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「外交文書公開」―私の若干の秘話― [2022年12月28日(Wed)]

「外交文書公開」
―私の若干の秘話―


12月21日(水)、外務省は1991年に作成し、30年経った外交文書を公開した。

湾岸戦争、天皇訪中、日・ソ交渉などが主なものであった。その中の、21日付朝日新聞(夕刊)の「ソ連クーデター秘密公電は語る」は、1991年8月のクーデター未遂事件の最中、安否不明のゴルバチョフ大統領の生存を東京に伝える秘密公電があり、作成者はモスクワ勤務の日本人外交官で、現在作家の佐藤優氏だと、編集委員の藤田直央氏が伝えた。この「ソ連クーデター事件」に至る若干の情報を私は個人的に知っていたので、追加しておきたい。

1991年4月18日から、海部首相とゴルバチョフ大統領との首脳会談が官邸と元赤坂の迎賓館で行われた。私は来日前にクレムリンの奥深い大統領執務室で、来日の際にはウラジオストックの日本人墓地で献花するよう進言し、大統領は「誠に『建設的な意見』だ。必ず実行する」といって喜ばれたことは以前に記した。来日された際は迎賓館で面談もした。その折、ゴルバチョフ大統領に同行していたソ連の新思考外交を教示した元カナダ大使のヤコブレフ氏(政治局員)も同行されていた。ヤコブレフ氏はゴルバチョフ大統領に「最近共産党内部で不穏な動きがある」と進言したところ、大統領は「我が共産党にそのような勇気のあるやつはいない」と一笑した。ところが帰国後、ヤコブレフ氏の自宅に盗聴器が設置され、二人の間は決定的に不和となった。

一方クーデターの首謀者の一人、全ソ労働組合中央議会幹部であったゲンナジー・ヤナーエフ氏(クーデター当時副大統領)が来日の折、無謀にも海部首相との面談を申し入れたところ、労働組合の幹部まで首相が面会することはないとの意見であったようだが、彼は、日・ソ交渉にも影響力を持つ人物だから是非とお願いし、面談が実現した。後日、クーデターが発生し、各紙に掲載されたヤナーエフ氏の写真は全て海部首相との面談の折に撮影された一枚の写真のみであった。

あれから30年とは、私も馬齢を重ねたものである。

2022.12.28ゴルバチョフ大統領.png
1991年4月の日ソ首相会談(海部首相とゴルバチョフ大統領)
の約7ヶ月前の1990年9月18日、大統領執務室で会談
(右)大統領、(左)ヤコブレフ政治局員

2022.12.28ヤナーエフ氏.png
1996年4月27日
引退後のヤナーエフ氏(クーデター当時は副大統領)と彼のアパートの前で


(注)新思考外交とは
1985〜1991年までのソ連ゴルバチョフ政府が西側との相互依存の重視、他の社会主義国との対等の関係などを掲げた新しい外交方針。
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91年のゴルバチョフ来日時にあたっては、ヤコブレフ氏からわが師である末次一郎氏に、「訪日前にゴルナチョフ大統領がウラジオストクの日本人墓地を訪問する案が日本の民間団体から来ている。どうしたものか」という問いあわせがあった。
私は『捕虜の文明史』新潮社)、『捕虜たちの日露戦争』(NHKブックス)など6冊の捕虜関係の著書を上梓した捕虜の研究者として、末次や日本外務省から意見を求められ、ウラジオストクよりハバロフスクの日本人墓地のほうが規模が大きい、ウラジオは帰国を前にして亡くなった人たちがほとんどであるく、その点でもハバロフスクの日本人墓地が総合的でふさわしいのではないかと意見を述べた。また、ゴルバチョフ大統領が日本でもロシア人墓地を訪問してはどうか、大阪の浜寺、松山、長崎、名古屋った日露戦争時のロシア人捕虜収容所のあった墓地が候補地であろうがなどと、それぞれの墓所の埋葬者、数、将兵としての階級、埋葬の時期などを関係筋の送った。これによって、ソ連国内での保守派への配慮になるはずとまで、踏み込んで返事した。
 結局、大統領の次の日程が済州島だったこともあり、長崎のロシア人墓地を訪れた。関西での日程が押したこと、ロシアの大統領専用車が大きくて、日没時の薄闇迫る中での短時間参拝になった。
 この際明かしておきたいのは、ゴルバチョフ大統領の東京滞在中、ホテル・ニューオータニで、シベリア抑留者たちの3団体の代表たちと、大統領ご夫妻がお会いする場を設けた。しかし、3団体の関係はすこぶる悪く、場内は騒然。仲介した末次とともに、私は文字通り、体を張って、客人を守った。
 笹川会長のブログを拝読し、30年を経たこととして、思い出と感想を書かせていただいた。
Posted by: 吹浦忠正  at 2022年12月28日(Wed) 09:59