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「社会貢献者表彰」―社会貢献支援財団での挨拶― [2020年10月16日(Fri)]
「社会貢献者表彰」
―社会貢献支援財団での挨拶―

2020年8月24日
於:帝国ホテル

長年にわたります皆様方の地に足の着いたご活動が、受益者にとりましてどれほど大きな励みになっていることかと、改めて深い感動を受けるとともに、皆様方のご活動に心から感謝と尊敬を申し上げます。

社会貢献支援財団の安倍昭恵会長は、単にお名前だけではなく実際に現場をご覧になられ、皆様のご苦労話に耳を傾けておられます。ミャンマーでの小学校建設をはじめ、恵まれない方々に対するご支援をされてきたという経験をお持ちで、今回は海外でご活動の皆さんの表彰も多くあり、大変素晴らしい社会貢献支援財団の発展だと思っております。

私も年の4割は海外でハンセン病を無くす活動に費やし、122か国、約3,300日、10年間ぐらい刑務所に入れられたような生活をして参っておりますのでよく理解できるのですが、日本人の方々が世界各地の環境の悪い僻地で素晴らしい活動をされおり、私はこういう活動が日本でもっと報道されることを願っております。何故かと申しますと、この日本人の物の考え方や行動様式は西洋人と違います。どうしても西洋の方々は、率直に申し上げて上からの目線で、こうしなさい、ああしなさい、という指導、監督、教育するという目線に立ってしまうわけです。それはそれでまた秀れた活動ではあるわけですが、日本人の活動というのは腕を組んで命令指導するのではなく、相手と共に同じ目線に立ち、ともに汗をかき、そして喜びを分かち合います。こういうスタイルをとっている援助の仕方は、実は日本独特のもので、もっともっと広く世界に知られなければならないと思います。世界の様々な僻地で、よくぞこういう場所で頑張っておられるなあという方々にお目にかかる機会がありますが、寄り添うという基本的な姿勢が相手を納得させ、人間として信頼され、尊敬されているのではないでしょうか。日本人として本当に誇らしく思いますし、素晴らしい具体的な成果をあげる基本的な姿勢ではないかと思っています。

近年の日本社会は、ともすれば自分自身がよければいい、私の家族がよければいいという考えに陥りがちですが、ハンティントンの「文明の衝突」によれば、日本という国は世界の八大文明の一つになっているのですね。キリスト教文明やイスラム文明、中華文明などもありますが、この広い世界の中でこの小さな島国の日本が「日本文明」として学問の世界でも位置付けられているのです。2000年の長きにわたって、ともすれば中国の影響を受けたのではないかという方もいらっしゃいますが、確かに一時期はそういう時期もありましたが、日本独特の文明を発達させてきました。明確な四季があり、美しい水があり、森があり、永年わたり培われてきたこだわりの文化は、各地にある城を中心に、「道(どう)」といわれる剣道、柔道、茶道、華道、香道をはじめ、盆栽、工芸品、菓子やその他食べ物など、さまざまな物があります。そういう国は世界を回ってみても稀な国です。昨今のように災害の多い国ではありますが、そのたびに力強く復興して今日を創ったのも日本国ですし、日本国民です。

そういう中で私たちが育んできたお互いが助け合って生きていく、決して人間は一人では生きていけないのだということを、私たちは先輩方から教わってきました。先ほど申し上げましたように、昨今はともすれば私が良ければいい、あるいは私の権利はどうなったという権利の主張ばかりで、国がやってくれない、あるいは地方行政がやってくれないという不満を述べるばかりになってきているきらいがあります。そういう中でも皆様方は困った人々に寄り添って多くの方々に勇気と希望を与えていただき、彼らに生きる、そして未来への希望を実現させるお手伝いされている。これは本当に誇るべき人間の良識であると同時に、私は日本人の独特の物の考え方であり、長い間培ってきた先祖からのDNAを正に具体的に示していらっしゃるのが今日表彰された方々ではないでしょうか。

それぞれの地域で身を粉にして人様のために尽くす。そして、少しでも世の中のために協力をしていきたいという崇高なお考えというものがもっともっと広がることを願っております。ともに同じ人間として日本に生まれたからには、気がついたらお手伝いをする。また日本のみならず、世界の貧しい地域に行ってお手伝いするということも、これは人様をお助けするというと何か言葉が過ぎるかもわかりませんが、私たち自身の人生をも豊かにしてくれる仕事ではないでしょうか。

おそらく皆様方、毎日毎日困難に直面しながらお仕事をなさっているわけですが、私は決してこれは人様のためだけにやるということではなくて、結果的にはご自身のたった一回、この世に生を受けた人間として満足した人生を歩むための一つの方法ではないでしょうか。私は素晴らしい皆さん方の慈愛に満ちたそのような活動が、結果的には自分自身のためにもなっているのではないかと、大変僭越な言い方で恐縮ですけれども、私は生きがいというのはそういうことではないかと思います。

どうぞ皆様方これを機会に、さらに多くの同志を集めていただき、助け合いの精神、貧しい人に、困っている人に寄り添う、そういう暖かい心が自然の発露として出てくる人々が一人でも増えることを願っております。

この社会貢献支援財団は来年は50周年になるそうです。今日表彰された皆様方が核となり、さらに活動の輪が広がることによって素晴らしい相互扶助の精神を持った日本の社会をつくっていこうではありませんか。

皆様方のご活動に改めて感謝と深い敬意を表しまして、心からおめでとうを申し上げます。

日本財団
会長 笹川陽平


産経「正論大賞」授賞式講演 [2020年10月05日(Mon)]
産経「正論大賞」授賞式講演

2020年9月17日
於:ホテルニューオータニ・芙蓉の間

私は81歳の人生の中で、これほど褒められたことはありません。何か、恥ずかしくて体がムズムズしています。このようなコロナの環境下で、私のために会を催して下さり感謝を申し上げたいと思います。

正論特別賞の李登輝先生がお亡くなりになりまして、本当に自分の父親を亡くしたような気持ちです。今年の3月に、蔡英文・総統が再選されましたので、そのお祝いと話し合いのために台湾に行った折、李登輝先生にもお会いしようと思ったのですが、すでに入院なさっておられ、お会いができなかったことは誠に残念なことでした。先生の精神は、台湾はもとより、日本人の心の中に深く残っているものだと思います。

実はこの正論大賞に決定したとのお話をいただきました時、誠に不遜なことに、私はちょっと躊躇致したのです。と申しますのも、第一回の正論大賞を受けられた渡部昇一さんは、亡くなる直前までの40数年にわたり、日本財団の理事でいらっしゃいました。また第二回の受賞者の加藤寛先生も日本財団の理事をなさいましたし、第三回の曽野綾子さんは、ご承知の通り、日本財団で約10年弱会長をお務めになり、私は下働きをした経験がございます。また、岡崎久彦さん、田久保忠衛さん、或いは屋山太郎さん、皆さん日本財団の理事や評議員をなさって下さったいわば私の恩師ばかりで、なお且つ私自身専門を持っていない人間で、その時々の社会問題について書かせていただいたに過ぎないわけですから、この価値ある正論大賞に果たして該当するのかということを自問自答した時に、ちょっとこれは過ぎたものではないだろうかというのが私の率直な気持ちでした。しかしこれは大変な誤りであったということに気が付き、今、大いに反省をしておるところです。

と申しますのも、かつて文芸春秋社長の菊池寛さんが、今では有名になりましたけれども、かつて芥川賞を辞退した人が実はいらっしゃった。菊池寛はその時に激怒しましてね。人を評価するのは本人ではない。他人が評価するのであってそれを断るとは何事だと文芸春秋に激怒した文章を書かれたということをどこかで読んだ記憶があり、はっと気が付きまして、これ、フジサンケイグループで菊池寛の二の舞をやったら、私は日本財団の会長を辞めなければいけないと思いまして。笑っていいんですよ。笑っていただこうと思ってしゃべっている時に笑ってくれないと、漫才師でも大変やりにくいそうです(笑)。そういったことがございましたので、今回、喜んで頂いたわけです。賞金が付いているそうですから、その賞金は産経新聞が長年やっていらっしゃる明美ちゃん基金に是非お使いをいただくことがせめてもの私の正論大賞を頂くささやかな御礼かなと思っております。

歴史ある正論大賞の中で、多分、私が最高年齢でしょう。81歳ですから。おめでたいという意味も2つありますよね。ここも笑えるところなんですよ(笑)。126本書かせていただいたというのは、野球でいえば、最多打数ということになるわけで、何本その中にヒットがあったかとなれば、ほとんどなかったでしょう。しかし今飯塚社長さんが言ってくださったように、1本だけホームランを打ったんですよ。それが先ほどおっしゃっていただいた2019年1月3日付「中国古典にとらわれず新元号を」です。日本には1000年も前に書かれた源氏物語から始まり、万葉集にはご承知のように天皇から防人、或いは一般の農民まで平等に一冊の本の中に歌を収めているなんて、そんな国は世界にないわけですね。しかも明治以来、様々な文献が日本語に翻訳されてきました。そこはまたあとで言わなければならないですが。

その前に正論、本当によく書かせていただきました。何の修正もありませんでしたけれども、一回だけ見出しが修正されたんですよ。126本で初めての経験でした。忘れもしません。「誰も読まない新聞社説」という見出しでした。そう致しましたら、これだけは勘弁してくれということで、なんと「誰も読みたい力をくれる社説」というまるで真反対に変えられまして(笑)。多少ショックを受けましたけれども、やはり物事には限度があるということで自戒をしたわけです。

なぜ私が新元号を日本の国書でと考えたかといいますと、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」をお読みになれば分かりますように、世界には8大文明が存在すると。キリスト教文明、ヒンドゥー文明、中華文明ですとか。その中に東洋の島国の日本が、日本文明としてきちんと位置付けられているんですね。一時期中国からの影響は受けましたけれども、日本は独自の文明を発達させてきたということで、世界の中でこんな小さな島国で、一億前後の人間しかいない。江戸時代であれば確か、3600万人前後ですけども、それが世界の8大文明の1つなのです。

そういう観点から見ました時に、この日本はご承知の通り、明治維新以降欧米に追い付け追い越せということで、盛んに欧米の出版物を翻訳してきた歴史があるんですね。ですから、主には福沢諭吉先生とか西周さんとかが一生懸命この翻訳のために必要な日本語ということで、沢山造語が作られてきたわけです。大正時代の吉野作造を中心とした民本主義者、こういう時代には特にマルクス、レーニンを中心とした共産党の文献の翻訳が盛んになったわけで、ほとんどこれは造語でした。

