「私は77才のベビーシッター」その2
―新生児幹太への授乳騒動―
私のブログはあまり話題もないので私的なブログは少ない。
もともと日本財団の会長として財団活動の透明性と説明責任を果たす一環としてはじめたもので、主に日本財団での活動を毎週月水金の3本をアップして早や11年になる。唯一の特徴は面談した方々の名前、役職も掲載している点であり、これは多分私一人かもしれない。長々としたブログを一方的に送付して多忙な読者にご迷惑を掛けていることもありましょう。どうぞ遠慮なくゴミ箱行きにされるなり、配信の登録解除をして下さい。
ところで久しぶりに8日9日10日の三連休を秋の深まる海抜1200メートルの富士山麓の築後30年の山荘で満喫した。
9日10日とあいにく雨模様であったが、例によって子育てに専心している次男三男四男の夫婦と年長6才から9月14日生まれの幹太まで8人の孫が集まり、16人の集団生活となった。毎日の育児に追われる嫁たちにとって、つかのまの開放感はストレス解消に多少は役立ったのかも知れない。
要するに山荘は臨時託児所の開設となったわけである。小さな騒動が起こった。四男夫婦は生後26日の幹太を含め四人の孫を置いて、何か夫婦面接があるとかで東京へ、夕刻までに帰ると出て行った。幹太の生活は当面、ミルクを飲むことと寝ることである。
目もまだはっきりとは見えないのではなかろうか、例によって私はミルクを飲ませ、背を軽くたたいてゲップをさせたら眠りについた。三時間ほどで目覚め空腹のためか泣き出した。どうしたことか用意されているはずの予備のミルクがないのである。
時の氏神は三男の嫁で生後6ヶ月の娘がおり、まだ授乳期間でおもむろに幹太を抱き上げると別室でたっぷりと乳を提供してくれた。その後早々に三男一家も東京へ。時間が経過し幹太は眠りから覚め、空腹をアピールするのか、泣き出した。次男の嫁が抱いてくれたが泣き止まない。「やはりお腹がすいたのかしら。お乳は出ないが試してみましょうか」とセーターを捲り上げながら別室へ。「ダメでした。やはりお乳が出ないと新生児でもわかるんですね」「有り難う有り難う。親切に感謝するよ。助け合いの精神は我が家の家訓だからね」と私は宜って老妻をちらっと見ながらいった。幹太は泣き止まない。和代(老妻)!!君は四人の息子を立派に育ててくれた。君の深い経験から君の乳房なら泣き止むかもしれないと煽てたところ、昔とった杵柄(きねづか)とばかり、幹太を抱き上げ古希の老妻は真顔で乳房を幹太の口に含ませたようだ。女は偉いと内心思いながらも「梅干○○」なる言葉もある。きっと幹太は横を向くに違いないと思っていたところ、「やっぱり駄目だわ。本当にお腹がすいているのよ。早く帰って来ないかしら!!」と悲しそうな顔をしたのは少しおかしかった。途中、事故があって、すいませんとわびながら飛び込んできた四男の嫁は幹太を抱き上げ一件落着。
住まいは別々でも大家族はいいものです。嫁同士の助け合いも微笑ましい。長い人生、登り坂、下り坂、マ坂もある。いつまでも助け合い、励ましあってほしいものだ。それにしても、生後1ヶ月未満で四人の女性の乳房に触れるとは幸せ者だなあと思いながら、家長たる私はウィスキーのオンザロックを口に運びながら、一時の幸せを感じ、適量を超えてウィスキーをつぎたした。
生後26日で4人の女性の乳房に触れた幸運児幹太!!
一日の終わりは入浴で!!まだ5人の孫がおります。