「人生100年時代」
―社会貢献とWell-being―
12月10日、日本財団において、上記テーマのシンポジウムを開催した。
脳科学者・茂木健一郎先生と幸福学研究の第一人者・前野隆司先生による対談は示唆に富み、お二人のユーモアを交えた語り口は、まるで新しいジャンルの「知的漫才」とも言えるもので、満席の会場は笑いの渦に巻き込まれた。
続いて、佐山和弘先生の遺贈に関する話、二宮雅也先生からは利他の心で自分に合ったボランティアをすることの大切さについての話があり、笑いを伴った充実した会となった。
以下は、私の冒頭の挨拶です。
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「人生100年時代の社会貢献とWell-being」シンポジウム挨拶
―人生はノーパンである―
お寒い中、大勢の皆さんにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。「人生100年時代の社会貢献とWell-being」という本日の会ですが、何といっても茂木先生と前野先生のお話は大変うんちくがあり、楽しい内容ですので、ぜひお聞きいただきたいと思います。私も 87 歳まで生きてまいりまして、これまで世界127カ国を600回以上現場で回ってまいりました。その中で、常々「人生とは何か」を考えることが多くあります。これから申し上げることは、私が言うのであれば問題ありませんが、政治家が言いますと明日の新聞記事で辞任になるような話から始めたいと思います。女性の皆さんも多くいらっしゃるので、少々不適切であれば申し訳ございませんが、百も承知の上で申し上げます。
生まれた以上、あらゆる生物は死に向かって一斉に行進しております。実は「死ぬために生まれてきた」ようなものです。しかし、私たちは生を受けたからには、どのような人生を歩むかが問われてまいります。例えば、ヒルティ、アラン、ラッセルの「三大幸福論」という立派な本がありますが、役に立つようでいて、本当に役に立つのでしょうか。こういう方々に限って家庭では夫婦喧嘩が絶えず、奥さんに逃げられたなどという話もあります。勿論お三方がそうだったかは存じませんが、大体そういうものであります。私の家庭でも、権力は早い段階から女房に簒奪され、私は単なる居候、出来の悪い老人を介護しているという、非常に僭越な感情を持った女房に支配されております(笑い)。残念ではありますが、一方で感謝もしております。
人生とは何でしょうか。私は考えに考えた結果「人生はノーパンである」との結論に達しました。つまり「はかない」ということです(拍手と笑い)。生きるということは、最後は死ぬことです。死に向かってあらゆる生物が行進するものです。どのように生きるか、皆さんも終盤に差し掛かっている方が多いかもしれませんが、私は「死ぬ直前」が大事だと考えております。死の間際に「ああ、よく生きたな」「まあまあ頑張ったな」と自分で自分を認められたなら、その人生は素晴らしく幸福であったと申し上げられます。皆さんもおそらくそうお感じになるでしょう。
私は戦争を知る最後の世代で、2時間半の間に10万8千人が殺された東京大空襲を経験いたしました。浅草・雷門の近くに住んでおりましたが、町中が焼け野原になりました。私たちは第一避難所は菊屋橋の郵便局でしたが、そこも焼け、隅田川が第二避難所でした。しかし隅田川は油性爆弾により火の川になり、避難した多くの人は亡くなっていきました。私は川が怖く、母と陸地を必死で逃げ回り、偶然生き延びたのです。その後の少年時代は栄養失調でした。
皆さんの人生にも嫌なことや心の傷が多々あったかと存じます。しかし、人間には「記憶の美化作用」があります。辛かったことも、何十年と経つと「あの時よく頑張ったな」「懐かしいな」と思えるものです。皆さんはそれを乗り越えてこられました。そして今は、その辛さも懐かしさに変わる時期に入っておられると思います。つまり、これから「人生の締めくくり」を迎える段階であり、大切な年齢であると思います。
私は厚生労働省の回し者ではありませんが、健康寿命と平均寿命には6〜7年の差があります。皆さんには可能な限り最後までに元気で人生を全うしてもらいたいものです。機械であっても70年80年オーバーホールなしに動く機械はありません。そんな中で多少の病を抱えつつも、皆さんは今日元気にここにお集まりです。シェイクスピアの戯曲に「終わりよければすべてよし」という有名な言葉があります。私は学問的に厳密な話はできませんが、「終わりをどう生きるか」が極めて重要だと思っております。これまで歩んでこられた道は、これから人生を締めくくるための準備段階にすぎません。最後に、死の瞬間に「ああ、いい人生だった」「よく頑張った」と思えるなら、その人生は素晴らしい人生です。
極端な例ですが、私の知る有名な大金持ちが、最高級病室で亡くなる間際、会計士と弁護士を呼び、「どう遺産を分けるか。女房だけには渡したくない」と言い残しました。こうした人生が幸福でしょうか。人を恨み、女房を恨んで死ぬ──いくら富と名声があっても、つまらない人生だと私は思います。庶民は、ささやかな中にも「よく生きた」「まあまあだった」と合格点を自分に与えることができます。皆さんには、そのための時間がまだ残されています。
どんな生き方をすべきか──この後の茂木先生と前野先生のお話などから学んでいただければと存じます。今日のお話を聞かれれば、皆さんはきっと幸せな人生を送られると期待しております。ありがとうございました。