ですから、現在中国で使われている言葉というのは、実はほとんど日本語なんです。このことは中国の人もあまり知らないわけで、中国が今の社会主義を成功させたというのは、実は、日本からの文献の翻訳なくしてはなかったのではないかと思うのです。社会用語では文化ですとか法律、民族、宗教、経済という言葉は日本語ですし、科学用語では時間、空間、質量、理論、哲学用語に至っては思想、主観、意思、理性なんていう単語もそうです。共産党なんていう言葉もそうですよ。階級、幹部、資本、労働、企業、経営、利潤、みんな日本語を使っているんですよ。もっと申せば、中華人民共和国という言葉は、「中華」以外日本語ですよ。僕は中国の大学で講演するときにこれを言うと、みんなびっくりしたような顔をするんですけれども、人民も共和国も日本語です。ましてや中国の今の国歌、あれは日本で作られたのです。勿論作ったのは中国の青年(※注:聶耳、1912年〜1935年)ですが、23〜24歳で逗子の海岸で水死するんですが、日本に来て、これはどちらかというと蒋介石軍の下で働いていた青年なんですけれども、彼が日本で映画を作ったときに使った音楽がどういうわけか、いま中国の憲法で定められた国歌になっているわけです。

そういう風に日本文明というのがきちっと存在しながら、昔の大化の改新頃はしょうがないとしても、中国の四書五経―これは大切な本ですし、我々にとっていまだに価値ある本だと思いますが―わざわざ何で中国からとらなければならないのかというのが私の率直な疑問でした。私は10月頃から申し上げていたのですが、幸い1月3日に産経新聞さんが掲載してくださいましたので、大変ありがたいことに、万葉集から中西先生が「令和」という大変良い言葉を選んでくださった。それまである新聞においては西暦一本でいいじゃないかなんて議論が出ていたのですけれども、やはり日本には日本の文明・文化があるわけですよ。それを尊重して西暦だけではなくて、こういう新元号というのは国民すべてが喜んでくれた出来事であったわけですから、何でも西洋一辺倒というのもいかがなものかと。もっともっと日本人は2000年を超える長い間の素晴らしい歴史と伝統を持った国であるということの誇りを忘れてはいけないと思うわけです。

喫緊の課題は、コロナ対策であり、経済の再生ということになっていますが、それだけで良いのでしょうか。アフターコロナをどういう日本にするのかという議論がないのは、大変残念だと思っている一人です。

最大のテーマは何でしょうか。私は、憲法の改正をいち早くやらなければいけないと考えておりますが、「改正」という言葉がよくないと思っております。国民に広く正しく理解をしていただくためには「憲法の改正」という言葉は、何かちゃぶ台をひっくり返すような話に聞こえます。75年間平和に過ごしてきたのに、何をいまさらちゃぶ台をひっくり返すような話をと、国民にはとれるんですね。私はここで「憲法の修正」という言葉に是非していただきたいと思います。

平成30年は明治から150年でしたが、福沢諭吉は「文明論の概略」の中でこういう風にいっております。「外国からの圧力の中で、今の日本国民を文明に進むるは、この国の独立を保たんが為のみ」と。また「学問のすゝめ」の中では、「国民の独立の気力なきときは、一国独立の権義を伸ること能わず」と。要するに、明治の人は個人と国家の独立自尊がなければいけない。これを忘れたら国は滅びるよということをすでに明治で言われているんです。勿論その後、悲惨な敗戦を経験してきておりますけれども、批判を恐れずに申し上げれば、日本の2000年の歴史の長い時間軸に考えれば僅かなところであります。しかし敗戦後たった1週間か10日で作られた憲法を不磨の大典のごとくこれを有難がっているということは、やはり指導者の皆さんの国民に対する説明が不十分であるということではないでしょうか。

世界中で平和、平和といって平和を叫んでいる国民は世界広しといえども日本人の特徴の一つです。平和念仏論者が多数を占めている国は日本だけです。勿論、平和が尊いことには変わりはありません。私はかつてヨルダンのアンマンで、当時皇太子で現在は王子のハッサン・ビン・タラール氏と国際会議をやったとき、彼は私を「笹川財団の笹川」と紹介しました。私は、ハッサン・ビン・タラール皇太子に「いや、笹川平和財団なんです」と言ったら、「自分はよく知っている。しかし中東で平和という言葉を述べれば、この人は偽善者だと理解されるので敢えて平和という言葉を外しました」と言われたことを覚えております。

世界中独立国家の最大の要諦の一つは、自国の軍隊を持つことです。勿論、軍隊は常に攻撃をするためのもではありません。日本は戦後75年、平和を享受してきた国です。しかしながら、やはり最近の日本を取り巻く環境や多発する災害を考えますと「備えあれば憂いなし」です。かつて社会党の石橋政嗣委員長が提唱した非武装中立というような現実離れした考えが、新聞でまともに論じられたことは、私たちが既に平和ボケになっているのではないでしょうか。

日本は自分の家に鍵もなく、ドアを開けっ放しにしておいて泥棒が入らない国なのでしょうか。やはり独立した国家としては、国軍を持つということは必要条件です。ただ、その性格においては、日本はやはり戦争の反省を含めて、当然シビリアン・コントロールの下で、厳格な基準を設けていただくことは当然です。従いまして、ぜひとも憲法改正という言葉はやめていただいて、憲法修正という言葉にされてはいかがでしょうか。

私たち日本財団は18歳の世論調査というのをやっておりますが、今の18歳、19歳の人は非常に健康的です。日本の財政論。1100兆円の借金をどうするのですかという問いに対して、18歳の世論調査では3割の人が、私たちも責任を持ちます、私たちにも責任があります、ということを言っているのですよ。恐らくここにいらっしゃる皆さん方、我々が作ってしまった借金ですよ。戦後一番悪いところは、国民の権利と義務の中で、権利の主張だけを徹底して行ってきた。国民としての義務を果たさない。まぁ税金を納めたら、果たしたということにはある程度なるのかも分かりませんけども、少しアンバランスに過ぎてきたのではないでしょうか。

私は憲法学者ではありませんから細かいことは言えません。ただ、常識人として世界を回ってきましたが、どこの国民も自国に対する誇りをもっております。タイに行ってみてください。映画が始まる前に直立してみんなで国歌斉唱をします。どこの国も国歌を大切にしています。インドの貧しい人たちのところで、ハンセン病で差別された幼い子が学校に行けないで泣いている。笹川さん助けてくださいと言われ、わずかなお金ですが小学校をそのハンセン病のコロニー、集団で生活しているところに作りました。幼い子供はお礼に何も差し上げられないから私は国歌を歌いますと言って、堂々とインドの国歌を歌いました。

かつて産経新聞にも載りました。福岡の女学生が東南アジア、確かマレーシアだと思いますが、行ったときに出席者の若者が、それぞれの国歌を歌ったのに、自分は君が代を知らなかったという記事が出たことがありますが、今の若い人たちは私たちが想像する以上に健全です。テレビや報道を通じて言われる青年と実態は相当違うと私は思っております。

ところで、皆さん百も承知でしょうが、日本国憲法には前文があります。

「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

これを今の若い人に見せたら何て言うでしょう。何を馬鹿なことを言っているのか。平和を愛する諸国民はどこの国かと反論されますよ。公正と信義を信頼できる国は韓国ですか、中国ですか。それが日本が安全で国民が生活していく上の大切なことだと我々は決意したと。日本国憲法の前文ですよ。

日本の国会議員はアメリカとも議員交流をやっていますが、これをアメリカの国会議員に言ったら、ブラックジョークだと思われますよ。何馬鹿なことを言っているのだ。本当にそんなことが書いてあるのかと。君たちの先輩が作ったものじゃないかと言えば、それならさっさと変えたらいいじゃないかと。こんな文章が日本国の憲法の前文に75年も経って残っているということ自体、本当に、これ学生たちに見せたら腰抜かしますよ。

ですから私はさっきから何遍も言っているように、憲法改正なんていうと、75年間、国に頼めば何でもやってきてくれた、権利の主張をすればなんでもしてくれた。こんな良い憲法を何でがばっとひっくり返さなければいけないのかと思いますよ。もうちょっと易しく、こんな異常な状態にあるんです。独立国として基本的な考え方がこんな風になっているんですよと教えれば、彼らはびっくりしますよ。だから、憲法改正というような言葉ではなくて、憲法の一部修正という言葉を使われたらいかがなものかと、私は思っているわけです。

アフターコロナにどのような日本国を作っていくのかということについての議論が存在しないことは、誠に残念なことです。我々は9ヶ国にわたる青年の世論調査を致しました。各々の国の将来に希望が持てるかという問いに対し、中国の青年は96%、インドは76%、ベトナムは69%。先進国はどうかと申しますと、アメリカは30%、イギリスは25%、ドイツが21%。さて日本の青年諸君の中で日本の将来に希望がもてると考えているのは何%でしょうか。たったの9.6%です。

このように将来に希望を持つ青年がいないということは、私たちの世代の責任です。彼らは、日本に生まれてよかったかという質問に対し、なんと、86%の人が日本に生まれてよかったと考えています。これは世界最高です。にもかかわらず、日本の将来に対して希望が持てない。9.6%という驚くべき数字の中に、私たちの日々はいかがでしょうか。国会を中心とする議論はどのような内容のものでしょうか。私たちは将来を託す日本の若者たちのために、こういう日本国を作っていきます、という方向性を明示する必要があると思います。

森友、加計、桜を見る会、その議論もいいでしょう。しかし、多くの日本の若者たちが将来の日本はこうなるんだ、こう明るいんだ、君たち頑張れ、とそういう夢と希望のある日本国を作る責任が私たちにはあるのではないでしょうか。

BBCの調査によりますと、25ヶ国2万6000人の調査の中で、最も好意が持てる、好感度の高い国は日本とカナダです。毎回大体そうです。かつて19世紀のイギリスの憲政学者であるウォルター・バジョットは、優れた統治システムというのは権限と権威が分離した政治体制で、これが理想だと書いております。日本はいかがでしょうか。源頼朝は征夷大将軍になりましたが、天皇になろうとしましたか。徳川家康は、豊臣秀吉は天皇に取って代わろうとしましたか。ナポレオンはどうだったでしょうか。アレキサンダー大王はどうだったでしょうか。日本はウォルター・バジョットのいう、権威と権力というものが自然に分離して成り立ってきた国なのです。

この日本という島国の中で1000年も前から長文の女性による小説が書かれ、また万葉集のようにお百姓に至るまで歌を詠み、短い言葉で、和歌に限らず、俳句にしても川柳にしても、神羅万象を表現できる。そして例えば、赤という色を表現する言葉は40以上あるんですね。そんな言葉の豊富な国というのは世界に日本しかないのです。

四季が明確にあり、言葉、語彙がこれほど豊富な国は世界に日本だけなんです。人の名前もそうです。日本には姓だけで18万5000を超える姓があるといわれています。中国で1200〜1300です。韓国に行けば500から600を切るぐらいしか名前はありません。言葉が豊富で、徳川260年の中で、三百諸侯と言われた国々は加賀百万石から始まり、二万五千石の小さな国に至るまで、それぞれが独立自尊の精神をもって、教育を行ってきたわけです。

