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―講演:「東日本大震災」からの復興― [2012年03月11日(Sun)]

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―講演:「東日本大震災」からの復興―


第4回B&G全国サミット
2012年2月7日(火)
於:笹川記念会館国際ホール


この度のB&G全国サミットには、ご多用の中、多くの市長をはじめ幹部の皆様のご出席を頂き、ありがとうございます。先ほど梶田会長から説明がありましたとおり、海洋センターはボートレース業界挙げて未来の子ども達の知育・体育・徳育の場として全国480市町村に設置したものですが、このような取り組みは、実は世界には例がありません。このことをお集まりの皆様がしっかりと踏まえて日々ご活躍されていることに対し、我々は感謝に絶えません。

私自身、只今のご紹介にございましたとおり、ボートレース業界から頂くお金で広く「世のため人のため」に仕事をさせて頂いております。一昨年は22回ほど海外に出ました。日数でいうと145日です。昨年は東日本大震災への支援活動がありましたので、海外へ出たのは10数回でした。私の行くところは大体僻地ばかりでございますが、これまで120ヶ国以上の国々を回りました。1週間前にはペルーにおりました。実はそこでひどい貧血を起こして倒れ、入院いたしました。検査を受けたところ、心臓に異常があるからペースメーカーを入れる必要があると医師から言われました。私はあまり病気をしたことが無いのですが、その時は1日だけ入院して、翌日には歩いて帰ってきました。

B&G財団の広渡専務は、「大丈夫でしょうか?大丈夫でしょうか?」と心から心配しているフリをしながら、今日は絶対に出て来いということでございまして、長い間付き合っていても人の心は分からないものです(大笑)。これは冗談ですが、そういうことで、私は簿記もそろばんも囲碁も将棋も一級なんていうのは貰ったことがありませんが、この度一級の免許を頂戴し、実に驚いているわけでございます。もちろん一級の免許とは障害者一級のことです。こんなに元気で一級の免許を頂けるとは感謝感激と言いたいところですが、それより日本の社会福祉のすごさを実感しているところです。

私の倅なんかは喜んで「早くその一級資格証を見せろ」と言いながら詳細を調べてくれました。そうすると、所得税が50数万円、特別区民税が10数万円免除なのです。あまり羨ましい顔をしないで下さい。私は命がけでここで喋っているのですから・・・(笑)。飛行機は同伴者を連れて35%引き。高速道路は半額。駐車違反無しで車は日本中どこに置いても構わないということです。鉄道にも割引があります。私には必要ありませんが、おむつまで支給して下さるそうです。

先日、産経新聞「正論」欄に休眠口座のことを書きました。2003年まで、日本の金融機関にあった仮名口座のことです。妻には内緒、夫には内緒というヘソクリ預金や、学生時代に作った預金通帳で、就職後地方に転勤になって取りに行けなくなってしまったものなど、これらが10年経つと全部銀行の収入になってしまうのです。昨年、3つのメガバンクだけで約300億円が利益として計上されました。これほど怪しからん話はありません。金融機関は国民の血税によって再建したにも関わらず、です。特に今回の東日本大震災の被災地では、印鑑も通帳もなくされた上にご本人も亡くなられたケースが沢山あるのです。私は一大運動を起こして、銀行にこれらのお金を「世のため人のため」に使えるように、これから頑張るつもりです。ここに数千億円の「新埋蔵金」が出てきたわけでございます。既に1千兆円の赤字を抱える我が国においては、皆様方には日々ご苦労頂いておりますが、それでも行政の手の届かない分野が沢山出てきております。そのような行政の手の届かないところに、先ほどのようなお金を有効に使っていくことが大変重要になってくるのです。

皆様、振り込め詐欺というのはご存知でしょうが、つい先日も東京の世田谷と練馬で1500万円ずつ取られる事件がありました。振り込め詐欺の犯人を摘発し、加害者の口座にあった被害金のうち、被害者が確定しないために返金されていないお金が、今金融庁の中に約45億円あり、この未返納金45億円の使途を金融庁が検討しています。日本財団では、以前より犯罪被害者のための全国組織を各県レベルで作ってまいりましたので、是非ともとそのお金を日本財団で使わせて頂きたいと手を挙げ、ヒアリングを受けてきたところです。

