CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2020年02月 | Main | 2020年04月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2020年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
【私の毎日】3月2日(月) [2020年03月02日(Mon)]
3月2日(月)

8:40 羽田空港着

9:45 羽田発

11:35 福岡着

12:20 西日本新聞着

13:00 遺言・遺贈寄付セミナー&相談会 挨拶

unnamed.jpg
遺贈寄付セミナーで挨拶


13:20 柴田建哉 西日本新聞社長

14:00 高島宗一郎 福岡市長

14:45 福岡空港着

15:30 福岡発

17:10 羽田着

「私の生き方?」―インドで出版記念会― [2020年03月02日(Mon)]
「私の生き方?」
―インドで出版記念会―

2020年1月30日
於:Pravasi Bhartiya Kendra

驚きました。このように著名な方々に集まっていただきお祝いいただけるとは思っていませんでした。ジャイシャンカール外務大臣を初め、インド政財界の要路の方々にお越しいただいたことに、改めて感謝申し上げます。

ハンセン病は世界的な問題であることから、私の同僚である田南顧問からの強い推薦と努力で、英国のハースト社から『No Matter Where the Journey Takes Me』の出版の要請がありました。大変光栄なことに、世界的に有名な「Nature」という科学雑誌にたまたま私の本の書評が取り上げられるという幸運に恵まれ評価を受けるようになったということは、望外のことでした。

私は日本で10冊以上刊行していますが、一度も出版記念会を行ったことはありません。しかし今回は、ササカワ・インド・ハンセン病財団・タルン・ダース会長のご努力でこのような会となりました。

8出版記念式典.JPG


私は若い時から、自分の人生をどのように生きるべきかを悩み、苦しみもだえてきました。しかし多少商売感覚があり、今でいうIT産業のはしりのような仕事を32歳のときに始めたことで、40歳の時には若干の財産を形成するに至ったわけです。

私の父は人道活動をずっとやってきており、特にハンセン病や弱者に対する思いは強く、正義感の強い人でした。時間のある限り父に同行して海外に行ったわけですが、韓国でハンセン病の病院がなく困っているという話を聞きつけ、病院を建設し、その開所式に同行したときの事です。

私はそれまで、ハンセン病患者の病室に入ったことがありませんでした。ハンセン病特有の臭いや体の変形した重症な人が収容されている病室で、父はごく自然に彼らの手を握り、ハグをして涙を流すという場面を目にしました。そこにいた方々は、韓国内の厳しい偏見や差別から家族からも捨てられ、ようやく病院にたどり着いた人ばかりでした。ベッドの上に座わり、ほとんど表情のない絶望感にとらわれた人達を見て、私は自分の生きている社会の中にこういう環境の人がいるのだと、その時初めて知りました。

父は、辛い、困った、疲れた、どうしようといった類の弱音を口にしたことは一度もありません。自身の両親がなくなった時でも涙すら流さなかった心の強い人でしたが、ハンセン病患者を抱きしめながら涙を流す父の姿を初めて目にしました。

私は先ほど申し上げたとおり、人生如何に生きるべきかと悩み苦しみ、事業で成功はしておりましたが、父の涙を見たときに、私の人生はこの仕事だと気がついたのです。

私は40歳で全てのビジネスをやめ、父の人道活動の世界に入りました。この地球上にたった1回の生きる機会を得て生まれてきた私が、どのような人生を過ごすかということは、私にとって大問題でした。その時から、私は死を意識しながら人生を歩むようになりました。人生の最後をどのように心豊かに死ねるか、死にたい。もっとこうやっておけばよかったとう悔いの残らない人生を歩みたいと覚悟したわけです。

シェイクスピアの戯曲に「終わりよければ全てよし」という言葉がありますが、時の権力者、大金持ち、あらゆる人間にとって死は絶対的な平等であり、当然のことながら、全ての人は最後は死ぬのです。どんな権力者であっても死ぬ間際が不幸だったら、その人の人生はその人にとって幸せだったのでしょうか。大成功して大金持ちになったとしても、死ぬ間際に家族といさかいが起きたり、もう少し社会のために尽くせばよかったといった反省があったのなら、その人の人生は幸せだったといえるでしょうか。

従いまして、私は死ぬために、死ぬ準備のために毎日働かせてもらっています。シェイクスピアの「終わりよければ全てよし」ではありませんが、よく頑張った、幸せな人生であったと、終末には思いながら臨終を迎えたいのです。どんな苦難があろうとも、私の人生は幸せだったと自身が納得できる死に方をしたいと考えています。

日本では「知識を持った人は行動をすべき」「行動するためには知識は必要だ」、行動と知識が一致する「知行合一」の人生こそ重要だという考え方が存在してきました。ともすれば、民主主義の時代、悪い言葉では口舌の徒という、口と舌だけで生きる人が多くいます。知識を持ったら行動を起こす、行動と知識を一致させる「知行合一」が私の人生の基本的な考えです。

そのためには、現場には問題点と答えがある。冷暖房の効いた快適な事務所で、部下から上がってくる報告だけを見て問題が解決出来るとは思えません。私自身の目で最前線の現場をみることで問題点が明らかにされ、解決策が出てくると考えるのが、私の生き方です。

その一部がこの本の中に書かれておりますので、もしお読みいただければ大変有難いことですが、何よりもハンセン病患者、回復者の皆さんと会うことによって、私の人生が心豊かなものになり、充実した人生を今、歩ませて頂いております。まだ81歳の青年ですから、これからも世界中を飛びまわり、ハンセン病の患者・回復者と共に歩むことができるということが、私にとって素晴らしい人生になりつつあります。改めてハンセン病患者との出会いに感謝申し上げたいと思います。

ありがとう。



| 次へ