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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「ヨーロッパにもハンセン病が」―WHOヨーロッパ地域の会議― [2023年12月26日(Tue)]

「ヨーロッパにもハンセン病が」
―WHOヨーロッパ地域の会議―


ハンセン病は現在進行形の病気であり、特にインド、インドネシア、ブラジルに発症者が多く、アフリカ諸国においても同様です。

また、痛みのない病気故、手足に障害が出るまでなかなか病院に行かないという事情もあります。

私のハンセン病制圧活動は、日本の諺通り「100里の道は99里をもって半ばとする」で、残された人生、懸命に世界中を訪れて制圧活動に邁進する覚悟で、来年も意欲的に活動いたします。

ところで、既に表題のヨーロッパではハンセン病の新規患者はゼロになっていましたが、最近アフリカから難民が押し寄せ、その中にはハンセン病患者も存在するようです。

そのような事情から11月28日〜29日、アルメニアで開催された「ハンセン病における新しいパラダイム、欧州におけるハンセン病の感染の停止から制圧に向けて」と題する国際会議で、ズームによるスピーチを行いました。

以下、スピーチの内容です。

**************

ハンス・ヘンリ・クラッジ・WHO欧州地域ディレクター、イブラヒマ・ソチェ・フォール・WHO・NTD部門ディレクター、マルセ・エバーランド・WHOアルメニア特別代表、ご参加の皆さん。

皆さんご承知の通り、ハンセン病は旧約聖書の時代から神罰、或いは呪いであると人々から恐れられてきました。中世のヨーロッパにおいては、ひとたびハンセン病に罹患すれば「死のミサ」と呼ばれる儀式が執り行われました。以降患者は外を歩くときは鈴をぶら下げ相手に近づいていることを知らせねばならず、また教会への立ち入りも禁止されたといいます。

しかし、こうした暗く絶望的な状況に対し、ノルウェーから一筋の光がもたらされました。ハンセン博士によるらい菌の発見です。今年はらい菌発見150周年という記念すべき年であり、私もハンセン病のない世界に向けた国際会議をベルゲンで開催致しました。このらい菌の発見によりハンセン病は感染症であることが明らかになり、治療薬の開発も進みました。1980年代には多剤併用療法が開発され、ハンセン病は完治する病気となりました。日本財団と姉妹財団である笹川保健財団はWHOと協力して1995年から5年間世界中でMDTの無償配布に尽力し、欧州地域においても多くの人が治癒しました。そして、ここにお集まりの皆さまの努力により、今やハンセン病は欧州地域では「過去の病気」とまで認識されるようになりました。

一方、近年欧州地域において、国際化の加速に伴い、外国人滞在者や移民、難民の方が発症するケースが増加しています。また、皆さんの努力により欧州地域で新規患者がほとんどいなくなったが故に、ハンセン病の診断と治療の知識・経験を持つ医師が少なくなっているとも伺っています。こうした状況に鑑み、ハンセン病を「過去の病気」として扱うのではなく、「現在進行形の病気」と捉え、治療や診断技術の確保などを通じてWHOの掲げる「ハンセン病ゼロ」実現に努力されていることに敬意を表します。

また同時に忘れてはならいのは、ハンセン病には依然として厳しい偏見や差別が伴っていることです。数ある病気の中でも社会、友人そして家族からも捨てられるのはハンセン病だけであり、患者、回復者のみならずその家族までもが差別の対象となっています。差別を経験した患者、回復者及びその家族は数千万人に上ると言われることもあり、まさに世界で最も古く、そして大規模な人権問題の1つといえるのです。しかしながら、これほど大規模な人権問題であるにも関わらず、ハンセン病にまつわる差別の問題は社会に深く静かに沈殿して、世界の人々に知られず、理解されていないのです。

このようにハンセン病には医療面のみならず社会面としての問題、即ち人権問題の両面があります。私はこれをモーターサイクルに喩えています。即ち前輪は病気を治すことであり、後輪は差別を無くすこと。この両輪が上手くかみ合わなければ真の「ハンセン病ゼロ」の実現はありません。お集りの皆さん。本会議を活用し、知見の共有、ネットワークの強化をはかり、欧州地域における「ハンセン病ゼロ」実現に向け努力して参りましょう。私自身も、WHOハンセン病制圧大使として、努力を惜しまず積極的に活動して参ります。お集りの皆さん、欧州地域における「ハンセン病ゼロ」は見果てぬ夢ではありません。共に不可能を可能にして参りましょう。ありがとうございました。

「人生100歳時代」―幸福感を考える― [2023年12月22日(Fri)]

「人生100歳時代」
―幸福感を考える―


日本財団は2023年12月1日(金)、人生100年時代の言葉の生みの親であるロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏や、幸福学研究の前野隆司慶應義塾大学大学院教授、脳科学者の茂木健一郎氏を迎え、シンポジウム「人生100年時代における幸福感を考える」を開催した。

登壇者による活発なディスカッションにより、人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎えた日本において、人生の後期にどのような選択をすれば豊かな人生を送り幸福感を得られるのかをテーマに議論が展開された。

「人生100歳時代」幸福感を考える.jpg
登壇者集合写真
写真左より、前野隆司氏、Lynda Gratton氏、茂木健一郎氏、国谷裕子氏


冒頭では、日本財団会長の笹川陽平より開会の挨拶が行われ、人生の締めくくりは「幸せな人生を送ったな」と思えることが人生の最大の幸福であると述べ、その後、基調講演としてロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏から「ライフシフト〜100年時代の人生戦略〜とその後」についての講演があり、コロナ禍を経た今、デジタルも駆使した新たな関係を持つことが可能であることや、年齢にかかわらず、学び直しや新しい仕事にチャレンジするなど自らを変化させていくことが大切であると話された。

基調講演の様子.jpg
基調講演の様子


基調講演に引き続き、リンダ・グラットン氏、前野隆司氏、茂木健一郎氏によるパネルディスカッションが行われた。ジャーナリストの国谷裕子氏がモデレーターを務めて活発な議論がなされ、人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎えた日本において、人生の営みのなかで自らを変化させていくことや社会貢献を念頭においた利他への啓発の大切さが説かれた。

