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「能登で頑張る学生たち」―日本財団ボランティアセンター― [2024年05月01日(Wed)]

「能登で頑張る学生たち」
―日本財団ボランティアセンター―

能登半島地震では当初、当局よりボランティアお断りの誤った発表があり、未だに復旧作業が進まない原因はこの発表にあり、現場には少数のボランティアが復旧作業に汗を流している。

正しくは当面は人命救助、道路の復旧、避難所の確保が優先され、ボランティアが必要となった時期にご協力を願いたいので、しばらくお待ちくださいと発表すべきであった。あの発表は説明不足であった。

地震から3ヶ月が経過し、いよいよ被災者家屋の整理や清掃活動が必要になってきたので「日本財団ボランティアセンター」は積極的にボランティア募集の上、現地に派遣している。

ニッポンドットコムの上師野幸徳氏が同行取材された記事を以下の通り拝借しました。


*******************


復旧作業が続く能登半島地震の被災地・石川県珠洲市で、日本財団ボランティアセンターが派遣した学生ボランティアの活動に密着。被災家屋の保全作業や、避難所での足湯の提供で発揮した“若者の力”をリポートする。

今回取材したのは、「日本財団ボランティアセンター」(略称:日本財団ボラセン、東京都港区)が石川県珠洲市に派遣した災害ボランティアの第6陣。3月11日から16日までの活動を前に、まずはオンラインでの顔合わせに参加すると、第5陣から第6陣への学生同士の引き継ぎの中で、印象的な場面があった。
初めて災害支援に向かう男子学生が「被災地で、してはいけないことはありますか?」と聞くと、第5陣の女子学生から「つらい体験を思い出すような質問は避けてほしい。でも、“してはいけないこと”よりも、“してあげたいこと”や“自分に何ができるか”を考えて行動してほしい」とアドバイス。彼女は第1陣にも参加しており、経験を積んだことで、すでに学生をまとめるリーダー的な力を付けていた。

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被災して休業中の民宿「むろや」(珠洲市蛸島町)をベースキャンプとして使わせて
もらう。食事は自炊し、広間で寝袋に入って眠る

日本財団ボラセンのスタッフは発災3日後の1月4日に現地入り。道路の緊急復旧や行方不明者の捜索を手伝いながら情報を収集し、17日からボランティアの派遣を開始した。主に日本財団の災害支援チームや現地で活動するNPOなどをサポートする形で、その時々の被災地のニーズに合わせた活動をしている。
能登半島の北端に位置する珠洲市は、大規模火災が発生した輪島市と並び、最も甚大な被害を受けた地域。市全体で全壊が3千棟以上、半壊が2千500棟にも及ぶ。金沢市など都市部から離れているため、復旧作業は遅れがちで、取材した3月中旬時点では断水・停電が続く地域も多かった。

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蛸島町の倒壊家屋。大きな余震があれば、また道がふさがれてしまいそうだ

第6陣は主に、珠洲市北部の折戸町にある避難所を拠点とするNPO「災害救援レスキューアシスト」と行動を共にした。NPOのベテランスタッフが重機やエンジン工具で家屋保全をする間、学生は室内の清掃、がれきやごみの運び出しに当たった。
「現地で見聞きすることは、ネットやテレビのニュースから伝わってくるものと全く違う」
がれきを運んでいた男子学生の言葉には実感がこもっていた。能登へ入った直後は、押しつぶされた家々があまりに多くて現実味を持てなかったが、被災家屋に入り、日常生活が途絶えた様子を目の当たりにすると、震災の脅威が徐々に胸に迫ってきたという。
外観は損傷が少ない建物も、足を踏み入れるとタンスや食器棚が倒れ、ガラスが散乱している。冬に湿気の多い能登では、調湿機能を持つ土壁が主流。その壁が崩れて土煙が上がり、割れた窓からも潮風に乗って砂が吹き込んでくる。住民からは「全壊・半壊をまぬがれても、ほとんどの家が大きな被害を受けている」と嘆きの声が上がる。

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がれきの撤去や清掃など、特別なスキルが必要ない仕事はいくらでもある

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引率スタッフの「食器棚の中がグチャグチャなままだよ」という指摘に、
慌てて対応する場面も

能登半島では65歳以上の高齢者比率が高く、特に珠洲市では5割を超えている。高齢者だけで暮らす世帯も多く、自力では家の中の片付けすらままならない。

単に倒壊家屋数だけでは伝わらない現地の実情を知り、学生たちは一段と作業に身を入れていく。それでも「災害支援のプロたちと学生6人が力を合わせても、半日がかりで1軒すら片付けられない。住民の皆さんが日常を取り戻すのは、いつになるのだろう…」と、額の汗をぬぐっていた。

現場を指揮したレスキューアシストの川島浩義さんは、「屋根の雨漏りや割れた窓ガラスを放置すれば、家がどんどん傷んでいく。今回は避難中の家主の娘さんから『親が家に戻った時、心の痛みを少しでも減らしてあげたい』との要請を受けた。学生たちには、そうした気持ちを汲み取り、自分で考えて作業してほしい」と語った。

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昼食は屋外で湯を沸かして、カップ麺や菓子で済ませる

第1陣にも参加し、2度目の能登入りとなった女子学生は「前回は避難所での炊き出しや足湯が主な仕事だった。被災地のニーズは刻々と変わっているし、避難所の雰囲気も全然違う」と、再訪の感想を述べた。

仮設住宅の整備が進み、金沢などに設置された「みなし仮設」に移った世帯も多い。発災当初は500人近くいたという避難所でも、取材時には50人程度まで減っていた。ニーズも当然変わっていく中で、「現場ごとにできることを考え、精一杯頑張るだけ」と、慣れない力仕事にも積極的に取り組んでいた。

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重いハンマーを握ってブロック塀を取り壊す

避難生活が長引く中、被災者にとって大きな気掛かりなのが、やはり自宅の状態だ。補助金申請や解体、撤去、建て替えなど問題が山積みなのはもちろん、損傷の少ない建物でも放っておけば傷んでいくし、生活再開に向けた修繕や補強、清掃などが必要だ。

狼煙(のろし)漁港近くの被災家屋では、「家のことが心配で、数日前に金沢のみなし仮設から避難所へ戻って来た」という高齢女性が途方に暮れていた。津波対策のために高台に設けられた避難所と自宅は徒歩10分ほど。それでも足腰の弱った高齢者が行き来するには過酷で、「昨日、足の悪い亭主が家を見に来たけど、帰りは上り坂だから1時間半以上もかかった。車なら2〜3分だけど、こんなことになるとは思ってなかったので、免許を返納してしまった」とため息をつく。

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狼煙町の南に隣接する寺家地区は、4メートルを超える津波に襲われた

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家具が倒れ、土壁が崩れた室内

学生たちが任されたのは、被害の大きかった2階や階段部分などの修復や清掃。タンスや本棚が倒れたため、服や書籍が散らばり、土壁の損傷も激しい。ただ、重機が必要な大きな補修作業はなかったため、徐々に作業に慣れてきた学生たちはてきぱきと動き、半日でほぼ完了した。

家主は「何日もかかるだろうと覚悟していたのに、あっという間に片付けてもらって本当にありがたい。若い子が来てくれて、明るい気分にもなったよ」と感謝していた。

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丁寧に汚れを払ってから棚に戻す

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「ほうきを使うのは久しぶり…」と戸惑いながらも、一生懸命に掃除していた

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経験を積むたびに、たくましい表情になっていく

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