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(右から)ソグロゲンベニン大統領、筆者、オバサンジョ元ナイジェリア大統領
トゥーレ大統領、アルハサネ農業大臣
「笹川アフリカ協会25周年」
―アフリカ マリで式典―
マリ共和国の首都バマコで笹川アフリカ協会設立25周年の式典を開催した。
式典にはマリのトゥーレ大統領、ナイジェリアのオバサンジョ元大統領、ベニンのソグロ元大統領をはじめ、各国の農業大臣の出席もあり、盛大に挙行された。光栄にも、バオバブの記念植樹にも御三人共に出席して下さった。
思い起こせば、1984年にエチオピアで発生した大飢饉をテレビの映像で知った笹川良一から「何か救済策を考えろ」との指示があり、旧知のインド・パキスタンでの「緑の革命」に成功してノーベル平和賞を受賞された世界的な農学者ノーマン・ボーローグ博士とジミー・カーター元アメリア大統領と折衝、交渉の上、貧農の食糧増産活動「グローバル2000」プロジェクトとして発足したのである。
長い話を短くすると、その間、SG2000プロジェクトは世界銀行の構造調整政策に反するとの圧力があり、ヨーロッパ環境NGOからはアフリカの大地を化学肥料で汚染するとの非難も浴びた。我々の使用する化学肥料はヨーロッパの農地が使用する数十分の一であるにもかかわらずである。
最近「飢える大陸アフリカ」(ロジャー・サロー、スコット・キルマン共著、岩永勝訳、悠書館3200円+税)が出版された。二人はウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者で、克明にアフリカを取材。飢える大陸アフリカは先進国の怠慢と無知とご都合主義という人災によって引き起こされたと告発している。
多くの農業支援は世銀の構造調整と各国政治指導者の農業への無関心、そして成果の上がらぬ事業へのあきらめから撤退していった。我々は、そのような先進国の有形無形の圧力の中で25年を戦い抜いたアフリカ大陸唯一の農民支援の民間団体といってもよい。
我々は「Never Give Up」「決してあきらめない」を合言葉に闘い貫いてきた。ようやく世界も世銀の構造調整の誤りを認め、アメリカ政府の食糧支援はアメリカの農産物に限るとの頑な政策も変更となり、アフリカ諸国の政府の中で食糧の自給自足こそ独立国の第一歩と考える指導者も出てきた。
今日、笹川アフリカ協会はビルゲイツ財団やJICA、ナイジェリア政府からも支援金を受けられるようになり、笹川アフリカ奨学基金で我々が育てた農民を指導する政府の農業普及員も11大学で3000人を超え、卒業生の多くが現場で農民と共に働いている。笹川アフリカ協会の構成員は掃除や運転手、保安係等々を含めると約1000名の大世帯となった。
笹川アフリカ協会のリーダーであるルース・オニヤンゴ女史は「笹川さん! 笹川良一、ノーマン・ボーローグ博士も今は亡く、カーター元大統領も高齢で体調不良と聞く。笹川さん!! あなたの背負った荷物は大きく重いわね」としみじみと語りかけてきたが、「いや、私は若い頃山登りをしていたので荷物が重いほど元気が出て調子が出ますよ」と切り返した。
私に評価があるとすれば、一度も弱音を吐くことなく一貫して継続する意志を表明したことだけで、全ては笹川アフリカ協会の宮本正顕、ボーローグ博士の愛弟子であるクリス・ダスウェルを中心に、ボーローグ博士の「Never Give Up」の精神と「子供を空腹のまま眠りにつかせない」という関係者の一致した認識と団結のおかげである。
アフリカ大陸の7〜8割は貧しい農民である。彼等の食糧増産なくして貧困からの脱出もない。10年、20年後にはアフリカの農業といえば「ササカワ」方式といわれることは間違いない。又、そのようになるよう更なる努力の必要性を再認識した25周年式典であり、国際会議であった。
*『構造調整』とは、IMFや世界銀行が発展途上国の政府に対して要請する経済構造や経済政策の改革案のことで、農業政策については各種の補助金を全廃することが新たな融資条件となった。
そのためアメリカ、ヨーロッパ、日本をはじめ、多くの国が補助金政策を行っているにも関わらず、農業に対する支援策は削除されていった。笹川アフリカ協会の人材養成プログラムである笹川アフリカ奨学金制度まで補助金の一種だとの非難を浴びたこともある。