そして、世界的な学者もいますね。関孝和の数学、和算で微分積分、世界で一番古いそうですよ。或いは伊能忠敬の、ああいった精密な日本地図を作り上げた。そして日本中三百諸侯にはそれぞれ、伝統の工芸品があり、文化、例えば、佐渡には未だに能舞台が70近くもあり、盛んにおこなわれている。日本の各鉄道の駅に行けば、みんな地方の名物を売っているじゃないですか。工芸品もありますね。私は世界122カ国を旅しましたが、日本以外にそのようなくにはありませんでした。

日本には100年を超える企業体が7万を超えます。それはほとんどが職人文化です。こだわりの精神です。お隣韓国に行ってみてください。2代続いたレストランはありません。レストランは下賤なものだ、両班な国ですからね。日本は料理人が文化功労章をもらえるのです。誇りをもって、プライドをもって、自らのこだわりの精神でやっているという心が日本人の中にはまだ残っています。

グローバリゼーションの中で、やれ金儲けがどうの、それも勿論日本経済の発展のためには必要であります。しかし個々の小さな企業がこだわりをもって物を作る、これは農産物だってそうです。この間私ブログにあげましたけれども、ルビーロマンという石川県のブドウは500円玉より大きいもので、種もありません。青森県のリンゴのフジは中国に行ったら1個1000円で売れていますよ。日米の柑橘類の摩擦があった時、アメリカのオレンジが入ってきたら日本は和歌山県を中心にしてみかん農家は全滅するといったのに、結果はどうでしたか。日本からのみかんの輸出の方が多いのですよ。ポップコーンを食べながらテレビを見る人たちが、今やTVみかんといって、日本のみかんをむきながらテレビを見る。オレンジではそれはできません。さくらんぼ戦争はどうでしたか。東北のさくらんぼは全滅すると言われましたが、今カリフォルニアのサクランボは売っていますか。売っていたとしても店先にバラになって盛っているだけでしょう。日本のは小さな箱の中に綺麗に収まっている。

あらゆるところで、日本人のそういう細やかなこだわりの文化というものは、世界に冠たるものです。先ほど100年を超える企業が7万あると言いました。アメリカにいくつありますか。50もありますか。あのマイスターの国、ドイツにおいても2000くらいと言われております。

私が何を言いたいかと申しますと、こんなに優れた私たちのもっている2000年も続いてきた素晴らしいものを、我々日本人が知らないということが一番の問題なのです。私は決して傲慢な日本人になれということではなく、私たちは私たちの先祖が作ってきたこの文化というもの、そしてこだわり、人に対する配慮、こういうものこそが、日本の文化力としてこれから世界の為に貢献し、日本の未来は文化国家として、世界一の環境にも恵まれた国の中で、果たしていくのがよろしいのではないでしょうか。勿論アフターコロナはインバウンドで沢山の観光客がおいでになる。ある中国人に聞きましたら、コロナウイルスの感染拡大の前でしたけれども、日本で4000万人のインバウンドを入れたいと言っているけど冗談じゃない。簡単に1憶を超えますよ。私たちにないものが全部日本にあるんですと。日本に来てメイド・イン・チャイナの商品を買って帰るんです、彼らは。何で日本に来てメイド・イン・チャイナを買うのと聞くと、日本は検査が厳しいし、品質管理が厳しいから、同じメイド・イン・チャイナでも中国本土で買うのと日本で買うのとは全然品物が違うんですと、そう彼らは言っておりました。

私たちは勿論近代産業、ITを含めて先端的な技術の開発、これも重要です。よく石原慎太郎さんが例にとっていらっしゃいました。NASAから打ち上げるロケットの先端につく丸い真球は、大田区の10数名の工場で作られているそうです。丸い先端の球は、機械では作れないのだそうです。職人芸で作っているのです。未だに全部のロケットの先端は日本の大田区の一中小企業が作っているのです。

そういうことを考えたときに、私たちはもっともっと日本のことを若者に知らせる義務があると同時に、日本は世界がこれだけ好感をもって迎えている国であり、2000年の長い歴史のある日本が、今後の世界の為に文化力を発信していく文化大国になることこそ世界平和にも繋がる、私は日本の生き方の一つの方法ではないかと思います。そして若い人たちが、日本の未来に悲観的な90%の人たちに、日本はこんな良い国だよ。そのためには時代と共に変えなければいけないこともあるんだということを知ってもらう必要があるのではないでしょうか。

私は先ほど一つ言い忘れましたが、安全保障のところで、大事なことを忘れました。

日本の安全保障は日米同盟・安保によって支えられております。私は日米同盟の強化ということに賛意を表する立場です。しかしながら、同盟の内容というものは時代と共に変化してまいります。かつて、アメリカはこの日米同盟・安保条約について、片務的な条約で、アメリカ兵が血を流しても日本は血を流さないのかと。日本はその答えは思いやり予算で処理をしてきました。今やトランプ大統領はアメリカ・ファーストを標榜しており、色々な要求が出てくる可能性があります。

そういう中で、日米安保も当然変質をしていくわけです。それは、アメリカは同盟国として支援するけれども、それはたぶん後方支援になるのでしょう。今まで我々は、アメリカが戦ってくれると、国会の答弁、過去を皆さん思い出してみてください。イラクのサマワに行ったときに「相手が撃つまで撃ってはいけない」というルールだったのです。どうやって自衛官は自分の命の保証ができるのでしょうか。相手が撃つのを待って撃てますか、今の機関銃で。そういう日本では常識でも世界では非常識なのです。新内閣も誕生致しましたので、どうか一つ憲法改正ではなくて、憲法修正という易しい言葉で、国民に説明して憲法の修正をやっていただき、日本の文化力を持って世界に尊敬される日本になることが、若者たちにとって明るい日本の将来を明示することになるのではないでしょうか。

大変雑駁でだらだらした話は81歳という年齢のせいですので、ご勘弁をいただきたきと思います。今日は素らしい会を催していただきまして、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。



「笹川平和財団」―目指す方向性― [2020年09月08日(Tue)]
「笹川平和財団」
―目指す方向性―


下記のスピーチは即席雑駁、しかも長文なので読者諸氏には失礼極まりないと自覚しておりますが、記録として掲載させて頂きました。

***************

2020年7月13日
於:笹川平和財団

こういう時節に皆様方にお集まりいただくのは大変失礼であり、若干非常識の極みでもあるわけですが、皆さんには安全をきちっと保ちながら集まりいただき、恐縮致しております。笹川平和財団が新しい執行部でスタートし、これを契機に職員の皆さんに情報を共有していただき前に進んでいくために、お許しをいただきたいと思います。

新しい理事長に角南さんが就任され、担当常務理事にはJICAから経験豊富な安達さんにお越し頂き、常務理事の茶野さん、菅井さんと共に執行部を形成しております。会長職は当面空席です。これからの時代、変化に対応していくためにはスピード、スピードということで、スピードをもった意思決定が大変重要と思われますので、それでもやはり会長職が必要であると皆さん方の声が上がれば、そこでまた考えればよいのではないかと思っております。

笹川平和財団USAは、ご承知の通り秋元諭宏さんが積極的に活動されています。これからも日米関係は最重要です。外務省など政府関係はホワイトハウスや国務省、防衛省は国防総省と緊密な連携があるようですが、正直なところ、日米間の議員交流はあまり深みのある交流ではありません。今までワシントンではマイク・イノウエさんが非常に協力的でしたが、彼も亡くなり、日米議員交流は停滞気味です。

アメリカの政治はホワイトハウスが中心のように見えますが、現実は議員が法律を作っているわけで、日本のように議員立法は極わずかで、ほとんど各省庁が法律を作るというのと全く違うわけです。笹川平和財団でも交流を行っていますが、各州議員の力も想像以上に強いようです。従って、国レベル、州レベルの議員交流の強化が今後益々必要になっていくでしょう。

ご承知のように、笹川平和財団はいくつかの基本的なポリシーを持っているわけです。第一番目に、今申し上げました日米の機軸ということ、特に安全保障を中心として日米関係を更に強化していく。ともすれば民間レベルの活動は停滞気味です。かつては「日米閣僚会議」がありました。毎年アメリカの閣僚が箱根に来て日本の閣僚と会議するというもので、山本正さんという方が日米間の関係を長くおやりになってきたわけですが、現在のように日米間交流が非常に停滞しているなかで、笹川平和財団は日米間の機軸のために何をすべきか、特に安全保障を中心に活動頂くのが一つ目のポリシーです。

二番目に、世界の情勢を見た時に、アジア、特に東南アジアからインドまで含めて、これから非常に経済成長が望めるなかで、特に東南アジアの首脳陣からみますと、今日の経済発展は日本の力によって成り立ってきたのですからもっと日本は発言をして欲しいという強い要望があります。しかし、日本は自分たちのした良いことは余り言わない、自分たちのした良いことを人に言うことは人間としていかがなものかという文化がありますね。これは、世界を例にとると逆に日本人の欠点になっているのです。

世界は今、EUを含めてそれぞれの地域がバラバラの状況になりつつあるなかで、かろうじてASEANが成り立っているわけです。中国問題は別にお話しすると致しまして、投資家のジョージ・ソロスによるタイ・バーツの空売りをきっかけとする金融危機に対しても、果敢な日本の行動によって彼らを助けてきました。もっと遡れば、大東亜戦争、日本の正式名称は大東亜戦争という名前でしたが、GHQの要請によりこの言葉は禁句とされ、太平洋戦争という名前になったわけです。批判は色々ありますが、アジアを開放しよう、アジアを更に強化していこうという戦略もあったわけで、その結果、例えばインドネシアにおきましても、日本が敗戦した後1000人を越える日本兵が残り、日本が敗戦で撤退した後、オランダが植民地として二度にわたって侵攻して植民地にしようとする中で、スカルノ大統領を助けて残留日本兵が闘い、インドネシアの独立国家誕生が生じたわけです。また、フィリピンもご承知の通り、フィリピンの国父といわれたホセ・リサールの銅像は皆さん見たことありますか。日比谷公園に今でも建っていますよ。そういう歴史的な関係、或いは先般ベトナムの梅田大使が帰ってこられましたけれども、ベトナムにおいても日本人が沢山残り、ベトナムを植民地からの解放・実現に協力したようです。

