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「小さな活動、大きな喜び」―能登半島地震救援活動― [2024年04月25日(Thu)]

「小さな活動、大きな喜び」
―能登半島地震救援活動―


能登半島地震は、ようやく被災者の要望に応える活動ができるようになった。

珠洲市の北沢美容室の岸田孝子さんは、成人式のために預かっていた振袖9枚を何とか取り出して欲しいと、現場で活動する日本財団の関係者に依頼してきた。小型重機を駆使し、倒壊の危険性のある家屋で二日間、懸命な活動で9枚すべての振袖を探し出し、搬出することに成功した。

岩田孝子さんは「帯も、着物も、小物・飾まで出してもらいました。2〜3枚はちょっと袖が破れていたりしましたが、あとはほとんど無傷。ボランティアはヒーローでした。本当にかっこよかった」と語ってくれた。

日本財団の樋口裕司は「まだまだ厳しいことはあると思いますが、こういう一つひとつの積み重ねだと思います。一つひとつ取り戻せるものは取り戻し、笑顔を増やしていけたらと思います」と話し、日々懸命な活動を続けている。

珠洲市宝立町にある北沢美容室は能登半島地震で建物が全壊.jpg
珠洲市宝立町にある北沢美容室は能登半島地震で建物が全壊し、客から預けられた成人式用の振袖9着が取り出せなくなっていました。


北沢美容室 岸田孝子さん.jpg
岸田さん

「水素活用、CO2排出ゼロ船」―国内で初めて成功― [2024年04月24日(Wed)]

「水素活用、CO2排出ゼロ船」
―国内で初めて成功―


日本財団では、無人運航船の実用化と共にCO2排出ゼロの水素を活用し、CO2排出ゼロ船舶の研究開発を精力的に行っている。

既に無人運航船の実験・成功についてはブログで報告済ですが、4月4日、北九州市で水素活用のCO2排出ゼロ船の運航に成功し、今後は主に国内で運航される船舶の実用化に鋭意努力を傾注して参る計画です。

以下は、4月4日、共同通信の記事を拝借しました。

***************


水素燃料電池を活用した旅客船.png


 日本財団は4日、水素を動力源とする水素燃料電池を活用した旅客船で、CO2を排出せずに運航する実証実験に成功したと発表した。バイオディーゼル発電機とリチウムイオン電池も搭載した国内初のハイブリッド船で、北九州市で一般向けに商業利用を始める。

 船は全長33メートル、総トン数は248トンで、定員は100人。トヨタ自動車製の水素タンクを採用し、商船三井などが参加する民間のコンソーシアムと共同開発した。

 実験は同市の小倉港から響灘沖にある白島までの片道約30キロで実施。従来のディーゼル船に比べ、CO2排出量を約1.7トン削減した。水素のみで航行したのは20トン以上の船では国内で初めて。

「元号『令和』の決定経過」―既に中央公論で発表済― [2024年04月22日(Mon)]

「元号『令和』の決定経過」
―既に中央公論で発表済―


4月21日付共同通信から「首相側近、元号案を独自に提示 国書出典「佳桜」など3案」の見出しで、元号の決定について杉田和博官房副長官(当時)をトップとする事務方と今井尚哉首相秘書官がいかにも対立していたともとれる記事が配信された。この元号「令和」の決定経過については、中央公論1月号に筆者が詳細を寄稿している。

正確なところは、筆者の「中国古典にとらわれず新元号を」との産経新聞「正論」の記事を安倍首相が読まれ、元号を国書からと意思を固められた。その決定プロセスは、決して今井秘書官が独自に活動されたことではないのは明白です。以下中央公論の全文を掲載しますので、私の文章の不足点や異論などありましたら、是非ご教授下さい。

元号は内閣総理大臣に決定権があります。その決定プロセスは正確に行われたと確信しておりますが、元号決定に内閣総辞職をも考慮に入れた当時の安倍首相の心境や、関係者の皆さんには大変なご苦労があったと拝察します。もし、事務レベルでのエピソードがありましたら是非ご教示賜り、より詳細な内容として将来の元号決定の参考資料にすると共に、今まで「元号」決定のプロセスを知りえなかった国民への情報開示となることでしょう。


***************

中央公論1月号
筆者:笹川陽平


「令和改元」を巡る新たな真実
安倍首相に和風元号を決断させた1本の投稿


 元号が「平成」から「令和」に代わって4年半が経過し、新元号は日々の生活の中にしっかりと定着した。しかし、制定の経過は今も「秘中の秘」とされ、明らかになっていない。特に新元号を従来通り漢籍からの引用にするか、国書するか、最後まで迷っていた安倍晋三首相(当時)が「国書」を決断した裏に何があったのか、最終的に新元号に決まった「令和」の提案が何故、ギリギリの段階まで遅れたのか、ナゾとして残っていた。

 そんななか、今年(2023〈令和5〉年)2月には安倍元首相が新元号にかけた決意や思い、迷いなどをふんだんに語った「安倍晋三回顧録」(中央公論新社、以下『回顧録』)が出版されたほか、元号制定当時、政務秘書官を務めた今井尚哉氏を含め関係者から、断片的ながらようやく証言を得ることができた。

 この中で@改元の年(2019年)新春の産経新聞「正論欄」に掲載された筆者の寄稿が、安倍首相が国書を典拠とする新元号を決断する決め手となったA寄稿後、今井氏の勧めもあり、國學院大學の関係者の協力で作成した三つの元号案を提出し、そのうちの一つに高い評価があつまったが、典拠となった『万葉集』の歌の歴史的背景に問題があり、新元号を決める同4月1日の閣議約3週間前に改めて新元号案の作成が発注されたBこの結果、閣議5日前に新しい元号案が到着、そのうちの「令和」が最終的に新元号に決まったーなど、慌ただしい動きがあったことが新たに分かった。

 改元は従来、天皇の崩御に伴って新たな元号名とその施行日を決めた政令が発せられ、崩御当日、あるいは翌日に新元号に移行するのが常だった。しかし、江戸時代後期の1817年に光格天皇から仁孝天皇に譲位されて以来202年振りの生前退位に伴う皇位継承・改元となった今回は、天皇陛下(現上皇陛下)が2016年6月(平成28)8月にビデオメッセージで退位の意向を示されてから19年4月に譲位されるまでに3年近の長い時間があり、国民の間にもかつてない幅広い論議が起きた。異例の新元号制定経過は、生前退位故に初めて生じたと言え、改元の姿を将来に引き継ぐためにも、新たに明らかになった経過を以下、報告する。

▼決め手となった新聞投稿

 筆者の「中国古典にとらわれず新元号を」と題する投稿は、改元の年の2019年1月3日付「産経新聞」朝刊正論欄に「新春正論」として掲載された。この中で筆者は「日本には優れた造語の歴史があり、特に明治以降は約1千語もの和製漢語が中国に導入され現在も広く使用されている」とした上で、「新元号は中国の古典からの引用を止め、わが国独自の自由な発想で定めてほしく思う」 、「それが新しい時代の元号の在り方であり、国民の親しみにもつながる」と主張した。

 今井氏によると、翌日の1月4日は新春恒例の首相伊勢神宮参拝。東京から名古屋までは新幹線、名古屋で近鉄の乗り換え、伊勢に向かった。今井氏は政務秘書官としていつもように首相の隣に座り、後ろに警護に当たるSP、さらに後部座席には新聞各紙に「首相の1日」、「首相官邸」など首相の動向を伝える共同、時事両通信社の若手記者らの姿もあり、今井氏が各紙の元旦紙面など正月の主だった動きを首相に報告する姿も目撃されていた。

 この中に「正論」のコピーも含まれ、これを読んだ安倍首相が『やっぱり国書じゃなきゃダメだよな』と最終的に国書を典拠とする元号にすることを決断。『もう一回、知恵を振り絞ってもらおう』と、元号案の策定作業をやり直すことになったという。

 ここで当の「正論」全文を参考までに紹介させていただく。

「中国古典にとらわれず新元号を」

 天皇陛下の退位に伴い「平成」が4月30日で終わり、4月1日には新元号(年号)が公表される。元号制度は紀元前の中国・前漢時代に始まり、日本は現在も公的に使用する唯一の国とされている。

 ≪漢籍に典拠を有する二文字熟語≫
 飛鳥時代の「大化」に始まり、現在の「平成」は247番目。歴史的に中国の漢籍に典拠を有する二文字熟語が使われてきた。しかし日本には優れた造語の歴史があり、特に明治以降は約1千語もの和製漢語が中国に導入され現在も広く使用されている。

 新元号は中国の古典からの引用をやめ、わが国独自の自由な発想で定めてほしく思う。それが新しい時代の元号の在り方であり、国民の親しみにもつながる。

 改元の定め方は時代とともに変わり、明治以降は一人の天皇に元号を一つに限る「一世一元」の制度が取り入れられた。現在は昭和54(1979)年6月に制定された元号法で「元号は政令で定める」「皇位の継承があった場合に限り改める」とされ、その手順は元号選定手続要綱に定められている。

 まず首相が複数の有識者に新しい元号にふさわしい候補名を委嘱し、提出された候補名を官房長官が中心となって複数案に絞り首相に報告、衆参両院の正副議長の意見も聴いた上、全閣僚会議の協議を経て閣議で決定される。

 ≪多くの造語が近代化に貢献した≫

 中国古典の引用を近年で見ると、「明治」は「易経」の「聖人南面して天下を聴き、『明』に嚮(むか)ひて『治』む」が由来。「聖人が北極星のように顔を南に向けて政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる」の意味で、明治天皇がいくつかの年号候補から選出したといわれている。

 「大正」はやはり「易経」の「『大』いに亨(とほ)りて以(もっ)て『正』しきは、天の道なり」が由来。意味は「天が民の言葉を嘉納し、まつりごと(政治)が正しく行われる」。「昭和」は四書五経の一つ「書経尭典」の「百姓(ひゃくせい)『昭』明にして萬邦(ばんぽう)を協『和』す」が由来。国民や世界各国の平和や共存共栄を願って付けられた。

