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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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【私の毎日】6月20日(金) [2025年06月20日(Fri)]

6月20日(金)

6:30 財団着

8:00 トレーニング

10:00 宮武宜史 国土交通省海事局局長

11:00 山中あき子様

14:30 喜多悦子 笹川保健財団会長

終日 財団内打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「日本財団会長を退任」―20年間ありがとう― [2025年06月20日(Fri)]

「日本財団会長を退任」
―20年間ありがとう―


6月17日、20年間務めた会長職を任期満了を機に退任致しました。これからは名誉会長として、尾形武寿新会長のもと、一兵卒として活動を続けて参ります。以下は、即興の職員への退任挨拶です。

*********************


お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。本日の評議員会で任期満了と共に、日本財団会長職を辞することになりました。長い間皆さんにはご協力を賜り心から感謝を申し上げます。尾形武寿会長のもと新しい体制で、未来志向の日本財団を皆さんが力を合わせて作ってほしいと思います。

たびたびお話してきましたが、今や世界は多様化する時代になりました。そして貧富の格差が大きな広がりを見せています。アメリカのGAFAのトップの資産は、世界の何十億人分の所得に匹敵します。国家や地方自治体だけでは対応出来ないような様々な問題が惹起していますが、政治家レベル、あるいは官僚レベルでは分からない、手の付けられない、気が付かない問題が多々あります。そうした問題について世界はノンプロフィットの組織による力を必要としている時代が到来してきているように思っています。こうした意味で、日本財団はいち早くアジアの財団を集めた財団会議を開催していますが更に拡大して、アジアにおけるノンプロフィットの在り方を世界に示していく必要があると思っています。

皆さんご承知の通り、ノンプロフィットの財団は助成が仕事です。しかし日本財団は、幸か不幸か、当時は日本には適当な助成財団がなかったために、私たち自身がそうした組織を作らざるを得ず、今や20を超える関連の財団が存在します。笹川平和財団、東京財団、B&G財団、日本音楽財団、日本財団パラスポーツサポートセンター、日本財団ボランティアセンター、など数多くの財団があり、各財団は独立して理事会・評議員会を構成して各々活動しています。日本財団はこうした財団を支援するのみならず、自ら活動を日本はもとより世界に展開しています。このような体制は世界で日本財団だけです。海外の方から「こんな新しい手法があるのか」と高い評価を受けています。皆さんはその中核として仕事をされているのです。

皆さんは何か社会のために貢献したい、貢献することで自分の人生を豊かなものにしたいという気持ちで日本財団にお集まりになっていると思います。しかしいつも申し上げているように、ここで間違えてはいけないのは、我々はいい仕事をしている、いい活動をしている、という思いあがった気持ちは絶対に持たないでください。これはモーターボートのお客様のお金であり、また多くの方が人生をかけて蓄えたお金の一部を日本財団に遺贈して下さったものであり、また能登半島地震の際に寄せられた40万件を超えるご寄付でもあります。従って我々はいい仕事をさせていただいているという謙虚な気持ちでいないと、どこかで間違ってしまうことが起きます。特にモーターボートの収益は公金ですから、場合によっては、皆さんは準公務員という扱いとみなされます。我々は一円のお金も儲けたことはなく、全ては人々からお預かりしたお金を扱っているにすぎません。そうした方々がおられての我々の仕事ですから、お金については公私の区別と厳重な管理のもとに有効かつ適切に使用することが財団にとって最も大切なことです。「九仞の功を一簣に虧く」という言葉がありますが、皆さんが考える以上に日本財団は日本、世界の中で評価を受けているということを念頭に仕事をしないと、小さな間違いが大きな事実として世間に広がることになります。

現在の日本は表面的には平和ですが、内情は大変困難な状況にあるのではないでしょうか。しかし、日本の現状は、改善や改良するだけで、根本的に変える改革が出来ない国民性です。しかし日本財団は改革をしてきました。働く皆さんにとってはつらいことかもしれませんが、日本財団の役割、使命を考えると、これからも改革は続ける必要があります。私はダーウィンの進化論者で、今強力で、優秀な人材がそろっていても社会の変化を予見して仕事をしないと組織は衰退します。イギリスの歴史学者であるアーノルド・トインビーによると、世界にはこれまで28の大きな文明が存在したと言われていますが、多くは歴史に埋もれてしまいました。ましてや、我々のような組織が何百年も続くためには、日々変化していく必要があります。好奇心をもって社会の変化を先取りして、いち早く問題点を摘出して対応するの能力を持って下されば、日本財団は永遠に続くと確信しています。

