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「初めての世界島嶼国海洋会議 その2」 ―総括と要人会談一覧― [2026年06月15日(Mon)]

「初めての世界島嶼国海洋会議 その2」
―総括と要人会談一覧―


6月12日の報告の通り、日本財団は、6月3日・4日の二日間にわたり、IOC-UNESCOおよび外務省のご協力を得て、世界で初めての世界島嶼国海洋会議を東京で開催しました。以下は、同会議の共同議長としての私の総括スピーチ(原文英語)と、4日間にわたる要人とのマラソン会談の一覧です。

********************
総括セッションスピーチ

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最終日の総括セッションでスピーチする筆者


お集まりの皆さん。この2日間にわたる極めて実り多い議論を締めくくるにあたり、共同議長を務められたパラオ共和国のサランゲル・ウィップス・ジュニア大統領、IOC-UNESCOのヴィダル・ヘルゲセン事務局長、そして常に世界の海洋問題を力強く牽引してこられた、ピーター・トムソン国連事務総長海洋特使、そして何より共催として多大がご尽力を頂きました日本国外務省に、深く感謝申し上げます。

この2日間、海に囲まれ海に生きてきたからこそ、海洋の未来について、最も切実な知見と経験を持っておられる皆さんによる、大変率直で、実践的で、そして未来志向の議論が交わされました。そして、この議論に基づき、“by the island states, for the island states” の精神のもと、島嶼国自身の意思による方向性が示されたことを、大変嬉しく思います。この方向性に基づき、島嶼国自身が主体となって世界とつながり、未来を切り拓いていくための、「人」と「場」と「仕組み」を共につくることが出来るよう、日本財団は3つの柱から構成される「オーシャン・ステーツ・イニシアティブ」を提案したいと思います。

第一の柱は、「人材育成」です。私たちは国連などの国際機関と連携して、海洋と海事の幅広い分野で、158か国、2032人の専門家の育成を進めて参りしました。本イニシアチブでは、島嶼国が「今」、直面している課題を速やかに解決できる最先端の知見と専門性を持った島嶼国の人材育成をさらに強化するとともに、そうした人材を支援して、地球規模の海洋政策に島嶼国各国の声を反映させるお手伝いをする、世界各国の人材の育成にも、より一層、力を入れて参ります。

第二の柱は、「人をつなぎ、力を引き出す場」の構築です。本会議のレガシーとして、「OCEAN HUB」と呼ばれる新たな拠点の設置を目指したいと思います。「OCEAN HUB」は、本会議に参加いただいた35か国の代表をはじめとした、ここにいらっしゃいます皆様との繋がりを、一過性のものではなく、恒久的な枠組みにするための拠点です。そして、300人を超える世界各国の専門家の皆様とともに形づくってきた本会議の成果を集約して昇華させ、日本財団の新たな事業の開発など、具体的な行動に繋げていく「ハブ」となります。

第三の柱は、「世界各国と国連を巻き込む革新的事業の開発」です。現在、IOC-UNESCOでは、ノルウェーをはじめとする関係国と連携しながら、島嶼国による「持続可能な海洋計画」の策定を支援する新たな取り組みが検討されています。日本財団としても、この構想を強く支持し、シードマネーを提供することで、その立ち上げを後押ししたいと考えております。さらに、この取り組みを、IOC加盟国による支援を呼び込みながら、より大きな国際的プログラムへと発展させていきたいと思います。

お集まりの皆さん、「人類共有の財産である海洋」の未来は、一部の国や機関だけによって守ることは出来ませんし、守られるべきものではありません。だからこそ、私たちは、立場を超え、地域を超え、世代を超えて、共に協力していかなければなりません。日本財団は、この「オーシャン・ステーツ・イニシアティブ」を着実に前進させるため、今後10年間で約1億米ドル規模の支援を行う考えです。しかし、この取り組みは、日本財団だけで実現できるものではありません。是非ともここに集った皆さんにも、「オーシャン・ステーツ・イニシアティブ」に参加いただき、共に知恵を持ち寄り、共に行動し、共に「母なる海」の恵みを、百年先、千年先の未来へつないでいきましょう。

そして私は、本会議が一度限りの会議で終わることなく、島嶼国自身の声によって未来を切り拓く継続的な対話の場として発展していくことを願っております。その思いを込めて、5年後の2031年に、第2回世界島嶼国会議を再び東京で開催したいと考えております。

改めまして、この素晴らしい会議を共につくり上げてくださったすべての皆さんに、心より敬意と感謝を申し上げます。ありがとうございました。(了)


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以下、要人とのマラソン会談の一覧です。

@スランゲル・S・ウィップス・Jr.・パラオ大統領
Aヒルダ・ハイネ・マーシャル諸島大統領
Bマリアンネ・シーヴェットセン・ネス・ノルウェー漁業海洋政策大臣
Cエドゥアルド・マルティネス・ディアス・キューバ副首相
Dラーマリンガム・チャンドラセーカル・スリランカ漁業・養殖・海洋資源大臣
Eマーク・ブラウン・クック諸島首相
Fサクティ・ワヒュ・トレンゴノ・インドネシア海洋・漁業大臣
Gデルヴィン・オニール・トーマ・ナウル環境管理・農業大臣 兼 気候変動・国家強靱化大臣
Hマシュー・サミューダ・ジャマイカ水・環境・気候変動大臣
Iジャン・マハラヴォ・マダガスカル漁業・ブルーエコノミー大臣
Jジミー・コンスタンティーノ・ガルシア・サビニョン・ドミニカ共和国国立海洋庁長官
Kマーティン・モレティ・キリバス法務大臣
Lイラナ・V・セイド・Alliance of Small Island States(AOSIS)議長
Mファン・ミゲル・トラスモンテ・クナ・フィリピン環境天然資源大臣
Nイブラヒム・ミムラ・モルディブ気候変動・環境・エネルギー担当国務大臣
Oウォレス・ジュード・キース・コスグロウ・セーシェル首席大臣 兼 漁業・農業・ブルーエコノミー大臣
Pアンソニー・シャマリ・スミス・ジュニア・アンティグアバーブーダ農業・土地・漁業・ブルーエコノミー大臣
Qコンロイ・ハギンズ・セントビンセント・グレナディーン諸島漁業・海洋・国土保全及び気候レジリエンス大臣
Rムハンマド・ビン・ムバーラク・ビン・ダイナ・バーレーン石油・環境大臣兼気候変動担当特使
Sエリナ.P.アキナガ・ミクロネシア資源・開発大臣
㉑フェレティ・ペニタラ・テオ・ツバル首相

「初めての世界島嶼国海洋会議 その1」 ―成功裡に終了― [2026年06月12日(Fri)]

「初めての世界島嶼国海洋会議 その1」
―成功裡に終了―


6月3日・4日の二日間にわたり、日本財団はIOC-UNESCOおよび外務省のご協力を得て、世界で初めての世界島嶼国海洋会議を東京で開催しました。島嶼国35ヶ国の国家元首や担当大臣、それに20を超える国際機関を含め、約300名が出席し、特に深刻化する島嶼国の気候変動による海面上昇、異常気象、温暖化によるサンゴの死滅等々、様々な海洋問題が積極的に議論された。