 そして「平成」は「史記」五帝本紀の「内『平』外『成』」(内平らかに外成る)と「書経」大禹謨(たいうぼ)の「地『平』天『成』」(地平らかに天成る)が由来。国の内外、天地とも平和が達成される、の意味である。「修文」「正化」も候補に残ったが、アルファベット表記がともに昭和と同じ「S」で始まるため外された。

 元号の条件は「国民の理想としてふさわしい意味を持つ」「漢字二文字」「書きやすい」「読みやすい」など6項目で、それ以上の縛りはなく、中国の古典に典拠を求める規定もない。

 加えて日本には江戸中期、幕政を補佐した儒学者の新井白石や江戸後期の蘭学者・宇田川榕菴(ようあん)らで知られる卓越した造語の歴史がある。特に明治維新後、積極的に行われた欧米の出版物の翻訳では、原文に当時の日本にはない言葉が多く、福沢諭吉や西周らが精力的に造語をした。

 「文化、法律、民族、宗教、経済」といった社会用語、「時間、空間、質量、団体、理論」といった科学用語、「主観、意識、理性」といった哲学用語など、現在も日常的に使われている多くの言葉がこの時代につくられ、日本の近代化に大きく貢献した。

 ≪希望を託せるよう求めたい≫

 清時代末期から昭和初期にかけ中国では日本留学がブームとなり、6万人を超す中国の若者が日本を訪れ、和製漢語をそのまま取り入れ日本の書物を中国語に翻訳、祖国に西洋文明を紹介した。中国、朝鮮に広く普及し、現代の中国語はこれらの日本語なしに社会的な文章は成り立たないともいわれている。

 中国共産党が使う「共産党、階級、組織、幹部、思想、資本、労働、企業、経営、利益」なども、すべて明治時代につくられた和製漢語とされている。上海外国語大学の陳生保・元教授は「中国語の中の日本語」の論文で、「経済、社会、哲学などの日本語訳は、とっくに現代中国語の中に住みつき帰化している。それが日本語だということを、ほとんどの中国人はもう知らない」と指摘している。筆者も中国を訪問、大学で講演するたびに、漢字を通じた長年の両国の交流を紹介してきた。

 昨年11月末、中国共産党の聖地、陝西省延安の大学を訪れた際もこの話に触れ、学生たちも静かに耳を傾けてくれた。互いに影響し合いながら独自に発展する姿こそ文化の在り方であり、今回あえて中国古典にとらわれることなく独自の手法で新元号を定めるよう求める所以(ゆえん)もこの点にある。

 皇太子の即位に伴い5月から新しい元号が始まる。国際社会は対立と緊張感を深め、少子高齢化に伴う縮小社会の到来で国内も課題が山積している。新たな手法で、明るい希望を託せる新元号が定められるよう求めてやまない。

▼退位宣言―天皇陛下の固い決意

 記事の影響を検証する前に、まず改元に至る経過を振り返りたい。一連の動きは16年7月13日午後7時のNHKニュース「天皇陛下が生前退位の意向示される」の速報で始まった。皇室典範第4条は「天皇が崩じた時は、皇嗣が、直ちに即位する」としており、「昭和」から「平成」への改元も、昭和天皇が崩御された1989年1月7日に新元号を平成とし翌日から施行する旨の政令が公布され、1月8日から平成に変わった。明治時代の旧皇室典範は終身在位制、即ち天皇の即位からその死までを一つの元号とする「一世一元」を定め、戦後の新憲法もこれを引き継いでいる。

 2016年当時、天皇陛下は82歳。2003年には前立腺がんの手術も受けられ、2011年、東日本大震災が起きると何度も被災地に入り被災者を励まされた。筆者は15年1月13日に皇居で天皇・皇后両陛下に世界のハンセン病の現状をご説明する栄誉に浴したことがある。その際も、被災地を訪れるだけでなく、皇居で頻回に関係者と会って被災地の状況を聞き励まされている姿をうかがい知ることができた。「80歳を区切りに譲位したい」との意向を漏らされていたとも報じられており、体力・健康が衰える中、天皇としての使命・責任をどう全うするか、悩まれていたのではないかと推察する。

 約1ヵ月後の16年8月8日午後には、天皇陛下のビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」も公表された。全体で10分を超すメッセージの中で陛下は、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と退位への思いを滲ませ、皇室典範が定める摂政に関しても「天皇が十分に、その立場を求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることにかわりはありません」と否定的な考えを示された。

▼想定外の事態と山積する難題

 天皇一代に1つの元号を使う「一世一元」制度は、「慶応」から「明治」に改元された1868年、太政官布告によって定められた。1979年に制定された元号法もこれを引き継ぎ、元号を「皇位の継承があった場合に限り改める」と明記している。前例のない事態に対する反響も大きかった。安倍元首相も回顧録第10章「新元号『令和』へ」で「それにしても、退位による改元は想定外でした。退位の法整備や様々な皇室関連行事、改元の手続きなどで結構、苦労しました」と語り、その上で「そうした機会に直面したのは、時代に選ばれた保守政権の使命だと思って取り組みました」と心境を語っている。

 当時、官邸記者クラブにいた元NHK解説委員の岩田明子氏は22年12月の月刊文芸春秋特別号で、当日の安倍首相を「驚き冷めやらぬ様子だった」と評した上で、「すぐさま生前退位を行う上での問題点を悟り、その晩の電話で、『現行の憲法上、陛下のご意向だけでは退位は認められないはずだ。それを可能にすれば、政府の思惑で強制的に天皇を交代させる余地を生んでしまう』、『とても簡単にクリアできる案件ではないが、何とか政府の責任でなし遂げなければならない』と語った」と記している。
 
 専門家の意見も割れた。ビデオメッセージを受けて16年10月に設置された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の意見も、摂政を置く、あるいは特例法で今の陛下に限って退位を実現する案から、皇室典範を改正して退位を恒久制度化する案まで出た。 

 政府は宮内庁と生前退位回避の可能性について協議する一方で、「一世一元」との関係をどう調整するか、改元の日を何時にし、新元号が決まった場合どのように発表するか、生前譲位に伴って発生するいくつもの難題の解決策を模索した。宮内庁も当初は一世一元を定めた元号法などとの関係で生前譲位には消極的な立場だったが、天皇陛下の強い思いの前に「内閣で段取りをつけてくれ」と、政府に対応を委ねる姿勢を強めた。

 そんななか、新元号案づくりの作業が同時進行の形で進められた。元号選定手続きに関しては、第1次大平内閣時代の1979年に定められた「要領」で、官房長官が候補名を検討・整理し、結果を内閣総理大臣に報告する、としている。政府は万葉集研究の第一人者、中西進・国際日本文化研究センター名誉教授ら国書や中国史の専門家6人に候補名の考案を委嘱する一方で、要領に基づき、杉田和博官房副長官、古谷一之官房副長官補、総務省から出向した開出英之審議官の3人を有識者との連絡調整など実務担当に決めた。これにより、安倍首相、菅義偉官房長官=いずれも当時=の下で実務を担う担当者の態勢が整った。

▼元号案は60、70もあった

 天皇であっても不測の事態は有り得る。そんな訳で元号制度では、過去に採用されなかった元号案を引き継ぐとともに、国書や中国史の専門家に委嘱し、いつでも新たな元号案を準備できる態勢がとられている。考案者が故人となった場合、その元号案は除かれるようだが、残りは「いずれ使われる可能性がある」との考えに立って引き継がれ、その数は60から70にも上っていた。

 候補名に関しては79年の「要領」が、「漢字2字であること」、「書きやすいこと」など6項目の留意事項を定め、特に6番目の「俗用されているものではないこと」では、「人名、地名、商品名、企業名等は不可」の意味に解され、人名や葬儀社の名前に使われていたことから、不採用になった候補名もあった。さらにアルファベット表記の頭文字がM(明治)、T(大正)、S(昭和)、H(平成)と重なる元号は時代の近さから使いにくい事情もある。

 また元号案の中には、過去の元号で「天安」、「安政」など計17回も登場している「安」が付く元号案もいくつか含まれていたが、これについては安倍首相自身が自らの苗字と重なることもあり、使わないよう早い段階で実務担当者に指示していた。

 ただし、何よりも大きいのは、引き継がれてきた元号案が、過去に採用を見送られた“落選案”である点だ。安倍首相も「事務レベルの段階で落とした案には、落としたなりの理由があるのです。だから、全く新しい案でなければ、ダメだったのです」(回顧録)と語っている。

▼首相は当初、楽観視していた

 そんななかで安倍首相には当初、新元号は苦労なく決まるという安心感があったようだ。回顧録でも「事務レベルの検討で良い案が出てきて、淡々と決まっていくだろうと楽観視していました」と語っている。その一方で「出来れば国書による元号にしたい」としながら、新元号に対し「もし国民から『安倍はなんでこんなものを選んだんだ』と言われたら、元号制度の存立自体が揺らいでしまいます。そうなったら、首相辞任どころの話じゃない。切腹ものでしょう」(回顧録)と語るなど、「国書を典拠とする元号にしたい」、「国民から支持される元号にしたい」という二つの思いの中で迷い、時間だけが経過していった。

 事態が膠着する中、政務秘書官の今井氏も元号案チームに加わることになった。今井氏は経済産業省出身。第1次安倍内閣でも広報担当の秘書官を務め、安倍元首相も回顧録で「内政・外交のオールラウンドプレイヤーです。もちろん情熱もある」、「第2次内閣以降も、平気で私に厳しいことをいい続けました」と評するなど絶大な信頼を寄せていた。当の今井氏は「元号が漏れてはいけないので、私は入りません」と伝えたというが、新元号が決まれば政務秘書官として総理大臣談話を作成する立場にある。

 本人はチームへの参加を、大詰めを迎えた19年3月10日ごろというが、総理大臣談話作成の関係もあり、安倍首相から一通りの動きを、その都度、知らされていたようだ。安倍首相も「今井さんは『ストーリーが湧いてくるもの、情景が浮かぶものが良い』といって、杉田さんや古谷さんを補佐するわけです」(回顧録)と説明している。当の今井氏もその都度、「どういう世の中にしたいのか、新しい時代をどうしたいのか、談話の中身はこうなりますから、それに相応しい元号にしてください」などと伝えていたと語っている。

