持つ彼らの姿に触れ、ハンセン病コロニーの青年全国組織、ナショナル・フォーラム青年部を組織することを思いつきました。教育を受けた青年たちが一つにまとまり、立ち上がれば、社会を変革する大きな力になるはずです。

今回のインド訪問では、住人の大半が物乞いをしているコロニーから、いきいきと仕事をして住人に笑顔があふれているコロニーまで様々な状況をみてきました。州全体のコロニーをまとめようと奮迅する回復者州リーダーの存在はたのもしく、州によって状況は様々ですが、各州が刺激し合うことで州リーダーが育ち、州全体がまとまることで、その力が強くなり、ナショナル・フォーラムの存在が広く知られ、コロニー全体の生活の改善につながると信じています。そして私自身の長年の夢であるハンセン病の差別のない世界、物乞いをせずに尊厳をもって生きられる社会を実現するまで、何度でもこの国に足を運び、回復者たちと共に歩んでまいりたいと思います。

3月24日(土) [2012年03月24日(Sat)]

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3月24日(土)

12:00 「休眠口座国民会議」打合せ

13:00 「休眠口座国民会議」発足記念シンポジウム 開会挨拶

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1525 懇親会

ハンセン病国立療養所菊池恵楓園 [2012年03月24日(Sat)]

「ハンセン病国立療養所菊池恵楓園」


原稿は菊池恵楓園機関誌「菊池野」に2月に掲載されたものです。

菊池恵楓園は、明治42年4月に九州7県連立「九州癩療養所」として開設され、昭和16年に国立療養所「菊池恵楓園」となった。

現在359名(平均年齢80.6歳)の方が生活されている。

熊本には加藤清正を祀ってある本妙寺があり、かつて、この参道には物乞いする多くのハンセン病患者がいたといわれている。この光景に心を痛めたイギリス聖公会のハンナ・リデル女史は、救済のために回春病院を開設した。

ハンナ・リデルは日本のハンセン病の歴史に大きな影響を与えた。回春病院は現在、彼女の資料の展示場になっている。ご興味の方は、英国大使であったアラン・ボイドの夫人、ジュリア・ボイド夫人が書かれた「ハンナ・リデル」(熊本文化出版会館 2005年発行)をお勧めしたい。

同じ頃、カトリックのコール神父が待労院を開設した。ここには今でも数人の回復者が余生を送られている。

*******************


中央アフリカ共和国でのハンセン病制圧活動


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


2011年7月17日から21日にかけて、アフリカ中部の中央アフリカを訪問しました。これまでアフリカ諸国には頻繁に足を運んでいますが、同国の地を踏むのは今回が初めてです。

中央アフリカはチャド、スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、カメルーンと5カ国に国境を接する内陸国で国土面積は62万平方キロメートル(日本の約1.7倍)、人口約430万人の国です。緯度は赤道に近く、南部には熱帯雨林が広がり緑豊かです。1960年にフランスより独立しましたが、度重なるクーデターや内戦で政情が不安定な状態にありました。最近になってようやく政権が安定し、落ち着きを取り戻してきたようです。国民が信仰する宗教は、カトリック、プロテスタント、イスラム教、伝統宗教がそれぞれ4分の1ほどです。農業など第一次産業が主要産業で、資源はダイヤモンド、金、ウランなどを産出していますが、政情不安などの影響で、経済的には厳しい状態が続いています。

2005年に公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧(有病率が人口1万人あたり1人未満)を全国レベルでは達成していますが、州レベルでは16州のうち4つの州で制圧をまだ達成できていません。年間の新規患者数は2010年で235人、人口1万人あたりの有病率は0.52という状況です。政情不安の影響や保健行政上のプライオリティの低下から、患者数がやや増加傾向にあるという報告が届いていたので、中央アフリカ政府のハンセン病対策に対するコミットメントを強化する必要があると判断し、今回の訪問となりました。

