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「看護師に夢を」―海外留学制度― [2023年09月15日(Fri)]

「看護師に夢を」
―海外留学制度―


日本財団は世界中で人材育成事業を展開しています。著名な世界69大学の修士・博士課程の卒業生は既に16,000人を超え、それぞれの国は勿論のこと、世界中で各界で活躍されておられます。

中国の笹川医学奨学生は35年間で2,200人を超え、中国医学界の一大勢力になっており、先般人民大会堂で35周年式典を行ったことは既に報告しました。また北京大学国際関係学院は中国の人文科学界ではトップの存在で、卒業生は学者や国務院をはじめ優秀な官僚として、また、メディアや起業家としても活躍されています。

海洋分野では、世界海事大学、ニューハンプシャー大学の沿岸・海洋マッピングセンター、国際海事法研究所、国際海洋法裁判所、国連海事・海洋法課(UN DOALOS)など、これまで世界154国から1,721人の留学生を派遣してきました。最近では世界的に遅れをとる海洋開発分野の人材育成のため、スコットランド、ノルウェー、オランダやアメリカにも我が国の若手人材を派遣しています。

聴覚、視覚障がい者の留学制度も実施しています。
ベトナム、カンボジア、ミャンマーでの小学校建設は1,000校を超えました。
その他、義手義足の学校をカンボジア、スリランカ、ミャンマー、インドネシア、フィリピンにも建設し、努力を続けているところです。

前置きが長くなりましたが、先般笹川平和財団では、将来の国際社会で活躍する人材を求めて、4年間の留学費である学費、生活費、航空運賃全てを負担、一人約4年間で約5,500万円を支援する奨学制度をスタートさせました。それと同時に笹川保健財団では、世界有数の看護師数を誇る日本から世界で活躍できる人材育成のために、アメリカの優れた看護系の大学への留学制度を設置しました。既にコロンビア大学、エモリー大学、ハーバード大学、ジョンズホプキンス大学、カルフォルニア大学に修士や博士を目指す5人の方が決定し、更に多くの看護師さんが当方の定めたアメリカの10大学を目指して挑戦する準備を進めております。

医師法での看護師は医師の補助員と定められていますが、それを脱皮し、私の主張する看護診療士制度を創設の上、過疎地における高齢者のための在宅看護サービスの指導者になってもらいたいものです。

以下は壮行会での私の挨拶です。

****************

2023年7月18日(火)
日本財団会長 笹川陽平

私は人材育成が大事だと、これまで世界中で人材育成事業を実施して参りました。例えば、世界69の大学の修士・博士課程の学生に対する奨学金事業は既に35年継続しており、これまで16,000人のフェローを輩出し、皆さん活躍されています。

しかし残念ながら、国際社会の中での日本の地盤沈下、存在感は急速に落ちています。これまで私たちは主に外国人を支援してきました。明治以来、日本は資源も乏しくあるのは人材と考え、人材育成に力を入れてきました。しかし現在の我々はこの点が十分ではありません。そのため私の最後の仕事は世界を舞台に活躍してくれる日本の人材を育成することと考えており、喜多会長と考えが一致しました。

看護師の皆さんは日夜努力されています。しかし、今一つ、或いは語弊があるかもしれませんが、看護師の社会的地位をもっと向上させる必要があると考えています。現在そして近い将来を考えても、日本の保健医療は看護師なしには成り立たちません。日本は世界に誇る国民皆保険がありながら、看護師が活躍する場が少なく残念だと感じています。こうした意識から皆さんのお力になれないかと考えてこの奨学金制度を設けました。海外に行って今一度汗を流して勉強しようという方が沢山いらっしゃると知り、大変心強く思っています。

勿論日本の中でもやらなければならないことが沢山あります。先般、産経新聞の正論にも投稿致しましたが、例えば診療看護師制度(NP)といった制度です。こうした制度は日本に必要不可欠だと思いますが、現状はうまくいっていません。私も制度創設に向けて闘って参ります。しかし皆さんには、これからの日本の看護師界のみならず、できれば世界を舞台にして働き、活躍できる人材になっていただきたいと思っています。

いまふと思い出しましたが、私が結婚した時に中曽根康弘・元総理がスピーチをして下さり「書」も下さいました。そこには「風雪は人を磨く」と書かれていました。ご存じの通り、辛いこと、困難なことにぶつかり、それを乗り越えた時に人間は一回りも二回りも強くなるということです。徳川家康ではありませんが、悩まない人などおらず、人生は悩みと苦しみの連続です。こうしたことを乗り越えることで人間は成長します。そういう悩みや苦しみを乗り越えることが自分自身を作っていくのだと、物事を肯定的に捉えていく必要があると思います。

海外に行って勉強しようという優秀な皆さんですからそれほど困難に感じることはないかもしれませんが、世界には多種多様な価値観があり、外国での生活には様々な困難が待っているかもしれません。しかし国際化の時代で活躍するには、出来るだけ多くの友人を作っていただくことが大事であると思います。世界は肩書だけで生きていけるわけではありません。より多くの人を知っていることが信頼の1つの大切な基準になります。友人、知人を数多くつくることも海外での大事な仕事の一つです。こうした人脈は将来、必ず生きてきます。皆さんには、勉強はもとより、大志をもって世界に羽ばたく人になっていただきたいというのが私や喜多会長の願いです。

どうぞ元気に留学いただきたいと思いますし、まだ留学先が決定していない人もいると伺っていますので、そうした人も初志貫徹でご自分の希望がかなえられるよう努力していただき、努力が実った時は一回りも二回りも大きく成長していると思います。飛行機がない時代は死ぬかもしれないとの思いで出発前に水盃を交わしたものでした。今や時代も変わってそうした悲壮感はありませんが、1つだけ覚えておいていただきたいことがあります。それは、この奨学金は皆さん個人のための奨学金ではないということです。皆さんには将来指導者となって多くの人を指導して欲しいという願いを込めて提供するということを忘れないでください。押しつけがましいことは言いませんが、将来皆さんには世界に羽ばたいていただき、指導者の一人になって欲しいという夢を我々が持っていることを記憶に留めてください。ありがとうございました。

23.07.18 看護フェロー壮行会.png
世界で活躍する日を夢見て
記念撮影


「GEBCOとは何のこと」―日本財団と親密な関係― [2023年09月05日(Tue)]

「GEBCOとは何のこと」
―日本財団と親密な関係―


GEBCO(General Bathymetric Chart of the Oceans)とは日本語では大洋水深総図と訳されています。簡単に言えば「海底地形図」のことで、地球の7割を占める海水がもし存在しないと仮定するとどんな地形になっているか。専門家が懸命に努力を続けています。

今や宇宙科学は大きく進歩・発展していますが、人類の生存にかかわる海洋に関しては危機的問題が多く、気候変動や海洋の酸性化の問題、特に大量のゴミの流入は近い将来、魚類の総重量を超えるといわれております。最近ではトンガの海底火山の爆発はイタリアのポンペイ遺跡で有名なヴェスヴィオ山の火山の排出量より大量であることが判明しています。

未知の海底火山の発見、レアメタルを含む鉱物の発見等、海底地形図の作成は人類の生存のために重要な活動ですが、今まで遅々として進んでいませんでした。何よりも、このような地味な仕事に従事する科学者が圧倒的に少なかったからです。

そこで日本財団は、2004年より世界の海底地形図を作成する専門家集団(GEBCO)と共に、アメリカのニューハンプシャー大学で海底地形図の専門家を育成する人材教育を開始し、今年で20年になることを記念して、8月1日に東京で「同窓会」を開催しました。現在まで50カ国120人の専門家養成に成功し、77名の仲間が参加してくれました。