パネルディスカッションの様子.jpg
パネルディスカッションの様子

シンポジウムの様子は、2024年1月中旬ごろ、日本財団公式YouTubeチャンネルにて公開します。

以下、私の開会挨拶です。

開会挨拶.jpg
「100歳時代を生きる」開会挨拶


2023年12月1日(金)
於:笹川平和財団

日本財団会長の笹川陽平です。司会者より話がありましたように、今日は素晴らしいお話を著名な方々から頂けるということで楽しみにしています。

本日イギリスから来日されたリンダ・グラットン教授のベストセラー『ライフシフト−人生100年時代を考える』も読みました。私の父は太平洋戦争の戦犯容疑で3年半も巣鴨プリズンに拘置された経験があります。裁判もなく無罪で釈放されましたが、独房に収監している時に1匹のカマキリが入って来たといいます。カマキリと会話をしている中で、動物は成長年齢の4〜8倍生きるのではないかと思い、その後もファーブル昆虫記のような話もしていました。人生というのは少なくとも100歳、25歳まで成長すると考えると、200歳まで生きられると豪語していたのですが、96歳の時に「ちょっと天国に用がある」と行ったまま帰ってきてはいませんが、幾多の艱難辛苦を乗り越え、人生というものを豊かに生きた人であったと思います。

先生方の素晴らしい話を伺う前に学のない私が話すのも僭越ではありますが、人生は2つに分けて考えられると思っています。1つは働く者にとっての定年までの人生であり、2つ目は定年後の人生をどう生きるかということです。前半の人生では、私は「幸福とは何ぞや」と悩み苦しみ、様々な本を読みました。世界三大幸福論を詠まれた方も多いと思います。ヒルティ、アラン、そしてラッセルの幸福論は多少ヒントにはなりますが、実生活の中で役立ったかというと、そこまで役には立たなかったというのが私の率直な感想です。

日本は古くから「お金を出してでも苦労しろ」という言葉がありました。私は現在85歳ですが、例にもれずそのように言われて育ちました。苦労が財産になり、精神的にも成長し、体力もつくと言われました。苦労をするなかで、精神的にダメージを受けることもありますが、それを乗り越えた時に人間は一回り成長するのです。竹に喩えれば「節」ができるというもので、「節」ができていくことで強い竹が育つのです。長いトンネルでも出口はあります。どんな暗く悲観的な夜であっても夜明けは必ず来ます。私はこうした楽観論者ではあります。

高名な先生がいらっしゃる中で申し上げにくいのでありますが、学校生活を振り返ってみても優しくて親切な先生の記憶は皆さんないのではないでしょうか。それよりも怖い先生、今では駄目ですが頭を叩かれたという経験の方が思い出として残っています。辛い思い出、悲しい思い出はありますが、人間には素晴らしい特徴があります。それは「記憶の美化作用」と言われています。辛かったこと、悲しかったことが、時間を経ると懐かしい思い出に変わるという特徴を我々は持っています。ずっと人生幸福感に浸ることはないと思った方がいいというのが85年生きてきた人生の前半の結論です。

定年後、ここからが問題でしょう。立派な会社の社長や役員を務めた方が、家庭の中で夫婦仲が悪くなっている方が多いのです。今までいなかった夫が毎日家にいる。昼ごはんも作らないといけない。散歩に行っても30分で帰宅すると「早いわね」と嫌味を言われる。また、本当の話ですが、家にこもった夫が2階から1階の妻にメールを送っていることもあります。これでは人生はあまり楽しくないでしょう。定年前に蓄積した経験を、次の世代の人に無料で奉仕し教えてあげるということが必要ではないでしょうか。社会貢献をしている若者は沢山いますから、無償でお手伝いすれば若い人と話が出来ますし、彼らも成長します。それが第二の人生として素晴らしいと思いますが、社会的に偉かった人に限ってこうしたことはされません。私の知り合いは、近所の公園で草むしりと掃除をすることを続けています。誰に頼まれたわけでもありません。掃除した後に風呂に入って晩酌して「幸せだ」という思いに駆られるのが楽しみで、公園の掃除を続けているとのことです。

皆さん、やることは沢山あると思います。それには健康でなければなりません。人生の後半は人のためにというと語弊はありますが、何か人生でお世話になった社会の為に還元したいという気持ちで働かれることが健康の為にも重要ですし、長い間連れ添った妻の幸福のためにも家にいない方が喜ばれるのではないでしょうか。

私は孤独な生活をしてきたので友人もあまりいませんが、「今日死んでもいい」と毎日を全力投球で働いて参りました。人生の締めくくりは「幸せな人生を送ったな」と思えることが人生の最大の幸福感だと思います。幸福は長続きしません。大変瞬間的なものだと思います。私は夏は週末に山に入って山小屋で趣味である読書と草むしりをすることに喜びを感じています。10時間草むしりして、シャワーを浴び、暖炉を焚いて、読書しながらブランデーを飲むと「今日一日良かったな」となります。死ぬ直前に「人生良かった」「社会の為に尽くした」と思えることが最大の幸福感ではないでしょうか。

私の回りにはお金持ちの友人も沢山いますが、彼らはお金の為に苦労してきました。実話ですが、死の直前に病気のベッドの中で税理士を呼んで「妻には譲りたくない」と死んでいく人生が幸せでしょうか。そうではなくて、社会の中で多くの人と交わり、助け合ってきたのですから、生きてきた証として、家族の為にきちっとした遺産を相続し、一部は社会の為に、例えば障害や難病など社会で困っている人の為に還元して欲しいと思います。そのように遺言書に書いて締めくくることが重要ではないかと考え、日本財団では、遺言書を書いていただき、一部でいいから社会に還元して欲しいと活動しております。

長話になると御高名な先生に申し訳ないのでここまでにしますが、多忙な先生方にはお越しいただき、また皆さんに関心を持っていただいたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。

「ウクライナ避難民学生」―日本財団訪問― [2023年12月20日(Wed)]

「ウクライナ避難民学生」
―日本財団訪問―


筑波大学にはウクライナの学生38名が留学しており、日本財団では渡航費や生活費を負担しています。学業の都合もあり、23名が来社されて感謝の言葉を述べられたのに対し、私は下記の挨拶を致しました。

「明けない夜はない。若い皆さんには日本で得た知識をもって活躍していただきたい」.JPG  筑波大学に在籍するウクライナ避難民学生23人と.JPG


*************

皆さんようこそ、日本財団をお訪ね頂きありがとうございました。寒い中わざわざ御礼にお越し頂き、直接皆さんにお目にかかれ、元気に勉強されているという報告をいただき嬉しく思います。