 同時に当時の状況を「はっきり言って、いい候補名はなかった。安倍首相も元号を漢籍にするか、国書にするか、決められないまま、どうやって新しい時代を迎えるか、大きく揺れていた」と語った。改元の年の正月には気に入った元号案がなく、それ故に漢籍にするか国書にするかも決まらず、関係者の焦りばかりが募っていた。

▼決定打

 筆者の「正論」投稿は、そんなタイミングで1月3日付「産経紙面」に掲載された。関係者の迷いが大きかった分、予想外にインパクトを持った気もする。掲載半月後の19年1月中旬には、今井氏から「笹川さんも元号案を出してください」との依頼も受けた。今井氏とは、前年の18年10月初旬、別用で尾形武寿・日本財団理事長とともに官邸を訪問した際、たまたま顔を合わせ、「国書由来の新元号を希望します」と伝えた経過もあった。 

 そこで、かねて親交があった國學院大學OBの経済人・木村知躬氏=アサガミ株式会社会長=に相談し、協力を求めた。國學院大學は近世の国学を伝承し、万葉集研究が盛んなことでも知られる。木村氏に相談したのは、そんな事情もあった。

 その後、木村氏を通じて「知道」、「桜花」、「佳桜」の3つの候補名とそれぞれの典拠を簡単に記した文書を受け取り、東京・銀座の新東通信で3案を墨書した上、尾形理事長が今井氏の元へ届けている。日本財団には19年1月24日の日付が入った新東通信の領収証が残されており、時期は同1月末から2月上旬と記憶する。木村氏からは考案者の一人が万葉集研究で知られる辰巳正明・國學院大名誉教授であることも知らされた。

 しかし、「正論」投稿が果たして関係者の目に触れたのか、目に触れたとして新元号決定にいささかでも影響があったのか、さらに提出した3案がどうなったのか、全く情報がないまま時間が過ぎた。そんな中、改元から3年以上経過した22秋、たまたま会った今井氏がようやく重い口を開き、その一端を語ってくれた。

 まず国書を典拠とする新元号を訴えた正論寄稿について、今井氏は「国書にするか、漢籍にするか、迷っている時に、記事が“ぱんっ”と出た」、「それが総理が改めてマインドセットする決定打になった」と語った。「国書からの採用を後押ししたということですか」と問うと、今井氏は「いや、後押しではなく決定打ですよ。(記事を受けて)作業をすべて振り出しに戻したんですから」とインパクトの大きさを語ってくれた。

▼3案の考案者

 それでは提出した3案がどうなったか知りたくねり、今年3月16日、埼玉県坂戸市の自宅に辰巳名誉教授を訪ねた。辰巳名誉教授は成城大学大学院博士課程時代に中西氏の教えを受け、改元2ヵ月後の19年7月には「『令和』から読む万葉集」(新典社親書)も上梓している。当日は、中西氏と並んだ写真や、たまたま近くで撮ったという野生のキジの写真を飾った部屋で2時間近くにわたり、倭国(日本)の文化や漢詩、大和歌の関係などについて詳細な解説をしてくださった。

 辰巳氏によると、元号案に関しては國學院大學の佐蛛iさなぎ)正三理事長から「元号案を出してほしい」との依頼を受けた。中西先生の文書というか、資料のようなものが付いており「国書を出典する案を」といった意味に解釈して、古事記の序文から「鴻基」、勅撰漢詩集である凌雲新集から「大業」、さらに万葉集から「桜花」の3案を作り、佐蝸搦亦キに渡した。

 「鴻基」は「大きな基本を持つことが国を治める要諦」、「大業」は「武器ではなく文章こそが国を治める基本」の意味で、「桜花」に関しては「万葉時代の桜は山桜だった。散るのも早いが、万葉に時代に散るということは悪いことではなく、むしろ美しいことの象徴だった」と詳細な説明を受けた。しかし3案がその後どうなったかについては「知らない」とのことだった。
 
▼「佳桜」に注目集まる

 では、残る「知道」と「佳桜」は誰による案なのか。尾形理事長が2月、東京都内の帝国ホテルで開かれた母校・東京農大の大澤貫寿理事長の叙勲祝賀会で偶然、佐蝸搦亦キと同じテーブルとなり、初対面の挨拶とともに「元号案の関係では國學院大學にお世話になりました」とお礼を述べ、ひとしきり新元号が話題となった。その中で佐蜴≠ゥら「『佳桜』の元号案を作ったのは私です」と話があり、尾形理事長が3月30日、東京都渋谷区の國學院大學理事長室に佐蜴≠訪ねた。

 佐蜴≠ヘ19年1月、OBの木村氏から相談を受け、針本正行学長と辰巳名誉教授に協力を依頼し、辰巳名誉教授作成の「桜花」と針本学長の「知道」、さらに自ら作成した「佳桜」の3案を木村氏に渡したという。佐蜴≠ノよると、針本学長作成の「知道」は、造語で出典はないが、「知」は物事の本質・価値を悟る意を、「道」は正しい道理、仁義・徳行の意を表し、天皇の御心のもと、物事の本質を極める精神や道徳心が日本国にあまねく広がることを祈念した元号案という。

 次いで自案の「佳桜」。万葉集第1巻にある天武天皇の27番歌「淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見」(淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見)を主たる典拠に@「淑」を「佳」と読むとともに、本居宣長の「敷島の大和心をひととはば朝日に匂う山桜花」も意識したA日本の元号である以上、大和心は大事であり、「清楚」で「凛」とした姿の山桜のイメージを取り入れたB山桜の多くは、鳥たちがついばんだ種子から、日本の山々の自然と同化して増えていくことから、その「力強さ」も意識したーと説明した。

 3案の扱いに関しては一切、表に出ていないが、今井氏によると、想像以上に大きなドラマがあったようだ。提出された「知道」、「桜花」、「佳桜」のうち、「佳桜」を安倍首相と菅官房長官が高く評価、一時は新元号の有力候補に浮上したというのだ。今井氏によると、安倍首相は「『桜花』もいいけど、それに『佳き』が入る『佳桜』はさらにいい」と大層、気に入った様子だったという。

 しかし、元号として採用するからには典拠となった歌の歴史的背景などを詳細に調べ、いささかの問題もないことが確認される必要がある。前述したように、「佳桜」は万葉集第1巻にある天武天皇の27番歌が典拠。歌が詠まれたのは、天武天皇が兄・天智天皇と対立して逃れた奈良県・吉野。後に天武天皇が皇位継承をめぐって天智天皇の子息である大友皇子と争った壬申の乱(672年)での挙兵地でもある。「万一、浩宮さまと秋篠宮さまを揶揄するようなことに使われることがあってはならない」と慎重の上に慎重を期し、最終的に見送られることになった。今井氏は「断腸の思いだった」と語っており、今井氏も佳桜を高く評価した一人だったことをうかがわせている。

 尾形理事長から、そうした裏話を聞いた佐蜴≠ヘ、「我々はあくまで参考程度と思って案を提出しました。そのようなことがあったとは思ってもいませんでした」と驚きを語り、最後は「畏れ多くて死ぬに死ねない思いです」と恐縮された。

▼「もう一回知恵を」

 その一方で国書を典拠にした新元号とする方針は堅持された。閣議まで1カ月を切った3月上旬に候補として残った元号案は「英弘」(古事記)、「万和」(史記)など5案。現場の雰囲気は「万和」に傾きかけていた。しかし、安倍首相は納得していなかった。回顧録でも、「発表が近づいた3月20日、いくつかの元号案を見せてもらいました」(今井氏の記憶では発表の約3週間前)とした上で、「どれもピンとこなかった。日本人の心情に溶け込み、一体感を醸成する感じがしませんでした」(回顧録)と記している。

 ここで採用を見送った「佳桜」を引き合いに、「まだまだ国書でいい案があるのではないか」といった議論をし、安倍首相から「もう一回、最後の知恵を絞ってみてくれ」と注文があった。急きょ、中西進・国際日本文化研究センター名誉教授ら2人に元号案作りを依頼し、中西氏からは3月27日、「光知(こうち)」、「和景(わけい)」、「令和」の3案が提出された。新元号を決める4月1日(月)の閣議の5日前、ギリギリのタイミングだった。

 「光知」の典拠は万葉集にある山上憶良の長歌。「神なる天皇を賛美した歌」で、天皇を神格化し過ぎている点で時代に合わないと判断された。次いで「和景」。奈良時代の女帝・謙天皇の意思を伝達する詔(みことのり)が典拠。孝謙天皇が弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を寵愛して藤原仲麻呂が乱を引き起こした史実に関心が集まる事態などを考慮して、やはり見送られ、「令和」を元号案として閣議にかけることになった。

 「令和」が追加されたことで、最終的に4月1日の閣議のかけられる「英弘」(古事記)、「久化」(易経)、「広至」(日本書紀、続日本紀)、「万和」(史記)、「万保」(詩経)、「令和」(万葉集)の6案が出そろう形となった。国書と漢籍から3案ずつ、バランスが取れた構成となり、安倍首相の心は「令和」に傾いていた。

▼異例の改元手続き

 約200年振りとなった生前退位に伴う今回の改元は、天皇崩御に伴う改元と違って解決が必要な課題が何点かあった。まず改元の実施時期。国会や国民の議論も19年元旦や同4月1日などに意見が分かれた。最終的に17年6月に天皇の退位等に関する皇室典範特例法、さらに同12月に特例法の施行日を19年4月30日とする政令を公布し、4月30日をもって天皇が退位、皇嗣である浩宮さま(徳仁皇太子殿下)に皇位が継承され、5月1日に新たな元号に移行することが決まった。

 安倍元首相はその間の事情を「2019年の元日の改元が一番自然だと思っていたのですが、宮内庁が反対したのです。元日前後は『皇室行事がいろいろと立て込んでいる』と言ってきました。畏き所から、そういう声が降ってきたら、『分かりました』と言うほかないでしょう」、「2019年4月1日は、4年に一度の統一地方選の最中に当たります。全国で選挙をしている時に、退位や即位の儀式を行うのはふさわしくないでしょう」(回顧録)と判断が難しい状況が続いたことを明らかにしている。

