―万難排し「オリ・パラ」の開催を!―
産経新聞【正論】
2021年3月18日
東京五輪の開催が4カ月後に迫った。パンデミック(世界的大流行)となった新型コロナウイルスの収束が見えない現状での開催に消極的な意見があることは承知している。しかし、そうした困難な時だからこそ万難を排し、予定通り東京五輪・パラリンピック(オリ・パラ)を開催すべきだと考える。
≪影を落とす先行き不透明感≫ 近代五輪は1896年の第1回・アテネ大会以来、冬季五輪を含め計5回、戦争が理由で中止されている。延期は長い五輪の歴史で今回が初めて。東京五輪は7月23日、パラリンピックは8月24日に開幕の予定。3月25日に聖火リレーが福島県をスタートする段取りだ。
東京五輪をめぐる議論は観客を減らし開催、延期、中止など、まとまりがないまま拡散している。主要メディアの世論調査では「中止すべきだ」「再延期すべきだ」が60%を超え、コロナ禍の先行き不透明感が影を落としている。
政府や大会組織委員会は海外客の受け入れを断念する方針を固めたと伝えられるが、各競技会場の観客の扱いやアスリート、役員らの感染防止対策など、早急に決断しなければならない課題が山積している。そうした事情を踏まえた上で、仮に無観客であってもなお、オリ・パラを開催することに大きな意味がある。
プロ野球、サッカーJリーグで開催方法が試行されており、2月、大坂なおみ選手が優勝したテニスの全豪オープンは周到な準備の上で開催され、大きな成功を収めた。日本人の英知を結集しPCR検査などを徹底すれば、感染防止はそれなりに可能と確信する。日本財団では首都圏の高齢者施設を対象に大規模な無料PCR検査に取り組んでおり、組織委から要請があれば、いつでも協力させてもらうことが可能だ。
≪広がる自国第一主義に対処≫ 筆者が五輪開催をあえて声高に主張するのは以下の理由による。第一はポストコロナの混乱の中で米国のトランプ前政権時代から世界に急速に広がる自国第一主義と向き合うには、国際社会が連帯と協調の必要性を相互に確認し合う場が必要で、五輪こそ最もそれにふさわしい。フランスのマクロン大統領はコロナ禍を「戦争」に見立て国民に協力を呼び掛けた。各国とも感染封じ込めに向け経済活動の縮小・停止を余儀なくされ、世界経済は大きく後退した。
世界銀行は昨年6月、先の大戦以来、最悪の景気後退に陥るとの見通しを発表している。経済協力開発機構(OECD)も、赤字国債の発行で加盟37カ国の政府債務残高が急増し、21年には新型コロナ流行前の19年より約30%増加、総額で61兆ドル(約6600兆円)に達するとしている。国内総生産(GDP)の2倍を超す日本は別格にしても、政府債務残高の全加盟国平均がGDPの92.1%にも上るのは異常である。
1918年から翌年にかけ猛威を振るい、世界で4千万人以上が死亡したとされるスペイン風邪で列強各国は自国の利益を追求する道を選び、対立の拡大が第二次大戦にもつながった。コロナ禍でも自国優先主義、排外主義が急速に広がりつつある。開催国日本が各国と協力して、困難な中での五輪を成功させることが、国際社会の連帯を育むことになる。それが開催国の責任であり、日本開催に賛同してくれた各国に対する義務でもある。
中でもパラリンピックは、誰もが共に暮らす「共生社会」実現に向けた世界の動きとの関係で意義を持つ。日本財団は設立当初から事業の柱の一つに障害者が参画する共生社会の実現を掲げ、その一環として2015年に「日本財団パラリンピックサポートセンター」を設け、競技団体への支援を続けている。
≪パンデミックと戦った証しに≫ 未曽有のコロナ禍の中での東京パラリンピックの開催は、共生社会の在り方を世界に訴える力を持つ。12年のロンドン大会では「パラリンピックの成功なくして五輪の成功なし」と言われた。東京大会はこの成果をさらに発展させる好機である。誰もが参加するインクルーシブな社会の実現だけでなく、国際社会の連帯にも確実につながるはずだ。パラリンピックの開催は、コロナ禍が世界に拡散する中で急速に悪化している障害者や女性を取り巻く環境の改善を国際社会に訴える力にもなる。
「平和の祭典」と呼ばれる五輪は平和な時代に行われるのがふさわしい。しかし、世界が手を結びコロナ禍を乗り越えて開催すれば、その意義は一層、大きくなる。日本だけでなく世界を勇気づけ、人類が手を結んでパンデミックと勇敢に戦った証しとして歴史にも刻まれよう。
オリ・パラは国の総力を挙げて成功させるべきである。それにより日本の英知や団結力、責任感に対する国際社会の評価も上がり、わが国に対する信頼も増そう。そうした取り組みは、近代五輪の父、ピエール・ド・クーベルタン男爵が五輪のあるべき姿を提唱したオリンピズムにもつながると考える。
(ささかわ ようへい)