「私の写真館」その3
―マザー・テレサ―
一枚の写真は10万語にも優る説得力があるという。
マザー・テレサとの出会いは、1984年2月20日、インドのニューデリーで開催された「国際ハンセン病学会」に亡父・良一に同行して出席したときである。議場ではインディラ・ガンディー首相が目立った存在であった。
会議終了後、マザーが修道服に身を包んで小柄な身体をうつむき加減に多くの出席者と共に会場を出てきたところで紀伊国献三・笹川記念保健協力財団常務理事(当時)が自己紹介すると、デリー郊外のハンセン病施設に案内したいとのことで、亡父・良一、紀伊国氏と私の三人が訪れることになった。
インドにしては小じんまりした清潔な病院で、手術室でマザーのお祈りに合わせて合掌した。その後、ハンセン病制圧活動を共に行いたいと率直に申し出たが、マザーが創設された「神の愛の宣教協会」は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人や誰からも世話をされない人のため」に働くことが目的で、ハンセン病はその活動の一部との答えで、積極的な返答が得られなかった。マザーの激務を考えると当然の答えではあるが、私が世界のハンセン病制圧とその患者、回復者とその家族への偏見と差別を撤廃させる活動に苦闘している現在、あのマザーとの邂逅(かいこう)で彼女の協力を得られていたら世界のハンセン病の状況は劇的に変わっていたのではなかろうかと、若干、悔悟もある。しかし、マザーの言葉は逆に私に解決への情熱に火をつけてくれたともいえる。
その後、東京にお出でになった折、マザーとハンセン病に理解の深かったヨハネ・パウロ二世教皇と亡父・良一で、ハンセン病についての三者会談に同意されていたが、実現の前に昇天された。
マザーは二度の奇跡の結果、2016年、聖人に列せられた。