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「ゴルバチョフご逝去」―若干の思い出― [2022年09月06日(Tue)]

「ゴルバチョフご逝去」
―若干の思い出―


東京アフリカ開発会議(チュニジア)に出席後、エチオピアに入り、ササカワ・アフリカ財団が35年間継続して支援している小規模農家への食糧増産プロジェクトの現場視察と、ハンセン病回復者の本部開設式典に参加のため、首都アジスアベバに滞在中にゴルバチョフ元大統領のご逝去を知った。

彼とは6回会談したが、最初は1990年9月18日であった。

当時筆者は、日本の重工業企業50社の代表団を組織し、ウラジオストックからモスクワ迄、チャーター機で10日間にわたり視察して回った。チャータ−料金は10日間で600万円という安さで、一人12万円程度だった。

モスクワでは当時、謎の研究所と言われたクルチャートフ研究所を訪れ、原子力は勿論のこと、超電導の研究施設も見学。ロシアの知識人もどうしてあそこに入れたのかと驚いていた。

18日の夕刻、突然ゴルバチョフ大統領(当時)より面談の連絡が入り、ロシア人通訳と二人でクレムリン宮殿に入った。長い薄暗い廊下を50メートルほど歩いて案内された部屋には、大統領と側近で大統領に新思考外交を伝授したヤコブレフ氏が立っていた。花一つない何とも殺風景な部屋であった。

話題はチェルノブイリの悲劇的な惨状の説明があり、広島、長崎の経験から得た日本の最新医療技術の協力要請があった。この件は、その後10年間にわたる協力・支援となり、大統領の命令で、旧ソ連から成田に飛来した世界最大の輸送機・アントノフに日本の最新医療機器を満載。巡回バス10台も運搬された。その後ソ連はロシア、ベラルーシ、ウクライナの3カ国に分割されたが、その成果は国際原子力委員会(IAEA)と世界保健機関(WHO)に詳細な報告書として提出された。

閑話休題。
私は面談の折、大統領に「日本国民はソ連が大嫌いです。ですから多少でも日本人の心を和らげるために、ウラジオストックにある日本人墓地に花を捧げてからおいでください」と述べたところ、大統領はテーブルを叩いて「素晴らしい考えだ。我が外務省には何遍も良い知恵を出すように指示したが、このような建設的な意見は初めて聞いた。必ず実行する」と、嬉しそうに語った。そこで私は北方領土返還問題を間接的な言い方で「日本は外国からの賓客の来日には可能な限り大きな土産を期待する国民です。その事をお忘れなく」といったところ、大統領は私の発言を理解し、両手を広げて大笑いになった。

「日本に行ったら是非、あなたに会いたい!!」とおっしゃり、来日した折、赤坂の迎賓館でお目にかかった。

ある時、大統領の知恵袋であったヤコブレフ氏が、「最近、共産党内部に不穏な動きがある」と忠告したところ、大統領は「我が共産党にそのような者はいないと」一蹴(いっしゅう)。逆にヤコブレフ氏を疑い、彼の住居に盗聴器を設置したことから仲たがいしてしまった。ヤコブレフ氏の発言が正しいとわかったのは、その後発生した当時労働組合の委員長であったヤナーエフ氏の三日天下のクーデターであった。

その後、失意のヤコブレフ氏をなだめると「私は現在、回顧録を書いている。ロシアの首相になるよりアカデミーのメンバーになりたいんだ。ただ130人のメンバーは終身会員なので、誰かが死なないとなれないのだ」と、実現不可能な表情であったが、幸い?一人欠員が出て、めでたくアカデミーの会員になられた。私もどういうわけがアカデミーの外国人会員であるらしい。あるらしいというのは、会員証はあるが、一度も集まりに招待されたことはないからだ。

大統領退任後は、クレムリンから車で20分ほどの場所に事務所を開き、静かな活動をされていた。

90.09.18 ソビエト ゴルバチョフ.png
クレムリンの奥深く
ゴルバチョフの執務室で(左 ヤコブレフ氏)

96.04.27 ソ連 ヤナーエフ氏.png
三日天下のヤナーエフ氏

ライサ夫人と子供たち.png
モスクワの第9病院でチェルノブイリ原発患者を見舞った折
ライザ・ゴルバチョフ夫人と共に子どもたちに囲まれて


※以下は岡崎研究所所長、茂田宏氏のコメントです。

ゴルバチョフは意図してソ連圏とソ連を崩壊させたわけではないが、東欧を解放し、冷戦を終結させ、人類史において大きな成果を上げたと評価していいと考えている。

私はゴルバチョフは嘘や暴力を嫌い、腐敗することのなかった品性を備えた指導者であったと考えている。私はゴルバチョフが登場したころ、英国に勤務していて、サッチャー首相がゴルバチョフ訪英後、「I can do business with him」というのを聞いた。英国から帰った後、私は外務省でソ連課長をしていたが、ゴルバチョフがいかに革新的な指導者であるかを認識するのには、時間が必要であった。彼の革新性はそれほど大きかった。私はロシア史の中での彼の役割は飛びぬけていると今も考えている。

プーチンはゴルバチョフの遺産をなくそうと努力しているが、これには無理がある。プーチンはロシア史を嘘で塗り固めようとしているが、人間に対しては真実が虚偽よりもずっと説得力があるし、歴史はなかなか逆転させられないからである。

ゴルバチョフがソ連の仕業と認めたカチンの森でのポーランド将校虐殺事件やゴルバチョフの盟友、ヤコブレフがその文書を公開した独ソ不可侵条約に付属するモロトフ・リッベントロップ秘密議定書(ゴルバチョフ時代まで存在を否定していた)をいまさら否定できない。ゴルバチョフ時代に嘘であるとすでに暴露された言説をプーチンが再復活させることは覆水を盆に返すようなことで、不可能である。

ロシアの今後については、ゴルバチョフの役割が再評価される時代が来ると私は予想している。プーチンは評価されることはないだろう。今度のウクライナ戦争もあるが、プーチンはリトビネンコ暗殺、ナワリヌイ毒殺未遂などに関与した疑いがあるほか、腐敗もしており、品性を欠く。ゴルバチョフは品格があり、それがゆえに正しい決定をなしえたと思われる。結局、政治家にも、品の良さが大切であるように思う。
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