天皇陛下御臨席の上、英語でお言葉を述べられ、なお異例なことにIOC-UNESCOのヘルゲセン事務局長や国連事務総長海洋特使のピーター・トムソン氏の基調講演をノルウェー王太子と共に拝聴された。加えて、国家元首の方々とも親しく挨拶され、この光景を目の当たりにした参加者に深い感銘を与えて下さった。高市首相も挨拶で、島嶼国への我が国の関心を一層深めると発言され、ご多忙の中、官邸でも各国の国家元首との会談をセットして下さった。

主催者がこの会議を評価するのは如何なものかとも思いますが、ともすれば大国中心の国際会議が多い中で、世界の島嶼国が一堂に集まった国際会議はこれが最初であり、これからトルコで開催されるCOP31をはじめ、海洋の国際会議が続く中で日本の存在をアピールした素晴らしいキックオフの国際会議であったと素直な感想を多くの出席者から頂いた。

二日間の会議中、私は各国の大統領、首相、閣僚らと21回の二者会談を行い、相互理解と友情を温めることが出来た。以下は、原文英語による開会式でのスピーチです。

********************
開会式スピーチ

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天皇陛下の御臨席を仰いだ開会式でスピーチする筆者


天皇陛下の御台臨を仰ぎ、また、ノルウェー王国ホーコン王太子殿下、高市早苗内閣総理大臣、パラオ共和国ウィップス大統領、をはじめ、35ヶ国の代表者並びに20を超える国際機関の指導者の皆様をお迎えし、ここに「アイランド・ステーツ・オーシャン・サミット」を開催できますことは、誠に大きな名誉であります。主催者を代表し、御参集賜りましたすべての皆様に、心より御礼申し上げます。

四方を海に囲まれた日本は、古来、すべての命を育む海を「母」にたとえ、敬い、慈しんでまいりました。我々島嶼国は、「母なる海」と美しい調和の中に生き、その恵みとともに栄え、また運命を共にしてきました。

日本財団は、1962年の設立以来、海洋の保全と持続可能な利用の推進に取り組み続けてまいりました。とりわけ、同じく島国日本に生きる「島嶼の民」として、相互扶助と連帯の精神のもと、人材育成をはじめとする支援を通じ、五十年以上にわたり島嶼国との協力を積み重ねてまいりました。

本会議は、まさにその長年の協力の延長線上に位置づけられるものであります。その原点は、1988年、父・笹川良一が太平洋島嶼国の首脳を日本に招いた「太平洋島嶼国会議」に遡ります。この枠組みは後に日本政府へと引き継がれ、今日のPALM(太平洋・島サミット)へと発展し、日本と島嶼国との連携の礎の一つとなっております。

今日、島嶼国は、気候変動による海面上昇や異常気象といった深刻な脅威に直面しております。これらの課題は、もはや一国や一機関のみで解決できるものではありません。本会議を通じ、我々は知恵と決意を結集し、世界的な連帯と行動を喚起していかなければなりません。そして、「母なる海」の恵みを、次の世代のみならず、百年後、千年後の未来へと受け継いでいくことは、今を生きる我々に課せられた責務であります。本会議が、人類が直面する大きな課題を乗り越えるための、世界的行動への第一歩となることを、心より願っております。

改めまして、ご多忙の中ご参加くださいました皆様に、心より感謝申し上げますとともに、本会議が実り多きものとなりますよう、共に力を合わせて参りましょう。ありがとうございました。

「遺言セミナー」 ―人生の締めくくりに遺言書の作成を― [2026年02月09日(Mon)]

「遺言セミナー」
―人生の締めくくりに遺言書の作成を―


日本財団は本人が亡くなられた後も平和で幸せな家庭を続けていただきたいと願い、全国で遺言書の作成セミナーを展開しています。先日横浜でセミナーを開催し、冒頭挨拶を致しました。

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私がなぜこの遺言書の運動を始めたかと申しますと、私も多くの友人知人がおり、そのご本人がご健在の時には、大変穏やかで幸せなご家庭であったのに、ご主人様やお母様が亡くなられた途端に、家族の中で争いが始まってしまうというケースをたくさん見てきたからです。そういうことで、やはりご本人様が亡くなられた後も、お元気な時と同じように残された家族が穏やかな生活を続けていくためには、しっかりとお気持ちを遺言書という形で書き残しておいていただくことが、残された家族が平和に過ごす方法だと思います。

中には、私の知っている人でも、20年以上も裁判で争っているという方もいらっしゃいました。例えば、亡くなられた途端に、葬儀の時の写真をどれにするかで、もうアルバムをひっくり返して、あれだこれだと言い合いになります。大概、女性と男性で選ぶ写真が違い、悲しみの中で感情も高ぶっておりますから、そういう写真一つからいさかいが始まり、もちろん残された財産をどうすべきかで争いになって、中には裁判沙汰にまでなっています。兄弟が口をきかないどころか絶交状態で、会うのは裁判所だけ、なんていうケースもありました。やはり残された家族のために、きちっと書き置くというのは、外国では当然のこととされておりますが、日本ではまだまだ普及しておりません。ですので私は全国を回って、遺言書をきちっと残しましょうという運動をさせていただいているわけです。

私自身も87歳にもなりました。今から81年前、私が6歳の時、1945年3月9日、10日の夜にアメリカによる大空襲がありました。まだ私は6歳でしたけれども、母親が高熱で寝ておりまして、たまたま家には母親と私の2人だけでした。空襲警報が鳴り、防空頭巾をかぶって、水筒をかけて、そしてお米を一升、背中に背負い逃げました。私は浅草の雷門の近くに住んでおりました。第一次避難所は菊屋橋郵便局で、今もありますし覚えておりますが、油の爆弾でしたから木造の家屋を全部焼き尽くし、火災が起こると非常に強い風が吹いて、立ってもいられないような状態の中で、雨あられと焼夷弾が降ってくる。我々の町内会はみんな、第一次避難所の郵便局が危ないから次の場所へ、ということで、隅田川に第二避難所として逃げましたが、私自身はどういうわけか水が怖くて、行くのが嫌だということで、座り込んでしまいました。町会長さんがいろいろ説得してくださったんですが、私は何としても嫌だということで、結局、「じゃあ明日の朝また会いましょう」ということで、地面に私が座り込んでいるところで、皆さん手を振ってくださった。その笑顔が、80年以上経っても、時々夢の中に出てきます。

雨あられと降ってくる焼夷弾で、行き交う人はみんな背中に火がつきました。焼夷弾が落ちるとポーンという音がするのですが、バーッとはね返ると火がついて、生きているまま焼き殺される悲鳴も、時々まだ、80年も過ぎて夢に出てきます。幸い道路の隅の方を逃げていたものですから、ことなきを得て奇跡的に助かりました。町内会の多くの人が亡くなりました。たった2時間半で10万8,000人が殺され、数十万戸の家が焼けるという悲惨な、いわばホロコーストを生き抜いてきたわけです。そういう幼児体験が、この日本財団というところに勤め人道活動をさせていただくきっかけになりました。

世の中には、なかなか目に触れにくい困難な生活をされている方も、実はたくさんいらっしゃいます。例えば先般私は新聞を見て「これはすぐ応援しなきゃいけない」と言ったのは、私の知人も先般子どもがたった7歳で小児がんで亡くなり本当に家族が悲嘆に暮れていましたが、そういう小児がんの子ども、難病の子どもたちの支援も、日本財団の一つの柱でもあります。かつては目の不自由な人たちの支援として盲導犬をたくさん育成した経験もありますが、その犬を小児がんの子どものベッドのそばに置いてあげると、本当にその犬を可愛がって、寂しさを紛らわすのです。けれども、なかなか寄付者がいない。寄付が足らないということで活動がうまくいかないということがあり、昨日は電話をしましてそういう犬をたくさん養成してくださいとお願いしました。

