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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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産経新聞【正論】年頭にあたり 基本法で子供育成の新理念示せ [2020年01月24日(Fri)]
年頭にあたり 基本法で子供育成の新理念示せ

産経新聞【正論】
2020年1月10日

 「世界中で日本ほど子供が大切に扱われる国はない」。明治初期、東京大学で生物学を教え、大森貝塚を発見した米国のエドワード・モースが著書「日本その日その日」に記した言葉である。同時期に日本各地を旅した英国の女性旅行家、イザベラ・バードも「これほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない」(日本奥地紀行)と書き残している。

 以後、約1世紀半、わが国は近代化が進み、格段に便利で豊かになった。その一方で育児不安や児童虐待が増え、児童相談所が2018年度に対応した心理的虐待、身体的虐待、ネグレクト(育児放棄)など児童虐待は過去最高の15万9850件(厚生労働省速報値)に上っている。

 ≪薄れる「子供は宝」の文化≫
 背景には核家族化や少子高齢化、地域社会の崩壊が進み、子供を「社会の宝」として地域全体で見守り、育てる日本の伝統文化が急速に薄れてきた現実がある。この際、新たな子育て文化の確立が必要と考える。そのためにも新しい子育ての理念、基本方針を盛り込んだ「子供基本法」(仮称)の制定を提案したい。

 世界196の国と地域が批准する「子供の権利条約」は、すべての子供の「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」を定めている。わが国も1994年に批准し、児童虐待防止法や少年法に加え2016年の児童福祉法改正では、児童養護を施設中心から家庭中心に転換する方針を打ち出している。

 しかし、各法令を主管する省庁間の縦割り行政の限界もあり、急速な社会の変化に対応できていない。権利条約採択30年の昨年夏、公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が15歳から80代まで全国約3万人を対象に実施した調査では、子供世代、大人世代とも、日本で守られていない子供の権利のトップに条約第19条が規定する「子供は親から暴力やむごい扱いを受けないよう守られている」(虐待・放任からの保護)を挙げた。

 残念なことに18年3月には東京都目黒区で5歳の女児、昨年1月には千葉県野田市で10歳の女児が父親の虐待で死亡する痛ましい事件も起きた。「国連子どもの権利委員会」も昨年、日本政府に宛てた総括所見で「子供への暴力、性的な虐待や搾取が高い頻度で発生している」と懸念を表明し、子供本人による虐待被害の訴えや報告を可能にする機関を創設するよう求めている。

 ≪保護対象ではなく権利の主体≫
 英国などで導入されている子供コミッショナーやオンブズマン制度が参考になろう。これらの制度では、子供の権利や利益が守られているか調べ、必要に応じて政策提言を行うなど実効を上げているようだ。

 日本社会は時に、「子供の人権が軽視される半面で親の権利が強すぎる」と評される。

 子供に対する大人社会の目線を「保護の対象」から「権利を持つ主体」に切り替え、子供が発するSOSに社会全体がもっと敏感になる必要がある。地域や家庭、学校、職場が一体となった子育て支援、母親に負担が集中している育児を社会全体で担う仕組みに切り替える努力も急務である。

 政府は、子供権利条約の内容は既存の法令で実施可能として基本法の制定に消極的とも聞く。しかし、子供を取り巻く問題はあまりに多様で奥深い。基本法を制定して子育ての新たな理念を明確にし、広く社会全体で共有すれば、各法令のより効率的な運用にも道が開ける。

 さらに近年、顕著となっているわが子にしか興味を示さない親の目線を広げ、少子高齢化時代にふさわしい新たな「地域ぐるみで子供を育てる文化」の創造につながると期待する。

 わが国には日本財団が主導的に関わった07年の海洋基本法をはじめ計50の基本法がある。子供の健全育成に関しては既に自民党の「児童の養護と未来を考える議員連盟」、超党派の「児童虐待から子どもを守る議員の会」が発足しており、昨年12月の合同勉強会には筆者も出席、子供コミッショナーが果たす役割について話させていただいた。

 ≪超党派の議員立法で制定を≫
 昨年末に厚生労働省が発表した19年の出生数は86万4000人と第1次ベビーブーム期の3分の1以下に落ち込んだ。予想を上回る少子化の進行の原因として、未婚率の上昇や晩婚・晩産化、仕事と子育てが両立しにくい社会環境などが指摘されている。換言すれば、それだけ子供を育てる環境の整備が遅れているということになる。

 次代を担う子供を健全に育てるためにも、子供基本法は超党派の議員による議員立法として制定されるよう望みたい。モースらが見た子供を大切にする社会を取り戻すためにも、与野党を超えた活発な議論に期待する。
(ささかわ ようへい)


「ハンセン病グローバルアピール」―日刊ゲンダイ― [2020年01月23日(Thu)]
「ハンセン病グローバルアピール」
―日刊ゲンダイ―


日刊ゲンダイは、日本財団が毎年、世界の主要都市から1月に発表しているハンセン病差別撤廃のグローバル・アピールについて、下記のように参加募集の記事を掲載してくれた。

若干の余裕もあるので、是非参加願いたいので、日刊ゲンダイには無断で、下記の通り、記事を転載しました

グローバルアピール記事.png


申込みフォーム
プログラム詳細


「地方新聞の報道から」その1―みんながみんなを支える社会― [2020年01月21日(Tue)]
「地方新聞の報道から」その1
―みんながみんなを支える社会―


日本財団では国内外でさまざまな社会事業を展開しており、折に触れ全国紙やブロック紙、地方紙、地域紙で紹介いただいている。昨年のメディア・カバーは4000件を軽く超えた。当財団の活動を広く知っていただくだけでなく職員が切磋琢磨する糧にもなり大変、感謝している。そこで新年から、本ブログに「新聞紙面から」のコーナーを設け、随時、紙面掲載記事を通じて、われわれの活動や事業の狙いを説明させていただくことにした。

最初に取り上げるのは、昨年12月28日付の河北新報朝刊に掲載された「「車両など無償貸し出し 生活再建お手伝い 日本財団、丸森にセンター」の記事。昨年10月の台風19号で大きな被害が出た被災地計5ヶ所に日本財団が設置を計画している災害復旧サポートセンターの第1号。