7月17日の午後、首都バンギの空港に降り立ちました。飛行機を降りると、強い日差しと強烈な暑さが襲い、アフリカの中心地に来たことを実感させられました。空港では、マンダバ保健大臣と2人の女性閣僚であるゼゼ社会問題大臣とナン教育大臣、それにWHO(世界保健機関)代表のマイガ博士ら大勢の方が出迎えてくださり、地元の人々による歓迎のダンスもありました。驚いたのは、ハンセン病の患者、回復者の方々まで空港で待ってくれていたことです。私も長い間各国を訪問していますが、そういったことは初めてのことです。空港では早速メディアのインタビューがあり、中央アフリカでハンセン病は公衆衛生上の制圧は達成したものの、病気の根絶と差別の撤廃に向けて取り組みをさらに強化する必要があるので、そのために今回訪問したと説明しました。また、国民に対して、ハンセン病は治る病気で、薬は無料であること、差別は間違いであることなど、ハンセン病について正しく理解してほしいと訴えました。

その日の夕方、WHOのオフィスを訪問し、マイガ代表や担当官からハンセン病の状況に関するブリーフィングを受けました。中央アフリカではILEP(世界救らい団体連合)のメンバーでスイスに本部があるFAIRMED(前ALES)の協力を受けて、ハンセン病対策を行っています。現在は、首都バンギに近い南西部オンベラ・ムポコ州とロバイェ州、それに北東部のバカガ州とオート・コット州の4州が、人口1万人あたりの患者数が1人以上と制圧が達成されていない地域で、この4州をターゲットにし制圧活動を進めていきたいとの報告がありました。私からは、この国でハンセン病の患者数をゼロにしていく環境は整ってきているので、保健省と仕事がやりやすくなるように私の訪問を活用していただきたいとお話しました。

翌18日、保健省を訪問し、マンダバ保健大臣と会談しました。私からは、HIV/エイズやマラリア、結核など数多くの病気があるなか、患者数が少ないハンセン病対策に尽力していただいていることに感謝の意を述べ、今後もWHOと保健省で協力しさらなる患者数の減少に向け取り組んでいただきたいと要請しました。保健大臣からも、WHOと一緒になって未制圧の4州でハンセン病を制圧し、根絶に向けて取り組んでいきたいと積極的は発言をいただきました。保健大臣は41歳と若く、まじめでしっかりと仕事をしてくださる印象を受けました。

保健大臣との面談後、車で2時間かけて西に移動し、ロバイェ州の森林奥地にあるカカ村を訪問しました。ロバイェ州は人口28万人中登録患者数が52人で、1万人当たりの患者数が1.84と未制圧州の一つです。その地域周辺にはピグミーと呼ばれる、体が小さく森を移動して生活している人々も住んでおり、ハンセン病の罹患率も高いそうです。村に着くと、お年寄りの方から小さな子どもまでが一緒になって賑やかなダンスと歌で歓迎してくれました。ハンセン病の患者・回復者は50人ほどいらっしゃり、一人ひとりと握手し挨拶を交わしましたが、多くの人に障害があり、患部のケアもあまりされていない様子でした。見た目からも苦しい生活が容易に想像され、胸が痛くなりました。

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この村ではベルギーから来たシスターが1年前から診療活動を行ってくれています。1985年から中央アフリカで医療活動を行っていましたが、この村に初めて来たとき、その現実を見て非常に大きな衝撃を受け、村での活動を始めたそうです。患者さんの代表からもお話があり、ハンセン病にかかったと知ったときの悲しみや、指、足と症状が進んでいくにつれ深まる苦しみを吐露されました。また靴を支援してほしいとの訴えがありました。この地域では多くの方が患部をむき出しにしたまま裸足で生活しているのです。一緒に来てくださった保健大臣からも話があり、私がハンセン病患者たちと触れ合う姿をみて、自分たちも自国でハンセン病に苦しむ人々のために何かをしなければならないと思ったと語られました。私からは、ハンセン病は神様からの罰でもないし、伝染性の強い病気でもない、薬は無料なので、早い段階で薬を飲むことが障害を残さないために大切だとお話しました。最後には、村人たちのダンスの輪の中に、私だけでなく、地元の市長や保健大臣までが入り、一緒になって踊りました。健康な人も病気の人もみな兄弟姉妹であり、分け隔てなく共に生きていくべきだというメッセージが少しでも伝わったのではないかと思います。