もっと大きな話は第二次世界大戦で、日本が、私は戦争論を話すつもりはないですけれども、事実だけを申し上げますと、シンガポールを落としました。そして、その時に英国の旗艦・ウェールズを撃沈したんですね。イギリス軍はシンガポールから撤退するわけですが、その時、インドもミャンマーも英国の植民地でした。75年前です。彼等は5万人のインド兵捕虜をシンガポールで取ったんです。日本はその人達に、「あなたたちは祖国の解放のために闘いなさい」「英国の植民地であってはいけません」ということで、彼らを指導するにはどうすれば良いかということで、ドイツに亡命しているチャンドラ・ボースを、その前に新宿の中村屋のお嬢さんと結婚したもう1人のボースさん、ビバリー・ボースさんがいるんですけれども、彼ではなくチャンドラ・ボースになるわけです。彼をドイツ潜水艦でアフリカのマダガスカルまで運び、日本の潜水艦が迎えに行き、アフリカまで潜水艦で行ったんですよ。彼を指導者に仰いで、インド軍が出来るわけです。ですから今のインド・ナショナル・アーミーは実は日本が作ったのです。インドの軍人さんはこのことをよく知っています。知らないのは日本人です。

牟田口中将は、無謀といわれるインパール作戦を行いました。白骨街道と言われるくらい多くの日本兵が亡くなりました。そこにチャンドラ・ボースも参加していたんですね。ただ、命を落としてはいけないということで、殿軍−軍隊の一番後ろにいる部隊のことを言いますが―に参加して、そして日本が負けます。チャンドラ・ボースは台湾で飛行機事故で死んでしまうわけですが、日本軍について参加したかつて英国の捕虜であった人達は、日本が敗戦したために戦争犯罪人としてインドの法廷にかけられるわけです。ところが、インドの人たちはおかしいじゃないか、私たちの国の解放のために闘ってくれた人を裁判にかけるのはけしからんということで、当時国の独立を望んでいたガンジーやネルーたちが抗議活動を積極的に展開し、英国は彼らを刑務所から解放せざるを得なくなったわけです。当然無罪で裁判所から出て行くということです。そして、インドはイギリスから独立を勝ち得たわけです。

先般私たちは、現地の人達が日本のことを忘れてはいけないと、インパールに平和資料館を作りました。笹川平和財団の皆さんのご協力で、小さいものですが立派なものが出来ました。彼らは日本に憧れを持っています。私たちは戦後75年、戦争した贖罪意識みたいなものが長く胸の中に残っていることと、もう一つははっきり申し上げて、政治家の皆さんにアジア諸国に興味を持つ政治家が少なかったんです。先ほど申し上げました通り、インドと日本が良い関係になったというのは、そういう根っこの部分があるんですね。

チャンドラ・ボースは最後にネルーと少し路線争いで、強行派でしたから排除され、またカルカッタの人ですから嫌われていたんですけれども、近年、インドの国会の中にはガンジー、ネルーそしてチャンドラ・ボースの肖像画もかけられました。ということで、インドの知識人にとって日本というのは忘れ難い、国軍、インド・ナショナル・アーミーをはじめ、インドのために尽くしてくれたという気持ちを持っているわけです。

隣のミャンマーは、現在20の少数民族武装勢力が存在して国軍と紛争状態にあります。そしてこの20がお互いに仲が悪く、その上リーダシップをとる人がいない。また、アウン・サン・スー・チー女史はこの少数民族問題に残念ながら具体的成果をあげていない。日本政府代表として、私は大変辛い活動を続けておりますが、幸い国軍はその辺を理解しております。やっと10の少数民族武装勢力と停戦をしました。国軍に理解を求めて一方的停戦を9ヶ月間やっていただきました。世界の世論からは、ミャンマーは軍事政権が長かった、人権を抑圧していると強い批判を受けています。ミャンマーは大変日本人と良く似たところがあるのは、弁明や反論が下手糞なんですね。今もアラカン・アーミーというのが大変戦闘的で、闘いが激化しておりますが、軍が一方的な停戦を長きに亘ってやったのは世界の紛争の歴史の中でも初めてのことで、もう少しうまく宣伝したらよいのではと思うのですが、その辺が下手なのです。

ミャンマーは軍事政権が長く国を支配してきました。しかし、シビリアン・コントロールということが民主主義社会における軍のあり方としては常識になっておりますので、彼らがシビリアン・コントロールを学ぶために、日本の自衛隊はこうやっているのだというのを、来て頂いて勉強して頂いているわけです。笹川平和財団でも同じようにベトナムの軍人さんとやっているわけですけれども、来たら必ず最初に行くところが静岡なのです。それは、ミャンマーから日本が負けて撤退する時に、南機関という機関に鈴木大佐という人がいらっしゃいました。この人は亡くなって少将に上がるのですが、彼がミャンマーの優秀な青年将校30人を集めて、「あなたたちはイギリスから独立するために闘わなければならない」と育て上げて日本に帰られて亡くなられたわけですけれども、その人のお陰でイギリスから独立が出来たということで、まず日本に来たら鈴木大佐の墓参りをしてからでないと仕事をしないと、国軍司令官も行って深々と頭を下げられた。そして今日ミャンマーがあるのは日本の鈴木大佐をはじめ皆さん方のお陰ですと、こういう感謝の気持ちを持っておられるわけです。

話が随分広がってしまいましたけれども、アジア諸国が私たちの後ろにはいつもちゃんと日本が面倒みてくれるんだという信頼関係を確実なものにしたいと強い気持ちをもって活動されていらっしゃるわけで、そういう意味合いからも、未来志向で行けばアジアの経済成長は確実で、あと3年もあれなGDPで日本よりもインドネシアの方が大きくなるでしょう。そういう意味で笹川平和財団には、アジアとの連携強化を二番目の基本的な政策としてお願いをしているわけです。

そして三番目は、あと30年くらいでしょうか、イスラムの人口が世界一になるでしょう。日本には色々な専門家がいらっしゃいますが、残念ながらイスラム研究というのは非常に限られた方です。日本財団もヨルダンのアンマンで随分長い間イスラムのネットワーク作りに努力をしてきました。勿論原理主義的な中東のイスラムと、インドネシア・マレーシアを中心とした穏健・開明派と言われるイスラムと、相当な違いはございますけれども、イスラムはイスラムです。従いまして、イスラム社会との具体的な仕事も大切ですが、特に人的ネットワークをきちっと作っていくことがこれからの日本にとって重要だと思います。

政治家の皆さんは肩書き同士のお付き合いが多く、本音ベースでの議論は中々出来ず、「私は外務大臣の●●です」「懸案事項はこういうことです」とテーブルの上で議論する。そうではなくて、やはりテーブル以外のところで信頼関係ができる、そういう人間関係を是非イスラムとの間で作っていただきたい。イスラムとの間の具体的な仕事というよりも、人的ネットワーク、或いはイスラムの勉強をしていただきたいというのが皆さん方へのお願いです。

そして四番目は、海に守られた日本から世界の海を守る日本にならなければならないと考えています。私は、海洋基本法の制定に汗を流した一人ですが、法律は作りましたが全く魂が入っていないような状況です。これから海洋問題は、世界のトップイシューになると私は30年前に思いました。

皆さん考えてみて下さい。私たちの歴史は常に陸を中心とした歴史ではありませんか。海の歴史というのはほとんどないんですね。先般、笹川平和財団の海洋政策研究所で一冊本を出していただきましたけれども、フランスの小説家トーマス・マンの娘で海洋専門家のボルゲーゼ女史を招待して海洋問題の国際会議を開催しました。そして、ニュースレターの配布を始めましたが、当時は送り先がなかったのです。そのくらい、海洋の専門家というのは、政策を含めて、社会科学的なアプローチが出来る海洋学者は少なかったのです。技術屋さんばっかりでした。

思い初めて30年経ちますが、1400人、146カ国の途上国の専門家を日本財団は養成をして参りました。先般、海底地形図作成という作業を立上げました。地球から7500万キロ離れた火星の精密な地図はあるのに私たちが住んでいる地球の海底地形図は存在しません。陸の地形図はありますが海の底の地図はありません。キャプテン・クックの時代の航図をまだ使っているのです。これはあらゆる意味で気候変動の原因、或いは海水面の上昇、九州でそうですが、たった1℃海水温が上がっただけで日本沿岸の海水温が上がり、1℃上がっただけでああいった災害が多発し、魚類はどんどん北上し、富山で獲れていたブリが北海道で獲れるようになって生態系もガラッと変わってしまうわけです。

世界人口はまもなく100億人時代を迎えるでしょう。海洋の健康な状態における保存なくして人類の生存はありうるのでしょうか。私は国連を批判するわけではありませんが、国際機関になると、機関のトップが任期の4〜8年の間に何か良い仕事を残したいということで色々と計画致します。珍しくSDGsは20年という計画でした。これは最長ですね。しかしそれ以上は考えない。人類の生存を考えた時に、海洋問題というのは500年、1000年先を予測し、ウォッチして警報を出すくらいのスパンのことをやらなければならないと私は考えます。そういう意味で、笹川平和財団は世界の海洋問題のリードオフマンになりうるということで、角南さんが今度理事長に就任された大きな意味合いがあります。海洋の世界のネットワークの中心に笹川平和財団がいるようになっていただいたいと思います。

今の働き方改革ではありませんが、相当のことがこれからはネットを使って話し合いが出来るわけです。世界のそういった中心に笹川平和財団の海洋政策研究所はなりうると思っておりますし、500年、1000年先の地球の健康を保つためにはということで、大いに研究者を集めて頂き、日本発の情報を積極的に出していただきたいと願っております。

先ほど少し触れましたが、海底の地形図との作成を日本財団が協力していますが、先般19%まで解明が進みました。これは世界ニュースとして発信されました。36カ国、約400の主要の新聞・テレビで日本財団の名前が取り上げられました。また、海底地形図を作るための世界的なコンペティションをアメリカのシェルが主催したのですが、26カ国から参加をしまして、日本財団はネットワークを活かして見事優勝し、世界的ニュースとして流れました。4億円の賞金は今、日本財団の預金通帳の中に入っています。

日本財団が養成してきた世界の優秀な人を集めてネットワークを組み、日本財団は単なるプラットフォームではなく、最先端技術を駆使して世界をリードしていきたいと思います。、

今申し上げた四つ、日米の関係の強化・拡大、アジアに対するアプローチ、イスラムに対するアプローチ、そして海洋、その上にこれからは女性に活躍してもらわなければならないので、女性の皆さんに大いに、特にアジアには素晴らしい女性の活動家が沢山いらっしゃいますし、アフリカに行けば閣僚の大体半分は女性で、北欧に行けば閣僚の7割くらいは女性ですし、首相が女性のところも多く、ノルウェーなどは伝統的にそうです。アジアの女性をエンカレッジすると共に、日本の女性にも大いに国際舞台で活躍いただきたいという、この5つの問題プラス、個別にいえば何と言っても隣国であります中国との関係が重要です。先般岩波書店から、政治・経済・文化などの分野で戦後の日中関係の土台作りに貢献したキーパーソンのインタビューを纏めた本が出版されましたが、その中で笹川日中友好基金の歴史的な役割について触れられており、本の書評は日本経済新聞にも出ていました。こういった個別対応の組織、これはフランスには日仏財団が30年以上活動しており、イギリスにはグレイトブリテン・ササカワ財団があり、北欧5カ国であるスウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、アイスランドにはスカンジナビアニッポン・ササカワ財団が30年以上の長きに亘り仕事をしてきてくれております。

