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「暗黒酸素に係る記者レク」―英国主要メディア等で報道― [2025年01月22日(Wed)]

「暗黒酸素に係る記者レク」
―英国主要メディア等で報道―


1泊4日の強行日程で訪英、1月17日にスコットランド・ハウスにて暗黒酸素に係る記者レクを行った。既に、1月16日のブログで記者レクの概要については述べた通りだが、本記者レクについてイギリスの主要メディアであるBBCをはじめ、CNNや日系メディアでも取り上げられた。日本財団としては、環境への影響をしっかり調べた上で、国際的な議論を踏まえて、調査や研究を進めていきたいと考えております。以下記者レクでの当方のスピーチ(原文英語)になります。

*******************


B記者会見で暗黒酸素の研究について発表.JPG
記者レクでスピーチをする筆者


おはようございます、本日は記者会見にお集まりいただき感謝申し上げます。

日本財団はこれまで、海の保全と持続的な活用を世界規模で実現するため、国の枠にとらわれない人材育成事業を、およそ40年に渡って数多く手がけて参りました。輩出した専門家たちは156か国、1800人以上にのぼり、世界各国の政府や民間機関で、活躍しています。

また、海底地形の記録と共有を目指した「The Nippon Foundation-GEBCO Seabed 2030 Project」をはじめ、深海の生物の発見に取り組む「The Nippon Foundation-Nekton Ocean Census」、そしてイギリスのメディア企業、「エコノミスト・グループ」と協働して海洋汚染の根絶を目指した情報発信をする「Back to Blue」など、さまざまな事業を通して、人類の海への理解の促進にも努めて参りました。

こうした長年の「海」への貢献の一環として、このたび日本財団は、人類の「海」への理解を深める上で重要な新たな研究に乗り出します。具体的には「暗黒酸素」という、「海」、特に「深海」の謎を解明する上で重要な研究を支援します。

支援をするのは、スコットランド海洋科学協会(SAMS)の研究チームです。この研究チームは去年7月、深海底で酸素の生成が行われている可能性があるとする研究を、世界的な科学誌「ネイチャー・ジオサイエンス」で発表しました。

海底で発生している未知の酸素、いわゆる「暗黒酸素」が存在する可能性を指摘したこの研究は、世界的な議論を巻き起こしています。この研究は、酸素は光合成によってのみ生成されるという既存の考えを覆す重大発見である可能性に鑑みて、日本財団は、この研究チームに200万ポンド(約4億円)を助成することといたしました。研究チームはこの助成をもとに、さらに詳細な研究を世界各地で行い、暗黒酸素という未知なる現象を徹底して調べて実態を明らかにするとともに、メカニズムを解明します。

そして暗黒酸素が、特に深海底の生態系にとってどれほど重要なものなのかを見極めて、その成果を世界と共有します。

日本財団が支援することで可能になる、この暗黒酸素の新たな研究は、すでに国際機関などからも高く評価されており、ユネスコ政府間海洋学委員会、IOC/UNESCOからは、「国連海洋科学の10年」が推進する研究の一つとして公認を受けました。

日本財団は、IOC/UNESCOをはじめとした国際機関、ならびにSAMSをはじめとする世界各国の研究機関との連携を通して、人類にとっていまだ未知の世界である深海底の実態を、確かな「科学」で明らかにしたいと考えています。

「スポGOMIワールドカップ2025」―日本財団主催− [2024年10月21日(Mon)]

「スポGOMIワールドカップ2025」
―日本財団主催−


2025年10月開催予定の第2回スポGOMIワールドカップ2025の開催にあたり、10月1日、日本財団で記者発表を行いました。以下は私の趣旨説明です。

**************


スポGOMI.jpg
スポGOMI・ワールドカップアンバサダーの皆さんと(左から寺田明日香氏、筆者、松田丈志氏、田口亜紀氏)


日本財団の笹川陽平です。2025年、日本財団スポGOMIワールドカップを開催する予定です。概要を説明したいと思います。昨年度は第1回目でありましたが、21ヶ国の方が参加下さいました。来年は30ヶ国を超える国で全国大会を開催し、各国で優勝した方が東京に集まって参ります。このようにスポGOMIが世界に広がっているのは喜ばしいことです。

2050年には海のゴミの量は魚の重量より重くなるという危機的状況が推測されています。海洋の健全化無くして人類の生存はありません。産業革命以来のたったの150年あまりで、我々自身の生活をより良くするための工業化、商業化を進め我々の住む場所すら危険にしてしまいました。当時海洋は無限の可能性があると思われていましたが、今では有限であることは間違いありません。

海洋のゴミと言っても、8割近くは陸から流れ出すものですので、陸地でのゴミの処理が大変重要になってまいります。我々自身がゴミを捨てなくすることが最も基本的なことであり、また価値のあることです。しかしその点が残念ながら遅れておりました。こうしたゴミを拾うということをスポーツ化したところが面白いものであると同時に、ゴミを拾った人はゴミを捨てなくなるという習慣がみにつくということで、この取り組みを開始できたことを嬉しく思います。

スポGOMIは3人1組でゴミを拾うので、おじいさん・お父さん・子供など色々な組み合わせが存在します。日本でも47都道府県で一斉に予選が始まっております。参加する以上勝ちたいという気持ちもわかりますが、3人で作戦を練ってゴミ拾っていただくことが重要なのです。インバウンドの影響もあり多くの方が日本を訪れ、今や日本人の清潔さは世界中で有名です。カタールのW杯でもそうでしたが、日本人の観客がスタジアムからごみを拾って帰っていったことは世界中でニュースになりました。先ほども申し上げましたが、ゴミを拾った方はゴミを捨てないという特徴がありますから、一人でも多くの方がスポGOMIに参加することによって、ごみを捨てなくなる社会が生まれますし、また、生まれなければなりません。

日本初のスポGOMIで世界の最も基本的なゴミの問題を解決しようというものです。たった2年で各国で全国大会が行われるようになったのは、危機感の広がりでありますし、この取り組みが50ヶ国そして100ヶ国になるのは当然の流れでありましょう。我々がスポGOMIのW杯をやるのは、環境問題を国や行政に任せるのではなく、地域に住む人が意識をもって参加することで問題解決につなげたいという思いからであります。

今日は松田丈志選手、寺田明日香選手、そして田口亜希選手というオリンピック・パラリンピックで活躍された方にも同席いただいており、アンバサダーとして協力して下さいます。報道関係の皆さんにおかれましては、社会的啓発活動として、世界において日本は清潔で綺麗というイメージが既にありますので、更に美しい日本にするために一人でも多くの人がスポGOMIに参加するよう呼び掛けていただければ幸いです。ゴミを捨てず、環境問題を認識するためにもスポGOMIワールドカップを開催し、日本から世界中に、ゴミのない社会にできればと思いますので、どうぞ宜しくご支援のほどお願い致します。ありがとうございました。
**************

(注)現時点の参加国は以下の通りで、更に増える予定です。
ア ジ ア:日本、インド、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシア、インドネシア、
      パキスタン、サウジアラビア、中国、韓国
北   米:カナダ、アメリカ
アフリカ :モロッコ、南アフリカ、ナミビア、セネガル
オセアニア:オーストラリア、パラオ、ソロモン諸島
中 南 米:ブラジル、ボリビア、ドミニカ共和国、ホンジュラス、エルサルバドル
欧   州:イギリス、オランダ、スウェーデン、スペイン、ドイツ、フランス、
      ブルガリア

