「国立ハンセン病療養所13ヶ所」
―機関誌『愛生』―
ハンセン病療養所は全国に13ヶ所あり、それぞれの療養所では入所者が文章を書き、和歌や俳句、写真などを掲載した充実した機関誌を発行していました。しかし、高齢化が進み、入所者は今や全国で約550人、平均89歳となり、歴史ある機関誌も次々と廃刊となって、残るは数誌のみとなりました。
以前は、私の世界のハンセン病活動を積極的に投稿してきましたが、その機会も激減しました。そんな中、久しぶりに長島愛生園の『愛生』に以下の記事が掲載されましたのでご紹介します。
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インド北部で見た希望と課題
―ハンセン病コロニーを訪ねてー
2026年2月、インド北部のウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウを訪問した。人口約2億4千万人を抱えるこの大州は、首都ニュー・デリーの南に位置し、朝晩が一桁台まで冷え込むニュー・デリーとは対照的に、25度前後の穏やかな暖かさに包まれていた。州内には、世界中から旅人を引き寄せるタージ・マハルをはじめとする世界遺産も点在している。

約21エーカーの広大な土地

22人が暮らす家屋
コロニーでの暮らしラクナウ中心部からバスで約1時間。にぎやかな街並みが遠ざかり、土埃の道を進むと、ハンセン病回復者とその家族が暮らすコロニーが見えてきた。約21エーカーの広大な敷地に広がるこのコロニーは、1995年に州政府から提供された土地で、現在は10軒の家に22人が暮らしている。
敷地に入ると、コロニーのリーダーが花の首飾りで迎えてくれた。広い敷地の一角には、州政府が整備した男子校と寮があり、基本的にはコロニー外の生徒が通うが、コロニーの子どもたちも一緒に学ぶことができるという。訪問時はちょうど給食の時間で、地面に座って配給を待つ寮生たちの姿が印象的だった。

食事の配給を待つ男子生徒たち
このコロニーでは、3年前からササカワ・インド・ハンセン病財団の支援を受け、マイクロファイナンスを活用した小規模事業が始まっている。ろうそくは、1日50箱製造して州政府が許可した場所で販売し、人気を得ているという。大きな収入ではないが、自ら働き収入を得ることが、住民の尊厳を支えている。米や油の配給に加え、月3,000ルピー(約6,000円)の年金の支給があるとのことだった。決して豊かとは言えないが、物乞いをして生計を立てる必要はないという。

ろうそくを作る器具を見せてくれた

1箱約20円で販売しているろうそく
正直なところ、このように恵まれた環境のハンセン病コロニーを訪れたのは初めてだった。土地に余裕があり、食事に困ることはない。他の地域に住む回復者を受け入れてはどうかと尋ねたが、すでに試みているが、移住を希望する人は多くはないという。
それぞれの地域で築いた生活基盤や仕事を離れることへの不安が、決断を難しくしているとのこと。確かに、その理由に納得はできるのだが、これまで見てきた劣悪な環境で暮らすハンセン病回復者や家族たちの姿を思い出し、複雑な気持ちのままコロニーを後にした。
APALリーダーとの対話-各州の現状と共通の課題-ハンセン病回復者組織APALの州リーダーとの対話は、3時間に及んだ。各地域の現状と課題が率直に共有され、土地と住宅の権利、年金不足、医療や教育へのアクセス、高齢化への対応などが共通課題として挙げられた。
たとえば、アンドラ・プラデーシュ州では住宅再建や道路整備の成果が報告された一方、土地確保や予算不足が課題とされた。ビハール州では土地の権利と安全な水の確保が問題とされ、チャティスガール州やグジャラート州では年金額の低さや未給付が深刻な課題として共有された。デリーからは住宅不足と年金拡充の必要性が語られ、教育機会の不足や雇用の難しさ、差別の影響なども多くの州で共通していた。
一方、政府や支援団体との協働により、住宅や道路、医療施設、コミュニティ施設の整備、奨学金制度の創設など、各地で着実な進展も報告された。多くのリーダーが支援への感謝を述べるとともに、地域の声を政策に反映させていくことへの期待を示した。
対話を通して印象的だったのは、困難の共有だけでなく、成功事例を持ち寄り、互いに学び合おうとする姿勢だった。コロニーで暮らす一人ひとりの声を州や国のレベルに届け、尊厳ある生活を実現しようとする強い意志が、静かな連帯として会場に満ちていた。

インド16州のAPALリーダーたちとの対話は3時間半にも及んだ

各州から集まってくれたコロニーの代表者たちと
私ができることは、今後も、各国政府や地域社会、当事者たちと力を合わせ、偏見と差別のない社会の実現とハンセン病の完全制圧に向けて、引き続き精力的に活動を続けていくことである。