「フジモリ元大統領」
―彼との思い出 その4−
フジモリさんは5年間の日本での亡命生活を送った後、2005年11月、私の留守中に、靖国神社で一緒に参拝した女性と共にロサンゼルス経由でチリに入国し逮捕される。その後ペルーに移送され、人権侵害への関与などで禁固25年が確定、リマ郊外の刑務所ではないが、塀に囲まれたわりと広いスペースの家に隔離収容された。
筆者は南米に行くたびにフジモリさんを訪問し激励した。いつもケイコさんの自宅を訪ね、お孫さんと一緒の慰問には大いに喜ばれ、ある時は豪華な昼食を持ち込み酒を飲んで話が弾むこともあったが、その後若干管理が厳しくなった。
フジモリさんは絵画に熱中されていた。当初の絵は明るいトーンであったが、数年後は暗い沈んだトーンの絵となっており、フジモリさんの心中の変化が、彼の話より絵画の方が明確に物語っていた。
日本財団の尾形理事長も再三再四南米出張の合間にお見舞いに参上した。23年12月釈放された時は大いに喜んだが、ガンが相当進行しており、心配していたところ、今年7月には次期大統領に立候補を表明して、SNSで元気に発信されていたので安心していたが、残念なことになってしまった。
日本のメディアはフジモリさんの大統領時代を「功罪相半ば」「独裁者批判」と報道したところもあったが、ガルシア前政権(1985-90年)は、経済政策の失敗により、ハイパーインフレ(90年:7,649%)、景気の後退(経済成長率90年:-4.9%)、さらには、累積対外債務及び債務未返済による国際金融社会との関係悪化等に象徴される深刻な経済危機を招致。汚職及び腐敗の横行、テロ多発(80年以降のテロによる死亡者は約2万8千名、物的被害総額は推定250億ドル)、麻薬の原料となるコカ葉栽培と密輸業者及びテロ組織の結託により社会不安と国際社会の憂慮が増大。このような経済・社会不安を背景に実施された90年の大統領選挙では、大衆の支持を基盤に日系二世アルベルト・フジモリ氏が大統領に当選。大統領在任中の約10年間、混乱した経済の立て直し、「センデロ・ルミノソ(SL)」など左翼ゲリラによる治安悪化対策等々、彼の業績は地元では貧困層を中心に高い評価であった。それは、フジモリ退任後はペルーの政治は今日まで混乱を極め、わずか5年間で6人の大統領が就任したことからもわかる。ペルー政府はフジモリ大統領のために三日間国民が喪に服すことを決めた。改めてフジモリ大統領のご冥福をお祈りいたします(終)。