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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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「ハンセン病映画祭」 [2020年01月23日(Thu)]
「ハンセン病映画祭」


2020年1月20日付けの朝日新聞朝刊に掲載された「ハンセン病知る無料映画祭」について改めてお知らせします。

日本財団と笹川保健財団は、「Think Act Shareハンセン病」という取り組みを実施している。「Think Act Shareハンセン病」は、ひとりでも多くの人がハンセン病に対する理解を深め(Think)、ハンセン病の問題を通して全ての人が参加できる社会の実現を目指して活動を行い(Act)、運動の輪を広げる(Share)、という取り組みだ。ハンセン病を描いた映画を無料で上映する「ハンセン病映画祭」はその活動の一環で、1月23日(木)から始まる。

このほか、映画の上映に際して、ハンセン病の回復者らのトークショーや、国内外でハンセン病患者、回復者へのボランティア活動を行う学生によるショートムービーの上映などのイベントも予定されている。

ハンセン病はいまや薬で完治するが、社会の側に根付いた差別という病気は未だに多くの当事者を苦しめている。「ハンセン病映画祭」を通じて1人でも多くの方がハンセン病のことを知り、ハンセン病にまつわる差別のないインクルーシブ社会に向けて行動していくきっかけになることを期待している。


【上映スケジュール】

1月23日(木)19:00〜
2月21日(金)19:00〜
【上映映画】『ふたたび swing me again』
【場所】ユーロライブ、渋谷区

2月23日(日)13:00〜
【上映映画】『こんにちは金泰九さん〜ハンセン病問題から学んだこと〜』
【場所】国立ハンセン病資料館、東村山市

2月24日(月)13:00〜
【上映映画】『砂の器』
【場所】国立ハンセン病資料館、東村山市

3月29日(日)13:30〜
【上映映画】『あつい壁』
【場所】日本財団ビル、港区

「ハンセン病映画祭」の詳細については、こちらのリンクも参照されたい。 
「海洋開発の為の大学生海外派遣」―アメリカ、カナダ、ノルウェー、スコットランド― [2019年11月25日(Mon)]
「海洋開発の為の大学生海外派遣」
―アメリカ、カナダ、ノルウェー、スコットランド―


表題のように、海洋開発に興味のある優秀な大学生を4カ国で勉強していただき、その報告会が10月11日、日本財団で行われた。

2016年から海洋石油、天然ガス開発や洋上風力発電等に興味がある学生を派遣。既に397名が帰国して活躍している。

***************

海洋開発の現場を体験.jpg

余暇活動の様子.jpg


以下は激励のスピーチです。

皆さん、本日はお集まりいただきありがとう。
いいですね、若い人たちの顔を見るのは。日本の将来は明るいですよ!
政治の世界やメディアを見ると、少子高齢化で日本の先行きがどうのこうのといっていますが、いつの時代も若者が時代を切り開いて来たのが人類の歴史ですから、あまり爺さん達の言うことは聞かないほうがいいかと思います。

若い人にはね、チャレンジできるチャンスがあるです。もう我々みたいに年をとってくると、チャレンジするチャンスはないんです。だから「チャレンジ!チャレンジ!」で。とにかく、可能性を秘めた皆さんですから、大いにこれからの自分の人生、だいたい道筋がついているみたいですが、それは途中で変わってもいいんです。

今、日本は海洋開発について、海洋立国でありながら相当遅れを取っているのを皆さん方の力で挽回をして欲しいと、できることなら世界のリーダシップを日本が取りたいと思っています。そして、これが海洋立国日本の本来の政策であるべきですが、政府は他にも仕事がありますし、財政的にも問題があり、できないこともある。そこを日本財団、我々で出来ることはやっていこうと。特にあらゆる海洋問題についてリーダシップを取ろうということで頑張っているわけで、そういう中で皆さん方が海洋開発についてノルウェー、オランダ、スコットランド、あるいはアメリカに行って新鮮な驚きと体験をされて来たと思うんですけれども、それは一つの良いチャンスを掴まれたと思いますし、企業サイドも海洋開発をやっぱりきちんとやっていかなきゃという中で、おそらく皆さん方は、相当目をつけられているのではないと思います。

外国での異文化交流の中で、短いとはいえ体験してきたというのは、あなた方の将来にとって素晴らしい経験をしてきたことだと思います。もう日本財団のフェローは400人くらいになっているのかな?お互いネットワークを組んで、自分だけでどうのこうのではなくてね、縁があって集まった人たちのネットワークをきちんと組んで、情報の交換をしながら切磋琢磨していくという場が日本財団の奨学金、あるいはフェローシップの精神なんです。お金を出してある一定期間勉強してもらって「はい、さようなら」ということではなくて、逆にそういうチャンスを掴んだ人たちが、生涯に亘って日本財団との連携を深め、より多角的にあるいは先進的な仕事に取り組んでいこうという場が日本財団というプラットフォームです。

どうかそういう精神を忘れずに、日本財団との関係をこれからも続けていただきたいと思います。ありがとう!終わり!

***************


以下は2019年の海外派遣学生の一覧です。

オーシャンイノベーションコンソーシアム海外派遣者.jpg



「海底地図の作成」―海水のない地球の形体は?― [2019年11月20日(Wed)]
「海底地図の作成」
―海水のない地球の形体は?―


海底の地形図を最初に作成しようとしたのは、モナコ王国のアルベール二世であったが、当時は科学的測定技術も未熟であった。

近年、日本財団はこれに着目し、イギリスのニューハンプシャー大学で人材養成をスタートした。その後、彼等が第一線で活躍するようになり、先般、シェル石油が主催するXプライズの世界大会に日本財団の海野光行常務理事が中心となった多国籍軍が応募、優勝し、賞金4億円を獲得した。

これを機会に、海底地形図の作成に弾みを付けるため、権威ある英国王立科学院において専門家会議を開催した。

以下は私の冒頭挨拶(原文・英語)です。

*****************


4.JPG
報告会は格式高い王立協会で行われた


この質問をさせていただくことから開会のご挨拶を始めたいと思います。
地球の表面から海水を抜いたら地球がどのような形をしているか。これまで想像をしたことがありますか?

私は若い頃、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」を読み、海の底にある世界に夢を膨らませました。90年代半ばには潜水艇に同乗し、2,000mの海底まで訪れる機会に恵まれました。乗せていただいたのは操縦席1つしかない小型の潜水艇でした。私はパイロットの足の間にしゃがみこみ、かつて夢見た海の世界が目前に広がる様子を畏怖と共に見つめていました。潜水艇の中に流れるモーツァルトのピアノ協奏曲を背景に、マリンスノーが眼前に舞う海中の景色を眺めた体験は、なんとも言えず神秘的なものでした。

つまり、私たちの足元の海の下に広がる世界はロマンに満ちているのです。

しかし残念なことに、人類は自分達の住処である地球よりも宇宙に夢を描いて過去一世紀ほどを過ごしてきました。それは、私たちが本プロジェクトを開始した時点で火星の地形が完全に解明されていた一方で、世界の海底地形は全体のたった6%しか明らかにされていなかった事実に現れています。

