「ちょっといい話」その27
―セルビア共和国―
筆者は、日本財団の会長という立場で各国から栄誉を受ける機会がよくある。
しかし、過去一度も祝いの会を開いたことはないし、よほど印象に残った式典(マレーシアの国王からの授与式)の時以外、ブログに書くこともなかった。顕彰された品物は、メダルを含め、全て日本財団で保管されている。
この度、セルビア共和国大統領より「功労金賞」メダルを授与するとの連絡を受け、2001年以降全くご無沙汰しているセルビアからなに故にと、不思議に思っていた。
「功労金賞」授与、なに故に?
大使館での簡素な式では、功績の理由として、ネナド・グリシッチ臨時大使がベオグラード大学への笹川良一奨学金の設置や世界的な人道活動について話された。しかし本当の理由は、昔の日本財団のユーゴスラビア、現在のセルビアでの活動について、現在まで記憶しておられ、顕彰しようと発意された方がいたということで、そのことが嬉しく、ブログに書くことにした。
話は1980年代に遡(さかのぼ)る。
チトー大統領が築いたモザイク国家ユーゴスラビアは、チトーの死後内戦となり、国はセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニアの7ヶ国に分裂してしまった。
内戦勃発当時、西側諸国はセルビア制裁を強化し、人道的支援さえ届かなくなった。当然日本政府も西側陣営で、制裁に協力した。そのためセルビアには、極端な話、生活必需品である「マッチ」さえ戦場で使用されるとの理由でセルビア側への輸出が禁止されていた。
筆者は、西側が悪者としたセルビア側に流れ出る難民救済のため、医薬品をはじめ、救援物資をセルビア赤十字を通して配布し、難民収容所にも足を運んだものである。
又、当時ヨーロッパ屈指の大学であったベオグラード大学に、世界43ヶ国69大学で行っている修士・博士課程を対象にした「笹川良一ヤングリーダー奨学金制度」を、1988年、10番目の設置校に選定した。優秀な奨学生の中には、後に外務大臣や中央銀行総裁になった人もいる。
当時、寸暇を惜しんでチトー大統領がこよなく愛したベオグラード市内のしゃれたこじんまりしたレストランで食事をしたことも懐かしい思い出である。大使によると、このレストランは今も盛業中とのこと。懐かしさもあって、いずれ訪れたい場所の一つではある。