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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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【私の毎日】6月12日(水) [2024年06月12日(Wed)]

6月12日(水)

6:33 財団着

8:20 喜多悦子 笹川保健財団会長

14:00 佐藤樹一郎 大分県知事

15:00 東京財団政策研究所

16:00 Gurbanmyrat MYRADALYEV トルクメニスタン文化省副大臣

17:00 「開放型刑務所の整備に向けた研究会」
   「ドキュメンタリー映画『おまえの親になったるで』登壇」 打合せ
  
終日 打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「ハンセン病制圧活動記」―アフリカ最高峰・キリマンジャロ山頂からの啓発活動― [2024年06月12日(Wed)]

「ハンセン病制圧活動記」
―アフリカ最高峰・キリマンジャロ山頂からの啓発活動―


新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、世界中でハンセン病の制圧活動が停滞せざるを得ませんでした。特にアフリカには、多数の隠れたハンセン病患者と深刻な偏見・差別が依然として存在しており、アフリカでの活動を再度強化するため、本年2月にアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに登頂し、”Don’t Forget Leprosy(ハンセン病を忘れないで)”のバナーを掲げて参りました。この様子を多磨全生園機関誌「多摩」6月号に寄稿致しました。

**********************


85歳でアフリカ最高峰のキリマンジャロ登頂
「ハンセン病を忘れないで」


WHOハンセン病制圧大使 笹川陽平


「途中下山も検討」
傾斜の急な砂礫地帯に差し掛かった標高5,400m付近。85歳の私は足をもたつかせる頻度が増え、ペースが落ちてきた。眠気が出てきたこともあり、立ち止まってストックに体重を委ねて休む回数も増えた。この様子を見ていた同行の池田知也医師から、足のもたつきや眠気がこれ以上ある場合は下山を検討します、と伝えられる。眠気は高山病の一つで、酸素濃度が低い高所で脳への酸素が不足して起こることがあり、身体に危険が伴うとのこと。 「ここで降りるのは残念ですねえ」 と答えた記憶がある。今思うと、この「下山」という言葉に、私は奮い立ったのだと思う。あと数百メートルのところまで来て下りるのは、同行してくれたメンバーに申し訳ない。何よりも、世界中でハンセン病に苦しむ人々の顔が浮かんできて、私ができることはほんのわずかとわかってはいるが、登頂して世界へアピールしたい、という思いで最後の傾斜を一歩一歩登り続けた。この最後の数百メートルがいつまで続くのかと思った時に、後ろから聞こえた池田医師の「会長、行ける!」の声が最後のひと押しとなって、私を頂上へと押し上げてくれた。タンザニア時間の2024年2月12日朝5時半、登山を開始して6日目、ついに、5,685mの登頂ポイントまで辿り着いた。念願であった「ハンセン病を忘れないで」(“Don’t Forget Leprosy”)のバナーを頂上で掲げることができ、万感の思いであった。

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写真1: 「ハンセン病を忘れないで」のバナーを掲げる筆者 


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写真2: キリマンジャロの頂上からの日の出(撮影 池田医師)


「登山決意から1年半」
今回のキリマンジャロ登頂を目指すことを決めたのは約1年半前である。きっかけはネパールの登山家シェルパ氏が2022年5月にエベレスト山頂で「ハンセン病を忘れないで」のバナーを掲げ、ハンセン病の啓発活動の一役を担ってくれたことである。同氏は世界中にある8000m以上の14峰に成功した最年少登頂記録保持者でもある。私は、このことに感動し自分でも何かできないかと考え、同年8月に、日本一の山、富士山の頂上で「ハンセン病を忘れないで」のバナーを掲げた。

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写真3: エベレストの頂上でバナーを掲げるシェルパ氏(2022年5月)


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写真4: 富士山の頂上でバナー掲げる筆者(2022年8月)