海底地形の解明は未知なるフロンティアを明らかにするという単なる好奇心の充足に留まりません。海底地形の情報は、地球と人類の将来にとって大きな可能性を秘めたものです。海底地形の形状を把握することは様々な恩恵をもたらしますが、中でも船舶の安全航行、海の生態系の解明、津波や海面上昇の予測に貢献できると考えられています。

この恩恵の大きさを踏まえて、日本財団は世界の海底地形を明らかにする取り組みを前進させることが、私たちの人類に対する義務であると考えました。

2004年、日本財団はGEBCOと共に米国のニューハンプシャー大学において、海底地形図の新しい世代の専門家を育成する人材育成事業に着手しました。これまでに40カ国90名のフェローがこのプログラムを修了しています。そして、世界の海底地形を100%解明するという大きな目標を掲げ、「The Nippon Foundation-GEBCO Seabed 2030」を立ち上げました。

Seabed 2030の立ち上げに伴い、世界中から様々な企業、政府、研究機関が賛同を示し、プロジェクトは急速に拡大して参りました。本日、この場にお集まりいただいたのは、Seabed 2030を前進させることに貢献してくださった多くのパートナーや支援者のみなさまです。

私たちとビジョンを共にする全ての方に感謝申し上げます。しかし、全世界の海底地形を解明するにはまだ長い道のりが残されていることも忘れてはなりません。プロジェクトの目標達成を促進するにあたって、今後力を入れていかなくてはいけないと感じる領域が3つあります。

1つ目は未開拓海域でのマッピングの促進です。
世界にはデータが取られていない海域がたくさん存在します。これまで調査が難しかった海域のマッピングを促進するには、公的機関と民間セクターとの協力が重要であると思います。

2つ目はクラウドソーシングによる海底地形データの収集です。
データの収集をより早く進めていくにはより多くの人の参加が必要です。そのためには専門知識がない人達でもデータ収集に気軽に参加できるような仕組み作りが必要かもしれません。

3つ目はデータ収集の技術革新です。
ご存知の方も多いかと思いますが、今年の前半、無人での深海探査に革新をもたらすことを目指した国際コンペティション「Shell Ocean Discovery XPRIZE」でGEBCO-日本財団Alumni Teamが優勝しました。彼らはこのコンペティションを通して、今までは不可能とされていた水深4,000mでの無人測量を可能にするシステムを開発することに成功しました。

海底地形データをより効果的に収集するためには、XPRIZEを通じて開発された無人測量だけではなく、専門知識を持たない大勢の人達にデータ収集に参加してもらえるような技術の開発が必要となってくるのではないでしょうか。技術革新をより一層促進させるようなコンペティションを催すことができるよう、検討を進めていきたいと考えています。

世界の海底地形を解明する動きはSeabed 2030によって一気に加速し、過去2年で既に膨大な量のデータをGEBCOの海底地形図に取り込むことに成功しました。さらに、1年目の終わりに42団体だった協力団体は、2年目の終わりに106団体となり、今も増え続けています。

しかし、みなさまもご存知のとおり、世界の海底地形を100%解明することは決して容易なことではございません。今まで実施してきたことを継続するだけで到達できるゴールではないのです。このシンポジウムが海底のマッピングを加速させるための新しい取り組みを生み出すきっかけになることを願います。

私は現在80歳ですが、海底地形図の完成を見届けてから天国に行きたいと願っておりますので、人類共通の夢の実現のため、より一層のお力添えをよろしくお願いします。

ありがとうございました。

5登壇者との記念写真.JPG
登壇者との記念撮影


「日本財団創立記念日」―私の思い― [2019年10月30日(Wed)]
「日本財団創立記念日」
―私の思い―

10月1日
即興の挨拶です

今日は創立57年です。私はあまり過去を振り返るのは得意ではありませんが、日本財団は非常にユニークな組織であるということを、皆さん方には改めてしっかり認識してもらいたいと思います。

私は若い頃、General Motorsを世界的な企業に押し上げたアルフレッド・P・スローンJr.の著書であり、当時、経営の一つの聖書と評された「GMとともに」という本を読むなどしながらビジネスをしていた時期がありました。しかし40歳でビジネスを止め社会活動に入りました。

当時はコングロマリット、今はホールディングスといいますが、日本財団はホールディングスのような存在ですね。我々はこれまで、その時々の社会的ニーズに応えて、笹川平和財団、東京財団政策研究所、B&G財団、日本科学協会、笹川保健財団、笹川スポーツ財団、日本音楽財団等々、専門性を持つ多くの関連団体を設立してきたわけですが、これらは非営利組織におけるホールディングスとも言え、世界でも例がありません。

しかし誤解しないで下さい。ホールディングと言っても日本財団が関連団体を支配しているわけではありません。各財団は評議員会、理事会もあり、独立性のある組織です。日本財団との関係は縦より横のつながりと説明した方が良いかも知れません。日本財団は、このようなチャレンジングな仕事をずっと行ってきていますが、常に時代の変化に対応すると同時に、時代を超えた問題を提起し取り組んできた伝統があるわけです。少子高齢化も問題になっていますが、30年前に我々は将来を見据えて、スポーツ一つとっても、笹川スポーツ財団を立ち上げ、いわゆる競技スポーツよりも全ての人が健康にということで、生涯スポーツの分野にいち早く取り組んできました。

一つ一つ例を挙げればきりがありませんが、この日本財団という組織が世界的に大変チャレンジングな活動を続けている中で、皆さんが今存在していることを理解した上で、皆さん方にはさらなる未来志向のチャレンジをしていっていただきたい。

これからは若い人たちがもっともっと活躍をしてくれなければなりません。特に女性を積極的に採用してきました。それは、世の中が言うよりも前に、我々は女性の活躍する時代は必ず来ると考えていたからですが、残念ながら、いまだ女性の役員は出ていません。これは私としては非常に残念なことで、なんとか日本財団において、プロパーから女性の理事が誕生するために、女性の皆さんにはさらなる活躍を期待したいと思います。女性の採用については先進的に取り組んできましたし、今でも育児休暇などを踏まえた就業環境の整備を進めていますが、与えられた待遇に満足するだけでなく、上手に活用しながらより良い仕事をし、責任ある立場に立つように皆さん方に努力をしてもらいたい。

我々は革新的な仕事を未来志向でやっていく。そのためには我々自身が変化しないといけませんし、組織も変化していかないといけません。そうした躍動感溢れ、風通し良い議論が盛んに行われる中で未来志向の仕事を生んで欲しい。

ハンセン病制圧活動のように、30年40年やってきた仕事が、今や世界的に高く評価されるようになってきました。皆さん方が思っている以上に人々から日本財団が評価されてることは、大いなる責任を持ち仕事をしていく必要があるということです。自分に与えられた仕事に満足し、その中に埋没してしまうことがあってはいけません。日本財団の職員はあらゆる分野に配属されます。そうして私が言う「日本財団という方法」、いわゆる社会課題が見つけ、政治家、行政、学者、NGO、そしてメディアにも参加していただき、その問題を議論し、ある程度の方向性が見つかったらすぐ実践活動に入り、成功モデルケースを作り、関係者の参考にしていただくのです。

30年程前に一人部屋の老人ホームを作りました。当時の老人ホームは4人部屋、6人部屋が普通でした。専門家からも一人部屋などあり得ないと忠告されたことを思い出します。三箇所作った老人ホームは、全国の先駆けとなったのです。そういうことが出来る人材に一人ひとりがなっていってほしいのです。