翌19日は、政府要人との面談が多い1日となりました。まず朝一番にトアデラ首相を表敬訪問しました。ハンセン病患者を減らすためのプログラムの推進と、国民へのハンセン病に関する正しい知識の普及をお願いし、首相からとても前向きな発言をいただきました。考えられているハンセン病強化プログラムの中には障害のある回復者の住環境の整備や、子供たちの就学支援など、生活環境の改善についても考慮すると述べて下さいました。また、日本財団がアフリカの農業に携わっていることにも触れられ、中央アフリカ国民の80%が農業に従事しており、貧困脱却のためには大規模な農業開発プログラムが必要という話をされました。私も首相の考えと全く同じであり、これまで25年間実施してきた「笹川グローバル2000」という食糧増産プロジェクトの経験を踏まえた国際会議を11月にマリで開催することを紹介し、担当者の派遣を提案しました。

その後、ガオンバレ国会議長、そして、到着日に空港に来てくださったゼゼ社会問題大臣とも会談しました。議長からはハンセン病の患者・回復者を差別しないようにする法律を議会で通すことや、ハンセン病関連の予算引き上げも検討できるというお話をいただきました。障害者や高齢者、差別の問題などを横断的に幅広く扱われている社会問題省のゼゼ大臣は、国民がハンセン病に関する正しい知識を持って差別を行わないよう、情報提供活動を実施していくと述べられました。

翌20日はまず教育省を訪問し、高等教育・研究担当のサコ国務大臣、サール職業・技術教育大臣、ナン初等・中等教育大臣の3名の大臣とお会いしました。初等・中等教育大臣からは、ハンセン病に関する正しい知識をエイズやマラリアなど他の公衆衛生の問題も含めて子供たちに教えていくという話がありました。職業・技術教育大臣は、技術教育高等学校が国に1つしかないことや、特に女子への技術教育の不足を心配されていました。国務大臣からは、国内唯一の総合大学の入学者数が、30年前の設立当初は700人だったのが、来学期には約2万人になるという報告を受けました。また、農業大学で農業技術を教えており、国の発展に貢献していると語られました。大臣たちのお話を伺い、予算が足りないなかでの国づくりの苦悩をひしひしと感じました。私からは、教育全般のあり方について必ずしも外国を参考にせず、自身の考えを進めていくとよいということ、そして、「1年穀物を植える、10年木を植える、100年人を育てる」というように、人材育成は20年、30年のスパンで計画を立て、毎年着実に進めていかなければならないと述べました。特に、首相との会談でもあったように、食料増産による農民の貧困解決と農業教育の重要性についてお話しました。

また、国連代表部も訪問し、人権問題を専門とされるヴォグト代表とも意見交換を行いました。数年来ジュネーブの国連人権理事会に働きかけた結果、昨年、人権理事会および国連総会でハンセン病患者、回復者および家族に対する差別撤廃の決議が192カ国全会一致で採択されたことを報告しました。もちろん、決議が得られたからこの問題が解決するわけではなく、私自身が決議を活用して各国の国家指導者やメディアに訴えかけ、法律や人々の慣習を変えていかなければなりません。ヴォグト代表は、中央アフリカにおける魔術の考えと人権問題について触れ、ハンセン病患者や障害者、病気の女性などが魔術にかけられたと思われ、人々から非難され、殺されてしまうと嘆かれ、そういった問題をなくしていかなければならないと話されました。また、私が実際に患者と触れ合っている姿がメディアで報道されることが、差別をなくしていくうえで大きな効果があると述べて下さいました。

この日は、首都バンギから24キロ離れたダマラという地区にあるデレバマ保健所も訪問しました。中央アフリカ国内に5ヶ所あったハンセン病療養所のうちの1つで、2000年に一般診療と統合されました。現在8人のハンセン病患者が自宅から通っているそうです。しかし、実際に中の様子を見てみると、MDTが1つもなくは、カルテの記録も途中で途切れている状態でした。MDTは注文中で、スタッフは最近あった内戦で逃げてしまったという報告も受けましたが、それにしても、私が各国の保健所を訪問した中でMDTがなかったことは初めてのことです。この国でいかにハンセン病対策が滞っているかを垣間見た気がします。

その日の午後には4日間の中央アフリカ滞在を総括する記者会見が行われました。その間、空港到着から要人訪問、そして地方視察にいたるまで多くのメディアが同行し、熱心に取材をしてくれました。私は常々、ハンセン病の問題を解決するにはメディアの協力なくしてあり得ないと考えています。それは、患者が病気を恥ずかしいと思い隠してしまうので早期発見が難しいこと、また、病気が治っても社会からの差別が消えないため社会復帰が難しいことが、医療、社会の両側面における課題であり、そういった人々の意識を変えるにはメディアの力が大きいからです。記者会見の質疑応答でもそのことを述べ、改めてメディアの協力を訴えました。