日本財団では、これから益々増えるであろう日本社会のセーフティネットから外れてしまう方々に対し、企業のCSR(企業の社会的責任)という立場や、各方面の方々からご寄付やご援助をいただき、東日本大震災でも活躍したNPOやボランティアの皆様、また、多くの体力ある学生を動員して現場で働いていただけるように、僅かでも「民が民を支える」という構造を作り、ソーシャル・イノベーション=社会変革の核の役割をボートレース業界の一員として果たしていこうと考えております。

私どもは阪神淡路大震災からこの度の東日本大震災まで、途切れることなく28回も地震、台風、水害あるいは油流出事故に出動した経験があり、災害に対する多くの専門知識を有しています。そのような中で皆さまにご紹介すると同時にお考え頂きたいと思う点がいくつかございます。

まず、日本全国の方が今回の震災の映像を見て心を痛めました。「私達には力は無いけれど手を貸したい」という方々の善意のお金が、日本赤十字社だけで3,400億円集まりました。これに赤い羽根募金や海外から政府に入ったお金を加えれば4,000億円に近いお金が集まったわけです。

ご承知のとおり赤十字社はクリミア戦争の折にナイチンゲールという看護婦が敵味方の区別なく怪我をした兵隊を助けたことから始まった組織で、中立機関として存在するのです。捕虜の交換といったこともあり、政府から独立して一国一つだけ認められた組織です。しかし、この3,400億円の配分が遅れているということで日本政府は堂々と官邸から官房長官が「配分が遅れておる。けしからん。急げ。」と言って、厚生労働省という政府機関の省内で、中立機関だから本来は赤十字でやらなければいけないのですが、政府が配分決定をし、「何県はいくら」という目の子算で配分し、「はい、おしまい。私達は配りました」ということで逃げたわけでございます。

日本赤十字社は中立機関ではないということを証明してしまったという、国際的に非常に恥ずかしい思いをしたというのが第一点。そしてもう一点は、配分委員会なるものがどのようなメンバーで構成されていたかというのが未だに不明だという点です。わずか2時間で各県に配分されましたが、県はこれを各市町村に配分し、そこでまた配分委員会を作って配るということで大変な時間がかかっています。

阪神淡路大震災の時の配分も、最終的には1年以上かかり、国会で問題になりました。ところが同じ轍を今回も踏んだわけで、日本全国の心ある方々が、当然すぐにでも役立つだとうと思って送った善意の金が役立っていなかったということに対する苛立ちと不満が充満しているのです。

日本財団はボートレース業界からお金を頂いておりますので、これまで募金活動をしたことはありませんでしたが、今回の極めて大きな災害を受け募金活動を実施しました。ご承知のとおり、災害発生直後は生存者を一人でも多く助け出すとともに遺体の捜索もしなくてはなりません。従って災害発生後の初期活動は自衛隊、消防、警察による活動に限られます。それが一段落するといよいよNPOやボランティアの方々が入ることになりますが、彼らの活動費は一体どこから出るのでしょうか。NPOの多くは自身も仕事を持っており、乏しい予算の中で活動しています。にもかかわらず、東北まで行くことになれば移動費用もかかりますしスタッフも増やさなければならないかもしれません。

日本財団はこのようなNPO活動に対し、ほとんどFAX一本で700団体に支援いたしました。手前味噌ではありますが、この700団体の中には九州や沖縄から駆け付けてくれたところもありました。もちろん、緊急的支援から時間が経過するとともに、できるだけ東京や被災地の近県の方々にお願いするようにいたしましたが・・・。いずれにしろ、彼らを支援するお金は国家から一銭も出ていないのです。日本財団は素早く700団体にFAX一本の要請でお金を出しました。彼らの活動なくして初期復興はなかったでしょう。

従いまして皆様方に覚えて頂きたいのは、災害復興の初期段階で必要なのはNPOやボランティアを支える支援金だということです。ですから災害が起きた時には支援金が必要で、これまで支援金と義援金の違いが明確にされてこなかったのは非常に残念なことでした。