今や日本財団自らが仕事をすると同時に、ホールディングスとして多くの関連団体と共に仕事をするケースも増えていくでしょう。皆さん一人ひとりが関連団体は何をしているか、どういう方向を向いてるかということも知って、総合力を発揮していかなければいけません。例えばB&G財団は、全国に470ヶ所もの施設を30年前から作ってきました。ほとんどが行政の行き届かない過疎地に作ってきました。今や、そこから育った多くの若者たちが市長や町長になっていますし、子供のスポーツのために開設していった施設ですが、今や老人の健康関連の仕事もできるようになり、この施設のネットワークが今度は子供の貧困対策も手がけていく。さらに、日本財団が持っている防災に関するノウハウを彼らと共有して防災拠点として活用し、地域の災害ボランティアも育成していく。

これから日本財団は、どれだけ関連団体と連携してやっていけるかが大変重要になってきます。これは1+1が5にも10にもなる関係です。実はそういうネットワークの強化は、すでに奨学事業において各国での奨学生たちとの連携を大切にしながらやってきています。

ネットワークの有効性の例を一つ挙げます。今回、世界の海底地図の世界大会において、海野常務が長く温め育ててきたチームが、世界各地から有力なチームが参加したシェル石油の主催する海底地図の作成コンペで優勝し、賞金4億円を獲得しました。このチームには本部も何もありません。日本財団のフェローがネットワークを組んで参加して優勝したのです。こういう例に対して、ただ「優勝したんだってね」と見過ごすのか、何故本部も何にもないチームが優勝したんだろうかと思って好奇心を持つことによって、皆さん方の能力の発揮の仕方が全然違ったものになってくるわけです。我々のチームは多国籍の混成チームだが、本部がない単なるネットワークだった。しかしなぜ、ネットワークでそのように力が発揮できるのか。それには皆さん方が使っているスマホや情報器具の活用が有効に機能したのです。そういうことに興味を持っていただければ、なるほどこれからはネットワークの時代だ。何も拠点や本部を設置し人件費をかけてなくてもできる方法があるんだなと。こういう方法を何とか我々も使えないものだろうかというように考え、発展していくわけです。日本財団は、自ら仕事をすると同時に、自らが一つのプラットホームとして、先ほども触れた「日本財団という方法」を実践していくことが求められます。

皆さん方には私の本を差し上げていますが、残念ながら、読んでくれたのは半分にも満たないと聞き驚いていますが、やはり、ここで私の話を聞くだけではなく、本をきちっと読み、その中からどのような歴史を踏まえて今日の財団があるかということを知り、皆さん方の個性をその中にプラスし、一人ひとりが素晴らしい活躍ができる。そういう組織体になっていく必要があります。

我々は組織も変えます。事務所のあり方も変えます。働き方も変えていきましょう。未来志向の仕事がきちっとできるネットワークを構築し、日本財団はどういう存在になりたいのかということを考えて下さい。自分はどういう立場なのだろうかだけではなく、どうなりたいのか、どうしたいのか。皆さん方が日本財団を希望して入られたときの初心というのは一体何だったのかという事を常に考えながら、自分自身の能力を高めていってほしいと思います。

自己研鑽さんは当然の話です。「人材を育成してほしい」と、ともすれば受身になりがちです。人材養成は日本財団にとっても大切なことです。すでに海外留学制度も皆さん方の希望の中から実現しました。しかし、与えられるだけではだめで、最後は自助努力です。私たちは皆さん方が自分自身の力を発揮出来るための補助線は当然引いていきます。しかし、情報を共有するためにも努力をして欲しい。私は知りません、聞いてません、ということを言う方がいます。知らないことは尋ねてください。待っていても情報が来るツールも出て来てはいますが、積極性がないところで革新は起こりません。やはり自らが変わり積極的に行動を取る姿勢こそ、人材養成の基本ではないかと私は理解をしています。

一般的な財団は、血眼になってファンドレイジングに取り組まないと自分たちの仕事ができません。ところが日本財団は、ファンドレイジングをしなくても毎月、毎年自動的にお金が入ってきます。そういう組織は世界中探したってありません。みんな非営利団体は、ファンドレイジングに命をかけなければいけない。我々のお金がいかに大切なものかということに対する私たちの理解は、もう少し真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

今や、稼ぐ方の皆さんが血眼になって努力してくださって、今年もボートレースの売上は17%の伸びです。1日遊んでいただいているお客様の平均購買額は6,000円程度です。皆さん方がディズニーランドに行くよりも安いお金で多くのファンが楽しんでくださっているわけです。6,000円の中から、私達が頂戴してるお金は約3%ですから、180円を1人からいただいているわけです。皆さん方がやっている仕事の桁数はどの桁ですか。何百万円の仕事でしょう。1万人の人に舟券を買っていただいて180万円。180万のお金を日本財団が得るためには1万人の人がここ日本財団から行列する様子をイメージしてください。1万人の人がここから並んだら東京湾に届きます。ここから約3キロですから。それで180万円のお金をいただく。皆さん方は、そういうファンの何十万、何百万人分のお金を使ってるわけです。私たちが使うお金は公金です。株式会社のお金とは違います。心してください。1日も忘れてはいけません。多くのボートファンからお預かりしたお金は公金ですから、株式会社が稼いだ利益のお金とは意味合いが全然違います。ですから私達はこのお金を使うことに、大変重い責任があるのです。

私は40歳まで仕事してある程度の成功を納めました。今で言えばIT企業の走りをやったようなものです。しかし私の経験から、お金は稼ぐより意味あることに使う方がはるかに難しいことです。先ほど来言ってるように、皆さん方の努力で非常に評価をされる日本財団になってきました。私達は慎重に、でも大胆に行動しましょう。しかしそういうことを可能にしているのは、日本財団の総務や経理、そして監査という部署がしっかりしているからです。これも世界の公益法人では珍しいことで、自ら監査の業務も行っている組織は世界にありません。公金を私たちは透明性と説明責任をしっかり持って使い、仕事していくという大きな方針の中で、努力を続けています。

私が常にお願いしているように、お金を活用する皆さん方にはコスト意識をしっかり持っていただきたい。昔は丸めた数字で助成金額が出されましたが、あるとき理事会で非常勤の理事から叱られました。何千万円という整った数字ばかりあり得るのだろうか。しっかり計算しているのか。コスト計算はどうなっているのかと。私たちはそういう大きな公金を預かる身の引き締まる立場にいることを常に忘れないで仕事をしていく必要があります。私たちの過去の経験からもう一度原点に戻り、公金を預かる大切さをみんなで改めて認識を共有したいと思います。

未来志向の日本財団が、ユニークなホールディングスとしての立場をどう堅持して発展させていくか。全ては経験のない分野にチャレンジしてきた結果です。未来志向の変化変化、また変化です。それを皆さん方がやっていかなくてはいけない。もうすでに十分やっていただいていますが、まだまだあなた方は若いから可能性があります。失敗なんて恐れることはありません。ともすれば、公金という観点が強すぎて保守的な仕事のやり方に陥っている部分がちらほら見られます。しかし、そこはきちっとけじめをつけ、熟慮断行、勇断を持って未来志向の仕事にチャレンジしていきましょう。

