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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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5月31日(水) [2017年05月31日(Wed)]

5月31日(水)

7:20 財団着

8:30 財団発

8:50 羽田空港着

9:40 羽田発

11:00 鳥取着

11:40 鳥取県×日本財団共同プロジェクト顧問団との昼食会

13:00 鳥取県×日本財団共同プロジェクト顧問団会議

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開会の挨拶
右は平井伸治知事

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様々な意見交換の場となりました

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各市町村長らが出席


14:45 障がい者が活躍してするアッセンブリー事業共同記者会見

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共同記者会見


15:40 リアルマック視察(買い物難民のためのカーゴ・マルシェ)

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買い物に出かけることが困難な方のために
三輪車に野菜などを積んで回るカーゴ・マルシェ


17:00 関係者との夕食

18:00 鳥取空港着

18:30 鳥取発

20:00 羽田着


「ハンセン病制圧活動記」その40―患者数が世界3番目のインドネシアを訪問− [2017年05月31日(Wed)]

「ハンセン病制圧活動記」その40
―患者数が世界3番目のインドネシアを訪問−


巴久光明園機関誌『楓』
2017年3月4日号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


 2016年12月12日から18日にかけて、インドネシアの首都ジャカルタ、西スマトラ州の州都パダン市、ジャワ島のスバン県、古都スラカルタ市(ソロ)を訪問した。インドネシアを訪問するのは今年2回目で合計すると16回目となる。

 インドネシアは2000年に世界保健機関(WHO)の制圧目標(人口1万人に1人未満になること)は達成したが、新規の患者数は毎年16,000〜19,000人の間を推移している。この数はインド、ブラジルに次いで世界3番目で、東南アジア諸国連合(ASEAN)の中では突出して多い。また、国レベルでの制圧は達成されたものの、ここ数年は患者数が減ることはなく、州ごとに見ると全34州のうち12州が制圧の数字を達成していない蔓延地域である。その理由は、アクセスが悪い島々に分散している州が多いことと、地方分権が進んでいることから、地方自治体ごとの首長の理解を得る必要があるためで、医療活動が思うように進まないのである。

 本格的な活動に入る前に、まずジャカルタにあるWHO事務所を訪問し、現状報告を受けた。HOの事務所には、ジハネ・タウィラWHOインドネシア代表を始め保健省の担当官も集まっていた。私はハンセン病担当官のリタ氏に政府の今年度のハンセン病対策予算について質問したところ、地方行政に任されており、正確なハンセン病の予算はわからないとのことであった。地方へ出張に行く予算をとることも難しいという。来年度は予算を必要なことに使ってもらうため各州の知事に会いに行きたいと申し出たところ、是非お願いしたいとのことであった。

@WHO代表のタワラ氏.JPG
WHO代表のタウィ氏


 WHOでの報告を受けた後にそのまま飛行機で2時間、ジャワ島の西隣の西スマトラ州のパダン市に移動した。スマトラ島は日本よりも面積の大きい巨大な島で、12月7日に大きな地震があったばかりだったが、スマトラから離れたパダンは大きな混乱はないようであった。インドネシアにはさまざまな民族が暮らす。この地域に住むのはパダン人(ミナンカバウ人)という民族だ。辛い郷土料理が有名で、世界でもあまり類を見ない「母系社会」である。「母系社会」とは「ある一族の系統が父から息子にではなく、母から娘へと受け継がれていく社会」のことを言い、結婚するときに男性側が女性側の家に入ったり(日本で言うと婿養子のような形)、母親側の姓を受け継いだり、財産は娘が相続したりすることが一般的だそうだ。移動を終えるとすでに日が沈んでおり、この日は飛行場から宿舎へ移動するのみで終えた。

 インドネシアは総じて朝が早い。翌日は朝8時から、パダン市で行われた西スマトラ州のハンセン病啓発会合に参加した。会議の中心となるナスルール・アビッド西スマトラ州副知事や保健局長らは男性だが、他の参加者に女性の姿が多いことが印象的だった。通常、同様の会合では圧倒的に男性が多いのだが、これも母系社会ということが関係しているのだろうか。
さて、会合の中で興味深かったことは、州の保健局がバイクタクシーの運転手を教育して啓発活動に参加させていることである。様々な場所でハンセン病に関する知識を広め、モスク(イスラム教寺院)や婦人会でキャンペーンを行う活動を展開しているとのことである。インプットという、早期発見の活動や精神的なダメージから回復するためのアドバイスなどを行う回復者団体についての紹介もあった。

Aハンセン病の啓発会合.JPG
啓発会合にてあいさつ


 会議場を後にし、次は最も新規患者数が多いパダン・パリアマン県に向かう。同県のエナム・リンクン保健所に到着すると、ハンセン病回復者や保健従事者ら約100人が我々の到着を待っていた。この時期のインドネシアは雨季だが、この日は快晴で、眩いくらいの青空だ。私は到着後早々にあいさつの機会をいただいた。「1人ではわずかなことしかできないかもしれない。しかし、束になれば大きなうねりとなる。回復者団体のペルマータやインプットと共に、権利や尊厳を主張していきましょう」と主にハンセン病回復者へ向けてメッセージを送った。