丸森町は宮城県南部に位置し人口約1万3000人。台風19号に伴う豪雨で計11人の死者・行方不明者のほか、河川・農林業施設の損壊など大きな被害が出た。災害復旧サポートセンターは、被災地の復興に向け、住民とボランティアが協力して復旧作業に取り組めるよう必要な資機材を貸し出し支援する。

12月27日に行われた開所式には保科郷雄町長、日本財団の前田晃専務理事、センターの運営を行う一般社団法人「オープンジャパン」の肥田浩副代表らが出席。日本財団から軽ワゴン車、軽トラック計6台のほか発電機などが贈られた。今後、栃木県の宇都宮、栃木両市、長野県長野市、茨城県水戸市にも同様のセンターが設置される予定だ。

丸.jpg
丸森町で行われた災害復旧サポートセンター開所式


事業には、もう一つ大きな特徴がある。2つの民間寄付で事業が運営される点だ。一つはアイドルグループSMAPの元メンバー稲垣吾郎、草g剛、香取慎吾3氏の呼び掛けで日本財団に設置された「ななにー基金」に寄せられる寄付金。もう一つは無料通信アプリを運営するLINE株式会社(本社:東京新宿区)からの寄付金で、同社が運営する有料スタンプのうち、フィギュアスケートの羽生結弦選手が監修したスタンプの売り上げが活用されている。

「民」のアイデアと協力で集まった寄付を基に民間主導で被災地の復興を目指すー。これこそが想定外の災害が常態化し、国と地方の債務残高が1000兆円を超え財政悪化が進む時代の新しい社会づくりの一つの形であり、日本財団が目指す「みんながみんなを支える社会」につながる。そんな思いで同様の取り組みを一層、強化したいと考えている。
産経新聞【正論】18歳の意識の低さをどう見るか [2019年12月26日(Thu)]
18歳の意識の低さをどう見るか

産経新聞【正論】
2019年12月18日

 「自分で国や社会を変えられると思う」と答えた日本の若者は5人に1人(18.3%)、国の将来が「良くなる」は10人に1人(9.6%)―。日本財団が先に「国」や「社会」をテーマに、欧米3カ国(米国、英国、ドイツ)とアジア6カ国(中国、インド、インドネシア、ベトナム、韓国、日本)の17〜19歳、各1000人を対象に行った「18歳意識調査」の結果である。

 ≪「将来が良くなる」は9.6%≫
 内閣府が昨年末、欧米など6カ国と日本を比較した7カ国調査でも政治やボランティア活動、社会問題の解決に関心が低い日本の若者像が浮き彫りにされており、ある程度、予想された結果とはいえ、あまりの数字の低さに驚きの声も上がっている。ただし、筆者は悲観する必要はないと考える。

 確かに「自分を大人だと思う」「自分は責任がある社会の一員だと思う」「社会課題について家族や友人などと積極的に議論している」に対する日本の若者の回答は、それぞれ29.1%、44.8%、27.2%と他の8カ国の平均より42〜47%も低い。国の将来に関しても「悪くなる」が37.9%、「どうなるか分からない」の32%を加えると、70%が将来に不安を抱き、「国の役に立ちたいとは思わない」だけが14.2%と9カ国のトップとなっている。

 東京都内で11月29日から3日間、開催された日本財団のフォーラムで結果が紹介されると、会場からは驚きの声が上がった。69.6%が国の将来を「良くなる」と答えたベトナムの女子留学生は「わが国は貧しく15歳になると皆が働き始める。18歳にもなれば、国や社会から何を期待されているか誰もが自覚している」と豊かで自由な日本の18歳の姿に疑問を投げ掛けた。

 ≪杞憂(きゆう)だけでは何も始まらない≫
 「最近の若者は社会との接点が希薄で世の中を知らない」「大人が認めてくれない≠ニ決め付け、積極的に動こうとしない」「国の将来に向け、何をしたらいいのか分からない若者が増えている」といった指摘もあった。だからといって日本の若者の現状を杞憂(きゆう)するだけでは何も始まらない。経済発展が急速に進む中国やインド、インドネシア、ベトナムの若者が国の将来に向け高い貢献意欲を持つのは、ある意味、当然の姿である。

 これに対し日本は、世界が経験したことのない速度で少子高齢化が進み、国の借金も地方分を合わせGDP(国内総生産)2倍の1000兆円にも上り、どうすべきかいまだに「解」は見えない。難題山積の現状に、若者が将来に明るい展望を持てないのは、仕方ない話でもあるのだ。EU(欧州連合)からの離脱で揺れる英国の若者の43.4%が「悪くなる」と答えているのも同じ理由だ。

 加えて、国の根幹である外交や安全保障よりスキャンダルなど内政課題が優先されがちな国会や、「日の丸君が代問題」などで祖国への誇りが育ちにくい教育の現状が、若者の「国の在り方」を考える妨げにもなっている。知識優先の教育で若者の想像力や判断力が育ちにくい面もある。逆に言えば、こうした政治や教育の現状を改善すれば、国や社会の将来に対する日本の若者の関心が高まる余地は十分にある。現に9カ国中最下位といえ、44.8%は「自分は責任がある社会の一員だと思う」、60.1%は「将来の夢を持っている」、46.4%は「自分の国に解決したい社会課題がある」と答え、受け皿は十分にある。

 解決したい社会課題の1、2位に「貧困をなくす」「政治を良くする」が並び、「どのようにして国の役に立ちたいか」でも「きちんと働き納税する」「学業に励み立派な社会人となる」「ボランティアをする」が上位に並んでいる。過去に実施した国の借金に対する調査でも、70%以上が「不安」と訴える一方で、「借金を増やしてきた世代で負担すべき」とする声の2倍を超す若者が「国民全体で負うべき」と答え、「自分たちで負うべき」とする回答も5%に上った。若者としての覚悟と責任感の表れと理解する。

 ≪大人世代は環境整備する責任≫
 2014年に史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受けたパキスタンの人権活動家マララ・ユスフザイさんや今年9月、米ニューヨークで開催された気候行動サミットで世界の若者に温暖化防止に向けた行動を呼び掛けたスウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさんを見ると、グローバル化が進む国際社会で今後、若者の声が一段と重みを増す予感がする。豊かな可能性を持つ若い人材は、わが国にもたくさんいる。大人世代には、政治や教育改革など彼らが育つ環境を整備する責任がある。