この世界はテキストがありませんが、皆さん方には、ネットワークをうまく組み立てるキーパーソンになってほしい。海洋の世界で言えば、海野常務が世界の海のキーパーソンの一人になっています。これとこれとこれを繋げればこうなるという絵が描ける。そういう人になってください。政治家、専門家、役人、学者、NPOと連携して社会課題解決へのモデル事業を実践し、地方自治体や国の政策に反映させましょう。これからも我々に与えられた課題は大きいし、チャレンジする部分がたくさんある。こんなにうれしいことはありません。しかし船に例えれば、航路のない世界に出ていくわけですから、当然リスクも伴います。しかし度々皆さん方に伝えているように、全ての責任は私が取ります。私は逃げません。皆さんの責任は私が取ります。遠慮なくチャレンジングな仕事に邁進してください。
「第20回国際ハンセン病学会」―基調講演― [2019年10月21日(Mon)]
「第20回国際ハンセン病学会」
―基調講演―


三年に一度開催される「国際ハンセン病学会」での基調講演です。
(原文・英語)

3.JPG
世界ハンセン病回復者会議でスピーチ

2019年9月11日
於:フィリピン・マニラ

フランシスコ・デュケ・3世・フィリピン保健大臣、ロック・クリスチャン・ジョンソン国際ハンセン病協会会長、ご参加の皆さま。第20回国際ハンセン病学会で再び皆さまにお会いでき大変嬉しく思います。

この病学会は、医師や医療従事者のみならず、NGOやハンセン病回復者という多様なステークホルダーが参加する大変ユニークな学会です。世界には数多くの学会がある中で、その病気を経験した当事者が積極的に参加できる学会は、おそらく国際ハンセン病学会だけでしょう。国際ハンセン病学会の皆さまのたゆまぬご活動に心より敬意を表します。

今から40年前、私は父、笹川良一に伴って、初めてハンセン病の療養所を訪れ、ハンセン病患者たちに出会いました。それまで、私は健康な生活をしていましたので、彼らのように病気の苦しみと闘っている人がいることを知り、大きな衝撃を受けました。

彼らは家族から捨てられてしまった人たちでした。
彼らは社会から隔離されてしまった人たちでした。
彼らは自由も奪われてしまった人たちでした。

すべてハンセン病が原因でした。

父は、重い障害のあるハンセン病患者の手を握り、言葉をかけ、抱きしめ、そして号泣しました。それは私が生まれてはじめて見た父の涙でもありました。彼らに真摯に向かい合う父の姿を見て、胸に熱い想いがこみ上げてきました。その時、私は人生を捧げて父の活動を引き継いでいかなければならないと決意したのです。

以来、世界各地で私のハンセン病とそれにまつわるスティグマ(社会的烙印)と差別をなくすための闘いの活動がはじまりました。私の闘いにおける武器は、情熱、継続、そして忍耐です。私の「闘いの現場」には、問題点と解決策があります。私は、アフリカのジャングル、不毛の砂漠、アマゾンの奥地など世界中の僻地を訪ね、数え切れないほど多くのハンセン病患者、回復者に会ってきました。今、私は80歳ですが、この40年間で世界120の国と地域を訪問しました。

「一人でも多くの人にMDT(Multidrug Therapy:多剤併用療法)を届けたい」。私は、多くの現場を訪れ、患者に会う中でこのような想いにいたりました。この想いから、日本財団は、1994年にベトナム・ハノイにてWHOと第1回国際ハンセン病会議を共催しました。その会議の場で、私は日本財団として5000万ドルを拠出して、MDTを全世界で5年間無償配布することを正式に発表しました。その結果、5年間で332万人の患者が治療されました。2000年以降は、ノバルティス製薬が協力してくださり、今もMDTの無償配布が続けられています。この場をお借りして、ノバルティス製薬に心より感謝申し上げます。

私は、これで明るい未来が訪れると自信を持っていました。しかし、当初思い描いていたのとは全く違った状況でした。薬は無料なはずなのに、患者は治療をしていませんでした。さらに、発見されていない患者も数多くいました。

私は、病気さえ治れば全てが解決すると単純に思っていました。しかし、私は間違っていました。ハンセン病は治るようになっても、社会に感染してしまった偏見や差別といった病気を治せる薬はなかったのです。

ハンセン病患者、回復者は家族から引き離されていました。
彼らは学校に通えなくなってしまいました。
彼らは仕事を失ってしまいました。

ハンセン病というだけで、彼らは差別に苦しんでいました。差別を恐れ治療を受けず、症状が進んでしまっている人も多くいました。私は、ハンセン病は、単純な医療の問題ではなく、明らかに人権問題であるということを認識しました。

私は、グローバルな課題が議論され、加盟国によってアクションが提案される国連に、この問題を訴えることを決意しました。2003年、私ははじめて、ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を訪問し、ハンセン病を人権問題として扱ってほしいと説明しに行ったのです。しかし、私は落胆しました。驚いたことに、ハンセン病はこれまで一度も人権問題とし認識されたことがなかったのです。その後何度も足を運ぶうちに、国連人権理事会の職員に向けた説明会の機会を得ることができました。

しかし、はじめての説明会にはたったの5人しか出席せず、当時のハンセン病問題への関心の低さを物語る結果となりました。次いで、ジュネーブにて人権セッション会期中に日本財団は複数回説明会を開催しました。多くの人の関心を集めるため、軽食を配るという方法で私たちの発表を聞いてもらおうと試みました。しかし、彼らは無料の軽食を手に取ると、足早に立ち去ってしまいました。定員50人ほどの会議室に、やって来たのはたったの10人でした。

しかし、私は決して諦めませんでした。私たちは、7年もの間、試行錯誤を繰り返しながら、懸命に取り組んできました。その間、多くの影響力のある方々が私の協力者となり、ついに、2010年12月、国連総会で、ハンセン病差別撤廃決議が全会一致で採択されました。この出来事は、私たちを大きく後押ししてくれました。

私はどの国を訪問する時も必ず、その国の指導者に面会することにしています。ハンセン病の問題を解決するためには、トップの理解と協力が欠かせないからです。彼らの協力が得られなければ、ハンセン病制圧と差別撤廃に取り組むための予算を確保することができないからです。

今年7月にブラジルを訪問した際、ボルソナーロ大統領に会い、ハンセン病制圧と差別撤廃のための私の活動に対し、多大な協力をいただきました。私は大統領に、「ブラジルは世界で2番目にハンセン病患者が多い。ハンセン病に対してさらなる努力をお願いしたい」と訴えました。すると大統領は「では、今すぐ一緒に国民に呼びかけよう」と、自分のスマートフォンを取り出し、フェイスブックでライブ配信を始めました。その配信の中で大統領は、ハンセン病対策はブラジル政府が取り組むべき課題であり、私と一緒に取り組んでいくつもりだと強く主張されました。私は、「ブラジルのハンセン病をゼロにしよう」と、早期発見の重要性を強調しました。この13分あまりの動画は再生回数が70万回を突破し、数え切れないほどのコメントが寄せられました。このように国の指導者が私たちの活動に協力してくださるのは大変心強いことです。

