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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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11月3日(土) [2012年11月03日(Sat)]
11月3日(土)

9:00-12:00 スカンジナビア・ニッポン笹川財団理事会

P1030773.jpg


18:00 スカンジナビア・ニッポン笹川財団晩餐会

P1030777.jpg

基調講演「日本モーターボート選手会総会」にて [2012年11月03日(Sat)]
日本モーターボート選手会・総会
日本財団・笹川陽平会長による特別基調講演


2012年9月28日(金)
於:笹川記念会館


講演風景.jpg


「ハンセン病制圧活動ならびにボートレース業界の今後」


今日は総会という大切なときにお話しさせていただく機会をいただき、喜んで参りました。皆様方には日夜ご努力をいただいておりまして、心から感謝申し上げます。私もかつてはここでモーターボート業界が二兆二千六百億まで売るための様々な努力をしてまいりましたので、懐かしい場所でございます。

ボートの話は後ほどするといたしまして、まずは先ほど皆様方から2000万円の支援金を頂戴しまたことに心から感謝を申し上げます。

10月1日は日本財団がこのボート業界の中に誕生して50年になります。皆様方のおかげで、ボート業界からいただくお金は日本国内はもとより、今や世界的に展開している人道的活動にも使用されており、日本財団という名前、そしてそれを支援するボートレース業界というものが世界的に非常に高く評価を受けているということをまず皆様方にお伝えしたいと思います。

さて、これからお話させていただくハンセン病というのは、今はもう皆様とはあまりご縁のない病気ではございますが、日本国内には約12の国立の療養所と2つの私立の療養所があり、ハンセン病回復者たちのほとんどは、今もここで生活されています。かつてはこの病気になりますと法律により強制的に警察官がこの療養所に連れて来て表に出さないという仕組みになっていましたので、皆様方は直接お会いしたことは無いと思いますが、世界的にはまだまだ多くの患者が発生しています。

ハンセン病への取り組みは、ボートレースの創業者であります笹川良一が若い時、近所にいた旧家のお嬢さんが突然家からいなくなった時の思いから始まりました。いなくなるっていうのは先ほど言いましたように、ハンセン病が発症したために強制的に隔離されたということで、そのことを後で知り、こういうことがあってはならないということを心に刻んでおったわけで、この日本財団が出来る前から個人的に世界中に支援してきました。

今から40年前程になるでしょうか。韓国の水原(すいげん)にハンセン病の病院を笹川良一が建設・寄付したとき、私も彼に連れられて訪問しました。学校では民主主義だとか基本的人権だとか自由だとか平等だとかということを教わってきました。しかし、このハンセン病の患者を目の前にし、実は私達の知らない世界というのが世の中にはたくさんあるのだということに気付き、大変驚きました。

一度ハンセン病にかかれば、日本でもそうですが、三代ぐらいはその家の人は結婚できない。昔は一般的に遺伝するとか強い感染力がある病気だ、あるいは神様から与えられた罰であるとか、先祖が悪いことをした罰がその家に現れるというように信じられていましたから、社会から強い差別を受けてきたのです。今でも、例えばインドなどでは、墓場の跡やゴミ溜めの傍や川の縁など、あまり人が行かないようなところで肩を寄せあって生活しており、レストランにも入れない、交通機関にも乗せてもらえないという状態が続いてきたのです。ハンセン病は紀元前の六世紀からといいますから旧約聖書が出来る遥か前から世界中であったわけです。そして不思議な事ですが、昔は今のように航空機・交通機関があり、通信も自由になった時代ではないにもかかわらず、既に世界中でハンセン病になった人は島に流されて生活しなければなりませんでした。

日本でもそうですね、四国の選手の人なら大島青松園というのがあるのをご存知でしょうし、岡山にも2カ所、奄美大島にも沖縄にもありますが、みんな島ですね。島に捨てられたという歴史があるのです。

