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「ちょっといい話」その46―日本サッカーの恩人はミャンマー人― [2014年08月13日(Wed)]

「ちょっといい話」その46
―日本サッカーの恩人はミャンマー人―


今年60周年を迎える日本・ミャンマー外交関係樹立を記念し、日本財団では、若手職員の発意により、セレッソ大阪とミャンマー・ナショナルチームの試合をヤンゴンで開催した。

両チームの選手と握手し、エールを送る.JPG
両チームの選手と握手、エールを送る


昭和初期、日本のサッカーはミャンマー人のチョー・ディン氏の指導と理論の伝授により、画期的な進歩がもたらされたと言われている。キックやパスの基礎、ショートパスをつないで攻める組織サッカーの技術と戦術を教え、日本サッカーの技術は飛躍的に向上。国際舞台での活躍の基礎を作ってくれた恩人なのである。彼が制作した指導テキスト『How to Play Association Football』は、写真や図を多用した具体的かつ理論的なテキストであったという。日本サッカーの歴史に、ミャンマー人のチョー・ディン氏の功績を忘れることはできない。

民主化と共に急速に人気スポーツになってきたサッカーをミャンマーで行うことは、彼への恩返しの試合となった。

ヤンゴンの競技場には東南アジア競技大会(SEA games)以来過去最高の12,000人の観客が集まってくれた。これにはミャンマーに進出した多くの日本企業や日本人会の協力があり、町中のポスターや看板の設置もボランティアが活躍してくれた。いわば手作りの国際試合の開催であった。

試合が始まるとまばらだった席がこんなに!観客は1万2千人とのこと.JPG
観客は過去最高の12,000人


日本体育大学のチアリーダーによるハーフタイムの演技を見るのは、ミャンマーの観客にははじめての経験で、最初は何事かと思ったのか静まりかえっていたが、ポーズが決まると大きな拍手とどよめきが起こった。「ミャンマーでもチアリーダーを育てましょうよ」とミャンマーサッカー連盟の会長に話したら、「これだけは駄目です。ミャンマーの文化では、女性があのように足を広げることはなかなか受け入れられません」と、きっぱりと断られてしまった。

日体大のチアリーダーたち.JPG
初めて目にする華麗な演技にどよめきが・・・


セレッソ大阪にとっても、クラブチームがナショナルチームと対戦したことは名誉なことであり、こちらから御礼を申し上げたいと、岡野雅夫代表はどこまでも謙虚であった。

日本プロサッカーリーグのチェアマン、村井満さんは、ワールドカップが行われたブラジルから60時間かけて駆けつけてくださった。日本財団職員のアイデアが大きな輪となって拡がり、国民レベルの日本・ミャンマー外交関係樹立60周年の最大イベントと評価されたことは、汗をかいた日本財団職員にとっても満足した結果であったと思う。

また、本イベントの開催にあたり、マッチネーミングスポンサーのヤンマー株式会社をはじめ、多数の日本企業、ミャンマー企業にご協力をいただいた。この試合をきっかけに、両国企業の連携がより進むことを期待したい。

翌日、セレッソ大阪サッカースクールのコーチ陣と財団職員、チャリティマッチ支援企業の担当者はヤンゴン南西部の農村地域イラワジ地区の学校に出向き、子供たちにボールやユニフォームをプレゼントすると同時に、練習も指導してくれたことは、メディアを通して大きく報道された。
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