私は、あらゆる病気の中で回復者がこれほど活躍している病気は他にないと考えています。私は2006年、インドの回復者組織の立上げ支援しました。これまで、世界中のハンセン病回復者の皆さまと共に闘ってきました。世界各地にハンセン病回復者が中心となって活動している組織が数多くあります。彼らのたゆまない努力のおかげで、私たちの活動の歴史の新たな章を開くことができると信じています。

回復者組織の重要な役割は3つあります。一つ目は、各国に残る差別法の撤廃など、回復者たちを苦しめているあらゆる社会的制約の解消です。二つ目は、回復者の生活レベルの向上です。三つ目は、ハンセン病は治る病気である、薬は無料である、差別は不当だ、と社会に訴える啓発活動です。本日、ご参加の回復者組織の皆さんたちは、こうした3つの重要なミッションの遂行に尽力されています。

日本財団と笹川保健財団は、昨年から、アジア、アフリカ、ラテンアメリカで、各地域の課題や解決策を議論するための回復者組織が集まる地域会合を連続で開催してきました。そして、土曜日から本日まで、その総決算である「ハンセン病回復者組織グローバル・フォーラム」を開催しました。世界23カ国から60名以上の回復者が参加し、これまでにない大規模な会合となりました。また、実務的なトレーニングを充実させ、参加者にも実りのあるものになったのではないかと思います。

後ほど、CLAP(Coalition of Leprosy Advocates of the Philippines)のジェニファーが、参加者を代表して、このフォーラムの成果について発表する予定です。皆さまには、ぜひ回復者の声に耳を傾けていただきたいと思います。そして本日はこの会場に、23カ国の回復者組織の代表者の皆さまがいらしています。どうぞご起立ください。皆さま、彼らに大きな拍手をお願いいたします。

これまで、ハンセン病の「制圧」(elimination)に向かって、多くの関係者が努力を続けてきました。私の活動において、ハンセン病の「制圧」は重要なマイルストーンだと考えています。このような中、「Global Partnership For Zero Leprosy」という様々な関係者が参画する新たなネットワークが立ち上がったことを心より歓迎いたします。このコラボレーションは、「ゼロ・レプロシー」の実現に向けた取組みを大きく前進させるでしょう。

このことを考えますと、私は、ハンセン病が顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases:NTDs)の一つとして扱われていることに反対の立場であることを表明いたします。ハンセン病は、患者や回復者自身にとって、そして、患者のために尽力している人にとって、一日たりとも顧みられない病気ではありません。このNTDsという医学用語は、患者を見下している言葉であり、日々ハンセン病問題に取り組まれている方々にとっても失礼にあたると考えています。

ハンセン病は現在進行形の問題です。本日ご参加の医療従事者の皆さまには、ハンセン病の感染経路の究明や予防ワクチンの開発、そして、障害のある方の義手義足の開発に、引き続きご尽力をいただきたく、お願いを申し上げます。グローバリゼーションと人の移動に伴い、以前はほとんど新規患者がいなかった国においても、新規患者が発見されています。どの国も例外ではありません。しかし、最近は世界中でハンセン病の医療専門家が急激に減少しています。

最後になりますが、特にハンセン病専門医の皆さまには、ぜひハンセン病の診察と治療の知識と技術を持つ後継の育成にご尽力いただくことをお願いしたいと思います。

さあ、皆さま、「ゼロ・レプロシー」という人類の歴史的な課題に向かって、一致団結していきましょう!

ありがとうございました。

「アフリカ開発会議」その2―ササカワ・アフリカ財団― [2019年09月09日(Mon)]
「アフリカ開発会議」その2
―ササカワ・アフリカ財団―


ササカワ・アフリカ財団(SAA)は1984年、エチオピアで発生した大飢饉の支援物資提供を契機に、「魚を与えるよりその釣り方を教えよう」との思いから、亡父・笹川良一の呼びかけに応じて下さったアメリカのジミー・カーター元大統領、ノーベル平和賞受賞者の農学者・ノーマン・ボーログ博士の三人で活動を開始した。

1985年、上記三人に私も同行。6日間でスーダン、タンザニア、ザンビア、ガーナを廻る強行軍で各大統領と会談し、貧農に対する食料増産方法指導が始まった。

アメリカによるリビアのカダフィ暗殺の為のピンポイント爆撃の直後であった。ロンドンからスーダンへの地中海横断では、安全を考慮して機体番号を変更する騒ぎもあった。以来、アフリカで30年間に亘り農業指導を続けている団体はササカワ・アフリカ財団だけである。その間、アフリカ16カ国で活動。農業指導普及員は26大学で6,500人以上を養成、農業部門の学位を取得した。

開会式、首相主催の晩餐会に出席。
下記の通り、各国首脳とも精力的に会談した。

アビー・アハメド・アリ エチオピア連邦民主共和国首相  
ヨウェリ・ムセベニ ウガンダ共和国大統領
アザリ・アスマニ コモロ連合大統領 
ナナ・アド・ダンクワ・アクフォ=アド ガーナ共和国大統領
バグシュ マラウィ共和国産業貿易観光大臣 
イブラヒム・ブバカール・ケイタ マリ共和国大統領
ジュリウス・マーダ・ビオ シエラレオネ大統領
ロック・マルク・クリスチャン・カボレ ブルキナファソ大統領
マレイアーネ モンザンビーク経済・財務大臣
ジョアキン・アルベルト・シサノ モザンビーク元大統領
アキンウミ・アデシナ アフリカ開発銀行総裁
石井菜穂子 地球環境ファシリティCEO


ササカワ・アフリカ財団の公式サイドイベントのシンポジウムは、「アフリカ農業と未来―若者の力と農業ビジネス」を表題に活発な会議となった。ご多忙の中、安倍首相、アデジナ・アフリカ銀行総裁も出席して下さり、記念スピーチをされた。

サイドイベントthe Japan times.jpg


上記の写真は、私たちササカワ・アフリカ財団公式サイドイベントのフォトセッションで、8月29日、ジャパンタムスがトップページで報道してくれた。しかし、記事内容は別物のご愛嬌であった。

首相左側はアデシナ・アフリカ開発銀行総裁、右側はルース・オニヤンゴ・ササカワ・アフリカ財団会長と私。

以下はササカワ・アフリカ財団主催の開会式での私のスピーチです。

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TICAD7公式サイドイベント
SAAシンポジウム: 「アフリカ農業と未来―若者の力と農業ビジネス」

アフリカ開発銀行アキンウミ・アデシナ総裁、皆さま、本日はTICAD7公式サイドイベントであるササカワ・アフリカ財団のシンポジウムに皆さまをお迎えできますこと大変嬉しく思います。まず、本日この場にご参加いただいたパートナーの皆さまには、これまでの多大なご協力に感謝申し上げます。本日は、私たち日本財団とササカワ・アフリカ財団による農業分野における能力開発事業の成果を皆さまに共有できることを嬉しく思います。

1986年、ササカワ・アフリカ財団は、ジミー・カーター元アメリカ大統領、ノーベル平和賞受賞者ノーマン・ボーローグ博士、そして私の父である日本財団の笹川良一と共に設立されました。皆さまは、「なぜ、農業支援から始めたのか?」と疑問に思われるかもしれません。