振り返ってみますと、私はこの30年間で約380回海外に行っています。だいたい一年に12回、ここ10年程はだいたい15回から20回海外にいっており、主にハンセン病を世界から無くそうという活動です。今や病気といわれるものは医学的には何千種類もあります。しかし、結核になった人は病気が治れば社会に復帰できますし「あの人は元結核患者だ」とは言われませんよね? ところがハンセン病だけは「あの人は元ハンセン病の患者だ」と言われ、病気が治っても就職も結婚もできない。或いはそのお子さんたちは健康な体であるにも関わらず「あそこはハンセン病の家庭だ」ということで学校にも通えない。このように、その病気が治っても社会の側に差別をするという気持ちが非常に強く残っているので通常の生活が出来ないのです。自転車に例えれば、前の車輪は病気を治す活動であり、後ろの車輪は社会的差別から彼らを開放してあげなければいけないのです。

ハンセン病はこのように社会的な差別を伴い、非常に醜い状況で生き長らえるという大変辛い病気です。他の病気でしたら家族が心配してお世話をし、励まし、薬を調達することに一所懸命になるわけですが、ハンセン病の場合には家族からも捨てられて、一人で放浪し、そして、そういうグループの集まりの所で生活を余儀なくされる。これは現代でも続いているのです。インドだけでも過去1100万人の人が病気から解放されましたが、まだまだ殆どの人が乞食で生活をしなければならないというのが実情です。

世界的に非常に悲惨な状況下にありましたこの病気も、ボートレースの資金で1994年から5年間、薬を世界中で無料配布した結果、500万人以上の人が病気から解放されました。従いまして世界的にハンセン病という病気に対して日本財団そしてボートレース業界というものがいかに高く評価をされていることかを知っていただきたいと思います。

一つの仕事に情熱を持ち、忍耐強く継続的にやっていくということは大変重要なことです。是非、上瀧会長にも一度現場に行っていただき、実情を見てもらいたいと思っています。

また明後日からインドに行きますが、やはり同じ人間としてこの世に生まれてきた以上、もしあなたがたの家族にそういう人がいたとしたらどうしますか?
幸い私たちはまぁまぁ恵まれた家庭に育ち、それぞれ個人的には悩みもあるでしょうし考えなければいけないことがあるかも知れませんが、安心して三食ご飯が食べられ、世界で最も安全で平和で、世界123カ国の人たちが最も好感度の高い国と答える日本という国に住んでいるのです。日本から一歩離れれば、夜暗くなったら一人で表を歩けませんし常に犯罪の危険があります。日本は若い女性が夜遅くても一人で歩けます。また外国の方に「電車に乗るとき、どうして日本人は並んできちんと待っているのですか? どこで誰が教えているのですか?」と聞かれます。誰にも教えられないけれどもそういうことが自然な形でできる。こういう秩序ある国民性なのです。

東日本大震災では選手の皆様方にはいち早く募金活動から現場での活動にご尽力いただき、今もまだ続けてくれていますが、外国のメディアをご覧になればわかるように、外国ではどこかで大地震があるとすぐに店屋を壊す人や物品を盗み出す人が現れます。この間の中国もそうでしょう。店屋を破ってものを持って帰る、或いは火をつける。なんで日本はそういうことが起こらないのか?

今度の震災では1万9千人の人に皆様方からのお金をいち早く5万円ずつ現金で配りました。亡くなられた方にお線香を買い花を仏前に備えて欲しいという我々の気持ちをいち早くお届けしました。従いまして日赤や赤い羽根や色々なところに寄付したけど7ヶ月、8ヶ月経っても配られないし誰に配ったかもわからないというなかで、我々の方はいち早く一人ひとりに直接お渡ししました。当初「二重取りや三重取りされることもあるだろう。そういうリスクがあってもやろう!」と覚悟しました。というのも、乗り物がありませんから皆さん歩いてくるので、市役所、小学校、或いは幼稚園と、複数の場所で配りましたから名簿だけが頼りでした。しかし、この結果、問題があったのは2件だけでした。

その1件は、奥様が近所の小学校で5万円を受け取り、たまたまご主人も他の用事あって訪れた市役所でお金をもらって帰ったが、家に帰ったら奥さんがもらっていたということで、遠い道のりを歩いてご主人がその5万円を返しに来られました。
もう一人の方は、行方不明者のご親族で、5万円を受け取られたのですが20日後に病院に収容されて生きていることがわかり、わざわざ返しに来て下さった。
ということは、約2万人の人に現金を配って事故はゼロです。そんな国が世界にありますか?

