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「日本財団の方向性と若干の人生観」―財団の創立記念日スピーチ― [2021年10月25日(Mon)]

「日本財団の方向性と若干の人生観」
―財団の創立記念日スピーチ―


2021年10月1日


皆さんにはこういう状況下にもかかわらず出席いただき、大変恐縮です。

私はあまり過去を振り返るのは得意ではありません。常に未来志向で活動をして参りましたので、過去のことは、鳥海さんが苦労して私達の過去の仕事をまとめてくださり「日本財団とは何者か」というシリーズ、確か7冊ぐらい出ていると思いますので、日本財団職員の必読の書として是非ともお読み下さい。

コロナ禍の今日、皆さんの働き方の環境整備について、フレックスタイムの導入などさまざまな議論があり、結果的にそれを一気に飛び越えてテレワークで仕事ができるということになってきたわけで、そういう意味では大変自由なというか、仕事の環境に自由度が大きく広がったと思います。

特に私達の財団は55%が女性ですし、女性の方々の中には育児中の方もいらっしゃいます。こういう方々への配慮は、ご存じの通り、今までも大胆に行ってきました。働きやすい環境の提供は、皆さんの能力、才能を発揮していく上で必要です。また、風通しの良い職場の雰囲気を作ることも私に課せられた使命だと思っています。

しかしよく考えてみますと、一見、自由度が与えられたような働き方は、逆に皆さんにとってプレッシャーとは言いませんが、自己責任が問われる時代になってきたともいえるのではないでしょうか。職場に集まって仕事をすることから家庭あるいは駅前のオフィスを借りて仕事をすることも可能になったわけで、事務所まで来るのに1時間も1時間半もかかるわけですから、それが省略されるということはいいことではありますが、こういう自由度が与えられたということはどういうことかと言うと、自らの責任が非常に重くなってきたということにもなるわけです。

皆さんがたはプロフェッショナルです。プロというとスポーツ選手や芸能人を思い浮かべますが、彼らは試合や舞台で演技するのにどのような努力を続けているでしょうか。パフォーマンスを出さないとプロフェッショナルとは言えませんね。我々はどうでしょうか。私たちもプロスポーツ選手や俳優と同じようにプロフェッショナルだと思っています。ですから、そのためにはやはり成果を出さなければいけないんですね。

何となく上司からこれをやれ、あれをやれと言われて行った仕事の報告・相談・連絡。こういうコミュニケーションの重要性はごく当たり前の話ではあります。しかし、そういう中でも自らが成果を出さなければいけません。特に自由度の高い働く環境の中では、皆さんがたの仕事の中に、より具体性や独創性や成果を出していかなければならないということです。一方的に自由度が広がったということだけで満足してはいけないことは、皆さんお分かりの通りです。

では、いったい日本財団というのはどういう組織なんでしょうか?
何を目指しているのでしょうか?

私は、世界で唯一の未来志向のユニークな組織だと思っています。いくつか例を申し上げれば、こんなに若い情熱を持った人が集まっている非営利組織の財団は世界にはありません。ほとんどの財団はある程度社会経験を積んだ人や、場合によってはドクターを取った人たちもいる。これが世界的な財団です。我々のところは職員の55%が女性で、しかもこれだけ若い人たちが社会のために活動したいと強い志と信念をもってお集まりいただいている。このような財団は世界にないわけです。

通常はどこも、例えばビル・ゲイツ財団や古くからありますロックフェラー財団、フォード財団にしましても、アプリケーションを受けて、それに対して援助・支援・協力するというのが財団法人であり、また、そういう巨大組織の仕事のやり方です。そして、これは今も続いています。

私は、それだけでは不十分だと考えました。近年まで、日本での財団はほとんどが役所の関係組織でした。そのため必要とされる社会課題解決の組織が存在しなかったのです。ですから、我々はこういう組織が欲しい、こういうものがなければ困ると自ら考え、我々自身が多くの財団を作ってきました。

