「朱鎔基元首相逝去」 ―苦い思い出 新幹線― [2026年09月07日(Mon)]
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「朱鎔基元首相逝去」 ―苦い思い出 新幹線― 8月12日、朱鎔基・元中国首相が逝去された。筆者が会談した�ケ小平・最高指導者、江沢民・国家主席、胡錦涛・国家主席、楊尚昆・国家主席、胡耀邦・総書記などとの思い出は尽きないが、特に朱鎔基首相との会談は苦い思い出として今も残念に思っている。 筆者が朱鎔基首相と会談をしたのは、中国に対する政府のODA(海外協力援助事業)が中国で評価されず、北京空港建設支援もVIPの建物に高さ30�p、横40�pほどの小さな表示板が誰にも気づかれない場所にあるだけであることに代表されるように、ほとんどは日中協力事業と呼ばれ、億兆円の日本の援助について中国国民が知らないことが、日本では政治問題化された時期であった。 筆者は、中国に日本の援助で最新の技術による新幹線を北京〜上海間に建設すれば、年間2〜3億人の乗客が見込まれ、日本の援助と表示しなくとも中国人の日本理解は進むと考え、訪中の度毎に鉄道省を訪問した。時には�ケ小平・最高指導者の息女である�ケ榕さんや楊尚昆・国家主席の息女・楊李さんも同行・協力してくれた。 新幹線の売り込みはフランスが積極的で、ドイツはリニアの売り込みであった。私は当時の運輸省の黒野次官の協力を得て日中鉄道友好推進協議会を設立。主にJR東日本の協力で、確か400人近くの中国鉄道技術者を日本に招聘し、将来の中国への新幹線導入に向けた準備を行っていた。 1997年10月、中南海で副首相時代の朱鎔基氏とも会談した。私は黒野次官の配慮でJR各社の社長、私鉄協議会の会長、地下鉄の総裁、車両メーカーの社長たち、総勢30数名で新幹線売り込みの一団を結成、顧問を平岩外四・元東電会長、竹下登・元総理にお願いした。 翌1998年、いざ出発の2、3日前に平岩・竹下両氏から、駐中国日本大使より「朱鎔基首相は最近日本人とは会談しないらしいから訪中は中止されたら」との連絡が入った。平岩さんからの電話では「中国は日本にとって大切な国です。笹川さんの情熱を無にしたくないので私は同行します。」とのことで、竹下先生も「陽平ちゃん、心配いらないよ。大切な仕事だから行くからね」と電話を下さった。 総勢30数名の代表団は中南海の会談場所に到着したところ、平岩・竹下両氏に訪中の中止を伝えた日本国大使がなんと満面の笑みで迎え、一番前の席に平岩・竹下両氏と並んで座られた。朱鎔基首相からの「皆さんようこそ!!心から歓迎します!!ところで笹川陽平さんはどこですか?」との問いに、一番後ろの席から手を振って挨拶をしたところ、笑顔で納得された。 会談終了後、黒野次官と共に唐家璇・外務大臣と面会。その際、江沢民国家主席がフランスを訪問した折、フランス大統領自ら新幹線と原発を購入して欲しいと強く働きかけたとのことであった。日本も江沢民国家主席訪日の折に、小渕首相から直接話をすべきだとの貴重な助言をいただいた。そこで黒野次官は、小渕首相と江沢民国家主席との会談で、小渕首相から新幹線について話をしてもらうべく働きかけた。 また、朱鎔基首相が新技術に興味を持っておられたこともあり、新幹線の売り込みに万全を期すため、当時まだドイツでは実験段階にあったリニアにも着目し、私は黒野次官に、小渕首相と江沢民国家主席をリニアに乗せれば、そのツーショット写真は世界的ニュースになると提案した。しかし、中国側から「生命の保証はあるか」と問われ、さすがの黒野次官もギブアップしたが、それでも小渕首相による新幹線の売り込みは成功した。 しかし、朱鎔基首相からは、中国国内で微妙な反日勢力もあり、特に新幹線が南京を通過することから、しばらくは当方がOKするまで公表しないでほしいとの伝言があった。しかしながら、経団連は私どもの活動を知らなかったのか、突然、新幹線売込みミッションの一団を北京に送り込んでしまった。朱鎔基首相の助言が無視され、当然のことながら、新幹線問題はお蔵入りとなってしまった。ところが、驚いたことに数年後、突如日本の新幹線と全く同じ車両が中国で発表された。後日談だが、川崎重工業の大庭社長が、秘密裏にブラックボックスを含め中国に売り渡していたことが判明。JR東海の葛西社長は激怒し、川崎重工業との取引を停止したとの噂話を聞くことになった。 朱鎔基首相の配慮を無視した経団連、川崎重工の大庭社長に愛国心が無かったのか、中国の発展した新幹線は今やインドネシアをはじめ海外市場で日本の競合相手となってしまった。朱鎔基首相の配慮に応えられなかった、国益を考えない経済人の軽率な行動にやり場のない怒りを感じたものです。 |