私たちは弔意金・見舞金をお配りするために、死者と行方不明者の名簿だけを頼りに自己完結型で現場に入りました。市役所はどうにもならないほどの仕事を抱え、職員の皆様は徹夜続きでしたから、私たちは場所だけお借りし、あとは自分たちでやりました。現場に入る前には様々なシミュレーションをしました。大金を持っていくのですから犯罪に巻き込まれる可能性もありましたし、二重取り、三重取りの危険もありました。また、海外で見られるように人々が殺到するという場面も予測しましたが、結果を申し上げると2万人弱の方々に平穏にお配りすることができました。

当時は電気も通じていませんでしたのでテレビも映りませんでした。そのような中で二組だけ誤りがありました。一組の方は、奥様が小学校で5万円を受け取られ、ご主人がたまたま市役所にいたため、そこで5万円を受けとって家に帰ったところ二重に受け取っていたことが分かり、ご主人がわざわざ返しに来て下さいました。「わざわざ」と申し上げたのは、ご承知の通り、被災地では27万台もの車が流されてしまいました。東北では車がなければ何もできないのです。自転車は当然走れません。ですから歩いて返しにきてくださいました。もう一組は、行方不明で受け取られたものの、20日後に病院に収容されていることが分かったと言って、こちらも返しにみえました。

皆様も報道でよくご存知の通り、海外では地震や水害などが起これば必ず商店を破壊して略奪が起こり、最後には火をつける。これは世界共通なのです。ところがどうして日本だけが整然としているのか。ある子どもが外国人ボランティアから食料を貰いました。その子どもはお腹が空いているにも関わらず、それをどうしたと思いますか?食料を保管している場所に持っていって提供したのです。自分が貰ったものを皆と一緒に、ということで。これはベトナムを始め、東アジアにおいて、日本人は子どもまでがこんなに規律正しい整然とした国民だと大変な話題になるニュースでもありました。

また私たちは被災地を回る中で、首長さんや市役所・町役場の職員の責任感と住民に対する熱い想い、そして懸命な努力を目の当たりにして、やはり日本の地域社会における行政は大したものだと確認させて頂きました。外国メディアも同様の意見でした。これほど素晴らしい規律ある謙虚な国民性と地域社会に奉仕する行政の皆様方の忍耐、あるいは頑張りの利いた働きの一方で、なぜ国会議員だけがこれほどレベルが低いのか、というのがこれまた世界の七不思議と言われています(笑)。

国民が立派、地方行政も立派。しかしトップにいる総理大臣以下の国会議員がぐうたらばかりだというのを論理的に説明するのは相当難しい話です。外国は全部リーダーシップの国ですから、トップダウンでトップがビシッと方向を示したらその方向へ全員が進むのが常ですが、日本は首相がいなくても成り立っているという大変珍しい例でございます(笑)。未だに国会はあのような状態で、たっぷりと被災地に予算がつきましたが、実に使い勝手が悪いのです。また、未だに瓦礫の処理は出来ていません。瓦礫を受け入れたのは東京都だけで、他はどこも受け入れていません。瓦礫をどうするかというところから始めなければ被災地の復興は始まらないのに、全く進んでいないのは大変残念なことです。

被災地では、避難所に入った方は別にして、テレビも電気もないために情報から完全に遮断された方がたくさんいらっしゃいました。そのような方々のために私たちは18局の臨時災害放送局を立ち上げました。そうしたら今度は各家庭にラジオがないのです。おそらく皆様方のご家庭でもラジオが無い方は多いのではないでしょうか。私の家にはありませんでした。このため、すぐに中国から4万個を輸入して被災地へ行って直接配って回りました。それまでは「今日はどこどこで炊き出しをやっています。今日はどこへ行ったら洋服が貰えます」という情報が通じていなかったのです。災害が起こっても臨時災害放送局すら設置出来ないという首相官邸の中にある災害対策本部は斯様なものでございました。