皆さんご承知のように、国際協力、国際理解のための「笹川平和財団」、独立シンクタンクとしての「東京財団政策研究所」、あるいは40年前に若者の健全な育成のために作った「B&G財団」は500ヶ所近い施設を持ち、どちらかといえば主要都市から離れた市町村に、最初は子供たちの体力向上とコミュニティーの活性化を目的に、指導員の養成も含めて施設作りをしてきましたが、今や老人社会になり、老人の生活環境を改善するため、あるいは頻繁に起こる災害のための準備の施設として様々に活用されております。また、日本の文化、伝統等を海外に紹介するための文化活動、歌舞伎や能、あるいは華道等々ありますが、これは非常に限定的なものですので、もう少し普遍的に日本が発信できる世界的な文化活動はないかということで「日本音楽財団」という組織も作りました。先ほどもお話しましたが、助成財団が自らの事業をやるというのは財団のあり方としていかがなものかと多くの批判を受けたことがあります。しかし、日本財団は助成もするが自らも活動する。その上、社会に必要とする組織も自らつくるというのは世界で日本財団だけです。

そして、何よりも私達のこの活動資金は、一つはモーターボートの法律でカバーされておりますが、私はこれに甘んじてはいけないと思っています。私達自身も、ファンドレイジングをすることによって、お金の大切さ、お金を集めることの大変さを知る必要があり、いま活用している1000万、3000万とかいうお金がどのように貴重なお金であるかということを知るためには、我々自身もファンドレイジングをしようと、現在は様々な方法で寄付金集めをしていることはご承知の通りです。

私は寄附金分野においても日本一の組織になりたいと思っています。今まで募金先と言えば赤十字やユニセフでした。しかし遅まきながら、日本財団は寄付金の中から間接経費には使いませんということで、国民からも広く寄付を集める組織になりたいと考えました。皆さんご承知のように、私は1万円以上の寄付者には、朝7時から毎日のように礼状に添え書きと自ら署名をしています。これは国民が持っている「何か社会のために役立ちたい」という志に対し、単に印刷した領収書だけでは心が入っていません。ですから、よく識者が「日本の寄付文化は非常に遅れている。もっと国民を覚醒する必要がある」とおっしゃいますがこれは全く間違いで、多くの国民はテレビを見て、報道に接して心を痛め、多少でもお手伝いできないかという気持ちを持っています。実は、寄附文化の醸成はいただく側の責任なんです。もっと寄付者に感謝し、説明責任を果たし、日本人が持っている古来からの助け合いの精神というものを醸成していくことは、これからの日本財団の大きな仕事ではないでしょうか。

また財団法人では、第一線で支援に関わる仕事をしている人が大変重要だと思われがちですが、実は、そこは大いに議論の余地があると思っています。日本財団はそういう事業をされる皆さん方をサポートするためにきちっとした総務や経理が存在し、監査部も存在しています。特に事業監査部のある組織は世界の財団の中にはありません。それは、私達がいただくお金に対する我々の責任だと思っています。ともすれば、事業をやる方々は金銭感覚、説明責任、透明性という一番重要なことを忘れがちになります。我々が支援をしている助成団体の中には、毎年、事業報告、会計報告が来ない組織もあり、監査部では大変苦労をされています。彼らの答えは、「私達は忙しいの。そんな帳面や会計報告や事業報告をする時間がないし人もいないの」という返事をされる方もいらっしゃいますが、これは大変な間違です。

かつて私はファンドレイジング協会を立ち上げ、式典の折にNPOやNGOの責任者の7割は資金集めが仕事であり、責任者は透明性と説明責任が果たせる組織にしなければならないと挨拶しました。日本財団がこのファンドレイジング協会を5年間支援して成功しなければ、今後、日本でのNPOやNGOの存在はありえないでしょうということを言いましたとき、ファンドレイジングの専門家であるアメリカ人が挨拶をしまして「私の話が笹川さんに先に越されてしまった。笹川さんのおっしゃる通りです」とおっしゃいました。