2017年には海底地形図は約6%でしたが、日本財団の協力で2023年現在24.9%まで急速に進んでおり、何とか2040年頃までには世界の海底地形図を完成したいと活動を強化したい考えです。

この海底地形図作成にかかわる同窓会の仲間意識は強固なもので、2019年の石油メジャーのシェル石油が開催した「Shell Ocean Discovery XPRIZE」には世界32チームが参加、我が同窓会の多国籍有志チームが見事優勝し、賞金400万ドルを獲得して日本財団に寄付してくれました。受賞理由は、今まで無人測量が不可能だった4000メートルの水深を高速で測量するシステムを開発した結果とのことでした。

以下は日本財団―GEBCO同窓会での挨拶です。

*******************

日本財団-GEBCOアラムナイの仲間たち、スピーカー、そしてゲストの皆さん。東京へお集まりいただいたことに、心から歓迎申し上げます。

私はこの特別な日に集まる日本財団−GEBCOアラムナイの皆様を、知的な冒険者と情熱的な志士たちの家族として迎える喜びに胸を躍らせています。日本財団のOne World One Familyという理念は、多様な背景や境遇を超えて協力し、共に進んで行くことでより良い社会と世界を築くことを象徴しています。

日本財団が提供する奨学金は、単なる学術的サポートに留まりません。それは、永遠に続くアラムナイ・ネットワークの一部として、皆様と共に知識と絆を育むものです。奨学生期間が終わった後も、私たちはお互いに助け合い、成長し、共に歩む家族のようなつながりを築いていきたいと考えています。

2019年の国際コンペティション「Shell Ocean Discovery XPRIZE」は、アラムナイ・ネットワークの力と協力の尊さを示す素晴らしい例です。皆様は13ヶ国16名のフェローからなる日本財団-GEBCO共同チームを結成し、海底探査技術の頂点に立つことに成功しました。この総会でも、アラムナイ・ネットワークの強化と情報の共有によって、未知なる海底地形の解明をさらに加速させることが期待されます。

宇宙への興味が高まる中で、地球の謎に満ちた海洋に対する十分な関心が欠けているかもしれません。しかし、我々は忘れてはならないのです。海洋こそが人類の存続に不可欠な存在なのです。皆様が追求している海底地形の解明は、知的な好奇心を満たすだけでなく、海底資源の分布や海の生態系の状態、潮流のメカニズムや津波の予測、船舶の航行安全や海難救助に不可欠な情報を提供します。

この日本財団−GEBCOアラムナイ総会を通じて皆様の結束をより強化し、持続可能で豊かな海洋の未来のために共に協力していくことを心より期待しています。お越しいただき、誠にありがとうございました。

@GEBCO.jpg
2016年にモナコでGEBCOと共催した「海底地形の未来を考えるフォーラム」にて
モナコのアルベール2世大公と握手する笹川

BGEBCO同窓生の皆さんと集合写真.jpg
GEBCO同窓生の皆さんと集合写真

「継続は力なり」―日中防衛交流と笹川医学奨学生― [2023年08月22日(Tue)]

「継続は力なり」
―日中防衛交流と笹川医学奨学生―


日本と中国の関係がギクシャクしている中ではあるが、コロナ禍も終息に向かっているので、何とか民間交流は再開の突破口にしたいと考え、まず自衛隊と人民解放軍との佐官級交流の再開で合意に達し、既に7月に防衛省自衛隊は中国訪問を終え、9月には人民解放軍の来日の準備が進められている。

又、日・中医学交流は1986年に創設して現在まで、35年にわたり継続・発展させてきた。7月27日28日には病魔と闘っておられる森喜朗元総理もこの事業に賛同され、出席して下さった。

権威ある人民大会堂で約1000人の参加者と共に35周年を祝った。本来ならば3000人規模の祝賀会をと考えていたが、完全にコロナが終息していない中国ではコロナ検査の上最大1000人との意向で、日本の指導教官の約200名と中国側は多くの参加希望者の中から約800名が選ばれ出席された。確かにコロナ検査で中国人参加者7名が陽性となり、入場できなかったことは残念なことであった。

以下は中国との民間交流の重要性について、若干日時が経過してしまいましたが、5月30日の記者会見で私の思いを述べていますので、ここに掲載し、ご批判を戴きたいと思います。

祝辞を述べる森元総理.JPG
祝辞を述べる森元総理

A珍しく使用許可が出た人民大会堂にて、1000人規模の大型式典となった.jpg
参加者全員

@人民大会堂にて。森喜朗元首相には20周年にもご出席頂いた。JPG.JPG
人民会堂の入り口でツゥーショット

****************


私は対中国関係の民間交流を長く行って参りました。コロナ禍で交流が中断しておりましたが、是非再開したいと思っております。本日は人民解放軍と自衛隊の交流再開、そして35年を迎える日中医学交流について発表したいと思います。ご多忙の中、日中医学協会の小川秀興理事長、そして日中友好基金を指導している笹川平和財団の角南篤理事長にもご参席頂きました。

ご承知の通り、日本と中国の間は地政学的に隣国ですが、2000年の長きにわたり友好な関係が存在するのは世界の歴史上でも類をみません。勿論多少の問題点もありましたが、2000年の歴史という長い期間で見れば非常にユニークな友好の歴史であったと思います。政治体制の違い、制度の違いなどありますが、やはり隣国としてお互いを良く知るという努力をすることが大変重要です。私は親日家の養成をしたいわけでも親中派の養成をしたいわけでもありません。専門分野でお互いが交流し、お互いを良く知ることが何より大切であると考えています。

例えば、中国では100万人を超える方が日本語を勉強されています。この割合は世界で日本語を勉強する人のおよそ3割を占めています。そうした方々の為に、我々は中国の86大学に400万冊を超える日本の図書を寄贈しています。また、日本語を勉強している方を対象に、日本に関する感想文の大会「作文コンクール」を開催していますが、2022年の大会には219の大学から2300人を超える人が応募されました。ここからも日本への関心の高さがうかがえます。

同様に「日本を知る知識・クイズ大会」も開催しています。大会では、我々日本人でも知らない難しい問題、例えば「大相撲の土俵の直径は何メートルか」などが出題され、コロナ前最後に行われた2019年度の大会は大変盛況でした。大会には114の大学が参加し、あらゆる日本に関する分野を勉強した方々が参加されました。加えて中国の10の大学、雲南大学、内蒙古大学、吉林大学、重慶大学、新彊大学、中山大学、南京大学、復旦大学、北京大学、蘭州大学に基金を設置して30年近くになりますが、基金から修士・博士課程の学生に奨学金を提供し、既に9000人を超える方が各界で活躍されています。

決して親日派を育成するのではなく、知日派、即ち日本を良く知る人を育成していきたいという観点からこうした民間交流を実施しています。その中でも特に、今回のテーマである自衛隊と人民解放軍の交流に関しましては、日中平和友好条約締結45周年という年でもあり、私も5月11日に中国に行き、中国国際戦略学会と笹川平和財団・日中友好基金の間で再開の合意に達しました。7月には日本から第一陣が中国を訪問し、9月頃には日本に人民解放軍を迎えるということで、世界的にもユニークな交流です。

政府間交流はトラック1とよばれ、民間はトラック2と称しますが、我々はトラック1.5ということで、民間が入ることで柔軟なプログラム、言い換えれば形式ばらない方法で行なえるという特徴があります。つまり、お互いの業務の内容というよりは、それぞれの社会、例えば農村や漁村、最先端技術の工場を訪問したり、酒を酌み交わして形式ばらない席で意見を交わしたりすることが重要と考えています。このように日中間の佐官級交流は世界でもユニークで、各国の専門家から高い評価を頂いています。これから更に10年間続けていくことで原則合意しています。