そして次なる目標を、世界7大陸最高峰の一つでもあるアフリカのタンザニアにあるキリマンジャロの頂上で、「ハンセン病を忘れないで」のバナーを掲げて世界中にメッセージを広めることにしたのである。アフリカ最高峰のキリマンジャロを選んだのは、アフリカには未だハンセン病の調査が行き届いていないエリアが多く存在するというのも理由の一つだ。私が世界中でハンセン病制圧活動に取り組み始めて約50年経つが、今もなおハンセン病患者やその家族への偏見や差別が根深く、これらの問題解決は急務である。本来は、この問題がもっと国際的に人権問題としてアピールされなければならないはずだが私の力不足もあり、なかなかこの活動を世界的に盛り上げることが出来ていない。今回キリマンジャロの山頂でバナーを掲げたことは、活動に拍車をかけるためのキックオフと位置付けている。私は生ある限り、世界のハンセン病制圧に命を捧げる覚悟でいる。

「登頂できるのは半分くらいの確率」
今回の登山は10人でチームを結成した。そのうち、2人が医師という大変贅沢なメンバー構成である。2人の医師のうちの1人は、今回の登山に同行してくれる医師を私のブログで募集したところ、手を挙げてくれたのが冒頭でも紹介した池田医師である。池田医師は日本での医療活動と国境なき医師団での活動を両立させる外科医で、外科医として働く傍ら7大陸最高峰すべてを制覇し、さらにプロボクサーでもある。今回の登頂が成功したのは、彼の豊富な経験に基づいた適切なアドバイスがあったからと言っても過言ではない。

さて、登頂記録をもう少し詳しく記しておきたい。2024年2月5日に、私と日本財団職員2人の計3人はジュネーブでの用務を終えてからカタールのドーハ空港で日本から来る他のメンバーと合流。ドーハからは深夜便で移動し、6日の朝にタンザニアの北東部に位置するキリマンジャロ空港に到着した。実はその2日前からひどい嘔吐と下痢の症状がでていて、到着した時の体調は絶不調であった。同行の職員にも同じ症状を訴えるものがいたため、おそらく食あたりではないかと推測している。もはや登山は断念するべきかと思ったが、なんとか現地入りすることができた。翌日の登山開始の朝にはほんの少し食事が取れるほどには回復したが、体力に不安を感じながらの登山開始であった。なお、キリマンジャロの登山ルートは7つ以上あると言われていて、我々が選んだマラング・ルートは登頂率が50%程度とのこと。現地でそれを聞いた私は途端に弱気になったが、ここまで来たからには行くしかないと腹を括り、6泊7日の登山をスタートさせた。

<1日目>スタート地点は標高1,860m。この地点から2,720mまでの熱帯雨林地帯約8kmを約6時間かけて登った。気温は25℃程度。カメレオンに出会えるかもしれないと聞いていたが、我々が出会ったのは、小さなトカゲだった。
キリマンジャロの魅力の一つは、熱帯雨林地帯から始まり、草木のない広大な大地を通り、標高が更に上がるにつれて景色は険しい岩場と変わり、山頂付近では氷河が残っているという、雄大で豊かな大自然が丸ごと見られるというところにあるという。

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写真5: 初日は熱帯雨林地帯を登る


ちなみに、登山には必ずガイドやポーターたちの同行が必要となる。彼らの協力なくしてはキリマンジャロ登頂は到底成し得ないことなのである。チーフガイド1人とサブガイド3人が我々のペースに合わせて先導してくれる。また、コックまでが同行し、我々の食事のケアも完璧にしてくれるのである。何より我々の荷物とスタッフの分を含めた食糧1週間分を持ち運ぶポーターたちには頭が下がる思いであった。

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写真6: 一人50kg近くの荷物を運ぶポーターたち


また、宿泊用には山小屋が整備されており、我々は2段ベッド2つの4人部屋などに分かれて宿泊。ベッドにはマットレスと枕までついており、思いのほか快適であった。

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写真7: 山小屋の2段ベッド。寝袋に入って休む


<2日目>さらに1,000m上の標高3,720mまでの道のり約11kmを登っていく。富士山とほぼ同じ高さまで来た。岩が剥き出しになり、降雨にも見舞われ、歩きにくさが増してきた。太陽が出ている時と、陰っている時の気温差が10℃くらいはあるが、気温は平均すると15℃程度だろうか。風が吹き、雨が降れば更に寒くなる。この日は休憩も含めて10時間登り続けた。

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写真8: 道のりが険しくなってきた


<3日目>標高3,720m のキャンプ地から4,000m程度まで登って、3,720mのキャンプ地まで下りる、という高地順応をする日である。低酸素の環境にも少しずつ体が慣れ、体を休める時間にもなった。