いかにお金を集めるか、そして預かったお金をいかに上手に使っていくかということが責任者の仕事で、それをきちっと透明性と責任を持って当たるということの重要性を指摘されていたことを思い出します。そういう意味におきましても、監査部がきちっと評価を行い、総務、経理がきちんとバックオフィスとして仕事をしているので健全に機能するのです。

日本財団の資金は、1円たりとも私達が稼ぎ出したお金ではありません。日本財団がいただくお金はいわばお預かりをしているお金ですし、あえて申せば、私は公金だと思っています。100万円というお金がどのようにして日本財団に生れるんでしょうか。ともすれば我々は事業優先の中で、コスト意識を忘れがちになる傾向があるのは、自ら稼いだことがないために起こる現象です。実は、自ら稼いだお金よりもお預かりをしているお金の方がもっと責任が重いわけですから、コスト意識をしっかり持っていく必要があるのではないでしょうか。

先ほども言いましたが、日本財団には数多くの関連財団が存在します。今日的な言い方で申せば、日本財団は公益財団におけるホールディングスです。こういう組織は世界にはございません。だからと言って日本財団が本部として威張ってはいけません。それぞれの組織には評議員会もあり、理事会もあり、それぞれ独立しております。皆様方にお願いしたいことは、多種多様な関連財団についての事業の内容についても関心を持って頂き、あるいは人脈についても、優れた人たちがたくさんいますから、これからは関連団体との連携が大変重要になってきます。あれは誰それさんがやっている組織だからではなくて、これからはネットワークの時代でもありますし、共同でできることがあれば積極的に協力して欲しのです。

働く我々にとりまして、聞くことは全く恥ずかしいことではありませんが、実は、知らないままでいることは恥ずかしいことなんです。知らないことがあれば、プロですから、自らが調べるという能動的な姿勢が重要なんです。プロフェッショナルは安易に知らないという言葉を口にしてはいけないと私は思っています。わからなければ聞けばいいし、調べればいいわけです。我々には今まで気がつかなかったアセット財産、人間的な財産がたくさんあります。そういうネットワークをうまく活用していくことが、皆様方が新しい事業を立ち上げる上の一つのヒントになるのではないでしょうか。

ということで、日本財団のユニークさというものは、ある程度皆さん方は理解してくれたと思いますが、私自身も一生懸命頑張って、コロナが終わりましたら全国で遺贈をいただくための活動を再開したいと思っています。私は皆様方に1000億円の遺贈の預金通帳を残したいと思っており、それほど難しいことだとは思っていません。遺贈については日本財団が先頭を切ってやってきましたが、最近新聞を見ていますと、遺贈に関連した広告がユニセフなど、色々なところから出てまいりました。色々な団体が共同で遺贈を受け付けますというような広告も出てきておりますが、この分野におきましては、遺贈チームの木下さんを中心に、日本財団が大いに頑張っております。現在の実質上の寄付は年間20億円程度ですが、そう遠くない時期に数百億円規模にしたいし、できると思っております。私はこれからの日本財団は、日本の社会に寄付文化をきちっと醸成をしていくことにも力を注いでいただきたいと思っています。

日本財団の存在は何なのかと考えたときに、今や日本の国家財政は、コロナもありましたから、1000兆円を超える財政赤字が存在するわけです。国民の総預金あるいは国の財産を含めますと1800兆円はあると言われているから大丈夫だという議論が経済界や経済学者が指摘するところではありますが、私は経済には疎いのですが、借金は借金であって、預金がそれ以上にあるから、財産がそれ以上にあるから安全なんだというのは、庶民的感覚としてはわからない点があります。