また、日中医学交流については1986年から進めておりますが、当時中国は貧しく、留学出来ない、または留学しても中国に帰ってこなかった方々が多くおられました。しかし、我々は毎年100名の医学生を日本にお迎えし、彼らは修了後全員中国に帰国し活躍しています。こうした経緯もあり、本事業は中国政府からも高い評価を受けております。医学生は中国の国家試験を受けた後、100名の方が長春に集合して10ヶ月合宿をしておりました。合宿には日本から日本語教師を派遣し、単に医学のみならず日本での生活習慣も勉強して日本に来ていただいておりました。勿論、当初は様々な小さな文化摩擦もありましたが、北は北海道大学から南は琉球大学にいたるまで、日本側の大学は決して受け入れを拒否せず、留学生を温かく迎えてくれました。また日中医学協会では、先生と生徒の間のコミュニケーションが十分とれていれいるかなどを気にかけ、月に1回は学生に電話をし、勉学の進捗や悩みを聞くという痒い所に手が届く対応をしていました。また、中国の学生も大変よく勉強して下さっています。

本事業を通じて既に2400名が中国に戻り活躍しています。これまでは日本が「教える立場」でありましたが、今は「共同で研究」をする時代になりました。小川理事長からこれからは博士課程を教えたいというご要望を頂き、更にステップアップした事業について説明があると思います。日本では225の受入れ期間(大学、病院、研究所)で1686人の指導教官がついて医学生を教えていましたが、その成果は、中国の医学界の中堅より上の幹部を見ていただければお分かりいただけると思います。幹部の多くは日中笹川奨学生ですし、奨学生の中には日本でいう学士院にあたるアカデミーに4名、大学教授が1250名、大学学長が18名、病院長も30名ということで、中国医学会の中における日中笹川奨学生の果たす立場はご理解いただけると思います。これらを記念して7月28日に人民大会堂に於いて盛大な35周年の式典をやろうということで、中国側からは1000名を超える人が出席予定です。また、お世話になった日本の先生方も現地に向かわれる予定です。原則中国ではグループを作ることは禁止されているなか、唯一日中笹川医学奨学生については同学会設立を許可され、卒業生は各地域で活発なボランティア活動を行っている他、SARSやMARSの際にも素晴らしい活動をされたということで、中国政府からも評価されています。

「継続は力なり」ではありませんが、政治とは関わらず、民間としてお互いを良く知ろう、隣国同士よく知ろうということで、コロナもひと段落いたしましたので、こうした交流を再開したいということあります。

「社会貢献支援財団」―表彰式― [2023年08月15日(Tue)]

「社会貢献支援財団」
―表彰式―


社会貢献支援財団は、多様化する社会の中でさまざまな困難に直面する方々を積極的に協力、支援されている団体や個人を表彰する財団で、安倍昭恵会長のもと、年に2度の社会貢献者表彰を行っています。今回の59回目の式典は7月31日に帝国ホテルで開催され、内館牧子選考委員長のもと、厳正に審査の上、30組が表彰されました。

社会貢献支援財団.jpg
受賞者の一人であるフグ田サザエさんと一緒に


以下、安倍昭恵会長のスピーチと私の即興の挨拶です。

**************

安倍昭恵会長挨拶

社会貢献支援財団の会長を務める安倍昭恵で御座います。第59回社会貢献者表彰式典にあたり、受賞者を推薦して下さった委員の皆さん、また、日本財団はじめご協力いただいている関係各位の皆さんに厚く御礼を申し上げます。本日は30組を表彰致しますが、活動を支えている家族をはじめとする関係者の皆さん、また今回は現役のボートレーサ―の方々にも来ていただいたことに心から敬意とお祝いを申し上げます。

私は社会貢献支援財団の会長に就任以来、皆さまの素晴らしい活動を拝見して参りました。実際に皆さんの活動の現場を訪ねて見聞きすることで、目下の社会問題の数々を知り理解を深めることで、私にできることは何かを考える機会を頂いています。

都内新宿区の歌舞伎町で活動する認定NPO法人「10代・20代の妊娠SOS新宿−キッズ&ファミリー」が行う夜間の現場パトロールに参加し、危険を伴う夜の街で過ごさざるを得ない実情を知りました。6月にはグラウンドワーク三島を訪問しました。グラウンドワークの発祥地・英国のグラウンドワークとの協働を展開しながら、三島市内に流れる源兵衛川の清らかな水辺の環境を取り戻す道のりを伺いながら、蛍の舞う様子を観賞することができました。また、先日は長年里親を続けている坂本洋子さんが、里親たちが支え合う場所として行っていたサロン活動「里親広場ほいっぷ」の20周年とNPO法人化をお祝いする式典にも参加させていただきました。皆さんが様々な苦労を重ねながら、更に改善し発展させようとする姿勢に頭が下がる思いでいます。

本日お集まりいただいた受賞者もそういった方々です。社会課題の解決を行政にのみに頼るのが難しい現状において、見て見ぬ振りが出来ない人が行動を起こしています。今後も明るい住みよい社会になりますよう引き続きお力をお貸しいただければ幸いです。私自身受賞者の皆さんの活動から力を頂いており、拝命している当財団会長を引き続き精一杯務める所存でございます。

最後に受賞者の皆さんの活動の一層の拡大と発展と共に、みなさんのご健勝をお祈りし私の挨拶とさせていただきます。おめでとうございました。

**************

笹川陽平挨拶

ご紹介賜りました日本財団会長の笹川です。毎回この祝賀会に参加させていただいており、その度毎に如何に広く日本中で心ある方々が日頃汗をかいて困っている方々のために活動をなさっているかということを勉強させていただいています。また同時に、日本が抱える様々な社会課題がありますが、そうしたことに対して皆さまが気付き、その問題を解決しようとお働き頂いている内容をこの場で私自身も勉強させていただき、それをどのように、日本はもとより世界に広げていくかというのが私に与えられた仕事であると考えています。

多様な社会の中で、日本社会の中でも格差が広がり、困難な生活をなさっている方がいかに多いかということは、この場に来てみないと分からない深刻な問題です。

日本にはもともと助け合いの精神が存在していました。しかし社会の近代化のなかで、助け合いをするコミュニティそのものが崩壊し、家族の中でも孤立化が進んでしまいました。スマホは優れたツールの一つかもしれませんが、家庭内での孤立化をすすめています。例えば極端な話、家の中でも奥さんと夫がスマホで話をするのも珍しくなく、また若者がレストランで食事していても、お互い下を向いてスマホをいじっている姿を見ると、子どものみならず日本人の多くが孤立していると感じます。

スマホの影響で人と会話を十分にできない子どもたちが出てきている中で、皆さんの活動は、まさに人間的なコミュニケーションの重要さを認識し、困っている人が孤立化しないようにするにはどうすればよいかということに気づき、挑戦されています。そうした意味で、私はまだまだ日本は捨てたものではないと感じています。皆さんの活動は大変ユニークで、今日表彰された方々は社会の中でなくてはならない活動をおやりになっています。こうしたユニークな取り組みをどのようにして日本の社会全般に、或いは世界に広げていくかというのが大変大きな課題であり、私自身もまだまだ働かなければならないと実感しています。社会課題は何かを苦悩しながら考えて活動しているつもりではありますが、今日の表彰者の皆さんの活動を拝見し、まだまだ勉強が足りないと実感しています。

