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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「文芸春秋」―創刊100周年― [2022年01月13日(Thu)]

「文芸春秋」
―創刊100周年―


文芸春秋は1923年、小説家・菊池寛が創業して今年は100周年を迎えた。愛読者の1人として誠にお目出たいことで、心からお祝い申し上げます。

100周年記念大型企画として「100年の100人」が企画され、多くの有名人の中に亡父・笹川良一も選ばれました。

この新年特別号は是非読んでほしいと思います。文芸春秋のご了解なく、下記の通り掲載しました。どうぞご寛恕願いたいものです。


笹川良一

日本財団会長 笹川陽平
“昭和政財界の大物”笹川良一(1899〜1995)は、ハンセン病撲滅運動をはじめ、社会貢献活動に人生を捧げたことでも知られる。息子で日本財団会長の笹川陽平氏が、父の生きざまを語る。

冬場でもきまって水風呂

 父の衝撃的な映像があります。1983年にネパール山麓のコカナ療養所を訪ねた時のこと。最愛の母親や弟を亡くしても泣かなかった男が、重いハンセン病に苦しむ女性の手を握り、人目もはばからずに泣きじゃくっている。父は弱者や困っているに人に本当に優しい人でした。

 生まれは大阪の豊川村(現箕面市)。小学校の同級生には文豪・川端康成もいた。二人の祖父が碁敵でよく一緒に遊んだそうです。川端もハンセン病への理解があり、北条民雄が自身のハンセン病体験を綴った『いのちの初夜』(1936年)の「文學界」掲載に尽力したそうです。

 世のため人のために尽くした父でしたから、身内には厳しかった。水道の無駄使いをするなと、お風呂は必ず二人一組で入る。父は冬場の風呂でもきまって水風呂に入るから、一緒に入る時はつらかった(笑)。

 「現場に問題と解決がある」
 私の哲学である現場主義は父の生き方そのものでした。

 父は20代の頃、民本主義で有名な吉野作造にアポなしで面会。東京市長の後藤新平を紹介してほしいと頼んだところ、吉野は「君ならば私の紹介なしで会えるよ」と、やんわり断りながらも、父に内緒で後藤に「見込みのある青年だから是非会ってやって欲しい」と手紙を書き、父の情熱を高く評価していました。

 戦後は、ハンセン病患者の救済活動以外に、日本傷痍軍人会の会長として元兵士や戦争で夫を亡くした妻の支援に奔走。がん研究会の付属病院に行けば、病棟の最上階から全ての病室を回って末期がんの患者を元気づけ、なじみの料理屋の女中が入院すればすぐに病院に駆けつけた。

 彼の生き方を引き継いだ私は、ハンセン病制圧のためにこれまで世界70カ国を回りました。彼のことを思い返すたびに、社会のために生きるんだと、今も奮い立たされます。

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