どうして我々が皆さんを支援するかということについて、少しお話ししたいと思います。

1945年のことです。当時日本はアメリカと戦争をしていました。戦争の結果は皆さんご承知の通り、日本人は360万人が亡くなり、広島や長崎に原子爆弾が投下されました。私は東京に住んでおりましたが、当時の日本の建物は木で出来ている建物ばかりでした。従いまして、アメリカが落す爆弾は油の爆弾で、その木造の建物を全て焼き払うという闘い方をしていました。

私は6歳の時、夜中の11時、危険が迫っているということで決められた避難場所に集まりました。避難場所は郵便局でしたが、そこも危険が迫ってきたので第二の避難場所である大きな川に避難することになりました。しかし、私は泳げませんでしたし、川に行くのが何となく怖くて、私と母親だけが残り、町の人は皆川に逃げました。しかし、油の爆弾でしたので、川は水ではなく火の川に変わっておりました。そして、陸地を逃げる人にも沢山の油の爆弾が落ちてきて、その火が背中や洋服について燃えるわけです。多くの人が生きながらにして体に火が付き、誰も消してくれないので悲鳴をあげながら焼け死んでいきました。私は小さな子どもでしたが、泣きながら死んでいく何百人も人の姿をこの目で見ました。幸い私と母親の二人は助かりました。街の人はほとんどが亡くなりました。たった2.5時間の攻撃で、東京だけで10.8万人の人が亡くなりました。そして数十万人の人が火傷を負い、数十万戸の家が燃えてしまいました。

それからがまた大変でした。食べるものもありませんでした。水はありましたが食べるものがなかったので、町に生えている草を暖かいお湯の中につけ、その草を食べて生き延びました。私は子供の時には栄養失調で体中に色々な吹き出物がでました。日本中が全て、東京と同じような状況になりました。例外は京都だけでした。そして戦争に負けた結果、日本の政治家も、経済の事業をやっていた人も、ほとんどの指導者が強制的に職に就くことを禁止されました。そのため若い人たちが全てを背負うことになり、この完全に破壊された日本国をどのように再建していくということについては経験も自信もありませんでしたが、幸いなことに、一致団結・協力して今日の日本国をつくったわけであります。

皆さんの国も現在は不幸な状況ではありますが、決して希望を失わず、どのように祖国ウクライナを再建していくかということが大きなテーマであると思います。常に世の中は変革し、より良い世界を作るためには若い人の力が必要です。戦争が永遠に続くということはありません。どの時点か分かりませんが、必ず終わります。その時には、皆さんのような若い人たちが国づくりの為に汗を流し、若き指導者としてウクライナ再建のために働いていただきたいと思います。

先ほど私は広島と長崎に原子爆弾が落された話をしました。昔のことなので皆さんご存じないと思いますが、以前キーウの近くにあったチェルノブイリ原子力発電所で大きな事故がありました。あの時、我々は10年の長きにわたり、日本の最新の原子力医学の専門家と最新の医療設備を飛行機に積込んで貴国に運び、10年間で地球を70周回るほどの活動を致しました。その時に私たちが教えたウクライナの若き科学者の皆さんが、今度は日本の福島というところでの原子力発電所の事故の時に助けに来てくれました。それが貴国と日本財団との関係であり、これは国際原子力委員会そしてWHOに世界で最も権威のある報告書として保管されています。

既にお分かりの通り、私たち日本財団は、私自身の経験を含めて、世界の人道活動を行っていくというのが大きな仕事です。グローバリゼーションの時代ですから、皆さんの知的好奇心をもって、国造りはもとより、世界平和を実現するために皆さんの力が必要なのです。日本財団は常に若い未来に希望と情熱をもった皆さんのような優秀な学生の皆さんへ奨学金制度を提供しいます。世界の69の大学を含めて卒業生は45,000人に達しています。そうしたネットワークがありますので、いずれ皆さんも日本財団の奨学生のネットワークに入っていただき、様々な国の方々との交流を深めていただきたいと思います。

この闘いは永遠に続くものではなく、必ず終わりが来るのは間違いありませんが、出来るだけ早く終わるのを願っているのは皆さんと同じです。貴国では多くの希望に溢れた青年たちが亡くなって、或いは傷ついています。しかし現在、皆さんは幸運にも恵まれた立場にいらっしゃいます。どうぞいつの日か悲劇が終了した時には、皆さんが日本で学んだことをよく理解をされて祖国ウクライナの復興のために活躍され、また日本に来て勉強をした成果を、国づくりのために発揮頂きたいと願っております。

どんな長い鉄道のトンネルでも必ず出口があります。どんな暗い夜でも必ず夜明けがあります。祖国ウクライナは真っ暗な真夜中の状況かもしれません。しかし必ず戦争は終わる時が来ます。たぶん悲惨な状況になると思いますが、そこからが皆さんが力を合わせ、祖国ウクライナを復興させる指導者になっていただきたいというのが我々の願いです。単に皆さんの生活費の面倒を見ているというだけではありません。私たちは皆さんが、日本財団の家族であると思って協力しております。卒業された後も日本財団との関係を維持され、戦争が終わった暁には、重ねて申し上げますが、日本で得た知識をもって祖国の復興のためにご努力されることを切に願っています。

日本財団は、皆さんを日本財団の家族の一員としてお迎えできたことを心から誇りに思っています。今日は遠くからお越し頂き有難う御座いました。元気な姿を見て多少安心いたしました。しかし何遍も申し上げますが、皆さんは夢と希望をもって将来の祖国ウクライナ復興のために尽力されることを願っています。

最後に、筑波大学に於かれましては、ウクライナの学生たちの面倒を見ていただき、日本とウクライナの将来にわたる素晴らしい関係を築く指導者になりうる方々のお世話を頂いていることに心から感謝申し上げます。これからも引き続き宜しくお願い致します。ありがとうございました。

「第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議」―ハシナ首相力説― [2023年11月29日(Wed)]

「第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議」
―ハシナ首相力説―


11月12日、バングラデシュでは日本財団、笹川保健財団の協力で「第2回ハンセン病全国会議」が開催されました。

既に11月8日の出発時に記したように、ハシナ首相におかれましては、海外での国際会議が目白押しで、その上、来年には総選挙を控えての超過密スケジュール。9月5日、筆者より直接出席を要請していましたが日程が確定せず、開催は来年に延期やむなしと思っていましたが、岩間公典大使の強力なロビー活動で急遽実現したわけです。

