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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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11月1日(金) [2013年11月01日(Fri)]
11月1日(金)

8:00 VPファンド事業打合せ

9:00 天城 一 社会貢献支援財団専務理事

9:30 WHOナショナルプログラムマネージャー会議・スピーチ・ビデオ撮り

11:00 申英秀(シン・ヨンス)WHO西太平洋地域事務局長

14:00 松岡正剛 編集工学研究所所長

17:00 船越 真 ボートレース振興会常務理事
「ガーナに出張」 [2013年11月01日(Fri)]
「ガーナに出張」


11月4日(日)より、アフリカのガーナに出張いたします。

首都アクラでは、ジョン・ドラマニ・マハマ大統領、ニセフォール・ソグロ元ベニン大統領、オルシェグン・オバサンジョ元ナイジェリア大統領をはじめ、アフリカ各国の農業省幹部が出席して、SAFE(笹川アフリカ農業普及教育プログラム)20周年記念式典で、スピーチを予定しています。

その後ケープコーストに移動。途中、ハンセン病フィールド視察予定。

翌日、ケープコースト大学においてSAFE20周年記念式典、WMU(世界海事大学)笹川奨学生、SAFE奨学生との合同研究発表会に出席。
旧知のジェリー・ローリングス元ガーナ大統領との面談も予定。

帰国は10日早朝です。
「ハンセン病制圧活動記」その4―インド・ジャルカンド州訪問記― [2013年11月01日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動記」その4
―インド・ジャルカンド州訪問記―


国立療養所東北新生園は、宮城県登米市にある国立ハンセン病療養所です。 1939年(昭和14年)10月27日、厚生省所管の国立療養所東北新生園 (定床400床)として発足。10月1日現在、男性42名、女性54名、合計96名、平均年齢83.8歳の皆さんが、静かに余生を過ごしておられます。

当園は、宮城県の北部に位置し、県都仙台の北方約60kmにあります。築館台地の丘陵性の地域内に所在するため、約35万平方メートルの敷地内には丘あり池ありで四季の変化に富み、自然に恵まれた閑静な療養所地です。

下記文章は、東北新生園入所者自治会が発行する『新生』第六五巻第三号に投稿したものです。

(注)過去、ハンセン病制圧活動のブログは241本アップしていますが、今回から通し番号を入れることにいたしました。

**************


東北新生園機関誌「新生」
2013年9号


インド・ジャルカンドでのハンセン病制圧活動


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


 2013年4月4日から8日の日程で、インドの中東部ジャルカンド州を訪問しました。同州には2003年以来3回目の訪問になります。ハンセン病回復者の代表者たちとともに州政府要人と面談し、回復者の生活向上やハンセン病対策の強化などを訴えました。

 ジャルカンド州は、インドで最も貧しい州といわれたビハール州から2000年に分離し、人口約2700万人とインドでは中規模の州です。前回訪問した10年前にはハンセン病登録患者が3万5千人、人口1万人当たりのハンセン病有病率は13.0と非常に高い状況でした。この州は山岳部族も多く生活し、交通も不便な地域が多いため、当時私が発言した薬の「届かない人へ届けよう」はこの州の標語となりました。それから10年を経た現在、困難な諸条件の中でも有病率は0.7人、新患者数は年間3,317人と激減しました。この流れをさらに加速していただくための激励と、回復者が集団で暮らすコロニー住人の年金増額の陳情の2つが、今回の訪問の主な目的でした。

 デリー到着翌日の4月5日、飛行機で2時間弱かけて州都ランチに着きました。ランチには2,3件の高級ホテルが建設されてはいましたが、道路には信号が存在せず、相変わらず自動車、トラック、人力車、オートバイ、牛車等々、絶え間なく鳴るクラクションはまるで町の悲鳴のように聞こえます。混沌と喧騒は昔のままで、正にインドに来たとの実感は、少し私を嬉しくさせてくれました。