昨日の続きが今日ではありません。今日の続きが明日ではありません。常に変化をしていく必要があります。ただ、若い人の中には、長い人生の丁度入り口を過ぎたくらいの方もいます。人生にはいいことも悪いことも辛いこともあります。あまり深刻に物事を考えず、私のように「今日は嫌だったな」という日もあっても「寝れば明日は新しい朝が来る」という気持ちでいてください。うまくいかないことがありますが、めげてはいけません。「失敗は成功の母」とも言われています。辛い経験を積むほど「風雪人を磨く」の言葉のように、成長につながっています。竹の節のように、困難を乗り越えたときに力強い節が出来ます。沢山節があった方が強いのです。人生はそうしたものであり、楽しいことばかりではありません。辛いことの方が多いのです。私の年齢になると、過去の苦い思い出は、記憶の美化作用で、懐かしい思い出に変わるのです。楽しかった思い出は年月を経ると何の価値もなく大した思い出になりません。苦労したこと、頑張ったことが20年経ったときに「頑張ったな」という記憶の美化作用が活きてきます。人生はそうしたもので、常に明るい幸せな人生などはありません。それは諦めてください。努力して苦労を乗り越えたときに幸せが来るし、自身が強くなります。是非とも、日本財団あるいは日本財団を卒業したその先で、人生を振り返った時に「いい仕事をさせてもらったな」という思い出が出来て、はじめて素晴らしい人生が完成したといえるのではいでしょうか。

皆さん、これからは尾形新会長の下で一致団結して仕事に励んでください。私は双頭の鷲になることを恐れています。双頭の鷲というのは、頭が二つあることです。今日限りで尾形新会長1人が日本財団の代表者です。私が、尾形新会長の指導がないところで仕事をしたら、それは双頭の鷲です。頭が二つの日本財団は崩壊します。これは私が最も恐れることです。今日限りで新会長のもとに団結してください。私自身も一兵卒として、新会長そして新執行理事体制の下でお手伝いすることがあれば手伝います。皆さんも、私を使わなければいけない場面があろうかと思いますが、私は新会長の了解をいただいた上で働かせていただきたいと思います。日本財団会長は尾形会長ただ一人です。ここを間違えると、決していいことはありません。どうぞ新しい執行部の下で、日本財団が更に社会に、日本に、そして世界になくてはならない財団として存在し発展していくことを願っています。

長い間皆さんの協力のもと仕事をさせていただいたことに改めて感謝致します。皆さん、御健勝で仕事に励み、個人生活も充実させ、日本財団そして日本財団を卒業した後も日本財団でのよき思い出をもって、喜びにあふれた充実した人生を送ってください。長い間ありがとう!

「ハンセン病グローバルアピール」―偏見・差別のない世界へ― [2025年06月20日(Fri)]

「ハンセン病グローバルアピール」
―偏見・差別のない世界へ―


ハンセン病患者および回復者に対する偏見・差別の撤廃を世界に呼びかける「グローバルアピール」は、今年で第20回目を迎えました。今回は、世界55ヶ国の保健省の賛同を得て、1月末日にインド・オディッシャ州で発信しました。8年ぶりのオディッシャ州訪問の記録を含めた記事が、ハンセン病国立療養所・邑久光明園の広報誌「楓」5・6月合併号に取り上げられましたので、以下に掲載いたします。

*******************
「インド・オディッシャ州で見た現実と課題」


<グローバル・アピール 2025>
2025年1月、ベンガル湾に面するインド東部のオディッシャ州を8年ぶりに訪問した。目的の一つは、長年続いているハンセン病患者や回復者に対する偏見や差別撤廃を訴える「グローバルアピール 2025」の宣言と発信を行うための会合を開催することであった。今年で20 回目を迎えるこの活動には、世界55 カ国の保健省から賛同を得て、宣言が行われた。

会合には、州の保健大臣をはじめ、インド各地のハンセン病回復者組織の代表者など約100人が参加した。会合の中で私は「オディッシャ州では、かつてハンセン病の回復者が州議員に選ばれたにもかかわらず、認められなかったことがありました。しかし皆さんの努力により、この差別的な法律は改正されました。このことは、ハンセン病とその偏見と差別に立ち向かう私たちにとって、大きな一歩となるばかりか、世界中の当事者に勇気と希望を与えました」と挨拶し、ハンセン病に対する偏見や差別のない世界の実現へ向けてより一層の努力をすることを約束した。