30年前、多くの国際的な援助機関やアフリカ各国政府を含む多くの組織は、アフリカの工業化に注力していました。しかし、私たちは違いました。私たちは設立以来、一貫して農業のポテンシャルを信じ、小規模農家への農業技術普及に焦点をあて活動を行ってきました。アフリカでは、約7割の人口が農家です。国民の半数以上である農家の人たちが自ら食糧を作る技術を取得し成長すれば、食料問題を解決できるだけでなく、国民の生活水準の向上もできると考えました。これが私たちの原点です。農家による農業の発展によって、アフリカは成長する、私たちはそう信じたのです。

では、私たちが彼らにリーチするためには最も効果的な方法は何でしょう?私たちの答えは、各国の公務員等である農業普及員を活用することです。なぜなら一度、普及員が訓練を受ければ、彼らが小規模農家に適切な農業技術を広めてくれるからです。このモデルによって、30年間で、私たちは適切な技術と農業の成功事例をアフリカ16カ国数百万人の小規模農家に示してきました。私たちは、アフリカ26大学において農業普及員用の大学カリキュラムを作り、6,500人以上の中堅農業普及員が農業専門の学位を取得しました。その後、彼らは畑を廻り、より高度な技術を農家に指導しています。SAAは農業普及員を最大限に活用することで、数百万人規模の農家の生活を改善することができました。

時代と共にアフリカの農業をとりまく環境は大きく変わっています。私たちも食糧生産に加え、今では所得創出により大きな力をいれています。そのために、小規模農家が「食べるために作る」から「売るために作る」というマインドにシフトすることを指導できる農業普及員の育成に焦点をあてています。

この新たな時代の農業の主役になるのがアフリカの若い世代だと期待しています。私たちの活動現場においても、各地で若者が、小型の農業機械を使った有料の脱穀サービスや精米サービスを立ち上げ成功しています。さらに、若者が使うソーシャルメディアは多くの農家を結び付け、農業技術に関する情報を共有したり、成功事例から学んだりする場となっています。農業は、魅力的なキャリアの選択肢でビジネスチャンスに溢れていると捉えられなければなりません。アフリカの発展のためのエールとして、もっと多くのチャンスが与えられるべきであると考えています。

最後になりますが、今朝、SAAはJICAと農業普及のためのパートナーシップ覚書を締結いたしました。JICAという高名な組織とのパートナーシップに見合うように、さらに精力的に活動したいと勇気付けられました。また、今回のシンポジウム開催にあたりご後援くださったアフリカ開発銀行の皆さまにも改めて御礼申し上げます。

アフリカの発展のために、本日お集まりの皆さまの引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。アフリカが農業を通して未来志向で夢と希望に満ちた大陸になることを確信しています。ありがとうございました。

「アフリカ開発会議」その1―第7回横浜会議― [2019年09月06日(Fri)]
「アフリカ開発会議」その1
―第7回横浜会議―


1993年から日本がアフリカの開発をテーマに主催している「アフリカ開発会議」(Tokyo International Conference on African Development 略してTICAD)の第7回が8月28日〜30日の3日間、横浜で開催された。

安倍首相は前日の8月27日夕方、フランスで開催されたG7から帰国。翌日からTICADの開会式と閉会式でスピーチ。その上で参加42ヶ国の首脳42人と国際機関の代表4人、計46人と会談され、超多忙の中、公式サイドイベントであるササカワ・アフリカ財団やジェトロの会議でも挨拶され、分刻みのスケジュールを完璧に遂行された。

首相を「よいしょ」するつもりはないが、その体力と精神力は第一次安倍内閣当時と現在では雲泥の差がある。首相に対する海外の信頼と評価も極めて高い。日本のメディアは首相の海外での評価をあまり報道しないが、各種世論調査などで首相に対する評価のトップに外交が選ばれている点からも、報道はともかく、国民はこの事実をしっかりと理解していることになる。

大阪でのG20、フランスでのG7、今回のTICAD7に続き、今秋はラグビーのワールドカップ、令和最大の行事である大嘗祭と重要なイベントが続き、世界中から国家元首ら重要な賓客が来日する。小渕恵三元首相が急逝された折は、メディアが首相の健康管理強化をさかんに取り挙げたが、その後は全く話題にもなっていない。

首相の健康管理は日本の政治の安定のためにも再度、真剣に議論される必要がある。土・日もなく、日本人で最も働いているのが首相であり、世界の指導者の中でも、その多忙さは突出している。鈴木善幸元首相はかつて毎週のように習志野カントリーでプレーされたが、特段、メディアの批判もなかった。大きな決断を必要とする首相には、やはり肉体的、精神的安定が欠かせない。

話が少々ずれたが、TICAD初日の全体会合は、国家元首といえどもスピーチ時間はたったの3分、時間がくるとマイクロホンが自動的に停止する仕組になっていた。アフリカのそれぞれの国においては国家元首のスピーチはほぼ無制限であろう。遠く日本まできて3分間では気の毒でもあったが、スピーカーが20人にも上っており、止むを得ない措置であった。現実に国連の諸会議のスピーチも3〜5分間に制限されている。

当日は3分間でスピーチをまとめきれない国家元首も多く、中途半端な形で終わるケースが多数あった。そのたびに議長が「親しい友人である閣下に申し訳ありません。これはシステムの責任です。ご理解下さい」と懸命に弁解する姿がおかしくもあった。

私は民間人でありながら、アフリカでの貧農に対する農業支援活動が評価されたのか、外務省の配慮もあって、各国大統領の間を縫って同じ3分間スピーチをすることができた。以下がその内容である。

DSC_0019.JPG

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TICAD7 全体会合

2019年8月28日
於:パシフィコ横浜

議長、ありがとうございます。

皆さま、30年以上にわたり、アフリカの農業発展に取り組んできた私たちの成果を皆さまに共有できることを嬉しく思います。

1986年、ジミー・カーター元アメリカ大統領、ノーベル平和賞受賞者ノーマン・ボーローグ博士と共に、日本財団はササカワ・アフリカ財団を設立しました。皆さまは、「なぜ、農業支援から始めたのか?」と疑問に思われるかもしれません。アフリカでは、約7割の人口が農家です。農業の発展なくして、アフリカの発展はないと確信しました。

そこで、私たちは政府の農業普及員と一緒に仕事をするというモデルを確立しました。このモデルを通じて、アフリカ16カ国で何百万人もの農家に近代的な技術を指導してきました。また、私たちは、アフリカの26大学において農業普及員用の大学カリキュラムを作り、6,500人以上の中堅農業普及員が農業専門の学位を取得しました。

この30年で、アフリカの農業を取り巻く環境は大きく変わりました。今や私たちは、食糧生産に加え、農業バリューチェーンに注力しています。私たちのプロジェクトにおいては、すでに若者が農業バリューチェーンの中で活動しています。彼らは、農作物の収穫後の加工サービスを地元の農家に提供しています。私は、この新たな時代の農業の主役になるのはアフリカの未来を背負う若い世代であると期待しています。

各国の指導者の皆さま、どうか農業に注目してください。農業は、雇用やビジネスチャンスを増やし、アフリカの未来を担う若者にとってビジネスチャンスに溢れた魅力的な職業となるでしょう。 私は、アフリカが農業を通して未来志向で夢と希望に満ちた大陸になることを確信しています。ありがとうございました。




