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「チェルノブイリから福島へ」その2―我々の追憶― [2021年07月07日(Wed)]

「チェルノブイリから福島へ」その2
―我々の追憶―


笹川保健財団 最高顧問 紀伊國 献三
元チェルノブイリ医療協力室長 槙 洽子


1986年4月26日に発生したソ連邦ウクライナ共和国(現ウクライナ)の北部、白ロシア共和国(現ベラルーシ)との国境に近い位置にあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発事故は、全世界に深刻な影響を与えた出来事でした。爆発で排出された放射能は日本にも5月6日に到着しています。

1990年2月に笹川陽平日本財団理事長が日本から経済使節団を率いてソ連を訪れた際、ソ連側からチェルノブイリ事故に関連して民間から被災者への医療協力をしてほしいという申し入れがあり、笹川保健財団(旧笹川記念保健協力財団)を中心に人道的支援を決意したことに「笹川チェルノブイリ医療協力事業」は端を発しています。

笹川保健財団は、創立の目的であるハンセン病対策の国際医療協力に取り組んでいましたが、それまでは放射線医療には全く関与したことがなく、早速(財)放射線影響研究所の重松逸造理事長に相談し、広島・長崎の放射線医療の専門家を交えて協議を重ねました。そしてこのソ連の惨事に広島、長崎の被爆経験を持つ日本の専門家がその経験を活かすことが責務であると考えたのです。

同年8月、重松逸造理事長を団長に、我が国の放射線医療の専門家(広島大学原爆放射能医学研究所所長 蔵本淳教授「血液学」、長崎大学医学部 岡島俊三名誉教授「放射線生物物理学」、長崎大学医学部 長瀧重信教授「甲状腺・内分泌学」、他)が現地を訪問し、汚染地域の広大さとともに、住民の社会的心理状態を目のあたりにしました。

すなわち、@被災地域住民の不安が大きいこと、➁その原因の一つは、正確な情報が伝わっていない点にあること、B早急な事態把握が必要なこと、Cそれには直接の住民健診が適していること、D被害を受けやすい児童を優先すべきであること、という視点から、関係機関との協議を重ね、5年計画の医療協力事業がスタートしたのです。

協力事業の実践に際しては、次の点を考慮しました。
(1) 相手方を選ぶこと、住民感情から(旧)ソ連邦保健省をそのままカウンターパートにするのは恐らく適当ではない。
(2) 迅速性を重視すること。チェルノブイリ事故後、国際機関を初め各種の団体がいろいろ調査を行っているが、現実の医療協力はほとんど行われていない。
早急な医療協力の実行が肝要であること。
(3) 医療協力は科学的に裏付けされたものでなければならない。

(1)に関しては、ソ連邦保健省から、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの5つの地域が指定され、保健省が指定する医療機関と直接同意書を交わすように、すなわち保険省が間に入らずに事業を進めるよう指示されたことは幸いでした。そして又、その後ソ連が崩壊し(1991)、三ヶ国が独立してもスムーズに検診を進めることが出来ました。

そこで、母親たちの最大の不安でもある放射線感受性の高い子供たちを対象に健康診断(検診)を行ない、今後の対策の基本となる正確な情報の収集と、住民への正しい知識の伝達に努めることにしました。

また、財団では、健康診断に当たっては、第一に、人道的支援であること、科学的基盤をもった人道支援とすることを基本原則としました。第二に、得られた全ての情報はデータバンクとして、今後の住民の健康問題のみならず、広く放射線と健康障害の解析に利用され、世界の共有財産となるように透明性・公開性を基本として計画しました。

翌1991年5月に、放射能汚染被害の大きなベラルーシ(ゴメリ市、モギリョフ市)、ロシア(クリンシィ市)、ウクライナ(キエフ市、コロステン市)の5カ所で、事故時0才〜10才の児童を対象に健康診断を5年計画で開始しました。

幸いなことに、企画の段階から放射線医学の豊富な経験を有する長崎大学医学部、広島大学原爆放射能医学研究所、(財)放射線影響研究所などから全面的な協力を得て、検診車を使って児童検診を行ないました。検診は、@放射線による被爆線量の測定、A血液学的な異常の発見、B甲状腺障害の発見、の3点に重点を置き、検診車には、最新鋭のホールボディーカウンター、血液分析装置、甲状腺超音波診断装置が搭載されました。

この児童検診を実施するために、日本からの専門家の派遣に加え、現地の医師、看護師、医療技師の指導も行いました。現地での検診の実施、指導に中心となった日本人専門家は、広島大学原爆放射能医学研究所 藤村欣吾助教授(血液学)、長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設 山下俊一教授(甲状腺・内分泌学)、広島大学原爆放射能医学研究所 星正治助教授(放射線医科学)、放射線影響研究所 柴田義貞部長(疫学)、長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設 伊東正博助教授(病理学)他がいらっしゃいました(肩書は当時)。

しかし、児童検診開始から予定の5年が経過した1996年時の旧ソ連の社会・経済状況では、現地の医療機関が独立して検診活動を継続することが困難であること、また、10万人以上の検診の結果により、小児甲状腺がんの多発が放射能の高汚染地域に見られたことから、原発事故によって排出された放射能との関係究明のため、5カ所の検診センターの中で小児甲状腺がんがもっとも多かったベラルーシのゴメリ州においてさらに5年間児童検診を継続することにし、最終的にこの事業は2001年3月に終了しました。健康診断を受けた児童は約20万人になります。

約11年間の住民健診活動、また被爆者の健康管理、治療等に必要な検診車、医療器材、試薬等の物品供与に加え、診断技術の指導のため、日本からは全期間で延べ450名の専門家が派遣されました。また、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの医師・看護師・医療技師を対象に、日本および現地で延べ230名の研修も実施しました。

この間、1999年2月にはベラルーシのゴメリ市と日本(長崎大学医学部)とを通信衛星で結ぶ遠隔医療システムを稼働させ、小児甲状腺がんの確定診断に効果を発揮しました。このシステムにはWHOも関心を示し、笹川保健財団と協力してベラルーシ内の遠隔医療・遠隔医学教育を発展させる事業となりました。(まだインターネットの時代が到来していませんでした。)

また、検診の結果を公表し、その成果は世界的に認められるようになりました。

EU、米国国立がん研究所、WHO、笹川保健財団、ケンブリッジ大学(のちに、ウェールズ大学、そしてインペリアル・カレッジ・ロンドンへと変わる)との共同事業として、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3ヶ国の甲状腺がん組織等の保管、管理体制を整備する研究プロジェクトを立ち上げました(ベラルーシは後に国内事情により脱退)。これは、現在も「チェルノブイリ甲状腺組織バンク」(Chernobyl Tissue Bank)として継続している事業です。

本事業をまとめて下さった紀伊國献三氏は、2020年5月にご逝去されました。
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コメント
貴財団がこのような素晴らしい救済援助活動に寄与されていたとは寡聞にも今日まで全く知りませんでした。感動致しております。
Posted by: 小松雄介  at 2021年07月07日(Wed) 12:06