以上32ヶ国

「来年のアフリカ開発会議」―専門家会合− [2024年10月16日(Wed)]

「来年のアフリカ開発会議」
―専門家会合−



アフリカ開発会議(TICAD)は1993年に日本が世界ではじめて開催した。その後、EU、中国、韓国、インドネシアが似たような会議を開催し、インド、トルコもアフリカ会議を開催しようとしている。来年8月に横浜で開催されるTICADをどのようなテーマで行い、実質的に実り多い会議にするために外務省に提言すべく、自主的に専門家が集まり、提言をまとめ外務省に提出しようとするものです。以下、専門家会合での私の挨拶です。

*******************


2024年10月4日(金)
於:笹川平和財団ビル9階


これからの10〜20年の世界の流れの中で、世界で初めて開始したアフリカ会議であるTICADの位置づけと方向性をどうするかについて知見を披歴いただきたいと思います。

ご承知の通り、BRICSにマレーシアが加盟の方向に進んでおり、加盟が実現すればBRICSの加盟国は中国、ロシア、インドを含め10ヶ国となります。そしてその下部機構と言うと語弊があるかもしれませんが、グローバル・サウスという形で様々な国が参加しています。こうした状況の中で、先般はインドネシアのバリで開催された会議にはアフリカ30ヶ国が参加し、約5100億円の資金を提供する発表がありました。また、中国は、ご承知の通り、7兆3000億円を3年間に分けて拠出するとのことで、中でも200億円の軍事援助と合同軍事演習をやること、全てのアフリカ諸国を戦略的関係に含めること、アフリカの中でも貧しい33ヶ国への関税をゼロにし100万人の雇用創出を実現すること、などは特筆すべきものと思います。

注意すべきはインドネシアの動きです。何故かと申し上げれば、来年はTICADと同時に反植民地主義を提唱したバンドン会議の70周年という大きな節目になるからです。この動きにBRICSそしてその下のグローバル・サウスがどのように反応するかは注目しなければなりません。国連決議をみてもこうした諸国の力が増しています。また、アフリカの中では、ロシア、中国、そしてかつての植民地解放運動に対して陰で力を発揮したキューバもアフリカと根強い関係があります。サブサハラのチャド、マリ、ブルキナファソ、ニジェールなどは混乱の渦中にあり、誇り高いフランスは、既にニジェールから撤退を致しました。纏まりの悪いアフリカではありますが、根強い半植民地運動、出来れば奴隷問題から始まった西側に対する謝罪と賠償の要求でまとまろうという動きもあるようです。これとバンドン会議の反植民地会議、BRICSが連携する可能性があるかもしれません。世界の秩序の中でBRICSを中心にグローバル・サウスの発言力が増していく可能性が強いと思います。

こうした情勢下、バンドン会議とTICADが来年同じ年に行われます。韓国もすでにアフリカ会議を開催しておりますし、インド、トルコもアフリカ会議をやりたいという意向を示しており、生みの親である日本がTICADをどのような形でやるかということは、今申し上げたような背景を考えながら実施しないと、日本の存在感に大きな影響をきたすのではないかと、素人なりに感じています。是非ともユニークなTICADにするにはどうすればいいか知恵をお出しいただきたいと思いますし、今までの延長線上でのTICADではなく、是非とも皆さんの知見を披歴いただき「やはりTICADは素晴らしい」と言われる形にしていただきたいと思います。

「創立記念日」―挨拶− [2024年10月11日(Fri)]

「創立記念日」
―挨拶−


私の話は常に即興で、原稿がありませんので整合性のない筋道になる欠点があります。ただ、仕事に対する熱い情熱だけは汲み取って頂ければと思い、決して誉められた内容ではありませんが、記録のためにアップしました。

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2024年10月1日(火)
於:日本財団ビル2階


おはようございます。今日は少し違った観点で話をしたいと思います。実は近年休日が沢山増えており、ご承知の通り一年の約3分の1が休日です。加えて有給休暇もありますので、1年間で約140日休みがあります。この時間をどのように過ごすかが人生にとって重要ではないでしょうか。勿論ご家庭のある方はお子様の養育や家庭のこともあると思いますが、私の長い人生を振り返りますと、この休暇をうまく活用するのが大切だと思います。趣味をお持ちの方もいらっしゃるのでそれはそれで結構なことですし、家庭で過ごす時間をいかに上手に使うかということが、財団で働くうえで重要になってきます。財団の中には山登りの会、様々な趣味が一致する人が活動していると聞いており、大変結構なことだと思います。趣味の世界に生きる、例えばスポーツであったり旅行であったり、そうした充実度が財団での活動を充実させると思いますし、精神的にリラックスした時間があったことで意欲的に仕事ができるようになります。こうした休日の過ごし方いかんによって会社の仕事も捗るのではないでしょうか。と申しますのも、財団で働くことは、それぞれの生きてきた環境、社会環境が違う人が集まる中で、皆さんの考え、行動が一致することはありません。いわば、他人の集まりです。従って、人間関係で精神的にダメージ、悩み事が出てくるのは当たり前のことです。仕事をするうえで悩みがないことはあり得ません。すべての人と意見が一致することはなく、互いの相違をいかに縮めていくかが大切で、それには休日の過ごし方によってリフレッシュして、精神的な余裕を持つことが仕事の上でプラスになります。私は月曜日が楽しみで仕様がありませんでした。「また今日から仕事ができる」と充実した月曜日でしたが、中にはそうでない方もいらっしゃいます。なんとなく家で休日にテレビを見てスマホを見ているだけでは月曜日が辛くなるのではないかと思います。どうぞ休日をいかに有効に使うかについて今一度皆さんにお考えいただき、またそれを実行してほしいと思います。

日本財団は何遍も申し上げるように、世界で最もユニークに社会貢献活動をする組織であります。皆さんお気づきと思いますが、ホールディングスのような組織形態をもった財団は世界に類を見ません。ご承知の通り、ハフマンさんが英文で関連団体の一覧を作ってくださいましたが、こうした従前には日本国内は勿論のこと世界になかった組織を自ら作ってきた歴史があります。例えば、運動生理学を選手の中に取り入れていくということは30年前は考えられなかったことですが、いまや大谷選手の活躍の通りスポーツは科学であります。こうしたことを研究し実践していくために笹川スポーツ財団を作りました。また保健衛生の分野では笹川保健財団、少壮学者支援のための日本科学協会、障害者スポーツには日本財団パラスポーツセンター、広く国際活動するための笹川平和財団、シンクタンクの東京財団政策研究所などがあります。一般的なホールディングスは各会社からの配当金を吸い上げるものですが、我々は日本財団から資金を提供し、また自らが日本はもとより世界をつなぐ仕事をしています。こうした仕事が出来るのは世界で日本財団だけです。是非とも日本財団での仕事のみならず、こうした関係団体との協力を強化する必要もあります。関係団体とは、役員レベルの交流活動や共同事業を既に開始をしております。皆さんにおかれても、組織間の人間関係の確立、情報の共有を深めていただければ幸いです。