社会貢献支援財団は、安倍会長自らが、時にはアジア諸国まで足を延ばされて活動をご覧になっています。先般も、再犯防止に向けて刑務所や少年院の出所者が定職につけるよう、中小企業の社長さんが親代わりになって支援されている日本財団の職親プロジェクトを応援するため、わざわざ大阪までおいでになり激励のお話をして下さいました。そして多くの候補者の中から、内館牧子審査委員長を中心に、常に公正そして冷静に判断され、本当に日本社会の中で必要であり、未来志向で我々に「こうしたやり方もあるんだ」と示唆してくれる活動を選んでいいただいていることに御礼申し上げます。

今後皆さんの活動がさらに広がりをもっていくように、要望があれば日本財団も協力して参ります。皆さんの活動は日本社会に必要不可欠なものですので、誇りを持っていただくと同時に、活動が広がるにはどうすればよいか、日本財団にも連絡いただき、より良い社会の為にお互いが助け合うという日本古来の精神で活動して参りましょう。そして社会生活の中で、老人から赤ちゃんに至るまで孤立化せず助け合いをしていく新しいコミュニティづくりの指導者として更なる活動を期待しています。

心から皆さんの活動に敬意と感謝を申し上げ、受賞した皆さんにお喜び申し上げます。

**************

皆さんの友人、知人に社会貢献活動をされておられる団体、個人がございましたら是非下記にご推薦下さい。

「社会貢献支援財団」
電話: 03-3502-0910

「ハンセン博士らい菌発見」その2―150周年記念国際会議― [2023年07月03日(Mon)]

「ハンセン博士らい菌発見」その2
―150周年記念国際会議―


ハンセン博士らい菌発見150周年記念の国際会議、二日目の「人権と尊厳セッション」での私の基調講演を掲載しました。

今や病気の制圧はラスト・マイルになりましたが、ハンセン病の偏見・差別の問題は今も深刻です。先進国の参加者にもわかりやすく持論を発言しました。

以下、基調講演(英文)を日本語訳にしました。

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@ハンセン博士らい菌発見150周年記念ベルゲン国際会議2日目の冒頭で挨拶JPG.JPG


アリス・クルス・国連特別報告者、坂元茂樹・神戸大学名誉教授、回復者団体の代表者を含むパネリストのみなさん。

御高承の通り、ハンセン病には2つの側面があります。1つは医療面としての課題、もう1つは差別とスティグマ、即ち人権問題としての課題です。私は常々このハンセン病との闘いをモーターサイクルに例えて説明しています。モーターサイクルの前輪は病気を治すこと、後輪は差別を無くすこと。両輪がうまくかみ合わなければこの問題の真の解決はあり得ません。医療面については、ハンセン博士によるらい菌の発見から150年の間に治療薬も開発され、早期発見・早期治療で完治する病気となりました。勿論年間20万人程度の新規患者が発見されていること、また、先般のコロナの影響もあって患者発見活動が停滞気味であることなど、これからも一層の努力が必要ではありますが、多くの方々の尽力により、医療面については、まさにラスト・マイルまで辿り着きました。

一方、人権問題としてのハンセン病との闘いはまだ始まったばかりです。私自身の半世紀にわたるハンセン病との闘いを振り返ってみますと、最初の30年はとにかく病気を治すことに注力していました。しかしある時、病気は完治しているにもかかわらず物乞いを続け、社会から隔離され、コロニーで生活をしている人々を見て、彼らの生活環境は何一つ変わっていないことに気が付きました。彼らは引き続き社会から差別され、排除されていたのです。私はこの時、ハンセン病との闘いは「らい菌」との闘いのみならず、社会の側が持つ「差別」という問題との闘いでもあると痛感しました。ここから人権問題としてのハンセン病との闘いが始まりました。

では、人権問題としてのハンセン病は一体どのくらい深刻なのでしょうか。ハンセン病に対する差別の1つの特徴として、患者のみならず完治した回復者、そしてその家族までもが差別の対象となることです。単純に計算しても、今でも年間20万人の新規患者が発見されていますから、例えば一家族5人とすれば、年間100万人が新たに差別を受けていることになります。そしてかつては年間新規患者数が数百万に達する時代があったことを考えると、差別を経験しているハンセン病患者、回復者とその家族は数千万人に上ると私は考えます。これ程大きく、世界的な差別が続いている例は稀なのではないでしょうか。

この極めて深刻な差別と闘う為に、私は当時の国連人権委員会に訴えることにしましたが、驚くべきことに、それまで国連人権委員会はハンセン病の人権問題を取り上げたことがないどころか、小委員会に所属する20名を超える人権専門家はハンセン病にまつわる人権問題の存在すら知りませんでした。今年はハンセン博士がらい菌を発見して150年という年であり、病気としてのハンセン病はまさにラスト・マイルに差し掛かっていますが、残念ながら人権問題については150年前と大きな変化はありません。皆さん、こうした事実からハンセン病に対する差別がどれだけ大規模で、またどれだけ長い間見過ごされてきた深刻な問題なのかお分かりいただけるのではないでしょうか。

幸いにも2004年、国連において私は「ハンセン病と人権」について3分間発言する機会を得ました。これは国連における史上初めてのハンセン病にまつわる公式発言ですので、以下その一部を抜粋したものを紹介します:

「議長、何故ハンセン病は今日まで人権問題として取り上げられなかったのでしょうか?その理由は、ハンセン病患者が見捨てられた人たちだからです。名前も身分も剥奪された人たちなのです。自分の人権を取り戻すための声すらあげられないのです。ただ黙ることしかできません。

ですから、私は今、皆さんの前で訴えています。声をあげることができない人たちに対して注目をしてもらうためなのです。

議長、ハンセン病は人権問題です。(国連人権)委員会メンバーにこの問題をなくすことに積極的に取り組んでいただきたい。世界で調査を行い、解決法を考えていただきたい。そして、ハンセン病に関わる人たちのために、差別のない世界の実現に向けて指針を提示していただきたいと思います。」

これが1つの契機となり、7年後の2010年、国連総会でハンセン病患者、回復者とその家族に対する差別撤廃決議と「原則とガイドライン」が192ヶ国全会一致で可決されました。こうした成果はこの会議にご参加いただいている坂元茂樹・神戸大学名誉教授は勿論のこと、ハンセン病当事者の力なくしては成し得なかったことだと思いますし、多くの当事者に勇気を与えたことであったことは間違いありません。

しかしです。こうした決議がなされたからといって「差別」という社会が持つ問題が解決したわけではありません。私自身の力不足ということもあり、未だに「自分には人権があるのか」「ハンセン病と告白したら新たな差別を受けるのではないか」というセルフ・スティグマを抱えている当事者も沢山います。そして、未だにハンセン病に対する差別法が先進国を含め世界24ヶ国に139存在している他、世界の様々な地域で独自の差別的な慣習が残っていると報告されています。

ここにお集まりの皆さん。これほどまでにハンセン病に対する差別という病気は深く社会に根付いてしまっていることを知ってください。そして、ハンセン病は現在進行形の重大な人権問題であることを知って下さい。私は半世紀にわたり120ヶ国を超える現場を訪問し、社会そして家族からも捨てられたハンセン病の患者、回復者が肩を寄せ合いながら悲惨な生活をしている姿を見てきました。一方で彼らがたくましく生き抜いてきたことも事実です。この会議にも、たくさんの国から当事者団体代表の皆さんが参加していますが、最近は世界各地で彼らが立ち上がり、声をあげるようになりました。その中にはハンセン病との闘いの先頭に立ち、目覚ましい成果をあげている人たちが何人もいます。皆さん、彼らの存在を知ってください。そして、彼らの声に耳を傾けてください。

この問題の解決には長い時間が必要かもしれません。しかし、様々な人権問題が活発に議論されている今日、ハンセン病が例外であってはなりません。我々はこの現実に目を背けてはなりませんし、解決に向けた闘いを進めなければなりません。そして近い将来、ハンセン病患者、回復者そしてその家族が社会の一員として活躍できる真にインクルーシブな社会を共に実現するために更に活動を強化しようではありませんか。ありがとうございました。

