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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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【私の毎日】1月13日(木) [2022年01月13日(Thu)]

1月13日(木)

6:55 財団着

8:00 海野光行 日本財団常務理事

9:00 「60年史」打合せ

11:00 加納雄大 外務省南部アジア部長 

11:30 「メルカリ社との連携」打合せ

13:30 小林正忠 楽天常務執行役員

14:00 小川秀興 日中医学協会理事長

15:00 井手憲文 成田空港高速鉄道(株)社長

16:00 笹川平和財団・投資委員会

「ミャンマーに対する私の覚悟」―夢にみるミャンマー連邦共和国の実現― [2022年01月13日(Thu)]

「ミャンマーに対する私の覚悟」
―夢にみるミャンマー連邦共和国の実現―


この度、ミャンマーに緊急の人道支援としてミャンマーの赤十字を通じて200万回(100万人分)のコロナワクチンを提供した。

私の友人で1988年の騒動のリーダーの1人は話合いでの解決を主張したところ、一部過激派から軍政に傾いたとの批判を受けて生命の保証はないとの脅迫状が届き、現在、家族共々一年以上も身を隠している。先般私がミャンマーを訪問した折、どうしても逢いたいと、家族の反対を押し切って逢いにきてくれた。彼は1988年の民主化騒動と大きく異なるのはSNSの存在だという。無責任な過激派のフェイクニュースが氾濫して国民が冷静な判断が出来ない情況になっており、事態収拾のための話合いを全く認めていないことであると、10数年にわたる厳しい監獄生活を生き延びた彼は嘆いていた。

日本財団は、軍政時代の1970年代から人道支援活動を開始。ハンセン病を制圧させた。しかし、今まだ隠れた患者も存在し、2018年12月12日、首都ネピドーで「ミャンマーハンセン病会議」を開催。アウンサン・スー・チー国家最高顧問も出席され初めて回復者の手を握ってくれた。

スー・チー女史の依頼による家宝である父アウンサン将軍の日本刀は、1年間かけて修復され、現在日本財団が保管している。一日も早い返還を願っているところである。少数民族地域での小学校建設は700校を超えた。この混乱の中でも国内避難民への支援活動は一日として休んだことはない。障がい者の全国組織の設立や盲人のマッサージ教育、紛争や交通事故による負傷者への義手義足の学校建設等々、日本財団は長い軍政時代より人道支援活動に専念してきた。

1948年、ミャンマー独立以来世界最長の73年間もの間の20の少数民族間の紛争は、現在一部は停戦したものの、一日として平和であった日々はない。私は8年間に140回以上、主に少数民族武装勢力との和平実現のため、あるときは毎週のようにミャンマーやタイ国境で活動してきた。ミャンマー国民の悲願である統一ミャンマー連邦実現は、まるで高等数学の解を求める作業のように困難を極めているが、人間が犯したことは人間が解決できると考えている。全国民が渇望するミャンマー連邦共和国の実現に向けて、一人の日本人として人生を捧げる覚悟で今後も精力的に活動を続けて参ります。

※以下は1月9日のNHKニュースより拝借しました。

***************

ミャンマー 日本財団が現地の赤十字にワクチン200万回分寄付

ミャンマー写真@.jpg


 クーデター後の混乱が続くミャンマーで人道支援活動を続けている現地の赤十字社に対して、日本財団が新型コロナウイルスのワクチン200万回分を寄付することになり、9日、最初の配布分が現地に届けられました。

ミャンマー写真A.jpg


 9日朝早く、ミャンマーの最大都市ヤンゴンの国際空港に届けられたのは、インド製の新型コロナウイルスのワクチン100万回分です。

 ミャンマーの紛争問題に長年取り組んでいる日本財団が、現地で人道支援活動を続ける赤十字社に合わせて200万回分を寄付することを決め、9日は空港で引き渡し式が行われました。

 ミャンマーで去年夏に新型コロナウイルスの感染が急拡大した際には、もともとぜい弱だった医療体制が崩壊状態に陥って、多くの人が命を落としています。

 中国やロシア、インドから調達したワクチンの接種が進められていますが、感染の再拡大を防ぐためには接種を加速させることが課題になっていて、今回寄付されたワクチンは、今月中に届く見通しとなっている残りの100万回分と合わせ、各地に配布されるということです。

「文芸春秋」―創刊100周年― [2022年01月13日(Thu)]

「文芸春秋」
―創刊100周年―


文芸春秋は1923年、小説家・菊池寛が創業して今年は100周年を迎えた。愛読者の1人として誠にお目出たいことで、心からお祝い申し上げます。

100周年記念大型企画として「100年の100人」が企画され、多くの有名人の中に亡父・笹川良一も選ばれました。

この新年特別号は是非読んでほしいと思います。文芸春秋のご了解なく、下記の通り掲載しました。どうぞご寛恕願いたいものです。


笹川良一

日本財団会長 笹川陽平
“昭和政財界の大物”笹川良一(1899〜1995)は、ハンセン病撲滅運動をはじめ、社会貢献活動に人生を捧げたことでも知られる。息子で日本財団会長の笹川陽平氏が、父の生きざまを語る。

冬場でもきまって水風呂

 父の衝撃的な映像があります。1983年にネパール山麓のコカナ療養所を訪ねた時のこと。最愛の母親や弟を亡くしても泣かなかった男が、重いハンセン病に苦しむ女性の手を握り、人目もはばからずに泣きじゃくっている。父は弱者や困っているに人に本当に優しい人でした。

 生まれは大阪の豊川村(現箕面市)。小学校の同級生には文豪・川端康成もいた。二人の祖父が碁敵でよく一緒に遊んだそうです。川端もハンセン病への理解があり、北条民雄が自身のハンセン病体験を綴った『いのちの初夜』(1936年)の「文學界」掲載に尽力したそうです。

 世のため人のために尽くした父でしたから、身内には厳しかった。水道の無駄使いをするなと、お風呂は必ず二人一組で入る。父は冬場の風呂でもきまって水風呂に入るから、一緒に入る時はつらかった(笑)。

 「現場に問題と解決がある」
 私の哲学である現場主義は父の生き方そのものでした。

 父は20代の頃、民本主義で有名な吉野作造にアポなしで面会。東京市長の後藤新平を紹介してほしいと頼んだところ、吉野は「君ならば私の紹介なしで会えるよ」と、やんわり断りながらも、父に内緒で後藤に「見込みのある青年だから是非会ってやって欲しい」と手紙を書き、父の情熱を高く評価していました。

 戦後は、ハンセン病患者の救済活動以外に、日本傷痍軍人会の会長として元兵士や戦争で夫を亡くした妻の支援に奔走。がん研究会の付属病院に行けば、病棟の最上階から全ての病室を回って末期がんの患者を元気づけ、なじみの料理屋の女中が入院すればすぐに病院に駆けつけた。

 彼の生き方を引き継いだ私は、ハンセン病制圧のためにこれまで世界70カ国を回りました。彼のことを思い返すたびに、社会のために生きるんだと、今も奮い立たされます。

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