 18歳意識調査は改正公職選挙法で新たに有権者となった18、19歳の意識を探るため、対象を17〜19歳に特化して18年9月からスタートし、今回の9カ国調査で20回目を迎えた。次代を担う若者の意見を今後の社会づくりに反映させるためにも、さらに信頼の高い調査に育てる必要性を痛感している。
(ささかわ ようへい)


産経新聞【正論】日本の寄付文化を変える「遺贈」 [2019年11月11日(Mon)]
日本の寄付文化を変える「遺贈」

産経新聞【正論】
2019年10月31日

 ≪年間推計相続額約50兆円に≫
 生きた証しを社会に残したい―。人生最後の社会貢献として遺贈寄付を考える人が増え、各種調査でも高い関心を示している。しかし、年間相続額が約50兆円と推計されるのに対し、現実の遺贈実績は約300億円にとどまる。遺言書を残す人が約20人に1人と少なく、遺贈寄付の存在があまり知られていない現実が遺贈の妨げになっている。

 国と地方の債務残高が1千兆円を超え、想定外の大災害が常態化する中、少子高齢化に伴い膨張する社会課題に「公」だけで対応するには限界がある。「民」が可能な限り社会づくりに参加していくためにも、無料相談や受け皿の整備など遺贈の普及を急ぐ必要がある。それが日本の新しい寄付文化にもつながる。

 遺贈は「遺言」で、遺産の一部またはすべてを相続人以外の慈善団体やNPO(民間非営利団体)などに寄付する制度。遺贈先を決め遺言書を作成しておけば、死後、遺言執行者(弁護士や司法書士)が遺贈を実施してくれ、残る人生にどの程度の蓄えが必要か、迷う必要もない。少子化や未婚の増加などおひとりさま≠ェ増え、「疎遠な親族に譲るくらいなら社会に役立てたい」と遺贈を考える人が増えている。

 ≪2人に1人が遺贈寄付に関心≫
 日本財団が昨年末、2000万円以上の世帯金融資産を持つ40〜70代の男女を対象に行ったインターネット調査でも、「既に行っている」「具体的に検討したい」「興味・関心はある」などと答えた人が有効回答2000人のうち1003人に上った。

 これに先立ち60歳以上と59歳以下に分け行った調査でも、60歳以上の男女約2000人のうち22.9%が遺贈に前向きの回答。子供も配偶者もいない人に限ると42.6%、夫婦2人だけでは32.8%に上り、59歳以下900人のうち45.1%は親の遺贈寄付に「賛成すると思う」と理解を示した。

 長子相続の伝統が長く続いた日本では遺言を残す文化が希薄だった。個人寄付より法人寄付が多く、寄付文化が低調とも言われた。しかし、こうした数字は無料相談や遺贈先となる受け皿の整備が進めば、遺贈が大きく拡大する可能性を示している。

 日本ファンドレイジング協会の「寄付白書2015」によると、14年1年間の日本の個人寄付総額(推計)は7409億円(GDP=国内総生産比0.2%)と米国の27兆3500億円(同1.5%)、英国の1兆8100億円(同0.6%)に比べ確かに少ない。しかし、総務省の家計調査によると、東日本大震災(11年)で6500円台を記録した後、3000円台に落ち込んだ1世帯当たりの寄付金は18年、4500円台まで回復した。

 ひとしきり話題となった調査結果として、日本を対象144カ国中128位と位置付けた18年の世界寄付指数がある。英国のチャリティー団体「Charities Aid Foundation」が主催したこの調査は、「外国人や見知らぬ人を助けたかどうか」など日本社会の現状を反映しにくい質問項目もあり、遺贈増加を図る上で特段の障害になる数字ではないと考える。そんな中で16年秋には、日本財団の遺贈寄付サポートセンターなど16団体が加盟する「全国レガシーギフト協会」も組織され、遺言書の書き方から相続人とのトラブルの回避法、遺贈の活用など幅広い相談に気軽に対応する態勢もスタートした。

 ≪相談窓口、受け皿整備が急務≫
 日本財団には11年、大阪の女性の遺言執行人から「海外の恵まれない子供たちのために遺産を活用してほしい」と連絡があり、2年後、寄付された1億5000万円を基に、長年、学校建設に取り組んだミャンマーで特別支援学校を完成。この経験を基に遺贈寄付サポートセンターも立ち上げた。

 18年までに寄せられた相談件数は約4300件、受領した遺言書は92件。うち8件約4億円分を昨年までに順次、事業化している。遺贈を考える人の寄付額や「貧困家庭の子供の教育支援」「被災地の復興支援」など希望も多彩、「本当に希望通り活用されるのか」といった疑問も強い。よりきめ細かく対応するためにも各団体やNPOの連携強化が今後の課題となる。

 核家族化、高齢化が急速に進む中、煩わしい相続トラブル回避など環境を整備すれば、自分にふさわしい終活の一環として、財産の一部を家族に残し、残りを遺贈に当てるようなケースが確実に増えると思う。遺贈は次世代、地域社会への贈り物であり未来への投資でもある。その遺志は子や孫の誇りとなり、感謝の気持ちが地域社会の新たな絆にもなる。

 そこで生まれる寄付文化は、格差が拡大し圧倒的な富を所有する超富豪が大口の慈善・寄付活動を行う米国などの寄付文化とは異質である。そうした日本型寄付文化の発展こそ「みんながみんなを支える社会」、政府が言う全世代型社会保障の確立につながる。
(ささかわ ようへい)

「週刊エコノミスト」―問答有用インタビュー― [2019年10月25日(Fri)]
「週刊エコノミスト」
―問答有用インタビュー―


ハンセン病と戦って40年。
シャーナリスト・山崎博史との対談です。

*************


「問答有用」

日本財団会長
 笹川 陽平

≪人類最古の感染症と言われるハンセン病は、特効薬の開発によって不治の病ではなくなったが、今日もなお患者・家族への深刻な差別が世界中に広がる。その不条理との戦いを長年続けている。≫

「生きた証として一生貫くに値する仕事です」


――ハンセン病撲滅への活動が認められ、インド政府から2月、「ガンジー平和賞」を授与されました。

笹川 インドの国父であるガンジーの生誕125年を記念して1995年に創設され、南アフリカのマンデラ元大統領などノーベル平和賞受賞者らが過去の受賞者として名を連ねています。インドは世界一のハンセン病大国であり、ガンジーは撲滅を念願していました。私はハンセン病の制圧と差別撤廃の活動に、今日まで40年間取り組み続けており、それが評価されました。

―― どういう活動を?

