CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«「日本人の苗字」その2―数字やカタカナの姓― | Main | 【私の毎日】2月5日(金) »
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2021年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「ミャンマー問題」―複雑怪奇なミャンマー政治― [2021年02月05日(Fri)]
「ミャンマー問題」
―複雑怪奇なミャンマー政治―


春日孝之氏(ジャーナリスト)が実にタイムリーに「黒魔術がひそむ国・ミャンマー政治の舞台裏」(河出書房新社)を出版された。今朝早速アマゾンに発注したところであるが、文春オンラインはこの本を引用して以下のような記事を掲載した。

読者の参考になると思い以下、掲載します。

*******************


 2021年2月1日。ミャンマー国軍がアウンサンスー・チー氏を拘束し、国家の権力を掌握したと宣言。民主主義の根底を揺るがす事態に各国から非難の声明が上がっている。歴史的なスーチー政権誕生に導いた総選挙から5年が経った今、なぜこのタイミングで国軍はクーデターを起こしたのか。その背景には“ミャンマー特有の意思決定”のあり方も大いに関係するのかもしれない。

 ここでは、「占い」が生活に密接に関わるミャンマーの舞台裏をジャーナリストの春日孝之氏が迫った書籍『黒魔術がひそむ国・ミャンマー政治の舞台裏』(河出書房新社)を引用。アウンサンスー・チー氏やNLDと国軍が水面下でどのような攻防を繰り広げてきたのかを紹介する。

停戦が実現したとしても、内戦の終わりではない

 ミャンマーの人口は約5100万人(2014年国勢調査)で、政府は135の民族グループを認定している。全体の約7割を占める多数派がビルマ族、その他の134が少数民族という分類だ。宗教で見ると、全体の9割が仏教徒である。

 ミャンマーは、長いイギリス統治を脱してビルマ族を事実上の支配民族として独立(1948年)した。以来いくつもの少数民族武装組織が「分離独立」を求めて蜂起し、内戦に突入する。国家分裂の危機である。

 今ではあからさまな「分離独立」要求はほとんど聞かれないが、一部武装組織は「自治権の拡大」を求めて国軍との間で散発的な戦闘を続けている。

 テインセイン大統領(※編集部注:大統領在任期間は2011〜2016年。国軍出身だが大統領就任前に退役し、ミャンマーの民主化に務めた。2015年の総選挙でスー・チー率いるNLDに敗れ、大統領を退く)は「全国停戦」を目指し、その数20ほどある武装組織と和平交渉を続けたが、任期中に時間切れとなり実を結ばなかった。ただ、かりに全国停戦が実現したとしても、内戦の終わりではない。組織の武装解除や兵士・将校の国軍への編入といった難題も残る。彼らも「職」を失うからだ。「和平実現」を視野に捉えることすら、まだまだできないという状況なのだ。

 少数民族問題は、政権や国軍の立場で眺めれば、安全保障上の最大懸案の一つである。懸案が払拭されない中で国籍条項に手を付ければ、自治権に絡む条項でも改正圧力が強まるのは必至である。私が話を聞いた少数民族の指導者たちは憲法改正の主眼を「真の連邦制の実現」に置いていた。国籍条項の変更については多くが無関心だった。

 「自治権の拡大」は、ビルマ族が主体となった中央集権体制の弱体化を招きかねない。ミンアウンフライン最高司令官(※編集部注:2021年2月1日のクーデターで事実上の国家指導者になった)は「私たちは連邦を分裂させない『安全装置』としての責務を担う」と口にした。自らの機能低下につながるような国家システムの変更には応じない、というのが基本姿勢である。

スーチー大統領実現を阻むかのような「国籍条項」

 軍政期の2008年に制定された現憲法は、大統領(副大統領も含む)の資格要件(第59条)の一つとして国籍条項(f項)を設けた。「本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれか」が外国籍なら資格はない。ミャンマーは二重国籍を認めていない。スーチーの夫(故人)は英国籍で、二人の息子やその妻たちも英国籍である。