皆さんに前回もお願いしましたが、若い方々には鳥海さんが書いてくださった「日本財団はいったい何をしているのか」を読んでいただきたいと思います。近々9冊目が刊行されますが、これを絶対に皆さんに読んでほしいと思います。これは生きた教科書です。なんとなく上司に言われたことをやっているだけでは十分ではありません。何遍も皆さんに申し上げていますが、私はダーウィンの進化論の信者であり、どんな強力な組織、優秀な頭脳が集まった集団であっても、時代の変化をしっかり見極めて対応する能力がなければ必ず衰退します。ですから、我々の組織は、未来志向で常に変化、変化、また変化をしていかなければなりません。皆さんにお願いしたいのは、未来志向のためには過去をしっかり知らなければなりませんので、この本だけは今年中に全て読んでいただき「こうした基礎のもとに発展してきたのだ。では次に何をすべきなのか」ということを考えていただくことを期待したいと思います。

学校で学問として習ったことは、語学は勿論大きく役に立っていると思いますが、その他はあまり実社会では役に立ちません。なんとなく仕事をするのではなく、常に好奇心を持っているか否かが人生の分かれ道になると思っています。物理的な年齢で年を取っているか若いかは関係ありません。若い人でも精神的年寄りは沢山います。それは常に好奇心を持って生活をしているかしないかの差です。年齢を重ねても精神的に若い人もいますし、若くても好奇心が無くなってしまってなんとなく日々を生きている、という人は既に老人の域に達しています。日本財団に勤める皆さんにはこうしたことがなく、好奇心に満ちあふれ、議論をし、未来志向の財団として世界に冠たる日本財団はどうあるべきかを常に考えて働いていただいていると思っています。昨日の続きの今日ではなく「明日に向かって何をするか」。これが社会貢献をする日本財団であり世界に冠たるユニークな組織体なのですから、皆さんに大いに期待をしております。

やることは沢山あります。「やはり日本財団の職員は一味も二味も違うな」と言われるようになってください。好奇心をもって社会を見て、社会課題を見つけ出し、社会課題の解決を成功させるモデルを作ることで、これを国家や行政が真似をする。日本財団が成功例をつくることで、国が政策として真似をしていく、つまり国や行政の最先端を日本財団が活動する、こうした事例は既に沢山あります。これが日本財団の大きな存在意義と理解しています。自分たちがここに入るときの夢をぜひ実現いただきたいと思います。初心を思い出し「なぜここに入ったのか」、それを日本財団で実現してください。そのためには人間関係でややこしいことも出てきます。どこの組織でもあります。それは耐えていかなければなりません。その中で精神的な強靭さを身につけることで、柔軟な対応ができる人間になってきます。耐えることによって、竹ではありませんが、困難を乗り越えることで節が出来、成長します。良いことばかりでは成長しません。辛いことや嫌なことを乗り越えてこそ「成長した」と実感があるわけで、そうしたことを自らに言い聞かせて頂くことが重要と思います。

未来志向で、日本財団は世界の社会貢献財団のリーダーシップを持った組織であることを心の中で誇りに思いながら才能を発揮いただき、好奇心を忘れずに活動してください。ありがとう!

「日本財団職員へのスピーチ」―24年度年度始め― [2024年04月03日(Wed)]

「日本財団職員へのスピーチ」
―24年度年度始め―


24年度の年度始めにあたり、日本財団職員へのスピーチを行いました。原稿なしの即興スピーチなので、文脈が整っておりませんがご勘弁ください。

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おはようございます。本日は4月1日ということで、新年度が始まるので挨拶をしてほしいということです。職掌柄やらざるをえませんのでお付き合いください。

本日、13名の方が新しく入会され、先ほど辞令を交付しました。希望に溢れた若者の皆さんに、是非とも新しい社会人としてお勤めを頂きたいと思います。また、先輩の皆さんにおかれましては、皆さんの豊富な経験を新入職員の皆さんにお伝えいただきたいと思います。鳥取県と伊勢市からも出向いただいております。ともすると行政は画一的な活動をせざるを得ない中、民間レベルの仕事のやり方を勉強させてほしいとご依頼がありおいで下さいました。2年間お務め頂き、それぞれの地方自治体に戻れば、新しい風を吹き込んでくれるものと思います。

昨年度は10%の給与のアップが出来ましたし、また、新年度は平均で約5%の賃金上昇に努力しています。この組織はユニークで、皮肉ではありませんが、社内で結婚をなさり夫婦で務めていらっしゃる方も結構いらっしゃいます。ご夫婦でお勤めされていると私の年収より高い方々もおられ、理事長の年収よりも高いです。こうした組織は世界で稀でしょう。決してひがんでいるのではなく素敵な組織だと思っています。

我々の資金はボートレースからの収益金をいただいておりますが、それだけではなく独自の資金集めもしています。こういう組織は世界にありません。私は世界一のユニークな組織を作りたいということで、皆さんにお願いをしています。世の中にはシンクタンクというものが沢山ありますが、シンクタンクは特定の課題について専門家が研究し、それを発表するという性格があります。そして、ほとんどのシンクタンクは依頼者からの支払いを受けて研究をしますので、都合の悪いことについては文章を削除しなければいけない場合もあるようです。また、発表したものがどれだけ政治、行政に反映されているかを考えると、新聞紙上や専門誌には出ますが、それは犬の遠吠えみたいなもので、若干参考になっても、明確に具体的に政策に反映されたというのはほとんどないでしょう。

財団というものがどういうものかといえば、歴史的には欧米からスタートしていますが、税金対策から始まり、免税措置を受けるところからスタートしたと言われています。今では、社会の一般的に困っている人への支援をするというのが財団となっています。しかし、私が考える財団は、勿論色々なところに支援をするということも大事ですが、日本財団は創立から60年の間に、日本の社会に必要でありながら存在していない組織も作ってきました。例えば、近年の例で言えば、パラスポーツを振興する財団などがありますし、45年前にはB&G財団という、スポーツを通じて健全な青少年の育成を目的とする財団も作りました。当時は1964年の東京オリンピックの後に日本中に立派なスポーツ施設が出来ましたが、国体などで年に一度使うか使わないかという施設作りに何十億円もかけていた状態でおり、作った後遊んでしまっている施設が沢山ありました。こうした施設は今も沢山あります。しかし、そうではなく、町や村の子どもがスポーツを通じて健康になり、健全なコミュニティで育つことができるよう、全国600ヶ所に施設を作り、子ども育成をやってきました。今や時代が変わりお年寄りの健康管理、地域の人のバレーやテニスなど健康志向の人に活用してもらっています。しかしながら、こうした場所は45年前にはありませんでした。

また、日本には、国際的な文化活動が十分発展していないという課題から、文化活動も支援してきました。しかしそうした支援のほとんどは、展覧会や講演会などの切符が売れないところへの補助であり、成果をあまり上げることはありませんでした。いまではアニメや漫画というものは世界的な日本を代表する文化になりましたが、当時は日本国内で評判が良くても国際的な日本文化発信するとなれば、茶道、お花、能など非常に限られていました。こうした問題意識から、日本音楽財団をつくり、日本発の国際的文化活動ということで、弦楽器を収集し、世界のアーティストに無料で貸与し、数億人の耳を楽しませることを通じて、文化の発信を始めました。しかし当初は、多くの方から御叱りをいただきました。「笹川さんはクラシックが好きだから趣味で集めているのではないか」といったご批判も多くありました。しかし私は、世界に何か発信しようということでストラディバリウスの購入を進めました。当時はバブルが崩壊した時でしたので、こうした名器が比較的安く購入できました。こうしたことに対しても「笹川さんは一体何丁集めれば気が済むのでしょうか」と言われ続ける中、全部で21丁の楽器を購入しました。私は当時反対した人を覚えていますので、そうした方々に「価値も上がってきたので売りに出しましょうか」というと「21丁揃っているのは世界に例がなく、世界的文化遺産として登録しましょう」と言われるほど今や大賛成で応援してくれるようになりました。