 5月1日の改元が決まった後も、なお難問が残った。「新元号は皇太子さまの即位後に使われるのだから、皇太子さまがその政令に署名すべきだ」という保守派から反発がそれだ。これに対し安倍元首相は回顧録で「(皇太子さまが)新しい天皇陛下というお立場で署名するとしたら、新天皇なのだから、既に元号も新しくなっていないとおかしい。矛盾が生ずるのです」と語っている。

 天皇崩御を受けて皇位継承がなされた従来のケースでは、翌日、新しい元号を定めた政令が施行され、1日遅れの改元になるのが普通だった。しかし、今回は生前譲位に伴う新たな事態。結局、1カ月前の4月1日に元号を定める政令を公布し、その施行日を特例法施行(4月30日)の翌日、つまり5月1日とする二段構えの手続きでクリアされた。

 今井氏によると、ITが広く普及した現代では、改元に伴って和暦で入力された生年月日の修正など、金融機関や公的機関を中心に膨大な量のシステム改修作業が必要となり、短期間での改修が不可能といった事情もあった。意見の違いだけでなく、ITが発達した新しい時代に伴う難題も多く、複雑な対応が求められる改元となった。

▼御進講

 憲法4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めている。新元号を決めるのは内閣であり、新天皇が元号の決定に関与したような形は、天皇の政治利用に当たることになり避けなければならない。しかし、陛下に気に入っていただけない元号もまた避けるべきだろう。

 安倍首相は6つの元号案が出揃った2日後の29日(金)の午前に当時の天皇陛下(現上皇陛下)、午後は皇太子(現天皇陛下)に「御進講」の形でこの難問に対処した。名目は外交問題に関する内奏。4月1日の閣議を目前にメディア各社は当然、元号絡みとみて今井氏に激しい取材攻勢をかけたが、「国際問題」の一言で押し通したという。

 当日はA3(約30a×42a)サイズの用紙に元号名とその典拠、引用文、その意味などを、それぞれの案ごとに記した一覧表を用意した。決定前であり、文字は墨書ではなく、通常の活字。安倍首相が皇居、次いで東宮御所にうかがい御進講に臨み、今井氏は官邸で待機した。終わった後、今井氏が「どうでしたか」と聞くと、「6つの案をお見せした」との答えだった。

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 以下は今井氏の「推測」を基にした御進講の模様である。天皇陛下、皇太子殿下いずれの場合も、6つの案を記した一覧表を殿下の前に置き、「週明けの月曜日(4月1日)に有識者の皆さんに議論いただき、閣議で決めたいと思います」と前置きした上、6案を順番に一つずつ説明した。並び順は50音順。天皇陛下、皇太子殿下から見て一番右が「英弘」、「令和」は一番左だった。

 官邸に戻った安倍首相は、天皇陛下、皇太子殿下への御進講の模様を今井氏に次のように語った。

 「どの案についても典拠や意味を淡々とご説明した。天皇陛下は「次の世代のことだからお任せします」と静かに応じられ、皇太子殿下は最後の『令和』の解説に対し頷いて微笑み、心持ち嬉しそうな表情を見せられた」

 安倍首相は、特定の案を指し示すようなことはしなかったものの、自分が「令和」に傾いていることを阿吽の呼吸で分かるように、それとなく強い調子で説明するなどブリーフィング能力を発揮されたのではないか、というのが今井氏の推測だ。

▼有識者会議・閣議

 残るは「元号に関する懇談会」と閣議。懇談会は官邸4階の特別応接室で開かれ、メンバーは上田良一・NHK会長(当時)、榊原定征・経団連名誉会長(同)、白石興二郎・日本新聞協会会長(同)、ノーベル医学生理学賞受賞者の山中伸弥氏ら9人。古谷官房副長官補が出典や意味を説明し、山中氏から「『広至』もいいですね」、榊原氏から「個人的には『英弘』もいいと思います」といった発言があったものの「令和」に依存を唱えるメンバーは1人もいなかった。

 閣議でも河野太郎外務大臣(当時)から、昭和に次ぐ「和」の一文字に「『和』が昭和と重なる」といった発言が出たものの、こちらもすんなりと「令和」に決まり、内閣総務官が直ちに車で皇居に運び、天皇陛下の署名(御名御璽)をいただき、かくて中西名誉教授が万葉集の「梅花の歌三十二首」の序文を基に作成した「令和」が、248番目の元号に決まった。

▼内閣総理大臣談話

 閣議決定を受け、「新しい元号『令和』について」と題する内閣総理大臣談話も発表された。談話は約850字。今井氏が首相秘書官としてまとめ、総理自らも何回も何回も推敲を重ねたとされ、「一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい」との思いが込められた。今井氏は総理大臣談話について「2015年、戦後70年の首相談話と並び7年8カ月の秘書官在任中の最難関だった。安倍総理と一心同体でないと書けませんでした」と振り返っている。総理大臣談話の全文は以下の通りだ。

 本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。 新しい元号は「令和」(れいわ)であります。 

これは、万葉集にある「初春(しょしゅん)の令(れい)月(げつ)にして 気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やわら)らぎ 梅(うめ)は鏡(きょう)前(ぜん)の粉(こ)を披(ひら)き蘭(らん)は珮(はい)後(ご)の香(こう)を薫(かおら)す」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。
 
 万葉集は、千二百年余り前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

 悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を、国民の皆様と共に切り拓いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。
 
 五月一日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位の御理解と御協力を賜りますようお願いいたします。政府としても、ほぼ二百年ぶりとなる、歴史的な皇位の継承が恙なく行われ、国民こぞって寿ぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。

 元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、千四百年近くにわたる我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっています。この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願っております。

▼結び 一連の経過を知って
 
 元号制定経過の一端を知り、驚くとともに恐縮している。自分の素朴な思いをまとめた新聞寄稿が、安倍元首相が国書を典拠とする元号を決断する決め手となり、これをきっかけに國學院大學関係者の協力を得て提出した3つの元号案、とりわけ「佳桜」が採用を見送られたものの、大詰めの段階で新元号「令和」につながる重要な役割を果たしたと聞き、光栄かつ畏れ多い思いである。

 元号はあらゆる公文書や運転免許証、健康保険証などで用いられ、「昭和生まれ」、「平成生まれ」といった形で日常的に使われている。間違いなく日本の文化であり、国民の日常生活の中にしっかりと根付いている。引き続き西暦表記とともに長く使われていくと思う。

 元号制定経過は「秘中の秘」として国民には見えない部分が多い。天皇崩御に伴い間を置くことなく新たな元号が定められ、不採用になった元号案が、次代に引き継がれていく一点からも、止むを得ない措置と思われるが、約200年振りとなった今回のような生前譲位のケースでは、国民の間にも幅広い議論が生まれており、新元号決定に至る経過を可能な限り公表する手もあるのではないか。一部に元号廃止を主張する向きもあるようだが、決定までの過程を知れば、元号に対する国民の親しみも増すはずだ。

 今回、「佳桜」や中西名誉教授が提案された3案のうちの「和景」が不採用になった経過を知り、首相以下関係者の間でそのような深慮がなされていたことに驚くとともに、改めて、この国の歴史の長さと伝統を知る思いを新たにした。

 同時に「安倍晋三回顧録」を拝読して「日本人の心情に溶け込み、一体感を醸成する」元号にかける元首相の強い思い、さらに「新元号に支持が得られなかったら政権交代だ」と語る言葉に元首相の責任感の強さと首相の役割の大きさも痛感する。今井氏も「(新元号制定の)実質は時の総理です」と語っている。

 今回は今井氏から、「大詰めの新しい流れのきっかけを作ったのは笹川さんだ」との有難い言葉をいただいた。あえて重い口を開き、新元号制定の一端を語っていただいたのも、そんな点があったのかもしれない。

 当の安倍元首相は22年7月、奈良市内で参議院選挙候補者の応援中に凶弾に斃れた。同年10月、衆議院本会議で行われた追悼演説で野田佳彦元首相は「安倍元首相がこの国に遺したものは何だったのか。(中略)遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません」と述べた。

 新元号制定を巡っては水面下の議論が長く続き、今井氏も「官邸と宮内庁、与党と野党、さらに与党の中でも右派と左派の意見に大きな違いがあった。どのテーマも『秘中の秘』。緊張を強いられる毎日だった」と振り返っている。今後も「明らかにできない事実」がたくさんあると推察する。それを承知で、時間の流れの中で少しでも多くの事実が明らかにされるよう望みたい。それが元号制度を引き続き健全に維持していく道につながる。

▼その他、「朝日新聞」の指摘について

 新元号制定に関連して朝日新聞取材班の「秘録 退位改元」(朝日新聞出版)は、安倍首相が2017年10月、日中平和友好条約締結40周年に合わせて訪中し、日中の企業関係者を集めた「日中第三国市場協力フォーラム」に出席した際のスピーチで、「19世紀になると、日本人が西洋の技術を取り入れ、中国が作った漢字を使って、西洋の思想を翻訳しました。哲学、経済など、その時につくられた新しい単語は、中国に逆輸入され、今でも、中国語として使われています」などと語ったと記し、「そろそろ国書から元号を」という思いの発露のように聞こえたと記述している。

 その上で「2019年1月、これに呼応するような論考が産経新聞に掲載される。タイトルは『中国古典にとらわれず新元号を』。筆者は山梨県鳴沢村の別荘で毎夏のように首相と懇談を重ねる日本財団会長、笹川陽平氏である」と記している。

 わが国は西洋の思想・技術を翻訳する際、多くの漢字熟語をつくり、中国にもそのまま輸入された。筆者はそうした歴史を踏まえ、「正論」後段でも、「中国を訪問、大学で講演するたびに、漢字を通じた長年の両国の交流を紹介してきた」、「昨年(2018年)11月末、中国共産党の聖地、陝西省延安の大学を訪れた際もこの話に触れ、学生たちも耳を傾けてくれた」と記している。また18年8月には「笹川陽平ブログ」に、鳴沢村の別荘で歴代の総理である森喜朗、小泉純一郎、麻生太郎、安倍晋三の4氏と懇談した写真を掲載した経過もある。 

 「秘録 退位改元」をそのまま読めば、国書による新元号を目指した安倍元首相と筆者の「正論」に関係があるかの如き印象を受ける向きがあるかもしれない。確かに安倍元首相にいささかの交流をいただいた。しかし、元号のような重大な事案について首相と直接話すようなことは有り得ない。筆者の考えをまとめて「正論」に寄稿したのはこのためだ。