<4日目>さらに1,000m高い、標高4,720mを目指す。約10 kmを約6時間かけて登る。このあたりは森林限界で、周りには木がほとんどない。そして遠くにキリマンジャロの頂上が見えてきた。

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写真9: 森林限界の景色の中を登り続ける。遠くにキリマンジャロの頂上が見え始める


ここまでの間、幸いにも高山病の症状は全くと言っていいほどにない。ただし、高山病予防薬に利尿作用があるため、夜中に5回、気温0℃の中でトイレに行かなくてはならないのが、多少の試練ではあった。

<5日目>3日目と同じく、日中は高地順応を行った。4720mのキャンプ地から5,000m付近まで登り、また元の4,720mまで下りる。この日の深夜に山頂アタックを開始するため、16時頃に早めの夕食をとり、そのあと22時まで仮眠。そして23時半、山頂へのアタックを開始した。

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写真10: 防寒服を着て山頂アタック開始


<6日目>深夜から早朝にかけて、標高4,720mから頂上まで約3.5kmの道のりを約6時間かけて登っていった。気温は0℃から−5℃程度だろうか。登山を開始して6日目。これまでの疲労がないといえば嘘にはなる。登山計画を立てている段階では正直なところ、登頂できる確率は半分くらいかと考えていたが、毎日登り続けるにつれ、ガイドたちが何度となく連呼してくれていた「ひとつのチーム、ひとつの夢!(One Team One Dream!)」が実現できるかもしれない、という想いが強くなってきた。アタック後半は体力との闘いではあったが、アタックに挑戦したメンバー全員と一緒に登頂でき、喜びを分かち合えた時には感無量であった。山頂ではガイドも一緒に歌を歌って喜んでくれた。後で聞くと、我々が依頼したツアー会社で登頂に成功した85歳はこれまでの最高年齢だとのこと。彼らの献身的なサポートと、同行してくれたメンバーには感謝の思いしかない。また、山頂アタック当日の天候については、おそらく風はそんなには強くなく、雪も降らないだろうと事前にガイドからは聞いていたが、2日前には山頂付近で雪が多く降り、靴につけるアイゼンがないと登れないという情報も入ってきていた。そのため、人数分のアイゼンを準備していた。しかし、この日は風がほとんどなく、雪に降られることもなかった。天候まで見方につけることができ、本当に恵まれた山頂アタックだった。

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写真11: 今回の登頂に携わってくれたメンバーやガイドたちと


「大した野郎ですよ」(池田知也医師からのコメント)
僕が同行する価値は下山の判断をすることで、安全に無事に帰ることを第一に考えていました。なので、山頂アタックの5,400m付近で少し足下がふらつき、眠気を訴えてきた時に下山を検討することを告げました。ただ、会長は高地には強いこともわかっていたし、目の焦点もしっかりしていたので、とにかく一歩一歩登る会長を後ろから見守ることにしました。85歳で登頂を目指すと聞いて、本気でやってやろうとする気概がすごいです。登頂した時には、敬語を忘れさせていただきますと前置きして、「大した野郎ですよ」と思わず会長と握手をしました。それから、笹川会長からは、ネガティブな発言がないですし、泣き言を言いません。なので、登頂を疑わずにずっと行けると思っていたのか、それともどこかで挫折しそうになっていたのかが、わかりません。本音を聞いてみたいですね。

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写真12: 今回の登頂には池田医師(右)の存在は欠かせなかった


「グローバルアピール」2024
最後に、タンザニアのキリマンジャロ入りに先立つ2024年1月31日に、スイスのWHO本部でハンセン病の制圧と差別の撤廃を訴える19回目のグローバル・アピールを発表するとともに、同じ危機感を持つテドロス・アダノムWHO事務局長と共同宣言を発表したことを付け加えておきたい。2006年にスタートしたグローバル・アピールは1月の最終日曜日の世界ハンセン病の日前後に、問題提起とアクションの呼びかけからなる宣言文を発信している。毎年、新たな影響力のある個人や団体をパートナーとして、宣言文に署名し共同発信者となってもらうことで連携を促進し、ハンセン病問題の認知度を高めることを目的としている。

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写真13: テドロスWHO事務局長と共同宣言を発表


(写真:富永夏子)
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