「社会貢献者表彰式典」―挨 拶― [2019年08月23日(Fri)]
「社会貢献者表彰式典」
―挨 拶―


2019年7月22日
於:帝国ホテル

本日は長年のご労苦、ご努力、ご活動が評価をされ、表彰を受けられた皆様方、そして表彰を受けられた方をサポートして下さった、多くの皆様に心から御礼と感謝を申し上げます。

毎回私はこの会に出席して考えさせられることがあります。政府や行政は、どのようにして国民生活をより安定し、質の高い社会を創っていくかが仕事です。しかし、この複雑多様な成熟した民主主義国家日本を支えるには、皆様方のご活動こそも大切です。

戦後74年です。私は6歳の時に東京で被災をしました。10万8千人の人がたった2時間半の爆撃で死亡しました。私の街は全員墨田川へ第二次避難所として逃げることになっておりましたが、私は水が怖かったので、町内会から外れ上野の方へ逃げ、私と母親の二人は助かりました。そういう経験も踏んできたわけですが、その後、これだけの経済成長を果たした日本は、世界の賞賛の的であることは、私は一年間のほぼ4割は世界中を旅しておりますが、どこに行っても日本の国をモデルにしたいと言われます。

私たち日本は、戦後本当に平和な国になり、生活レベルも飛躍的に向上しました。国民の努力と共に国に対する権利の主張が強く後押ししたことも事実です。しかし権利の裏には義務があります。私たち日本人は、この義務の部分を忘れて権利のみを主張をしてきましたから、日本の財政は1千百兆円という膨大な借財を抱えるに至ったわけです。

私たちは権利の主張だけではなく、国民一人ひとりができる範囲の義務を履行しなければ、これからの少子高齢化の時代を過ごすことはできません。そして皆様方こそ率先して国民の義務の分野で素晴らしい活躍をしていただいているわけです。

誰から頼まれたわけではない。自分たちの良心、そして人生って何だろう。何か世の中の役に立ちたいとの自発的な気持ちで、それぞれの地域で有意義な活動をされています。このようなことがここにお集まりの皆さんだけではなく、日本国民全てが権利と同時に義務、皆が皆を支える、そういう日本人としての伝統ある価値観を共有できれば、日本は世界からさらに尊敬される国になることは間違いありません。

ここにお集りの皆様、皆様方は決して義務を履行しようというような気持ではなく、自然の発露でなさってこられ、本当に真に尊敬に値する皆様方です。まだまだ私たちはやらなくてはならないことが沢山あるわけで、皆様方のリーダーシップで自らのお仕事だけでなくて、多くの方に呼び掛けていただき、国民の多くがこのような気持ちになって世界の模範的な平和国家日本が完成するよう、益々のご努力をお願いしたいと思います。

安倍昭恵会長を中心にして、内館牧子先生の先ほどの審査の講評もありましたが、本当に真剣な議論の中で皆様方が選ばれたわけです。どうぞ誇りを持って更により良い日本の社会を創るため、そして健全な若者がこれからの日本国を背負っていけるように、皆様方のご協力ご指導をお願い申し上げます。

本当に本日はおめでとうございました。

「日中医学交流会議2019東京」―挨 拶― [2019年08月05日(Mon)]
「日中医学交流会議2019東京」
―挨 拶―

2019年6月19日
於:日本医師会館

ご紹介賜りました日本財団の笹川でございます。私がここに立つのを不思議に思われる方もいらっしゃるかもわかりませんが、若干ご挨拶をさせていただきます。

まずはもって中国大使として新たに赴任されました我々の古い友人であります孔(こう)特命全権大使、尊敬する饒(らお)中華医学会副会長をはじめ、日本側からはただいまご挨拶されました日本医師会会長の横倉先生、久先生、長くお世話になっております小川先生にご出席いただき、ここに素晴らしい会議が開催されることは、私にとりまして感無量のことでございます。

と申しますのも、今から35年前の1985年に「日中医学協会」が設立され、文化勲章を受けられたがん研究会の黒川先生、東大の初代薬学部長でクリスチャンの石館守三先生のお二人が若造の私のところにお見えになり、これから日本と中国の関係を本格的にやっていくうえで一番大切なことはやはり人々の健康の問題でしょう。そのことを基礎にしてしっかりした交流を行いたいとのお話をいただきました。

日本財団の政治、思想、宗教、人種、国境を超えて人道的活動を行うという基本方針に合致するお話でしたので、当初10人程度の医学生をという話でしたが、私共としては、中国は広いので1回に100人はお迎えしようではありませんかということで始まったわけです。

私からは中国の衛生部に二つ条件を出しました。一つは中国全土からお迎えしたい。もう一つは医学のあらゆる分野からお迎えしたいと。その基本原則に基づいてやりましょうということになりました。

まず長春医科大学において、選ばれた方を8カ月間日本語漬けにしました。日本から教師を派遣し、単に日本語だけではなくて日本の生活習慣も含めて勉強していただき、その上で来日していただいたわけです。日本の受入れ先大学においては、北は北海道から南は沖縄・琉球大学に至るまで、2000人を超える生徒の受け入れに難色を示された学校は一校もございませんでした。この事業は日本側の医学界のご協力の賜物であります。また1年間と滞在は短かったのですが、すべての方が中国にお戻りになりました。当時は中国から外国に留学に出ますと国には戻らないということが中国政府の大変な悩みでしたが、このプログラムについては全員が戻ってきてくれたということで、中国政府並びに中国共産党から高い評価を受けたプログラムでございました。

10周年も20周年も人民大会堂に多くの人にお集まりいただき、盛大な記念式典を行ってまいりました。来年は35年になるわけですから、出来ますればご来席の皆さま方のご協力をいただいて、また人民大会堂で留学生OBを含めまして全員が集まってくだされば、大変素晴らしいことだと思っております。日中の交流の中には何万というプログラムがございますが、30年以上に亘って着実に努力し、日本の先生方のご協力によって中国の医学の進歩に大きな足跡を残したという事業は他にないと、中国の政府高官からも高く評価されてきたわけでございます。

ここに至りまして小川先生から、中国の努力でそろそろ日本が教える時代から共に研究をする時代に変わるべきところまできている。ですから、これからは少しシステムを変えて博士号を取得していただき、日中共同研究というレベルに上げましょうというお話をいただきました。このプログラムは日中共同で研究するレベルに上がってきた。そして新しい留学生には日本で博士号をとっていただこうと、こういうプログラムに発展してきたわけです。35年間ずっと傍で見てまいりました私にとって、そういう意味で今日の会議が大変感無量なものであると、冒頭で申し上げたのにはそういう経緯があります。

その間の中国の留学生のご努力は本当に驚くべきものがございました。私は先週、中国の新疆ウイグル自治区に参りましたが、そこでお迎えくださった李先生という女性の先生は、第7期生でございましたけれども、日本にお越しになったときに答礼のご挨拶をされました。皆さん毎年原稿をお読みになるのですが、彼女は美しい敬語を使われた日本語で原稿なしでお話しされました。どこで勉強なさったのですかとお聞きしましたところ、日本の短波放送で勉強しましたとお答えになりました。新疆ウイグル自治区から50人の選抜の中でたった一人選ばれて来日され、一度帰国されましたが、その後京都大学で博士号を取られ、今や高血圧の問題については中国で最高の権威者の一人になっておられる方で、30年ぶりにお会いし、お互い大変懐かしく思い出を語り合うことができました。