 関連して同書には、「辰巳名誉教授が知人を介して笹川氏の依頼状を受け取り『大業』などを提出した」とした上で、「笹川氏は取材に対し、依頼について否定した」とも記されてもいる。事実、筆者は19年3月12日午後、朝日新聞記者2人の訪問取材を受け、その通りの対応をした。新元号制定が大詰めを迎えた当時、何ら全体の状況が分からないまま安易な答えをするのは躊躇される状況にあったことをご理解いただきたく思う。(了)  

「性転換する海洋生物」―オーシャン・ニュースレター― [2024年04月17日(Wed)]

「性転換する海洋生物」
―オーシャン・ニュースレター―


オーシャン・ニュースレターは、私が日本造船振興会の理事長当時、海洋問題が将来必ず国際問題になると予想し、海洋に関する総合的な議論の場を提供しようと考えて月二回の発行を始めたが、当時は海洋問題に関心のある学者、研究者の所在も不明で、送付先は極めて少数であった。しかし海洋基本法の制定に努力する過程で多くの読者を獲得することに成功した。

現在は笹川平和財団・海洋政策研究所が毎月5日と20日に発行し、多くの専門家のご努力で、既に567号が発行されている。多様な海洋問題が毎号三本の原稿として掲載されている。毎号の記事も興味深いが、「事務局だより」も私の好きなところです。

3月20日号の「性転換する海洋生物」と題した岩田恵理・岡山理科大学獣医学部教授の記事を参考までに掲載しました。

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※ウェブサイト 

性転換する海洋生物─性という戦略
岩田恵理


 海洋生物の性決定のシステムは、XY染色体を基盤とした強固な性決定システムを持つわれわれヒトとは異なり多様である。
中でも魚類では、性転換する種が複数報告されている。
魚類の性転換は決して珍しい現象ではなく、彼らの生存戦略からすれば非常に理にかなったことである。

クマノミの社会順位と性転換
 XY染色体を基盤とした強固な性決定システムを持つわれわれヒトと異なり、海洋生物の性決定のシステムはさまざまである。その中でも、魚類では性成熟後に自らの性別を変更、つまり性転換を行う種が複数報告されている。魚類の性転換は決して珍しい現象ではなく、彼らの生存戦略からすれば非常に理にかなったことである。
 クマノミ類は主にインド太平洋熱帯域のサンゴ礁に生息する熱帯魚である。現在、全世界で28種類のクマノミ類が報告されているが、そのうちの6種が日本列島沿岸に生息する(図1)。クマノミ類はイソギンチャクと共生する魚類として有名であるが、1つのイソギンチャクの中に住んでいるクマノミ類の間には血縁関係はない。群れのクマノミ類は、身体の大きい順に社会順位(優劣)を形成している。つまり1番大きい個体が1番強く優位であり、2番目に大きい個体が第2位、3番目に大きい個体が第3位といったように、体長によって群れの中の順位が決まっている。
 一般にクマノミ類の群れの構成メンバー間では、威嚇・服従行動が日常的に繰り返されている。これらの行動は、群れの中での秩序を保つために大事なのはもちろん、彼らの繁殖にとっても非常に重要な役割を果たしている。彼らの性別は遺伝情報ではなく、群れの中の社会順位により決定するのである。性成熟前のクマノミ類の生殖腺は、1つの臓器の中に卵巣の部分と精巣の部分の両方が存在する。クマノミ類の場合、外側が未熟な卵巣組織、内側が精子を認める精巣組織である。群れの中の社会順位が2位に確定すると、卵巣の部分が少なくなり精巣の部分が増え、雄としての機能を持つようになる。1位となるとその生殖腺の精巣の部分は徐々に退縮し、卵巣の部分だけとなり卵胞が成熟し、雌として機能するようになる(図2)。群れの中ではこの2匹だけが繁殖ペアとなり、定期的に産卵放精を繰り返すことになるが、3個体以下の個体は未成熟な両性生殖腺を持ったまま過ごす。しかし、上位の個体が捕食者に食べられてしまったり、台風で飛ばされていなくなってしまったりなどの不慮の事態が起こると、下位の個体の社会順位が繰り上がることになる。例えば、雌がいなくなれば、雄は2位から1位に昇格するので雌へと「性転換」をする。その結果3位個体は2位になり、性的に未成熟な状態から雄になれるのである。
 クマノミ類がこのような生態を持つことは非常に理にかなっている。クマノミ類は遊泳力が弱い。3位以下の個体が繁殖のチャンスを求めてイソギンチャクを移動することは相当に難しいため、1つのイソギンチャクの中で上位に繰り上がる機会を待つことになる。一方、上位の繁殖ペアは、同じ個体同士で定期的に産卵放精を繰り返すことになる。この場合、魚類にとっては雌の体が大きい方が都合が良い。精子を1つ作るよりも、卵黄豊富な卵を1つ作る方がコストがかかるからである。また、クマノミ類はイソギンチャクの脇の岩場に産卵し、卵がかえるまで新鮮な海水をかけたり掃除をしたりなどの「育卵」を行うが、この役目は雄である。雄が一生懸命卵の面倒を見ている間、雌は次回の産卵に備えてひたすら食べて体力を回復する。つまりクマノミ類はイソギンチャクに住む群れを1つの繁殖ユニットと捉え、そのユニットが繁殖を継続できるような社会システムを持つということである。

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日本で見ることのできるクマノミ6種


さまざまな性転換魚
 クマノミ類とは逆に、雌から雄に性転換をするのがベラの仲間である。ベラ類の多くは大きな雄が縄張りを構え、雌を複数囲い込んで、ハーレム型の群れを形成する。ハーレム雄が死んでしまったりいなくなってしまったりした場合、ハーレムの中にいた身体の一番大きい雌が性転換して雄になることが知られている。ハーレム型の繁殖戦略を持つ魚類にとっては、ハーレムを守る雄の体が一番大きくて強い方が都合がよいのである。
 さらに、一生のうちに雄雌を何度も行ったり来たりする魚種も知られている。日本では伊豆から沖縄にかけての岩場に広く生息するオキナワベニハゼである。オキナワベニハゼは繁殖期に2匹が出会うと、大きな個体が雄、小さな個体が雌と状況に応じ性転換を行って繁殖をする。性転換に要する期間はとても短く、4日程度である。遠くまで移動のできない小さなハゼが、効率よく繁殖するためにそのつど雄雌を切り替えて貴重な出会いを無駄にしないようにすることは、至極理にかなった方法である。
 また、社会順位だけではなく、他の環境要因によって性転換する例もある。クロダイやハタの仲間は、幼魚の頃は両性生殖腺を持ち、その後いったん雌として性成熟する。その後、体長が一定の大きさに達すると雌から雄へと性転換することが知られている。つまり、年齢によって性別が変わってゆくのである。

生存戦略としての性転換
 魚類では繁殖を成功させるため、つまり生存戦略として自らの性を変えてゆくことは決して珍しい現象ではない。現在、性成熟後に性転換をする魚は、全世界で500種ほど報告されている。しかし、海の中にいるすべての魚の行動をつぶさに観察することは、われわれヒトには難しいので、恐らくもっと多くの魚が性転換をする能力を持っていると考えられる。
 私たち脊椎動物の祖先は海で生まれた魚類である。魚類はさまざまな性決定の仕組みを持つに至ったが、その後陸上に進出を果たし、さらに進化してゆく過程で徐々に仕組みは洗練され、現生の哺乳類に見られるようなXY染色体を基盤とした強固な性決定システムができ上がったのだろう。
 実は哺乳類のような性決定をする動物種は殊の外少ない。特に海洋生物はめちゃくちゃで本当に面白い。多くの動物種を見渡してみれば、性は揺らいで当たり前であるということがお伝えできれば幸いである。(了)

産経新聞【正論】今こそ活力ある政治を取り戻せ [2024年04月10日(Wed)]

―今こそ活力ある政治を取り戻せ―

産経新聞【正論】
2024年3月29日

 自民党派閥のパーティー収入不記載事件で国会をはじめ政治全体が混乱の極みにある。事件では国会議員が国会で定めた政治資金規正法を自ら破った。「何をか言わんや」である。

 過去のロッキード事件やリクルート事件を見るまでもなく、「政治とカネ」はこれまで繰り返し問題となってきた。国内外に重要な課題が山積し、国際社会が激しく揺れ動く中、カネの問題で政治が停滞する現状は看過できない。あえて私見を述べさせていただく。

 ≪一定の政治資金は必要≫
 まず政治資金問題。結論から言えば、政治活動の実態からも一定の政治資金を認めた方が合理的と判断する。確かに国会議員には年約1550万円の歳費や月100万円の調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)、月65万円の立法事務費、期末手当など年間4000万円超が支給される。

 公設秘書3人分の給与も公費で賄われ、国が交付金を出す政党助成制度もある。

 しかし、国会議員の活動は中央だけでなく地元選挙区も含め幅広い。地元の政策課題を政治に反映させるには地方での幅広い対話や交流も欠かせない。

 結果、私設秘書も数人必要となり、その給与や地元での会合費など出費も多い。与野党の議員の多くが政治資金パーティーを開いているのは、得られる資金で議員活動を充実させるのが目的と思う。

 透明性が前提となるのは言うまでもない。使途をすべて公開すれば、今回の事件のように裏金疑惑が発生する余地はなくなる。政治の世界を目指した以上、どの議員も胸を張って使途を公表する覚悟は当然、持っているはずだ。

 あえて政治資金を認める立場をとるのは、個人からの寄付を含めすべてを規制すれば、世襲議員や資産家、手厚い支援組織を持たない限り、政治家になり、あるいは政治家として成長する機会を失うことになりかねないからだ。

 ≪多数が集まってこそ力に≫
 次いで自民党の派閥問題。率直に言って、岸田文雄首相が早々と派閥解消を打ち出したのは早計だったと思う。首相が自ら会長を務めていた「宏池会」(岸田派)を解散する意向を示したのを受け、6派閥のうち4派閥が解散した。