 NLDは民政移管後の2013年末、国会に提出した憲法改正案でこの条項の「削除」を求めた。政権与党・連邦団結発展党(USDP)も、民主化改革への姿勢を示す必要があり、独自案を提出した。国籍条項をめぐっては「(親族が)ミャンマー国籍に戻るなら大統領候補になれる」を付加した譲歩案だった。

 憲法を素直に読めば、ミャンマー国籍に戻れば大統領候補になれることは論理的必然と思える。しかし政権寄りの一部メディアはスーチー大統領実現に道を開く「驚きの案」と報じた。その一つ、政権与党の日刊紙ユニオン・デイリーのウィンティン主筆(63)に問うと、こんな反応があった。

 「(スーチーの)息子たちがミャンマー国籍に戻れば、国民はみんなハッピーですよ。ドー・スー(編集部注:アウンサンスー・チー氏の愛称)が大統領としてその身を国民に捧げる覚悟があるなら当然、息子たちを説き伏せるべきです」

 アウンサンスーチーは長男との不仲がうわさされる。スーチー本人は「成人した息子たちを説得するつもりはない」と漏らしてきた。ウィンティンの言葉は、息子たちに「英国籍を離れてよ」とは言えない彼女の身上を見透かした、冷評のように思えた。

 友人のジャーナリスト、シードアウンミンは「息子たちがたとえミャンマー籍に変わると決心しても、当局が資格審査で阻む可能性があります」と指摘した。スーチーに大統領資格を与えないためにはどんな手も使うはずだ、との見方である。

 国内外の民主派やその支持派は国籍条項について、「軍政がスーチーを標的として設けたのだ」と非難してきた。イエトゥ情報相兼大統領報道官にこの点を問うと、憲法改正論議でスーチーが「改革の一部は失速している」と政権批判を展開してきたことを踏まえ、言い返した。「ドー・スーの批判は自分が大統領になれるかどうか、彼女が求める判断基準に沿ったものに過ぎません」

国軍vsアウンサンスーチーという対立の構図

 スーチー標的論を考えるには、少し「過去」を振り返る必要がある。

 旧軍政期以来の「国軍vsアウンサンスーチー」という対立の構図は、ざっくり言えば「ビルマ族仏教徒」というコップの中の争いだった。アウンサン将軍は「建軍の父」であり、スーチーの実父である。内戦で戦う少数民族の武装勢力はコップの外の敵。国軍は、スーチー率いる民主化運動によってコップの中と外の二正面作戦を強いられることになった。

 イギリスはその植民地支配でカチン族やカレン族といった一部少数民族に対し、キリスト教への改宗を推し進め、多数派の仏教徒ビルマ族を支配する立場として優遇した。「分割統治」である。ビルマ族は独立により支配権を奪い返した。独立に伴う内戦の勃発は、被支配者の立場に転落した少数民族の「復権」を懸けた闘争という側面もある。

 イギリスがこの国に残した「負の遺産」は、内戦にとどまらない。民政移管後に顕在化した仏教徒とイスラム教徒の対立もその一つだ。同じ大英帝国下、インド側から大量のベンガル系イスラム教徒が流入する。テインセイン大統領もミンアウンフライン最高司令官も、私のインタビューにイギリスへの恨み節をとうとうと語っていた。

互いに繰り広げる心理戦・情報戦

 国軍は今も、武装勢力などと心理戦や情報戦を互いに繰り広げている。米欧諸国は少数民族、キリスト教徒やイスラム教徒を「抑圧・弾圧される側」とみなして同情的だ。

 軍人議員のティンソー准将はメディアにこう発言していた。「国家元首は国民の全幅の信頼を得る必要がある。その家族がどんな形にせよ外国の支援を受けるようなことがあれば、この国は間接的に外国にコントロールされるかもしれない」

 「国籍条項の維持」を訴える市民集会がヤンゴン近郊で開かれたことがあった。テインセイン政権が後押しした可能性はぬぐえないが、「国籍条項の取り扱いは(スーチー個人の問題ではなく)長い目で是非を判断した方がいい」との指摘があった。大局的には国家の安全保障に関わる問題なのだと。