笹川 WHO(世界保健機関)にはハンセン病制圧の活動資金がないため、日本財団がすべて負担していて、これまでの支援総額は約250億円に上ります。90年代後半には50数億円をかけて、完治力が高いMDT(多剤併用療法)薬を世界中に無料配布し、制圧を劇的に進めました。
 途上国では、薬を患者たちにちゃんと届けて飲んでもらうには、お金だけではうまくいきません。宗教・文化・政情、識字率など多様な問題が絡んで、一筋縄ではいかない。国のトップに談判して行政を動かし、メディアを啓蒙し、患者たちを現場で説得する必要がある。私は2001年、WHOのハンセン病制圧大使に就任し、そうした活動を担っています。

―― 世界の現状は。

笹川 WHOは、患者数が人口1万人当たり1人未満になれば、公衆衛生上「制圧された」とする認定基準を定めました。85年当時、アジア・アフリカ・南米を中心に122カ国あった未制圧国は、MDT無料配布の効果で現在ではブラジルの1カ国だけになりました。この間に世界で1600万人、インドだけで1100万人の患者が治癒しました。一方で、各国の対策はまだ不十分で、今も世界で毎年約20万人の新規患者が発見されています。

≪ハンセン病は、らい菌が皮膚や抹消神経を侵す感染症で、放置すると顔・手足の変形や失明など重大な症状が出る。人類の長い歴史にわたって患者・家族ともに忌み嫌われ、社会的差別の烙印を押され続けた。43年以降プロミンなど治療薬の開発が進み、81年のMDT療法により完治可能となった。しかし今もなお、社会の無知から深刻な差別が世界で続いている。日本では、約90年続いた患者隔離政策が96年に廃止され、元患者への国家賠償判決が01年、元患者家族への国家賠償判決が今年7月、いずれも確定した。≫

―― 病気が治ればいいというものではない?

笹川 私は03年、ハンセン病は医学的な問題だけでなく、さまざまな差別が複合した社会問題であると気づき、ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所に駆け込みました。「極めて大きな人権問題だ」と訴えたら、皆さん初耳で驚いていた。翌年、国連人権委員会(現・理事会)で人権問題として告発するスピーチをし、粘り強く働きかけ続けて10年の国連総会の議題とすることができ、「ハンセン病差別撤廃決議」が全会一致で採択されました。国連決議のガイドラインを得て、病気を治すとともに「差別という病」をなくす、真の解決に向かっているところです。

自然に手が伸びるように

―― ハンセン病に取り組んだきっかけは。

笹川 父の少年時代の体験でしょうね。大阪の造り酒屋の長男だったんですが、近所にいた初恋の女性が、ある日突然家族ごといなくなった。ハンセン病らしいと、うわさを聞いた。ショックを受けた父は、ハンセン病への復讐を誓い、大人になってアジア各国に病院や施設を作りました。76年、韓国に作った病院の完成式典に、私は随行しました。
 手足が膿だらけで生ける屍みたいになった患者がベッドに横たわっていた。やおら父が、その手足を素手でなで始め、抱擁したんです。私、身がすくみました。まるで神に仕える者のごとき父の行動は、想像を超えていました。でもなぜか、これは自分が将来やるべき事だと感じました。それがハンセン病との出会いでした。 

2005年3月.jpg
インド・ウエストベンガルのハンセン病コロニー(2005年)


―― 触れるのが怖かったのに、なぜそこまで?

笹川 患者には「お医者さんは私の体に一回も触れたことがない。私の中のらい菌にだけ興味があって、私という人間にはない」といった思いがあるんです。患者に接し、心を交わすうち、私の手は自然に伸びるようになりました。もちろん素手のまま。誤解を恐れずに言えば、私も感染したかったというのが正直な思いです。
 7、8年前、国立感染症研究所で診断を受けました。うつれば患者との壁がなくなり、同士になれる。私はそこまで思い詰めていましたが、らい菌の感染力は極めて弱く、結果は“落第”でした。ハンセン病への支援活動は地味かもしれませんが、自分が生きた証として、一生貫くに値する仕事だと思っています。

≪日本財団(旧称・日本船舶振興会)は、モーターボート競走法により全国24カ所で自治体が主催するレースの売上金から一定割合(現行2.6%)の交付を受け、海洋船舶関連事業のほか、公益事業への助成や自主事業を行う公益財団法人。19年度収入予算は約554億円(うち交付金約481億円)。
 ボートレース(競艇)の売り上げの一部を事業に回す仕組みは、父の笹川良一・初代会長が50年代初めに築いた。戦後の海洋産業の復興と困窮者救済の財源として構想したが、巨額の予算を差配し、政財界に幅広い人脈を持つ良一氏は、「日本の黒幕」という汚名を背負った。≫

人道主義に徹した父

―― 「日本の黒幕」のイメージが記憶に残る中高年世代には、その二世が差別との戦いをライフワークとしていることに、意外感を持つ人も多いのでは。

笹川 私の差別との戦いは一方で、「笹川良一」を世界に正しく認識させるものでした。当時のマスコミが世界に拡散させた偏見の払拭が、秘めたる目標でした。でも95年に父が死んで、半分以上は解消しました。遺産は実質、借金の方が多かったんです。
 若くして相場取引で築いた巨額の財産は戦後、戦犯者の家族たちが路頭に迷わないように面倒を見たり、全て人々の救済に使い切っていました。スケールが大きすぎる破天荒な男だったので、世間には理解不能だったのでしょうが、せがれから見たら人道主義に徹した人でした。

≪陽平氏は、良一氏の庶子(正妻以外の子)三兄弟の三男。日本財団の会長は、初代・良一氏、2代・曽野綾子氏(作家)と続き、陽平氏は05年に3代会長に就任した。≫

―― 三兄弟の母を捨てた良一氏に対し、長男は反発し、次男は距離を取った。三男坊はなぜ、後を継いだ?