子供たちも外国人から色々な支援物資をもらっても個人で持って帰らずにみんな食料倉庫に預けたというので、特にアジアのテレビでは、日本人は子供達までこういう素晴らしい社会性を持った性格をしていると、日本の国民は世界的に評価されているのです。確かに悲しい事件ではありましたが、世界の人は益々日本に一度行ってみたいと思うようになりました。こういう素晴らしい国で我々は生活をしているということを忘れてはいけません。

選手の皆様方にはこのような社会奉仕に対して非常に深い関心を持っていただき、多額の支援金を頂きました。私共は一銭たりとも無駄使いはしません。今日頂いたお金につきましても選手会の幹部と私達の専門の先生方とで委員会を作成し、活用方法を検討することと致します。その上で、透明性と説明責任をきちんと果たしていくということが大変重要なことです。10月1日、日本財団が50周年を迎えるにあたり、これからは「人が人を支える」社会を作る。その元締めになろうと考えております。

アメリカなどはプロスポーツの選手は一人ひとりがペットプログラムと言いまして、「私は小児がんの子供の面倒を見よう」とか「私は知的障害者の子供の面倒を見よう」とか「私はHIV、AIDSの人の助けをしよう」とか個人的にやられている人はたくさんいますが、世界のプロスポーツの中で、選手会が選手総意のもとでひとつの社会貢献活動を長く続けてきたというのは皆様方以外にはありません。私はそういう皆様方と共に仕事ができますことを大変誇りに思っております。皆様方のこの貴重なお金が有効に使われるように、責任を果たして行きたいと思います。

ハンセン病はまだまだ私の生きている間に根絶、ゼロにすることは出来ませんが、少なくともその道筋、どのようにしたらこの問題が解決するのかということは既に色々な所で発言しておりますし、組織も作っております。そういう意味では必ずや将来、この悲劇的な病気がなくなる日もそう遠くはないと信じ、更に活動を強化していきます。

皆様方には日々選手としてファンの声援に答える素晴らしいレースをされていますが、私は連合会長を辞めたあとすぐに比叡山に行きました。そこにはいわゆる千日回峰という、3年間、約30km近い山道を毎日、夜明けとともに歩く。そして最後は9日間飲まず食わずで眠らず読経をする。それを達成した人が阿闍梨といって生き仏になるわけですが、私はそこを歩いて40数箇所、お賽銭を上げるところに行って皆様方が怪我のないように、事故がないようにということをお祈りしてきました。皆様方が怪我をされるということは、私にとって最も心の痛む出来事です。東日本大震災では多くの選手の皆様から個人的にも募金を頂きました。私は一人ひとりの方に必ず礼状をお出ししておりますが、その中には必ず「怪我のないようにご活躍ください」ということを添え書きしております。

さて、モーターボート業界は今、大きく変わろうとしています。競走会も単純な一つの組織になりましたから、指示・命令系統も非常にはっきりしてきました。また、私は決しておだてるつもりはありませんが、選手会の皆さん方はこのプロスポーツの業界の中で、例えば最近ではアメリカンフットボールでは審判員が拒否して審判をしないという事態があり、ようやく昨日解決したようでございますが、日本の中でも色々な公営競技がある中で、常に冷静に「業界があって私達選手があるのだ」と。そういうことを一人ひとりの人がきちんと認識して頂いているというのは素晴らしいことだと思います。

かつて笹川良一は、「一枚岩盤で、あらゆる関係者はとにかく売上を上げれば全ては解決する」と言いました。ところが施行者の皆さんは、良い時は良いけれども悪くなったらどこまでも落ちると思われているようですが、そんなことはございません。昔、私が読んだ本では100年以上続いている企業というのは日本には11万5千社あるとのことで、最近の資料ではと約7万社となっておるのですけれども、100年続いている企業はアメリカでは千社ぐらいしかありません。ドイツのような古い歴史のある国でも2千社くらいです。なぜ日本に100年続いている企業が7万社も11万5千社もあるんでしょうか? 京都近くの出身の人ならわかるでしょう? 京都に行けば100年なんて「まぁずいぶん新しいですね。うちは織田信長の時代から京都で菓子の製造をやっております。400年です」という様に、200年以上続いている企業なんていくらでもあります。