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第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議で熱弁のハシナ首相


開催まで短期間にもかかわらず、会場には多くの写真展示を含め、立派に準備されていました。ハシナ首相の「2030年迄にハンセン病をゼロにする」との強い意志表明は、これからの制圧活動の大きな励みとなり、保健省は早速、来年度予算の大幅増強を実現すると張り切っていました。

実は、今までのバングラデシュにおけるハンセン病対策は十分とは言えませんでしたが、今回のハシナ首相の発言をもとに、ともすれば停滞気味であった地方やリモートエリアに入って活発に活動するための言質を戴いたことになります。

どこの国においても「ハンセン病制圧」は結核、マラリア、エイズに比べて患者数が少ないため、一国の最高指導者の発言がなければ予算や活動人数も数なく、困難を極めるのが実情です。しかし私は「Never give up」、決してあきらめない精神でこれからも世界中で活動を強化して参ります。

以下は「バングラデシュン全国会議」での私の挨拶です。

***************

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500人以上が参加して開催されました


日本財団会長/WHOハンセン病制圧大使 笹川陽平
2023年11月12日 於:ダッカ


シェイク・ハシナ・首相、ザヒード・マレク・保健大臣、岩間公典・駐バングラデシュ日本国大使、お集りの皆さま。第2回バングラデシュ・ハンセン病全国会議開催の為に多大なご尽力を頂いたことに心より感謝申し上げます。

「2030年までにハンセン病をゼロにする」。これは、4年前に開催した第1回全国会議の際にハシナ首相が掲げて下さった目標です。私自身これまで120ヶ国を超える国を訪問し、国家元首に対してハンセン病制圧活動への協力を呼び掛けて参りました。しかし、一国の指導者がハンセン病に関してこのような明確なゴールを示した例は他にはありません。ハシナ首相の勇断は、バングラデシュで今も社会からの不当なスティグマや差別に苦しむハンセン病患者・回復者・その家族らに大きな勇気と希望を与えました。現在、バングラデシュでは保健省と回復者組織であるALOやボグラ連合が協力をして、ハンセン病ゼロという野心的目標に向かって努力されていることを嬉しく思います。

こうしたハシナ首相主導によるバングラデシュのハンセン病ゼロに向けた取組みは、多くのハンセン病蔓延国の指導者に対しても、大きな刺激を与えています。例えば、来年、世界で2番目に新規患者数が多く、唯一公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧を達成していないブラジルにおいて、ルラ大統領臨席のもと、全国会議が開催されることになりました。また、アフリカにおけるハンセン病蔓延国の一つであるエチオピアにおいても、2024年中に同様の全国会議を行うことが計画されています。ご参加の皆さん、これら一連の動きは皆さんの活動が影響を与えたものであります。私はハンセン病制圧大使として、バングラデシュの取組みに敬意を表すると同時に、この経験を積極的に他国と共有していきたいと考えております。

一方で、新型コロナウイルスの影響で、残念ながらハンセン病対策が多くの国で停滞してしまったこともまた事実であります。その結果、統計上は新規患者が減少したように見えますが、実際は診断や治療が受けられない、或いは障害のケアを十分に行うことが出来ない患者が多数おります。加えて、今やハンセン病は完治する病気となりましたが、完治してなお患者、回復者、その家族は偏見と差別に苦しんでおります。社会、友人、そして家族からも差別され、捨てられる病気は数多の病気の中でハンセン病しかありません。こうした差別を経験した患者、回復者、その家族は世界で数千万人に上るとも言われ、大規模な人権問題の1つといえるのです。この人権問題としてのハンセン病を解決するべく、私自身2000年初頭から当時の国連人権委員会に働きかけ、2010年には国連総会でハンセン病患者、回復者とその家族に対する差別撤廃決議と「原則とガイドライン」が192ヶ国全会一致で可決されました。しかしながら、ハンセン病にまつわる差別の問題は、社会に深く静かに沈殿して、未だにこの深刻な問題は世界の人々に知られず、理解されていないのが現実です。

こうした状況に鑑み、本日の会議が、2030年までにハンセン病をゼロにするという目標について、関係者一同があらためて確認するとともに、その実現に向けて具体的な方策を話し合う機会になればと期待しております。私自身も、WHOハンセン病制圧大使として、バングラデシュにおけるハンセン病ゼロという目標の実現のために、努力を惜しまず積極的に活動して参ります。お集りの皆さん、ハンセン病のない世界は見果てぬ夢ではありません。私は85歳の若者ですから、共に不可能を可能にして参りましょう。ありがとうございました。

「世界海上保安機関」―長官級会合― [2023年11月15日(Wed)]

「世界海上保安機関」
―長官級会合―


第3回世界海上保安機関長官級会合は、10月30日から3日間、ホテル・ニューオータニに96ヶ国の国や国際機関が集まり、10月30日の夕食会には岸田文雄総理大臣も出席して挨拶して下さった。

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96ヶ国の国や国際機関の前で岸田総理が挨拶


それぞれのお国柄の制服も美しく、中には立派な髭を蓄えた威厳のある長官もおられた。

海洋の環境汚染や自然災害など地球規模の課題について話し合う会合は、国や地域の枠を超えた対話の場を作ろうと、海上保安庁と日本財団が主催して2017年に初めて東京で行われた。新型コロナウイルス禍での中止を経て、今年は4年ぶり3回目となる。

近年は、薬物犯罪の捜査やテロ対策、気候変動に伴う自然災害など、国境を越えた対応が求められる事例が海上でも増えている。会合では、議長国の日本が主導し、従来の地域的な結びつきを世界的な協力体制へと拡大させたいと考えている。

以下は開会式での私の挨拶です。

***************

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開会式で挨拶


石井昌平・海上保安庁長官、世界各国からお集まりの海上保安機関長官の皆さん。改めて、第3回目の世界海上保安機関長官級会合にご参加いただき感謝申し上げます。

昨晩のレセプションの際にも申し上げましたが、皆さんご承知の通り、海は「人類共有の財産」であり、また、海の存在なくして人類の生存そして繁栄はあり得ません。しかし「人類共有の財産」である海に対し、我々人類は近代化し始めてたった100〜150年という極めて短い期間で、海洋生物の乱獲、海洋資源の無秩序な利用、海洋汚染など大きな負荷を与えてきました。