私たちは阪神淡路大震災以来多くの多くの災害支援の経験を積んできました。今回は宮城県だけで600ヵ所を超える避難所を定期的に回り、何が足りないのか、どうしたら良いのかということを常にチェックしてきました。被災1ヶ月目の粉ミルクの配布状況は僅か8%でした。私たちは被災地の人口統計から割り出して被災した妊婦の数を最低5,000人、多く見積もると6,000人という数字をはじき出しました。この方々に安全に出産して頂くために東京に1,000人運び、また現地には助産婦を派遣しました。また、避難所の中をよく見ると、お気の毒な家庭がたくさんありました。障害者を抱えているご家庭です。夜中に奇声を発したり暴れたりすると避難所の方々から冷たい目で見られ、一緒に住むに堪えないのです。すぐに私達は障害者とその家族のための特別な避難所を作りました。トイレも足りませんでした。実は企業もたくさん参加、協力をしてくれました。

ところが、私はよく経済同友会やライオンズクラブでの講演を頼まれるので、その際にはズバッと申し上げるのですが、企業がやっていることは「タイガーマスク現象」なのです。これは私が言いだした言葉なのですが、どういうことかと言えば、昨年の震災前、とある福祉施設にタイガーマスクさんからランドセルが届いたということが美談として多くのメディアで報道され、その後たくさんのタイガーマスクさんがランドセルに限らず様々な物を送り込むようになりました。それを受け取った福祉施設の所長さんが私に直接手紙をくださいました。物を送っている人は気持ちが良いのでしょうが、受け取る立場としては迷惑なのです。これを「タイガーマスク現象」と私は言っております。

企業も色々な物資を一方的に送り、自分たちでは気持ち良くなっているのですが、被災地には受け取り手がいないので野積みになっています。しかも、緊急避難して3日間くらいであればインスタントラーメンでも食べ続けられますが、それ以降はラーメンを見ただけで胸にぐっときて食べられるものではありません。それにも関わらず1ヶ月経ってもインスタントラーメンを送ってくれる企業があるのです。企業はどんどん物を送ってきますが、何が届いたのか、それをチェックする人がいない。そしてそれを家庭や避難所に届ける車もなければ人員もいないのです。中には野積みで捨てられたものもありますが、日本財団ではその後起きた和歌山の集中豪雨の際に東北の被災地で余ったものを運びました。今後はこういうことが起こらないように、私たちのように東京と現地で調査をしている人が連携し、各避難所で足りないものを把握した上で東京から直接送るというようにコントロールをする必要があるとつくづく感じました。

また、ボランティアについても同じようなことが言えます。みなさんご承知のとおり、ボランティアというものは、極端に申せば烏合の衆です。ただ集まるだけでは何の役にもたちません。行く前にきちっとした教育が必要です。日本財団では「これからは社会に出て働く大学生をきちっとトレーニングする必要がある」ということで、一昨年に日本財団学生ボランティアセンターを設立しました。B&G財団の訓練指導者ではありませんが、このセンターでは学生に対して現地の映像をきちっと見せ、8人で小隊を組んで小隊長を決め、決められた間隔内で作業するということを教えます。破傷風にかかる恐れがありますから、長靴の中には私たちが用意した薄い鉄板のような靴底を入れてから作業に入らせます。そして逃げる場所を指導します。4泊5日の装備は全て自己負担です。したがって、まるでエベレスト登山のような格好で学生たちは集まってきました。

大郷町のB&Gセンターには大変お世話になりました。蔵王のB&Gセンターにもお世話になっておりますし、松島のB&Gセンターでは私も多くのNPOのスタッフが宿泊しながら救援活動を行っているところも拝見しました。

被災地から帰ってきた大学生の顔色は輝いていて、大学の先生方もびっくりしたそうです。私たちは防衛大や、広島からバスで何十時間もかかる海上保安大の学生にも被災地に入っていただきました。彼らは専門家で筋肉マンですから、それを見たひょろひょろの大学生も負けずと仕事をした結果、戻ってくると学生の態度と発言が変わってきたそうです。今、日本財団では20数校の大学と契約し、今後ボランティアに参加する人は授業を出席扱いにするということになっていますし、近い将来には単位も認められるようになるでしょう。

