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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「現場で『顔の見える援助』を」―国際開発ジャーナルインタビュー― [2024年06月14日(Fri)]

「現場で『顔の見える援助』を」
―国際開発ジャーナルインタビュー―


「国際開発ジャーナル」は、日本の将来を熟慮されていた国士・大来佐武郎・元外務大臣が発行を発案し、名付け親となった専門誌であり、大来氏に師事されていた荒木光弥氏が編集主幹を務めています。先般、荒木主幹に当方の国際活動についてインタビューを頂いたものが国際開発ジャーナル6月号に掲載されましたのでご紹介いたします。

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Special Interview
現場で「顔の見える援助」を-支援の先の自立が重要-
日本財団会長 笹川陽平氏に聞く


日本財団会長の笹川陽平氏は、ハンセン病の撲滅と同病患者への差別撤廃を訴えるため、アフリカの最高峰のキリマ ンジャロ (標高5,895m)登頂に挑み、2月12日に成功した。85歳の今も農業指導員の育成や難民支援に情熱を燃やす笹川氏に、現状の課題や日本の取るべき指針を聞いた。(聞き手: 本誌主幹・ 荒木光弥)


85歳でキリマンジャロ山に登頂
―まずはキリマンジャロの登頂成功、おめでとうございます。頂上で「ハンセン病を忘れないで」という横断幕を掲げられた姿は、いい絵になっていた。

「ハンセン病を撲滅しなければ」という一念で挑戦した。私はもう85歳で、ペースメーカーを装着しているため一級の障害者手帳も持っている。そんな状態でキリマンジャロに登頂した人はこれにまでいなかった。登頂には6日間かかり、上の方は酸素も薄く厳しかった。 途中、同行した医師から「体がふらついて危ない。次に同じ状態になったら下山します」と言われたが、皆さんに助けられて、何とか頂上にたどり着けた。

―ヘミングウェイの短編小説 『キリマンジャロの雪』 を愛読して以来同峰は私にとっても憧れだった。 本当に素晴らしい。

登山前に世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長と共に、ハンセン病の差別撤廃を誓う声明を出した。 登頂成功の写真と併せて、各国へのアピールに活用したい。

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キリマンジャロ登頂に成功した笹川氏=日本財団提供


長期にわたるアフリカ農業支援
――アフリカで笹川会長が行ってきた活動として、農業指導も有名だ。

約35年前、エチオピアの大飢饉で数百万人が死亡したのがきっかけで、アフリカ諸国で近代的な農業指導を開始した。タンザニア、モザンビーク、ガーナなどアフリカの14カ国で農業指導を行ってきた。「奇跡の麦※」 を生み出し、インドやパキスタンで食料増産に貢献した米国のノーマン・ボーローグ氏(1970年にノーベル平和 賞を受賞)ともわれわれは活動をしてきた。彼は「農業を発展させるには、研究室にこもって論文を書いているだけではいけない。現地の農民と共に汗をかけ」 と言っており、われわれも現地での実践に重きを置く。ただ、長年やってきて、世界各国の人々にアフリカの農業の現状を理解してもらうには、やはり科学的なデータが必要だと分かった。最近ではデー タ収集にも注力している。
※ボーローグ氏が品種改良で作った、背の低い丈夫な麦。これに より、食料危機に瀕している数億人もの人々が救われた世界の 「緑の革命」の引き金となった。

−近年は、穀倉地帯であるウクライナがロシアに侵攻され、アフリカ諸国が食料を輸入しづらくなるという問題もある。具体的にどういう活動をしているのか。

アフリカ各国の 17校ぐらいの大学で農業普及員を養成し農民に 近代的な農法を指導している。普及員は1万2,000人にも達する。また、国によってはカカオなど輸出できる大規模換金作物を育てるのが農業という考え方もある。 しかし、私は「まず住民を食べさせるための農業を確立するのが重要だ」と各国政府を説得し、アフリ カ連合 (AU) の憲章にも、「農業の重要性」 という項目を苦労して入れてもらった。

