「ハンセン病の報道」
―国内外の声に耳を傾けて―
日本には全国13ヶ所に国立ハンセン病療養所がある。北は青森県の国立療養所松丘保養園から南は国立療養所宮古南静園までの13ヶ所である。現在入所者の平均年齢は88歳を超えるなど高齢化が進み、全国の入所者は718名となっている(いずれも令和6年5月時点)。強制隔離による苦難に満ちた生活であったことは国家損害賠償訴訟の勝利と共にその実態も明らかにされてきた。
また、未だに解明されていなかった問題や新事実について大手メディアの記者が懸命に調査され、記事として掲載されることに心から敬意を表しています。5月26日の朝日新聞には桜井健至記者の「断種」にまつわる取材の成果が大きく報道されていました。当事者の証言や公文書の開示を通じて、優生手術や堕胎の実態、そして本人の意思を無視した対応の可能性が明らかにされました。
日本財団は、かつて笹川良一の意向で13園の各種建設を始め、多くの支援を行ってきましたが、当時の厚生省の方針で直接の支援は認められず、日本財団(当時は日本船舶振興会)は、高松宮記念ハンセン病資料館(現・国立ハンセン病資料館)の設立を主導した藤楓協会を通じての支援であったので、各園では当財団の名前を知る由もありませんでした。唯一、国家損害賠償訴訟の勝訴後「みんなで観光バスで旅行をしたい」というご要望に応えて、各園にバス1台、合計13台を寄贈したことがありました。日本財団は1967年以降、藤楓協会や笹川保健財団を通じて、国内のハンセン病支援として総額約142億円を拠出しています。
ところで、ハンセン病はアジア、アフリカ、南米を中心に現在進行形の病気です。筆者は50年にわたりハンセン病制圧のために124ヶ国を訪問。アマゾンのジャングルからアフリカの砂漠、コンゴの森深くに居住するピグミーの人々に至るまで、「問題点と答えは現場にある」との行動哲学に基づき、これまでに約600回、延べ4000日近く海外活動を続けてきました。
ハンセン病は「沈黙の病気」とも呼ばれます。早期に治療すれば(薬は無料)何の障害もなく完治しますが、他の病気と異なり、初期段階では熱も痛みもなく、身体の一部に白い斑点が現れるだけです。まさに沈黙の病気です。また、現在知られている病気の種類は今や1000を優に超えるといわれていますが、その中で「ハンセン病回復者」だけが偏見と差別を含んだ呼び方をされるのもこの病気の特徴です。「元結核回復者」や「元〇〇回復者」といった呼ばれ方をする病気は他にありません。
筆者は、ハンセン病について各国で説明する際、「オートバイ」に例えて伝えています。前輪は「病気を治すこと」、後輪は「偏見と差別をなくすこと」。この両輪が等しく機能して初めて、ハンセン病を制圧したといえるでしょう。筆者は老骨に鞭打ち、旧約聖書の時代から連綿と続く強い偏見と差別に立ち向かい、「ハンセン病ゼロ」の世界の実現を目指して闘い続けます。メディアの皆さまも、過酷で悲惨な状況の続く海外のハンセン病の現状についても是非広く報道してもらいたいものです。