それは2つの原則です。
1つは「創業の哲学がしっかりしている」
ボート業界で言えば「ファンあってのモーターボート競走」これが大原則です。
2つめは時代の変化とともに私たち自身も、気持ちもそうだし、仕事のやり方も変わっていかないとダメなのです。古ければ全て良いというものではありません。時代の変化とともにお客さんも変わっていくわけですよね。その中で改革の努力を怠っては生き残れません。今から30年前のお客さんと今のお客さんとでは相当違うし、皆川会長がいつもおっしゃっているように、お客さまも変わっていってもらわなくてはいけない。年配の方ばかりになったらあとは続かないわけです。ですから今のボート業界というのは昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日であるということではなのです。この苦しいところをみんなで売上を上げるためにまず努力をしましょう。そして売上が伸びてくれば、それは皆様方の選手賞金だって当然上がるわけです。

持分はそれぞれ違いますが、100の議論をするよりも1つの実行をしましょう。おそらく選手会の皆様は見ておられていると思いますが、競走会、或いはBOAT RACE振興会の仕事が早くなってきていると思いませんか? 景気が良いとか悪いとかという事は経済の循環で必ずある事です。中国だって今はとても良いといわれていますが、これが長く続くことはあり得ません。良い時が何十年も続くことは無いんです。笹川良一は「良い時には悪くなった時のことを考えなさい。今、悪ければ希望を持ってどうしたら良くなるかを考えなさい」と仰っていたことを、私は今思い出しました。

この業界は非常に可能性があるんです。施行者の皆さんに私はいつも言っています。それぞれの競走場のあるところ、例え売上が落ちたといっても5千万も6千万も一日にモノが売れる商売なんてありますか? しかも全てそれを現金でいただいています。25%というものをいただいて、それをどう分けるという事はありますけれども、こんな素敵な事業はありません。可能性があるかないかというのは我々の努力次第です。お客様はいくらでもいるのです。

ただ、時代が変わってきましたから、皆様方から見ると、一所懸命に走ろうと思っているけれども「何だ、今日は観客席、人が少ないな」と思われるかも知れません。かつて住之江では3万5千人も4万人も入って建物が揺れているのではないかと思われる時もありました。しかしそういうバブルの時を基準にして我々が生活設計をしてはいけません。あれはどこまで行っても泡です。我々の今進めている社会の変化に合わすという事は、お客さんの総量は減っていないけれどもレース場に来る人が減ってきて、それを電話投票や前売など色々な方法で買っていただくというもので、お客様の買い方も変化してきているのです。従いましてボートレース場は小さくコンパクトな施設にする。例えばこの会議場で300人もお客さんが来てくれたら非常に盛況ですね。しかし、この部屋の中に10人や15人のお客さまでは閑散とした感じがするでしょう。そういうことで、施行者の皆さんに小さな、そして災害にきちっと対応できるような、それでいてレースがないときには地域社会に貢献できるような、そういう素敵な施設に変えて欲しいと申し上げ、既に始まりつつあります。

私たちは3年間は新年のお祝いはやらないと。その代わりこの3年間でなんとしてでも明るい展望を見出し、まずは1兆円を確保しよう。次は1兆2千6百億円を確保しよう。そうするとだいたい2兆円の時代の収益が施行者にも入ってくるわけで、そんなに難しい話ではないと思っています。

他の公営競技が大きく自信をなくしている中で、皆さん方が非常に活発に、また協力的に「業界あっての選手会」であり「選手会あっての我々個人」だというしっかりとした意識を持ち、また社会のためにも貢献をしていきたいという素晴らしい選手の皆さんに恵まれてこの業界が存在していると私は理解しています。自信とプライドを持って、このプロスポーツの中でもボート選手は一味違うんだ! モーターボート業界は他とは違うんだ! というように社会の人から見られるよう、ここで一致団結、共に汗をかいて頑張りましょう。

どうぞお体に気をつけて、怪我の無いようにご活躍いただき、業界の繁栄とともに皆様方の個々人も繁栄していく。そういう素晴らしい団結力のある、情熱のある組織を皆さんと共に継続して行こうではありませんか。

今日は貴重な時間をいただき、私の拙い話をお聞き取りいただき、心から感謝申し上げます。また頂いたお金は、冒頭申し上げましたように、きちんと活用して皆様にご報告をしたいと思います。
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