何故巨額な財政赤字が生じたんでしょうか。国民の一人一人が、戦後76年経つ平和憲法のもとで、「民主主義の中には国民の権利がある。あれもこれも国がやれ、全て国の責任でやれ」ということを言い続けてきた結果、政治家も主権在民ですから、国民の要望を聞かざるを得ない。聞かなければ当選しない。そういう国民の声に押されて、また、国民の権利の主張をすべて国の責任としてやってきた結果だと私は思います。しかしここで冷静に考えてみましょう。我々には権利があると同時に国民としての義務も存在しているんです。果たしてそれ相当の義務を私達は果たしてきたのでしょうか。

本当に生活に困った方々がたくさんいらっしゃることは事実です。そういう人を救うために国費を使うことは当然過ぎるぐらい当然のことですが、それだけでは国は持ちません。日本は災害大国と言われ、外国人の書物を読み歴史を振り返りますと、災害が繰り返されてきたことが分かります。江戸時代、振袖火事と言われて、木造家屋でしたから、今の山手線の内側くらいの面積が焼失した事がありました。しかし「まだブスブスと煙があがる中で、新しい建設のつち音が聞こえてきた。日本人はなんてすごい国民なんだ」と。「災害のたびに強くなっていくじゃないか」というような外国人の報告文書も読んだことがあります。その中身は何でしょうか。それは先ほど言いました公益といって国がやる、行政がやらなきゃいけない仕事と同時に、共益という考え方があったんです。助け合いの精神です。

私達は農耕民族です。1人で自分の全部の田んぼの田植えすをすることはできませんし収穫することもできません。あるいは、田んぼに水を引く水路をどのように清潔に保ち、草を刈って水が流れやすいようにするか。1人ではできません。常に共同で水路を整備し、田植えや稲刈りも共同で助け合い、協力し合って今日の日本を作ってきたわけです。昔は川が氾濫する地域では、危険が迫ると被害を再少限にするために事前に防波堤を切る場所が決められており、そこの堤防を切るぞということの了解を事前に村人から得て、川が増水してきたらそこを切ったんです。そして、田んぼが被害を受けたところにはみんなで収穫した米を分け与えたんですね。大阪に八百八橋と言われる橋があります。9割は個人の名前がついた田中橋、渡辺橋。公費で作られたものではありません。個人が寄付したものです。この話はかつてアサヒビールの社長をされていた樋口廣太郎さんから聞きました。

このように、日本には共同社会としての伝統の中でお互いが助け合う共益・共助というものが存在したわけですが、高度成長の中で、コミュニティが、地方でも大都会においても、崩壊してしまいました。だからといって共益・共助の精神を忘れては人間社会、農耕民族は成り立たないと思っております。そこでかつてのような共益・共助の精神は無理としても、日本財団は、これから単に国や行政に求めるだけではなく、様々な社会課題を我々が発掘してそれを共同で解決していく。そういう共益の精神のセンターになっていきたいと思っているわけです。

私は公益の公助、そして我々がやろうとしている共益・共助、そして勿論自助努力も大切ですが、自助努力ができない方もたくさんいるわけですから、その方々は公助と共に国に任せるだけではなく、我々自身も立ち上がって共助ができる部分については共助をしていこうということです。そういう意味で、日本財団は様々な社会課題の解決のためのプラットフォームの役割を果たしてきました。これからは更に強化していく必要があります。それを具体的にどのように処理するかについては、「日本財団という方法」という言葉で皆さんに説明をしてきました。