昨年1年かけ、職員の方が議論し、新しい日本財団の基本方針を作ってくれました。上からの目線ではなく皆さんの意見を集約してつくりました。後程説明と読み合わせがありますが、日本財団の未来志向の基本方針を改めて知って欲しいと思います。

財団は社会に対して助成するものと、これまでも今もそう認識されています。しかし日本には、日本の社会に必要でありながら存在していない組織というものがありました。日本財団はそうした組織をこれまで20弱立ち上げてきました。これには大きな批判もありました。その多くは「財団は困っている人、組織に援助するものであり、自ら仕事をするのはおかしい」という批判でありました。しかし、私は未来志向の財団は自らも仕事をしなければならないと考えました。日本財団という組織は、様々な組織への支援もしますが、自らも活動する、という組織です。多様化する社会において、国や行政が出来ない、そして民間レベルでも永続性がなくできないという課題には、我々自身が気付き、動き、資金集めもするというのが日本財団です。その為に、日本財団にはドネーション事業部があり、1万円以上の寄付者には礼状を添え「寄付はこのように使われています」という感謝の手紙を出しています。日本人には利他の心、社会の為に尽くすという伝統的な心がある一方、ともするとそれを忘れがちになっているのは寄付を集める方に問題があると私は考えます。寄付に対する礼状、そして透明性と説明責任が大切なのです。日本財団はそうした基本的なことをきっちりとやって参りました。

日本財団は、シンクタンクでも単なる助成財団でもない、自らが社会課題を発掘し、自ら動き資金も自ら集めるという組織であり、こうしたことをしているのは世界で日本財団だけです。日本のみならず国際的組織になろうと努力しています。国内で言えば、多様化する社会の中で国も行政も出来ないことが沢山あります。それを日本財団が率先しやり、成功例を作ることで国が真似をしてやっていくというスタンスであります。

例えば、古くから日本は海洋立国と言われ、海の日が休日なのは世界で日本だけです。しかし海洋に関する基本法はなかったので日本財団が作りました。また、特に少額の預金口座などは手続きの方が手間になることから、多くの人がそのままにしていますが、これは休眠口座と呼ばれおよそ1兆円にものぼる多額なものであり、休眠預金を法律化し、それが社会活動の原資になるようにもしました。そして、ウクライナ支援でいえば、日本政府がウクライナから受け入れた避難民の数は200名程度でありますが、日本財団は2000人受け入れています。これは単に受け入れるのみならず、毎日連絡をとり、月に一回は彼らの状況を調査・把握し、3年間2000人の人を率先して面倒見るというものであります。国にはやるべきことが沢山あり、出来ないこともあります。こうしたことに不満を言って果たして世の中は良くなりますでしょうか。できるところが成功例を作って見せるということが大事なのです。

今、日本の国民すべてが孤立化に向かっている時代です。スマホの発達は友人関係を希薄にし、日本伝統のコミュニティが特に地方では現実的に崩壊しています。都市部でも、私が若い頃には、何か用事があれば子どもを隣のおばさんに預けていたものですが、今やそうしたことはありません。全ての人が孤立化の方向に進んでいます。相談相手もいません。この前も申し上げましたが、皆さん、是非とも友人を3人持ってください。沢山はいりません。自分の本当の悩みを受け入れてくれる友人を3人見つけてください。一人は10歳年上、一人は同年代時、もう一人は10年若い人。心友、心の友が三人いればこれ程心強いことはありません。困った時に励ましてくれ、会っただけで元気がもらえる心友を作って欲しいものです。

日本財団が目指すのは、シンクタンクでも一般の財団でもありません。社会の様々な問題をいち早く察知して、具体的に活動し成功例を見せることで、行政・政府を動かすことで未来志向の日本を作っていくという壮大なものであります。しかし敢えて苦言を呈すれば、皆さん努力はされていますが、まだまだ勉強が足りないとも感じています。勉強するしない以前に好奇心を持ってください。日本は今のままでよいのか、どうすればよいのか、日本財団として何が出来るか、と疑問と好奇心をもって働いてほしいのです。ともすると会社に何となく出社し、目の前にある書類を整理し、仕事を終わってしまいます。それで日本財団に勤めているというのでは、もったいないのではないでしょうか。常に社会に対する疑問符を持ち好奇心を持ちそれを日本財団として何とか事業化できないかと常に考えていただくということが、世界で唯一の組織である日本財団の目指すところの最も基本的なところです。好奇心がなくなれば人間は駄目になります。日々の仕事をするだけでは日本財団の職員としては十分ではありません。

日本財団ではこのところ、日本の教育制度が十分機能していないのではという課題に着目しました。学校で学んだことが職場に役に立つかと言えば、理系以外はほとんど役に立ちません。反論はあると思いますが、全体として役に立っていません。これは日本の偏差値教育の弊害です。国語、算数、理科、図工、音楽、体操も全て出来た人が優秀といわれてきました。日本の文科省の長い間の教育方針、つまり、全ての人を同じレベルにするという、この教育方針は戦後は正しいものでした。中間管理職をたくさん作っていくにはよかったのです。しかし日本には「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。江戸時代は読み書きそろばんが充実しており、当時で70〜80%の庶民が読み書きそろばんが出来ました。当時貴族社会である英国の識字率は10%程度でありました。未だにイギリスやフランスには階級社会の残滓が濃厚です。日本は、今でも何百年前の書き物が発見されたとニュースに出てくることがありますが、1000年前に源氏物語といった女性作家が書いた本があり、こうした例は世界で類をみません。従って、好きな世界で生きていただくのが大切なことであると思います。例えば音楽、運動が嫌い、ということであれば、好きなものを見つけてそれを突き詰めていく。これが未来志向のイノベーションなのです。今、一生懸命ZEN大学を作ろうとしており、上手くいけば来年から5000人規模で開校しますが、好きなことだけ勉強して欲しいと思います。何が好きかを見つけるのが教育であり、嫌いなものを勉強する必要はありません。こんなことをしていたら日本国は駄目になります。ZEN大学は好きなことだけ勉強してもらうオンラインの教育を提供するのみならず、人と人とのコミュニケーションにも重点をおき、実際の授業などを通じて友達を作ってもらう機会も提供する計画です。

言葉を選ばずに言えば、日本には多くの引きこもりの人がいます。しかし日本のイノベーションを起こしているのはこうした人たちです。日本の社会に大きなイノベーションは起こりません。何故だかお分かりでしょう。会社という集団においては、変わっている人、突飛な意見を言う人、を排除してきたからです。今まではそれでよかったのですが、これからは駄目です。変わった人、おかしな人が何を考えているか、を理解しなければなりません。こうした人がトップになるとイノベーションが起きます。「私が責任を取りますから従って下さい」というのが外国の企業では出来ますが、日本では出来ません。議論すると平均的な話が方向性として打ち出されてきます。変わった意見、突出した意見は消えていきます。大会社のトップを見てください。世界的なイノベーションを起こしている日本の企業はありますか。イノベーションを起こしているそのほとんどがITを中心としたもので、それも世界的に見れば小さなイノベーションです。イノベーションは常識人では出来ません。日本財団は勿論65歳までみなさんの雇用をお守りしますが、現場に疑問をもって、何とかしていこうという好奇心を持ってください。日本財団の皆さんはイノベーションを起こせますし、起こしてほしいと考えています。未来志向の日本財団は、世界で唯一のユニークで面白い組織です。そこにいるわけですからチャレンジし、ネバーギブアップで頑張って欲しいと思います。世の中には沢山問題がありそれをどうするかであり、日本財団の職員の皆さんは、政治家より行政よりイノベーションを起こす種も力もあり、これまで体現もしてきました。

