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笹川 陽平
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6月2日(月) [2014年06月02日(Mon)]
6月2日(月)

7:30 財団着

9:00 辞令交付

9:50 菅 義偉 官房長官

10:20 起業を目指す看護師の研修会・開講式 挨拶

11:00 夢の貯金箱・事業報告書作成・鼎談
    鵜尾雅隆 日本ファンドレイジング協会代表理事
    嵯峨生馬 サービスグラント代表理事

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鵜尾市(右側)と嵯峨氏(左側)


14:00 組織再編打合せ

15:30 福島原発会議打合せ

17:00 起業を目指す看護師の研修会・懇親会

18:00 松岡正剛 編集工学研究所所長
産経新聞【正論】日露交渉で「抑留者」の再提起を [2014年06月02日(Mon)]
日露交渉で「抑留者」の再提起を


産経新聞【正論】
2014年5月29日


 戦後の日ソ、日露交渉を見ていてどうしても納得いかない点がある。ソ連は1945年8月9日、翌春まで有効だった日ソ中立条約を破棄して参戦、旧日本兵ら57万人をシベリア、中央アジアなどに強制抑留し、極寒の地の飢えと重労働で5万5千人(いずれも厚生労働省推計)が命を失った。

 「日本の軍人は武装解除後、本国へ送還させられなければならない」としたポツダム宣言に反し、その非人道性は国際的にも明らかである。

≪「ボタンの掛け違い」≫
 しかし日本政府はソ連国民にその不当性を訴えることも、北方四島返還など一連の交渉でこの問題を取り上げることもしてこなかった。一方で、歴史的根拠が希薄な南京事件や慰安婦問題で有効な反論をしないまま守勢に立つ現状を見ると、自らの主張を控えることで相手の譲歩を引き出す「誤った忖度(そんたく)」や「ボタンの掛け違い」があるような気がする。

 外交は自らの主張が相手国や国際社会に認知されて初めて大きな力を発揮する。ロシア国民の多くがシベリア強制抑留の存在自体を知らない現状では、プーチン大統領が動ける範囲も限られる。

 膠着(こうちゃく)状態を打開するためにも、両国首脳が早い段階でシベリアにある抑留犠牲者の墓に共同参拝するよう提案する。謝罪の意を込め慰霊碑の建設も検討してもらいたい。ロシア国民が問題の重大性を認識し、日本国民の対露不信が和らげば懸案の平和条約締結交渉にも弾みがつく。

 10年ほど前、中央アジア・ウズベキスタンの首都タシケントにあるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場を訪れたことがある。ビザンチン様式の美しいレンガ造りの建物で、壁面のプレートに、ウズベク語と日本語、英語で「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本人が建設に参加し、その完成に貢献した」と書かれていた。

 抑留された日本兵約500人が2年がかりで完成させ、66年にこの地を襲った直下地震で多くの建造物が倒壊する中、無傷で残り、「日本人が作った建物はすごい」と地元の語り草になっている。

 抑留者の最後の帰還は56年。政府は2010年、国の決断を促した前年の京都地裁判決を受け「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(シベリア特措法)をまとめ、ようやく抑留者補償に手を付けた。60年を超す空白が確固たる方針の欠如を物語る。

≪「非人間的な行為に謝罪」≫
 ソ連側に動きがなかったわけではない。ゴルバチョフ大統領(当時)は、歴代指導者では初めて犠牲者に「哀悼」の意を表明。1990年9月、クレムリンでお会いした際、「日本国民の反ソ感情を和らげるためにも日本兵士の墓に花を手向けてほしい」と要請すると、「建設的な意見だ」とその場で同意し、翌春の訪日途中、ハバロフスク郊外の日本人墓地に墓参してくれた。

 エリツィン初代ロシア大統領も93年10月に訪日した折、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明、日本政府も「両国民の和解の基礎を築く」と評価した。しかし、こうした経過は不思議なほど日露両国民に知られておらず、プーチン大統領がこの問題に言及したこともない。

 当のプーチン大統領は首相時代の2010年4月、ポーランド首相とともにロシア西部スモレンスク郊外にあるカチンの森事件の慰霊碑を訪れ、ひざまずき献花した。2万人を超すポーランド将校がソ連軍に殺害されたこの事件、ソ連側は一貫して「ナチス・ドイツの仕業」としてきたが、最後は国を挙げて真相解明を求め続けたポーランドの熱意が勝った。

 これに比べシベリア抑留は最終的な抑留者数など未解明な点が残るもののソ連参戦や強制抑留の不当性に関し争いの余地はない。

 1990年、東京で開かれた抑留関連のシンポジウムで、ソ連側代表のアレクセイ・キリチェンコ氏も昨春発行された「知られざる日露の二百年」(現代思潮新社)で、「北方領土問題よりはるかに深刻」な問題だった、と日本側の姿勢に疑問を投げ掛けている。

≪両国の将来に新たな可能性≫
 ロシアでは近年、バイカル湖以東を中心に人口流出が続き、地下資源の埋蔵地シベリアの人口は最盛期の830万人から600万人に減少し、日本との共同開発に熱い視線を注いでいる。実現すれば日本にとっても資源安全保障が前進し、ロシア沿海地方と北海道に挟まれた海域は“自由な海”として発展する可能性を秘める。

 プーチン大統領は今、ウクライナ問題で国際的にも厳しい立場にある。しかし戦後70年を経て平和条約すら締結できず領土問題に縛られた日露の現状は異常であり、これ以上、放置できない。

 北方四島の返還問題は「返せ」と叫んでいるだけでは前進しない。両首脳が強制抑留の犠牲者に対する参拝を通じて信頼関係を確認し、問題解決に向けた決意を共有してこそ、日露両国の将来に新たな可能性を拓(ひら)く。
(ささかわ ようへい)
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