具体的に言えば、特別養子縁組制度の確立、あるいは今、こども庁を作ろうと話題になっていますが、27年前に国連で子供の権利条約を批准しながら、日本は27年間も放っておいて、今頃になってこども庁を作ろうということで騒いでいるのです。しかし「仏作って魂入れず」で、どういう基本的理念に基づいて創るのかということについては関心がなく、高橋恵理子さんに頑張っていただいてこども基本法というたたき台を作りました。また数日前に新田さんが提言書を集めて下さった子供たちにおける性の問題ですが、包括的な性教育というものが学校教育の中で施されていないというアンバランスの中で、望まない妊娠が増えることで、昨今にみられる悲しい子供の虐待事件がたくさん起こっているということに対する問題提起を準備しています。私が考えた「日本財団という方法」は、この場所を使っていただき、専門家や学者の皆さん、そして具体的に社会活動をしていただいている皆さん、何よりもそれを発信していただくメディアの皆さんと場合によっては政治家にも参加してもらい、各ジャンルの方々を巻き込んでたたき台を作り、そしてある程度まとまったらそれを行動に移す。そういう場所に日本財団がなってほしいということをお願いし、行ってもらっています。これが問題解決への「日本財団という方法」です。

また昨今では、いわゆるコロナの問題でもそうでしたが、多様化、複雑化した時代の中で、国だけ、行政だけでは解決できない問題が多々出てまいりました。したがって日本財団が活動できる場が多々存在します。振り込め詐欺師が逮捕され、押収されて金融庁に保管されている資金の行き先の募集に、日本財団も申請しました。2年間かかりましたが53億円という当時としては大きなお金をお預かりし、我々は立派にそれを透明性と説明責任を持って活用したことに対して、役所の評価は非常に良いものがありました。日本財団は行政の、あるいは国家の資金を任せていただけるプラットフォームにもなりつつありますし、この部分をもっと広げていかなければいけないんじゃないかと思っています。3.11の東日本大震災でも100億円を超える資金を造船業、その他の支援のために国からお預かりしましたし、ミャンマーの人道支援活動についても既に100億円を超えるお金を国からお預かりし、今の困難なミャンマーの情勢の中におきましても、1日も休まず人道支援活動をやっております。

ご承知のように、ろう者のための電話リレーサービスは、7年間にわたり日本財団が自主的に活動した結果、今日では国のお金で我々の電話リレーサービスが24時間対応可能になりました。これは入口でありますが、日本財団に任せれば非常に効率的に仕事をやってくれるし責任を持って活動くれると評価をいただいています。

このような案件は厚生労働省にも通産省にもあると思いますので、こういうことを探してくださいと竹村さんにお願いしていますが、積極的にこういう資金をより効果的に使っていく。国家がどれだけ膨大なお金を無駄遣いしているかというのはある程度ご承知の通りで、国家の仕事もきちっとできるプラットフォームとしての責任も、私は新たな日本財団の仕事として積極的に取り入れていきたいと思っています。

特に海洋の問題などは、我々は既に50年近くにわたり世界の人材養成をやってきました。我々の力は「継続は力なり」で、誰もまだ気がついていない事を発掘して継続することです。海洋の人材養成は、当時の運輸省から「日本としては交際費の一部として1回だけで結構です」と依頼されました。「それでは人は育ちません。私達が責任をもってやります」と言って、今日では50年間に140ヶ国以上の人材を養成してきたわけです。そういう継続性を持った、また、先見性を持った仕事というのも我々の一つの特徴で、2年3年で終わるのではなく、「あふれる情熱を持って、どんな困難があっても、乗り越えて、成果が出るまで頑張り通す」というのが日本財団の精神ではないかと思っています。

私達が30年前に作った国連笹川防災賞は、当時は誰も見向きもされませんでした。今、各国で異常気象による災害が激増しています。ニューヨークですら水難事故、ドイツにおいても数百人が死ぬような今まで考えられないような気候変動が起こってきて、今や国連笹川防災賞に各国から推薦が多く寄せられているそうです。

1972年にストックホルム宣言による国連環境計画(UNEP)が設立されました。当時は世界的に環境問題への認識は限られた人たちだけでした。我々はこれをどういうふうにしたら世界の人々に理解していただけるのかということで、国連笹川環境賞という賞を作りました。しかし、今や環境というのは世界中の人が認識するテーマとなりましたので、環境賞は廃止しました。