複雑な社会になってまいりましたので、国でも行政でもできないような問題が数多く存在いたします。特に日本財団は未来を背負う子どもたちのための活動をしておりますが、小学生100人のうち34人の子どもが傷ついてるのです。日本財団の「18歳の意識調査」にも出てきますが、100人のうち34人の子どもが、何らかのハンデキャップを背負っている。もちろん、ひとり親で、お母さんが夜のお勤めだから夕ご飯はもう一人で食べなければいけない、朝はお母さんが寝てるのでその間に学校へ行き、帰ってくると家ですることがないからスマホを見ながら過ごして、カレーライスが食べられない、そういう子もいました。また別の子は500円玉一つもらって生活をしてましたから、焼きそばばっかり食べていたので栄養も不良状況ということもありました。

そういう子どもたちのために、第三の居場所という、学校でもない、家庭でもない場所で、素敵な施設を建てました。そこで食事もできれば、宿題も教えてくださるというような施設を作っております。あるいは不登校の子どもたちもたくさんいますし、様々な病気を抱えている子、あるいは両親が病気で、ヤングケアラーといって、お母さんやお父さんのお世話をするために学校に行けない子もいます。実は私もヤングケアラーを経験してきました。私は母親が病弱でしたので、小学校4年から薪を燃やしてご飯を作ることをちゃんと覚えました。皆さんなら「竈(かまど)」という言葉もご存知かと思いますが、竈に薪をくべてご飯を作ったり、料理をするということをしてまいりました。そんな経験もありますから、何か世の中のためになることをしたいということで、この財団に勤めさせていただいております。しかし本当に様々な困難な生活をされている方がたくさんいらっしゃるのが現状です。

しかし、大変ありがたいことに世界で日本だけかもしれませんが、日本には「利他の心」があります。外国では宗教心に基づいて教会に寄付をしたり、お寺に寄付をするという習慣はありますが、一般の社会に対して寄付をするというのはあまりありません。日本は昔から「利他の心」といって、自分がまあまあ生活をしているのは社会の一員として生活しているんだから、何かやっぱり社会のためにも奉仕をしたいという、日本人の持っている美徳があります。2年前の能登の地震の時には、日本財団になんと17万人の方からご寄付をいただきました。沢山の若い方々が300円とか500円を、テレビの放映を見て「自分は何もできないけども、何か人様の役に立ちたい」ということで、ご寄付をしてくださるわけです。大阪には八百八橋といいまして、800を超える橋がありますが、その9割近くは個人の寄付でできた橋だと、かつてアサヒビールの社長を勤められた樋口さんから聞いたことがあります。世界で日本だけが、宗教心に基づかない「利他の心」、すなわち社会の一員として生活してきたんだから社会にも一部還元をしなければいけないな、という気持ちを持っている方々が多く暮らしているのです。

しかし、そこで問題が一つあります。それは、そういう方々のお気持ちを十二分に理解しないで、お金だけ寄付していただいて、何に使ったかの説明もなければ、いくらお金が集まったという説明もない団体も正直沢山あるということです。例えば新聞社だとか放送局が災害のときに募金活動されますよ。しかし一体いくら集まって何に使ったかっていう説明は、聞いたことがありません。寄付者に対して大変失礼なことですし、その一方でメディアの人は「日本には寄付の文化がない」と偉そうなことを言います。そうではありません。寄付をいただいた側に責任があるのです。私は自慢ではありませんが、朝6時半から仕事をしております。6時半から何をしているか。お礼状書きです。1万円以上いただいた方には必ずお礼状を書く、これは当然なことだと私は思っていますが、なかなかそういうことはされません。いただいたお金はお預かりしたお金ですから、私たちが使うのではなく、それぞれの寄付者のご希望に沿ったところに使わせていただくわけです。つまり一時預かりをしているわけですから、それをどのようなものに使ったということは、きちんと説明する責任があります。

この前、トンガで海底地震がありました。多くのメディアもお金を集めました。一体どこに行ったか、一切発表はありません。日本財団は決して現金では渡しません。というのは、現金は関係者の懐に入ってしまう可能性が高いからです。ですからトンガの場合には、我々は品物で渡すために首相にも会いました。そして担当者が3回も現地に足を運び「何が住民のためになるか」を確認し、最終的には、村人が集まるコミュニティホール、そして災害によって漁師が船を失ったので、小さな船を30隻作ってほしい、ということが確認されました。結局、寄付者に対する説明責任を果たすのに3年半かかりました。しかしトンガに行ってみると、あれだけ日本中でお金を集めたのに、何か建物が建ったのかいまいちわからない、というのが現状です。従いまして、私たちはお預かりしたお金というものが、いかにきちっと寄付者の気持ちを汲んで使用されることは勿論、説明責任と透明性を持って、しかも人件費には使用しないということが大事であると思っています。日本財団は間接経費には一切使わないということを徹底しています。

先ほど申し上げましたように、穏やかな生活を後々までご家族の皆さんができるように、遺言書だけはぜひともお書きをいただき、もしお気持ちがあって、社会のためにも使ってほしいというお気持ちがありましたら、遺贈という形で使わせていただきます。日本財団には現在400通を超える遺贈寄付の書類をお預かりさせていただいています。最近、「遺贈」という言葉が様々な広告にも出るようになりましたが、これを始めたのは日本財団であります。しかし、この遺言書を書くのがまた大変な作業であります。心の中でモヤモヤモヤして「早く書かなきゃいかん」と思いながらも、なかなか手がつきません。遺言書を書くためには、実は決断がいるものです。年末、あるいは正月休みに、いろいろ考えるのですが、「まだ元気だからいいや」となり、先延ばしになってしまいます。しかし、ひとたびお書きになると、胸の内、頭の中に残っていたことにケリがつくということもあり、遺言書を書かれた方はみんな元気になります。胸のつかえがすっと降りたというようなお気持ちになるそうで、「もういつ死んでもいいわ」というような気持ちが、逆に元気にさせるようです。

ですから、幸せなご家庭をお持ちの方、またお一人様の方もいらっしゃいますが、皆さん社会の中で本当に艱難辛苦を乗り越えて、いろいろ辛いこと、悲しいこと、人生いろいろあったと思います。しかし人間には大変素晴らしい能力があると私は思っています。それは、ご苦労されたこと、辛かったことは、時間が経つと、「記憶の美化作用」で懐かしい思い出になるのです。幸せなことが長く続くと、記憶に残るようなことはあまりありませんが、辛かったこと、悲しかったこと、嫌だったことが、時間が経つと、それが記憶の美化作用で、「よく人生頑張ってきたな、ここまで来たな」という気持ちになります。そういう意味でも、ぜひとも皆さん方にこの遺言書を書くことをお勧めします。

何遍も申し上げますように、心の重荷が下りると非常に楽な生活になりますので、思い切って遺言書を書きましょう。出来ればその中に遺贈を入れて頂くと尚有難く、日本財団は公益財団法人ですから遺贈には税金がかかりません。どうぞ皆さん、遺言書を一日も早く書くようにいたしましょう。私の拙いご挨拶でしたが、私の経験も含めてお話をさせていただきました。今日は寒い中、ありがとうございました。

