「翼状片(よくじょうへん)手術」その1
―欲情編ではありません―
筆者の視力は両眼とも1.2で新聞は裸眼でも可能だが、楽なのでメガネを使用している。
ただ、常に眼球が赤く充血しており、面会者からは「お疲れのようですね」といわれることが多い。「私はウサギ歳なので眼が赤いのです」とわけのわからない返答をしていたが、あまり度重なるので診察を受けたところ、「翼状片」と診断された。
「翼状片」は簡単にいうと、黒目に向かって白目が覆っていく病気で、白目の部分が赤く充血するのだという。失明の恐れはないが、あまり人さまに心配をかけるのも如何かと思い、手術することにした。
実は、昨年1月に右目を手術しており、この10日には左眼の手術となった。小1時間で簡単に終了したが、瞬き(まばたき)をすると縫合した部分がゴロゴロして痛く、少々困った。
術後検査の三連休の通院は老妻の運転で行く予定であったが、息子一家が風邪で全員ダウン。二人の孫の世話を頼むとの電話に、老妻の気持はすでに孫に移っており、「あなた、電車で行って!! 運動にもなるから」。最後の一言が余分でありムッとしたが、そこは人間ができている(と、本人だけが思っている)筆者のこと。忍びがたきを忍び、耐え難きを耐えて、コートの襟(えり)を立てて家を出た。
井の頭線の東松原から渋谷(120円)、渋谷から営団地下鉄で銀座(190円)、築地の聖路加国際病院まで徒歩で約30分。顔の約四分の一はガーゼで大げさに覆われているが、行き交う人は見向きもしない。
病院も休日で閑散としていたが、1ヶ所、救急患者に対応する一画だけは数十人の人が集まっていた。心配そうに乳飲み子を抱いて順番を待っている母親。痛みに耐えているのだろうか。頭を抱えてベンチで待っている人。体調不良の人にとって、休祭日の診療はどんなに有り難いことだろうか。少人数でテキパキと対応する看護師さんたちに、しばし見惚れてしまった。
近年、正月でも元旦から開いている店もあり、懐かしい正月風景は遠い昔になってしまった。しかし帰り道、装いを新たにした歌舞伎座の前には和服姿の人々が行き交い、華やいだ雰囲気が漂っていた。今年は是非、歌舞伎を楽しむような余裕を持ちたいものである。
新装なった歌舞伎座
四丁目・三越前に立ち、しばし休日を楽しむ人々を眺めた。思い起こせば、東日本大震災の直後、この場所で募金活動を行い、雨に打たれて肺炎で死にかけたことも、遠い昔のことのように思えた。
しかし現実は、今も20万人を超える人々が仮設住宅や行政の世話したアパートでの生活を強いられている。被災者にとって今最も重要なことは「夢と希望」である。何時までに、どの場所に土地が整備され、広さは、建物の間取りは、建設費は、ローンはいくら、何年返済等々、生活設計の基本である住宅着工への具体的な計画が決まらなければ救われない。災害を乗り越えて頑張ってきた被災者も、日に日に心身共に弱気になってきているのが現状である。
もうすぐ災害から三年。被災者を忘れないため、今一度三越前で街頭募金を呼びかけるべきだろうか・・・。
竹葉亭で昼食でもと思っていたが、こんなことを考えていたらその気も失せ、空腹を抱えて帰宅することにした。
(つづく)