今、冬の一番寒い時期に、原発事故で雪の深い会津に避難している人たちのために学生がボランティアに出ています。本当に気合いが入いり素晴らしい活動をすると同時に、東京や大阪に帰ってきても、フェイスブックやツイッターでお互いに連絡を取り合い「また行こう」と話をしているそうです。日本人は捨てたもんじゃありません。素晴らしい日本人の若者気質です。学生がだらしないとか覇気がないといいますが、きちっと指導すればこうなるのです。指導せずに批判だけするのはいけないことです。日本の学生に加えて46ヶ国の留学生も参加して下さいました。皆、素晴らしい連帯を示してくれました。

私の計算では復興までに早くて5年、長いと7年かかります。高台に住んで欲しいという行政の要望と職住接近で昔の所に帰りたいという住民の綱引きがありますから、住む場所が決まらないところもあります。

日本の水産業の15%を被災地が占めているのですから、とにかく被災地の漁業者を激励しなくてはいけないということで、私たちは優先的に船の建造をやっております。これには国からもお金が出るのですが、個人の網やブイといった物についてはでないのです。したがって、こういう物については日本財団の独壇場です。中東のカタールからは漁業支援のために35億円を日本財団に下さることになり、今私たちは口を開けてこのお金がいつ届くかと待っているところです。

私たちが調べたところ、一般的な漁業者の日給は概ね8,000円前後でした。一方、国が行う瓦礫撤去に従事すると貰える日当は約12,000円です。そうすると、船ができ、網が整い、油も入り、漁に出られるようになっても乗り組む人がいないのです。このような矛盾点はしっかりと官邸で調整し、漁業者の日給が8,000円なら瓦礫処理の日当は7,000円にするといった相応の対策または政策を打ち出さないと、単に甘やかすだけになってしまいます。今や「震災バブル」と言われるような状況で被災地での復興事業の入札が成立しないのです。もっと金出せ、もっと金出せと。したがって国からの予算があるにも関わらず入札が不成立で仕事が前に進まなくなっています。

先日、私はミャンマーに行き、アウン・サン・スー・チーやテイン・セイン大統領と会談しました。「何で中国も韓国もミャンマーのために色々してくれるのに日本は何もしてくれないのか」と言うので、私は苦し紛れに「日本人はスタートが遅いのだ」と申し上げました。「オリンピックでもそうですが、マラソンのように長距離になるといつの間にか日本人はトップに出てくるのと同じで、長いスパンで日本を見てもらわないと困る」と言いましたら、スー・チー女史はよくご存知で、「マラソンは日本ではなくエチオピアが強いのではないですか」とひっくり返されまして、私も黒い顔を赤く染めたわけでございます(大笑)。日本人は出だしはのろいですが、動き出したら早いですから、東日本の復興も今後に期待しているのです。

最後に福島の原発事故のお話をします。これは実に甚だ人災と言ってもいい状況下にありますが、あれだけの大事故が起こった瞬間、在東京の外国大使館員はほとんど関西やシンガポールへ、場合によっては本国に帰国しました。原子力発電がエネルギー発電の40%を超えるフランス大使館も最初に逃げたのは何とも皮肉なことです。

私たちはチェルノブイリ原子力発電所の事故の際には10年間の救援活動を行うことができました。地球を90周回るほどでした。その結果の詳細なデータがIAEA(国際原子力機関)に科学的データとして納められています。

事件から6ヶ月を経た9月11日、世界中から第一線の科学者、放射能学者が集まってくれました。原子力発電所が良いか悪いかという議論をするためではありません。「放射能と健康」というテーマに焦点を絞って会議を行いました。ご承知の通り、日本には広島、長崎から65年間に渡るデータが蓄積されています。世界の第一線の科学者32人の評価は、よくここまで完璧に住民の健康を考えた避難ができたというもので、被災者には今のところ一人も放射能の影響を受けた人がいませんでした。

