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笹川 陽平
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11月7日(月) [2016年11月07日(Mon)]
11月7日(月)

7:20 財団着

8:30 国内事業開発・年度内事業打合せ

9:00 財団発

10:00 子どもの貧困対策プロジェクトの拠点、戸田市内の施設訪問

13:00 森 喜朗 東京オリンピック・パラリンピック競技大会会長

14:30 天城 一 社会貢献支援財団専務理事

15:00 世界海事大学(WMU)今年度日本人卒業生

15:30 岡田光豊 東京MOU事務局顧問

19:25 カザフスタン ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領歓迎晩餐会 於:総理公邸

21:00 ミャンマー チョウ・ウィン計画財務大臣
「フジモリ元大統領のお見舞い」 [2016年11月07日(Mon)]
「フジモリ元大統領のお見舞い」


エクアドルの首都キトでの活動を終え、早朝4時30分にホテルを出発して隣国ペルーへ。午後12時過ぎ、フジモリ元ペルー大統領と収監中の施設で4年振りの面会となった。以前より監視が厳しく居住場所も狭くなってはいたが、予想以上に元気な様子で安堵した。

フジモリ氏の似顔絵.jpg
同行のカメラマン、富永夏子が描いたフジモリさん
絵の才能もなかなかでしょ

私の来訪を待っていたかのように、テーブルにはアマゾンで取れたヒラメのような型の淡水魚が並べてあった。

「娘のケイコは大統領選挙で3万数千票の差で惜敗したが、政治とは何かを知る上で良い経験となった。次は勝利するだろう」と目を細めた。ペルーの議会は一院制で定員は130人。その内ケイコがリーダーの党は72人の過半数を握る最大政党である。しかし、1人も大臣を出していない理由を尋ねると「全ては大統領権限で決定される国柄で仕方がないが、国会審議では大きな力がある」と説明していた。今回の大統領選挙ではフジモリ派が多い軍人と警察官の投票権がなぜか剥奪されたため、惜敗したという。「なぜ民主主義国家でそのようなことが出来るか」との質問の答えは要領を得なかった。

同席したケイコの弟のケンジは、首都リマで最大の人気を誇る政治家だが、父親の前では遠慮してか寡黙で、とても人気抜群の印象ではなかった。しかし、こまめに弱者の救済活動を行って着々と政治家としての経験を積んでいるようで、一度は演説を聴いてみたいものである。

ケイコは現在41歳。既に次回の選挙を目指して全国遊説を開始しているという。第1回の大統領選挙の時は弱冠31歳であった。5年後の選挙は46歳、ケンジは41歳である。それまではなんとしてもフジモリ氏に生きていてもらいたいものである。

日本亡命中、富士山麓の私の山荘で、親子三人が夜遅くまで語り合っていた頃から既に10数年の年月が流れた。収容されて9年、フジモリ氏は当年78歳である。

何故、私との話合いの結果を無視して私の海外旅行中に突然出国したのか? 誰と相談したのか? チャーター機の費用は誰が出したのか? あなたも私の考えに同意して喜んでくれた帰国ルートとなぜ違ったのか? 等々、聞くべき話は色々あったが、2人だけの場所ではなかったので遠慮した。

日本への亡命理由は「モンテシノス陣営からの暗殺の危機が迫ったためで、メキシコ経由の理由は、複雑な事情を考えた上でのことで」と口籠もったまま話題を変え、「今、メモアールを書いています。半分は書いたので今年中に完了して来春にはスペイン語で、初版3万部で出版する約束ができています」と、和やかな顔になって話し出した。「勿論女のことも書くんでしょうね?」とちゃちゃを入れると、「それは別の機会でしょう」と逃げたので、「ところで、あなたと結婚したという日本女性はどうなったの?」と追い討ちをかけると、「全く関係ありません。連絡もありません」と素っ気無い返事で、思い出したくもない風情であった。

収容所でのバラの栽培趣味もなくなったのか、鶏の親子が飛び歩いていた。又逢いましょう」とお互い軽く手を上げて門を出ると、重い鉄の扉のガチャーンと閉まる冷めたい音が轟いた。

4年前に比べ、リマの交通渋滞は激しくなっていた。帰路、日系人会館で丸井元会長や幹部の皆さんが歓迎夕食会を催してくださった。実は、4年前にペルー滞在中に心臓に異常をきたし、日本財団が支援した日系人病院のリカルド博士の執刀でペースメーカーを装着して以来の訪問であった。日本財団は海外の日系人協会を支援することが一つの柱の事業であるが、ペルー日系人協会は元スポーツ大臣も勤めた丸井ヘラルド氏を中心に最も組織のしっかりした団体で、日系人会館、病院を中心に広範囲な社会活動が行われている。

かつて、フジモリ大統領と共に地方の現状視察に訪れた時には、日系人幹部との夕食会に6時間も遅れてしまったのに、全ての幹部が待機してくれていたこともある。当時のお詫びと今回は定刻に出席できたことを話すと大きな笑いが起こり、和やかな雰囲気となった。

リカルド博士は精神科医の夫人と共に出席して下さり、心からの御礼を申し上げる機会を得た。参加者全員の見送りの中、深夜便でリマを立ち、帰国の途についた。

エクアドル、ペルーの旅は、3泊5日であった。
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