すべて社会は泥縄式です。泥棒を捕まえてから手を縛る縄を作ることを泥縄式といいます。コロナ対策でも備えあれば憂いなしで、未来を予測して備えるということは決して無駄なお金ではないんです。ところが今の時代、すぐ成果が上がる、そういう一つのグローバリゼーションの中における資本主義というものが株主至上主義になりました。株主が最も偉い、配当をもっと出せ。かつて企業も実るか実らないかわからないための研究開発にお金を投じました。そして事故が起こらないようにということで保安要員をたくさん確保しました。しかし、近頃は株主資本主義で、無駄なことは省いて利益を計上しろという傾向が強くなっています。日本最初の造船業に三菱重工の香焼という世界に冠たる造船所が長崎にあります。大型客船を作っていてる時に2度も火災を起こし、とうとう造船業からの撤退を余儀なくされました。これも一つの株主資本主義の欠点です。おそらく保安要員を削減した結果ではないかという気がします。

今まで主に国内問題とそのあり方について説明をしてきましたが、障害者問題は世界的な問題になってきまして、樺沢常務を中心に、世界の有力500社、MicrosoftやGoogle、アマゾンなどを巻き込んで障害者雇用を徹底してやっていこうと活動を始めました。かつて日本の役所のエレベーターは自動で動く装置があるにも関わらず、わざわざ椅子を設置するという形だけの障害者雇用などをやってきましたが、そういうことではなく、彼らには秀れた才能もありますし働く情熱もあります。また15億人も超える障害者のマーケットというものも存在するわけです。そういう障害者のマーケットは通常の人からは見えるものではありません。障害者を雇用してみて初めて障害者の雇用と同時に15億人の障害者のマーケットも見えてくるのです。

ということで、海洋問題を含め、障害者問題やハンセン病の制圧活動は今も続いていますが、そういう世界的なイシューにも取り組んでおり、世界に冠たるユニークな財団であることは先ほどから説明してきました。組織としての日本財団に与えられた使命とその可能性というものが、これほど大きいものはありません。日本財団の財産は、機械でも設備でもありません。ここにお集まりの皆さん全てが資本なんです。皆さんに強い意識を持って仕事をやっていただくことが、日本のみならず、世界を変える大きな原動力になりうる可能性を持っていることを是非、理解して下さい。

さて、皆さんはどうして日本財団に入ろうと思われたのでしょうか。多分、お金儲けだけの世界には入りたくないし、社会にはいろいろ問題点もあり、社会のために役立ちたいと思って選んでいただいたんだと私は思っています。そして、皆さんのその初心をきちっと実行するための責任を私自身痛感しておりますが、果たしてそれだけでしょうか。

なぜ私達は存在するんでしょうか。ちょっと考えてみてください。私は世界中を飛び歩き「なぜ私は日本人に生まれたんだろう。私がインドのカーストのアンタッチャブルの世界に生まれる可能性はどうしてなかったのか」と思うことがあります。私達には両親がいます。両親がいたから我々が存在するんです。1億とも2億ともいわれる精子が一つの卵子と結びついて誕生することは当然です。隣の精子が着床していたら私達は存在しないんですね。そうじゃないですか?私達は何者なんでしょうか?不思議に思いませんか。私は最近、自分の存在がなんなんだろうかということを考えたときに、この広い宇宙の中で、今のところ人類が生存するのは地球だけです。人生100年時代と言われますが、宇宙的な時間軸で考えれば、100年なんて瞬きぐらいの時間です。私達がたまたま日本人として、あるいは人間として生まれてきたということは、どこに行くんでしょうか。あらゆる生物は、人間も含めて、この世に誕生したら死に向かって歩み出すんです。基本的人権だとか平等だとか、いろいろ素晴らしい言葉がありますが、どんな権力者であろうが大金持ちであろうが、すべてこの世に誕生した以上は死というものに向かって一斉に歩み出すんです。人類に限らず、あらゆる生き物の絶対平等というのは、誕生した以上は死が存在するということなんです。