こういうネットワークが存在しますが、皆さんの5つの基本的な考えのもとに、今後、世界の中の笹川平和財団ということで、日本を代表する財団として皆さん方に是非活躍をしていただきたい。そのために私たちはどうしたらいいのかを考えていかなければなりません。勿論笹川平和財団には優秀な人材が揃っていらっしゃいますが、この皆さん方がどのように活動するのが良いのかと考えてみますと、1つは先ほど申しあげました通り、日本財団はプラットフォームを目指して、世界的な人的なそれぞれの分野のネットワークを作る、海のネットワーク、或いは障害者のネットワーク、日本語教育の世界的なネットワーク、というようなネットワーク作りをしているわけです。皆さん方はそれぞ
れの分野で専門的な見識をお持ちですので、これからは上手に日本財団との連携によって更に皆さん方の仕事を拡大する、或いはもっと良いアイデアが出てくる可能性がある、日本財団は専門家がおりませんので、皆さん方の方からアプローチして頂ければ、お互いが協力し合ってよい仕事が出来るのではないかと思いますので、どうぞ皆さんが方も日本財団との関係を上手に構築することを執行部同士でやっていただいて、世界的により大きなインパクトのある仕事をして欲しいと思います。

笹川平和財団は、世界の笹川平和財団を目指していただきたい。そのためにもう一つ大事なことは、皆さん方の仕事のアウトプットをどのようにするかです。非常に大事なことだと思いますが、良い仕事をしているからそれでよいというわけにはいかないのです。良い仕事をしたらどのように情報発信をしていくかということが大事なんですね。日本財団は、既に1100近くになりますか、世界の各大学或いは研究所に、現代の日本を知る100冊の本を送っております。これを読めば大体現代の日本が分かりますが、100冊の本のうち日本人が英語で書いた本が何冊あるでしょうか。たった2冊です。それも、古い、新渡戸稲造の武士道、現代ということになれば、緒方貞子さんの1冊だけ。40数冊は日本の専門家が書いた本を外国人が翻訳したもので、残りの50数冊は外国人が日本を見て書いた本なのです。考えられますか。自然科学の分野ではわりと英文で発信されていますけれども、社会科学系はまだこういう状態が続いていています。皆さん方には才能がおありなので、これからの笹川平和財団は、英語での情報発信、ウェブサイトももっと充実していただいて、英語での広報を含め情報発信を強化して下さい。

手前味噌の話ですが、幻冬舎から出版した私の半生を書いた「残心」という本の中の、特にハンセン病の話を書いた部分を中心に英訳していただき、英国の出版社から出しました。そうしましたら、世界的な科学雑誌、1つは自然科学の分野で有名なネイチャーという雑誌、もう1つは著名なお医者さんなら必ず読むランセットという医学雑誌、ここに論文が出るか出ないかで大変な評価に繋がるわけですが、私のは論文でも何でもないわけですが、その書評がランセットとネイチャーの両方に出ました。それから、色々な方がお手紙下さった。英文に出しておこうかなといった程度のものが、思わぬ反響を呼んだわけです。

笹川平和財団のウェブサイトの英文をもっともっと充実させていかなければならないと同時に、世界は広いですから、投稿するチャンスというのがあるんですね。皆さん方には積極的に海外の新聞・雑誌に投稿してもらいたいのです。かつて私はたった一回だけですが、ウォールストリート・ジャーナルに投稿しました。これはハンセン病と人権問題ということで、たまたま採用して下さったのだと思います。

インドの新聞では、インディアン・タイムスにしてもヒンディー・タイムスにしても、通常6人、多い時は8人の投稿欄があります。色んな人が投稿します。ご承知の通りアメリカの新聞もそうです。勿論依頼されて書く場合もあるでしょうが、ほとんどの場合、特に外国の場合は依頼ではなく投稿です。だから、皆さん方のそれぞれ研究なさっていることを、それぞれの国で投稿なされば、採用される可能性も大いにあるわけで、どんどんそういうことを個人個人がやっていただくということも大変重要で、広報は財団の広報部がやっていますというのではいけないので、お一人お一人が広報マンになったつもりで、或いは自分の研究テーマ、或いは自分がやっている事業をそれぞれ国でどのように評価されているのかということは、そういった投稿を通じてやることによって、より多くの人達の目に触れることによって、人間関係が出来ていくわけです。私たちの非営利の組織は、実社会でもそうでしょうが、最後は人間と人間なんでしょうね。だから、ネットワークを作っていく上で、皆さん方の仕事は人と人とのつながりをどのように作っていくか、私も40年間、この仕事をやっていますが、良い人に会ったときに、良い仕事ができます。ところが良い組織とやっても良い人がいなければうまくいかない。良い組織と良い人は違うのです。ここを間違えないで下さい。

世界には、有名ではないけれども素晴らしい人がいらっしゃる。自分のキャリア・アップに使うのではなくて、世の中を少しでも良くしたいんだという情熱家が世界には沢山いらっしゃるわけです。そういう良い人と出会った時に、仕事は上手くいくのです。ですから、眼力、眼の力、人を見抜く力、そのためには皆さん方が研究で机の前に向かうだけではなく、出来るだけ多くの人と知り合いになっていただき、あの人どうですかと色々な人に聞いてみた時に、素晴らしい人でよくやっていますよとか、あの人は名前を有名にしたいだけで中身はありませんよとか、どのような人かリサーチする人的なネットワークがあれば、割と正確に可能になってくるのではないでしょうか。

重ねてお願いしますが、笹川平和財団はこれから新執行部のもとで、世界の笹川平和財団に、そのためには世界的なというよりも、主に5つの問題・基本的テーマについて、皆さんがどうアプローチするか、。そして可能な限り英文で情報発信をするウェブサイトの充実は当然のことながら、皆さん方自身もチャンスがあれば、あちこちに投稿して下さい。

日本財団では、若い人達が色々なところに投稿しています。日刊紙は勿論のこと、専門誌の国際開発ジャーナルやJICAの広報誌、日本海事新聞や日本教育新聞など、色々な業界紙にも掲載されています。そういったところに書いていくことで、文章の作り方も上手になりますし、多くの人にこんなことがあるのかと知ってもらうことは大変重要なことです。

日本財団との連携を強化して頂いて、1+1が3にも5にもなるように、既に国際社会の中で日本を代表する組織になっていらっしゃいますけれども、更に世界の人達とのネットワークを構築し、日本を代表するというよりも世界で著名な、それはつまり実質の伴ったと組織になって欲しいと思います。

どうぞ皆さん方は新しい執行部のもとで、自信をもってこれから世界になくてはならない笹川平和財団を目指してください。皆さんに私の気持ちをお伝えしたいということで無理やりお集まりいただき恐縮していますが、これからは皆さんの時代ですから、アフター・コロナで世界は激変すると言われている中、私も皆さん方に教えていただき、刺激を受けて、青年になったつもりで仕事をさせて頂きたいと願っております。
ご清聴ありがとう!

「北欧での日本研究」―9大学で― [2020年08月28日(Fri)]
「北欧での日本研究」
―9大学で―


今年で創設36年を迎えるスカンジナビア・ニッポン・ササカワ財団は、北欧のスウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、アイスランドが参加して、本部はスウェーデンにあるが、各国からは著名な方が理事として参加されており、日本との間に学術、教育と文化を中心に活発な交流が行われている。

今までに行った各国別の事業数とその国の人口を見ると、やはり「継続は力なり」を改めて再認識させられる。

           事業数     人口
デンマーク     1535件    約581万人
フィンランド    1214件    約551万人
アイスランド     305件    約35万人
ノルウェー     1438件    約533万人
スウェーデン    1809件    約1022万人
合計(北欧5か国)  6301件    約2722万人

この度、各国の更なる日本理解のために、特に熱心な9校の大学を選んで日本研究の講師のポストの設置と北欧の大学に在籍する博士課程の学生の日本研究助成プログラムが発足した。

デンマーク   オーフス大学
        コペンハーゲンビジネススクール
        コペンハーゲン大学
フィンランド  ヘルシンキ大学
        トゥルク大学
アイスランド  アイスランド大学
ノルウェー   ベルゲン大学
        ノルウェー科学技術大学
スウェーデン  ストックホルム商科大学欧州日本研究所

8月19日と20日の二日間、9大学参加による初めてのネットワーキングとコラボレーションの会議がオンラインで行われた。
以下は私の簡単な挨拶です。

*************

エリザベス・ニルソン・スカンジナビア・ニッポンササカワ財団理事長、各国で活躍されている理事のみなさん、お集まりの講師・フェローの皆さん。コロナ禍においてもオンラインを活用して北欧における日本研究の仲間が一堂に会する機会を設けていただいたことを嬉しく思います。

皆さんの研究する国への理解を深める一助になれば幸いと思い、若干、美しい国・日本について紹介をしたいと思います。

著名な政治学者であるサミュエル・ハンチントン氏は著書「文明の衝突」において、現在世界には主要な文明が8つあると言及しており、キリスト教文明、イスラム文明、中華文明などの1つとして東洋の島国である日本を紹介しています。2000年もの長きに亘り、日本は独立した文明を維持してきました。これは世界でも大変珍しいことです。

山川草木、森羅万象、自然の全てに生かされているという感謝の気持ちから日本独自の文明が育まれてきました。古来より、日本は春夏秋冬の区別が明確な美しい四季に彩られ、日本人は四季折々の自然を愛で、敬い、そしてその情景や想いを日本固有の和歌に託しました。

日本最古の歌集である万葉集には天皇や皇族、防人、農民など身分や性別を問わず幅広い人々の歌が収められており、彼らがその目で見て、感じたことが1200年の時を越え、色あせることなく現代に受け継がれています。

昨年日本は第126代天皇陛下が御即位され、新しい元号は「令和」となりました。「令和」の由来はこの万葉集にあり、「美しい調和」を意味します。

このように悠久の歴史と美しい自然、そして豊かな文化によって紡がれた、神秘的で奥深くそして味わいのある国が日本なのです。

ここにお集まりのみなさんが日本に興味を持ち、日本研究を選択してくれたことに敬意を表します。日本という国は、みなさんの溢れる知的好奇心を必ずや十分に満たしてくれることでしょう。みなさんの活動を通じて日本と北欧の距離が縮まり、共に「美しい調和」を奏でていくことを楽しみにしています。

ありがとうございました。


「エコノミストと国際会議」―母なる海は悲鳴を上げている― [2020年07月31日(Fri)]
「エコノミストと国際会議」
―母なる海は悲鳴を上げている―


日本財団では週刊誌「The Economist」を発行するエコノミスト・グループ(本部ロンドン)と笹川平和財団海洋政策研究所との共催で「海洋」をテーマに計3回にわたるウエビナー(オンライン・セミナー)を開催することになり、海の日の7月23日、その第1回が開催され、筆者も基調講演をした。