日本のメディアは何か問題があるはずだと言って、たくさん福島県に来て下さいましたので、徹夜や時差で疲れている出席された外国人科学者全員に、最後の質問が出るまで記者会見に残って頂きました。3時間半にわたる長い記者会見でした。日本の新聞には年間20ミリシーベルトとか10ミリシーベルトとか、難しい言葉がたくさんでてきましたが、日本には科学記者はほとんどおりません。発電所事故から2〜3ヶ月の間、記事を書いていたのは東電に出入りしている経済部の記者でした。何も分からず記事を書いているのです。年間20ミリシーベルトが危険だと言いますが、インドのケララ州やフランス、アルゼンチンの一部では自然に年間20ミリシーベルトを浴びている地域もあります。地球という水の惑星自体が放射線に囲まれて成り立っている星だということを皆さんご存知ないのでしょう。そのようなことをはっきりと国民に知らせる義務があったにも関わらず、日本政府は何もせずに未だに放射線を浴びた瓦礫がどうのこうのと言っています。セシウム134が医学的に健康に悪いというデータは世界のどこにもありません。

今頃になってチェルノブイリに見学に行って、チェルノブイリは酷いと。これは実際に酷いのです。なぜなら炉を燃やしている最中に大爆発したのを5年間放っておいたのですから。その間住民はそこに住み、生えてきた草を食んでいる牛の乳を飲み、そこで取れた物を食べていたのです。

一方福島の場合は完璧な、酷なほど厳格な処置をしたために、健康被害はゼロでした。私はチェルノブイリにも参りましたが、広島、長崎の例からして猛烈な白血病と甲状腺異常が出るだろうと予測して現地に入りました。ところが白血病患者はたったの2名、甲状腺癌は確か54名でした。その後甲状腺癌は増えておりますが、これが放射線によるものか、あるいはヨウド不足地帯故に風土病として存在するのか、世界中の科学研究所に笹川記念保健協力財団も参加してティッシュバンクで細胞分析を行っているのですが、未だに分かっていません。

しかし、残念ながら日本政府の対応がまずいために、未だに40ヶ国以上で日本からの食糧輸入を禁止しているのです。こんな馬鹿な事があるでしょうか。日本の食料品は一番安全度が高く品質が良いのです。このような状態を招いておいて政府が依然説明もしないことによる風評被害は世界中に拡がったのです。可哀そうに、福島県では子どもが産めない身体になってしまったと思っている女学生もいるそうです。科学的データに基づかない無責任な発言が次から次へ広がっているのです。特にメディアによる過大な不安を煽る初期報道がどれだけ被災地の皆さんの心を痛め、日本人を痛め、世界中の日本を見る目を変えてしまったか。これは一にも二にも政治の責任であると私は思っております。

近く震災から1年を迎えますので、この4月に改めて現地で一流の放射線学者を迎えたタウンミーティングを開きたいと考えています。科学者も医学者も難しい言葉ではなく、国民に分かる言葉で話してもらい、そして現場の人々の不安や不満を聞き、解決していくという地道な活動がこれから必要であると思っています。

まだ色々とお話申し上げたいことがありますが、時間になりました。皆様方の地域で話の続きをしろということでしたら私はどこにでも出かけてお話しさせて頂きます。

この震災を機に「絆」ということがキーワードとして語られるようになりましたが、このB&G財団及び皆様方とのネットワークは、未来の日本を背負う子ども達のための本当に素晴らしい絆として長きにわたり存在してきました。各地域の建物も多少古くなってきているようですが、これからの時代はやはり箱物ではなくソフトウェアをいかに大事にしていくかが大切ですので、お金をかけずに、健全で力強く元気の良い子どもたちの育成に更なるご活躍をお願い申し上げます。

(注)
B&G財団(ブルーシー・アンド・グリーンランド財団)は、 青い海と緑の大地を活動の場とし、1973年から「知育・体育・徳育」のバランスのとれた子供達の育成のために全国480市町村、総額1700億円の資金をボートレース業界が供出して設置された。
この設置された施設の市長、教育長が定期的に参加され、B&G財団を中心に子供達の健康作りは勿論、現在は高齢者の健康の維持のために努力している。
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