 この日、保健所では回復者たちによるセルフケア活動が行われていた。自分では後遺症で傷となった箇所が見えない場合もあるため、お互いの傷をチェックしあうというものだ。その中の男性の1人は、視力が低下し、指の後遺症が重かったが、手術をしたおかげで両方とも快方に向かっていると、嬉しそうに語ってくれた。手術の支援をしたのは、バスナスという財団だという。詳しく聞いてみると、同財団は住民の寄付機関で、国家公務員の2.5%を給料から天引きして集めたお金で運営されているとのこと。審査部があり、使途が明確であるために国民から信頼を得ている団体だという。西スマトラ州だけで500億ルピア(約5億円)の予算がある。大変素晴らしい制度で、日本でもこれを見習って寄付の文化を根付かせていただきたいものだ。

B手術をして指が伸びるようになったと喜ぶ男性.JPG
手術をして指が伸びるようになったと喜ぶ男性


 この話しを聞いて、昼食をとったレストランの入り口には、教育、子ども、老人、災害などとジャンル分けされた寄付箱が何箱もあったことを思い出した。同国は日本よりもよっぽど寄付文化が進んでいるのかもしれない。

 翌日はジャカルタに戻り、WHOが主催する世界各国の専門家が集まった戦略報告会に出席した。報告会の内容は、2020年までの5年間でインドネシア全州のハンセン病とイチゴ腫を同時に発見して制圧するというものだ。様々な戦略を立てて病気を制圧しようという関係者たちの熱意に、私もハンセン病の病気を制圧するために必要であれば1年に何度でもこの地に戻ってくることを約束した。

 モエロ・エク保健大臣との面談では、大臣から「制圧未達成の12州に対し、コミュニティを巻き込むとともに、家族に着目したアプローチを行っている」との発言をいただく。それに対して私からは「ぜひペルマータという回復者団体と連携してハンセン病対策活動を推進していってもらいたい。20年までに州県レベルで制圧をするという高い目標をお手伝いしたく、来年は年に何度でもこの地に戻ってくる」と決意を伝えたところ、大臣は私と共に地方を回ることを約束してくれたのである。

Cモエロエク保健大臣にハンセン病活動に対する更なる協力を要請.JPG
モエロエク保健大臣にハンセン病活動に対する更なる協力を要請


 ジャカルタに滞在している機会を利用して、インドネシアで最も大きいイスラム教の宗教団体の一つであるムハマディアの事務所を訪問し、副会長のマークス医師と面談した。同国は国民2億5,500万人(2015年)の約88%がイスラム教を信仰する世界最大のイスラム教国である。ムハマディアは学校教育を思想の柱としていることから、同国最大の私立学校ネットワークを持ち、幼稚園から大学まで含めた校数は1万以上あり、信者は約3,000万人いる。私は同教団の信者に対しハンセン病の正しい知識を広めていただくようお願いしたところ、マークス医師は快く協力を承諾してくれた。

 次の日はジャカルタを朝6時に出発し、西ジャワ州のスバン県に車で4時間かけて移動した。スバン県のハンセン病状況を把握するためである。この日もインドネシアの空は快晴で、青空と南国の青々とした木々のコントラストが美しい。しかし大渋滞の高速道路はクラクションが鳴り響き急ブレーキが掛かる。同行者の中には車酔いで気分が悪くなる者もいたが、私にとっては絶好の読書の時間でもある。インドネシアの渋滞の道路に私はすっかり慣れてしまった。

 景色を眺めながら、たまに読書をしていると、あっという間に人口10万人のスバン県に到着した。同県のハンセン病の状況についてはアフマドラ保健局長から説明を受けた。スバン県は西ジャワ州で特に患者の多い県で、医療従事者の不足と予防対策のための資金不足で患者発見活動が活発ではないとのことである。様々な苦労が見て取れるが、私からは激励の意味を込めて「世界の現場には、医者も、道具も、予算もないところが沢山ある。しかし、そういうところでも患者が激減している事例がある。もちろん経費はある程度は必要だが、一人一人が情熱を持って病気をなくすために努力をすれば、制圧することはできるはずである」と訴えた。

 私の到着に合わせて何人かのハンセン病回復者が集まってくれていた。その中のひとり、ユディさんという小柄な青年は、病気になって差別を受けたと感じたことはなかったが、自分に自信がなくなり、人と話すことが怖くなったという。徐々に自分の中の殻をやぶり、いまでは同じ病気の人のサポートをしているという。ユディさんのように殻をやぶって社会に戻れた人の話を聞けるとほっとするが、ハンセン病になった多くの人が自らを否定してしまうケースが少なくないのである。

Dユディ氏の自宅前にて.JPG
ユディ氏の自宅前にて


 最終日は6時にホテルを出発し、再びジャカルタを出て飛行機で1時間のジャワ島中部のソロに向かった。たまたま私の訪問と同じ時期に、ハンセン病回復者組織ペルマータの研修が行われていたので帰国の前に立ち寄ることにしたのである。私が到着した時は、3つの州にある27支部のリーダーたちが集まり、啓発、経済自立、教育などの活動について意見交換や報告を行っているところだった。若いリーダーが多く、活発な活動を行っているこの団体は、全インドネシアに3,000人の会員がいるという。私は「若く力強い団体に成長するところを見ることができとても嬉しい。1本の糸は弱いが10本の糸になれば強くなるように、みなさんの力を終結すれば大きな力になる」と激励した。

 世界で3番目にハンセン病患者の多いインドネシア。2020年に向けて州レベルでの病気の制圧を達成し、1人でも多くの人がハンセン病に対する正しい知識を持ち、偏見や差別のない社会を実現するために、私は各地を回って状況改善のために何度でもこの地に戻ってくることを硬く心に決めてインドネシアを後にした。

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