私たち日本財団は、40年近く前に今日のような状況を想定し、この危機に対処すべく長期的な視点に立ち、「人類共有の財産」である海を守る事業に重点的に取り組んできました。こうした取り組みは、海の専門人材育成、マラッカ・シンガポール海峡の安全航行支援、日本国の海洋基本法制定への尽力など多岐にわたります。各国の海上保安機関の連携に向けた取組みもその1つです。2004年から10年にわたり開催したアジア海上保安機関長官級会合は、海賊や災害に対する地域の連携に大きな役割を果たしました。そして2017年からは、この枠組みを「世界」に拡大し、今回で3回目を迎えます。

折しもグローバル化が急速に進んでいる昨今、海の直面する課題もまた多様化・複雑化しています。こうした一国・一地域で対応することが困難な課題に対し、私たちは結束し共に協力して立ち向かう必要があります。私は皆さんのような海上保安機関同士の連携なしには海洋秩序の維持は困難であると考えています。つまり、海の安全と平和は皆さんの双肩にかかっていると言えるのではないでしょうか。

皆さんのご協力のお蔭で、長官級会合への参加国数も約3倍に増え、まさに世界的なネットワークと協力関係を構築できる場に成長したと思います。私は「現場には問題点と答えがある」という信念のもと活動しておりますが、まさに各国の海の現場における問題点と答えを一番熟知されているのはここにお集まりの海上保安機関の皆さんであります。

海の安全と平和を守るという誇り高い職責に日夜尽力されている皆さん。本会議が具体的な成果を生み出す有意義な会議になることを期待すると同時に、今こそ組織や国境、分野を超えて共に連携し、海の未来の為に共に努力して参りましょう。ありがとうございました。

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世界96カ国の海上保安機関長官級が出席

「ヤゲロニア大学訪問」―笹川奨学生30周年― [2023年11月10日(Fri)]

「ヤゲロニア大学訪問」
―笹川奨学生30周年―


日本財団は30年前、グローバリゼーションを予測し、一国の利益のみならず、地球的規模で物事を考え行動する人材養成のために、世界44ヶ国、著名な69大学の修士・博士課程の学生にササカワ・ヤングリーダー奨学基金(Sylff)制度を設置し、以来、現在も活発に活動しています。今回、ポーランドが誇るヤゲロニア大学での奨学制度設置30周年記念式典に招待されました。

ヤゲロニア大学は、チェコのカレル大学に次いで世界で二番目に古い歴史を持つ大学で、設立は何と、1364年です。貴重な資料室にはコペルニクス(天文学者)が使用した各種機材の中に、アメリカの存在しない地球儀がありました。アメリカ大陸の発見は1492年ですから、ヤゲロニ大学はそれより128年も古い大学になります。

DSC_5760.JPG
ヤゲロニア大学よりプレゼントされた写真の渾天儀(こんてんぎ)は
コペルニクスが天体観測に使用したものの複製です


卒業生にはコペルニクスは勿論のこと、第264代ローマ教皇のヨハネ・パウロ二世やノーベル文学賞受賞者のヴィスワヴァ・シンボルスカもそうです。学生数51,000人、15学部からなるポーランド第一の大学です。

以下は、由緒ある部屋で行われた式典でのスピーチです。

B由緒あるCollegium Maiusホールで行われたSylff設置30周年記念式典でスピーチ.jpg
由緒あるCollegium Maiusホールで行われた
Sylff設置30周年記念式典でスピーチ


******************

宮島昭夫・駐ポーランド特命全権大使、アーメン・エディガリアン・ヤゲロニア大学副学長、ポーウェル・ライドラー・Sylff運営委員会委員長、アンドルゼジ・マニア・前Sylff運営員会委員長、Sylffフェローの皆さん、そしてお集りの皆さん。ヤゲロニア大学にSylffが設置され30年を迎えました。ここにいる皆さんの弛まぬ努力のお蔭で300名近い素晴らしいフェローが輩出され、今日を迎えることができたことに心から感謝申し上げると同時に、本事業の実務を担当している東京財団政策研究所の皆さんに御礼申し上げます。本日は日本から鈴木真理常務理事が来ております。鈴木常務お立ち下さい。

皆さん御高承の通り、ポーランドと日本は100年以上の長きにわたる関係があります。我々はこの100年、文化、経済、教育、人道活動など多岐にわたる分野で協力し、発展して参りました。例えば日本に対する造詣も深い世界的に有名なポーランド映画界の巨匠であるアンジェイ・ワイダ監督は、文化・芸術の分野で両国の架け橋として活躍され、美術技術博物館“マンガ”館の建設にも尽力し下さいました。また、シベリアで飢餓や病気に苦しむ貴国の孤児を日本が救出するお手伝いを100年前にさせて頂いたことを大切に語り継いでいただいており、先日もアガタ・コルンハウゼル大統領夫人及び安倍昭恵・元総理夫人臨席のもと100周年の式典が挙行されたと伺っております。貴国の友情に改めて感謝の意を表します。

このように、極めて重要な両国関係の更なる発展のため、Sylffを通じて、世界最古の大学の一つであり、またポーランドを代表する名門校であるヤゲロニア大学と素晴らしい友好関係を構築してくることができたことは誇りでありますし、これからも両国の友好関係の中心的役割をヤゲロニア大学のSylffが果たしていって下さることを期待しております。

そして、皆さん。私はヤゲロニア大学にはSylffを通じて世界的なネットワーク構築の一翼も担っていただきたいと考えております。ご承知の通り、Sylffには世界44ヶ国69の大学機関が仲間として参加しており、卒業生は既に17000名を超えています。我々は単にフェローの皆さんに奨学金を差し上げるだけではなく、こうしたご縁を大切に、これから一生を通じて家族のようなお付き合いをしていきたいと考えております。

既に、ヤゲロニア大学は他の東ヨーロッパのSylff校と連携するといった積極的な活動をされていると伺っています。また、コロナウイルスの影響で、世界のSylff校の中でも大学での勉強を中断せざるを得ない学生もおりました。こうした困難な時期に東京財団政策研究所のみならず、世界のSylff校の卒業生が、困っている学生に対してお金を集めて支援下さるということもありました。このように既に素晴らしい絆が構築されており、今後より一層連帯を深めていただけるよう、後程事務局から発表があると思いますが、ソーシャル・ネットワークを活用した新しいSylffネットワークについても進めております。是非ともご活用いただければ幸いです。

不確実な時代だからこそ、”One World One Family”という理念のもと、我々の絆をより拡大、深化させていただきたいものです。ヤゲロニア大学はSylffプログラムのシンボル的な存在であり、また、Sylffネットワークの中心的な存在として更なる活動を期待すると同時に、我々はヤゲロニア大学と更なる協力関係が深まることを期待しております。改めて30周年おめでとうございます!