笹川 父は、よそ様の面倒見は損得抜きで尽くしたのに、わが子には「獅子は我が子を千尋の谷に」とばかりに冷淡でした。私は、母と暮らした大阪を16歳で離れ、東京の父の本宅に住み始めたんですが、仕事を探す人や生活難の母子らがたくさん連日寝泊りし、“笹川ホテル”といったふうでした。
 女中さんだけでは手が足りず、私に手伝えって言うんです。学校だけは行きましたが、朝早くから夜遅くまでやることがいっぱい。どうみても、下男扱いでした。なのに、なぜ父を尊敬したかというと、自分を捨てて世のため人のために奔走する姿をそばで見続けていたからです。妾の子だって真っ直ぐに成長しますよ(笑)。

―― もう一つのライフワークとして、ミャンマー国民和解担当日本政府代表の仕事がある。

笹川 ミヤンマーは135の多民族国家で、タイ、インド、中国との国境沿いには今でも20の武装勢力がいます。ミヤンマー政府とそれらの武装勢力との70年に渡る内戦を停戦させ、統一国家の樹立をお手伝いするのが、私の仕事です。13年に日本政府代表に任命されたのは、ミヤンマーでハンセン病制圧や小学校建設などの実績があったからです。日本財団は山岳地帯などに広がる少数民族地域に、小学校だけでも460校作っています。

―― 武装した人々の恐怖心や不信感。結局はそうした心の病を解消する仕事ですね。

笹川 はい。日本政府代表といったって、彼らが外国人を簡単に信用するはずがなく、そこは泥臭く回数で信用を得るしかない。山岳地帯の悪路を車で半日走って、高尚な理屈なんか通用しない相手に会いに行く。6年間で現地に94回入って、武装勢力のリーダーたちと面会を繰り返し、信頼関係を築きました。そのうえで彼らをヤンゴンに案内して政府要人に会わせる。これまでに10の武装勢力との停戦を実現し、残りの武装勢力との停戦にいま取り組んでいるところです。

いつ死んでもいい

 ≪会長就任15年で海外出張298回。途上国を中心に88カ国を延べ450回訪れ、行き先の多くは、農村、山奥、砂漠など。12年にはハンセン病視察で訪れた南米ペルーの空港で心臓異変で倒れ、ペースメーカー移植の緊急手術を受けた。1級障害者となったが、いまも週末0泊3日といった強行スケジュールが珍しくない。≫

DSC_0410.JPG
ハンセン病撲滅活動でカメルーンのジャングルを歩く(2016年)


―― 80歳を過ぎて心臓に病を抱えながら、機中泊を繰り返すなど大変では?

笹川 そりゃあ、つらくないかって聞かれたら、つらいに決まっている。でも、プロフェッショナルだもん、仕事は命がけでやるものです。私は若い時から常に死を意識していて、死ぬ瞬間は、いい人生だったなあと思って死にたい。命がけで働き続けるのは、そんな死の準備をしているからです。

―― どうしてそんな死生観を。

笹川 生まれ育ちが孤独だったせいか、徒党を組むのが大嫌いで、学生時代も友達なんか持ちたいと思わなかった。同窓会、葬式、結婚式、政治家のパーティーも、ほとんど行きません。
趣味は草取り、休みの日には山梨の山小屋で一日中無心にやっています。女房とは47年間一度も喧嘩しなかったし、まあいい人生ですよ。もう、いつ死んでもいいし、海外出張もいたるところ青山あり。女房には、どこで死んでも迎えに来るな、骨の一片だけを持って帰ってもらえ、と言ってあります(笑)。

―― ハンセン病患者と交わす抱擁に、今どんなことを思いますか。

笹川 世の虚飾を去った人間同士。生きとし生けるものとしての共感に、安らぎます。

産経新聞【正論】強靱な対外情報発信態勢確立を [2019年09月27日(Fri)]
強靱な対外情報発信態勢確立を

産経新聞【正論】
2019年9月5日

 韓国の徴用工問題に端を発した日韓対立は、韓国政府が日米韓安全保障の要である日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA(ジーソミア))を破棄する事態にまで発展した。出口が見えない現状を前に、越え難い両国の文化の壁を痛感する。

 ≪歪な日韓関係に文化の壁≫
 「言葉多きは品少なし」「多言は一黙にしかず」といった言葉があるように、日本人は「和」を尊び議論を好まない傾向がある。海に囲まれた島国として共通の価値観を持ち、主張しなくても理解し合える平和な環境が育てた文化であろう。

 一方の韓国人は仮に非があっても明らかな証拠でもない限り自らの正当性を強硬に主張する。長い歴史の中で、絶えず隣国から強い圧力を受けてきたこの国が「生存するための知恵」だと多くの人が指摘する。

 筆者は、この違いこそ、歪(いびつ)な戦後の日韓関係をつくってきた一番の原因と考える。歴史問題で韓国は告げ口外交≠ニも形容される強引な日本批判を展開してきた。対する日本はその執拗(しつよう)さに辟易(へきえき)し、必要な反論をしてこなかったきらいがある。

 例えば、韓国元徴用工の請求を認め日本企業に損害賠償を命じた昨年10月の韓国大法院(最高裁)判決。日韓両国間の請求権問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」とされ、日本はこれを受け有償2億ドル、無償3億ドルを支援。韓国はこの経済協力支援を基に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を実現した。

 3億ドルの無償支援に、元徴用工に対する補償も含まれる、と解釈され、韓国政府も「解決済み」の姿勢をとってきた。それ故、日本では元徴用工への補償は韓国の内政問題と理解されてきた。

 ≪国と国で交わした約束を否定≫
 しかし、大法院は元徴用工への補償は協定の対象外と判断、個人の慰謝料請求権に道を開いた。国と国の間で交わした約束(協定)を否定するばかりか、今後の多くの訴訟提起に道を開き、戦後処理問題を振り出しに戻しかねない。日本政府は国際法違反を理由に対応を求めているが、文在寅政権に表立った動きは見られない。

