「世界の国旗」
―日本一の専門家 吹浦忠正氏―
吹浦忠正氏は世界の国旗を研究する日本でただ一人の専門家と言っても過言ではない。1964年の東京オリンピック、2022年の東京オリンピック・パラリンピックでも国旗の専門家として大活躍された。
世界の国旗の中には知らぬ間に変更されていることもある。また、三色の横模様の国旗の中には、一見同じでも上下を逆にするだけで国名が異なることもあるので、国旗掲揚はことの他神経を使う。場合によっては国際的なニュースにもなりかねないからだ。
吹浦氏は常に最新の国旗とその歴史を研究されている。著書に「国旗で読む世界史」「国旗で読む世界地図」があり、週刊新潮に「知られざる国旗の世界」を連載中である。
古い友人である彼が「タンザニアの国旗」で私のキリマンシャロ登頂を紹介してくれました。以下、5月23日「週刊新潮」の記事を拝借しました。
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知られざる国旗の世界
吹浦 忠正
国が合併し、国名も国旗も合体したタンザニア 
日本財団の笹川陽平会長(85)が2月に、アフリカの最高峰キリマンジャロ(5895メートル)の頂上に立ち、ライフワークであるハンセン病撲滅を訴えた。会長とはご縁の深い間柄なのに、今更ながら驚きを超え、奇声を発してしまった。なかなか話題に上がらない国だが、この機会にせめて国旗を紹介させていただきたい。
タンザニアは、大陸のタンガニーカと島国ザンジバルが合併してできたことから、国名と国旗も合体した。ザンジバルはスルタン国として1856年から1964年まで存在した国家。1890年以降、英国の保護国であったが、1963年12月10日、スルタンを元首とする立憲君主国として独立した。しかし、わずか1カ月後の64年1月12日にスルタンは亡命、人民共和国となった。さらに、4月27日には、旧ドイツ帝国領を経て英国の保護領となり、61年に独立した大陸部のタンガニーカと合併し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国(現在はタンザニア連合共和国)に。国旗もその時に合体した。
最近、注目されたのは、スワヒリ世界での少年の受難と成長を描く代表作『楽園』(白水社)で知られるアブドゥルラザク・グルナが2021年にノーベル文学賞を受賞したことだ。彼の出身地がザンジバル。翻訳したアフリカ文学の専門家・粟飯原文子法政大学教授は、彼は「1948年、英国保護領のザンジバルで生まれ、67年にイギリスに渡り、英語で執筆を続けた」と朝日新聞の取材に応じている。つまり、ザンジバルが独立と革命と合併を巡る大混乱の時期にこの島国を離れたということだ。
粟飯原教授は「彼の作品にはスワヒリ世界の文化や社会、歴史が濃厚に映し出されている」ともいう。実際に読んでみると、何度か東アフリカのスワヒリ諸国を訪問したことのある私だが、どれだけ理解できたか怪しい。しかし、独自の文化を継承し、歴史を紡いで来たという、他にはない重さと広がりを感じる。国旗はその国を知る第一歩だが、歴史と文学を学ぶきっかけになることは確かだ。