「ハンセン病映画」―ベルゲン国際映画祭― [2023年11月08日(Wed)]

「ハンセン病映画」
―ベルゲン国際映画祭―


今年はノルウェーのハンセン博士がライ菌を発見して150年の記念すべき年です。2月28日にはノルウェー・ベルゲン大学主催の記念式典があり、6月21日22日には日本財団と笹川保健財団共催による「ハンセン病制圧」に関する国際会議をベルゲンで開催しました。

今年3回目となるベルゲン訪問は、2000年にベルゲンが欧州文化首都に選ばれたのを機会に、毎年10月に開催されるベルゲン国際映画祭で私のハンセン病制圧活動のドキュメンタリー・フィルム「ラスト・マイル」が上映されるためでした。

一般公開とは別に、ハンセン病について事前学習した高校生が2ヶ所で見てくださり、終了後「ハンセン病制圧活動を始めた動機は?」「ハンセン病の世界の現況は?」等、好奇心に溢れる質問をいただきました。大いに好感が持て、日本でも是非、実施したいものです。

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高校生たちからは様々な有意義な質問をいただきました


以下は一般公開の折のスピーチです。

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ベルゲン国際映画祭の会場の前で


リン・クリスティン・エンゴ・ベルゲン市長、トール・フォッセ・ベルゲン国際映画祭事務局長、マーガレス・ハーゲン・ベルゲン大学学長、お集りの皆さま。本日、この由緒あるベルゲン国際映画祭において、ハンセン病にまつわるドキュメンタリー・フィルムを上映できることを嬉しく思うと同時に、上映の実現のために尽力して下さった皆さんに心から感謝を申し上げます。

皆さん、2023年は、ベルゲンの誇る偉大な医師であるハンセン博士がハンセン病の原因となる「らい菌」を発見して150年という特別な年であります。そして、ハンセン博士のらい菌発見という偉大な功績があったからこそ、今やハンセン病は薬を服用すれば完治する病気となり、ノルウェーを含む欧米等先進国でハンセン病患者が見つかることはほとんどなくなりました。

しかし皆さん、忘れないでください。ハンセン病は決して過去の病気ではなく、現在進行形の病気なのです。今なお発見される新規患者の数だけで年間20万人に上り、数百万人の人がハンセン病が進行したことで生じる障害を抱えて生活しております。私は半世紀にわたり、120ヶ国を超える国を訪問し、それこそジャングルから砂漠、絶海の孤島にいたるまで様々な現場を訪問し、こうした状況をこの目で見てきました。そして、何より、旧約聖書の時代から続く、ハンセン病に対するスティグマや差別は、残念ながら依然として苛烈であるのみならず、ハンセン病による差別を経験した患者、回復者及びその家族は数千万人に上ると言われることもあります。まさにハンセン病は世界で最も古く、そして大規模な人権問題の1つといえるのです。

私自身、人権問題としてのハンセン病を解決するべく、2000年初頭から当時の国連人権委員会に働きかけ、2010年には国連総会でハンセン病患者、回復者とその家族に対する差別撤廃決議と「原則とガイドライン」が192ヶ国全会一致で可決されました。しかし、これはハンセン病にまつわる差別のない世界の実現に向けたほんの端緒に過ぎません。依然として、ハンセン病に対する差別法が世界24ヶ国に139存在していることから、その撤廃に向けて懸命に努力をしておりますが、様々な地域で独自の差別的慣習が残っているという報告もあります。また、ハンセン病の患者、回復者自身が「自分たちには人権があるのか」といったセルフ・スティグマを抱えていることも少なくありません。

このように、ハンセン病に対する差別は世界的で大規模な人権問題にも関わらず、社会に深く静かに沈殿して、未だにこの深刻な問題は世界の人々に知られず、理解されていないのが現実です。このようなハンセン病の実情を広く周知・啓発する活動の一環として、本年2月にベルゲン市とベルゲン大学がらい菌発見150周年記念式典を開催下さり、また、我々日本財団と笹川保健財団も6月にここベルゲンでハンセン病国際会議を開催致しました。そして今回、ベルゲン映画祭において上映されることは、ハンセン病の人権問題の解決に尽力している私たちにとって、大きな勇気と希望を与えてくれるものであり、また、より多くの皆さんにハンセン病を知り、考える機会になることを期待しております。

ハンセン博士の母国であり、また人権先進国であるノルウェーの皆さんには、必ずやハンセン病は人権問題であるという認識を新たにしていただけるものと思います。皆さんの協力をいただくことで、ハンセン病に対する差別のない世界の実現に近づけるものと私は確信しております。皆さん、ハンセン病のない世界は見果てぬ夢ではありません。ありがとうございました。

「遺言セミナー」―日本財団へ遺贈280通以上― [2023年10月27日(Fri)]

「遺言セミナー」
―日本財団へ遺贈280通以上―


日本財団では後述の挨拶にありますように、本人が亡くなられた後も平和で幸せな家庭を続けていただきたいと願い、全国で遺言書の作成セミナーを展開しています。

中には子どもがいない方も多くおられ、日本財団に遺贈下さる方も急速に増えて参りました。遺言書の書き方相談や遺影の写真撮影にも協力しておりますので、いつでもご遠慮なくご相談下さい。

連絡先:日本財団遺贈寄付サポートセンター 0120-331-531(通話料無料)

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日本財団の笹川です。こんなに多くの方にお集まりいただき、大変恐縮に思っています。日本財団は日本における様々な困難を抱える人たちへの支援をしています。例えば、難病の子供などは親が24時間酸素ボンベを取扱い、夜中も2時間おきに痰をとらないといけないと言ったこともあります。また、貧困家庭の子どもたちの中には、食べるものは焼きそばばかりで、カレーライスを出したら食べたことがないから食べられないといったこともありました。