「ウッズホール海洋研究所」 ―100周年記念メダル受賞― [2025年11月05日(Wed)]

「ウッズホール海洋研究所」
―100周年記念メダル受賞―


ウッズホール海洋研究所は、アメリカ・ボストン郊外に位置する海洋研究機関で、広大な敷地には77棟の建物が立ち並び、1000人以上を超える研究員が所属しています。物理海洋学、化学海洋学、地質海洋学、生物海洋学、工学など、海洋に関するあらゆる分野の研究を行っており、年間予算は約3億3000万ドル(1ドル=150円換算で約500億円)にのぼります。まさに世界一の海洋研究所です。

1977年にはガラパゴス沖の海底で世界ではじめて深海熱水噴出孔を発見。また、沈没した豪華客船タイタニック号の発見でも注目されました。

創設は1930年で、2030年には創立100周年を迎えます。今年は創立95年であり、100周年まで5年もあるにも関わらず、なぜか10月16日に100周年記念メダル授与式が行われ、モナコのレーニエ大公とともに、不肖筆者も受賞者の一人として選ばれました。以下、授与式でのスピーチ(原文英語)を掲載します。


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ウッズホール海洋研究所のピーター・メノカル所長からメダルを授与される


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センテニアル・メダル受賞の祝福を受ける


*******************
「センテニアル・メダル」受賞式


ピーター・メノカル・WHOI所長、ダイアン・フォスター・WHOI部長、ラリー・フィッシュ・WHOI理事、お集まりの皆さん。まずもって、95年にわたり、海洋科学の最前線で世界を牽引し、深海探査から気候変動の解明、そして海洋生物の研究に至るまで、人類と海との関わりを大きく前進させてきましたウッズホール海洋研究所に敬意を表します。その卓越した功績で、国際社会に計り知れない貢献をもたらしてきウッズホール海洋研究所から、2030年の創立100年を記念したまさに未来志向の「センテニアル・メダル」という栄誉を賜ったことは、私にとりまして大きな光栄であり、心より深く感謝申し上げます。

ともすると我々人類は、陸上のことや宇宙のことには大変な関心を持って開発を進めてきましたが、地球の7割を占め、生命を支えている海の重要性については残念ながらあまり注目していませんでした。日本におきましては、この偉大なる海ことを『母なる海』と呼んでおります。こうしたなか、日本財団は「海洋の存在なくして人類の存在なし」という考えのもと、海洋の重要性のみならず、その悲鳴に耳を傾け、海を守る取り組みを50年以上続けております。本日は少しだけその活動について紹介したいと思います。

我々は多様な海洋問題に対処しうる人材を185ヶ国から1900名以上育成してきましたし、海をより理解するべく、全世界の海底地形を2030年までに100%解明する事業であるSeabed2030、10%しか解明されていないと言われる海洋生物の新種発見事業であるオーシャン・センサスも手掛けています。未知の海洋生物の発見は心を躍らせるものがありますし、何より植物や昆虫の分類学は発達しるものの、海洋生物に関する分類学は世界的に未発達であることから、新たな海洋生物の発見とその分類学の確立は86歳になった私の夢の一つでもあります。

また、海洋環境の面では、7〜8割は陸地起源と言われている海洋ゴミの増加を防ぐべく陸地でのゴミ拾い活動をスポーツ化し世界大会を開催している他、廃棄漁網を活用しバッグなどの新たな製品を生み出すリサイクル活動にも従事しています。そして、海面上昇などで国家存亡の危機に瀕するなど真っ先に影響を受ける世界の島嶼国の声を結集して世界に発信できるよう、来年6月には世界島嶼国会議を日本で開催する予定でおります。

このように、今や海洋の問題は、一団体はもとより一国・一地域で対応することも不可能なほど多様で複雑になり、海洋に大きな負荷を与え続けています。現在、世界の人々がようやく海洋問題に目を向け始めたことは非常に喜ばしいことです。しかし、これはあくまで出発点に過ぎません。やはり世界的な海洋の問題を解決するには、互いの利害を超えて、500年、さらには1000年という長期的な視座に立ち、人類共通の利益のために一致団結する必要があると私は考えています。

お集まりの皆さん。世界には約200の国がありますが海は一つです。海洋への取り組みにおいて、長い歴史と確かな専門性を有し、未来志向で活動しているウッズホール海洋研究所が、引き続き卓越した指導力を発揮されることで、国際社会が人類共有の財産である『母なる海』を守ると同時にその持続的な活用を実現できると確信しております。そして、我々日本財団も健全な海を未来につなげ、人類の平和と弥栄の繁栄に資するべく、これからも全力で活動を続けてまいります。ありがとうございました。

「ハンセン病制圧活動」―ネパールで初めての全国会議― [2025年05月21日(Wed)]

「ハンセン病制圧活動」
―ネパールで初めての全国会議―


ハンセン病は現在進行形の病気です。特にインド、インドネシア、ブラジルは人口も多いことから、隠れた患者も多く、今なお厳しい偏見・差別と共に苦しんでおられます。また、コロナ禍の影響もあり、患者数が増えているのが現状です。

50年にわたり世界124ヶ国を訪問、ハンセン病の制圧に情熱を燃やしておりますが、残念ながら非力であります。しかし、NEVER GIVE UP(決してあきらめない)の精神で世界中を引き続き飛び回っております。

今回はネパールで初めてとなるハンセン病全国会議を開催。続いてスリランカ、インドネシア、ブラジル、アフリカ諸国と活動は続きます。以下ネパールでの挨拶(原文英語)です。

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開会式でスピーチする筆者。中央がポーデル大臣、右がオリ首相



カドガ・プラサード・シャルマ・オリ・ネパール首相、プラディープ・ポーデル保健人口大臣、ご列席の皆さん。ハンセン病全国会議に参加いただき感謝申し上げます。

特にオリ首相におかれては、昨年9月にお会いした際に、ネパールからハンセン病をゼロにするために本会議を開催することに力強い同意を下さり、卓越した指導力のもと本日ネパールで初めてとなるハンセン病全国会議の開催を実現下さったことに心から敬意を表します。

私は半世紀以上にわたりハンセン病そして、ハンセン病に伴う差別を撤廃するために124ヶ国の現場で活動をして参りました。ご存じの通り、ハンセン病は今や早期発見・早期治療で障害なく完治する病気となりました。また、ハンセン病患者、回復者に対する差別は不当であり、撤廃していかなければなりません。

ネパールは保健省の多大な尽力もあり、2010年にハンセン病を公衆衛生上の問題として制圧が達成されました。しかし、コロナの影響で全世界的にハンセン病対策が停滞し、残念ながらネパールにおいても近年患者が増加傾向になるという厳しい状況にあります。

こうした困難な状況においてもハンセン病を無くすための活動を続ける心強い仲間がいたのもここネパールでありました。ミングマ・ギャブ・シェルパ氏は、コロナ禍においてもエベレストに登頂され「ハンセン病を忘れないで」のバナーを掲げ、ネパールのみならず世界のハンセン病対策の重要性を伝えてくれました。また、ラルガ病院のクリシュナ院長を中心に、ハンセン病回復者による自助グループが活発に活動し、患者の早期発見・早期治療や啓発に大きく貢献してくれています。