中央アフリカでの最後の夜は、大統領府で政府主催の晩餐会が行われ招待を受けました。大統領はご欠席でしたが、トアデラ首相はじめほぼ全ての閣僚と国際機関代表らが出席されました。そして、中央アフリカ政府から私に、ハンセン病への取り組みを評価する勲章を授与していただきました。首相からメダルをかけていただき、ハンセン病との闘いを情熱と忍耐をもって継続していかなければならないという気持ちを改めて強くしました。この勲章は、闘いを共にしてきたWHOや保健省、NGOの皆さん、そして何よりもハンセン病回復者の皆さんの努力によるものであり、全ての関係者の方々に贈られたものであると思っています。

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今回の中央アフリカ訪問では、病気と貧困に苦しむ患者の姿や、保健所にMDTがなかったことに象徴されるように、必要な医療サービスが必要なところまで行き届いていない現状を痛感しました。一方で、多くの国家指導者とお会いし、ハンセン病対策の強化について積極的な発言をいただきました。私の訪問がきっかけとなり、WHOと保健省がしっかりと協力し合い、患者数の多い4州での制圧と、さらには患者数ゼロに向けた取り組みが力強く推進されること、そしてハンセン病患者、回復者の方々への差別がなくなることを強く願います。そして、私自身もそのための闘いを生涯かけて継続していく決意を新たにしました。

3月23日(金) [2012年03月23日(Fri)]

3月23日(金)

9:00 武部恭枝 プライムコーポレーション社

10:30 加藤秀樹 東京財団理事長

11:00 松本浩志 マテックス株式会社社長

13:30 松永和夫 経済産業省前事務次官

15:00〜18:00 作家 高山文彦氏

「たばこの話」その3 ―2020年オリンピック東京招致失敗か― [2012年03月23日(Fri)]

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東京に五色の五輪の旗がなびく日は来るのか?


「たばこの話」その3
―2020年オリンピック東京招致失敗か―


3月3日付東京新聞は「2020年夏季オリンピック招致を目指す5都市が提出した申請ファイルで、地元住人の開催支持率が65.2%で最低であった」と報じた。

バクー(アゼルバイジャン) 90%
イスタンブール(トルコ)  87.1%
ドーハ(カタール)     82%
マドリード(スペイン)   75.3%
東京(日本)        65.2%

国全体では
アゼルバイジャン       95%
スペイン          84%
トルコ           83.3%
日本            65.7%
カタール          記述なし

となっており、日本はさらに政府、オリンピック委員会、東京都の一段の努力が必要であることはいうまでもない。

一つ、日本ではあまり論争もなく問題にもなっていないが、無視できないのは「たばこ」と「オリンピック」の問題である。「オリンピック」の問題は、後段のワシントンタイムズをお読み願いたい。

世界中の大都市は「たばこ」問題に神経質で、公共施設の禁煙は当然で、たばこ会社の広告規制も強化されているが、日本の政府のたばこ規制は国際的には全く遅れており、無関心といってもよいほどである。

昨年前半、国際機関が集まるジュネーヴ(スイス)では、「たばこは殺人だ」と述べたブルントラント元WHO事務局長の伝統が今も続いている。そのWHOの本部近くにJT(日本たばこ)がビル建設を計画していると、真偽のほどは定かでないが、ジュネーブ雀の話題となり、筆者は肩身の狭い思いをしたものだ。計画は中止になったそうだが、火のないところに煙はたたずで、世界のたばこ業界の中でJTのノー天気振りはひときわ目立つ存在である。

下記の記事は2011年12月1日付のワシントンタイムズにクリストファー・ジョンソン氏が書いたものである(日本語訳 松崎道幸氏)。

バレーボールワールドカップのJTマネーで2020年五輪の東京招致に暗雲
―国連、市民団体、医師らがJTのスポンサー活動中止を求める―

日本は、日本たばこ産業(JT)が多くの女性と女子生徒に人気のあるワールドカップバレーボールのスポンサーとなっていることに国内からも国際的にも非難が高まっているため、2020年のオリンピック招致が失敗する危険を抱えている。

国連機関、NGO国際組織、日本国内の禁煙推進市民団体の医師と多くの活動家は、世界第三位のタバコ会社JTがワールドカップの後援を中止するよう求めている。このイベントには、スポーツイベントに対するタバコ会社の後援を禁止している米国などの国々の選手も参加している。

