「ヴァーツラフ・ハヴェル大統領」
―写真展『その既知と未知の顔』―
4月24日よりチェコセンター東京において、ハヴェル大統領生誕90周年記念展として「ヴァーツラフ・ハヴェル −その既知と未知の顔」が開催されている。この記念展はハヴェル大統領自身の言葉を通じてその人間像と生涯を紹介するもので、来日時の写真も展示されています。
フォーラム2000の開会式を前に、在りし日のハヴェル大統領夫妻と
筆者はハヴェル大統領が1995年に来日した際に、世界を平和にする為にプラハでフォーラム2000を開催することで一致し、以来17年間にわたりハヴェル大統領と共に活動を致しました。こうした長年の関係もあり、本記念展に先立って行われたレセプションに招待され、ハヴェル大統領との思いでをお話しする機会を頂きました。以下私の挨拶です。
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レセプションで挨拶する筆者
お集まりの皆さん。私とハヴェル元大統領との関係はさまざまですが、先ほどの大使閣下やヴァーツラフ・ハヴェル図書館長からのご挨拶、そして本日のブリーフィングでも既にお話が御座いましたので、皆さんすでによくご存知かと存じます。そこで本日は、私とハヴェル元大統領との個人的なエピソードをいくつかご紹介させていただくほうがよろしいかと思い、お話しさせていただきます。
私が勤めております日本財団では、今から約40年前にチェコのカレル大学において修士・博士課程の奨学金制度を開始いたしました。これは世界69の優れた大学を対象として展開してきたものであり、すでに40年が経過しております。これが私とチェコとの関わりの一つです。その前には、ここにお集まりの皆さんの多くはまだお生まれになっていなかったかもしれませんが、東京オリンピックの際に、チェコの体操選手であるチャスラフスカ選手が金メダルを獲得されました。そのときに、私は初めてチェコという国を強く意識したことを覚えております。
その後、ハヴェル大統領の時代の1995年に広島をご訪問された際、「世界を平和にするために共に活動しよう」とのお申し出をいただきました。ではどこでそれを行うべきかという点について、ノーベル平和賞受賞者でホロコースト生存者のエリ・ヴィーゼル氏、ハヴェル大統領、そして私の三者で協議を行いました。当時、世界の主要なニュースはロンドン、パリ、ニューヨークといった都市から発信されておりましたが、それとは異なり、文明の交差点であるプラハから発信することがこの会議にとって重要であるという点で意見が一致いたしました。その結果、「フォーラム2000」をプラハで開催することとなり、日本財団の支援で17年間にわたり継続して実施してまいりました。
ハヴェル大統領のご尽力により、世界中の有識者がプラハに集まりました。大統領時代には大統領官邸の広大な施設を開放していただき、南アフリカのネルソン・マンデラ氏、アメリカのビル・クリントン氏、ダライ・ラマ14世、ヘンリー・キッシンジャー氏、西ドイツのヴァイツゼッカー氏など、世界の第一線の指導者が参加されました。また、政治家だけでなく、学者やジャーナリストも世界中から集まり、ロシアからも有力な政治家が参加するなど、大変大きな知的サロンが形成されました。そこでは、参加者が自由に議論し交流する場が築かれておりました。
17年間続けてまいりましたので多くのエピソードがありますが、その中で印象的な出来事を申し上げます。オサマ・ビンラディンらによるテロ事件が発生し、ニューヨークの世界貿易センターが攻撃された際、世界中の国際会議が中止となりました。そのとき、会議を継続するかどうかについてハヴェル大統領から相談を受けました。私は「大統領はどうなさりたいのですか」とお尋ねしたところ、「こういう時こそ我々は続けるべきだ」と非常に強い信念を示されました。その結果、フォーラム2000は予定どおり開催され、その年に国際会議を実施した数少ない例となりました。
大統領在任中は官邸で開催しておりましたが、退任後の開会式だけは由緒ある教会を会場として使用するようになりました。毎回開会式の前には、小さな部屋で二人だけで強いお酒を酌み交わし、「さあ始めよう」と言って壇上に上がったことを懐かしく思い出します。あるとき、プログラムにはなかった出来事がありました。ハヴェル元大統領が突然壇上から声をかけると、一人の女性がギターを持って駆け上がってきました。その方は当時反戦歌手として世界的に有名なジョーン・バエズで、「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone)」を歌われました。これはハヴェル元大統領が密かに準備されていたサプライズであり、大きな拍手が会場から巻き起こりました。
また、毎回のプログラムにおいて不思議なことありました。出席者一覧の中に、常にアウンサンスーチー氏の写真が掲載されていたのです。何度招待してもご本人は来られなかったため、私は掲載をやめたほうがよいのではないかと申し上げました。しかしハヴェル元大統領は、「彼女が来ないことは分かっている。しかし世界は彼女を忘れてはならない」とおっしゃいました。この言葉は大変印象に残っております。その後、アウンサンスーチー氏が解放され、政党であるNLDを立ち上げられた際、ハヴェル元大統領からの激励の書簡を私がお預かりし、ミャンマーで直接お渡しすることとなりました。しかし、その書簡をお渡しする当日の朝に、ハヴェル元大統領逝去の知らせを受けました。私はその書簡の内容を存じ上げませんが、その重要性は十分に理解しておりましたので、NLD党本部でアウンサンスーチー氏にお会いし「昨夜ハヴェル元大統領が逝去されました。これは大変貴重な歴史的書簡ですから大切にしてください」と申し上げてお渡しいたしました。
現在、私はミャンマー国民和解担当日本政府代表の役割を担っており、アウンサンスーチー氏の解放に向けて政府側と何度も議論を重ねてまいりました。しかしながら、残念なことにいまだ実現には至っておりません。ただし、現在はきちんとした家の中で、新聞やテレビも閲覧できる環境のもとで健康に過ごされていると承知しております。また、アウンサンスーチー氏からお父様であるアウンサン将軍が大切にされていた日本刀をお預かりし、日本で修復いたしました。お返ししようとした矢先にクーデターが起きてしまい、現在もお返しできておらず我々の事務所で保管しております。一日も早く解放され、その刀をお返しするとともに、ハヴェル元大統領の書簡を読んだときの心境をお伺いできる日を心待ちにしております。
ハヴェル元大統領は「20世紀は戦争の世紀であった。21世紀は平和の世紀にしなければならない」という強い信念をお持ちでした。しかし現在の世界情勢を見ると、その願いとは異なる方向に進んでいることは大変残念です。だからこそ、残された私たち一人ひとりがその意思を引き継ぎ、世界平和の実現に向けて努力し続けることが、ハヴェル元大統領への最大の感謝であり、教えに対する応えであると考えております。
私も87歳になりましたので、年を取ると話が長くなるというのは万国共通のことであります。皆さんもお疲れかと存じますので、このあたりでお話を終えさせていただきます。
最後に、杯を上げさせていただきますが、日本には二種類あります。一つは祝福の乾杯、もう一つは故人を偲ぶ「献杯」です。本日はハヴェル元大統領の生誕90周年という記念すべき日にあたり、その平和を愛する志を引き継ぐ決意を込めて、感謝の気持ちとともに献杯を捧げたいと存じます。それでは、献杯。
そして改めまして、本日の素晴らしい写真展の開催にご尽力いただきました関係者の皆さんに心より敬意を表しますとともに、ご来場の皆さんのご健康とご多幸、そして今後ますますのご活躍を祈念いたしまして、乾杯。