−現状の課題は。

継続していくのが難しい。マリなど大成功すると政変となり、まるで積み木崩しのようだ。 しかし、私たちは“Never Give Up" (決してあきらめない)の精神で 35年が経過した。 「アフリカで持続可能な農業を根づかせ、食料の自給がいかに大切か」 を、世界が十分に共有できていないと思う。先進国が食料を援助すればいいという考えでは、いつまでもアフリカ諸国は真に自立できない。

−1950年代から70年代まで欧米は旧植民地への農業支援に積極的だったが、その後は撤退している。

その通りだ。 率直に言うと、日本はアフリカに植民地というしがらみがないし、数々の援助実績で信頼も得ているので、国際協力機構(JICA)などがより積極的に農業支援をすればいいと考えている。2018年に、日本財団と外務省の共催で「アフリカ賢人会議」を開催した。外務省の依頼で、私がナイジェリアのオバサンジョ元大統領、モザンビークのシサノ元大統領に声を掛け、安倍晋三総理大臣 (当時)も出席して円卓会議で議論したことを、アフリカ側の参加者も喜んでいた。だが、賢人会議はその1回だけで終わっている。日本がこうした機会を生かせないうちに、中国やロシアがアフリカに食い込んでしまった。

中国になびきだす国が多い
−中国はアフリカで集中的に支援を行っているようだ。

森元総理大臣の指導で、2003年にアフリカ連合友好議連ができ、所属する国会議員が54ヶ国を一人1回訪問していた。アフリカ各国の大使館員にも好評で、森氏の後任にも「ぜひこのやり方を続けてほしい」と何度もお願いしたが、お金がないなどの理由で訪問が途絶えてしまった。一方、中国は今でも外務大臣や、共産党のアフリカ担当者たちが毎年1回、アフリカ各国を必ず訪問していると聞く。中国は習近平国家主席の下で政策が一貫していることが強みで、アフリカ重視の政策も年々受け継がれている。西側からの批判はあるが、国会議事堂や大規模なサッカー競技場など目立つ建築物を援助している。今では鉱山開発まで手を伸ばしている。ロシアは旧宗主国のフランスが手を引いたサブサハラに進出してきた。

−今年、東京で太平洋・島サミット (PALM10) が開かれるが、 大洋 州でも中国の影響力は増していると聞く。

大洋州の17カ国のうち、台湾との国交を維持しているのは今や4カ国だ。これも中国の一貫した政策で、戦うことなく自国の味方を増やしてきた。大洋州では10 年ほど前から、中国の医師が巡回医療もしているし、パラオに観光客を誘致中だ。パラオは日本と縁が深い国なのに、今は日本からの直行便さえない。もっと影響力を強める必要がある。

日本政府が方向性を示すべき
−ミャンマー・ラカイン州の難民問題 (いわゆるロヒンギャ問題)も出口が見えない。

ミャンマーにも中国の影響力を強く感じる。中国は一帯一路の観点から、同国のインド洋に面した港まで国境を越えてパイプラインを敷設。鉄道や道路を整備する計画もあり、ラカイン州の独立を目指しているのか、 「アラカン軍」 は中国側が握ったとも言われる。 座視してミャンマーおよびインド 洋で中国の影響力が強まれば、日本の貿易にも支障が生じかねない。また、ラカイン州を追われた難 民たちは主にバングラデシュで避難生活を送っているが、他に受け入れる国もなく、出生率も高いので過密になる一方だ。そこで、同国は約10万人が住めるバサンチャール島に難民たちを移住させることを決めた。私は同国のシェイク・ハシナ首相と面談し、資金援助だけでなく、移住者に農業や刺繍を教えて自立を促すことを申し出た。「難民でも環境さえ整えれば、きちんと自立して暮らせる」という成功モデルを示せば、受け入れ国も増えるだろう。 われわれにできるのは人道的な支援だけなので、現状では難しいが日本政府には 「ミャンマーや周辺国をこういう方向性で支援したい」というビジョンを明確に示してほしい。日本と東南アジア諸国連合(ASEAN) の友好協力は50周年目を迎え、今こそ、未来志向の日本の「顔の見える援助」 が求められている。
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