エコノミスト・グループは2012年のシンガポールを皮切りに米国やポルトガルなどで計6回、海洋経済の成長と海洋環境の保全を両立させるためのワールド・オーシャン・サミットを開催しており、今年3月には世界60カ国から政府関係者や研究者ら約700人が参加するサミットを東京で日本財団と同グループが共催する予定だった。

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)で見送りとなったが、併行して計画した本ウエビナーは予定通り実施され、当日はロンドン、東京、マレーシア、パラオなどを結んで、エコノミスト・アジア太平洋編集主幹(香港)の司会で進行、パラオのトミー・レメンゲサウ大統領や国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)のアルミダ・アリシャバナ事務局長らも発言、世界各国470人が参加した。

セミナーは、海洋を基盤とする経済再生を目指す「ブルー・リカバリー」が議論の中心となり、基調講演で筆者は「人類の生命を支える海の問題は、千年という超長期のテーマとして課題解決に取り組んでいく必要がある」と訴えた。基調講演の概要は以下の通りです。

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【エコノミストからの質問T】
「日本財団は海の現状をどのように捉え、どのような取組をしてきましたか」

今、人類は存亡の危機を迎えているのではないかと言わざるを得ません。それは、新型コロナウイルスのパンデミックによるものではありません。地球の生命を支えている「母なる海」が、人々の無秩序な海洋利用によって大変深刻な状態に陥っているからです。我々人類は何千、何万年にわたり海の存在を当然のものと考え、経済の近代化に伴い数十年にわたり海に大きな負担をかけてきたことを省みてきませんでした。

昨年9月、モナコで開催された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第51回総会では「海洋・雪氷圏特別報告書」が発表されましたが、既に海洋生態系システムにおいては「転換点」を超えたと考えられる現象が起き始めており、海洋、ひいては地球全体が危機的な状況であるとし、「いま選ぶ行動で未来が決まる」と警鐘を鳴らしました。特にこうした変動の影響を最初に大きく受ける小島嶼国や北極においては切実かつ喫緊の課題です。

海の温暖化・酸性化、漁業資源の枯渇、プラスチックごみの流入など、海洋を取りまく環境はまさに危機的であり、「母なる海」は静かな悲鳴をあげています。だからこそ、人類の生命を支える海の問題は、千年という超長期のテーマとして課題解決に向け取り組んでいく必要があると考えています。このまま放置すれば早晩、人類の生存にも重大な影響を及ぼすのではないでしょうか。

私たち、日本財団はこの海の危機に対して長年にわたり闘っています。日本財団の基本理念は、世界を1つの家族と捉え、政治・思想・宗教・人種・国境を越えた考えです。日本は、海の恩恵なしには生存しえない国家です。私たち日本人、そして世界の人々に多くの恩恵を与えてくれる海の問題を創設以来、基幹事業として重点的に支援してきました。

私たちは、30年以上前に、今日のような状況になることを予測し、人類の生存の鍵を握る海の状態に強い危機感を抱きました。「海に守られる日本から、世界の海を守る日本に変わらないといけない」。

このような想いから、長期的視点に立ち海を守る事業に重点を置いて事業を実施してきました。その取り組みは、150カ国から1400名以上の海の専門人材育成、北極海航路の開拓、マラッカ・シンガポール海峡の安全航行支援、太平洋島嶼国への支援、日本国の海洋基本法制定への尽力など多岐にわたります。

【質問2】
海の現状に鑑み、今後、どのような取組が必要と考えますか。本セミナーを通じて皆さんに期待されることがあれば教えてください。

海洋の問題が多様化、複雑化したことにより、私たちが想像するよりも早いスピードで海の危機は深刻化しています。海洋問題の解決には、あらゆるセクターが分野を超えて連携していくことが必要不可欠ではないかと考えております。

例えば、海の世界のデジタル化は、物流や漁業、航行安全、海洋観測、情報通信、安全保障など従来の海洋産業の構造を大きく変える可能性がある、まさに技術によるイノベーションです。すでに民間では、このような変化に迅速に対応し、新しいビジョンのもとでさまざまなビジネス展開が加速しています。

このように、海の世界では大きな変化が起きており、今や、従来の国によるトップダウンの政策ではなく、官民が積極的に連携して切り拓く海洋のニューノーマルの時代に突入しつつあるといえるのではないでしょうか。

このように、海の豊かさ、そして恵みを守り、持続的な利用を可能にしていこうという動きが、ようやく世界各国で起きつつあります。

しかし、残念ながら「人類の生存危機」という次元で海の問題を捉えている人は未だ多くはないと思います。各国の指導者や民間企業そして世界の人々が、人類の生存危機を認識し、海洋問題に対して行動していく必要があるでしょう。

今回、千年先を見据えて海の問題に取り組む、という日本財団の方針にエコノミストが賛同して会議を開催することができました。この会議で海洋の持続可能性について忌憚のない議論が活発になされることを期待しております。

今を生きる私たちには、「母なる海」を守り、千年先の人類に引き継ぐ責務があるのではないでしょうか。この重要な責務をまっとうするため、共に考え、共に行動し、そして共に歩んでいこうではありませんか。

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講演は東京・虎ノ門の笹川平和財団ビルから発信した

「私の生き方?」―インドで出版記念会― [2020年03月02日(Mon)]
「私の生き方?」
―インドで出版記念会―

2020年1月30日
於:Pravasi Bhartiya Kendra

驚きました。このように著名な方々に集まっていただきお祝いいただけるとは思っていませんでした。ジャイシャンカール外務大臣を初め、インド政財界の要路の方々にお越しいただいたことに、改めて感謝申し上げます。

ハンセン病は世界的な問題であることから、私の同僚である田南顧問からの強い推薦と努力で、英国のハースト社から『No Matter Where the Journey Takes Me』の出版の要請がありました。大変光栄なことに、世界的に有名な「Nature」という科学雑誌にたまたま私の本の書評が取り上げられるという幸運に恵まれ評価を受けるようになったということは、望外のことでした。

私は日本で10冊以上刊行していますが、一度も出版記念会を行ったことはありません。しかし今回は、ササカワ・インド・ハンセン病財団・タルン・ダース会長のご努力でこのような会となりました。

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私は若い時から、自分の人生をどのように生きるべきかを悩み、苦しみもだえてきました。しかし多少商売感覚があり、今でいうIT産業のはしりのような仕事を32歳のときに始めたことで、40歳の時には若干の財産を形成するに至ったわけです。

私の父は人道活動をずっとやってきており、特にハンセン病や弱者に対する思いは強く、正義感の強い人でした。時間のある限り父に同行して海外に行ったわけですが、韓国でハンセン病の病院がなく困っているという話を聞きつけ、病院を建設し、その開所式に同行したときの事です。

私はそれまで、ハンセン病患者の病室に入ったことがありませんでした。ハンセン病特有の臭いや体の変形した重症な人が収容されている病室で、父はごく自然に彼らの手を握り、ハグをして涙を流すという場面を目にしました。そこにいた方々は、韓国内の厳しい偏見や差別から家族からも捨てられ、ようやく病院にたどり着いた人ばかりでした。ベッドの上に座わり、ほとんど表情のない絶望感にとらわれた人達を見て、私は自分の生きている社会の中にこういう環境の人がいるのだと、その時初めて知りました。

父は、辛い、困った、疲れた、どうしようといった類の弱音を口にしたことは一度もありません。自身の両親がなくなった時でも涙すら流さなかった心の強い人でしたが、ハンセン病患者を抱きしめながら涙を流す父の姿を初めて目にしました。

私は先ほど申し上げたとおり、人生如何に生きるべきかと悩み苦しみ、事業で成功はしておりましたが、父の涙を見たときに、私の人生はこの仕事だと気がついたのです。

私は40歳で全てのビジネスをやめ、父の人道活動の世界に入りました。この地球上にたった1回の生きる機会を得て生まれてきた私が、どのような人生を過ごすかということは、私にとって大問題でした。その時から、私は死を意識しながら人生を歩むようになりました。人生の最後をどのように心豊かに死ねるか、死にたい。もっとこうやっておけばよかったとう悔いの残らない人生を歩みたいと覚悟したわけです。

シェイクスピアの戯曲に「終わりよければ全てよし」という言葉がありますが、時の権力者、大金持ち、あらゆる人間にとって死は絶対的な平等であり、当然のことながら、全ての人は最後は死ぬのです。どんな権力者であっても死ぬ間際が不幸だったら、その人の人生はその人にとって幸せだったのでしょうか。大成功して大金持ちになったとしても、死ぬ間際に家族といさかいが起きたり、もう少し社会のために尽くせばよかったといった反省があったのなら、その人の人生は幸せだったといえるでしょうか。

従いまして、私は死ぬために、死ぬ準備のために毎日働かせてもらっています。シェイクスピアの「終わりよければ全てよし」ではありませんが、よく頑張った、幸せな人生であったと、終末には思いながら臨終を迎えたいのです。どんな苦難があろうとも、私の人生は幸せだったと自身が納得できる死に方をしたいと考えています。

日本では「知識を持った人は行動をすべき」「行動するためには知識は必要だ」、行動と知識が一致する「知行合一」の人生こそ重要だという考え方が存在してきました。ともすれば、民主主義の時代、悪い言葉では口舌の徒という、口と舌だけで生きる人が多くいます。知識を持ったら行動を起こす、行動と知識を一致させる「知行合一」が私の人生の基本的な考えです。

そのためには、現場には問題点と答えがある。冷暖房の効いた快適な事務所で、部下から上がってくる報告だけを見て問題が解決出来るとは思えません。私自身の目で最前線の現場をみることで問題点が明らかにされ、解決策が出てくると考えるのが、私の生き方です。

その一部がこの本の中に書かれておりますので、もしお読みいただければ大変有難いことですが、何よりもハンセン病患者、回復者の皆さんと会うことによって、私の人生が心豊かなものになり、充実した人生を今、歩ませて頂いております。まだ81歳の青年ですから、これからも世界中を飛びまわり、ハンセン病の患者・回復者と共に歩むことができるということが、私にとって素晴らしい人生になりつつあります。改めてハンセン病患者との出会いに感謝申し上げたいと思います。

ありがとう。



「ハンセン病映画祭」 [2020年01月23日(Thu)]
「ハンセン病映画祭」


2020年1月20日付けの朝日新聞朝刊に掲載された「ハンセン病知る無料映画祭」について改めてお知らせします。

日本財団と笹川保健財団は、「Think Act Shareハンセン病」という取り組みを実施している。「Think Act Shareハンセン病」は、ひとりでも多くの人がハンセン病に対する理解を深め(Think)、ハンセン病の問題を通して全ての人が参加できる社会の実現を目指して活動を行い(Act)、運動の輪を広げる(Share)、という取り組みだ。ハンセン病を描いた映画を無料で上映する「ハンセン病映画祭」はその活動の一環で、1月23日(木)から始まる。