中国の趙群先生を中心に、この笹川奨学医学生の同学会、日本でいう同窓会は大変しっかりとした組織として運営されておりまして、日中医学協会に参加する先生方も毎年現地を訪問して下さり、友好を深めるだけではなくて、各地で共同でシンポジウムを開催していただいているということで、日中医学協会と中国医学界との間の堅い絆、歴史のある絆というものがこれからもさらに発展していくだろうと期待しております。

すでに中国の皆さんの努力によって共同研究のところまで進歩したということに、中国の皆さんに心から敬意を表したいと思います。政治的には山あり谷ありですが、地政学的に離れがたい中国と日本の関係でございます。問題が生じるのは隣国同士仕方がないことでございますが、どうぞ医学の分野におきましては、これからも大いに将来を見据えて発展していただきたいと思います。日本財団は今まで100億円の資金をこの事業に投下してきましたが、これからもお傍でご支援をさせていただけることを誇りに思っております。

今日の会合が成功することを心から願ってお祝いの言葉といたします。
ありがとうございました。
「インパール平和資料館」―今年はインパール戦75周年― [2019年07月22日(Mon)]
「インパール平和資料館」
―今年はインパール戦75周年―


6月22日、インパール平和資料館開館式に出席して短いスピーチをさせて頂いた。

この資料館建設は、インパールでの連合軍と日本軍の激戦で両軍及び現地の方々も多数犠牲になり、是非、未来志向の平和資料館建設に日本財団の協力を得たいとの平松賢司駐インド大使の依頼もあり建設に協力したもので、助成金額は約5050万円であった。


6)インパール激戦地のレッドヒルの麓に完成した平和資料館.jpg
インパール激戦地のレッドヒルの麓に完成した平和資料館


沖縄戦と平和をテーマにした沖縄・南風原文化センターの元センター長・大城和喜氏も、再三、笹川平和財団の研究者と共に現地に入りし、資料館のあり方や展示方法などについて協力して下さった。銃や兵士の遺品を収集しているが、単なる戦争博物館でなく、当時のインパールの方々の生活文化を再現したコーナーもあり、開館式の出席者からも高い評価を頂いた。

10)完成した資料館の中にはご遺族から提供された品物も多く含まれる.JPG
資料館の中にはご遺族から提供された品物も多く含まれる


日本と英国の交流を深める目的で1985年、グレイトブリテン・ササカワ財団が設立された当時、英国の反日感情は強く、特にミャンマーで捕虜となったイギリスの兵士たちを中心にした英国の在郷軍人会は、収容所で虐待され木の根まで食べさせられたなどと殊の外、反日感情が強烈であった。

当時、グレイトブリテン・ササカワ財団の東京事務所長であった仙石節子女史は、イギリス在住の平久保正男氏の協力を得て、これら反日運動家の和解活動に尽力して下さり、確か6〜7年間にわたり毎年5〜6名が来日してビルマ戦生き残りの旧日本兵との交流を行った。

反日感情の主な原因は
@ 虐待した日本兵は何の処罰も受けていない。
A 収容所は極端な食糧不足で、木の根まで食べさせられた。
―という内容であった。

多くの日本兵が無実の罪、例えば「渡辺」という男に虐待されたとの証言だけで、たまたま名前が一緒だった別人が処罰されるといったケースも多くあったようだが、いずれにしても英国在郷軍人会のメンバーの多くは極東軍人裁判が行われ多くの日本兵が処罰を受けた事実さえ知らなかった。

来日したイギリス在郷軍人は、食糧難の中で日本兵もイギリスの捕虜も同じ状態だったことを理解し、両国兵士の和解を記念する事業を行うことになった。検討の結果、イギリス・日本両国で出版されたビルマ戦線に関する書籍を収集、ロンドン大学、アフリカ・アジア研究所に寄贈し事業は成功裡に終了した。先般イギリスを訪れた折、立派に整理されたこの図書室を確認することができた。

ちなみに日露戦争では約7万人のロシア兵が捕虜となり、うち約6000人が収容された愛媛県の「松山俘虜収容所」では、村人が自身も栄養失調だったにもかかわらず、金網の外からロシアの捕虜に食べ物を差し入れるなど心のこもった接遇をし、帰国したロシア兵から「日本女性を妻にしたい」といった数十通の手紙がお茶の水のロシア聖教会のニコライ牧師に届いた。日本財団では以前、ニコライの日記をロシアで出版しており、こんなエピソードを知る機会もあった。

戦争は全て悲惨である。とりわけインパール作戦は戦略もなく、大東亜戦争の中でももっとも悲惨な戦いであった。英国在郷軍人会との交流やロシアの捕虜をめぐる思いなど様々な経験もあって、未来志向の平和を希求する記念館建設に協力させてもらうことになった。以下は開館式の私のショートスピーチです。

8)安倍総理の「平和」墨書の前で平和記念館開館式のスピーチ.JPG
平和記念館開館式でスピーチ
背景の書は安倍総理が揮毫されたもの


****************


戦没者の尊い犠牲の上にかけがえのない今の平和があることを心に留め、私たちの平和な社会を守成していく義務があります。これが、私がインパール平和資料館建設を支援した時に込めた衷心からの想いです。本日お集まりの皆さまと本資料館の開所をお祝いできるのは大きな喜びです。そして先月インパール戦争戦没者共同墓地を訪れた際、先の戦いで亡くなった御霊の前で、この決然たる想いをお伝えしました。

私自身も、紅蓮の炎に包まれた東京大空襲を奇跡的に生き延びた者としての戦争経験があります。その時以来、私は戦争の記憶をしっかりと心に留め、誰もが平和で安心して暮らせる世の中を実現したいと切に願ってまいりました。

時を同じくして、インパールの戦いにおいては、ここマニプール州のカングラトンビ、コヒマ、そしてレッドヒルで凄惨な戦闘が繰り広げられました。

突然、戦禍に巻き込まれ亡くなった罪のない市井の人々。
愛しい人達を祖国に残し戦陣に散った人々。
飢えや病気に苦しみ命を落とした多くの人々。
そのひとりひとりに家族があり、人生があり、未来がありました。
この事実に思いを馳せる時、胸が締めつけられます。

インパール平和資料館は、この悲しい戦争の記憶を深く心に留めると同時に、平和な世の中を次世代に繋いでいくための懸け橋となるでしょう。資料館には、インパールでの戦いを生き延びた方々から寄贈いただいた手記や写真など当時をうかがい知る貴重な資料などが展示されています。

そして、この額に納められた「平和」の書は、未来の平和に対する揺るぎない希望です。これは、積極的平和主義を強く掲げられている安倍晋三・日本国内閣総理大臣が揮毫下さいました。

幾万の方の想いが込められたこのインパール平和資料館が、過去と未来を繋ぎ永久(とこしえ)の平和へと続いていく懸け橋であり続けることを心から期待しております。

ありがとうございました。



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