こうした素晴らしい活動がなされているネパールだからこそ、私はネパールが他国に先駆けてWHOが掲げる2030年までにハンセン病をゼロにするという目標を達成できると確信しております。ハンセン病全国会議を通じて、オリ首相、そしてポーデル大臣の力強い指導力のもと、次期国家ハンセン病戦略が策定され、また、ネパール・レプロシー・ミッションやネパール法曹協会の尽力により残された差別法撤廃が実現することを心より期待しています。

お集まりの皆さん、我々が共に力を合わせれば、ハンセン病のない世界の実現は見果てぬ夢ではありません。皆さん、共に不可能を可能にして参りましょう。ありがとうございました。(了)

「海と日本プロジェクト」―本年度開始式典― [2025年05月16日(Fri)]

「海と日本プロジェクト」
―本年度開始式典―


日本財団主催の「海と日本プロジェクト」は今年10回目を迎え、一区切りです。10回を総括の上、新たな取り組みへと発展させたいと考えています。

51放送局の参加、10年間で4万件を超える様々な海にまつわるイベント、延べ2000万人が参加されたことになる。

海ゴミの回収、海の民話のアニメ化、灯台の利活用、高校生を中心に魚を使った新しい商品開発等々、海に興味のなくなってきた国民に今一度、海に親しみを持ってもらう活動は、大きな成果をあげて、25年度で最終年度となります。

以下は本年最終年となる「25年度海と日本プロジェクト開始式典」での挨拶です。

*******************


お忙しいところお集まりいただき恐縮です。海と日本プロジェクトに皆さんにお力添えをいただき、25年度のキックオフをできますことを感謝申し上げます。

海と日本プロジェクト開始から10年という期間で51の放送局からの献身的なお力添えを頂きました。海洋立国日本と政治家は口では言いますが、口先だけで政府が機能していないという状況下にあり、これではいけないということで、皆さんのお力添えを頂いて参りました。海の大切さ、そして我々日本人は海と共に生きてきた歴史もありますから、特に子どもを中心に海を再認識して欲しいと活動を頂いております。これまでに4万件に上るイベントを開催いただき、延べ2000万人を超える人が参加下さったということで、改めて皆さんのご尽力に感謝申し上げます。

私も多くの国際会議に参加致しますが、今や世界の最も大きな問題の一つが海に関わる問題、すなわち海洋問題です。ここから気候変動が起こり、地球環境の悪化も進んでいきます。人類の生存に最も大切なものは海であるにもかかわらず、人間は宇宙に興味を向けがちで、人類の生存に一番肝心な海洋への認識が大変薄かったことは御高承の通りです。しかし、今や世界の国際会議では、一番の問題は海洋の問題と言われるまでになってきました。これはお集まりの皆さんの地道な活動の成果の積み重ねと思います。皆さんの地道な活動で蓄積されたエビデンスを基に我々が国際社会で発信することで海洋問題のトップリーダーは日本財団と言われるところまで来ました。皆さんに改めて感謝を申し上げます。

日本財団はこれまで様々な海洋課題に取り組んできました。例えば北極海航路の開拓、最近でいえば暗黒酸素に関する記者会見も行いました。ご承知の通り、酸素は光合成で生成されると従来考えられておりましたが、海底5000メートルにあるマンガンノジュールという物質から酸素が発生しているのではないかという発表がスコットランド海洋科学協会からあり、日本財団はこの組織といち早く連携しメカニズムを解明しようとしております。また海の生物は実は10%しか知られていない現状に鑑み、新しい海の生物を発見する事業も開始致しました。動物や植物、昆虫には分類学が発達しておりますが、海にこれだけの生物がいながら9割が未知であり分類学も存在しない状況であります。しかし、中には我々の健康に有益な物質を持った生物も沢山いると言われており、海を科学することで人類が更に発展できるよう、こうした方面でも日本財団は活動しています。

日本財団は1972年のストックホルム宣言の時から、環境問題を解決せずには人類の将来はないと認識して活動を開始しております。近年、国連海洋会議が出来ましたが、形だけで十分機能していない実情があるほか、国連、政府がやることにも限界があります。例えば海洋ゴミ対策でいえば、実は海のゴミの7割は陸地から海に流れ込んでおり、特にプラスチックはそれを魚が取り込み、そしてその魚を食べている我々人間にも影響が出るという事象も発生しています。つまり、大切なことはゴミを捨てないというのが基本となります。海と日本プロジェクトの主たる活動の一つにゴミを拾う活動もありますが、こうした取り組みから「一度ゴミ拾いに参加した人はごみを捨てなくなる」ということが分かりましたので、日本財団は「スポGOMI」と称しゴミ拾いをスポーツにすることで多くの人を巻き込んでおります。既に「スポGOMI」のW杯を開催しており、昨年は約30ヶ国が参加し、英国が優勝、日本代表であった新潟のチームは2位という成績でした。このように、ゴミを拾えば捨てなくなるという特徴を活かして、海洋環境の改善に民間の立場から取り組んでおりますが、全ては、海と日本プロジェクトの成果であろうと思います。

改めて皆さんの活躍に深甚なる謝意を表したいと思いますが、これまで10年間やってきた結果を受け止め、しっかりと今後の在り方を見直す時期でもあろうかと思います。10年一区切りではありますが、これで事業を止めようという考えではなく、10年間の成果を分析し、次どのように更に活動していくかを考えて参りたいと思います。すでに、灯台プロジェクト、海にまつわる民話の映像化、高校生による海にまつわる様々な取り組みなどを実施しニュースとして広く多くの国民に広がっています。是非とも引き続きご参加の皆さんの協力を賜り、海洋問題は日本がリーダーシップを取っている国であると世界に理解してもらえるようになってほしいというのが私の願いです。今年は一つの区切りであり、心から感謝を申し上げるとともに引き続きの協力をお願い致します。ありがとうございました。

「日本財団職員へのスピーチ」―25年度年度初め― [2025年04月21日(Mon)]

「日本財団職員へのスピーチ」
−25年度年度初め−


2025年4月1日(火)
日本財団会長 笹川陽平
於:日本財団ビル


おはようございます。日本の様々な季節感や祭日もあまり意味をなさない時代になりましたが、新年度の始まりということでそれぞれの企業や団体では挨拶をする慣例は依然として残っているようです。ところで一回皆さんに話をしても心に残るかは疑問であります。皆さんの心に届く話は「またこの話か」と言われるような話を何回もすることです。しかし多少知識があると「同じ話をするのは格好悪い」と考えて、違う話を探しますが、聞く人の心にはあまり響きません。同じ話を繰り返し伝えることで皆さんの胸の中にインプットされるような話が大切なのです。皆さんの心に残る話ができるか否か分かりませんが、私の思いを話します。

みなさん、何となくというと失礼ですが毎日生活をなさり、日本財団でお勤めを頂いているかと思います。私は、哲学専攻ではありませんが、人生とは一体何でしょうか。生きるとはどういうことでしょうか。まずは、なぜ皆さんここにいるのか考えてみたいと思います。

私がしゃべるとハラスメントになるから注意しろと言われますので、注意をしながら話しますが、人間はご存知の通り卵子と精子が結合して誕生します。精子は普通1億以上いるといわれていますが、卵子は1つです。その1億が争って一つの卵子と結合するわけで、たまたま1億分の1の確率で卵子に迎え入れていただいたということで生まれるのです。ちょっと隣の精子が先だったら我々はこの世にはおりません。大変不思議なことだと思いますし、幸運なことであったと思います。こうしたことを考えていますが、全ての精子が卵子に結合する能力があるのか、あるいは一個の精子だけに結合する能力があるのかは不明です。精子や卵子の中で男性・女性になる配分は決まっているのか、ということをブログに書いたところ、ある医学の専門家から「これを突き詰めていけばノーベル生理学賞をもらえるのでは」といわれたこともあります。