国軍、そしてスーチーの言い分

 国軍としてはスーチーに対し、「この国の将来を真剣に憂うるのであれば、身辺をすっきりさせて出直せ。できないのならあきらめて別の道を目指せ」ということになる。

 逆にスーチーの立場からすれば、「息子といえどもすでに成人。国籍変更を強いるのは人権問題だ」という主張になる。「旧軍政は憲法の国籍条項に『スーチー排除』を明確に意図して盛り込んだ。外国の支援やコントロールをうんぬんするというのは、後からつけた理屈に過ぎない」となるだろう。

 結局、国籍条項に関しては、スーチーの二人の息子やその妻たちがミャンマー国籍を取得すれば問題は解消される可能性を残しつつ、このまま推移することになる。

 ただ、「スーチー大統領」誕生を阻む国籍条項にかかわらず、憲法改正を求める側に立てば、最大の問題は改正条件のハードルが絶望的に高いことにある。

 国会は上院224、下院440の計664議席で構成されている。このうち、国軍最高司令官が指名する軍人議員が全体の四分の一の166議席を占める。総選挙で各政党が争うのは、総議席の四分の三にあたる残り498議席。しかし憲法改正には全議員の四分の三超の賛成が必要なので、病気などでの欠席や死去に伴う欠員が常態化する中、改正の可能性はゼロに等しい。何度も繰り返すように、最高司令官に事実上の拒否権が与えられている状況だ。

 NLDの憲法改正案起草に加わった国会議員ウインミン(63)はこう指摘した。

「軍人議員は最高司令官の駒に過ぎません。国民に選ばれていない、つまり国民の意思が反映されていない人物に国家の命運が委ねられている現実は非民主的です」

 国政を左右する大きな課題については、国軍の意向を無視して何も決まらないのが実情だった。その権限を一手に握るミンアウンフライン最高司令官は、確かに国民に選ばれていない。

 スーチー率いるNLDは、国会に対し国籍条項の削除と同時に、憲法改正の要件を全議員の「四分の三」から「三分の二」に緩和するよう要求する二段構えのキャンペーンを展開していた。しかし国会の特別委員会で続く改正論議は、なかなか前に進まなかった。国民的作家で占星術師ミンティンカの「アウンサンスーチーは大統領になる」旨の予言は、こうした状況の中で公表されたのだった(※編集部注:スーチーやNLD、国軍の意思決定はこの「占い」にも左右されてきた)。

 それはともかく、スーチーは記者会見などを通じて「大統領になるための努力を続ける」と繰り返す。主治医ティンミョーウインが言うように「強い意志で一生懸命に努力すれば、目標に到達できる」と信じて。

ロヒンギャ問題の対応への非難

 スーチーは主治医ティンミョーウインが語ったように「仏教徒として一生懸命に」やり切り、宿願だった実質的な国家元首の地位を獲得する。ただ、その後の政権運営の道のりは、周知の通り険しいものになる。私はスーチー政権の発足とともに日本に帰任したが、はたから見て特に気になったのは、厳しさを増す国際社会の視線だった。

 「人権と民主主義のチャンピオン」は「堕ちた偶像」とまでこき下ろされる始末。とりわけロヒンギャ(ベンガル系イスラム教徒)の人権問題をめぐり「沈黙」を通してきたことが痛手となる。専制的な政治姿勢やメディアとのギクシャクした関係が、「称賛」から「批判」へと容易に入れ替わる空気を醸成していた。

 ロヒンギャ問題は複雑で根が深い。歴史的背景が込み入って解決への道筋は一筋縄ではいかない。「人権」が絡んでいるだけに、うかつなひと言で収拾がつかなくなる。誇張や曲解されることもある。主治医ティンミョーウィンによると、スーチーが沈黙してきたのは、時に沈黙は語るよりも優れているという、仏陀の教え「賢者の高貴な沈黙」にならったものだった。

国際社会からの侮蔑的な視線

 本章を書いている最中(19年12月)、オランダ・ハーグの国際司法裁判所で「ロヒンギャ迫害」問題の審理が始まる。ミャンマー国軍による対ロヒンギャ武装組織への掃討作戦が「ロヒンギャを集団として破壊する意図をもって」一般住民へのジェノサイド(集団虐殺)に及んだ、との訴えである。