日本財団の60年の歴史を振り返る必要はありませんが、日本財団はこんないい仕事をしてきているのに書物になっていないということで、鳥海アドバイザーにお願いして10年間で8冊の本を書いてもらいました。「日本財団はいったい何をしているのか」という本です。今日から是非皆さんに読んでいただきたいと思います。新入職員の方は勿論、長くお務めの人でも読んでいない人が沢山いることは知っています。歴史は継続性であり、原点があります。過去を盲目的に尊重しろということではなく、どのように変遷してきて、その上で何をしなければならないのか、社会の為に何が出来るかを考えてほしいです。そのためには過去の文献を読んで欲しいしと思います。こうした過去の経緯は私の著書にも書いてあります。それを咀嚼して、何が出来るのか、どうしたいのか、日本財団をどうしたいのか、を考えて実践してください。私は、日本財団を世界で唯一のユニークな組織にしたいという夢があります。まだ道半ばではありますが、きっかけと作り方についてはやってきました。これからは若い皆さんの役割です。

文明史論的に言えば、文明が生まれ、成長し成熟し、衰退し消えていくものです。トインビーの「歴史の研究」を読んでいただければ30弱の文明がこれまでに消滅しました。日本には2000年の歴史がありますがこれが続くのでしょうか。今は衰退の時期でしょうか。停滞の時期でしょうか。よく考えてください。少子高齢化の時代、人口がどんどん減少しています。日本は恵まれた国であり、世界で8大文明の一つと言われています。キリスト文明やイスラム文明、中華文明と一緒に日本文明が学問的に位置づけられてきました。この国をこのまま放っておくわけにはいきません。日本の成熟した状況を更に続け、また新たな発展を続けていく為のキーパーソンが皆さんです。

世界でもユニークな組織が日本財団であり、唯一の存在であります。それは鳥海さんや私の著書を読んでいただければ分かると思います。読まなければ分かりません。自分なりに読んで、自分なりに咀嚼して、それを活力として、事業として展開して欲しいと思います。変わった意見を大いに尊重できるようにし、そしてその中で方向性を見出していくという新しい年にしていきたいと思います。

好奇心を忘れたら我々は衰退します。仕事にあたってはネバーギブアップで決してあきらめず、溢れる情熱でどんな困難にもたちむかい、継続性で成果を上げていく。ハンセン病の制圧だけでも50年命がけで闘ってきました。この伝統を受け継ぎ、これから素晴らしい成果を上げていただき、世界でもユニークな組織が日本財団であるという組織にしていこうではありませんか。

「ヨーロッパにもハンセン病が」―WHOヨーロッパ地域の会議― [2023年12月26日(Tue)]

「ヨーロッパにもハンセン病が」
―WHOヨーロッパ地域の会議―


ハンセン病は現在進行形の病気であり、特にインド、インドネシア、ブラジルに発症者が多く、アフリカ諸国においても同様です。

また、痛みのない病気故、手足に障害が出るまでなかなか病院に行かないという事情もあります。

私のハンセン病制圧活動は、日本の諺通り「100里の道は99里をもって半ばとする」で、残された人生、懸命に世界中を訪れて制圧活動に邁進する覚悟で、来年も意欲的に活動いたします。

ところで、既に表題のヨーロッパではハンセン病の新規患者はゼロになっていましたが、最近アフリカから難民が押し寄せ、その中にはハンセン病患者も存在するようです。

そのような事情から11月28日〜29日、アルメニアで開催された「ハンセン病における新しいパラダイム、欧州におけるハンセン病の感染の停止から制圧に向けて」と題する国際会議で、ズームによるスピーチを行いました。

以下、スピーチの内容です。

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ハンス・ヘンリ・クラッジ・WHO欧州地域ディレクター、イブラヒマ・ソチェ・フォール・WHO・NTD部門ディレクター、マルセ・エバーランド・WHOアルメニア特別代表、ご参加の皆さん。

皆さんご承知の通り、ハンセン病は旧約聖書の時代から神罰、或いは呪いであると人々から恐れられてきました。中世のヨーロッパにおいては、ひとたびハンセン病に罹患すれば「死のミサ」と呼ばれる儀式が執り行われました。以降患者は外を歩くときは鈴をぶら下げ相手に近づいていることを知らせねばならず、また教会への立ち入りも禁止されたといいます。

しかし、こうした暗く絶望的な状況に対し、ノルウェーから一筋の光がもたらされました。ハンセン博士によるらい菌の発見です。今年はらい菌発見150周年という記念すべき年であり、私もハンセン病のない世界に向けた国際会議をベルゲンで開催致しました。このらい菌の発見によりハンセン病は感染症であることが明らかになり、治療薬の開発も進みました。1980年代には多剤併用療法が開発され、ハンセン病は完治する病気となりました。日本財団と姉妹財団である笹川保健財団はWHOと協力して1995年から5年間世界中でMDTの無償配布に尽力し、欧州地域においても多くの人が治癒しました。そして、ここにお集まりの皆さまの努力により、今やハンセン病は欧州地域では「過去の病気」とまで認識されるようになりました。

一方、近年欧州地域において、国際化の加速に伴い、外国人滞在者や移民、難民の方が発症するケースが増加しています。また、皆さんの努力により欧州地域で新規患者がほとんどいなくなったが故に、ハンセン病の診断と治療の知識・経験を持つ医師が少なくなっているとも伺っています。こうした状況に鑑み、ハンセン病を「過去の病気」として扱うのではなく、「現在進行形の病気」と捉え、治療や診断技術の確保などを通じてWHOの掲げる「ハンセン病ゼロ」実現に努力されていることに敬意を表します。

また同時に忘れてはならいのは、ハンセン病には依然として厳しい偏見や差別が伴っていることです。数ある病気の中でも社会、友人そして家族からも捨てられるのはハンセン病だけであり、患者、回復者のみならずその家族までもが差別の対象となっています。差別を経験した患者、回復者及びその家族は数千万人に上ると言われることもあり、まさに世界で最も古く、そして大規模な人権問題の1つといえるのです。しかしながら、これほど大規模な人権問題であるにも関わらず、ハンセン病にまつわる差別の問題は社会に深く静かに沈殿して、世界の人々に知られず、理解されていないのです。

このようにハンセン病には医療面のみならず社会面としての問題、即ち人権問題の両面があります。私はこれをモーターサイクルに喩えています。即ち前輪は病気を治すことであり、後輪は差別を無くすこと。この両輪が上手くかみ合わなければ真の「ハンセン病ゼロ」の実現はありません。お集りの皆さん。本会議を活用し、知見の共有、ネットワークの強化をはかり、欧州地域における「ハンセン病ゼロ」実現に向け努力して参りましょう。私自身も、WHOハンセン病制圧大使として、努力を惜しまず積極的に活動して参ります。お集りの皆さん、欧州地域における「ハンセン病ゼロ」は見果てぬ夢ではありません。共に不可能を可能にして参りましょう。ありがとうございました。

「人生100歳時代」―幸福感を考える― [2023年12月22日(Fri)]

