一投票こそ国民の第一の「義務」だ―
産経新聞【正論】
2021年10月28日
「言論の府」たる国会の低迷が指摘されて久しい。わが国の国政選挙における投票率の低さ、とりわけ若者の投票率の低さの一因は低調な国会論議にあると思う。国を支える若者の投票率の低さは国の将来を危うくしかねない。高い投票率こそ国会、ひいては政治の力を強くする。31日に投開票が行われる衆院選に一人でも多く参加されるよう訴える。
世界でも低い日本の投票率 近年、わが国の国政選挙の投票率は低下傾向にある。平成29年の前回衆院選も53.68%と戦後2番目の低さだった。28年から4年間を対象とした経済協力開発機構(OECD)の調査でも、日本は加盟38カ国中34位と低位に位置している。中でも若者の投票率の低さが目立ち、28年の改正公職選挙法の施行で選挙権が18歳に引き下げられたのに伴い注目された10代の投票率も40.49%と極めて低い数字に留まった。
日本財団が一昨年秋、米英両国や中国、インドなど計9カ国の17〜19歳各1000人を対象に実施した意識調査で、「自分で国や社会を変えられると思う」と答えた日本の若者は18.3%、日本に次いで低かった韓国の半分以下だった。さらに自国の将来について「良くなる」と答えた若者は9.6%と突出した最下位だった。逆に「悪くなる」の回答は4倍の37.9%に上り、戦後、平和憲法の下、豊かで安全な社会を築いてきた日本で「なぜ?」といった衝撃を呼んだ。
近年の格差の拡大など様々な要因があろう。筆者は、世の中がどのような方向に進み、それに対して、自分がどう向き合い、何をすべきか、若者に迷いがあるのが一番の原因と思う。その象徴が国と地方を合わせ国内総生産(GDP)の2.2倍、約1200兆円に上る長期債務(借金)の存在だ。『文芸春秋』11月号に財務省の矢野康治事務次官が「このままでは国家財政は破綻する」の一文を寄せ、衆院選の主要テーマの一つともなっている。
危険水域まで膨らんだ国の借金は、選挙のたびに与野党が聞こえの良い公約をバラマキ合った結果である。関連して国民の間に、責任よりも権利意識が肥大化する悪しき傾向も生んだ。各党の公約には子供、若者対策も含まれている。しかし、財源をどう確保し、財政をどう健全化するのか、明確な筋道は示されていない。
結局、そのツケは少子化が進む若者世代に回る。若者の悲観的な将来感、低い投票率の背景には政治に対する期待の薄さがある。政治に対する不信と言ってもいい。そのためにも言論の府である国会が、本来持つべき機能をもっと強化する必要がある。
国会は合意形成を図る場だ 筆者は、国会は与野党が党派を超えて議論を戦わせ、国民にとって何が一番いいのか、合意形成を図る場と考える。与党がまとめた案に不備や問題点があれば野党が指摘し、必要に応じ修正を加え、最終的に国民に最もふさわしい政策にまとめるのが、あるべき姿であり、「反対のための反対」であってはならない。
これは、どの党が政権を取り、どの党が野党になろうと、変わらぬ原則である。国会を活性化するためには、時に党の殻を破り自説を展開する覚悟と気迫を持った政治家がいてもいい。昭和15年の帝国議会衆院本会議で日中戦争を批判する「反軍演説」を行った斎藤隆夫は衆議院議員を除名された。不祥事や汚職で党から除名、あるいは辞職を余儀なくされる議員の姿を見るにつけ、せめて天下国家を論じ国会議員バッジを外すぐらいの気概を持ってほしいと思う。
政治は「言葉の世界」である。論戦は、国民に分かりやすい言葉で、論理を尽くして行われる必要がある。時に、聞くに堪えない感情的な政府批判が先走りするのは感心しない。衆参両院はともに規則で「議員は、議院の品位を重んじなければならない」と定めている。冷静で内容が濃い品位のある論戦こそ、国民の関心と共感を得られる。
国会論議活性化が喫緊の課題 パンデミック(世界的大流行)となった新型コロナウイルス禍では、わが国に限らず世界の国々が国民の生活から産業基盤まで大きく傷付いた。ポストコロナの社会づくりは決して容易ではない。国民に新たな負担や我慢を求めざるを得ない事態も出てこよう。それに備える上でも政治に対する信頼が欠かせない。
政治の活性化には、以前、本欄で触れたように議員数や二院制の在り方など多くの問題があるが、何よりも国会論議の活性化が喫緊の課題と考える。投票率は政治に対する国民の期待の指標である。高い投票率は期待値の高さを示し、その分、当選した議員の責任は増し、国会論議の活性化も期待できよう。同時に日本の政治も強靭になる。
そのためにも一人でも多くの有権者、とりわけ次代を担う若い人たちが積極的に投票されるよう望む。投票は権利であると同時に国民の第一の『義務』である。
(ささかわ ようへい)