 文政権は、朴槿恵政権時代の2015年、「最終的かつ不可逆的な解決」をうたった両国外相会談の確認に基づき、日本政府が10億円を拠出した「和解・癒やし財団」に関しても昨年11月、一方的に解散すると発表した。国家間の確認が政権交代を理由に、いとも簡単に反故(ほご)にされた形で、これでは国と国の交渉は成り立たない。

 日本が打ち出したフッ化水素など3品目の輸出管理厳格化と、輸出手続きを簡略化できる輸出優遇国「Aグループ(旧ホワイト国)」からの韓国外しに対する韓国政府の反応も異常である。文大統領は「徴用工判決に対する報復」と決め付けた上で、「過去の過ちを認めず、反省もせず歴史を歪曲(わいきょく)している」などと日本を批判、国民に反日を呼び掛けている。双方とも輸出手続きの運用上の見直しであり、本来、歴史問題や安全保障とは関係ない。韓国政府の管理や対応のどこに問題があったのか、今後、明らかになると思うが、いずれにしても歴史問題が生み出す異常なまでの「反日」意識が、その後のGSOMIA破棄につながっているのは間違いない。

 文政権の性格を見れば、徴用工問題で韓国の歩み寄りを期待するのは難しい。徴用工問題は慰安婦、竹島問題などと並び、国民の不満を外に向け、政府批判をかわす歴史問題の要だからだ。伝えられるようにGSOMIA破棄の背後に、側近のスキャンダルによる政権危機回避の思惑があるとすれば、なおさらである。

 ≪外交は厳しい言葉の戦争だ≫
 GSOMIA破棄後の会見で、韓国の国家安保室は「ホワイトハウスと協議してきた」と語った。一般的には「同意があった」と受け取れる発言だが、実際はポンペオ米国務長官らが相次いで不満と失望を表明、そうしたニュアンスを否定した。

 最近、「日本は韓国を見て、韓国は世界を見て外交をしている」といった、ありがたくない評価を聞くことがある。確かにわが国には、「正しいことをしていれば理解される」といった甘い期待感も見受けられる。しかし、沈黙を美徳とする価値観は国内で通用してもグローバル化が進む国際社会では非常識でしかない。

 各種世論調査を見ると、日韓関係を「悪い」と見る人は両国とも急増しているが、一方で日韓関係を重要と見る人も高い数字を占め、文政権に対する韓国世論も賛否に二分されているようだ。内外に向かって、すべき主張を堂々と展開することが日本理解を進め、次代を担う若者を中心に、新しい両国関係の道を開く。

 外交は厳しい言葉の戦争である。政府も久しく情報発信の強化を表明してきた。日韓対立の行方を世界が注目している。国際社会でのプレゼンスを強化するためにも、強靱(きょうじん)な情報発信態勢を今こそ確立するときである。
(ささかわ ようへい)

産経新聞【正論】プラごみ入り口に海洋問題を [2019年08月30日(Fri)]
プラごみ入り口に海洋問題を


産経新聞【正論】
2019年7月22日


 海の危機が一段と深刻化している。人類の社会・経済活動の結果であり、今を生きるわれわれには500年、1千年後の社会に健全で美しい海を引き継ぐ責任がある。海水温の上昇や酸性化対策、漁業資源の保存に向け、世界は国連を中心に国際機関や基準を設けてきた。だが、統括する国際機関がなく、縦割りの弊害が持続可能で効果的対応を難しくしてきた。

 ≪海洋管理の国際機関新設を≫
 2017年の国連海洋会議で、日本財団は海洋を総合的に保全する政府間パネルの設置を提案した。各国の反応は今ひとつの感が強かったが、深刻化する海洋プラスチックごみ(海洋プラごみ)問題を前に雰囲気が大きく変わる兆しが出てきた。

 プラスチックごみは先進国、途上国を問わず、誰もが日常的に接する身近な問題であり、国際社会が海の危機に対し足並みをそろえる格好の「入り口」ともなる。あらためて海洋を総合的に管理する国際機関の設置を訴えたい。

 海に流れ込むレジ袋やペットボトルなど海洋プラごみは世界で年間500万〜1200万トン、日本では2万〜6万トンに上ると推計されている。6月に大阪市で開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議では、海洋プラごみによる新たな海の汚染を50年までにゼロにする「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」が打ち出された。

 世界では現在、サトウキビなど生物資源を原料にしたバイオマスプラスチックや間伐材を利用した木製ストローなど新素材の開発が活発に進められている。海底に堆積したごみの回収処理施設の整備から、地球にやさしいゴミ拾いスポーツまで多彩な取り組みも広がり、G7海洋プラスチック憲章を打ち出した昨年の先進7カ国(G7)首脳会議のホスト国カナダのように、使い捨てプラスチックを21年に禁止する動きもある。

 日本政府も大阪のG20に先立って30年までにプラスチックの再生利用を倍増させる、などを内容としたプラスチック資源循環戦略を打ち出すとともに、政府開発援助(ODA)や国際機関を通じて途上国の廃棄物分別収集などを支援する考えだ。

 ≪公海にも拡大する海の危機≫
 われわれも「日本財団 海と日本プロジェクト」の中に、海ごみ対策を中心とする「CHANGE FOR THE BLUE」プロジェクトを立ち上げ、海洋ごみの実態調査や幅広いステークホルダーと連携した対策モデル構築など多彩な取り組みを進めている。

 海は大量の海洋ごみのほか、二酸化炭素(CO2)の排出増加に伴う海水温の上昇や酸性化、乱獲による漁業資源の枯渇などが急速に進んでいる。世界168カ国が批准する海の憲法「国連海洋法条約」(UNCLOS)は地球の7割を占める海のうち、各国の沿岸から12カイリ以内を領海、200カイリ以内を排他的経済水域(EEZ)とし、それ以外の3分の2の海域を各国政府の管轄外となる公海としている。