 赤字国債の是非を含めた財政再建、中国・台湾とどう向き合うかといった外交問題など、わが国が直面する諸課題に対する自民党内の意見は派閥によってかなりの開きがある。

 過去を振り返ると、各派が政策を競い合うことで党の活力が生まれ、時に政権に対するチェック機能を果たしてきた経緯もある。小選挙区制になったことで中選挙区時代のように、同じ党の複数の候補が選挙で政策を争う場面も姿を消した。派閥が果たしてきた若手議員の育成をどうするか、といった問題もある。

 政治は「数こそ力」の世界。多数が集まってこそ力となる。時に「金とポストで数を集め総裁選挙を戦うのが派閥、政策をつくるために集まるのが政策集団」といった説明を耳にするが、聞こえはともかく実態は同じである。

 派閥を解消しても、考えを同じくする議員が必ず集まる。政策集団にせよ勉強会にしろ、人が集まらなければ形を成さない。派閥解消を打ち出す前に、派閥の功罪をもっと議論する必要があったのではないか。

 日本財団が一昨年初め、日本と米国、英国、インド、中国、韓国の計6カ国の17〜19歳各1000人にインターネットで「自国の将来」について聞いた結果、「良くなる」と答えた日本の若者はわずかに14%。5番目の韓国の半分以下に留(とど)まり、逆に「悪くなる」は35%と6カ国中、最も高かった。

 調査結果は、次代を担う日本の若者が将来に希望を持てないでいる姿を浮き彫りにしている。国造りの展望を示すのは政治の役割である。各種世論調査で自民党の支持率が軒並み落ち込んでいるのは当然として、野党の支持率に目立った変化が見られない。

 国民の間で進む政治離れ、無関心が投影された結果と思うが、社会の一員である以上、誰もが政治と無関係ではあり得ない。

 政治浄化と併せ国民が求めているのは、国の将来を国民に示し、切り拓(ひら)いていく政治の強い姿である。浄化を目指すあまり、自縄自縛となって活力を失うようなことがあってはならない。

 ≪政治の姿示す絶好の機会≫
 政治が停滞したままでは、激動する国際社会の中で日本は一段と地盤沈下し発言力を失う。今回の事件で国民は政治に厳しい目を注ぎ、政治に対する関心も高まっている。今こそ新たな政治の姿を国民に示す絶好の機会である。

 予算委員会の論戦を見ると、事件の真相解明はともかく、山積する諸課題に対する与野党の議論があまりに希薄で、国民の思いとかけ離れている気がする。政治が本来の活力を取り戻せば政治に対する国民の期待も高まる。

 それが実現した時、政治不信が緩和され、政治の再生も視野に入ってくる。

(ささかわ ようへい)


「海洋新種続々発見」―世界で活動活発化― [2024年04月08日(Mon)]

「海洋新種続々発見」
―世界で活動活発化―


3月21日付のブログで、日本財団とイギリスのネクトン財団と共同で海洋における新種を10年間で10万種発見する野心的プロジェクトについて掲載し、チリの沖合の深海で100種以上の新種の可能性がある海洋生物の発見を報告したが、ニュージーランド沖での深海探査でも100種類以上が発見されている。

以下、ナゾロジーの報告記事です。

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調査船タンガロア号(Tangaroa)に乗って調査
Credit: Finds from the Bounty Trough I Ocean Census(youtube, 2024)


今回の海洋探査は、日本財団と英国のネクトン財団によって設立された海洋生物探査プロジェクト「オーシャン・センサス(Ocean Census)」の主導で行われました。

オーシャン・センサスは、汚染・乱獲・気候変動などで未知の海洋生物が失われる前に、10年以内で10万種の新種を記録するという目標を掲げています。

その一環である本調査は今年2月に、ニュージーランド南東沖に広がる海底地形「バウンティトラフ(Bounty Trough)」を対象に3週間の期間で実施されました。

本調査にはオーシャン・センサスの研究員のほか、ニュージーランド国立大気・水圏研究所(NIWA)、ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ(Te Papa)のメンバーを含む計21名が参加し、NIWAの調査船タンガロア号に乗ってバウンティトラフへ向かいました。

新たに回収された生物サンプルの中には研究者の見知らぬ生き物がたくさん紛れていました。

そのうち100種以上は科学的に記載されていない新種の可能性があると見られています。

チームが研究室に持ち帰って分析したサンプルのうち、すでに新種と確認されたのは、軟体動物が数十種、魚類が3種、甲殻類が1種、頭足類が1種などです。

例えば、こちらは頭足類であるイカの新種と見られます。

体に点々と見られる呪印のような模様が特徴的ですね。

海洋新種続々発見A.png
イカの新種と見られる
Credit: Finds from the Bounty Trough I Ocean Census(youtube, 2024)


次にこちらは”海の豚(sea pig)”の愛称で知られる「センジュナマコ(学名:Scotoplanes globosa)」の一種です。

丸々と太った肌色のボディが子豚を思わせます。

海洋新種続々発見B.jpg
センジュナマコの一種
Credit: Finds from the Bounty Trough I Ocean Census(youtube, 2024)


また、完全に地球外生命体にしか見えないような未知の生物も捕獲されました。

見た目は映画で有名な顔に飛びついてくるエイリアンのようですが、これは「クーマ目(学名:Cumacea)」という甲殻類の新種と見られるとのこと。

ヨコエビなどに近い生物だといいます。

海洋新種続々発見C.png
クーマ目という甲殻類の一種と見られる
Credit: Ocean Census (2024)


それから魚類の新種も今のところ3種が特定されました。

どれも深海に生息しているため、水面近くで見られるような魚とは違い、体表面がぬらぬらと不気味に照りついています。

こちらは水深2700メートルで回収された「ゲンゲ科(学名:Zoarcidae)」という魚類の一種です。

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表面がぬらぬらしたゲンゲ科の一種
Credit: Finds from the Bounty Trough I Ocean Census(youtube, 2024)


こちらの珍妙な魚は今にも溶け出しそうな顔をしています。

この魚も新種の可能性があるようです。

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今にも溶け出しそうな顔
Credit: Finds from the Bounty Trough I Ocean Census(youtube, 2024)


さらにチームは1つの不可解な生物を発見しました。

当初は新種のイソギンチャクがヒトデだろうと考えていましたが、調べてみるとそのどちらでもないことが分かったという。

現時点では「八放サンゴ(学名:Octocorallia)」の新種あるいは新属と推測されていますが、まったく新しい生物グループの可能性もあるとのことです。

それがこちら。

見た目はかなり地味目ですが、もしかしたら世紀の大発見となる生物かもしれません。

海洋新種続々発見F.jpg
まったく新しい生物グループの可能性も
Credit: Finds from the Bounty Trough I Ocean Census(youtube, 2024)


以上が新種と見られる生物たちですが、これらは今回見つかったサンプルのほんの一部でしかありません。

オーシャン・センサスの科学ディレクターであるアレックス・ロジャース(Alex Rogers)氏は「すべての標本が調査される頃には、100種以上の新種が特定されているでしょう」と述べています。

海洋生物は現在、年間に約2200種が新種として見つかっており、そのスピードは探査技術の向上とともに今後さらに加速すると思われます。

私たちが知っている海洋生物は氷山の一角に過ぎないのです。

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ところで、私は5月頃、北極海の海底探査に参加する予定です。どのような海底生物が発見されるのか、今からワクワクしております。

「日本財団ネクトンプロジェクト」―海洋で新種発見多数― [2024年03月21日(Thu)]

「日本財団ネクトンプロジェクト」
―海洋で新種発見多数―


日本財団はイギリスのネクトン財団と共同で海洋における新種を10年間で10万種発見するという野心的なプロジェクトを実施しているが、この度、以下の通りINTERESTING ENGINEERINGなどから発表があった。(原文英語)

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北カトリカ大学のハビエル・セラネス博士が率いる国際科学者チームは、チリ沖の水中山、つまり海山に生息する100種以上の新種の可能性のある種を特定した。

シュミット海洋研究所が実施した最近の遠征では、ナスカ海嶺とサラス・イ・ゴメス海嶺沿いの海山を調査し、深海サンゴ、ガラス海綿体、ウニ、端脚類、スクワットロブスター、およびまったく新しい可能性のあるその他の多くの種を明らかにした

サラス・イ・ゴメス海嶺は、200 以上の海山からなる全長 2,900 キロメートルの水中山脈で、チリ沖からラパヌイ (イースター島) まで広がっており、その大部分は国の管轄外にあります。

チームはまた、国際公海海洋保護区の設立を裏付けるデータを収集することを目的として、チリの2つの海洋保護区、フアン・フェルナンデス海洋公園とナスカ・デスベントゥラダス海洋公園を調査した。

水深 4,500 メートルまで潜ることができる高度な水中ロボットを利用して、科学者たちは 10 の海山からデータを収集し、繁栄した深海のサンゴ礁やスポンジ園など、独特の生態系を明らかにしました。研究チームは現在、新種とおぼしき標本の生理学と遺伝学を分析し、その状態を確認している。

遠征中、船上の専門家は52,777平方キロメートルの海底の地図を作成し、チリ海域内のこれまで知られていなかった4つの海山を発見しました。その中で最も高いものは 3,530 メートルあり、科学チームによって調査、地図作成が行われ、非公式にソリトと名付けられました。

セラネス博士は、予想外の発見に興奮を表し、次のように述べました。「このような辺鄙な、ほとんど探検されていない地域では、常に新種が見つかると期待されていますが、特にカイメンのような一部のグループで発見された量は驚くべきものです。」

繁栄したシステムは、海洋の生息地がどのように保存されているかを示しています

同氏は、ナスカ・デスベントゥラダス海洋公園とフアン・フェルナンデス海洋公園の繁栄した生態系は、繊細な海洋生息地の保護におけるこれらの保護区の有効性を示していると強調した。

これらの発見は、この地域の複雑な生物多様性への理解に貢献するだけでなく、チリにおける海洋保護の取り組みも支援します。収集されたデータは、国際公海上海洋保護区の確立に向けた取り組みを進めるのに役立ちます。

シュミット海洋研究所事務局長のジョティカ・ヴィルマーニ博士は、今後10年間に10万種の新海洋種を特定することを目的とした日本財団・ネクトン海洋国勢調査プログラムとの関連で、この発見の重要性を強調した。この野心的な目標には、今回の遠征で発見された新種も含まれ、地球の海洋生物の保存と理解における継続的な研究の重要性が強調されます。