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偏見や差別撤廃へ向けた宣言書を読み上げる高校生たち



<回復者たちとの意見交換>
「グローバルアピール 2025」の会合後には、インド各地から集まった回復者組織の代表者たちとの意見交換を行なった。この場で現場の声を直接聞くことは私にとって非常に貴重な時間である。回復者たちから出された主な課題は土地、教育、年金に関するものであった。土地に関しては、政府から提供された土地に住んでいた回復者が土地開発などに伴い、立退を強制されるケースが増えているという。証明書がないため、地主から立退を要請されると従わざるを
得ない状況にあると、不安と悔しさを抱えた気持ちを吐露してくれた。
教育に関しては、オディッシャ州が山岳地帯に位置するため、公立の学校が遠く私立学校に通うには月 700ルピー(約1,200 円)が必要であり、経済的な理由で通えないという現実があった。また、オディッシャ州のハンセン病の回復者が受け取る特別年金は月 1,000ルピー(約1,700円)で、他の州では 3〜4,000ルピー(約5,100円〜6,800円)であるため、非常に低いとされ、これが教育の機会に影響しているとのことだった。

私の設立した全インドハンセン病回復者協会(APAL)のマヤ代表に、州のリーダーたちが集まる定期的な会議を開き、共通の課題や個別の問題を文書化するよう指示を出した。特別年金の値上げや奨学金の不足など、具体的な問題点を整理して、どのような支援が必要かを検討できるようにしてほしいと依頼した。また、APALが州ごとの課題解決に向けた強力な組織になることが重要だと強調し、「1本の矢は弱いが、50本、100本となれば強くなる。団結して共に課題を解決していこう」と激励した。

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全土から集まった回復者リーダーたちとの対話



特別年金については、オディッシャ州の知事と面談した際に値上げを要請した。知事からは「特別年金にばらつきがあることは認識している。回復者がきちんと生活できるように手伝いたい」と前向きな返答を頂いた。過去にも、私が州の首相や知事に特別年金の増額を直接要請して実際に改善が見られた事例があるため、今回も期待しつつフォローアップを続けていきたい。


<ハンセン病コロニー内での差別>
今回、オディッシャ州内の5カ所のコロニーを訪問し、住民との対話を通じて課題を聞き取ることができた。やはり土地や教育、特別年金の問題が主要な課題として挙げられたが、これらについても、今後 APAL からの報告をもとに対策を考えていく。

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コロニーでの住民との対話



特に印象に残ったのは、併設する2つのコロニーを訪問した時の出来事だった。私が片方のコロニーからもう一つのコロニーへ行こうとしたところ、強く止められたのである。私は両方のコロニーを見て回ったが、特に目立った違いはないように感じた。あとで聞いたところ、これらのコロニーの間にはカースト制度のように上下関係が存在し、身分の低いコロニーには私を行かせたくなかったとのことだった。ハンセン病の回復者たちはアウトカーストとして社会から差別されることが多いのだが、その内部でも差別があるという現実を目の当たりにし、私は深く考えさせられた。


<22年前といま>
22年ぶりに訪れたカタック・ハンセン病施設では、病院が新設されていたことは喜ばしいことだったが、施設と外を隔てる塀は昔のままであった。施設内には重度の後遺症を持つ人は少なくなったように見えたが、依然として社会からの偏見や差別により、この施設を出られない人々がいることは残念である。

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2003年に訪れたときのカタック・ハンセン病施設

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今回訪れたカタック・ハンセン病施設


インド独立の父マハトマ・ガンジーは当時、社会の最下層に置かれていたハンセン病の患者の境遇を改善するため、ハンセン病の問題を国づくりのマニフェストに取り上げた。ガンジーはハンセン病施設が「開所」するのではなく、「閉所」するときにこそ喜んで訪れるという言葉を残している。ハンセン病とその差別のないインドの実現は、ガンジーの夢でもあり私の夢でもある。その実現を見るまでは、私は何度でもインドを訪れ、関係者と共に闘い続けたいと思う。

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敷地内に新しく建て替えられていたガンジー像と筆者

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