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「新聞は劣化しているのか」―私の恋人『新聞』― [2024年03月01日(Fri)]

「新聞は劣化しているのか」
―私の恋人『新聞』―


私は毎日、新聞を読むのが何よりの楽しみで、朝日、産経、日経、読売、毎日の5紙は必ず読んでいる。

2007年6月13日のブログで新聞を『恋人への願望』として掲載した。現在も私にとって毎日の楽しみであることに違いはない。しかし2月25日(日曜)の上記5紙の広告の多さには驚かされた。

近年、各紙販売部数減が顕著であることは承知していたが、あまりの広告の多さと記事内容の貧弱さに、新聞業界の置かれている苦悶に同情を禁じ得なかったのと同時に、今や死語となっている「警世の木鐸」(世人を覚醒させ教え導く役割)の精神を復活していただきたいと切に願っている毎日である。

かつての激烈な販売部数獲得競争は終わり、今やスマホが中心となり、自宅で新聞を購入しない、読まない若者が激増中である。各社とも海外駐在事務所は減少の一途にあり、「外電砂漠」とも言われ、グローバリゼーションの中で世界あっての日本にもかかわらず、質の良い海外ニュースは激減している。

近頃の政治家のパーティー券問題では、なぜ政治に金が必要かの本質論を外れ、まるでクオリティーペーパーがイエローペーパーへと変質している。何故、政治に金が必要なのか、本質的問題に対する問い掛けもない。各社に多数存在する政治部記者は、日常的に政治家に接触しながら情報を収集し、時に飲食を共にし、事実上の“接待”も受けている。そうした現実を反省している新聞も見当たらなかった。

新聞記者が「警世の木鐸」としての倫理と法令順守が必要なことは言うまでもない。貧すれば鈍する(品性がさもしくなる)と言うが、2月25日(日曜)の朝刊を読み比べ、あまりの広告の多さに唖然とし、計算してみたら下記の通りであった。

新聞.jpg


新聞はかつて読売新聞の渡辺恒雄主筆の努力で郵政省の第三種郵便の資格として、記事と広告の比率を50%と50%に引き上げられた。しかし、前記の表の通り、朝日新聞は34ページの内20ページに広告であり、2月26日(月曜)の日経は、36ページ中なんと、21ページが広告であった。明らかに第三種郵便物の基準違反である。多分、各紙恒常的に行われているのかも知れない。

新聞大好きの人間からのお願い。
警世の木鐸たる新聞の社会批判大いに歓迎、しかし、まず「隗より始めよ」

※再録
2007年6月13日掲載ブログ「恋人への願望」

私の恋人は新聞である。毎朝5時過ぎには出迎える。しかし、最近の恋人は少々我儘になって、訪れる時間がその日によって異なるのである。

内緒の話、私の恋人は3人である。したがって、雨の日も風の日も雪の日も、2〜3度は出迎えに出なければならない。逢えば抱擁し、世の中で起こったことや意見を聞くことに時間をかける。

私が待っているのに6月11日には来なかった。事前に休ませてもらいたいとは聞いていたが、あるいは来るかもしれぬと思い、午前5時には雨の中、傘をさして出迎えに出た。

勿論、貴女は来るわけもないのだが、長い間の習慣で、現実をみないと納得できないのである。

いかに貴女を愛しているかわかって欲しい。

若い頃、好意を持った女性から「ひょっとして手紙が来ているのでは」と期待に胸を膨らませ、郵便受けに手を入れ「やっぱりなぁ」と思った気持ちによく似ている。

かつてはそれぞれに個性があって楽しかったが、最近は個性があるのは1人になってしまった。話の内容もほとんどが通俗的で、どこかで聞きかじったことを単に伝えてくれるだけになってしまった。

私は、「欧米では存在そのものを問われるほど危機感があるよ。テレビやインターネットのような競争相手に負けてしまうよ」と伝えて久しい。

頭ではわかっているが体が動かないらしく、一応深刻な顔をするが、内心では、当分の間は大丈夫だと思っているようである。

かつて、我が恋人は充分に魅力的であった。深い洞察力と確固たる信念は、私を魅了してくれた。最近は自信がないのか、鍋、釜、洗剤で自身の魅力の減少を補おうとしている。

そして「私の恋人は何百万人もいる。なかには1000万人もいる」と厚化粧の限り振舞っている。

私は毎日逢いたいのに、貴女は仲間と相談した結果、1年に12回は休みたいという。その上、車代も仲間と相談して決めているらしい。

しかし、私の友人の話によると、関西方面では3カ月無料とか、4年間なら最初の1年は無料でという人も出てきたという。私への一方的説明と実際は大いに異なるらしい。

私のような人間は、まだまだ恋焦がれているが、若い世代は、既に貴女達を恋人の対象から外し、どんどん新しい分野の人を恋人にしている。しかし、私の恋人はまだ自信満々のようである。

