「ミャンマー大地震」
−外国人として初めて現場視察を許可される―
3月28日にミャンマーで発生した地震に対する支援として、日本財団として300万ドル相当の食料・医療品等の人道支援を日本財団ヤンゴン事務所から実施することを決定したことはご報告した通りです。人道支援を行うにあたり、「現場には問題点と答えがある」という信念に基づき、現場に赴き現場のニーズを把握すべく、格別の配慮で被害の大きかったザガイン管区とマンダレー管区に、4月3日、外国人として最初に視察する機会を頂きました。特にマンダレー管区の被災状況の視察にはミョー・アウン・マンダレー管区首相ほか、災害対策委員会のメンバーである中将(マンダレー管区・ザガイン管区担当)と管区司令官も同行し、詳しい案内をいただきました。今回の現場視察を踏まえ、日本財団は支援物資を早急に送るべく迅速に対応して参ります。以下被災による惨状の一部となります。

レンガ造りの寺院が跡形もなく崩壊したことに驚き、この中に何人いらっしゃるかわかりませんが、すでに死臭が漂っている状況に胸を痛めました。読者の方からすると、後片付けをしたように見えますが、このように完全に崩壊したのです。(ザガイン管区)

瞬時に破壊された中学校の惨状です。未だこの下に子どもたちが眠っています。こちらも死臭が漂っていました。(ザガイン管区)

ミャンマーが誇る名門のマンダレー大学では火災が発生し、受験生6万人分の答案用紙が燃えてなくなりました。(マンダレー管区)

3階建てに見えますが4階建ての建物で仏教との子どもたちが学ぶ学校です。(マンダレー管区)

地震発生1週間後に到着が予定されている日本の医療チームに割り当てられた市民ホール広場です(13時半現在)。(マンダレー管区)

この建物は一見6階建ての建物に見えますが、実は11階建てで、1ー4階部分が完全に崩壊しております。この中に日本人が住んでいたと言われています。実はこの隣に同じような11階建ての建物があと3棟立っていました。(マンダレー管区)

11階建ての3棟は完全に形がありませんでした。死臭が充満していました。(マンダレー管区)

真っ先に駆けつけた中国の救助隊の皆さんと。(マンダレー管区)

ミャンマー人も含めて初めて私たちに視察を許されたマンダレー王朝の内部の崩壊状況。写真は160年前に建てられた時計台です。(マンダレー管区)

マンダレー王朝の城壁の崩壊状況です。(マンダレー管区)

イスラム教のモスクが完全に崩壊した跡地で親族を失った人たちと話し合いました。(マンダレー管区)

40度の熱暑の中で家を失い、路上生活を余儀なくされた方々が至る所にいらっしゃいました。(マンダレー管区)

各国から続々と届く支援物資。手前はフィリピンからの支援物資を積んだ航空機です。日本からの救援物資が届かないことに寂しい思いをしました。(ネピドー)