こうした経過を経て誕生したのです。つまりその過程で多くの犠牲者がいるのです。しかし、この世に誕生したら必ず死に向かって生きていくのが人生です。悲しい話ですが生まれた以上必ず死ぬわけで、死ぬために生きているのが人生です。皆さんご承知の通り徳川家康は「人生は重荷を背負って坂道を登るがごとし」と言っておりますが、人生楽しいことばかりではありません。勿論楽しい時もあります。それは、人生の中で様々な困難に直面し苦労を乗り越えると、それが楽しみになります。苦労のない人生は無味乾燥であると思います。

人間には素晴らしい「記憶の美化作用」というものがあります。苦労や困難を乗り越えたことが、懐かしい思い出でとなり、良い人生を歩んできたという気持ちにさせるのです。大抵の人は「幸福になりたい」「幸せになりたい」と言います。そして幸福論の書籍も多くありますが、幸福は永続しません。私は幸福はある一瞬の幸せに過ぎないのではと思います。幸福とは「あ、今日は良かったな、幸せだな」と思うもので、何十年もましてや人生全てが幸福であればつまらない人生といえるでしょうし、事実そのようなことはありません。

もともとこの世に生まれてきた以上、人生は悩みが多く辛いことばかりです。その点ともすると若い人は人生に期待しすぎているような気がしますので、もしかするともう少し人生を達観した方が良いかもしれません。辛い困難なことに直面することもありますが、どんな長いトンネルでも出口はあり、どんな闇夜であっても夜明けは来ます。「この困難を一つ乗り越えたら、竹に例えれば節が一つできたな」「強くなったな」と積極的に思ってもらえると人生が少し楽になるのではないかと思います。

私も若い人と一対一で悩みを聞いてあげたいですし、共に悩んであげたいと思っていますが、なかなかそうした機会が来ません。「会長のところに誰々が相談にいった」と噂になることもあるということで、どうも難しいようです。人生は悩み多きものであると理解して欲しいですし、年をとると悩んだことが「記憶の美化作用」で良い思い出として残っていくものです。幸せだけの無味乾燥な人生はつまらないものです。死ぬときに「良い人生を歩んだ」と思える人生がベストではないでしょうか。

ところで皆さんは日本財団に入り、活動いただいています。実はこんな恵まれた職場は、私自身も経験がありません。なぜなら、世の中のほとんどは、政府は公共機関は別ですが、皆収益活動をしなければならない組織でありますが、日本財団はお金儲けをしなくてよい組織であり、こうした組織はそうそうありません。しかし、お金を儲けるよりも使う方がはるかに難しいことです。皆さんは逆に思うかもしれませんが私の経験上使うことの方が難しいです。これまでにも世界には多くのお金持ちが誕生してきました。財団という組織はアメリカから誕生していますが、ロックフェラー財団やフォード財団も今でこそ社会貢献とは言いますが、もともとは税金逃れのために作ったのが成り立ちで、動機は不純でありました。そして世界のお金持ちは「お金が集まり過ぎてどうしよう」となり、財団をつくって免税を得て、社会のためにお金を使おうとできたものです。

しかし日本財団は違います。日本が80年前の大東亜戦争、今では太平洋戦争と言われますが、日本が敗戦し灰塵にきしました。どうやって島国である日本が生き残っていくかを考えたとき、我が国は船がなければ生きていけません。そこで、笹川良一はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに入れられた時に、ライフという英文の写真集を見て、ボートレースの写真をみつけました。そこでボートレースを立ち上げ、造船業等の振興を通じで日本を復興していかないといけないとボートレースを作りました。この話は、私は近年まで作り話と思っていましたが、ボートレース関係者が苦労して過去のライフを調べたところ、現代のボートレースそのものの写真があり、本当の話でありました。モーターボート競走法を作るのは大変であり、最初は衆議院で可決されたものの参議院で否決されました。当時は社会党や共産党といった左翼が強い世相でありましたが、衆議院に差し戻されたこの法案に社会党の左派の人の協力もあり賛成三分の二を得て、難産の上出来たのがモーターボート競走法です。衆議院に差し戻されて法案が成立したのは、近年まではこのモーターボート競走法だけでした。このような難産を経て生まれたのがモーターボート競走法ですが、最初から利益は社会貢献に使うと決められていました。企業が「儲かったら奨学金でも出そう」と後付けで作ったものではなく、日本国を立ち直らせるためにはお金が必要だと出来た法律です。最初から社会貢献を目指してできた組織は世界で日本財団だけではないでしょうか。

世界の資本主義は限界に来ています。GAFAはその資産総額は先進国一国の予算よりも多いと言われ、貧富の差が拡大しています。これからどのように資本主義が進んでいくのか分かりませんが、格差社会は日本でも顕著になっています。政府でも地方自治体でも出来ない問題があるのをいち早く見つけ、そこに対応策を講じていくというのが日本財団の仕事です。通常の組織であれば、5〜10年で人が変わり政策も変わり一貫性がありません。幸い、いや皆さんには不幸かもしれませんが、私も長く仕事をさせていただいております。今や国際社会は「継続性」が流行り言葉になっていますが、5年では継続性は担保できません。例えば、今海洋問題が叫ばれていますが、我々は50年も前からやっています。ウクライナ問題でアフリカの農業問題が指摘されていますが、我々はアフリカで40年近く小規模農家の支援をしてきています。ハンセン病の制圧活動は50年であり、50年WHOと継続して仕事をしてきたのは世界でも日本財団だけです。

しかし継続だけでは十分ではありません。毎年チェックしてより良い方向に変えていく必要があり、惰性の継続性ではいけません。私はダーウィンの進化論者でありますが、組織も人も未来志向で変化しなければ生き残れません。今日が昨日の続きではいけません。明日は今日より変化していく必要があります。どんな強い組織、頭の良い集団でも社会の変化を予測して対応しなければ弱体化します。トインビーの歴史の研究には27の文明が栄えて崩壊してきたと述べられており、ましてや我々のような組織は言うに及ばずです。これを乗り越える方法は変化することです。変化に必要なことは好奇心です。世の中、森羅万象に好奇心を持ってもらいたいと思います。その中に皆さんの活動のヒントがあります。上司から言われた仕事を処理するだけでは日本財団はダメになります。皆さん優秀な能力を持った人ばかりです。好奇心、興味を持ってもらい、常に「これは財団の仕事に活かせるのではないか」と考えて欲しいと思います。テレビで「かわいそう」「日本政府は何をやっているのか」と思うのではなく、問題を財団に持ち込み議論してほしいのです。私もかつて勉強会をやりました。今も勉強会をやってほしいと言われますが返事をしません。なぜなら皆さんはもう私を頼る必要ないくらい成長しているからです。しかし足りないのは若干の好奇心です。既に事業にできる環境があるのに十分活用できていないということもあると思います。好奇心を深め、環境を最大限活用いただければ、皆さんは十分仕事が出来ると確信しています。