国だけでは人々の生活が守れない、地方の行政だけでも人々の生活を守れないというご時世において、心ある組織や人が協力して困っている人に手を差し伸べていく時代に入りました。その中において、特に高齢化社会の中で、遺言書を書くということが大切だということを出来るだけわかりやすく説明することが大切であると考えたわけです。

と申しますのは、私は若い時から多くの方と接する機会があり、社会的地位のある方、幸せな家庭生活をされている方も多くいました。しかしそれはご本人が健在の時であり、お亡くなりになった途端にその平和な家庭が崩壊してしまうという家庭をいくつも見て参りました。

例えば、本日もご希望のある方に写真をお撮りしますが、葬儀の折にどの写真を使う、花の飾りの順番が違うといった些細なことから争いが始まり、残された財産の分配の在り方その他で争いが発生し、裁判沙汰になります。親が健在の時は仲が良かった兄弟は、同じ敷地の中で互いに鍵をかけて住み、遺産を長期間裁判で争っているという極端な例もあります。そうした例を見てきて、残された家族もずっと幸せに生活していただくためには、しっかりとした遺言書を書いておくことが重要であると私は考え、この運動をはじめました。

こうした活動をしているなかで、思わぬことに気が付きました。遺言書を書き終えた方は大変お元気で明るくなられるのです。遺産処分について思い悩んで気持ちがもやもやしていたのが、書き終えると重荷が下りたような感じですっきりしたという方も沢山おいでになります。そう難しいことではないのですが、今日、明日、来年も元気だからと遅れてしまいがちだったことが、書き終わるとすっきりして気持ちよくなるということですので、思い立たれたら出来るだけ早くお書きいただくことが重要です。

日本財団は、遺言書の中に「日本財団にお金下さい」ということではなく、皆さんの老後が豊かになるよう協力させていただくのが第一の願いです。二番目には、全国を回るとご家族も少なく、子どももいらっしゃらないという方も比較的多くいらっしゃいます。苦労もあったけど健康に人生を過ごしてきて、最後に人々の交わりの中で生活してきたので、何か社会に残したいというお気持ちの方も沢山いらっしゃるのは事実です。特に社会の為にお遣い建て頂きたいというお気持ちの方のお手伝いを日本財団はさせて頂いており、既に280通をこえる遺贈の書類もいただいています。

日本財団は、お預かりしたお金を人件費や交通費には1円たりとも充当せず、ご希望のところにきちっと使わせていただきます。どうぞ人生の締めくくり、残されたご家庭が平和にいく為に、きちっとした御遺志を書面にしておくことが大事ですし、日本財団には専門の弁護士、司法書士もいらっしゃいますので、相談を頂きましたら丁寧に対応させていただきます。

皆様のこれからの生活がより豊かで、またご健勝に過ごしていただきたいと思いますので、相談があれば遠慮なくご連絡下さい。真摯に対応させていただきます。どうぞこれを機会に、日本財団のような世のため人の為に活動する組織にも興味をもっていただき、相談がありましたら、機密保持は重要ですのでその点もしっかりした意識をもっておりますので、安心してご相談ください。

本日は多くの方にご出席いただき、あらためて感謝致します。定期的に全国を回っていますが、今回良く分からなかった方は、日本財団の専門家が電話でも応対いたしますのでご相談ください。本日は遠くからおみ足を運んでくださった方もいると伺っています。ご健勝で有意義な生活をなされることを願っています。ありがとうございました。

「ベオグラード大学」―名誉博士号受賞― [2023年10月23日(Mon)]

「ベオグラード大学」
―名誉博士号受賞―

9月29日、セルビア大使館でベオグラード大学ブラダン・ジョキッチ学長より名誉博士号を戴いた。

ベオグラード大学は1808年創立で学生数は約10万人。1976年には日本語講座も開設。ササカワ・ヤングリーダー・フェローシップは1987年に修士・博士課程に創設。過去には外務大臣をはじめ有力者を輩出している。

セルビア共和国は、かつてチトー大統領によってユーゴスラビア社会主義連邦共和国として存在したが、1980年、チトー氏の死去により内戦となり、現在はセルビア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、コソボに分裂してしまった。

内戦の折、西側諸国は反セルビアで、内戦被害者への救護物資は届かなかった。日本財団は「ナイチンゲール」の精神で唯一、セルビアの難民キャンプに救護物資を届けたものである。

以下は受賞の挨拶です。

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アレクサンドラ・コヴァチュ・駐日セルビア大使、ブラダン・ジョキッチ・ベオグラード大学学長、今日ご出席くださった皆さん、本日は私に対する格別の配慮による伝統あるベオグラード大学の名誉博士号を頂くこととなり、心より御礼申し上げます。大使がおっしゃったように、10年前に貴国から功労金賞を賜り、またこの度はベオグラード大学の名誉博士号を頂戴することとなり、心より感謝申し上げます。

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ベオグラード大学 ブラダン・ジョキッチ学長より
ベオグラード大学名誉博士号を賜る


思い起こせば貴国が困難に直面していた時、西側諸国から貴国の傷ついた方、難民への支援が届かない状況にあったことを日本から見ておりました。その時、この状態を何としても打破したいという気持ちを持ったことを昨日のことのように思い出します。貧しい人、傷ついた人を助けることは、国を越えた人道活動であり当然であると考えており、人種、宗教、国境を越えた人道活動をするのが日本財団と考えています。何度も貴国を訪問し、貴国の方々と共に汗をかき、救援物資の配布を行ったことを懐かしく思います。チトー元大統領の行きつけのレストランで食事をしたこともあり、近いうちに、まだそのレストランがあるか分かりませんが、訪問したいと思っています。

世界はこれから一層グローバリゼーションが加速する時代となっており、国を越えて世界、そして地球規模の課題に取り組むことができる優秀な若者を支援するためにササカワヤングリーダー奨学金(Sylff)を世界43カ国69大学に創設しました。貴国の大学の中でベオグラード大学が選ばれたのは当然のことですが、我々はベオグラード大学との関係を構築できたことを今でも誇りに思っています。我々の奨学金でベオグラード大学で勉強した方の中に、貴国の外務大臣になられた方もいらっしゃいます。本奨学金の運営についても長年ご尽力いただき、素晴らしい学生に授与して下さっており、運営委員そして選考委員の皆さんに改めて御礼申し上げます。日本財団は奨学基金の運用については東京財団政策研究所にお手伝いいただいており、本日は門野理事長と担当の鈴木常務理事が出席しております。