日本の2500名の医師が参加する団体は、JTのスポーツイベント後援活動が2020年のオリンピック招致を台無しにする恐れがあると主張している。

JTは国内法を適切に守っており、12月4日までの1か月間おこなわれるバレーボールトーナメントでは、タバコでなくJTの嗜好飲料部門のプロモーションを行うものであると述べている。

日本のバレーボールリーグでは、JTがJTサンダーズ(男子)と日本のトッププレーヤー・タケシタ・ヨシエを擁するJTマーベラス(女子)のスポンサーとなっている。

世界保健機構(WHO)のタバコ・フリー・イニシアティヴ・プログラム・マネージャーのアルマンド・ペルガ氏は、WHOが国際バレーボール連盟にコンタクトして、「連盟がこのような事態を許していることに失望の意を伝え、2002年に連盟がタバコと無縁のバレーボールを推進することを宣言したことを実践するよう申し入れる」と述べている。

WHOは、日本政府には2004年に他の173か国とともに批准したたばこ規制枠組み条約(FCTC)を誠実に順守する義務があると述べている。WHOの報道担当Timothy O’Leary氏は、この条約はスポーツイベントを含むあらゆる場におけるタバコ産業の宣伝と後援を禁止していると語っている。

日本の医師団体は、JTが「条約に違反して」日本代表選手のユニフォームとコート周囲のデジタル広告ボード、テレビCM、会場の代々木体育館の女子生徒、母親、子どもたちなど入場者への「景品」にJTのロゴを表示していると非難している。

2004年のFCTCは「国際法上の義務である」とペルガ氏は電子メールで言明している。

「我々は日本政府が、速やかに国際的約束を遵守して、今回のバレーボールトーナメントに見られる事態を是正するよう望む」

国際バレーボール連盟の広報担当者ヒロシ・タケウチ氏は先週本誌に対して、お茶やコーヒー飲料も販売しているJTは、連盟における「嗜好飲料部門」のスポンサーであると述べた。

JTは、バレーボールトーナメントの後援は「国内のすべての法律と自主規制コードに合致している」と述べている。

「バレーボール試合では、わが社の紙巻きタバコ銘柄の広告宣伝は全く行っていない」とJTは電子メールで回答している。

日本禁煙学会理事長作田学氏は、このJTの主張を「まったくナンセンス」と言い切る。

「JTは缶入りコーヒーも売っているが、最大の事業はタバコを売ることであり、収益の90%以上は紙巻きタバコによるものだ。そのような言い訳は通じない。」

作田氏が理事長をつとめる団体には2500名の医師が参加しており、JTの社長と、JTの株の51%を持つ財務大臣に対して、「条約違反」のJTによるバレーボールワールドカップの後援を中止するよう申し入れを行うことになっている。

作田氏は、日本政府が何もしなければ、2020年オリンピック招致は危うくなるだろうと述べている。

「この問題は日本にとって障害となる。オリンピック会場周辺は禁煙としなければならない。ワールドカップバレーボールで彼らが行っているのは、選手のユニフォームや会場内にJTのマークを表示させていることである。これはオリンピックでは完全に禁止されていることだ。日本へのオリンピック招致にマイナスとなろう。」

国際オリンピック委員会は2020年開催都市を2013年に選ぶ予定である。

先週の水曜日に東京都はオリンピックキャンペーン用の桜の花をあしらったロゴを発表した。野田佳彦首相は、先週、彼が「最高顧問」として2020年の夏季オリンピックを日本で開催するために個人的に支援したいと述べた。

1977年以降、日本はこのワールドカップを主催してきたが、この国際イベントは、JTの広告に取り囲まれて試合を行う世界各国の選手の映像を世界に放映してきた。心ある市民団体や評論家は、スポーツという健康なライフスタイルを喫煙と結びつけることに反対するプレーヤーにこの大会のボイコットを呼びかけてきた。

杏林大学の神経内科学教授でもある作田博士は、現在、禁煙学会所属の12名の弁護士がバレーボールワールドカップにおけるタバコの広告を即座に中止させ、JTとワールドカップ主催者に罰金を科す裁判所命令を請求する検討を行っているところだと語っている。