 ただし、現地で活動を進めるには制限の多い期間ではありました。ジャルカンド州では訪問1週間前の3月28日に、極左勢力であるマオイスト(毛沢東主義者)のリーダー10名が他の反乱グループと衝突して殺害される事件が発生。これに不服とするマオイストは4月4日に警察官4名を銃殺、6日には地方の鉄道を爆破し、6、7日の2日間にわたるストを呼びかけるなど、州都ランチから郊外への移動は制限されました。このため、地方への視察や政府要人との面談が入りにくい状況となり、訪問のキャンセル自体も考えられましたが、可能な範囲内で活動することにしました。

 5日の空港到着後、そのまま車で1時間ほどかけてクンティ県のムル保健センターを訪問しました。ハンセン病患者、回復者の方々8名と、彼らをケアする女性のヘルスワーカーたちが10名ほどいらっしゃいました。なかには10歳の若い女の子や、手足に障害が発生している方もいましたが、ヘルスワーカーの方々が熱心にケアをして下さっている様子でした。2人の小さな子どもをもつ母親の回復者は、「夫からも大切にされ、差別はありません」と話していました。これまで世界中で多くの保健センターを見てきましたが、女性ヘルスワーカーの働きが重要であることをいつも感じさせられます。

ムル保健センターで回復者と.jpg
ムル保健センターで回復者と


 保健センターを後にし、車で1時間ほどかけて市街地に戻り、L.キアンゲ州政府福祉次官、およびK.ヴィディヤサガール保健次官と面談しました。この期間は州首相はじめ大臣は不在のため担当省トップとの面談です。福祉次官は「指定カーストへの福祉が対象で、ハンセン病については直接関係しないが、できることがあればしたい」といった反応でした。病気や障害だけでなく差別による二重の困難を背負うハンセン病回復者ですが、人数が少なく、これまで問題を訴えてこなかったために、政府の福祉政策に組み込まれていない現状を感じました。一方、保健次官からは、ここ10年で患者数が激減しているが、「引き続き優先度を高く対策を進めていきたい」という積極的な発言をいただきました。いずれも、ハンセン病回復者の全国組織ナショナル・フォーラムのナルサッパ会長とジャルカンド州内58のコロニーを束ねる州代表のジャイヌディン氏を連れ、彼らを前面に出して交渉してもらいました。私の役割は、主役である彼らを政府に紹介し、つなぎ合わせることだと認識しています。

 両次官との面談後には、ナショナル・フォーラムの州組織メンバーたちとの集会に参加しました。州代表のジャイヌディン氏はじめ13名ほどが参加し、長老の方から親が回復者という30代前半の若い男性もいました。参加者から、「2007年から州の活動を開始し、職業訓練や子どもたちの学校中退を減らす活動などをしている」という報告がありました。2012年にはナショナル・フォーラム主催の若者ワークショップにも参加し、若者や女性も活動に参加するようになるなど少しずつ発展がみられます。とはいえ、州政府を相手に交渉する力はまだまだなので、私からは、隣のビハール州では最近、月200ルピー(約400円)の障害者年金だったのが、ハンセン病年金として1800ルピー(3600円)に増額してもらうことができたという例を紹介し、「皆が一致団結すれば、必ず希望が実現するので、一緒にがんばりましょう」と鼓舞しました。

 翌6日は、州のNo.2であるラム・セヴァック・シャルマ州政府次官との面談が入り、ナルサッパ会長とジャイヌディン州代表とともに、障害者年金が月400ルピー(約800円)と低額のため、その増額を訴えました。昨年6月に会長に就任したばかりのナルサッパ氏からは「デリーとビハールでは障害年金とは別に、ハンセン病回復者向けの特別枠の年金を設置した。障害者の中でも、特にコロニー在住のハンセン病回復者は社会的差別という二重の厳しい状況に置かれ、いわば社会の底辺にある。何らかの社会保障を提供する必要がある。ジャルカンドには58のコロニーがあるが、長年居住していても土地の権利がなく、何も持っていない」と訴えると、シャルマ次官も「確かにあなた方の言う通りだ。できる限りの協力をする」と納得した様子でした。経験上、1,2回の陳情で州の財政にかかわる年金の増額が実現することは望めませんが、彼ら自身が政府と交渉できるようになることと、私も実現するまで日本から何回でも訪問するという姿勢を見せることで、粘り強く交渉していくことが大切だと考えています。