「人生100歳時代」
―幸福感を考える―


日本財団は2023年12月1日(金)、人生100年時代の言葉の生みの親であるロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏や、幸福学研究の前野隆司慶應義塾大学大学院教授、脳科学者の茂木健一郎氏を迎え、シンポジウム「人生100年時代における幸福感を考える」を開催した。

登壇者による活発なディスカッションにより、人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎えた日本において、人生の後期にどのような選択をすれば豊かな人生を送り幸福感を得られるのかをテーマに議論が展開された。

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登壇者集合写真
写真左より、前野隆司氏、Lynda Gratton氏、茂木健一郎氏、国谷裕子氏


冒頭では、日本財団会長の笹川陽平より開会の挨拶が行われ、人生の締めくくりは「幸せな人生を送ったな」と思えることが人生の最大の幸福であると述べ、その後、基調講演としてロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏から「ライフシフト〜100年時代の人生戦略〜とその後」についての講演があり、コロナ禍を経た今、デジタルも駆使した新たな関係を持つことが可能であることや、年齢にかかわらず、学び直しや新しい仕事にチャレンジするなど自らを変化させていくことが大切であると話された。

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基調講演の様子


基調講演に引き続き、リンダ・グラットン氏、前野隆司氏、茂木健一郎氏によるパネルディスカッションが行われた。ジャーナリストの国谷裕子氏がモデレーターを務めて活発な議論がなされ、人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎えた日本において、人生の営みのなかで自らを変化させていくことや社会貢献を念頭においた利他への啓発の大切さが説かれた。

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パネルディスカッションの様子

シンポジウムの様子は、2024年1月中旬ごろ、日本財団公式YouTubeチャンネルにて公開します。

以下、私の開会挨拶です。

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「100歳時代を生きる」開会挨拶


2023年12月1日(金)
於:笹川平和財団

日本財団会長の笹川陽平です。司会者より話がありましたように、今日は素晴らしいお話を著名な方々から頂けるということで楽しみにしています。

本日イギリスから来日されたリンダ・グラットン教授のベストセラー『ライフシフト−人生100年時代を考える』も読みました。私の父は太平洋戦争の戦犯容疑で3年半も巣鴨プリズンに拘置された経験があります。裁判もなく無罪で釈放されましたが、独房に収監している時に1匹のカマキリが入って来たといいます。カマキリと会話をしている中で、動物は成長年齢の4〜8倍生きるのではないかと思い、その後もファーブル昆虫記のような話もしていました。人生というのは少なくとも100歳、25歳まで成長すると考えると、200歳まで生きられると豪語していたのですが、96歳の時に「ちょっと天国に用がある」と行ったまま帰ってきてはいませんが、幾多の艱難辛苦を乗り越え、人生というものを豊かに生きた人であったと思います。

先生方の素晴らしい話を伺う前に学のない私が話すのも僭越ではありますが、人生は2つに分けて考えられると思っています。1つは働く者にとっての定年までの人生であり、2つ目は定年後の人生をどう生きるかということです。前半の人生では、私は「幸福とは何ぞや」と悩み苦しみ、様々な本を読みました。世界三大幸福論を詠まれた方も多いと思います。ヒルティ、アラン、そしてラッセルの幸福論は多少ヒントにはなりますが、実生活の中で役立ったかというと、そこまで役には立たなかったというのが私の率直な感想です。

日本は古くから「お金を出してでも苦労しろ」という言葉がありました。私は現在85歳ですが、例にもれずそのように言われて育ちました。苦労が財産になり、精神的にも成長し、体力もつくと言われました。苦労をするなかで、精神的にダメージを受けることもありますが、それを乗り越えた時に人間は一回り成長するのです。竹に喩えれば「節」ができるというもので、「節」ができていくことで強い竹が育つのです。長いトンネルでも出口はあります。どんな暗く悲観的な夜であっても夜明けは必ず来ます。私はこうした楽観論者ではあります。

高名な先生がいらっしゃる中で申し上げにくいのでありますが、学校生活を振り返ってみても優しくて親切な先生の記憶は皆さんないのではないでしょうか。それよりも怖い先生、今では駄目ですが頭を叩かれたという経験の方が思い出として残っています。辛い思い出、悲しい思い出はありますが、人間には素晴らしい特徴があります。それは「記憶の美化作用」と言われています。辛かったこと、悲しかったことが、時間を経ると懐かしい思い出に変わるという特徴を我々は持っています。ずっと人生幸福感に浸ることはないと思った方がいいというのが85年生きてきた人生の前半の結論です。

定年後、ここからが問題でしょう。立派な会社の社長や役員を務めた方が、家庭の中で夫婦仲が悪くなっている方が多いのです。今までいなかった夫が毎日家にいる。昼ごはんも作らないといけない。散歩に行っても30分で帰宅すると「早いわね」と嫌味を言われる。また、本当の話ですが、家にこもった夫が2階から1階の妻にメールを送っていることもあります。これでは人生はあまり楽しくないでしょう。定年前に蓄積した経験を、次の世代の人に無料で奉仕し教えてあげるということが必要ではないでしょうか。社会貢献をしている若者は沢山いますから、無償でお手伝いすれば若い人と話が出来ますし、彼らも成長します。それが第二の人生として素晴らしいと思いますが、社会的に偉かった人に限ってこうしたことはされません。私の知り合いは、近所の公園で草むしりと掃除をすることを続けています。誰に頼まれたわけでもありません。掃除した後に風呂に入って晩酌して「幸せだ」という思いに駆られるのが楽しみで、公園の掃除を続けているとのことです。

皆さん、やることは沢山あると思います。それには健康でなければなりません。人生の後半は人のためにというと語弊はありますが、何か人生でお世話になった社会の為に還元したいという気持ちで働かれることが健康の為にも重要ですし、長い間連れ添った妻の幸福のためにも家にいない方が喜ばれるのではないでしょうか。

私は孤独な生活をしてきたので友人もあまりいませんが、「今日死んでもいい」と毎日を全力投球で働いて参りました。人生の締めくくりは「幸せな人生を送ったな」と思えることが人生の最大の幸福感だと思います。幸福は長続きしません。大変瞬間的なものだと思います。私は夏は週末に山に入って山小屋で趣味である読書と草むしりをすることに喜びを感じています。10時間草むしりして、シャワーを浴び、暖炉を焚いて、読書しながらブランデーを飲むと「今日一日良かったな」となります。死ぬ直前に「人生良かった」「社会の為に尽くした」と思えることが最大の幸福感ではないでしょうか。

私の回りにはお金持ちの友人も沢山いますが、彼らはお金の為に苦労してきました。実話ですが、死の直前に病気のベッドの中で税理士を呼んで「妻には譲りたくない」と死んでいく人生が幸せでしょうか。そうではなくて、社会の中で多くの人と交わり、助け合ってきたのですから、生きてきた証として、家族の為にきちっとした遺産を相続し、一部は社会の為に、例えば障害や難病など社会で困っている人の為に還元して欲しいと思います。そのように遺言書に書いて締めくくることが重要ではないかと考え、日本財団では、遺言書を書いていただき、一部でいいから社会に還元して欲しいと活動しております。

長話になると御高名な先生に申し訳ないのでここまでにしますが、多忙な先生方にはお越しいただき、また皆さんに関心を持っていただいたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。

「ウクライナ避難民学生」―日本財団訪問― [2023年12月20日(Wed)]

「ウクライナ避難民学生」
―日本財団訪問―


筑波大学にはウクライナの学生38名が留学しており、日本財団では渡航費や生活費を負担しています。学業の都合もあり、23名が来社されて感謝の言葉を述べられたのに対し、私は下記の挨拶を致しました。

