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12月9日(水) [2015年12月09日(Wed)]

12月9日(水)

11:30 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部 伊原純一大使 

13:00 鳥取プロジェクト 打合せ

13:30 森田文憲 日本文化興隆財団相談役 

14:00 大久保満男 日本歯科医師会前会長

15:00 日本モーターボート選手会 上瀧和則会長から1500万円の寄付

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モーターボート選手会の上瀧和則会長より、全選手から集めた寄付金を受け取る

16:00 評議員会 

18:00 アドバイザリー委員、評議員合同忘年会 

「ミャンマーの総選挙」その1―監視団長として・月遅れの報告― [2015年12月09日(Wed)]

「ミャンマーの総選挙」その1
―監視団長として・月遅れの報告―


50年振りのミャンマーの総選挙。選挙前には「本当に公正な選挙が平穏にできるのか?」との懸念報道も多かったが、懸念を振り払うように選挙は無事終了した。

私は日本政府の選挙監視団の団長として7ヶ所の投票所の事前調査と、選挙中及び開票発表にも立ち会った。「中央選挙管理委員会の委員長は軍人出身なので云々・・・」という事前批判もあったが、外国から1,000人、国内から9,000人の選挙監視団を受け入れ、透明性のある公正・自由な選挙を目指すとの意志表明は現実のものとなった。

投票前日の視察で、ある地域には狭い敷地に4ヶ所の投票所があり「混乱するのでは」との指摘に、「住民に事前説明をしっかりしているので問題ない」と、自信たっぷりであった。

当日、朝6時投票開始前の5時30分に現地に到着したところ、既に100人ほどの住民が開門を待っていた。なるほど、投票が始まるとそれぞれが4ヶ所の決められた投票所にスムーズに入って行く。当局は、午後4時の投票終了時に多量の投票者の来場への対応を心配して、午後4時に敷地内にいる人には投票させるとのことで混乱を回避しようと考えていたようだが、投票所で待っていると、4時頃に来たのはたった1人。投票は平穏に終了した。

開票作業は、日本、オーストラリア、タイ、オランダの監視団と当該地域の立候補者がいる政党関係者立合いのもとで行われた。1票づつ、我々に政党名を読み上げて提示し、それぞれの政党の集計箱に入れられる。同時に黒板に日本なら「正」の字、ミャンマーでは「 」のように四角に斜線を引いた印が5票となり黒板に書き込まれ、最後に各政党の集計箱と黒板の数字が一致しているかどうか確認して終了となる。

そのため、開票が始まり、最初に事前投票された約200票の開票に小一時間もかかる状態であった。透明性のある自由で公正な選挙は、私の見るところ、実に丁寧に静かに行われた。投票率は80%を超え、日本では外国滞在者の投票を認めるのに約60年間もかかったのに比べ、ミャンマーでは50年振りの本格的選挙にもかかわらず、外国滞在者が選挙権を行使できたことは大いに評価すべきことである。

EU、アメリカの監視団も、予想外の整然とした選挙に評価は高かった。それにしても敬虔な仏教国であるミャンマーの僧侶約50万人には選挙権のないことを知らなかった。俗世を離れた存在であるかららしい。ちなみに葬儀には僧侶は出席してくれるが、遺体はその後火葬場で高熱で焼かれて灰になって終わりで、火葬場で処理されてしまい、位牌も戒名も墓すらない。

選挙結果を受けて、アウンサン・スー・チーNLD議長とテイン・セイン大統領、ミン・アウン・フライン国軍司令官、タン・シエ元国家元首との会談も終了。政権移譲手続きは今のところ順調に進みそうである。
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