 スーチーが出廷して被告席に立つ。国軍の「擁護」をしたことで、英BBCがスーチーの「大きな転落の日」と報じるなど、メディアは総じて、彼女に非難の声を浴びせた。

 軍政期、スーチーは「人権」と「民主主義」を錦の御旗に国際社会から揺るぎない支持を受けて「悪の軍政」と対峙していた。皮肉なもので、今や「悪の国軍」に付和雷同する人権無視の張本人として、国際社会の侮蔑的な視線を一身に浴びている。期待が大きい分、失望が深いのは世の常である。

占星術師が語った逸話

 私は裁判報道を眺めながら、テインセイン政権の占星術顧問だったペニャン師が語った逸話を思い出していた。呪われて王になった人物の苦難の話である。王になれば、さまざまな国難に直面する。国家のあらゆる問題と苦難を背負わないといけない――。

 王になるよう誰かに呪われたかな、と思ってしまうほどだ。

 スーチーは記者会見での私の質問に、「大統領になる」という占星術師の予言を『私の明るい将来』と表現し、謝意を示した。そのことから、彼女は最高指導者になってこれほどの激しいバッシングを受けるとは予期していなかったに違いない。

 スーチーは偶像ではなく生身の政治家を志した。父アウンサンが果たせなかった「民主化されたミャンマー」を成し遂げたいと。「重要なことはすべて私が決める」と豪語したスーチーである。その心底にはあらゆる問題と苦難を背負い込む覚悟があったはずだ。いや覚悟していなければならなかった。

 ロヒンギャ問題に対し、スーチーは目を背け、口をふさぎ、何もしない――。国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、無力ならともかく行使できる「政治的、道徳的権限」がありながら行使しないのは、無作為の作為だと非難した。

 批判者はさらに言い募る。スーチーの後ろ向きの姿勢は、ロヒンギャを嫌う大多数の国民の支持をつなぎ留め、政権運営や将来の憲法改正に不可欠な国軍の協力を失わないようにするためだと。確かにスーチーは「国民の支持」によって最高指導者のポストをつかみ取った。これらを失えば、自らの政治的な寄る辺はなくなってしまう。

 もはや「世界のスーチー」ではなく「ミャンマーのスーチー」である。しかし彼女は法廷で、国内での保身のためだけに国軍を「擁護」したのではないと私は見た。武装組織に対する掃討作戦での行き過ぎは認めつつ、作戦の正当性を確信して訴えに反論していたと思う。

ロヒンギャ問題の本質とは

 殺害やレイプ、拷問や住居の破壊など数々の残虐行為があり、結果として大量の難民が命からがら隣国バングラデシュに脱出した。私は、これを否定したり軽視するわけではない。人道上の危機、人権侵害の極みである。

 ただ、ロヒンギャ問題では「人権」だけに焦点が当てられがちだ。「人権」は「普遍的価値」とみなされるがゆえに、物事の善悪を判断しやすく、誰もがとっつき易いテーマだ。テレビやネットを通して、目の前には悲惨な光景が映し出されている。しかし、いやそれだけに問題の背景をとことん掘り下げることなく、人を思考停止にさせる危うさが付きまとう。「誰がこんな目に遭わせたのだ」とか「誰がこんなことを黙認したのだ」とかいったレベルで止まっているのが、ロヒンギャの「人権」問題である。

 ロヒンギャ問題の根っこの一つにはイギリス植民地支配をルーツとする「負の遺産」がある。

 なぜロヒンギャはミャンマーで不法移民扱いされ、国籍が与えられないのか。なぜロヒンギャはミャンマー人からそれほどまでに嫌われるのか、なぜを突き詰めて考えるべきだと思う。

 ロヒンギャ問題は、イスラム教徒に対する仏教徒の迫害という文脈でも語られるが、より本質的には歴史的な土地・領土の奪い合いという側面が強い。どちらか一方だけが正しいと判別できるような単純明快な問題ではない。

