「ちょっといい話」その57
―ヒラリーとカストロ―
2015年4月11日、バチカンの影からの協力により、59年振りにオバマ大統領とラウル・カストロ大統領(フィデル・カストロの実弟)によるアメリカとキューバの首脳会談が実現し、7月20日、両国の国交は回復した。
1956年、フィデル・カストロはアルゼンチン医師チェ・ゲバラと共にヨット「グラマン号」でキューバに上陸。確か、その時のメンバーは24人ほどであったと記憶するが、マエストラ山中を拠点にゲリラ戦を展開。1959年に革命軍はハバナに入城し、キューバ革命政権が誕生した。
以後、アメリカはキューバとの外交関係を断絶。1962年、ジョン・F・ケネディー大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、経済封鎖を行った。
キューバはアメリカに対抗するためにソ連のミサイルの搬入で、いわゆるキューバ危機が発生したが、米ソの妥協で危機は回避された。
前置きが長くなったが、1998年5月、WHO創立60周年の記念式典で、フィデル・カストロ、ヒラリー・クリントンと私の3名が、WHOへの貢献で表彰されたことがある。

WHOヘルス・フォー・オール金賞受賞
共に受賞したヒラリー夫人と握手
式場の最前列に私、カストロ、ヒラリーと各々3〜4人を間に挟んで着席。カストロは壇上に立って盛んにヒラリーを見下しながら挨拶するも、ヒラリーが壇上を見上げることはなかった。替わってヒラリーが壇上に上がり挨拶したが、目線を落としてカストロの存在を見ることもなく、無視するように挨拶。終了後、退室し、パーティーにも出席しなかった。

カストロ首相と握手
共に受賞した3人で・・・とはいきませんでした
私は第三者として、この冷ややかな様子を興味深く観察させていただいた。カストロは同志である医師チェ・ゲバラの影響かWHOの創設に協力し、以後、発展途上国への医師派遣や医師養成に、今日まで世界レベルで多大な貢献を続けている。東チモールからも600人もの医師志望者がキューバで勉強中であると、ホルタ大統領より直接聞いたことがある。
2008年、ハンセン病の差別撤廃決議案を日本政府が国連人権理事会に提出してくれた折、キューバ代表は人権理事会の実力者であるため、多分、日本政府提案に反対するだろうと予想していたが、訪問して上記のいきさつを説明したところ、意外にも日本政府案の共同提案国になってくれた。
チェ・ゲバラの伝記映画「モーターサイクル・ダイヤリー」では、チェ・ゲバラがオートバイで南米を旅行中、河を渡ってハンセン病患者に会いに行く場面があった。このシーンから私は以後、ハンセン病をオートバイに例えて人々に説明するようになった。即ち、オートバイの前輪は病気を治すこと、後輪は偏見や差別をなくすことで、この車の両輪が等しく動かないとオートバイは走らないし、ハンセン病も真の制圧はないということである。
ヒラリーは現在、次期大統領候補として活動中である。カストロは病気がちであるとも聞いているが、ヒラリーが大統領となり、カストロとの笑顔の握手を是非、見たいものである。