「ハンセン博士らい菌発見」その1―150周年記念国際会議― [2023年06月30日(Fri)]

「ハンセン博士らい菌発見」その1
―150周年記念国際会議―


日本財団と笹川保健財団は、ノルウェーのベルゲン大学と共催で、表題に基づく国際会議をベルゲンで行った。大学関係者は、雨の多いベルゲンに青空が広がったことに「遠来の皆さんのお蔭」と微笑んでくださった。

以下は世界の32ヵ国から集まった参加者を前にした私の基調講演です

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マーガレス・ハーゲン・ベルゲン大学学長、川村裕・駐ノルウェー日本国大使、イングヴィルド・クジェルコル・ノルウェー保健大臣、リン・クリスティン・エンゴー・ベルゲン市長、ハンセン博士のひ孫であるアビ・パトリックス氏、お集りの皆さん。ベルゲン、そしてノルウェーが世界に誇るハンセン博士がハンセン病の原因であるらい菌を発見してから150年という記念すべき年である本年2月の式典に続き、本日ハンセン病と病気にまつわる差別のない世界の実現に向けた国際会議を開催できることを心から嬉しく思います。

ハンセン病は、ハンセン博士がらい菌を発見するまでは神罰や呪いであるとまことしやかに信じられていました。驚くことに、通信手段も交通手段も発達しておらず世界がまだまだ分断されていた時代からハンセン病は忌み嫌われ、ひとたびハンセン病に罹患すれば患者を辺鄙な土地や絶海の孤島に隔離するということが世界各地で共通して行われていました。そして今から150年前、この暗い状況を一変させる可能性を秘めた一つの光が見つかりました。ハンセン博士によるらい菌の発見です。私はこの歴史的発見から今日に至るまでの150年間に目撃された様々な事績に思いを馳せます。

ハンセン病は神罰でも呪いでもなくらい菌によって引き起こされる極めて弱い感染症であると判明してから「カーヴィルの奇蹟」と呼ばれ、ハンセン病の治療に有効性を示したプロミンの合成、そしてダプソンの抽出が実現するまでの約80年間、ここに至るまでには医療従事者の並々ならぬ努力がありました。

また、ダプソンに対する耐性菌の発現に対処すべく更なる研究開発がすすめられ、WHOの研究班により現在まで使用されている多剤併用療法、即ちMDTと呼ばれる治療法が確立されたことで、ハンセン病は早期発見・早期治療を通じて障害なく完治する病気となったことは患者に希望をもたらし、これまでの約40年で1600万人が治療されました。

こうした事績を聞くと、ここにいる皆さんの中にはハンセン病は過去の病気だと考える方もいらっしゃるかもしれません。しかし残念ながらハンセン病は過去の病気ではなく、現在進行形の病気なのです。今なお、年間20万人の新規患者が発見されており、また、厳しい差別を受けるハンセン病患者、回復者とその家族の総数は世界中で数千万人とも言われています。確かに彼らに対する厳しいスティグマや差別は人権問題であると認識され、差別撤廃決議案が2010年の国連総会において192ヶ国全会一致で採択されました。しかしながら、これは人権問題としてのハンセン病との闘いの第一歩を踏み出したにすぎません。

何より旧約聖書の時代から続くハンセン病患者、回復者とその家族に対する厳しいスティグマと差別という人権問題は依然として社会に静かに沈殿し、具体的対策が進んでいないのが現状です。また、ハンセン病に対する差別法も、現在でも先進国と呼ばれる国を含め世界20ヶ国を超える国々の中に130程度存在しています。加えて、薬で完治するにも拘らず、元患者、回復者と呼ばれ、社会のみならず家族からも捨てられる病気はハンセン病をおいて他にありません。人権が一層重んじられてきている現代に於いて、このような大規模かつ深刻な人権問題を未解決のままにしてはなりません。即ち、この状況に変化をもたらさなければならず、我々にはそれが出来ると確信しています。

なぜなら、私が過去50年にわたり、ジャングルや砂漠を含む世界120ヶ国以上の僻地を訪れ学んだことは、情熱と未来志向の行動は世の中に変化を起こすことが出来ると確信したからです。ハンセン博士、ダミアン神父、ガンジー、マザーテレサ。一人一人の情熱と未来志向の行動が、多くの人に希望を与え世の中を変えてきました。皆さん、この彼らの献身的な取り組みと歴史的な偉業を引き継いで参りましょう。

そして皆さん。私は今ここで50年前に父と共に韓国のハンセン病療養所を訪れ、父の仕事を継いでハンセン病を世界から無くすために活動することを決意したあの日と同じように、改めてハンセン病にまつわる差別を解消しハンセン病のない世界の実現に向けて我が残りの人生を捧げることを約束します。ありがとうございました。

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ハーゲン・ベルゲン大学学長とベルゲン宣言を発表



「オンライン大学設立へ」―日本財団とドワンゴ提携― [2023年06月27日(Tue)]

「オンライン大学設立へ」
―日本財団とドワンゴ提携―


新しいオンライン大学「ZEN大学」の2025年4月の開校に向けて、秋頃までに文部科学省に申請予定です。初年度入学定員は5,000人、授業料は一年間38万円の予定です。

以下は少し古くなりましたが、6月1日の記者会見の挨拶です。


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日本財団・ドワンゴ包括提携記者発表

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御高承の通り、我が国は資源が限られており、あるのは人材です。かつては「寺小屋」という仕組みがあり、日本は一般国民に至るまで、他の先進国に比べても類を見ない程の世界一の識字率を誇っていました。そして、そうした人材こそが明治における目覚しい発展の礎となり、今日の日本を作ってきたと言っても過言ではありません。しかしながら、時代の流れは急速なテンポで変化・変革を遂げています。そうした中、日本財団としては長きにわたり、教育問題をその活動の中心に据えてきました。

例えば世界44ヶ国69大学における修士・博士課程の学生に対する奨学金提供を35年以上にわたって行っています。また昨今、海洋は世界的な大きな課題となっておりますが、日本財団はスウェーデンにある世界海事大学においても奨学金事業を提供し、学生の2割は日本財団の奨学金で勉学に励んでおり、これまで150ヶ国を超える国の学生に奨学金を提供して参りました。更に、既に30年以上にわたり聴覚障害者への奨学金の提供も実施しており、ギャローデット大学や理系であればロチェスター工科大学で勉学する機会を提供し、世界のろう者の指導者になっていただくための教育を長く続けています。加えて昨今では、第三の居場所の設置にも力を入れており、全国から多数の申請を頂いています。孤立しがちな子どもの為に、学校でも家庭でもない第三の居場所をつくり、異世代間の交流を通じて孤立させないような活動もしています。この第三の居場所では、自分が住んでいる町がかつてどんな町だったのかを年配の方から聞いたり、将棋や碁を教えてもらえたりするような世代間交流を可能とし、子どもたちの孤立化の防止、社会性を身に着ける場所にしたいと願っています。

こうした中で、新たな人材育成の取組みとして、現代の最新の技術を使ったオンライン大学を是非とも作るべきだ、作りたいということが我々の願いです。ドワンゴさんにおかれましては、既に高校レベルで「N高」の名のもと、25,000人の学生に教育を実践されていることは御高承の通りです。しかし高校から更に進学したいという方も多く、その為には大学を作ろうということで、我々の「人づくりこそ国の将来を決める」という信念に基づきお話をしたところ、意気投合致しました。そして、新しいカリキュラムによるオンライン大学を作る運びとなり、本日お話をしております。

