「ネパールでのハンセン病活動」―今年全国大会― [2025年01月17日(Fri)]
「ネパールでのハンセン病活動」 ―今年全国大会― コロナ禍の影響で世界的にハンセン病制圧活動が停滞しており、患者数も増加傾向にあると推察される。今一度、世界的にハンセン病制圧活動を活発化させたいと願っている。 今年はアフリカ54ヶ国によびかけてエチオピアの首都アディス・アベバでハンセン病制圧大会を開催することにしていますが、ネパールでも今年の秋には全国大会を開催すべく準備を進めています。 また、インド、スリランカ、インドネシアでの活動に加え、バングラデシュも政治が落ち着けば全国大会を行いたいと考えています。 以下は、昨年9月ネパール訪問での記録を多摩全生園の季刊誌「多摩」に投稿したものです。 ******************* ネパールでのハンセン病活動 ―早期発見・治療はコミュニティレベルでの活動が鍵― WHOハンセン病制圧大使・日本財団会長 笹川陽平 「ハンセン病を忘れないで」(“Don’t Forget Leprosy”) ハンセン病は終わった病気ではない。今もなお世界中にこの病気による偏見や差別に苦しむ人々がいる。このことは国際的に人権問題として解決するべき問題であり私はWHO(世界保健機関)のハンセン病制圧大使としてできる限りの活動を続けている。偏見や差別に苦しむ人々と会って話を聞き、解決策を一緒に考えてきた。最近では「ハンセン病を忘れないで」というメッセージをローマ教皇や各国の首相など影響力のある方々と共に発信する啓発キャンペーンを実施している。2022年にはネパールの著名な登山家のミングマ・ギャブ・シェルパ氏がエベレストの頂上で「ハンセン病を忘れないで」のメッセージを掲げてくれた。私はそのことに感動して85歳の老体に鞭を打って2024年2月にアフリカの最高峰キリマンジャロ登山を決行し、5685mの頂上でメッセージを掲げてハンセン病への偏見や差別をなくすためにより一層の努力をすることを誓ったのである。 根強い偏見と差別 2024年9月、私は10年ぶりにネパールを訪問した。首都のカトマンズでは首相や大統領とハンセン病についての問題点について議論をし、インドとの国境が近いハンセン病蔓延州ではハンセン病に苦しむ人々の現状やそれを解決するために奮闘する人々に会って話を聞くことができた。 ネパールは2010年にWHOが定めるハンセン病の制圧基準である人口1万人に一人未満をクリアしている。ただ、公表されている新規患者数は年間2500人だが、カトマンズ近郊にあるアナンダバン・ハンセン病病院のグルング事務局長によると、正確にはわからないと前置きしつつ、多くの患者が偏見や差別を恐れて隠れているのは間違いなく、新規患者数はおそらく年間3万人は下らないだろうと言う。また、ハンセン病患者を触りたがらない医者もまだ多いとのことだった。 政府の数字はどの国においても正確ではない。これは患者数が増加することは職務怠慢とみられるからで、数字は人為的な数字となっていることが多いと思われる。また、驚いたことにハンセン病患者に対する差別法、例えば妻がハンセン病に罹ったら離婚できるなどが30もあるというのである。これについてネパール法曹協会の幹部たちと協議したところ、法曹協会、国会議員やNGOなど5つの以上の組織が関わって撤廃に向けて活動しているという話ではあった。しかし法律上には差別が禁止されているものの現実は違っていて、ハンセン病患者が目の前に現れるとみな躊躇するという。雇用、結婚もそうであるため、人々のマインドを変えていくことが重要である、と力説していた。なお、ネパールを訪問した翌月にイギリスで国際法曹協会のティム事務局長に会い、ネパールに残るハンセン病患者に対する差別法について共有する機会を得た。ティム事務局長はこのことについてはもう少し早く取り組むべきだった、これから法律の撤廃へ向けて力を尽くす、と約束してくれた。 ハンセン病蔓延州での取り組み カトマンズでネパールのハンセン病に関する様々な情報を得たあと、私たちはネパール南東部に位置するタライ地方のマデシ州を訪問した。この州はネパールにあるハンセン病の蔓延州の一つでもある。州都のジャナクプールまではカトマンズから小型のプロペラ機で移動することになっている。カトマンズ発着便は必ず遅延すると聞いていた通り、予定より2時間半遅れてジャナクプールへ向けて出発した。飛行時間はわずか25分で、小さな空港に着陸。タラップを降りて徒歩で空港の建物まで歩いていく。まず驚いたことは、なんと暑いことか!カトマンズは気温30度を少し超えるほどだったが、40度は超える暑さと湿度の高さである。少し歩いただけで、じっとり汗がでてくる。カトマンズの人々がジャナクプルは暑いよ、と言っていたことに納得であった。空港からシン州首相との面談に向かい、ハンセン病活動のために同州を訪問したことを報告し、20時頃に宿泊先のホテルに到着した。