「東京クヮルテット解散」
東京クヮルテットは1969年に結成され、2013年7月に解散した。
44年間にわたり、世界一のクヮルテットとして世界を風靡したこの弦楽四重奏団の生演奏は、もう二度と聞くことはできない。
1969年、東京クヮルテットはニューヨークのジュリアード音楽学校において結成された。創設メンバーは、斎藤秀雄門下生の桐朋学園大学の卒業生で、第一ヴァイオリン原田幸一郎、第二ヴァイオリン名倉淑子、ヴィオラ磯村和英、チェロ原田禎夫であった。
結成後まもなく、コールマン・コンクールや、70年当時、世界最難関といわれたミュンヘン国際音楽コンク−ルでの断トツ勝利は関係者を驚かせ、一躍世界の注目を浴びるようになった。その後メンバーの交代もあったが、ステレオ・レヴュー誌、グラモフォン誌で「室内楽部門年間最優秀賞」に輝き、なんと、あの有名なグラミー賞に7回もノミネートされた。
日本財団の姉妹財団である日本音楽財団は、1995年、コーコラン美術館から購入した名匠アントニオ・ストラディヴァリによって製作された通称「パガニーニ・クヮルテット」を無償で貸与した。ストラディヴァリウスのクヮルテット(ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロ)は世界に6セットしか現存しない貴重な存在であるが、常時演奏に使用されていたのは、東京クヮルテットに貸与されたこのセットだけだった。スイスが所有する1組は、時々演奏者に貸し出されている。アメリカ国会図書館やスペイン王室が保有するものは、演奏には寄与していない。
70年代の日本の室内楽は、日本の著名な音楽評論家によって極端に低い評価を受けて冷遇されたので、東京クヮルテットはニューヨークを拠点にしての国際活動を選択せざるを得なかったのであろう。しかし、これが逆に今日の世界的名声を確立することになった。
東京クヮルテット創設メンバーのうち、第二ヴァイオリンの名倉淑子は1974年、第一ヴァイオリンの原田幸一郎は1981年、チェロの原田禎夫は1999年に楽団を離れ、創設メンバーはヴィオラの磯村和英だけになり、1974年に参加した第二ヴァイオリンの池田菊衛と二人で支えられてきた。
その間、第一ヴァイオリンは原田幸一郎、ピーター・ウンジャン、アンドリュー・ドース、ミハイル・コペルマン、マーティン・ビーヴァーと替わり、チェロは1999年に原田禎夫からクライヴ・グリーンスミスになった。
日本音楽財団主催の「東京クヮルテット」お別れ演奏会は、2月8日、浜離宮朝日ホールで
第一ヴァイオリン マーティン・ビーヴァー(1727年ストラディヴァリウス)
第二ヴァイオリン 池田菊衛(1680年ストラディヴァリウス)
ヴィオラ 磯村和英(1731年ストラディヴァリウス)
チェロ クライヴ・グリーンスミス(1736年ストラディヴァリウス)
演目は
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短長 作品95「セリオーソ」
メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲 第4番 ホ短長 作品44第2番
であった。
日本音楽財団主催「東京クヮルテット」お別れ演奏会
さて、「パガニーニ・クヮルテット」は今後どうなるのであろうか。
17年余りに亘り、毎年毎年、欧米を中心に100以上のコンサートで酷使され?てきた楽器で、相当な疲れもあるように思われる。日本音楽財団でゆっくりと休養を取らせたらと個人的には考えるが、音楽財団には楽器貸与委員会があり、国際的に著名な指揮者ロリン・マゼール氏が委員長を務める委員会の決定にゆだねられている。
バブルの時期、日本人は世界の名画を買いあさり、その額1兆円を超えたともいわれ、心ある外国人は眉をひそめていた人も多くいた。
歌舞伎、能、お茶や生け花による日本の伝統文化の情報発信も素晴らしいが、世界の人々に普遍的に愛される文化活動は何かと考え、当時、絵画に比べて圧倒的に安価だった弦楽器の収集を思いつき、塩見和子女史(現日本音楽財団理事長)に協力を要請した。女史は見事にその職責を果たし、収集した20挺の名器は、演奏家への楽器無償貸与は勿論のこと、世界のクラシック愛好家数千万人の人々の耳を楽しませる存在になった。
私は時々名曲をCDで聴く程度で決して愛好家の仲間とは言えないが、世界的な文化遺産ともいえるこの種の楽器の世界一のコレクターとして、その活用と保存に大きな責任が伴っていることを痛感している。
ともあれ、「東京クヮルテット」の演奏家の皆さんの長年にわたる演奏活動に心からなる謝意と、第二の人生が豊であることをお祈りしたい。