2025年4月の開校を目指し、今年の秋ごろまでには文部科学省に申請したいと思っています。特に昨今は収入の格差が大きく広がってきております。一般の大学教育を受けるには少なくとも、場所にもよりますが、300万円程度必要になっていると推定しています。地方にお住まいで一年間に300万円という金額は、現在の収入規模を考慮すると、大学に進学させるのは困難であるということがお分かりいただけるかもしれません。当財団が10歳から18歳の子ども、若者1万人を対象として実施した調査によれば、国や社会が子どもたちのために優先的に取り組むべきこととして、約4割から「高校・大学まで教育を無料で受けられること」と回答があったという結果も出ています。

また、2022年12月21日に発表された文部科学省の学校基本調査(確報値)やUS進学総合研究所の資料を調べてみたところ、地域の格差が相当にあると見受けられます。例えば、東京においては76.8%の子どもが大学に進学しています。一方、名前を申し上げると失礼かもしれませんが、秋田県や岩手県は39%程度ということで相当の開きがあります。大都市部においては、収入によって有名私立校への進学、ましてや小学校レベルから塾に通って目指す大学の為に勉強を開始する状況も顕著にあります。それに比べ、地方においては収入に鑑みて子どもの大学進学は無理だと諦めている家庭もあるのではないかと推察しています。

日本では人こそが宝です。財産です。未来を背負う日本の子どもたちに対していかに立派な教育を施し、力強い日本を作る人材を養成するというのが日本人としての我々の義務と責任ではないかということでドワンゴと意見が一致しました。

先ほども申した通り、大学進学のために地方から大都市に出てくるとおよそ一人300万円程度かかります。しかし地元でオンラインで教育を受けられるとなれば30万円程度で実現できます。つまり、多くの子どもたちが安価で立派な大学教育を受けられることになるのです。また昨今、リスキリングという言葉がよく聞かれますが、このオンライン教育では、こうした強い意志を持った方も、休日を利用して録画をした教育内容を何回も、理解出来るまで繰り返して学ぶ事が出来、さらに収入の良い企業への転職も可能になります。

教育の内容の詳細はこれから詰めてまいりますが、ドワンゴさんにおかれては、画一的な教育ではなく一人一人の個性、特性を尊重した最高レベルの教育をITやAIを活用して提供したいというお考えで、未来志向の中で大変重要な分野であると確信しています。また、日本財団の持つ世界的な大学ネットワーク、或いは障害を持った方々の教育、災害の救済、難病の子どもたちへのボランティア活動、昨今ではウクライナの難民支援もありますが、こうした社会体験も人間形成には大変重要だと考えています。この点でも日本財団は多くの経験をもっていますので、オンラインでの学業のみならず、ボランティアを通じた社会体験を学ぶ機会も計画しています。将来にわたって国内外で活躍できる人材を育成すべく、ドワンゴさんの有する高校までの教育の知見と我々の体験、そして行動哲学を一致させ、この大学設立への準備を進めて参ります。

「Don’t Forget Leprosy」―らい菌発見150周年ウェビナー会議― [2023年06月09日(Fri)]

「Don’t Forget Leprosy」
―らい菌発見150周年ウェビナー会議―


ノルウェーのハンセン博士が「らい菌」を発見してから今年は150年目の節目の年で、6月21日、22日には博士の出身地・ノルウェーのベルゲン市で大規模な国際会議を行います。

今回はこの会議に参加できない方々を中心に、6月7日、第1回目のウェビナー会議を実施しました。

会議の中での私の発言は以下の通りです。

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(各回復者団体からの発表の後)

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「ハンセン病を忘れないで」のTシャツを着て


笹川制圧大使:
 ウェビナーに参加している皆さんこんにちは、こんばんは、おはようございます。
 今年はハンセン博士がハンセン病の原因となるらい菌を発見して150年という節目の年ですので、この機会に「Don’t Forget Leprosy」ということで、本日は医療面からのウェビナーを開催しています。今、皆さんの素晴らしいご発言を聞かせていただきました。世界中でコロナの影響があり3年以上現場での活動が出来ませんでしたが、ようやく収束してきましたので、また現場での活動を活発化したいと考えています。
 先般はWHO総会に臨み、各地域の責任者、各国の保健大臣、またWHOのテドロス事務局長や人権問題の専門家であるターク国連人権高等弁務官にお会いし「Don’t Forget Leprosy」の話をしました。私自身世界中を回って、150年前にハンセン博士が発見したらい菌をこの地球上からゼロにしたいというWHOが目指す目標に向って、皆さんと共に活動していきたいと心から願っています。
 そして6月21、22日と、ハンセン博士がらい菌を発見されたノルウェーのベルゲンでハンセン病国際会議を開催する予定です。私は以前、ハンセン博士が研究されていた机やその上に置かれていた顕微鏡を覗く機会がありました。非常に困難な中でらい菌を発見して頂いたのだと感じています。先ほどお医者様から素晴らしい話があったので私の話が間違っているかもしれませんが、発見されてから70年、或いはそれ以上、らい菌に効く薬は存在しなかったのではないかと思います。効くだろうということで大風子油という熱帯地方の木になる実から精製した油を注射していましたが、今から見るとあまり効果がなかったのではないかと思います。世界の医学者が懸命に努力し、75〜80年前にダプソン或いはプロミンという薬がアメリカで開発されました。
 御高承の通り、アメリカには2つの療養所があります。1つはルイジアナ州のカービル、もう1つはハワイのカラウパパです。当時はアメリカにおいてもハンセン病に罹患すると名前を失い、番号で呼ばれ、この2つの療養所に収容されるというものでした。また、選挙権すら与えられないという厳しい差別も受けてきました。ダプソンの出現でようやくハンセン病は治る病気への一歩を踏み出し、1982年になってMDTという多剤併用療法が特効薬となり今日に至っています。
 長い間、恐らく人類が地球に出現して以来、ハンセン病は神罰、先祖が悪いことをした報いと言われてきました。しかしこれは大きな間違いで、単なる非常に弱い感染症であることをハンセン博士が発見したのです。150年と言いますが、その半分はらい菌は発見されたものの治療薬はありませんでした。治療薬が発見されるにはその後75年近くの時間がかかりました。そして今やMDTの無料配布により世界中で早期発見・早期治療をすれば、何の障害もなく治るという素晴らしい時代になりました。
 しかし残念ながら世界は広く、そうした事実を知らない人もいますし、まだまだ長い間の偏見や差別によりなかなか自分がハンセン病に罹ったことを人に言えず隠れて生活して病気が悪化するというケースが世界中に見られるのは残念であると同時に、私の活動が不十分と痛感しています。150年を機会に、またコロナの収束を機会に、関係者、ウェビナー参加の皆さんと力を合わせて、ハンセン病という病気を地球上から一掃しようではありませんか。ハンセン博士がらい菌を発見した150年を機に新たな挑戦をしていきたいと思います。私はその先頭にたって皆さんと働きたいと思っています。

(パネルディスカッションQ&Aに移行)