このほか、映画の上映に際して、ハンセン病の回復者らのトークショーや、国内外でハンセン病患者、回復者へのボランティア活動を行う学生によるショートムービーの上映などのイベントも予定されている。

ハンセン病はいまや薬で完治するが、社会の側に根付いた差別という病気は未だに多くの当事者を苦しめている。「ハンセン病映画祭」を通じて1人でも多くの方がハンセン病のことを知り、ハンセン病にまつわる差別のないインクルーシブ社会に向けて行動していくきっかけになることを期待している。


【上映スケジュール】

1月23日(木)19:00〜
2月21日(金)19:00〜
【上映映画】『ふたたび swing me again』
【場所】ユーロライブ、渋谷区

2月23日(日)13:00〜
【上映映画】『こんにちは金泰九さん〜ハンセン病問題から学んだこと〜』
【場所】国立ハンセン病資料館、東村山市

2月24日(月)13:00〜
【上映映画】『砂の器』
【場所】国立ハンセン病資料館、東村山市

3月29日(日)13:30〜
【上映映画】『あつい壁』
【場所】日本財団ビル、港区

「ハンセン病映画祭」の詳細については、こちらのリンクも参照されたい。 
「海洋開発の為の大学生海外派遣」―アメリカ、カナダ、ノルウェー、スコットランド― [2019年11月25日(Mon)]
「海洋開発の為の大学生海外派遣」
―アメリカ、カナダ、ノルウェー、スコットランド―


表題のように、海洋開発に興味のある優秀な大学生を4カ国で勉強していただき、その報告会が10月11日、日本財団で行われた。

2016年から海洋石油、天然ガス開発や洋上風力発電等に興味がある学生を派遣。既に397名が帰国して活躍している。

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海洋開発の現場を体験.jpg

余暇活動の様子.jpg


以下は激励のスピーチです。

皆さん、本日はお集まりいただきありがとう。
いいですね、若い人たちの顔を見るのは。日本の将来は明るいですよ!
政治の世界やメディアを見ると、少子高齢化で日本の先行きがどうのこうのといっていますが、いつの時代も若者が時代を切り開いて来たのが人類の歴史ですから、あまり爺さん達の言うことは聞かないほうがいいかと思います。

若い人にはね、チャレンジできるチャンスがあるです。もう我々みたいに年をとってくると、チャレンジするチャンスはないんです。だから「チャレンジ!チャレンジ!」で。とにかく、可能性を秘めた皆さんですから、大いにこれからの自分の人生、だいたい道筋がついているみたいですが、それは途中で変わってもいいんです。

今、日本は海洋開発について、海洋立国でありながら相当遅れを取っているのを皆さん方の力で挽回をして欲しいと、できることなら世界のリーダシップを日本が取りたいと思っています。そして、これが海洋立国日本の本来の政策であるべきですが、政府は他にも仕事がありますし、財政的にも問題があり、できないこともある。そこを日本財団、我々で出来ることはやっていこうと。特にあらゆる海洋問題についてリーダシップを取ろうということで頑張っているわけで、そういう中で皆さん方が海洋開発についてノルウェー、オランダ、スコットランド、あるいはアメリカに行って新鮮な驚きと体験をされて来たと思うんですけれども、それは一つの良いチャンスを掴まれたと思いますし、企業サイドも海洋開発をやっぱりきちんとやっていかなきゃという中で、おそらく皆さん方は、相当目をつけられているのではないと思います。

外国での異文化交流の中で、短いとはいえ体験してきたというのは、あなた方の将来にとって素晴らしい経験をしてきたことだと思います。もう日本財団のフェローは400人くらいになっているのかな?お互いネットワークを組んで、自分だけでどうのこうのではなくてね、縁があって集まった人たちのネットワークをきちんと組んで、情報の交換をしながら切磋琢磨していくという場が日本財団の奨学金、あるいはフェローシップの精神なんです。お金を出してある一定期間勉強してもらって「はい、さようなら」ということではなくて、逆にそういうチャンスを掴んだ人たちが、生涯に亘って日本財団との連携を深め、より多角的にあるいは先進的な仕事に取り組んでいこうという場が日本財団というプラットフォームです。

どうかそういう精神を忘れずに、日本財団との関係をこれからも続けていただきたいと思います。ありがとう!終わり!

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以下は2019年の海外派遣学生の一覧です。

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「海底地図の作成」―海水のない地球の形体は?― [2019年11月20日(Wed)]
「海底地図の作成」
―海水のない地球の形体は?―


海底の地形図を最初に作成しようとしたのは、モナコ王国のアルベール二世であったが、当時は科学的測定技術も未熟であった。

近年、日本財団はこれに着目し、イギリスのニューハンプシャー大学で人材養成をスタートした。その後、彼等が第一線で活躍するようになり、先般、シェル石油が主催するXプライズの世界大会に日本財団の海野光行常務理事が中心となった多国籍軍が応募、優勝し、賞金4億円を獲得した。

これを機会に、海底地形図の作成に弾みを付けるため、権威ある英国王立科学院において専門家会議を開催した。

以下は私の冒頭挨拶(原文・英語)です。

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報告会は格式高い王立協会で行われた


この質問をさせていただくことから開会のご挨拶を始めたいと思います。
地球の表面から海水を抜いたら地球がどのような形をしているか。これまで想像をしたことがありますか?

私は若い頃、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」を読み、海の底にある世界に夢を膨らませました。90年代半ばには潜水艇に同乗し、2,000mの海底まで訪れる機会に恵まれました。乗せていただいたのは操縦席1つしかない小型の潜水艇でした。私はパイロットの足の間にしゃがみこみ、かつて夢見た海の世界が目前に広がる様子を畏怖と共に見つめていました。潜水艇の中に流れるモーツァルトのピアノ協奏曲を背景に、マリンスノーが眼前に舞う海中の景色を眺めた体験は、なんとも言えず神秘的なものでした。

つまり、私たちの足元の海の下に広がる世界はロマンに満ちているのです。

しかし残念なことに、人類は自分達の住処である地球よりも宇宙に夢を描いて過去一世紀ほどを過ごしてきました。それは、私たちが本プロジェクトを開始した時点で火星の地形が完全に解明されていた一方で、世界の海底地形は全体のたった6%しか明らかにされていなかった事実に現れています。

海底地形の解明は未知なるフロンティアを明らかにするという単なる好奇心の充足に留まりません。海底地形の情報は、地球と人類の将来にとって大きな可能性を秘めたものです。海底地形の形状を把握することは様々な恩恵をもたらしますが、中でも船舶の安全航行、海の生態系の解明、津波や海面上昇の予測に貢献できると考えられています。

この恩恵の大きさを踏まえて、日本財団は世界の海底地形を明らかにする取り組みを前進させることが、私たちの人類に対する義務であると考えました。

2004年、日本財団はGEBCOと共に米国のニューハンプシャー大学において、海底地形図の新しい世代の専門家を育成する人材育成事業に着手しました。これまでに40カ国90名のフェローがこのプログラムを修了しています。そして、世界の海底地形を100%解明するという大きな目標を掲げ、「The Nippon Foundation-GEBCO Seabed 2030」を立ち上げました。

Seabed 2030の立ち上げに伴い、世界中から様々な企業、政府、研究機関が賛同を示し、プロジェクトは急速に拡大して参りました。本日、この場にお集まりいただいたのは、Seabed 2030を前進させることに貢献してくださった多くのパートナーや支援者のみなさまです。

私たちとビジョンを共にする全ての方に感謝申し上げます。しかし、全世界の海底地形を解明するにはまだ長い道のりが残されていることも忘れてはなりません。プロジェクトの目標達成を促進するにあたって、今後力を入れていかなくてはいけないと感じる領域が3つあります。

1つ目は未開拓海域でのマッピングの促進です。
世界にはデータが取られていない海域がたくさん存在します。これまで調査が難しかった海域のマッピングを促進するには、公的機関と民間セクターとの協力が重要であると思います。

2つ目はクラウドソーシングによる海底地形データの収集です。
データの収集をより早く進めていくにはより多くの人の参加が必要です。そのためには専門知識がない人達でもデータ収集に気軽に参加できるような仕組み作りが必要かもしれません。

3つ目はデータ収集の技術革新です。
ご存知の方も多いかと思いますが、今年の前半、無人での深海探査に革新をもたらすことを目指した国際コンペティション「Shell Ocean Discovery XPRIZE」でGEBCO-日本財団Alumni Teamが優勝しました。彼らはこのコンペティションを通して、今までは不可能とされていた水深4,000mでの無人測量を可能にするシステムを開発することに成功しました。

海底地形データをより効果的に収集するためには、XPRIZEを通じて開発された無人測量だけではなく、専門知識を持たない大勢の人達にデータ収集に参加してもらえるような技術の開発が必要となってくるのではないでしょうか。技術革新をより一層促進させるようなコンペティションを催すことができるよう、検討を進めていきたいと考えています。

世界の海底地形を解明する動きはSeabed 2030によって一気に加速し、過去2年で既に膨大な量のデータをGEBCOの海底地形図に取り込むことに成功しました。さらに、1年目の終わりに42団体だった協力団体は、2年目の終わりに106団体となり、今も増え続けています。

しかし、みなさまもご存知のとおり、世界の海底地形を100%解明することは決して容易なことではございません。今まで実施してきたことを継続するだけで到達できるゴールではないのです。このシンポジウムが海底のマッピングを加速させるための新しい取り組みを生み出すきっかけになることを願います。

私は現在80歳ですが、海底地形図の完成を見届けてから天国に行きたいと願っておりますので、人類共通の夢の実現のため、より一層のお力添えをよろしくお願いします。

ありがとうございました。

5登壇者との記念写真.JPG
登壇者との記念撮影


「日本財団創立記念日」―私の思い― [2019年10月30日(Wed)]
「日本財団創立記念日」
―私の思い―

10月1日
即興の挨拶です

今日は創立57年です。私はあまり過去を振り返るのは得意ではありませんが、日本財団は非常にユニークな組織であるということを、皆さん方には改めてしっかり認識してもらいたいと思います。

私は若い頃、General Motorsを世界的な企業に押し上げたアルフレッド・P・スローンJr.の著書であり、当時、経営の一つの聖書と評された「GMとともに」という本を読むなどしながらビジネスをしていた時期がありました。しかし40歳でビジネスを止め社会活動に入りました。

当時はコングロマリット、今はホールディングスといいますが、日本財団はホールディングスのような存在ですね。我々はこれまで、その時々の社会的ニーズに応えて、笹川平和財団、東京財団政策研究所、B&G財団、日本科学協会、笹川保健財団、笹川スポーツ財団、日本音楽財団等々、専門性を持つ多くの関連団体を設立してきたわけですが、これらは非営利組織におけるホールディングスとも言え、世界でも例がありません。