 近年、海水温の上昇に伴い、主な魚種の8割以上が繁殖に必要な温度環境を求め、極地方向あるいは深海に移動しつつあるとされ、ただでさえ漁業資源の枯渇で危機に瀕(ひん)している世界の漁業は一層、厳しい状況に追い込まれている。

 さまざまな議論があるようだが、地球温暖化―海水温上昇の主因が化石燃料によるCO2の放出にあるのは間違いない。海の危機は公海にも広く拡大しており、国際社会は公海に関しても環境保全に向け、節度ある協力態勢を確立する必要がある。

 とりわけ海洋プラごみに関しては、海に流出後、波や紫外線の影響で5ミリ以下に砕けたマイクロプラスチックの分布状況や魚介類の摂取を介した人体影響の解明が急務である。

 17世紀のオランダの法学者グロチウスが唱えた「自由海論」に基づき、いまだに海の自由な利用を唱える向きもあるが、当時、10億人に満たなかった世界の人口は70億人に増えた。海の劣化は、こうした変化を意識しないまま経済活動を拡大、化石燃料の大量使用を続けた結果である。

 海はこれ以上の負荷に耐えられない。国際社会はこの事実を厳粛に受け止め、G20が打ち出した海洋プラごみゼロの目標に立ち向かうべきである。個人としては、目標年を50年より早め、各国が法的な拘束力を持つ協定を取り交わすような、より積極的な対応こそ必要と考える。

 ≪母なる海は一つで結束を≫
 安倍晋三首相は7月15日に行われた「海の日」総合開会式にビデオメッセージを寄せ、海洋プラごみ問題が世界的に深刻化している現状を指摘した上で、「海洋国家日本がリーダーシップを発揮して、新しい令和の時代を海とともに歩む」と語った。

 海の再生は待ったなし≠ナある。国連加盟国は現在、193カ国に上るが、「母なる海」は一つだ。国際社会は今こそ結束して行動を起こさなければならない。古(いにしえ)から海の恩恵を受けて発展してきた日本が、その先頭に立つべきは言うまでもない。
(ささかわ ようへい)

産経新聞【正論】「新日英同盟」を積極外交の柱に [2019年07月19日(Fri)]
「新日英同盟」を積極外交の柱に


産経新聞【正論】
2019年7月4日


 日英両国が争ったインパール作戦の地に日本財団の支援で「平和資料館」が完成し、先月22日、開館式に出席。75年後の平和な姿を前に、近年、新たな動きを見せている「新日英同盟」について思いを新たにした。

 ≪平和は兵士の犠牲の上に成立≫
 日英両国はユーラシア大陸の両端に位置する海洋国家であり、ともに米国と同盟関係にある。米国の影響力に陰りが見られ、中国、ロシアの攻勢が目立つ中、日英関係がより強化されれば、日米英3国の同盟関係だけでなく、世界平和に対する日本のプレゼンスも高まりアジアの安定にも寄与すると考えるからだ。
 
 平和資料館はインド北東部のマニプール州インパール市の近郊に完成し、開館式には地元や日英両国の関係者が出席。「現在ある平和」が戦場に散った兵士ら多くの犠牲の上に成り立っていることを互いに確認し、駐インド英国高等弁務官のドミニク・アスクイス氏は「今や英日両国は国家レベルでも個人レベルでもパートナーとして協力し合う関係になった」とあいさつした。
 
 インパール作戦は1944年3月に日本軍が開始、4カ月後に中止した。3万人の日本兵が戦死、4万人が戦病死したとされ、勝利した英国も大戦後の独立運動の盛り上がりでインド、ビルマ(現ミャンマー)など植民地を失った。英国の歴史家アーノルド・トインビーは一連の戦争を「日本が200年の長きにわたってアジア、アフリカを支配してきた白人の帝国主義、植民地主義に終止符を打った」と位置付けている。
 
 日英同盟は1902年、ロシア帝国の極東進出に対抗して締結された。以後、日本外交の柱となり、世界の7つの海を支配した大英帝国と対等の同盟を結んだことで日本の国際的地位も高まった。しかし、両国関係の悪化で23年に失効した。維持されていれば、第二次大戦に至るその後の歴史は違った、との指摘もある。

 ≪明治・大正期の日本外交基軸≫
 第一次世界大戦中の17年3月には、同盟に基づく英国の要請を受け、旧日本海軍が地中海の海上交通の要衝マルタに巡洋艦1隻、駆逐艦8隻を派遣し、ドイツの潜水艦Uボートによる攻撃から連合国軍の輸送船団を守った。魚雷攻撃で沈没した英国輸送船の乗員ら3千人を救助するなど、「地中海の守り神」とも言われた。

 その中で駆逐艦「榊(さかき)」がUボートの攻撃で大破し、艦長以下59人が戦死。首都バレッタの英連邦軍墓地の一角には戦病死した12人と合わせ計71人の慰霊碑がある。近くの海事博物館には「マルタにおける日本帝国海軍」のコーナーもあり、市内の広場に並ぶ日本海軍兵士の写真などが飾られ、2017年5月、「日マルタ首脳会談」に出席した安倍晋三首相も慰霊に訪れている。

 世界の覇権が米国に移る中、英国は1968年、スエズ以東からの英軍撤退を表明した。しかし、欧州連合(EU)からの離脱が決まって以降、インド太平洋地域の安定に積極的に関与していく方針に転換。2017年8月にはテリーザ・メイ首相が訪日、安倍首相と「安全保障協力に関する日英共同宣言」を発表し、日英両国の関係をパートナーの段階から同盟関係に発展させる方針を打ち出した。以後、陸上自衛隊東富士演習場での英陸軍と陸自の共同演習など活発に防衛交流を進めている。

 世界の歴史はしばしば、米国や日英両国など海洋国家(シーパワー)とロシアや中国など内陸国家(ランドパワー)の対立の視点で論じられてきた。本格的な分析は専門家の研究に委ねるが、明治から大正にかけた日本外交の基軸は英国であった。新日英同盟ともいえる両国の関係強化は、変化が激しい国際情勢に対応するための選択肢を増やし、日本にとっても英国にとっても利益となる。

 安倍首相は大阪で開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議のため来日した中国の習近平国家主席との会談で「日中関係は完全に正常な軌道に戻った」と今後の改善の加速に意欲を示し、習国家主席も「新時代にふさわしい中日関係を構築したい」と語った。