ナディラ氏(インドネシア):
 らい反応や障害が残ることもあります。MDT治療後の対策には何が出来ますか。

笹川制圧大使:
 インドネシアに1年に6回訪問し、国中を回って病気を治したかったのですが、コロナで訪問することが出来ませんでした。しかしこれから行きますので待っていてください。インドネシアではテレビやラジオに出演し、一般の方にハンセン病はどのような病気なのか、そして早期発見・早期治療で治る病気であると話してきました。インドネシア中の人にハンセン病は怖い病気ではないと伝えたいと思いますし、ナディアにも協力いただきたいと思います。
 質問に関しましてはご承知の通り、この病気は手や足の末端神経が侵される病気です。体にパッチが出来た時に薬を飲めば治りますが、治療が遅れてしまうと手や足などに異常が出て潰瘍がでることがあります。しかし潰瘍はハンセン病によって発生するのではなく、らい菌により神経が侵され感覚がなくなり、例えば裸足で生活をしていることで傷が出来ても気付かず、傷口が広がり、結果潰瘍になります。エチオピアにも行ったことがありますが、手や足に潰瘍が出来た時には、自分の足の裏は見えにくいので、手当をして清潔にするために、互いに洗い合うなどセルフケアをするところが多いです。とにかく傷口を綺麗にしておけば、それ以上進行することはありません。やはり基本はセルフケアです。
 質問の中にあったようにMDTを服用し、中には副作用が起こる方がいます。熱が出たり体の異常が出たりすることがありますが、これは専門の病院に行っていただかないと手当の方法がありません。もし近くに病院がないようであれば、是非ともそうした患者が出る前に、どこにハンセン病をよく見てくれる病院があるかを調べておいていただくことが大変大事なことだと思います。ハンセン病に罹ったことを恥ずかしいと思う方もいるかもしれませんが、勇気をもって病院に行っていただきたいと思います。HIV/AIDSや結核と違って命を取られるものではありませんので、出来る限り早めに病院を見つけていくことが大切ですね。今度インドネシアで会いましょうね。

ラメッシュ氏(ネパール):
 ネパールではハンセン病が蔓延している地域があるほか、国境を跨いで患者がネパールに来ることもあります。ハンセン病に国境はなく、ハンセン病の解決に向けてどのようにしていけばよいでしょうか。

笹川制圧大使:
 私はネパールを度々訪問したものの、貴国では内戦が続き、ハンセン病の患者の皆さんのところに行けませんでした。インドと国境を接しているタライ地方も度々訪問しました。その折、ネパールでは病院にインドからの患者が沢山来ているのを拝見しました。ネパールの病院の方が国境を越えてきた方に非常に親切に接していらっしゃったのが印象的でした。彼らが「同じ悩みを持った人を助けるのは崇高な活動であり、また使命である」とおっしゃっていたことに感動しました。
 国境問題について、インドとネパールの国境というと弊に囲まれているように思いがちですが、実態は畑と畑で繋がっていて、国境には石があるだけで自由に出入り出来ます。インドとネパールの保健省の間において、こうした患者にどう対応するか政府間で話し合って欲しいとお願いしましたし、制圧を達成するまでは活発に議論が行われていたと承知しています。幸いにも両国が制圧に成功したことからこうした会合も減っています。しかし、インドから越境してくる患者はネパールの病院は素晴らしいと理解しており、また、ネパールの病院関係者が人道的対応で国境を越えてきた人に対してネパールの国民と同じように親切な治療を提供しているのを見て感激しました。状況が許す限りインドからの患者についても今まで通り診察・治療をしていただければ有難く、またネパールの病院関係者の人道的立場に立った活動を高く評価しています。

ラメッシュ氏:
 引続きハンセン病を無くすために活動し、治療に専念していきたいと思います。16の地域でハンセン病の罹患率が高いので、政府からの支援をもとに草の根からハンセン病を無くすことに貢献していきたいと思います。ハンセン病に国境はないと考えており、インドからの患者にも十分な支援をして参りたいと思います。ネパールにも笹川制圧大使には是非またお越しいただけることを期待しております。

笹川制圧大使:
 先般のWHO総会において、ネパールの保健大臣ともお話しする機会があり、患者がゼロになるように強力な活動をお願いしたいと伝えてきました。お招きいただき感謝すると同時に、またネパールに行きたいと思います。逸話として、タライ地区に行ったときホテルに泊まっていましたが、病院訪問の折にホテルに迎えに来てくれたのは車ではなく、なんと象でした。ネパールでは、象に乗って病院を訪問した楽しい経験があります。

ムウェンドワ氏(タンザニア):
 アフリカ地域はハンセン病の有病率が高く、まだ発見されていない隠れたケースも多い状況です。回復者団体はどのような貢献ができますでしょうか。

笹川制圧大使:
 貴国を何度も訪問し、大統領に直接ゼロにする活動を強化して欲しいとお願いしてきました。そしてハンセン病をゼロにするためには、これからは回復者の皆さんが主役になって欲しいと世界中でお願いしています。一番ハンセン病について経験があり、そして回復した皆さんがこれから新たな患者に障害を発現させないために、早期発見・早期治療をしなければなりません。つらい経験をしてきた皆さんが協力をして下さることが最も大切だということで、笹川保健財団は世界中で回復者の皆さんの組織づくりに懸命に努力しています。皆さんが「ハンセン病は単なる病気だ」「神罰でもなければ、偏見や差別をすることは誤りである」とはっきり主張し、また「かつて罹患したことがある」と自信を持って社会に発言し、新しい患者が出ないよう努力する回復者の団体を作って欲しいですし、笹川保健財団はムウェンドワさんのような回復者の組織を支援していきたいと考えています。皆さんが活躍して「この病気は怖いものではなくすぐ治る」「白いパッチが出てきたらハンセン病の可能性が有ると疑い病院に行って欲しい」と、経験に基づいてお話していただくこと自体が人を助ける重要で意義ある活動になります。自信を持って発言と行動をお願いしたいですし、隠れた患者についてもムウェンドワさんや回復者団体の人が「早期発見・早期治療で完治し、薬は無料である」と言ってくださることは、医師や保健省が言うよりも説得力があると思います。一人でも多くの隠れた患者を見つけていただき、早期発見・早期治療で回復してもらうよう協力をお願いします。我々も皆さんの活動を支援していきます。

ムウェンドワ氏:
 助言を全うしていきたいと思います。先般、障害予防委員会を立ち上げました。まだまだ活動は始まったばかりですが、今後活発にしていきたいと思います。

笹川制圧大使:
 コロナも収束し、ハンセン博士がらい菌を発見して150年という記念すべき年を一つの好機として、世界からハンセン病がゼロになるようお互いに協力をして参りましょう。

「海洋生物新発見へ」―世界的プロジェクト・スタート一 [2023年06月07日(Wed)]

「海洋生物新発見へ」
―世界的プロジェクト・スタート一


坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」ではないが、人間は星空を眺める習慣から宇宙への好奇心が強く、今や月や火星の地形図もあり、火星旅行さえ研究が進んでいるという。

一方、水の惑星と言われ、地球の7割を占める海についての調査研究は大幅に遅れている。海の環境保全なくして人類の生存はあり得ないにも関わらずである。

日本財団では、長く「海」に関心を持つ人材養成を世界規模で行うだけでなく、石油の99%を中近東に依存する日本にとって、狭隘(きょうあい)なマラッカ・シンガポール海峡の航行安全に40年にわたり協力してきた。また、万一の海難事故に備えるためのオイルフェンスの配置や、シンガポール、マレーシア、インドネシアの3ヶ国に、マラッカ・シンガポール海峡安全航行のための機構設置に協力したこともある。

現在は海底地形図の作成に全力を上げている。活動前はたった6%であったが、世界の研究者の協力を得て27%まで進んだ。地球から海水がない地形はどんな姿なのか、読者の皆さん、想像して欲しい。全貌が明らかになることは大きな楽しみである。

前置きが長くなったが、日本財団では英国のNekton財団と協力して、海中の未発見の生物探査事業「Ocean Census」を開始するにあたり、4月27日にロンドンにおいて記者会見を行った。