サラス・イ・ゴメス尾根に沿った2回目の遠征は2月24日に始まり、水中ダイビングはシュミット海洋研究所のYouTubeチャンネルでライブストリーミングされる。

最初の探査についてはすでにサイエンス・ジャーナルに詳しく掲載されており、次の探査ではさらに深く掘り下げられ、科学者らは初めて水深600メートルを超える領域を探査する予定だ。

シュミット海洋研究所は、南太平洋の探査を継続し、2024年を通じてペルーとチリ沖の海域を調査する予定だ。

この国際的な科学者チームによってなされた発見は、海洋の豊かな生物多様性を保存するための継続的な探査と保全の取り組みの重要性を強調し、深海の謎に光を当て、これらの脆弱な生態系を保護するための世界的な協力の必要性を強調しています。

これらの種の特定を完了するには何年もかかる可能性があり、セラネス博士と彼のチームは、この美しく豊かでほとんど知られていない生物多様性のホットスポットから信じられないほどの数のサンプルを入手しています。

「当研究所は、日本財団ネクトン・オーシャンセンサスプログラムのパートナーであり、今後10年間で10万種の新しい海洋生物を発見することを目指しています」とシュミット海洋研究所所長のジョティカ・ヴィルマーニ氏は説明しています。

「国会図書館デジタル化」―日本財団― [2024年03月18日(Mon)]

「国会図書館デジタル化」
―日本財団―


日本財団は、長く社会福祉施設の障がい者就労支援問題について努力を続けてきた。

当初は、福祉施設が運営するクリーニング屋、パン屋、印刷所、お菓子屋の運営等に協力してきたが、いずれも「かわいそうだから」との一時的同情だけで、長続きしなかった。

そこで一般の会社と競争できる商品を販売する福祉施設に日本財団の登録商標である「真心絶品」を付与して努力してみたが、結果的には失敗だった。

福祉施設で働くB型障がい者の1ヶ月給与の平均は1万5,000円前後であり、何とか3倍にしたいとさまざまな努力を傾注し、部分的には花屋さんでの勤務やお菓子屋さんでの勤務など、外勤の方々の給与は3倍程度の3万円〜4万5,000円程度は確保できたが、全国的にはほんの一部でとても成功とはいえなかった。

現在はワインの製造やビニールハウスでの野菜を全量引き取る企業と契約し、建設費の負担は日本財団が負担する実験的プロジェクトも実施中で、障がい者は国の援助で生活するという常識から、障がい者の給与を月額10万円程度にすることによって国からの支援で生活するのではなく、自立してわずかでも納税者になることで厖大な国の社会福祉費を軽減させたいと悪戦苦闘している。

最近、国会図書館のデジタル化の作業を障がい者に請け負ってもらう仕事が軌道に乗りかけてきた。私の夢が実現可能になりつつあるが、ここまでの道のりは長く、時間はかかったが着実に進んでいることを報告したい。

前段が長くなったが、山田太郎参議院議員のご協力もあり、国会図書館の膨大な書籍のデジタル化を社会福祉の一環として障がい者の仕事にしたいと努力しているところである。

当初、この話を国会図書館の担当者にしたところ、大切な書籍のデジタル化を障がい者に?と「信じられない」という顔で返答された。日本財団では1億円のスキャナー機器を購入し「コロニー東村山」で練習を実施。それを見学した国会図書館の担当者からは、驚きと共にこれなら実施可能ですとのお墨付きを戴いた。

そこからが又一山あり、従来大企業が入札でこの仕事を受注していたところに日本財団が新規参入となったわけで、実績もないところから当初は最低限の15,640,000円しか受注できなかった。しかし、国会図書館のデジタル化は5ヶ年計画207億円の事業であること、将来は国会は勿論のこと裁判所、地方自治体の保存すべき資料のマイクロフィルム化を考えると仕事量は無限にあると推察される。これが障がい者の仕事になれば、平均給与月額1万5,000円前後が10万円近くに増額可能になり、国からの援助で生活するのではなく、納税者としてプライドをもって生活することが出来ると期待が広がる。

日本財団は、障がい者の仕事としてWTOの公正な入札制度の例外として厚生労働省、外務省、財務省の了解を得て特別入札の許可も得た。これからは現在ある「コロニー東村山」宮城県の共生福祉会、福岡県のセルプセンター福岡をはじめ、全国の福祉施設に約1億円の機械を配備して日本における貴重な資料のデジタル化を就労支援事業所で作業できる体制を早急に確立したいと願っている。

以下1月29日付の世界日報で取り上げられました。

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 国立国会図書館が進める蔵書のデジタル化の一端を、就労支援施設で働く障害者が担っている。スキャンやデータ管理など専門性のある業務を全国8施設が受託し、計3万冊余りを手掛ける。公共性の高い仕事に「やりがいは大きい」と胸を張る。

 東京都東村山市の就労支援施設「コロニー東村山」では昨年12月中旬、暗室に置かれたスキャナー機器の前で、身体や精神に障害のある10人ほどが黙々と作業に取り組んでいた。「余白は10ミリ以内」といった決まりの下、見開きの撮影を繰り返し、1時間で1、2冊をこなす。

 下半身にまひがあり、車いすで生活する宮川健人さん(40)は「紙面にほこりがないか、本が傾いていないか、注意する点は多い」と話す。スキャン画像の検査や目次データの作成など、障害者ら延べ約50人が作業に当たっている。

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国立国会図書館に所蔵された本のスキャンに取り組む女性
上部設置のカメラで見開きを撮影する作業を繰り返す=2023年12月14日
東京都東村山市の「コロニー東村山」


 国会図書館は個人のパソコンなどで蔵書を閲覧できるよう、2000年から徐々にデジタル化を進めてきた。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大による利用制限を機に一層のアクセス向上を求める声が高まり、21年度から5年間で100万冊以上をデジタル化する事業計画を策定した。

 もともと印刷業を手掛けてきたコロニー東村山は、事業を受注した日本財団(東京)の再委託先として業務を始めた。高橋宏和所長は「デジタル化には既存の業務にはない新しい魅力がある。正確さが求められるが、障害者が中心となり参加できる仕事だ」と強調する。

 培ったノウハウを共有し、再委託先は全国の他の施設にも広がった。23年度は計約3万2000冊を受託し、コロニー東村山ではうち約5000冊を受け持つ。23年5月から同施設に通い始めた奥泉健一さん(38)は「スキャンした本が多くの人に見られる。やりがいは大きく、達成感もある」と話す。

 今後は大学図書館や民間企業からの受注も目指しており、高橋所長は「安定した仕事を確保し、利用者の自立や賃金の向上につながれば」と期待を寄せる。

「イギリスメディア」―日本についての報道― [2024年03月11日(Mon)]

「イギリスメディア」
―日本についての報道―


恥ずかしい話だが、イギリスのBBC放送により例の「ジャニーズ」問題に火がついた。日本のメディアは薄々知っていながら、テレビ局との関係もあって頬被りしてきたことが外国メディアで指摘されて大騒ぎになり、国際的に大恥をかく結果となってしまった。

ところで、昨年はASEAN諸国と日本との関係が50周年という記念すべき年であったが、ASEAN諸国の経済発展に日本が大きく寄与した実績、又、これからの日本とASEAN諸国との関係はどうあるべきかの日本の論調は低調を極めた。

イギリスの「エコノミスト」がイギリスから見た日本とASEANの関係について報道していたので、参考までに掲載しました。

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「東南アジアで米中よりも『隠れた大国』日本が信頼される理由」

長い期間、東南アジアに積極的にかかわってきた日本。同地域でのその影響力は、ときに米国や中国のものを上回るほどだ。なぜ日本はこの地域を重視し、これほどまでに強い関係を築けたのか。英誌「エコノミスト」が探った。


「隠れた大国」日本
アジアの地政学は2つの大国との関係を使って説明される。超大国の米国と、急速に力をつけている中国である。後者は東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国も含め、アジアの小国を自らの陣営に取り込もうとしている。しかし、この見方では見落とされることが多い。実際にはほとんどありえない二元論的世界観を過剰に強調し、それ以外の国々の力を無視するからだ。各国と強い繋がりを持つ日本の存在も見過ごされてしまう。

日本は、多くの東南アジア諸国に資本、技術、援助を提供している。その重要度は競合する大国にも引けを取らない。ここ10年間の日本からASEAN諸国への直接投資額は、合計で1980億ドル(約29兆3400億円)だった。これは米国による2090億ドル(約31兆円)という同期間での投資額には及ばないが、中国の1060億ドル(約15兆7000億円)を上回る。

日本の企業は成長する東南アジア市場を狙い、政府や政治家は東南アジアを中国の拡張主義に対する防波堤と考えている。

日本は領土問題の仲裁から、地域内の機構設立まで、長年東南アジアを支援してきたため、大きな影響力を持つ。シンガポールのシンクタンク「ISEASユソフ・イシャク研究所」の調査によると、日本は東南アジアにとって最も信用できるパートナーであると同地域の研究者、ビジネスパーソン、政府職員らは考えている。

2023年12月16日から18日にかけ、東京で「日本ASEAN友好協力50周年特別首脳会議」が開催され、ASEAN加盟9ヵ国と東ティモールの首脳らが訪日した。両地域間の友好関係は、日本の合成ゴム輸出について協議するフォーラムの設置から始まり、半世紀続く。会議で示されたのは、東南アジア諸国と日本の信頼関係である。

近年、日本とASEAN各国の力関係が変化し、同地域での影響力を高めようとする大国間の競争が激化している。そうして安全保障に対する懸念が高まるなか、この会議では、日本と東南アジア諸国の新たな関係が打ち出された。

乗り越えられた「負の遺産」
しかし、現在のような日本と東南アジアの和やかな関係は、決して当たり前ではなかった。第二次世界大戦中、大日本帝国軍は東南アジアの国々を占領して損失を与え、膨大な数の命を奪った。戦後も日本への恨みは消えず、1970年台初めにはバンコクとジャカルタで反日暴動が起きている。