 次に、ナラヤン・ロイ州人権委員会委員長との面談後、インディラ・ガンディ・コロニーを訪問しました。同コロニーは人口550人の比較的大規模なコロニーで、10年前に訪問した折に植樹した木の成長を楽しみにしていましたが、コロニーの発展と環境改善の中で、バラック小屋から土蔵作りの家に変貌し、植樹した木は跡形もなく消えていました。住環境は改善されていたものの、家の隅や軒下のあちこちに重い障害者や老人を乗せて物乞いをするための木製の手押し車が置いてあり、住人は相変わらず物乞いをせざるをえない状況であることが伺えました。私からは「ササカワ・インド・ハンセン病財団で少額融資を行っており、働ける人は牛を飼って牛乳を売ったり、機械を購入して織物をしたり、竹細工のカゴをつくったりと、やりたい仕事があれば協力するのでぜひ挑戦していただきたい」と話しました。また、集まった子供たちに「勉強が好きですか?」と聞くと、一様に皆が「はーい!」と元気よく手を挙げ、「一生懸命勉強して医者になりたい」という女の子もいました。彼女らが夢と希望をもって勉強し、しっかりと働けるようにしていくことが私の使命だということを改めて感じました。

インディラ・ガンディ・コロニーの住人と.jpg
インディラ・ガンディ・コロニーの住人と


 翌7日の午前中は、ササカワ・インド・ハンセン病財団の奨学金を受け、4年制の看護大学で勉強している二人の女子学生ソナリ・マトさんとシカ・マウントさんに会いに、車で1時間ほどかけ彼女らが住む寮を訪ねました。350名が通う女子看護大学で、1年目の今は注射や血圧測定などの実習も行っているとのことで、「高等教育は受けられないと思っていましたが、普通は受けられない高いコースでこうして学べるようになったことを神様と皆さんにとても感謝しています。将来、ハンセン病コロニーの人々のために働きたい」と、目を輝かせて語ってくれました。砂絵でできた作品をプレゼントされ、彼女たちの笑顔に接したとき、文豪トルストイの「幸福とは他人の幸福を見ることである」との言葉を思い出しました。

看護学校奨学生2人.jpg
看護学校で学ぶササカワ・インド・ハンセン病財団の奨学生
ソナリ・マトさんとシカ・マウントさん


 その後、記者会見の後に、ランチ市内のニルマラ・コロニーを訪問しました。このコロニーは、幹線道路の下のドブ川沿いに位置し、150人が生活していました。住人の報告によると、「以前は川の増水や道路の雨水でバラック小屋は常に被害を受けていたが、近年、川との間にコンクリート製の壁ができ環境が改善された」とはいうものの、ゴミが山積みされたドブ川からは強い悪臭が放たれ、蠅と蚊が大挙する住環境は劣悪な衛生環境であることに変わりはありません。絶望の中で日々何となく物乞いで生活している人々に話をすることは決して易しい仕事ではありません。いくら優しい言葉で生活改善の可能性を説いたところで、現実しか信用できない彼等の不審に満ちた目が、話をしている私の胸に突き刺さりました。ある女性は、両膝を抱いてうつむき加減に話を聞いていましたが、時々私の話に反応してキッとした鋭い目つきで直視し、「話はどうでもいいのよ。早くこの現実を改善してよ。そうすれば貴男の話を信用するわ」と言いたげな想いが感じられました。何とか私の生きているうちに彼女の微笑みを見たいものです。

ニルマラ・コロニーの子どもたち.jpg
ニルマラ・コロニーの子どもたち


 今回のインド訪問では、目に見える成果が得られたわけではありません。それでも、現場に入りその現実を直視しながら、忍耐強く人々を一人一人鼓舞していくことで、少しずつではあっても前進があると信じています。ハンセン病の差別のない世界、彼らが物乞いをせずに尊厳をもって生きられる社会を実現できるまで、まだまだ道のりは遠いですが、これからも回復者たちと共に歩んでまいりたいと思います。
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