世界の分類学者カール・フォン・リンネは、動物、植物、鉱物の分類を学問的に行い、「分類学の父」と呼ばれている。日本でも牧野富太郎博士は「日本の植物学の父」と呼ばれ、植物分類学を確立させた。残念ながら、海洋生物については未だ分類は存在しない。一般論として、海洋生物の約10%しか判明していないという。近代科学の長足の進歩・発達の中で、いわば未知の分野であるといっても過言ではないだろう。

計画では、一年に少なくとも5,000近くの新種を発見する予定で、先般も海洋研究開発機構(JAMSTEC)が深海2000m近くで発見したヨコヅナイワシは世界的ニュースとして拡散された。

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JAMSTECが発見したヨコヅナイワシ(写真:JAMSTEC)


本計画には、既に各国の海洋研究所などの参加要請もあり、日本財団はNekton財団と共にプラットフォームになり、その分類はオックスフォード大学に担当してもらう予定である。

以下はOcean Census事業開始式典での私の挨拶です。

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林肇・駐英日本国大使、ルパート・グレイ・Nekton財団会長、お集りの皆さん。本日Nekton財団と共に海洋の生態系を解き明かし、海洋環境を守るという壮大で夢とロマンに溢れた事業の船出を迎えられたことを嬉しく思います。

日本財団は次世代に豊かな海を引き継ぐため、創設以来、海の未来を切り開く多様な取り組みに力を入れて参りました。その取り組みには150ヶ国から1600名を超える海の専門家の育成や未知なる北極海航路の開拓、海底地形図の作成、無人運航船の開発など、沢山の心躍る事業が含まれています。私自身、幼い頃にジュール・ヴェルヌの「海底二万マイル」を読んだ時、夢とロマンあふれる海に心を奪われました。海底の大冒険、巨大タコとの闘い、見たこともない食べ物・・・など、どれも新鮮な衝撃でした。中でも様々な海洋生物との遭遇は、幼い私にとって未知なる海へ強い好奇心を抱く大きなきっかけとなりました。こうした「未知なる海のことをもっと知りたい」「海の謎を解き明かしていきたい」という気持ちは、84歳の青年となった今、一層強くなっています。

しかしながら、既に火星の地形は100%把握しているほど近年の科学技術は驚くべきスピードで進歩しているにも関わらず、「母なる海」のことはほとんど分かっていないのが現状ではないでしょうか。特に、海洋生物については全体の10%程度しか把握していないと言われています。こうした海に潜む様々な未知なる生物を発見することがOcean Census事業であります。

こちらの映像をご覧ください。その昔、クラーケンと呼ばれた海の怪物がいたことは皆さんご承知の通りですが、クラーケンの正体はダイオウイカであるという説もあります。こちらの映像は深海1000mに潜む体長10m近いダイオウイカで、日本のNHKが撮影に成功しました。こちらは、海洋研究機構が撮影したヨコヅナイワシの映像です。ヨコヅナイワシは数年前に日本で発見された新種で、深海2000mに生息する深海のハンターです。次にご紹介するのは、コナス・マグナスというカタツムリで、固体自体は300年近く前に発見されています。しかし近年の研究で、コナス・マグナスの毒が鎮痛剤としてモルヒネよりも1000%強力な成分であることが分かりました。このように、これまで空想に過ぎなかった生物が発見され、また、既に発見されていた生物においても我々人類の生活を一層豊かにする可能性を秘めた新しい生態や特長が判明しています。

Ocean Census事業においてもこうした胸躍る素晴らしい発見があることを心から期待しております。また本事業には、数多くの未知の海洋生物を探査するのみならず、探査によって集められた膨大なデータを解析・管理し、こうした情報を世界中に発信していくという特徴があり、ひいては生物多様性並びに海洋環境の保全にも繋げていきたいと考えております。

御高承の通り、地球の7割を占めるのが海洋です。また、国は200近くに分かれていても、海洋は1つで繋がっており、人類共有の財産です。人類が共栄していくための最も基本的な要素が海洋であると考えれば、海の謎を解き明かしていく本事業が、我々人類の更なる発展のきっかけとなることを願ってやみません。そして、このように壮大で夢とロマンに溢れた事業は、日本財団そしてNekton財団だけでは成しえません。是非とも世界各地で活躍する海洋研究所をはじめ、お集まりの皆さんと連携しながら、海の謎を解き明かしていきたいと思います。本日は改めて皆さまと事業の船出を祝えることを嬉しく思います。
ありがとうございました。

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(注) 既に今回はじめて北極海の探査に入った研究グループは、数日で下記のような奇妙な生物を発見しました。(写真提供: AKMA/UiT)

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「北極サークル日本フォーラム」―北極の未来におけるアジア― [2023年03月10日(Fri)]

「北極サークル日本フォーラム」
―北極の未来におけるアジア―


3月3日、ノルウェー、ポルトガルでの二つ国際会議に出席後、夕刻帰宅。翌4日は虎ノ門ヒルズで、北極サークル、笹川平和財団、日本財団共催の「北極サークル日本フォーラム」に出席、挨拶をした。

当日は北極サークル議長であるグリムソン・元アイスランド大統領をはじめ、アイスランドの環境大臣やデンマーク王国を構成するグリーンランドの国会議員、原住民イヌイットの代表、アジア各国の代表、日本側は文部科学大臣、環境大臣をはじめ、国会議員の皆さんらが参加され、盛会であった。

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来賓の皆さんと


以下は式典での挨拶です。
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オラフル・ラグナル・グリムソン・北極サークル議長、お集りの皆さま。この度、北極サークルと笹川平和財団が中心となって「北極サークル日本フォーラム」が開催されることを嬉しく思うと同時に、挨拶の機会を頂戴し感謝申し上げます。特に、北極サークルはグリムソン議長の指導のもと、活発な議論と将来に向けての建設的な話し合いが進んでいることに敬意を表します。

30年前、北極海航路開発は不可能と考えられていました。しかし私は人類にとって未知なる北極海にロマンを感じ、北川弘光・名誉教授や工藤栄介氏と共に「夢の航路」実現に挑みました。そうした挑戦の1つが、ノルウェーのフリチョフ・ナンセン研究所とロシアの中央船舶海洋設計研究所と共に10年間実施した「国際北極海航路開発計画(INSROP)」です。また、INSROPに対応する日本独自の「北極海航路の利用促進と寒冷海域安全運航体制に関する調査研究(JANSROP)」も実施し、こうした取り組みの成果も北極評議会でも取り上げられるなど、国際的に高い評価を博してきました。そして今、我々がロマン、そして未知への挑戦として取り組んできた「夢の航路」は現実となり、北極海航路を利用した船舶の航行実績が世界的に急増しています。

一方、北極海を含む海洋は危機的状況に陥っております。温暖化による北極海の自然環境の変化、生態系や先住民たちへの影響、氷解による海面上昇がもたらす島嶼国の危機など、北極にまつわる課題は多種多様であり、これまで我々のロマンであった北極も現実の脅威に直面しています。SDGs14において「健全な海洋は人類の生存と地球上の生命にとって不可欠である」と言及されているように、北極海を含む海洋の危機は人類生存の危機でもあります。しかしながら、これまで日本そしてアジア諸国は、こうした北極海の課題に対しどのように関与していくか、残念ながら明確な将来像をもってきませんでした。今こそ「人類共有の財産である海洋」という考えのもと、平和裏に、そして秩序に基づく持続可能な北極海の維持・管理の為に尽力していく必要があるのではないでしょうか。

本日のフォーラムには世界各国の専門家の皆さんにお集まりいただいております。海洋をめぐる環境は目まぐるしく変化していますが、北極海の直面する変化は極めて深刻です。皆さんの知見と経験を結集し、日本そしてアジアとして北極サークルに協力すると同時に、どのような役割が可能か探って参りましょう。ありがとうございました。