しかし我々が事業を行うにあたり使用するお金は、我々が稼いだお金ではありません。多くのファンからお預かりしているお金です。日本財団に交付される100万円というお金はどのようなお金かということをよく話しています、大体、ボートレースのファンは1日2万円買って下さるそうで、600円が日本財団に交付されることになります。つまり、100万円とは1600人の国民からお預かりしたお金なのです。日本財団から1600人が1メートルおきに並べば最後の人は東京湾に落ちてしまいます。皆さんは20代で多額のお金の決裁権を持っているのですが、恐ろしいと思いませんか。お預かりしているお金ですから、私は恐ろしいです。もし1000万円となると1.6万人です。それを平気で使っているのですから、高い倫理観も必要です。1.6万人の顔を想像してください。したがってお金を使う判断をするのは非常に難しいことであり、我々幹部にも大きな責任はありますが、皆さん一人一人がそれを背負っているのです。皆さんには、高い理想をもって社会のために貢献したいという心、つまり、昔からある利他の精神を体現し、社会のために貢献したいという高邁な精神をもってここに集っていただいていいます。多少の意見の相違や悩みを持っていても、それを乗り越える力が皆さんにあります。辛い困難な仕事を超えたとき、竹でいうところの節が出来て、人間は強くなり成長します。頭の成長だけでは十分ではなく、心の成長、精神が強くならないと人生面白くありません。

世界には数多くの財団があり、その活動は助成金の提供です。しかし、日本財団は違います。日本財団はお金を自らも集めていますし、日本財団の仲間として20を超える関係財団があり、それぞれの専門分野をもっています。その専門分野は、国際交流、シンクタンク、保健衛生、音楽、伝統文化など多彩です。ホールディングスの形になっている組織形態を持っている財団は世界で日本財団だけです。我々は世界唯一のユニークな社会貢献財団をつくろうとしており、それを更に建設的にしてくのは皆さんであります。皆さんに期待しているのは、自主的に取り組んでいく姿勢であり、言われたことだけをやるだけでは十分ではありません。現在の社会問題が何で、未来の日本はどうなるのか、そうしたことを主体的に考えて欲しいと思います。

こうした取り組みをするには、両目を活用しなければなりません。片方の目は望遠鏡です。望遠鏡にして広く世界を見渡してください。我々は50年前からハンセン病制圧、海洋問題など世界的な取り組みを展開してきています。もう一つの目は顕微鏡です。公のお金を使う以上、些細なことも見逃さないという姿勢が大切です。お預かりしているお金は1円たりとも無駄には使えません。この2つの目を兼ね備え、その上で、大いに好奇心を発揮してユニークな事業をつくり、活躍してください。

今や世界一のユニークな日本財団並びに関連団体を、日本はもとより世界に広くこの独創的なシステムを更に広げ「こんな若い人が世界で活躍できるのか」と世界を驚かせてください。そして、風通しの良い組織で、これからの未来志向の世界に冠たる日本財団を一層発展させていく責任と義務を皆さん一人一人が持っていることを明確に自覚してください。ありがとう。(了)

「春日大社藤霞殿竣工式」―仁和寺に続く― [2025年03月28日(Fri)]

「春日大社藤霞殿竣工式」
―仁和寺に続く―


日本財団は、「いろはにほん」プロジェクトを通じて、京都・奈良を中心に所在する歴史的な神社や寺院における高級宿泊施設の整備を支援している。「一日一組一泊100万円」の宿泊施設です。その一つである仁和寺では既に多くの富裕層の方が利用下さり、その収益金は文化財の補修に活用される仕組みです。

このたび、同様の取り組みとして、花山院宮司様の格別のご理解を戴き、春日大社において「富裕層の旅行者のための二泊三日200万円」の宿泊施設「藤霞殿」が完成しました。春日大社は広大な敷地を有し、祭礼が年間2200回も行われる藤原家ゆかりの神社です。施設内には、枯山水の庭が整えられ、由緒ある茶室も移築されています。春日大社からは阿倍仲麻呂の有名な和歌 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 に詠まれた三笠山に昇る月を眺めることができますが、客室からも三笠山を模した枯山水の庭を楽しむことができます。春日大社に独居して堪能できるこのプロジェクトは、最近のホテル価格の高騰を考えれば、専門家の間では「割安」との評判もあります。是非成功されて、日本一国宝の多い春日大社の文化財の保護に役立つことを願っています。

以下、3月25日に行われた竣工式での即席の挨拶です。

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ご紹介を受けました日本財団の笹川と申します。春日大社の花山院・宮司様の素晴らしいご指導を頂いたことに感謝申し上げますと同時に、この藤霞殿完成にご協力をくださった皆さん方に、改めて深甚なる謝意を表したいと思います。

実は春日大社とは、私の父の代からのご縁があります。一番古くは、鹿の病院を作ったことであります。確かに奈良の鹿は有名ではありますが、先ほど宮司様からお話がありましたけれども、この奈良県そして素晴らしいこの春日大社をもっと広く世界の皆様方に知っていただくためには、2〜3時間滞在いただくだけでは十分ではありません。この日本国の安寧を願って毎日祈りを捧げてくださっていることを知り、そしてこの歴史的な建造物をじっくり見るためには、やはりここにお泊まりをいただくことが一番ではないでしょうか。

こうした歴史的場所での滞在を通じてこの日本の伝統文化というものをもっと海外の方に理解していただく必要があるのではないかという我々の浅い考えではありましたが、驚くべきことに、宮司様より「それはいい考えだ」「やりましょう」という望外のお答えを頂戴いたしまして、本当に私たちの協力はささやではありましたが、素晴らしい建造物となりました、この藤霞殿には宮司様のさまざまな想い、そしてお考えもきちっと組み込まれているということであります。

藤霞殿建設に尽力くださった皆さんのご苦労はひとしおであったのではないかと思いますが、このような素晴らしい形で竣工式を迎えることが出来ました。本当に私たちのささやかな協力がこのような形で実ったということには、感動以外の何物でもありません。宮司様には改めて感謝を申し上げると同時に、ご列席の皆さん、本当に心のこもった日本の伝統をしっかりと汲み取っていただいて、このような素晴らしい建物にしていただいたということにつきましても、心から感謝の誠を捧げたいと思います。ありがとうございました。(了)

「大阪大学・日本財団感染症センター」―竣工式― [2025年03月28日(Fri)]

「大阪大学・日本財団感染症センター」
―竣工式―


先進国日本がコロナのパンデミック対応において創薬を実現できなかったことは大きな驚きでした。

日本財団はこの反省に立ち、モーターボート競走を主催する地方自治体の皆さまのご協力を得て、250億円の巨費を投じ、世界的建築家・安藤忠雄氏の設計による「大阪大学・日本財団感染症センター」を大阪大学に建設した。その竣工式が3月24日、同大学にて開催された。

以下、私の即興の挨拶です。

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ご紹介いただきました日本財団会長の笹川陽平です。ただいま西尾総長から情熱のこもった決意の表明を伺いながら、大阪大学にこのセンターを作る経過を考えたときに、やはり大阪大学で良かったと改めて実感しました、

日本財団は世界的な人道活動をしている財団です。私自身、WHOハンセン病制圧大使を拝命し、世界中を飛び回っております。日本ではハンセン病はなくなりましたが、世界ではまだ現在進行形の病気であり、偏見と差別を伴う病気でもあります。こうしたハンセン病を無くす活動で世界を飛び回っているなか、コロナ禍が生じました。