「明けない夜はない。若い皆さんには日本で得た知識をもって活躍していただきたい」.JPG  筑波大学に在籍するウクライナ避難民学生23人と.JPG


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皆さんようこそ、日本財団をお訪ね頂きありがとうございました。寒い中わざわざ御礼にお越し頂き、直接皆さんにお目にかかれ、元気に勉強されているという報告をいただき嬉しく思います。

どうして我々が皆さんを支援するかということについて、少しお話ししたいと思います。

1945年のことです。当時日本はアメリカと戦争をしていました。戦争の結果は皆さんご承知の通り、日本人は360万人が亡くなり、広島や長崎に原子爆弾が投下されました。私は東京に住んでおりましたが、当時の日本の建物は木で出来ている建物ばかりでした。従いまして、アメリカが落す爆弾は油の爆弾で、その木造の建物を全て焼き払うという闘い方をしていました。

私は6歳の時、夜中の11時、危険が迫っているということで決められた避難場所に集まりました。避難場所は郵便局でしたが、そこも危険が迫ってきたので第二の避難場所である大きな川に避難することになりました。しかし、私は泳げませんでしたし、川に行くのが何となく怖くて、私と母親だけが残り、町の人は皆川に逃げました。しかし、油の爆弾でしたので、川は水ではなく火の川に変わっておりました。そして、陸地を逃げる人にも沢山の油の爆弾が落ちてきて、その火が背中や洋服について燃えるわけです。多くの人が生きながらにして体に火が付き、誰も消してくれないので悲鳴をあげながら焼け死んでいきました。私は小さな子どもでしたが、泣きながら死んでいく何百人も人の姿をこの目で見ました。幸い私と母親の二人は助かりました。街の人はほとんどが亡くなりました。たった2.5時間の攻撃で、東京だけで10.8万人の人が亡くなりました。そして数十万人の人が火傷を負い、数十万戸の家が燃えてしまいました。

それからがまた大変でした。食べるものもありませんでした。水はありましたが食べるものがなかったので、町に生えている草を暖かいお湯の中につけ、その草を食べて生き延びました。私は子供の時には栄養失調で体中に色々な吹き出物がでました。日本中が全て、東京と同じような状況になりました。例外は京都だけでした。そして戦争に負けた結果、日本の政治家も、経済の事業をやっていた人も、ほとんどの指導者が強制的に職に就くことを禁止されました。そのため若い人たちが全てを背負うことになり、この完全に破壊された日本国をどのように再建していくということについては経験も自信もありませんでしたが、幸いなことに、一致団結・協力して今日の日本国をつくったわけであります。

皆さんの国も現在は不幸な状況ではありますが、決して希望を失わず、どのように祖国ウクライナを再建していくかということが大きなテーマであると思います。常に世の中は変革し、より良い世界を作るためには若い人の力が必要です。戦争が永遠に続くということはありません。どの時点か分かりませんが、必ず終わります。その時には、皆さんのような若い人たちが国づくりの為に汗を流し、若き指導者としてウクライナ再建のために働いていただきたいと思います。

先ほど私は広島と長崎に原子爆弾が落された話をしました。昔のことなので皆さんご存じないと思いますが、以前キーウの近くにあったチェルノブイリ原子力発電所で大きな事故がありました。あの時、我々は10年の長きにわたり、日本の最新の原子力医学の専門家と最新の医療設備を飛行機に積込んで貴国に運び、10年間で地球を70周回るほどの活動を致しました。その時に私たちが教えたウクライナの若き科学者の皆さんが、今度は日本の福島というところでの原子力発電所の事故の時に助けに来てくれました。それが貴国と日本財団との関係であり、これは国際原子力委員会そしてWHOに世界で最も権威のある報告書として保管されています。

既にお分かりの通り、私たち日本財団は、私自身の経験を含めて、世界の人道活動を行っていくというのが大きな仕事です。グローバリゼーションの時代ですから、皆さんの知的好奇心をもって、国造りはもとより、世界平和を実現するために皆さんの力が必要なのです。日本財団は常に若い未来に希望と情熱をもった皆さんのような優秀な学生の皆さんへ奨学金制度を提供しいます。世界の69の大学を含めて卒業生は45,000人に達しています。そうしたネットワークがありますので、いずれ皆さんも日本財団の奨学生のネットワークに入っていただき、様々な国の方々との交流を深めていただきたいと思います。

この闘いは永遠に続くものではなく、必ず終わりが来るのは間違いありませんが、出来るだけ早く終わるのを願っているのは皆さんと同じです。貴国では多くの希望に溢れた青年たちが亡くなって、或いは傷ついています。しかし現在、皆さんは幸運にも恵まれた立場にいらっしゃいます。どうぞいつの日か悲劇が終了した時には、皆さんが日本で学んだことをよく理解をされて祖国ウクライナの復興のために活躍され、また日本に来て勉強をした成果を、国づくりのために発揮頂きたいと願っております。

どんな長い鉄道のトンネルでも必ず出口があります。どんな暗い夜でも必ず夜明けがあります。祖国ウクライナは真っ暗な真夜中の状況かもしれません。しかし必ず戦争は終わる時が来ます。たぶん悲惨な状況になると思いますが、そこからが皆さんが力を合わせ、祖国ウクライナを復興させる指導者になっていただきたいというのが我々の願いです。単に皆さんの生活費の面倒を見ているというだけではありません。私たちは皆さんが、日本財団の家族であると思って協力しております。卒業された後も日本財団との関係を維持され、戦争が終わった暁には、重ねて申し上げますが、日本で得た知識をもって祖国の復興のためにご努力されることを切に願っています。

日本財団は、皆さんを日本財団の家族の一員としてお迎えできたことを心から誇りに思っています。今日は遠くからお越し頂き有難う御座いました。元気な姿を見て多少安心いたしました。しかし何遍も申し上げますが、皆さんは夢と希望をもって将来の祖国ウクライナ復興のために尽力されることを願っています。

最後に、筑波大学に於かれましては、ウクライナの学生たちの面倒を見ていただき、日本とウクライナの将来にわたる素晴らしい関係を築く指導者になりうる方々のお世話を頂いていることに心から感謝申し上げます。これからも引き続き宜しくお願い致します。ありがとうございました。

「第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議」―ハシナ首相力説― [2023年11月29日(Wed)]

「第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議」
―ハシナ首相力説―


11月12日、バングラデシュでは日本財団、笹川保健財団の協力で「第2回ハンセン病全国会議」が開催されました。

既に11月8日の出発時に記したように、ハシナ首相におかれましては、海外での国際会議が目白押しで、その上、来年には総選挙を控えての超過密スケジュール。9月5日、筆者より直接出席を要請していましたが日程が確定せず、開催は来年に延期やむなしと思っていましたが、岩間公典大使の強力なロビー活動で急遽実現したわけです。

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第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議で熱弁のハシナ首相


開催まで短期間にもかかわらず、会場には多くの写真展示を含め、立派に準備されていました。ハシナ首相の「2030年迄にハンセン病をゼロにする」との強い意志表明は、これからの制圧活動の大きな励みとなり、保健省は早速、来年度予算の大幅増強を実現すると張り切っていました。

実は、今までのバングラデシュにおけるハンセン病対策は十分とは言えませんでしたが、今回のハシナ首相の発言をもとに、ともすれば停滞気味であった地方やリモートエリアに入って活発に活動するための言質を戴いたことになります。