1977年、当時の福田赳夫首相は、「心と心のふれあい」を基盤とした東南アジアと日本の対等なパートナーシップの構築を宣言した。その後、この温和な「福田ドクトリン」をもとに、両地域の関係が形成されていったのである。

ミシガン大学のジョン・チョルシアリ教授とスタンフォード大学の筒井清輝による、日ASEAN関係に関する共著では、日本は「礼儀正しき大国」とされる。筒井は、「日本が本質的に親切な国だというわけではない──戦争による負の遺産があるため、そう振る舞うことを余儀なくされたのである」と書いている。

米国や中国の姿勢が押し付けがましいのに対し、日本の外交は基本的に相手を尊重する。人権侵害に対しても強く批判せず、独裁者たちとも対話することで、変化を期待する。このアプローチが上手くいくこともあり、2011年にミャンマーで民政移管が進んだときには恩恵を受けた。しかし、必ずしもうまくいくわけではなく、その10年後のミャンマーではクーデターが起き、軍事政権が復活してしまった。

日本の直近の首相3名全員が、就任から4ヵ月以内に東南アジアを訪問している。米国のシンクタンク「アジアソサエティ政策研究所」のエマ・シャンレット・エイブリーは、東南アジアにおいて、「米国の成功は、日本にかかっている」と指摘する。

ソフトとハードの組み合わせ
東南アジアの成長を推進し、日本に対する好意を高めてきたのは、日本からの民間投資と政府の支援だ。日本の政府開発援助機関である国際協力機構(JICA)は、数十年にわたって人材を育成し、技術を教え、開発資金を提供してきた。

JICA理事長の田中明彦によると、東南アジア諸国からの日本に対する信頼のカギとなったのは、「長期的な一貫性」だという。アジア地域の開発に重要なアジア開発銀行に最大の資金を拠出するのも日本だ。

日本はまた、近年、「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」(CPTPP)および「地域的な包括的経済連携協定」(RCEP)という近年最大の2つの多国間貿易協定を中心になって推進した。米国はどちらにも加盟せず、中国は後者にしか加わらなかった。

一方、アニメからラーメンにわたる日本のソフトパワーも、東南アジア中に日本ファンを増やしてきた。

しかし、東南アジアにおいて日本の存在感が最も目立つのは、道路、上下水処理システム、発電所などのインフラだ。東南アジア諸国の多くではインフラ投資額で、「一帯一路」計画を推進する中国を日本が上回っている。

2023年6月、天皇皇后両陛下がジャカルタを訪問した際にも、日本の援助を受けて整備されたジャカルタ都市高速鉄道を視察した。また、ごちゃごちゃして窮屈なマニラの市街の地下約30メートルでは、現在、日本のエンジニアらがフィリピン初の地下鉄を建設している。この建設計画も、JICAの資金援助によるものだ。

一方、東南アジア各国の成長に伴い、両者の関係も変化しつつある。2000年時点ではASEAN10ヵ国のGDP合計は、日本の実質GDPの30%にすぎなかった。しかし、2022年では72%にまで上昇している。

「東南アジアとの協力関係はいまや対等です」と日本のある外交官は言う。また、開発援助に関しても、競争が生じている。韓国が強力なドナーとなり、タイやインドネシアも独自の援助機関を有している。

対東南アジア貿易においても、すでに中国が日本を上回る。2010年における対ASEAN諸国との輸出入総額は中国が2360億ドル(約35兆円)、日本が2190億ドル(約32兆4000億円)だった。しかし、2022年には中国が7220億ドル(約107兆円)にまで成長したのに対し、日本は2690億ドル(約40兆円)にとどまっている。

インドネシアのあるビジネスマンは、日本企業は慎重すぎると語る。「中国人が重視するのは資本利益率や、いかに早く利益をあげるかで、完璧さは求めません」

中国の脅威への対抗で団結
中国の台頭によって、日本は東南アジア地域の安全保障においても積極的な役割を果たすようになった。2012年から2020年にかけ、安倍晋三首相の指導の下、日本は自衛隊の権限を拡大し、防衛産業の規制緩和を進めた。

これを受け、現在までに日本はフィリピン、マレーシア、ベトナム、タイ、シンガポールに対する安全保障強化支援を取り決めている。フィリピンやベトナムの沿岸には日本から巡視船が派遣されている。これらの支援は中国の侵略に備えてのものだと、フィリピン大学のジェイ・バトンバカル教授は指摘する。

日本の防衛戦略の専門家たちも、東南アジアにおける防衛力の強化は、インド太平洋海域における中国の強硬姿勢に対する牽制だと捉えている。

こうした結びつきは、日本と東南アジアの関係が向かう先を指し示している。中国の膨張主義を恐れる国々の間で、安全保障同盟は今後も強化されていくだろう。2023年11月には岸田首相がマニラを訪れ、より緊密な安全保障協力を実現するための条約について交渉が開始された。フィリピンはマレーシア、バングラデシュ、フィジーとともに、日本による新たな政府安全保障能力強化支援(OSA)の最初の被支援国となる。

11月後半には、ベトナムの国家主席が東京を訪れ、日越関係を「アジアと世界における平和と繁栄のための包括的戦略的パートナーシップ」に格上げすることが発表された。日本は、ベトナム外交上で最高位の外交パートナーとされたのだ。ベトナムは、次のOSAの被支援国となる可能性が高い。東南アジアに対する日本の支援から、道路事業やラーメンや礼儀正しさが失われることは今後決してないだろう。しかし、ハードな側面も加わりつつあるのだ。

産経新聞【正論】差別の原点はハンセン病にあり [2024年03月06日(Wed)]

 ―差別の原点はハンセン病にあり―

産経新聞【正論】
2024年2月27日

 筆者は2月12日、世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧大使としてアフリカの最高峰キリマンジャロ(5895メートル)に登頂し、「Don’t Forget Leprosy(ハンセン病を忘れないで)」のバナーを掲げた。

 ≪「忘れられた病気」なのか≫
 現在85歳、心臓ペースメーカーを装着する一級障害者で、多くの知人から無謀との指摘もいただいた。しかし、新型コロナ禍がパンデミック(世界的大流行)となったことから「忘れられた病気」になりつつあるハンセン病の深刻な現状を世界に訴えるため、あえて実行に踏み切った。

 登頂に先立つ1月28日(世界ハンセン病の日)、スイスのWHO本部で同じ危機感を持つテドロス・アダノム事務局長と共同宣言を発表し、ハンセン病の制圧と差別撤廃を訴える19回目のグローバルアピールも発表した。

 ハンセン病は紀元前のインドの古典や奈良時代の日本書紀にも記録が残り、「業病」、「不治の病」として恐れられてきた。1981年に多剤併用療法(MDT)と呼ばれる治療法が確立され「治る病気」となった。91年にはWHO総会で「人口1万人当たり患者数1人未満」の公衆衛生上の制圧目標も設定された。

 95年から5年間、日本財団がWHOに計5000万ドルを供与し、世界のどこでもMDTを無料で入手できる態勢を整備、2000年以降はスイスの製薬会社ノバルティスに引き継がれた。1600万人を超す患者がMDT治療を受け回復している。

 この間、121カ国から制圧目標達成が報告され、1985年当時122カ国に上った未制圧国は現在、ブラジル1カ国だけになっている。2010年には日本が中心となって提案した「ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」も国連に加盟する192カ国(当時)の全会一致で採択された。

 順調な流れにも見えるが、実際にはハンセン病の特異な側面が対応を難しくしてきた。まずは初期段階で痛みや熱の症状がほとんどない点。患者が自ら医療機関で受診することは少なく、気付いたときには指の変形などの症状が出ていることが多い。

 ≪制圧を妨げる特異な側面≫
 感染すると、本来、親身になって世話をする家族からも見捨てられる。このような病気は他にない。患者、回復者は、治る病気となった今もコロニーと呼ばれる場所で肩を寄せ合って生きている。

 他の感染症に比べて感染者数が少ない点も特徴といえるかもしれない。WHOの資料によると、新型コロナの世界の累積感染者数は2億4600万人、マラリアの感染者も21年は約2億4700万人に上った。圧倒的に患者数が上回る他の感染症の存在が、ハンセン病に対する行政の対応の手薄さにつながっている。

 01年にハンセン病制圧大使に就任して以降、世界の120カ国を何度か訪問し、各国指導者にハンセン病対策の強化を求めてきた。しかし、関連予算の少なさに驚かされることが多い。患者数が少なく、公衆衛生上、優先度が低いということのようだ。

 このほか、実際には世界にはいまだに調査が行き届いていない「ホワイトエリア」が多く存在する。アフリカの最高峰をバナー掲載地に選んだのは、この地にそうした地域が多いためだ。

 日本を含め欧米先進国でハンセン病を「過去の病気」ととらえる雰囲気が強いのも、対策を進める上で支障となっている。移民・難民が増加するヨーロッパで最近、患者が見つかるケースが増え、変化が出る可能性もあるが、世論を喚起すべきメディアの関心は残念ながら驚くほど低い。

 しかし、WHOに毎年、世界各国から報告される新規の患者数は20万人に上る。数字の上からも、ハンセン病は過去の病気ではなく現在進行形の病気であり、対策を急ぐ必要がある。

 新型コロナ禍の拡大に伴い、ハンセン病対策が後退する事態が多くの国で発生した。20万人を大きく上回る新規患者の発生や、121の制圧国の中に再び基準を上回る患者が発生している国が出ていないか、憂慮している。

 WHOは21年、「30年までに世界120カ国でハンセン病患者ゼロを達成、新規患者を70%減らす」とする画期的な世界戦略を発表した。治療薬の無償供与態勢は整っており、看護師らによる新規患者の早期発見態勢整備がポイントとなるが、実現は容易でない。

 ≪「正しく恐れる」心構え必要≫
 感染症は人類共通の敵であり、新たな感染症は今後も登場する。無用な混乱を減らし、冷静に立ち向かうためにも「むやみに恐れる」のではなく「正しく恐れる」心構えが必要になる。

 紀元前から長く人類を苦しめてきたハンセン病は偏見・差別の原点でもある。患者・回復者が直面する現実に改めて目が向けられる必要がある。筆者は生ある限り、世界のハンセン病制圧に命をささげる覚悟でいる。
(ささかわ ようへい)


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