―経済界は今こそ「利他の精神」を―
産経新聞【正論】
2025年2月25日
パンデミック(世界的大流行)となった新型コロナ禍、さらに近年、「自国第一主義」の風潮が強まる中、自分の利益だけでなく他人のためにも尽くす「利他」の精神に世界の関心が高まっている。
<<活気失う日本社会>>一方でわが国は1990年代初頭のバブル崩壊に始まった「失われた30年」で賃金水準は大きく落ち込み、かつて一億総中流と言われた国民意識は中流より下流が強まり、国全体が活気を失う原因となっている。
この間、90年代に100兆円台で推移した企業の内部留保(利益剰余金)は2023年度末に約601兆円と国の名目GDP(国内総生産)1年分にも匹敵する過去最高の数字に膨れ上がった。
わが国は戦後一貫して政治力や軍事力ではなく経済力で発展してきた。政治が低迷し、かつて国の発展を主導した「霞が関」(官)も精彩を欠く今、この国を再生させるのはやはり経済力である。
経済界には今も、近江商人の「三方よし」(買い手よし、売り手よし、世間よし)に代表される利他の精神、商人道が生きているはずだ。中でも経済界を代表する経団連(日本経済団体連合会)には、強い決意を持ってその先頭に立っていただきたく思う。
600兆円の内部留保の活用も含め多彩な対応が可能と考える。
経団連は企業、団体など1700もの会員で構成され、“財界総理”とまで称される会長の下に大手企業のトップら20人が副会長として名を連ね、副会長も務める事務総長の下に200人を超す事務局がある。
副会長が20人というのは組織としては異様で、時に「叙勲狙い」、「軽団連」と揶揄する声も聞く。関係者の奮起を促したい。事務局機能の強化も合わせ、文字通り日本経済を牽引する強靭な組織になってほしく思う。
巨額の内部留保に対しては「それがあったからこそコロナ禍に耐えた」と評価する声も聞く。しかし「日本資本主義の父」渋沢栄一や「利他の心」を提唱した京セラの創業者・故稲盛和夫氏が説いたように、事業活動には一個人ではなく社会全体を益し、活動を支える全従業員の幸福を物心両面で追求する姿勢が何よりも必要と考える。
残念ながら現実は内部留保が急増する一方で、人件費は90年代半ば以降200兆円前後で推移し、23年度も約222兆円と微増に留まる。この結果、1991年から30年間の名目賃金の伸びは米国の2・8倍、英国の2・7倍に比べ日本は1・1倍とほぼ横ばいの状態にある。
<<少子化が加速する一因>>結果、90年代初頭に当時24カ国が加盟した経済協力開発機構(OECD)の中で最高水準にあった日本の賃金は23年度、加盟38カ国中25位まで落ちた。
厚生労働省の調査によると、22年の平均初婚年齢は男性が31.1歳、女性は29.7歳。この20年間で約2歳上昇し、20年の生涯未婚率(50歳時点の未婚率)も男性が28.3%、女性は17.8%と、ともに10㌽以上増加している。
実質賃金の落ち込みが一因と見られ、少子化が加速する原因にもなっている。国内の新規投資も低迷し、わが国がデジタル革命やIT革命など新たな産業の開拓で世界に後れを取る原因となっている。
こうした点を反映して、スイスに本拠を置く国際経営開発研究所(IMD)が毎年発表する国際競争力ランキングも、日本は24年に38位に下がった。1989年から4年間、アメリカを抜いて第1位だった過去を振り返ると隔世の感がある。
ただし、暗い材料ばかりではない。政府が20年にコロナ禍対策として配布した一律10万円の使途に関する調査では、20代は37%が「少しでも寄付したいと思う」と答え、全体平均を10ポイント近く上回った。
昨年元旦に起きた能登半島地震では、日本財団と株式会社メルカリが共同で呼びかけた被災支援の受け入れ先に地震発生翌日と翌々日だけで5000万円もの寄付が寄せられた。1人平均1000円としても、わずか2日間で5万人が支援金を寄せた計算になる。
簡単に売り買いできるメルカリのアプリは若い世代の利用者が多い。時に日本の寄付文化の弱さが指摘される中、この2つの数字は次代を担う若者の心に利他の精神が広く共有されている事実を示していると思う。
<<強靭な国づくり>>戦後の日本社会は「福祉や公共サービスは行政の責任」とする考えや責任より権利を主張する風潮が強い。それがポピュリズム(大衆迎合主義)、バラマキ政策につながり、財政が一段と悪化する悪循環を生んでいる。
利他の心が広く共有されれば社会全体に「自分たちの力で社会を良くする」機運が広がり、強靭な国づくりに結び付く。世界で通用する日本の精神文化を経済界だけでなく、政府も外交も含め幅広い分野で活用するよう求めたい。
(ささかわ ようへい)