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「フジモリ元大統領」―彼との思い出 その3− [2024年10月02日(Wed)]

「フジモリ元大統領」
―彼との思い出 その3−


ある日、フジモリ氏に今一度大統領選に出馬する意思があるかと尋ねたところ「勿論です」と力強く答えられた。そこで、フランスのドゴール大統領の話をさせてもらった。ナチスに追われたドゴールは英国に亡命。「自由フランス」の名のもとにラジオを通じて毎日のようにフランス人に「ドゴール顕在、いずれフランス開放」を訴え続けた。「あなたも通信機器を駆使して、日本から直接ペルーの人々にフジモリ顕在を直接アピールをしたらどうでしょう」と話したところ、神妙に私の話を聞いていたフジモリさんは破顔一笑、立ち上がって「それは素晴らしいアイデアだ」と私の肩に手をかけて「やります」と笑顔で答えられた。

それからが大変であった。メカニックに強いフジモリさんは秋葉原に日参。「機械は揃ったが場所がない、ササカワさん場所を貸してくれ」といわれ、幸い日本財団には小部屋が一つあった。演説をするには機械と共に十分の広さではなかったが、毎日夕刻からペルー各地に演説をしているようであった。「一度ペルーの人たちが熱狂しているところを見てよ」とのことで、狭い部屋に入ったところ、身振り手振りで熱弁をふるうフジモリさんに山岳地帯の人々は、手を振り上げて口々に「チーノ、チーノ!」の大合唱であった。フジモリさんは毎日ペルー各地を選んで熱弁をふるっていたようだ。手応えを感じたフジモリさんは大統領に立候補することを私に伝えた。

しかしインターポール(国際刑事警察機構)から追われているフジモリさんである。どのように帰国するかが問題であった。二人で真剣に話し合った。彼は何とかチリまで入れば帰国できるという。

「なぜチリまで入国できれば安全なの」
「チリとは国境問題の解決もしたし、チリ政府は私を信用してくれている」
「ところでササカワさん!カンボジアのフン・セン首相は親しいでしょう。南アフリカの大統領は知ってますか。」
「フジモリさん、そんなの無理だよ。インターポールにやられるよ。それより正攻法でいきましょう。大統領立候補審査委員会は5名だよね。フジモリ派は何人ですか」
「2名は確実。2名は反フジモリです。1名は分かりません」
「それでは残り1名の説得にあなたの支援者に全力を挙げてもらって下さい。大統領立候補資格審査で認められない帰国はインターポールの存在もあり危険ですし、大統領への立候補も出来ませんよね。」

しかしフジモリさん、毎日の演説で「チーノ、チーノ!」と現地の熱狂に若干冷静さを失っており、ラテンの楽観主義を押さえるのに苦慮することになった。「早ければ12月前に立候補資格が確定すれば、インターポールも多分手を出さないだろうし、カトリック国ペルーを思うとクリスマスの帰国が効果抜群だと思うがどうでしょう」とお伝えしても、フジモリさんは返事をしない。「何とかチリまでの帰国の方法を考えてほしい」と二人の意見は全く分かれている。

「フジモリさん、インターポールを甘く見てはいけません。場合にっては日本からの立候補で当選の上で大統領として凱旋帰国するのが最もフジモリさんらしいと思いますね。とにかく立候補審査委員会に認められなければ、何も始まりませんよ。最後の1人の説得に全力を挙げてください」と言っても、フジモリさん、毎晩の現地の熱狂に「何とかチリまで行ければペルーに入れるのだが」という。普段冷静なフジモリさんが私の説明に全く納得がいかないようであった。

ある日フジモリさんが見知らぬ女性と靖国神社を参拝している写真が週刊新潮に出た。

「フジモリさん、この写真どうして出たかわかる?」
「メディアが撮影したのでしょう」
「それはそうですが、誰がメディアに知らせたの?」
「わかりませんね」
「わからないって、あなたかこの女性のどちらかでしょう。大切な時期ですから慎重にしてくださいね。出来たら別れてください。」
「???」

下を向いて返事をしなかった。

私が海外出張に出ている間に彼女と二人でロサンゼルスに出発。チリで逮捕されてしまった。私の机には「お世話になりました」とのメモと、ワインが一本置いてあった(続く)。
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