この時まで、私は日本は創薬の分野でも世界でもトップレベルであると信じておりました。しかし残念なことにコロナに対応する薬を作ることが出来ませんでした。途上国の皆さんからも「何故日本が開発できなかったのか」との声が多く上がったことも承知しています。我々が途上国に対してワクチンを支援する際は海外から買って支援をせざるを得ませんでした。WHOはこれからも気候変動による温暖化等の影響で、感染症が続出する可能性があることを声明で出しているのは御高承の通りです。その中で、我が国・日本として世界に貢献するために、WHOの「全ての人に健康を」というアルマ・アタ宣言からの伝統を重んじ、日本財団は50年間継続してWHOを支援してきており、50年間継続してWHOを支援してきたのは世界で日本財団だけです。

来るべき感染病発生の折には今回のコロナに鑑みて、是非とも日本から薬を世界中に配布できるような国になってほしいという切実な想いがあり、西尾総長、金田副総長も本センターの重要性を熱心に説明下さり、ここに日本、そして世界に冠たる感染症対策の研究ができる施設をつくりましょうと、意見の一致を見ました。本センターは世界中から感染症に関する素晴らしい専門家を受け入れることも考慮しています。やはり人々の生活において何より大事なのは健康であります。「全ての人に健康を」の実現に向けて、その基礎研究をこの大阪大学で実施頂けることを嬉しく思うと同時に、世界から研究者が集い、来るべき時には速やかに行動をとれる施設になってほしいと心より願っています。

また安藤忠雄先生が素晴らしいデザインをして下さりました。安藤先生は「宇宙船地球号」とおっしゃりましたが、実は亡き父・笹川良一は50年前に「宇宙船地球号」という言葉を使っていた人物でありました。私は父に「なぜ『宇宙船地球号』なのでしょうか」と聞いたことがありますが、父曰く「もし地球以外に生命が存在し、遠い宇宙から地球を見たらこんな美しい惑星はないだろう。宇宙から見れば地球に国境も人種差別もない素晴らしい惑星であり、こんな素晴らしい惑星は他にはないと宇宙人は思うだろう」とのことでした。ここに乗り合わせた人は平和に過ごしていただきたいと思いますし、「宇宙船地球号」という名前を付けてくださったことに感謝すると同時に、やはり素晴らしい建築家は一味も二味も違うものだと再認識致しました。

これからはこの施設を使って、世界に冠たる感染症の研究拠点として、人類の健康のために活躍できるセンターが日本の大阪にできたと言われることを期待しております。また、この素晴らしいセンターの建築には日建設計、大成建設が、建築が難しい時期にもかかわらずきちっと責任を果たしてくださったことにも感謝申し上げます。これを機会に、重ねて申し上げますが、世界を代表する感染症の研究センターであるこの建物に、世界中から研究者が集まりご努力されることを願っています。本日は本当におめでとうございました。(了)

「職親プロジェクト」―刑務所出所者の発表会― [2025年03月14日(Fri)]

「職親プロジェクト」
―刑務所出所者の発表会―


刑務所や少年院から刑期満了により出所・出院した方々を、中小企業の経営者が親代わりとなって支援しながら働いてもらう「日本財団職親プロジェクト」。その参加企業と、出所・出院後に現在は工場長や企業の幹部として働いておられる方々の報告会が、2月28日、法務省幹部の皆さんのご出席のもと開催されました。

以下、私の挨拶です。

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第1回日本財団職親プロジェクト職親企業・社会復帰実践発表会挨拶


2025年02月28日(金)
日本財団会長 笹川陽平
於:AP日本橋


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ご紹介賜りました日本財団の笹川陽平です。本日はご多用の中、多くの方にお集まりいただき心から感謝致します。職親事業を始めて既に12年の歳月が経ちます。その間、千房株式会社代表の中井政嗣さん、開会宣言をされました副島勲さんを中心に、小さいところからスタートしここまで参りました。12年で多くの方の賛同を頂き、法務省の皆さんにはご無理なこともお願いして参りましたが、真摯な態度で話を聞いて下さり、最大限改善可能なところは改善して頂いています。

最近では関係者が集まり、「塀のない刑務所」を作ろうと勉強会を行い、法務大臣にも提言書を提出いたしました。結果、日本財団のHPは炎上しました。「何という馬鹿なことをするのか」「犯罪者を野放しにするのか」といった厳しいご意見が多数寄せられましたが、我々と致しましては、どうやってこの「塀のない刑務所」を実現していくかを世の中にしっかりと説明していけば、必ずやご理解を頂けるものと自信を持っております。

かつて、第一次安倍内閣の時に、総理が「再チャレンジ」という言葉を使われましたが、いつの間にか消えてしまいました。当方から「総理もったいないのではないでしょうか」と申し上げたこともあります。たった一度の人生ですが、やむを得ないことでつまずくこともあります。人生一度ですから再チャレンジできる環境を作り、それに協力するというのが、日本人の古来からある「利他の心」ではないかと思います。

「利他の心」は伝統的に続いてきた日本人独特のもので、人生は自分だけでなく社会の中の交わりで存在するから多少なりとも社会のために役に立ちたいという気持ちであります。日本人は皆さん「利他の心」は持っていますが、ただ一歩を踏み出せるか出せないかの違いです。日本財団には14万人を超える方から能登半島地震への支援金をお預かり致しました。寄付金額は平均1000円でありますが、金額の多寡ではありません。また、寄付者の多くは20代・30代の若い人です。現代に生きる若い人が何か社会のために力を出したいという気持ちが、宗教心を除いて存在するのは、世界で日本人だけであろうと思いますし、素晴らしい伝統です。

職親事業においては、中小企業の社長が企業の経営だけでも大変にも関わらず、出所者を我が子のように面倒を見て下さり、手を取り足を取り、何とか一人前に育て上げたいという深い愛情と情熱をもってお手伝いを頂いている方が本日も多くお越しいただいています。こうした方々の力によって日本の底力が発揮されると思いますし、何より世界に誇れる日本の素晴らしい伝統の一つが「利他の心」の象徴ではないかと思っています。

正直申し上げて我々の努力がまだまだ足りません。まだまだやるべきことがたくさんあります。しかし、本日お集まりの皆さんを中核として、これから広がりをもっていけるものだと確信しております。社会的に困難な立場におかれた出所者に自信と勇気を与え、深い愛情を捧げてくださることによって、彼らが再チャレンジのチャンスを得られなければなりませんし、得られるようにしていくのが同じ日本人の役目ではないでしょうか。

本日は、多くの成功例のみならず、出所者自らの話があると伺っています。まだまだ多くの愛の手を必要とされている方もおりますし、法務省には様々な規則の改正に向けて無理を申し上げる必要もあります。しかし職親に参加する皆さんは深い愛情と情熱をもって一人でも多くの人を社会参画に導き、素晴らし後半の人生を歩んできただくために協力していこうという人ばかりです。この輪を日本全国に広げていこうというのが我々として一致した考えです。有意義な会議にしていただくと同時に、互いに手を携えて、悩める人々、困難に直面する人々に、救いの手というと語弊がありますが、同僚に手を差し伸べるという気持ちでやっていきたいと願っています。ご参加の皆さんには、更にご協力を賜り、この職親事業によって多くの若者が再チャレンジして社会の一員として素晴らしい人生を送れるように、取り組んで参りましょう。有意義な会合になることを願っています。お集まりいただきありがとうございました。(了)
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