間違いなく死ぬんですよ。100年なんていうのは先ほど言ったような宇宙的時間でいえばわずかの差です。そうすると、その与えられた時間をどう過ごすか。私は、幸運に恵まれてこの世に誕生し、しかも、非常に限られた時間の中を死に向かって歩いている中で、どう生きればいいのかということを考えたときに、「よく生きる」ということが一番大切なことではないかと考えています。よく生きることは、それぞれの人によって環境が違いますから、勿論結婚して子供を育てる人もいらっしゃるでしょうし、絶対に結婚しなくてはいけないということではありませんから、独身のままで過ごしていくこともあるでしょう。置かれた環境も考え方も違いますが、たった一度この世に生を受けたんですから、よく生きるということについては皆さん同意して下さると思うんです。しかしよく生きる、よく生きたとは、いつどこで理解できるんでしょうか。それは死ぬ間近というか、終末時なんですよ。自分の人生はよく生きたな、満足がいかないまでもよく生きたなと思って死ぬことが最大の幸せであり、私は人生だと思っています。もっとこうやっておけばよかった、あの時こうすればよかったなという後悔を持って死を迎えるということは、甚だ幸運に恵まれてこの世に誕生したのにちょっと残念な気がします。ですから皆さん、権力者だとか大金持ちだとか、他人を羨ましいなんて思わないでください。みんな死ぬんですから。そういう方々に限って、大きな悩みや恨みやもっと激しい憎悪まで持って死んでいく人もいるんです。

私達は小市民で権力者や大金持ではないけども心豊かな人生を歩むことが可能です。皆さんが日本財団で働くというのはどういうことかとあえて言えば、日本財団という場所をお使いいただいて、こころ豊かな人生を歩む。そういう道具の場所です。しかし、多くの人が心豊かに過ごすための皆さんの努力が、結果的に社会のために役立つ、困っている人たちのために役に立つということで、決して役に立ちたいとか、良いことをしているとは思わないでください。そういう気持ちで仕事をしていると、どこかで壁にぶち当たります。そうではなくて、日本財団という場所を活用していただき、自分のたった1回の人生を心豊かな終末を迎えるための道具の場所であり、皆さん方の努力によって喜びを得た人、困難な人に手を差し伸べられたということができれば、素晴らしい人生であったというように思えるでしょう。この問題は宗教の問題その他が絡んでくるのかもしれませんが、私は何よりも、この世に生を受けて、一体、笹川陽平って何なんだということを突き詰めていくと、私は若いときから死を意識して生きてきましたので、納得した死を迎えたい、いつ死んでもいいと思えようになりました。私は世界中どこで死んでもその場で焼いてもらって骨の一片だけを日本に持ち帰ってもらえば、家族には死んだところに来てもらわなくてもいいし、そんな必要もないと伝えております。皆さんに私の82年間の現在の心境をお伝えし、何かの生きる上での参考になればということで、多少、人生論めいた偉そうな話をしましたが、ともすれば日々の中で忘れがちな大きな人間としての目標、死というものを迎えることについて考えていただけたらと思います。シェークスピアの戯曲に「終わり良ければ全て良し」というのがありましたね。

ということで、どうぞ世界に一つしか存在しないユニークな、そして非常に可能性のある日本財団というところで、皆さんがたと共に汗をかいて仕事をできることを感謝申し上げると同時に、喜びに感じている次第です。
ご清聴ありがとうございました。
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コメント
公益財団法人日本財団は、弱者に慈悲を、悪しき強者に毀滅を。
表現は悪いが、良く言えば上手く仕組まれた近代鼠小僧次郎吉。
小気味が良い。
Posted by: Julien xolophy  at 2021年10月26日(Tue) 20:18

凄く納得できるお話、ありがとうございます。福祉有償運送を創める時、車の助成を頂き本当にありがたかったです❣
Posted by: あんきや  蒲池龍之助  at 2021年10月25日(Mon) 11:13