「世界の音楽界と日本人女性」
―田中路子―
先般、ロシアのボリショイ劇場とマリインスキー劇場の責任者である世界的指揮者ゲルギエフ氏と、熊本県出身の永江洋子氏の関係について記した。今回取り上げる田中路子氏は、女優であり声楽家で、生涯の半分以上を欧州で過ごした人物である。しかし、私の印象では、日本人離れした恋多き女性であり、同時に素晴らしい人生を歩んだ人だと羨ましい限りだ。田中路子氏の行動力とそのスケールの大きさは驚くほどである。

田中路子が出演した1935年のオーストリア映画『恋は終わりぬ』のポスター
22歳の路子は、当時62歳の食品会社の大富豪ユリウス・マイン二世と結婚した。その後の男性遍歴は見事である。オペラ歌手・女優として活躍した環境も影響したのかもしれない。東京音楽学校在籍中には指揮者・齊藤秀雄(小澤征爾は門下生)との不倫の噂が立ち、近衛秀麿の協力を得てウィーンに留学した。前述の大富豪夫ユリウス・マイン二世の支援もあって、歌手・女優として活躍。さらに、早川雪洲やカール・ツックマイヤーとも親密な関係があったようである。しかし、夫ユリウス・マイン二世とは40歳もの年齢差があり、やがて路子はドイツ人のシャンソン歌手で俳優・演出家のヴィクター・デ・コーヴァと恋仲となった。
ここでの夫ユリウス・マイン二世の態度がすごい。なんと、妻路子とヴィクター・デ・コーヴァの結婚式の媒酌人を務めたという。内心はどうであれ、あっぱれな男性である。路子は前夫ユリウス・マイン二世から得た莫大な資金でベルリン西部に大豪邸を構え、それを芸術家の社交場とした。ソニーの社長を務めた声楽家の大賀典雄、小澤征爾、若杉弘、諏訪根自子をはじめ、多くの日本人の世話をしたという。
特に音楽家をはじめとする芸術家は、ヨーロッパの有力者やそのサロンのメンバーとなることで、その道の大家への紹介を受け、檜舞台で活躍する道筋を得ていたようである。世界的名指揮者小澤征爾も、田中路子によるヘルベルト・フォン・カラヤンへの紹介や推薦なくしては、あの名声を得る機会はなかったかもしれない。現在のEUの礎を築いたリヒャルト・クーデンホーフ(汎ヨーロッパ主義)の母は、クーデンホーフ=カレルギー光子(旧姓・青山光子)であり、その名は有名な香水「光子」としても知られている。
ヨーロッパの社交場で活躍した三人の日本人女性――永江洋子、田中路子、青山光子の活躍は、歴史の舞台から今や消えつつある。