 国家レベルで見ると、「イスラムの脅威」やロヒンギャ武装組織、つまりイスラム過激派またはテロ組織の動向が絡む安全保障の問題である。国軍の掃討作戦は「分離独立」を口にした過激派の蜂起を契機に行われた。過激派に殺害されたり、虐待を受けた地元仏教徒(ラカイン族)の「人権」は視野の外に置かれてきた。

 ロヒンギャ問題を「領土争いに起因する紛争」という視点で眺めると、双方の当事者がいかに激しく情報戦や心理戦を繰り広げているかが見えてくる。国連や人権団体へのロビー活動もその一環だ。過激派は、国際世論をこの問題に引きつけるため、国軍の反撃を想定して意図的に人道危機を創出した疑いがある。

 ロヒンギャ問題は私がミャンマー情勢をカバーする中で特にエネルギーと時間を費やしたテーマだった。今回の掃討作戦以前から、長い間の紛争で犠牲になってきたのは、ロヒンギャと仏教徒ラカイン族双方の無垢の民なのだ。悲惨なのは、「憎悪の連鎖」の中で無垢の民同士が暴力を繰り返してきたことである。

ロヒンギャ問題に対するスーチーの立ち位置

 「人権」問題に焦点を当て、人道危機に速やかに対応するのは当然である。しかし、そこにとどまって一方の「非」を糾弾し、どうにかしろ、と声高に叫び続けても解決への道は進めない。むしろ相手をより頑なにし、孤立感とやり場のない怒りを増幅させるだけである。

 メディアの報道も国際機関、多くの国の対応も著しく偏っている。ミャンマー人仏教徒(特にラカイン族)は「多勢に無勢」の感を強くしており、そうした偏った姿勢がロヒンギャや国連などロヒンギャを支持する国や組織に対し、憎悪を募らせてきた。挙げ句、憎悪のはけ口をロヒンギャに向け、一連の差別や暴力を正当化してきたことは、社会心理学的に説明できる。「憎悪の連鎖」は、ロヒンギャの無垢の民をより窮地に追いやってきた。一方への極端な非難と擁護は、むしろ「憎悪の連鎖」に加担する行為なのだ。

 スーチーは今やこの難事の矢面に立ち、批判の矛先となっている。

コメントする
コメント
笹川会長 様
 お世話になります。
  ミャンマーは独立国。
  国内の風土・慣習・歴史はその国の民衆で時間が掛かったとし ても解決すべきです。国が豊かになるため経済の発展と並行し諸 問題をミャンマー政府が紆余曲折があったとしても激論を交わし ても武力でない対話による内政問題に従事して頂き、経済発展の 協力に日本も継続し参画、亡吉田茂氏の「人はいつか死ぬ、国は 生き続ける」人種・風土は違えど同じ人間。ミャンマー国民が将 来の国の豊かさを目指すことに目覚めて頂きたい。(吉田容士 拝)

 
  
Posted by: 吉田 容士  at 2021年02月08日(Mon) 10:57

15:45のコメント、ちょっと意地悪ですね。笹川さんはそんな人じゃないと思います。僕は笹川氏の努力に敬意を表します。
アウン・サンチさん、国際社会から叩かれました。今回の笹川さまの投稿で多少事情がわかりました。
笹川氏を擁護すれば迎合になるのかな。それでも結構、批判、批評は大切だけど、非難はよくないと思います。
Posted by: 田邊よしはる  at 2021年02月05日(Fri) 18:44

終始、どっちもどっち論、というか「著者の俺が一番物事の複雑さを理解している」感が強い文章ですね。

歴史的観点からするとイギリスなど関わっています。しかし、日本軍も関わっていますよね?

もしイギリスに責任があるとするなら、日本政府はなぜイギリス政府に働きかけをしないのでしょうか。著書は、国連や人権団体を「偏っている」と揶揄するのであれば、具体的な解決策を提示するべきだと思います。

そもそも、物事の複雑さを語りたいがために、物事を相対化して、議論を泥沼化させているだけにしか見えません。
Posted by:  at 2021年02月05日(Fri) 15:44