 ≪英国で高まる日本の再評価≫
 新しい日英関係は、スエズ以東に当たるインド洋、太平洋など幅広い地域で安全保障だけでなく、地球温暖化や海洋安全、災害対策など幅広い分野での両国の協力に道を開く。結果的に米国の影響力を強化し、日中、日露外交に有効に機能するだけでなく日本がシーパワーとランドパワーの調整役を担う可能性も出てこよう。

 英国では近年、「日本は第一次大戦で重要な役割を果たした」といった日本再評価の高まりが見られるという。インパール作戦は日本で長く、「史上最悪の作戦」と語り継がれてきた。その後のインドの独立や今回の新日英同盟の動きを前にすると、「(歴史の)禍福は糾(あざな)える縄の如(こど)し」の思いを強くする。世界の平和、ひいてはアジアの安定のためにも日英の関係強化を通じ、より積極的な外交が展開されるよう望む。
(ささかわ ようへい)

産経新聞【正論】人材育成に偉人教育の活用を [2019年06月10日(Mon)]
一人材育成に偉人教育の活用を―


産経新聞【正論】
2019年5月23日


 一万円、五千円、千円札の肖像が令和6年度をめどに渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎に刷新されることになった。新たな「顔」となる3人は、明治時代の経済、教育、医学の分野で近代日本の礎を築いた偉人である。

 ≪久々に蘇る明治の偉人≫
 万葉集を出典にした初の和製元号「令和」に対する期待、歓迎ムードが高まる中、紙幣刷新も予想以上に好評のようだ。明治の偉人が久々に蘇(よみがえ)る姿に、偉人伝に胸を躍らせた幼時を思い出す。

 戦後教育の中で偉人教育はすっかり影が薄くなったが、偉人が追い求めた理想やその生きようは、子供たちの夢を育てる格好の教材となる。昨年4月から全国の小学校、今春からは中学校で「特別の教科 道徳」が教えられるようになった。令和の時代を迎え「偉人教育」を積極的に取り込み、子供たちの人格形成に役立てるよう望みたい。

 新しい3人の「顔」は、前2回(昭和59年、平成16年)の紙幣刷新と同様、「国民に親しまれる明治以降の文化人」から選ばれた。渋沢栄一は500に上る企業の創設・育成のほか、社会福祉や教育機関の創設に関わり、「日本資本主義の育ての親」と呼ばれる。自国第一主義や少数の富裕者に富が集中する利益至上主義、株主資本主義が加速する中、「利益を求める経済の中にも道徳が必要」と唱えた渋沢の「道徳経済合一説」が改めて注目される。

 昨今、大企業の不祥事が相次ぎ経営トップがおわびする事態が相次いでいる。深々と頭を下げる姿を見るにつけ、企業がどうあるべきか、あらためて渋沢の精神を学んでほしい気さえする。

 津田梅子は7歳で米国に留学、津田塾大を創設した女子教育のパイオニア。北里柴三郎は破傷風の血清療法を確立、「近代細菌学の父」と呼ばれ、ともに大きな足跡を残した。

 日本を代表する歴史や文化を築いた偉人はどの地方にも存在し、地域の人びとの心に刻まれている。例えば「米百俵」の逸話で知られる旧長岡藩の小林虎三郎。戊辰戦争の敗戦で城下町が焼け野原になり藩士が食にも困る中、藩の大参事として、他藩から贈られた見舞いの米百俵を売却、子供の教育に全力を注いだ。多くの人材が育ち、その教育理念は今も長岡市に引き継がれている。

 江戸時代、「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで「浪速の八百八橋」と呼ばれた大阪。実際にある橋の数は約200。江戸では多くが幕府によって造られたのに対し、大阪は高麗橋など一部を除いて大半が町民によって架けられた。「八百八橋」は浪速の町民の心意気、力を伝える言葉として今も生きている。

 ≪偉人の足跡通じ郷土に誇り≫
 子供が生まれ育った郷土に誇りを持つには、偉人の足跡を知るのが何よりも早道である。近年、道徳教育の在り方をめぐり、各地で偉人の教え方や評価方法など多角的な議論が進められている。こうした中から「郷土の偉人に続け!」「偉人を道標に」といった理念の下、郷土の偉人の言葉や業績を教育に取り込み、子供に未来の夢や目標を持たせる試みも生まれてきているようだ。戦後の教育の場で、偉人の伝記などが教材として活用されるケースは驚くほど減った。戦後の占領政策で連合国軍総司令部(GHQ)が、戦前の教育すべてを否定する教育政策を強引に推し進めた結果である。

 藤原正彦氏の「日本人の誇り」(文春新書)に世界数十カ国の大学や研究機関が参加して18歳以上の男女を対象に行った世界価値観調査の結果が紹介されている。平成12年の調査で、「日本人は『祖国を誇りに思う』の項目で世界最低に近い」というのだ。戦後の自虐史観が色濃く投影された結果であり、戦後の平和日本に対する国際的な評価の高さとの落差はあまりに大きい。

 令和の幕開けに当たり、安倍晋三首相は国民代表の辞で「平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていく」と決意を述べた。

 わが国が、世界の先頭を切って進む少子高齢化にどう対応していくか、モデルとなる先例はない。国を支える15〜64歳の生産年齢人口も急減する。1100兆円にも膨らんだ国と地方の借金残高、いつ起きてもおかしくない大災害など課題は尽きない。

 ≪新転換期に多彩な人材育成≫
 資源のない日本が今日あるのは、人材育成に傾注してきたからに他ならない。背景には、艱難(かんなん)辛苦を乗り越えた偉人とこれを支えた人々の貢献があった。次代を担う若者の家族愛や郷土愛、祖国愛なくして国の明るい将来はもちろん、地方創生もない。

 AI(人工知能)の発達やグローバル化が進む現代は明治の維新期と同様、社会の大きな転換期にある。10年、20年先には、社会の在り方も仕事の形も大きく変わる。多彩な人材の育成に向け、さまざまな取り組みが欠かせない。その柱の一つが「偉人教育」である。
(ささかわ ようへい)


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