どこの国においても「ハンセン病制圧」は結核、マラリア、エイズに比べて患者数が少ないため、一国の最高指導者の発言がなければ予算や活動人数も数なく、困難を極めるのが実情です。しかし私は「Never give up」、決してあきらめない精神でこれからも世界中で活動を強化して参ります。

以下は「バングラデシュン全国会議」での私の挨拶です。

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500人以上が参加して開催されました


日本財団会長/WHOハンセン病制圧大使 笹川陽平
2023年11月12日 於:ダッカ


シェイク・ハシナ・首相、ザヒード・マレク・保健大臣、岩間公典・駐バングラデシュ日本国大使、お集りの皆さま。第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議開催の為に多大なご尽力を頂いたことに心より感謝申し上げます。

「2030年までにハンセン病をゼロにする」。これは、4年前に開催した第1回全国会議の際にハシナ首相が掲げて下さった目標です。私自身これまで120ヶ国を超える国を訪問し、国家元首に対してハンセン病制圧活動への協力を呼び掛けて参りました。しかし、一国の指導者がハンセン病に関してこのような明確なゴールを示した例は他にはありません。ハシナ首相の勇断は、バングラデシュで今も社会からの不当なスティグマや差別に苦しむハンセン病患者・回復者・その家族らに大きな勇気と希望を与えました。現在、バングラデシュでは保健省と回復者組織であるALOやボグラ連合が協力をして、ハンセン病ゼロという野心的目標に向かって努力されていることを嬉しく思います。

こうしたハシナ首相主導によるバングラデシュのハンセン病ゼロに向けた取組みは、多くのハンセン病蔓延国の指導者に対しても、大きな刺激を与えています。例えば、来年、世界で2番目に新規患者数が多く、唯一公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧を達成していないブラジルにおいて、ルラ大統領臨席のもと、全国会議が開催されることになりました。また、アフリカにおけるハンセン病蔓延国の一つであるエチオピアにおいても、2024年中に同様の全国会議を行うことが計画されています。ご参加の皆さん、これら一連の動きは皆さんの活動が影響を与えたものであります。私はハンセン病制圧大使として、バングラデシュの取組みに敬意を表すると同時に、この経験を積極的に他国と共有していきたいと考えております。

一方で、新型コロナウイルスの影響で、残念ながらハンセン病対策が多くの国で停滞してしまったこともまた事実であります。その結果、統計上は新規患者が減少したように見えますが、実際は診断や治療が受けられない、或いは障害のケアを十分に行うことが出来ない患者が多数おります。加えて、今やハンセン病は完治する病気となりましたが、完治してなお患者、回復者、その家族は偏見と差別に苦しんでおります。社会、友人、そして家族からも差別され、捨てられる病気は数多の病気の中でハンセン病しかありません。こうした差別を経験した患者、回復者、その家族は世界で数千万人に上るとも言われ、大規模な人権問題の1つといえるのです。この人権問題としてのハンセン病を解決するべく、私自身2000年初頭から当時の国連人権委員会に働きかけ、2010年には国連総会でハンセン病患者、回復者とその家族に対する差別撤廃決議と「原則とガイドライン」が192ヶ国全会一致で可決されました。しかしながら、ハンセン病にまつわる差別の問題は、社会に深く静かに沈殿して、未だにこの深刻な問題は世界の人々に知られず、理解されていないのが現実です。

こうした状況に鑑み、本日の会議が、2030年までにハンセン病をゼロにするという目標について、関係者一同があらためて確認するとともに、その実現に向けて具体的な方策を話し合う機会になればと期待しております。私自身も、WHOハンセン病制圧大使として、バングラデシュにおけるハンセン病ゼロという目標の実現のために、努力を惜しまず積極的に活動して参ります。お集りの皆さん、ハンセン病のない世界は見果てぬ夢ではありません。私は85歳の若者ですから、共に不可能を可能にして参りましょう。ありがとうございました。

「世界海上保安機関」―長官級会合― [2023年11月15日(Wed)]

「世界海上保安機関」
―長官級会合―


第3回世界海上保安機関長官級会合は、10月30日から3日間、ホテル・ニューオータニに96ヶ国の国や国際機関が集まり、10月30日の夕食会には岸田文雄総理大臣も出席して挨拶して下さった。

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96ヶ国の国や国際機関の前で岸田総理が挨拶


それぞれのお国柄の制服も美しく、中には立派な髭を蓄えた威厳のある長官もおられた。

海洋の環境汚染や自然災害など地球規模の課題について話し合う会合は、国や地域の枠を超えた対話の場を作ろうと、海上保安庁と日本財団が主催して2017年に初めて東京で行われた。新型コロナウイルス禍での中止を経て、今年は4年ぶり3回目となる。

近年は、薬物犯罪の捜査やテロ対策、気候変動に伴う自然災害など、国境を越えた対応が求められる事例が海上でも増えている。会合では、議長国の日本が主導し、従来の地域的な結びつきを世界的な協力体制へと拡大させたいと考えている。

以下は開会式での私の挨拶です。

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開会式で挨拶


石井昌平・海上保安庁長官、世界各国からお集まりの海上保安機関長官の皆さん。改めて、第3回目の世界海上保安機関長官級会合にご参加いただき感謝申し上げます。

昨晩のレセプションの際にも申し上げましたが、皆さんご承知の通り、海は「人類共有の財産」であり、また、海の存在なくして人類の生存そして繁栄はあり得ません。しかし「人類共有の財産」である海に対し、我々人類は近代化し始めてたった100〜150年という極めて短い期間で、海洋生物の乱獲、海洋資源の無秩序な利用、海洋汚染など大きな負荷を与えてきました。

私たち日本財団は、40年近く前に今日のような状況を想定し、この危機に対処すべく長期的な視点に立ち、「人類共有の財産」である海を守る事業に重点的に取り組んできました。こうした取り組みは、海の専門人材育成、マラッカ・シンガポール海峡の安全航行支援、日本国の海洋基本法制定への尽力など多岐にわたります。各国の海上保安機関の連携に向けた取組みもその1つです。2004年から10年にわたり開催したアジア海上保安機関長官級会合は、海賊や災害に対する地域の連携に大きな役割を果たしました。そして2017年からは、この枠組みを「世界」に拡大し、今回で3回目を迎えます。

折しもグローバル化が急速に進んでいる昨今、海の直面する課題もまた多様化・複雑化しています。こうした一国・一地域で対応することが困難な課題に対し、私たちは結束し共に協力して立ち向かう必要があります。私は皆さんのような海上保安機関同士の連携なしには海洋秩序の維持は困難であると考えています。つまり、海の安全と平和は皆さんの双肩にかかっていると言えるのではないでしょうか。

皆さんのご協力のお蔭で、長官級会合への参加国数も約3倍に増え、まさに世界的なネットワークと協力関係を構築できる場に成長したと思います。私は「現場には問題点と答えがある」という信念のもと活動しておりますが、まさに各国の海の現場における問題点と答えを一番熟知されているのはここにお集まりの海上保安機関の皆さんであります。

海の安全と平和を守るという誇り高い職責に日夜尽力されている皆さん。本会議が具体的な成果を生み出す有意義な会議になることを期待すると同時に、今こそ組織や国境、分野を超えて共に連携し、海の未来の為に共に努力して参りましょう。ありがとうございました。

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世界96カ国の海上保安機関長官級が出席
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