WHOは、禁煙が毎年、60万人の非喫煙者を含む600万人の人命を奪っていると述べている。EUは1991年にテレビを通じた、そして2005年には国際スポーツイベントにおけるタバコのCMを禁止している。

JTは電子メールで、「関連団体と協力しつつ、未成年喫煙防止活動を続けてゆく。こどもはタバコを吸ってはいけないからだ」と述べている。また「未成年喫煙防止協議会を組織して、警察、地域の諸団体と連携してさまざまな啓発キャンペーンを行っている」とも述べている。

しかし、このようなJTの反論が国際的に通用するとはとても思えない。たばこ規制の強化とJTのバレーボールからの撤退がなければ、東京へのオリンピック招致に大きな影響が出る恐れは充分にある。

3月22日(木) [2012年03月22日(Thu)]

3月22日(木)

8:00〜9:30 「語り場」日本財団・職員との対話

9:30〜11:00 「語り場」日本財団・職員との対話

12:20 日本財団復興支援チーム職員との昼食
 
13:00 日本財団臨時理事会

13:45 森田文憲 船の科学館館長

16:00 BOAT RACE振興会 評議員会

3月21日(水) [2012年03月21日(Wed)]

3月21日(水)

7:30 日本財団

7:45 今 義男 海洋政策研究財団理事長

8:00〜9:30 「語り場」日本財団・職員との対話

10:00〜11:30 「語り場」日本財団・職員との対話

12:00 武部恭枝 プライムコーポレーション社長

13:00 柴崎治生東京財団常務

14:00 菊池義冶 サンパウロ日伯援護協会会長

16:15 福川伸次 機械産業記念財団会長 

「たばこの話」その2 たばこ依存症から抜け出せない日本― [2012年03月21日(Wed)]

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依存症から抜け出せない財務省とJTビル


「たばこの話」その2
―たばこ依存症から抜け出せない日本―


ファイナンシャル・タイムズ紙が昨年6月14日に報じた見出しである。さすが世界の一流紙。実に皮肉が利いている。おわかりの通り、喫煙者がたばこ依存症から抜け出せないのではなく、財務省、日本政府がたばこ依存症(JTからの収入)から抜け出せないと書いているのである。

喫煙者は常に禁煙論者への反発として「海外の例を引いて論じるのはけしからん」と眉を逆立てる。しかしグローバリゼーションの時代、世界があって日本が存在することを忘れないでもらいたい。

昨年は原発事故で減少したものの、外国人観光客を含めた在日外人は毎年増加傾向にある。外国が日本のたばこ政策をどのように見ているのか、喫煙論者にも知ってもらいたいのである。

ファイナンシャル・タイムズ紙は「日本政府は福島原発による放射線のリスクから国民を守ろうとしながら、発がん性のあるたばこからさらに多くの利益を獲得しようとしている」と皮肉っている。

また「2011年の第三四半期だけで、愛煙家は発がん率の上昇という対価を払って1350億本のたばこを消費し、JTは300億円の配当金を財務省に支払った。政府がたばこ会社の株式を保有していること自体がスキャンダルなのだ」と鋭い。

「現在でも50.1%の株式が日本政府の手元に残っている。この結果、かなりの道義的な矛盾と制度上の利益相反が生じている。日本政府は福島原発で国民の被曝リスクを可能な限り小さくしようと多額の出費を行っているが、その一方で、同じ国民に発がん性のあるたばこ販売をして利益を得ている。
皮肉なことに、今ではたばこ自体が被曝源であることが明らかになっている。たばこには鉛210とポロニウム210という放射性物質が含まれており、米環境保護庁によれば、この二種類の物質は『喫煙者の肺にかなりの濃度で蓄積し得る』のだ。
財務省がJT株を処分しなかったために、日本の禁煙への取り組みが遅れている。政府のJT株保持を支持する人は、国内産の葉たばこを全量買い上げる義務がJTに課せられていることを論拠の一つにしている。しかし、日本の葉たばこを栽培農家はたったの1万人しかいない。政府はJT株の売却代金の一部をがん対策に充てることも出来るはずだ。」

以上はファイナンシャル・タイムズ紙の要旨で、日本政府はたばこ枠組条約を批准しながらJTを保護している矛盾についての外国からの批判の一つある。

3月20日(火) [2012年03月20日(Tue)]

3月20日(火)

ニューヨーク発

15:25 成田着

17:30 自宅着