コロナウイルスの影響で、世界のSylff校の中でも勉強を中断せざるを得ない学生もおりました。こうした困難な時期に東京財団政策研究所は臨機応変に学業を諦めなければならない学生に対して緊急支援を行いました。

東京財団政策研究所は世界69のSylff校の卒業生ネットワークを組織おりますが、こうした困っている学生に対して卒業生がお金を集めて支援して下さったということもありました。私の考えの1つに、継続することがいずれ大きな力になるというものがあります。これからも50年、そして100年、貴大学と我々の間の絆が一層強固になり、連携を保っていけるようにすることが日本財団そして東京財団政策研究所の使命と考えています。

今回の名誉博士号を頂戴したことは2つの意味があると思います。1つは過去の功績を評価いただいたというもの、そしてもう1つは、ベオグラード大学に今後ももっと協力せよという激励と捉えています(笑)。その2つの意味をよく理解し、名誉博士号を謹んで拝受いたします。近いうちに貴国を訪問し、ベオグラード大学でブラダン・ジョキッチ学長と再会できる機会を楽しみにしています。

ありがとうございました。

「海洋開発国際セミナー」―後進国の日本で― [2023年10月20日(Fri)]

「海洋開発国際セミナー」
―後進国の日本で―


反省しますに、私の悪いクセはなかなかタイムリーにブログの掲載が出来ず、常に遅れることです。今回のセミナーは9月28日に日本財団で開催されました。

後述の私の挨拶にありますように、これまで日本の企業は世界の海洋開発の巨大企業との連携がありませんでしたが、アメリカ・ヒューストンにあるこれら大企業の連合体であるDeepStarやノルウェーのNORCEと、日本財団の仲介と助成金により日本企業の参加が可能となりました。

今回、日本企業の技術開発の進行状況の発表を中心にセミナーが行われました。専門的すぎるのですが、財団の透明性と説明責任の見地から、以下発表企業とプロジェクト、相手外国企業名を記しました。

海洋開発国際セミナー.png

* DeepStar(ディープスター)とは
上流企業と呼ばれるChevron(米国)、Shell(英国・オランダ)、Equinor(ノルウェー)、 ExxonMobil(米国)、TotalEnergies(フランス)、Petrobras(ブラジル)、Oxy(米国)、JX 石油開発(日本)など、世界中の海洋石油・天然ガスの探査・開発・生産を担う企業や、これ企業に製品・サービスを提供する企業、大学、研究機関などから成る海洋技術開発のコンソーシアムを指します。
* GCE NODE (ジー・シー・イー ノード) NORCE (ノース)とは
- GCE NODE
 100社以上の企業が参加するノルウェーの技術クラスター
- NORCE
 ノルウェー最大の独立研究機関

以下、海洋開発国際セミナーでの私の挨拶です。

*************

シャキール・シャムジー・Deepstarディレクター、ナビル・ベルバチアー・NORCEリサーチディレクター、ご登壇の皆さん、関係者の皆さん、本日はご多忙の中、海洋開発国際セミナーにお越しいただき誠にありがとうございます。本セミナーは、2017年より海洋開発分野のキーパーソンを招聘し、最新の技術の動向を知るために開催してきており、本年も最先端技術の発表がなされることを期待しております。

皆さまご承知のとおり、世界人口は既に約80億人に達しており、60年後には100億人を超えると推察されております。人口増加に伴い我々は、人類を含むすべての生命を支える「母なる海」に対する負荷も増大させてきました。今や「母なる海」を取り巻く環境は危機的であり、「母なる海」は静かな悲鳴を上げています。

私たち日本財団は、40年近く前に今日のような状況を想定し、この危機に対処すべく長期的な視点に立ち、海を守る事業に重点的に取り組んできました。その取り組みは150ヶ国から1600名以上の海の専門人材育成、北極海航路の開拓、マラッカ・シンガポール海峡の安全航行支援、太平洋島嶼国への支援、日本国の海洋基本法制定への尽力など多岐にわたります。

こうした取り組みの一環として、再生可能エネルギーを含めた海洋エネルギー開発や、海底鉱物資源の利用などの海洋開発産業の発展にも力を入れており、実践的技術やノウハウを持った技術者の育成に加え、日本の強みを活かした技術イノベーションの創出に取り組んでおります。

人材育成においては、2016年に産官学公で連携した人材育成機関「日本財団オーシャンイノベーションコンソーシアム」の実施するプログラムの参加者は約5400名に上ります。参加した大学生の過半数が海洋開発業界に就職しており、産業の将来を担う若い人材が着実に育っております。

また、本日の発表にもございますが、技術開発では、当財団の有するネットワークを活用し、各国の要人や企業トップ等と積極的に交渉を重ね、海洋開発の先進国である英国スコットランド、米国ヒューストン、ノルウェーとの間で、それぞれ連携共同技術開発プログラムを実施しています。2018年の事業開始時は、多くの日本企業はDeepStarのようなオイルメジャーへのアクセスもなく、共同開発はおろか、そもそも開発ニーズの把握、すなわち何を開発するべきなのか?ですら特定することが困難な状況でした。

そのような中、DeepStarやNORCEを中心とした連携技術開発プログラムでは、既に6年間で約40事業を助成してきました。約半数の事業は現在開発中ですが、中には既に実用化され、現場の課題解決の一躍を担うことを期待されている技術もあると聞いております。改めてここにお越しいただいているDeepStarやNORCEのご尽力に感謝すると同時に、大きな期待を寄せられるこの海洋開発業界を共に牽引していくために、日本財団は引続き人材育成と技術開発を柱として、皆様と共に精一杯汗をかいていきたいと思っております。

先ほど、海洋開発の分野に若い人材が多く入ってきていることについて述べました。今やイノベーションを起こすためには若い人材の持つ新しい考えをどんどん取り入れ、スピード感を持って取り組むことが非常に大切であると考えています。魅力ある取り組みをしている産業には人材が集まります。海洋開発産業にイノベーションが起こっているとわかれば、来るなと言っても人は集まります。この素晴らしい可能性を秘めた事業に取り組んでいることに敬意と感謝を表するとともに、若い人の考えを取り入れながら日本から世界に発信するイノベーションが起こることを期待しています。

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