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「ウクライナ避難民へ」―10億円基金募集― [2022年06月21日(Tue)]

「ウクライナ避難民へ」
―10億円基金募集―


2022年6月15日付毎日新聞は、堀和彦氏と金寿英氏の両記者の長文の記事が掲載された。
私の拙文よりはるかに説得力のある記事なので、全文、無断で拝借しました。

避難民支援の基金設置
物心両面ケア目指す


 日本財団(東京都港区)は13日、都内で記者会見を開き、ロシアによる侵攻が続くウクライナから日本に逃れた避難民を支援する基金を設置したと発表した。停戦が見通せない中、日本語学習など避難生活の長期化を見据えたサポートを目指し、9月末まで国内外から総額10億円の寄付を募る。

総額10億円寄付募る
 基金は、かつてウクライナから逃れた祖父を持つラーム・エマニュエル駐日米大使が、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使と、ウクライナ避難民への支援で実績のある日本財団に呼びかけて実現した。エマニュエル氏は会見で「いつの日か母国での生活を取り戻せるようにしたいが、それまでは日本で故郷にいるかのように感じてもらうための手助けをしたい」と狙いを説明した。

 出入国在留管理庁によると、3月2日以降に入国したウクライナ人在留者は1274人(6月12日時点の速報値)。うち7割以上がビザを「短期滞在」から「特定活動(1年間)」に変更しており、避難の長期化が課題となっている。基金で生活物資や交通系ICカードなどを援助するほか、花火大会への招待といった日本文化に触れてもらうイベントも企画する。

 日本財団の笹川順平常務理事は「子供を育てる上で緊急的に出てくる病気の問題やメンタルケアなどにも対応するシステムを作りたい」と述べた。コルスンスキー氏は「日本で学ぶウクライナの若者は将来、祖国の復興に大きな役割を果たすだろう。日本文化を理解した日本の重要なパートナーとして、両国のビジネスの橋渡し役にもなりうる」と支援の意義を強調した。

 会見には避難民家族も同席した。北東部ハリコフ州に住んでいたビラ・オクサナさん(48)は、ウクライナ侵攻が始まった2月24日の朝、爆発音で目を覚まし、「戦争が始まった」と実感したという。その後、近隣の住宅が破壊されるなど危険が迫り、西部リビウ州に避難。4月下旬に同州を離れ、2人の子供と日本に逃れた。

 オクサナさんは「この状況がいつ終わるのかわからない」と不安そうに話したが、「今は街並みがきれいな日本にいて安心している。支えてくれる日本人のために、何か役に立てることをしたい」と謝意を示した。息子の大学生、イェレネツ・マークさん(22)は日本で「哲学や歴史を学びたい」と笑顔を見せた。

集合写真1.JPG
記者会見に出席のウクライナ避難民家族(前列)と
エマニュエル駐日米国大使(後列右)
コルスンスキー駐日ウクライナ大使(後列中央)と
日本財団常務理事の笹川順平
撮影:日本財団 冨永夏子


 日本財団は特設ホームページなどで寄付を呼びかけている。問い合わせは、日本財団(0120・533・236、平日午前9時〜午後5時)へ。【堀和彦】

 ◇迫害逃れた祖父に思い重ね 発足呼び掛けた駐日米大使

 「数百万人が古里を追われた歴史を振り返った時、いつかあなたは問われるだろう。あの時何をしたのかと」。ウクライナからの避難民を支援する基金設置の発起人であるラーム・エマニュエル駐日米大使は、13日の記者会見で訴えた。そして、「自由な国の大使として職責を超えた道義的責任がある」と強調した。

 米紙などによると、ユダヤ系のエマニュエル氏は父方の祖父が1905年、ユダヤ人への迫害「ポグロム」から逃れるため、ウクライナ南部オデッサを出てイスラエル建国前のパレスチナに移り住んだ。小児科医だった父親は53年に米国へ渡り、2年後にシカゴへ移住。母方の祖父も、ウクライナの隣国モルドバからポグロムを逃れてシカゴにたどり着いたという。エマニュエル氏は民主党政権内で要職を歴任し、シカゴ市長も務めた。

 ロシアがウクライナ侵攻を開始した翌日の2月25日、約1カ月前に駐日大使に着任したばかりのエマニュエル氏は急きょ、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で記者会見を開いた。この日はウクライナのセルギー・コルスンスキー、ロシアのミハイル・ガルージン両駐日大使が同協会でそれぞれ記者会見し、非難の応酬を繰り広げていた。エマニュエル氏はプーチン露大統領を呼び捨てで「(世界の)のけ者」と批判するなど、ウクライナへの連帯を鮮明にした。

 自衛隊の防衛装備品の空輸で米軍機の活用に尽力するなど、ウクライナへの側面支援にも奔走してきたエマニュエル氏。力を注いできたのが、来日したウクライナ避難民のサポートだ。
 4月21日にはコルスンスキー氏と共に、首都圏近郊で避難生活を送る母子ら22人と面会し、ピザパーティーを開いて慰労。公共交通機関や買い物に利用できる25ドル(当時のレートで約3200円)分の交通系ICカードを自費で全員に配布した。祖国に夫を残してきた女性は、一緒に避難した2人の子供に話題が及ぶと、エマニュエル氏の肩に顔を寄せて涙を流したという。面会後、エマニュエル氏は記者団に「心に刻まれる出来事だった」と語った。

 「全ての避難民へと支援を拡充できないか」。コルスンスキー氏とそう話し合ったエマニュエル氏は、すでに国内でウクライナ避難民の生活支援に取り組んでいた日本財団の笹川順平常務理事に電話で直談判し、基金の設置につながった。

 エマニュエル氏は13日の会見で、日本では過去に海外から多くの避難民を一斉に受け入れてきた経験はあまりなかったと指摘した上で、「日本国民はウクライナ避難民を歓迎し、地域で受け入れてきたが、さらに大きな一歩を踏み出してほしい」と寄付を呼びかけた。また、「プーチンは自由を愛する西側諸国の人々が疲れて息切れすることを望んでいる。私たちの意志と忍耐が試されている」と付け加えた。【金寿英】

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