遅い夕食を取るためにホテルのレストランに入ると、エアコンがほとんど効いてない。大きな扇風機が2台、音を立てて首を振っていた。レストランの中はそれでも蒸し暑い。ここで冷えたビールを飲んだらさぞ美味しいのはわかってはいるものの、ぐっと堪えて普段は飲まないコーラを頼む。実は、5月の連休中に1日10時間雑草取りに精を出した結果、腰の神経を痛めてしまい、なかなか治らないのである。少し治ってきたところでまた雑草取りをする、ということを繰り返しているうちに慢性的な痛みとなって歩行にも多少影響が出てきてしまった。痛めた神経にはアルコールはよろしくないだろうという自己診断のもと、この出張ではアルコールを我慢することに決めたのである。 翌日は、朝から1日かけてラルガー・ハンセン病病院や自助グループの活動を視察した。ラルガー病院に到着すると、院長のクリシュナ医師やスタッフから次々と首に花輪とカタと言われるスカーフをかけられて歓迎され、その後クリシュナ医師に病院内を案内される。カルテが保管されている部屋には4万人を超える患者のデータがぎっしりと並ぶ。クリシュナ医師は将来的にデジタル化して保管したいとのことであった。 クリシュナ医師によると国境を接するインドからの患者が全体の2割を占めるとのことで、1日の新規患者は5〜6人。入院施設も完備されていて90ある病床はほぼ満室だった。病室を訪ねると、国境を接するインドのビハール州から治療に来ているスバヤダブさんという女性がいた。彼女は夫と兄妹からも見放されて一人でネパールの病院に治療に来たと、寂しそうに話してくれた。インドでも偏見や差別が根強いことは重々承知しているが実際に彼女のような人に会うと、より一層の努力が必要だと感じざるを得なかった。 なお、我々を案内してくれたクリシュナ医師は祖父と母親がハンセン病に罹り、子どもの頃には同級生から辛いいじめを経験したと話してくれた。そして自分だけではなく祖父も母親も苦労しているのを見てきたからこそ自分が医師になって治療する立場になりたいとインドの医学部で勉強して医師となり、長くハンセン病の現場で活動している。 午後には、ラルガ病院が組織した自助グループをクリシュナ医師と共に訪問した。自助グループはマデシ州に150程度あり、回復者がメンバーとなってハンセン病の早期発見や啓発活動に加え、患者へリハビリを促すような活動をしている。自治体から交付金10万ルピー(約11万円)を受け取り、それを活用してラルガ病院での治療が可能になっているという。クリシュナ医師のようなハンセン病の患者に寄り添うことのできる人がいるからこそ、このような素晴らしい連携が行われているのである。 我々が訪問した自助グループのリーダーから詳しく話を聞くことができた。自助グループがない時は差別がひどく、就職や結婚はもとより患者を探すこともコミュニティの人たちと一緒に食事をすることも難しかったという。しかし自助グループを結成して啓発や早期発見活動を行い、一緒に食事をする機会を作るなどしているうちに徐々にコミュニティの人たちからの理解が得られるようになってきたと説明してくれた。 彼のようなリーダーだけではなく、ハンセン病の初期症状がどういうものかについてよくわかっているのは回復者である。私の前に座った少年がハンセン病の症状が顔に出ているようだったので、聞いてみると自助グループのメンバーに早めに見つけてもらったのでこのあとラルガ病院に行くことになっているという。このようにコミュニティレベルからハンセン病の早期発見が行われていけば、後遺症が残ることはない。そうすれば偏見や差別に苦しむ人も減ってくるであろう。蔓延地域でこのように成功している例を見ることができたことは、私にとってこの上ない喜びであり、彼らのような活動なくしてハンセン病の制圧はないと再認識したのである。 ハンセン病全国会議の開催 コミュニティーレベルでハンセン病制圧のために奮闘する人々に会い、改めてこの国の課題と解決策について考えるきっかけとなった。そこで私はまず「全国ハンセン病会議」を開催することを決めた。 この会議を開催することに関しては首都のカトマンズで直接オリ首相、ポーデル大統領、プラディープ保健大臣にもお会いして、賛同を得ることができた。ハンセン病の患者を早期に発見して病院との連携で早期の治療を可能にし、さらには啓発活動を行いながらコミュニティーレベルでハンセン病に対する偏見や差別をなくしているという自助グループの活躍についても報告した。オリ首相は、「会議で議論を深め、ハンセン病に対する偏見や差別の問題も含め解決していってほしい」と会議への期待を寄せられた。 今回の訪問は、私が常日頃大切にしている信念の一つ「課題と解決方法は現場にある」ということを改めて感じることのできる旅であり、早速来年度に開催するネパールハンセン病全国大会の準備に取りかかることになった。(了) |