貴女達には『警世の木鐸』としての重大な責務がある。
将来を担う若者が魅力を感じるよう、大いなる変身を期待しているのだが・・・。
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コメント
社会の木鐸へ
Ⓐ「木鐸」(ボクタク)とは、世人を覚醒・啓蒙させ、天にかわ
って道を行う(為す)、重責を負った人間を言う。ここで
は主に跪中的な新聞、雑誌・出版社・テレビ放送、マス
メディア、学者、識者、コメンテーターなどを指す。「木
鐸」一語は『論語』の八佾(ハツイツ)から来ている。
意味:「天下の道なきや久し。天、将に夫子(孔子)を以
て木鐸と為さんとす」
原文:「天下之無道也久矣,天將以夫子爲木鐸」
その後、南朝の梁.劉勰(リュウキョウ)の「文心雕龍」 (ブ
ンシン チョウリュウ)には、「(孔子の)教化は木鐸の鈴の音のよ
うに千里に共鳴し、彼の道徳や学問は席上の珍品のよう
に後世に流布し万代にわたって響く」とある。
原文:「木鐸起而千里應,席珍流而萬世響」
※席珍 儒者の才学は座席の上席にある珍しい
宝玉のようである。
明(1368 年‐1644 年).朱權《卓文君》に至っては、
「諺に、時が至れば木鐸はチリンチリンと鳴るが、時が
至らざれば蘭の香りも麝香(ジャコウ)も匂わず」となる。
原文:「常言道時來木鐸也叮噹響,時不至呵蘭麝也不生
香」
すでに明代から「木鐸」は「殷々(インイン 音の盛んなさ
ま)と響くこと」から、チリンチリンと鳴るものとして
揶揄(ヤユ)されていた。
Ⓑこれまで「社会の木鐸」は世間を睥睨(ヘイゲイ あたりを
にらみつけて勢いを示す)してきたが、第五の権力・ネ
ットメディアの台頭と普及により、世の中が大きく変わ
った。情報は、新聞やテレビなどのコントロール外とな
った。
「木鐸」が鳴ってもチリンチリンとしか聞こえず、時
が至らざれば、と言うより時が過ぎ去りて(Time is
passing away)、麝香も二度と香(カオ)らなくなった。
ネットメディア時代なので、外国語をしっかり勉強
(できれば英語以外にもう一ケ国語)すれば、学者らや
マスメディアらに負けない知識や情報が確実に手に入
る時代になったので、木鐸はますます必要がなくなった。
ただし、過度の外国語偏重は、「外国語通とは、自国以外
の諸外国語には造詣が深いものの、自国語にはあまり通
じていない奴」(ビアス)にもなりかねないので、語学以
外も猛勉強したい。
今後は学者、評論家、教授、コメンテータ−などと違
って、羈絆(キハン きずな)に囚われず、発想や思索を自
由に飛翔させることができる、在野の学者(学ぶ者)の
ほうが、力を発揮する時代になるに違いない。
マスメディアは自分たちの既得権益に未練がましく、
インターネットのフェイクニュースの危険性を云々す
ることで、それをすり替えようとしたり、覆い隠そうと
したりしている。それは木鐸らの断末魔的喘ぎ、犬の遠
吠え、挽歌、レクイエム、葬送曲、誄歌(ルイカ 死者の生
前の徳をたたえる歌)なので、言わせておこう。


シナ問題研究家 藤田啓
『元商社マンによる真実のシナ論』 P236
“令和元年”だからこそ、シナとは何かを見直そう!
(発行所 パブフル)
Posted by: 藤田啓  at 2024年03月01日(Fri) 12:56

全くその通りです。時折、ジャパタイ+NYTimesの英字新聞を買って読みますが、NYTの記事の豊富なこと!
日本の主要紙が部数減少で困っているのなら、何で企業合併しないのか不思議ですね。天江喜七郎
Posted by: 天江喜七郎  at 2024年03月01日(Fri) 08:02