しかし誤解しないで下さい。ホールディングと言っても日本財団が関連団体を支配しているわけではありません。各財団は評議員会、理事会もあり、独立性のある組織です。日本財団との関係は縦より横のつながりと説明した方が良いかも知れません。日本財団は、このようなチャレンジングな仕事をずっと行ってきていますが、常に時代の変化に対応すると同時に、時代を超えた問題を提起し取り組んできた伝統があるわけです。少子高齢化も問題になっていますが、30年前に我々は将来を見据えて、スポーツ一つとっても、笹川スポーツ財団を立ち上げ、いわゆる競技スポーツよりも全ての人が健康にということで、生涯スポーツの分野にいち早く取り組んできました。

一つ一つ例を挙げればきりがありませんが、この日本財団という組織が世界的に大変チャレンジングな活動を続けている中で、皆さんが今存在していることを理解した上で、皆さん方にはさらなる未来志向のチャレンジをしていっていただきたい。

これからは若い人たちがもっともっと活躍をしてくれなければなりません。特に女性を積極的に採用してきました。それは、世の中が言うよりも前に、我々は女性の活躍する時代は必ず来ると考えていたからですが、残念ながら、いまだ女性の役員は出ていません。これは私としては非常に残念なことで、なんとか日本財団において、プロパーから女性の理事が誕生するために、女性の皆さんにはさらなる活躍を期待したいと思います。女性の採用については先進的に取り組んできましたし、今でも育児休暇などを踏まえた就業環境の整備を進めていますが、与えられた待遇に満足するだけでなく、上手に活用しながらより良い仕事をし、責任ある立場に立つように皆さん方に努力をしてもらいたい。

我々は革新的な仕事を未来志向でやっていく。そのためには我々自身が変化しないといけませんし、組織も変化していかないといけません。そうした躍動感溢れ、風通し良い議論が盛んに行われる中で未来志向の仕事を生んで欲しい。

ハンセン病制圧活動のように、30年40年やってきた仕事が、今や世界的に高く評価されるようになってきました。皆さん方が思っている以上に人々から日本財団が評価されてることは、大いなる責任を持ち仕事をしていく必要があるということです。自分に与えられた仕事に満足し、その中に埋没してしまうことがあってはいけません。日本財団の職員はあらゆる分野に配属されます。そうして私が言う「日本財団という方法」、いわゆる社会課題が見つけ、政治家、行政、学者、NGO、そしてメディアにも参加していただき、その問題を議論し、ある程度の方向性が見つかったらすぐ実践活動に入り、成功モデルケースを作り、関係者の参考にしていただくのです。

30年程前に一人部屋の老人ホームを作りました。当時の老人ホームは4人部屋、6人部屋が普通でした。専門家からも一人部屋などあり得ないと忠告されたことを思い出します。三箇所作った老人ホームは、全国の先駆けとなったのです。そういうことが出来る人材に一人ひとりがなっていってほしいのです。

今や日本財団自らが仕事をすると同時に、ホールディングスとして多くの関連団体と共に仕事をするケースも増えていくでしょう。皆さん一人ひとりが関連団体は何をしているか、どういう方向を向いてるかということも知って、総合力を発揮していかなければいけません。例えばB&G財団は、全国に470ヶ所もの施設を30年前から作ってきました。ほとんどが行政の行き届かない過疎地に作ってきました。今や、そこから育った多くの若者たちが市長や町長になっていますし、子供のスポーツのために開設していった施設ですが、今や老人の健康関連の仕事もできるようになり、この施設のネットワークが今度は子供の貧困対策も手がけていく。さらに、日本財団が持っている防災に関するノウハウを彼らと共有して防災拠点として活用し、地域の災害ボランティアも育成していく。

これから日本財団は、どれだけ関連団体と連携してやっていけるかが大変重要になってきます。これは1+1が5にも10にもなる関係です。実はそういうネットワークの強化は、すでに奨学事業において各国での奨学生たちとの連携を大切にしながらやってきています。

ネットワークの有効性の例を一つ挙げます。今回、世界の海底地図の世界大会において、海野常務が長く温め育ててきたチームが、世界各地から有力なチームが参加したシェル石油の主催する海底地図の作成コンペで優勝し、賞金4億円を獲得しました。このチームには本部も何もありません。日本財団のフェローがネットワークを組んで参加して優勝したのです。こういう例に対して、ただ「優勝したんだってね」と見過ごすのか、何故本部も何にもないチームが優勝したんだろうかと思って好奇心を持つことによって、皆さん方の能力の発揮の仕方が全然違ったものになってくるわけです。我々のチームは多国籍の混成チームだが、本部がない単なるネットワークだった。しかしなぜ、ネットワークでそのように力が発揮できるのか。それには皆さん方が使っているスマホや情報器具の活用が有効に機能したのです。そういうことに興味を持っていただければ、なるほどこれからはネットワークの時代だ。何も拠点や本部を設置し人件費をかけてなくてもできる方法があるんだなと。こういう方法を何とか我々も使えないものだろうかというように考え、発展していくわけです。日本財団は、自ら仕事をすると同時に、自らが一つのプラットホームとして、先ほども触れた「日本財団という方法」を実践していくことが求められます。

皆さん方には私の本を差し上げていますが、残念ながら、読んでくれたのは半分にも満たないと聞き驚いていますが、やはり、ここで私の話を聞くだけではなく、本をきちっと読み、その中からどのような歴史を踏まえて今日の財団があるかということを知り、皆さん方の個性をその中にプラスし、一人ひとりが素晴らしい活躍ができる。そういう組織体になっていく必要があります。

我々は組織も変えます。事務所のあり方も変えます。働き方も変えていきましょう。未来志向の仕事がきちっとできるネットワークを構築し、日本財団はどういう存在になりたいのかということを考えて下さい。自分はどういう立場なのだろうかだけではなく、どうなりたいのか、どうしたいのか。皆さん方が日本財団を希望して入られたときの初心というのは一体何だったのかという事を常に考えながら、自分自身の能力を高めていってほしいと思います。

自己研鑽さんは当然の話です。「人材を育成してほしい」と、ともすれば受身になりがちです。人材養成は日本財団にとっても大切なことです。すでに海外留学制度も皆さん方の希望の中から実現しました。しかし、与えられるだけではだめで、最後は自助努力です。私たちは皆さん方が自分自身の力を発揮出来るための補助線は当然引いていきます。しかし、情報を共有するためにも努力をして欲しい。私は知りません、聞いてません、ということを言う方がいます。知らないことは尋ねてください。待っていても情報が来るツールも出て来てはいますが、積極性がないところで革新は起こりません。やはり自らが変わり積極的に行動を取る姿勢こそ、人材養成の基本ではないかと私は理解をしています。

一般的な財団は、血眼になってファンドレイジングに取り組まないと自分たちの仕事ができません。ところが日本財団は、ファンドレイジングをしなくても毎月、毎年自動的にお金が入ってきます。そういう組織は世界中探したってありません。みんな非営利団体は、ファンドレイジングに命をかけなければいけない。我々のお金がいかに大切なものかということに対する私たちの理解は、もう少し真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

今や、稼ぐ方の皆さんが血眼になって努力してくださって、今年もボートレースの売上は17%の伸びです。1日遊んでいただいているお客様の平均購買額は6,000円程度です。皆さん方がディズニーランドに行くよりも安いお金で多くのファンが楽しんでくださっているわけです。6,000円の中から、私達が頂戴してるお金は約3%ですから、180円を1人からいただいているわけです。皆さん方がやっている仕事の桁数はどの桁ですか。何百万円の仕事でしょう。1万人の人に舟券を買っていただいて180万円。180万のお金を日本財団が得るためには1万人の人がここ日本財団から行列する様子をイメージしてください。1万人の人がここから並んだら東京湾に届きます。ここから約3キロですから。それで180万円のお金をいただく。皆さん方は、そういうファンの何十万、何百万人分のお金を使ってるわけです。私たちが使うお金は公金です。株式会社のお金とは違います。心してください。1日も忘れてはいけません。多くのボートファンからお預かりしたお金は公金ですから、株式会社が稼いだ利益のお金とは意味合いが全然違います。ですから私達はこのお金を使うことに、大変重い責任があるのです。

私は40歳まで仕事してある程度の成功を納めました。今で言えばIT企業の走りをやったようなものです。しかし私の経験から、お金は稼ぐより意味あることに使う方がはるかに難しいことです。先ほど来言ってるように、皆さん方の努力で非常に評価をされる日本財団になってきました。私達は慎重に、でも大胆に行動しましょう。しかしそういうことを可能にしているのは、日本財団の総務や経理、そして監査という部署がしっかりしているからです。これも世界の公益法人では珍しいことで、自ら監査の業務も行っている組織は世界にありません。公金を私たちは透明性と説明責任をしっかり持って使い、仕事していくという大きな方針の中で、努力を続けています。

私が常にお願いしているように、お金を活用する皆さん方にはコスト意識をしっかり持っていただきたい。昔は丸めた数字で助成金額が出されましたが、あるとき理事会で非常勤の理事から叱られました。何千万円という整った数字ばかりあり得るのだろうか。しっかり計算しているのか。コスト計算はどうなっているのかと。私たちはそういう大きな公金を預かる身の引き締まる立場にいることを常に忘れないで仕事をしていく必要があります。私たちの過去の経験からもう一度原点に戻り、公金を預かる大切さをみんなで改めて認識を共有したいと思います。

未来志向の日本財団が、ユニークなホールディングスとしての立場をどう堅持して発展させていくか。全ては経験のない分野にチャレンジしてきた結果です。未来志向の変化変化、また変化です。それを皆さん方がやっていかなくてはいけない。もうすでに十分やっていただいていますが、まだまだあなた方は若いから可能性があります。失敗なんて恐れることはありません。ともすれば、公金という観点が強すぎて保守的な仕事のやり方に陥っている部分がちらほら見られます。しかし、そこはきちっとけじめをつけ、熟慮断行、勇断を持って未来志向の仕事にチャレンジしていきましょう。

この世界はテキストがありませんが、皆さん方には、ネットワークをうまく組み立てるキーパーソンになってほしい。海洋の世界で言えば、海野常務が世界の海のキーパーソンの一人になっています。これとこれとこれを繋げればこうなるという絵が描ける。そういう人になってください。政治家、専門家、役人、学者、NPOと連携して社会課題解決へのモデル事業を実践し、地方自治体や国の政策に反映させましょう。これからも我々に与えられた課題は大きいし、チャレンジする部分がたくさんある。こんなにうれしいことはありません。しかし船に例えれば、航路のない世界に出ていくわけですから、当然リスクも伴います。しかし度々皆さん方に伝えているように、全ての責任は私が取ります。私は逃げません。皆さんの責任は私が取ります。遠慮なくチャレンジングな仕事に邁進してください。
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